1809231809231毎日、銀杏たちを掃き集める季節です。

雨が降ったりすると、大量に降臨します。風が吹いても、掃いたはしから、次々降臨。

朝は、車に潰されないように片隅に寄せておいて、夕方集めます。

銀杏が落ちてるから車の乗り入れを躊躇うなんて繊細な人は、悲しいかなとても少ない。

 

ぼくらが目にするのは、熟して落ちたものだけですから、なかなか気付きませんが、銀杏はもともと、サクランボのように双子です。1本の柄にふたつの実がなります。ふたつ以上のこともありますが、ほとんどがふたつ。

しかし、双子のまま熟すことはめったにありません。熟すのは片方だけ。

 

柄と実が接する部分に、小さい黒い粒がありますね。

これが退化した双子の片割れです。

ただ、なぜ片方しか育たないのかは、よく分かっていないらしいです。

 

育たなかった黒子を見ると、自分を見るようで、つらくなります。

180922で、古文書展の記事ですが、記者が館長の話を聞いてまとめたようです。

新聞記事ですからそれでいいわけですが、できれば、近世仏教史に詳しい研究者が書いてくれればと思っていました。しかし考えてみれば、徳島には適任はいません。

短い記事の中にいくつかのトピックが取り上げられていますが、幕末に天台宗に改宗させられ、名前も「観海院」と改めさせられた話もそのひとつ。

 

天台は、徳川家の菩提寺の宗派で、蜂須賀家もそれに倣って(迎合して?)城下に天台寺院を創ります。

しかし幕末、比叡山からの僧侶の派遣が止まり、天台の法要ができなくなったからという理由で、藩内の有力な真言寺院を天台に改宗させたという事件です。

長谷寺もこれに巻き込まれました。当時は、そこそこ有力寺院だった(らしい)。

別の宗派の法要のために、寺院に改宗を強い、寺名まで変えさせるというのは、あまりに強引な話ですが、そういうことができる時代だったわけですね。

廃仏毀釈前夜の、ちょっと風変わりな事件です。

 

取材した文化担当の記者は、とりわけこの事件に興味を持ったらしく、もう少し詳しいことがわからないか、なぜ真言に戻れたのかなどを訊きに、訪ねてきました。

知りたいことがすぐに分かるような史料があるなら、歴史家は苦労しないわけです。

今後、関係史料が発掘されるのを期待したい。

 

写真は、「観海院」名で藩に提出した、宗門改め関係の書類。

安倍が続投ですか。

モリ・カケ疑惑で、まさか、もう先はないだろうと思っていました。少なくとも、これまでならそうだった。

自民党の劣化の激しさに、呆然とします。

これを是とする国民も国民だ。

 

ぼくは、いずれ非国民と指さされそうな気がします。そこまで生きていたくないけど、そんな時代は、すぐそこまで来ているみたい。

なにしろ、翁長知事に対する追悼発言だけで、「反日」といわれる国です。安室ちゃんのことです。

日本は、もはや引き返せないところまで来てしまっている。そんな気がします。

 

「あと3年続くの麻生氏 奥方も」

きょうの朝日川柳から

きのうの地190920元紙の文化欄に、「長谷寺の古文書」展が紹介されました。「あん」の原作者ドリアン助川の、樹木希林さんの追悼記事の真下です。

展覧会の話はさておき、ぼくにとってこの人は、やはり悠木千帆です。

名前を変えたのは1977年のことらしいですが、ぼくにしてみれば、いつの間にか名前が変わっていた。

きれいな名前だったのに、なぜ変えたんだろう。それに、この名前はないだろうと感じました。名前の落差が大きすぎた。

その頃ですね、郷ひろみと変なデュエットしていたのは。

 

あの伝説の「おきん婆さん」を演じたドラマは、ぼくが大学生のときなので、ほとんど見ていません。下宿の部屋に、テレビなんかあるはずがない。

このとき彼女は、30そこそこでしたが、まだ悠木千帆です。

 

彼女がまだ20代の頃、彼女が主演のドラマが好きで、よく見ていました。

名前に似合わない、ファニーフェイス。なのにしっかり主演を張っている。

タイトルも共演者もすっかり忘れましたが、テーマソングはいまでも全部歌えます。

 

♪女の子は女の子 いつまでも 生まれたときも大人になっても 女の子

ちょっぴり弱くて優しくて 泣き虫だけど 愛することなら誰にも 負けはしない

進め女の子 愛のラッパを吹き鳴らせ

 

 どなたか、記憶にありませんか?

彼女はミニスカート姿でした。

180919 朝日新聞のラ・テ欄(こんな言い方、いまでもしますか?)のコラム「キュー」。

 島﨑今日子の書いたものは、けっこうしっかりチェックします。さすがに、いい批評を書きます。

 

 きょうは、NHKの「チコちゃんに叱られる!」を紹介しています。

 わざわざ見ないけど、やっていたらたまに見ます。

 わざわざ見てもいいなという気持ちには、なっています。

 

 チコちゃんの声は、木村祐一ですが、島﨑は、ぬいぐるみの中にも彼が「入っているのですよね?」と。

 誰でも気になりますね。

 残念ながら、中身は彼ではありません。表情はCGですが、身体の大きさまでは変えられない(と思う)。

 女性のぬいぐるみアクターです。

 という話を、身近な女性から聞きました。彼女の知り合いなんだそうです。歳も聞きましたが、これは伏せておきます。

180917見るも無残ですね。「社会性を身に付けたゴキブリ」(9/13ブログ)の食べあとです。

畳だけでなく、こういうものまでお召しあがりになる。

脚気地蔵の祭壇に使われていた打敷の裏地。これは「緞子(どんす)」と呼ばれるものです。

なぜか、表の金襴には、まったく手を(口を)つけていない。

 

というわけで、金襴は無傷なので、裏地の生地だけをネットで手に入れ、お針子さんに託したら、あっというまに完成しました。

 

隅に、この打敷を奉納したであろう、地域の女性たちの名前が残っています。

名前から、少なくとも30年以上は前のものと分かります。

ぼくがここに来る直前に亡くなったご婦人の名前もある。

考えてみると、寺は、地域のデータの宝庫ですね。

 

今回の修復の日付と、お針子さんの名前を加えて、書き直すことにします。

180916畑にいました。

捨てた生ごみの中に、種がいたんでしょうね。

小さいくせに、甘さは、いっちょまえです。

ごみから生まれたと思うと、いとおしくて、食べてあげないわけにはいかない。

 

昔は、こういう小型スイカを、トランジスタ・スイカと呼びました。そう名付けられた品種があったのかも知れません。いずれにしろ、小さかった。

真空管の代わりに、小さなトランジスタが発明されて、ラジオはトランジスタ・ラジオになりました。「ひよっこ」て゛、みね子さんたちが、流れ作業の町工場で作っていた、あれです。

以来、小さなものは、総じて「トランジスタ」の名前が冠されました。

 

トランジスタ・グラマーなんて言葉もあった。かおるちゃん(由美かおる)みたいなのをそう呼んだ。

ああいうのは「こつまなんきん」と言うんや、というのは、昭和ひと桁生まれの、大学の恩師の言葉です。トランジスタ・グラマーを意味する古語です。

まあ「トランジスタ・グラマー」も古語ですが。

 

テーブルの上の果物は、そろそろ秋色。

柿なんかも並び始めました。

柿とスイカが同じ食卓に並びます。なかなかシュールな光景です。

↑このページのトップヘ