180224もはやニューrスとしては古そうですが、かつてコンビニがあった場所に開店したおせんべ屋さんを、覗いてみました。それにしても、コンビニの寿命のなんと短い。

おせんべ屋さんは、全国制覇も近そうな、「もち吉」。

こういう店ができると、本尊や法事のお供え物は、この店の商品一色になってしまいます。

鳴門市民は、とりわけ珍しい物好きです。

 

この店は、福岡県の直方(のうがた)生まれ。郷里の町のお隣さんです。

地元には「餅乃神社」という神社まで建ててしまったらしい。

残念ながらぼくは、おせんべはあまり口にしません。

 

直方といえば、魁皇、らしいです。すみません、相撲には詳しくない。

駅前には銅像が建てられたらしい。

直方を通るJR筑豊本線では、「かいおう」という名前の特急列車が、いまも走っています。

史上最多だった通算勝星の記録は、白鳳に塗り替えられてしまったみたいですが。

180223いまもときおり話題になる、あさま山荘事件。話題といっても、番組の視聴率の話題ですが。

ぼくは高校生でした。

テレビ中継の記憶は、今も鮮明です。

学生時代は、残党たちがキャンパスで武闘訓練をしていました。鉄パイプやゲバ棒で革命が起こせると信じた連中が、まだ大勢いたわけです。

 

いまでも関連書が出れば、手に取ります。

ちょっと古いものですが、ようやく読めました。

「あさま」の犯人のひとり吉野雅邦の、小中学校時代の同級生がまとめたものです。

「あさま」は、連合赤軍事件の、最後のシーンに過ぎません。東大の安田講堂みたいなものです。

そこに至るまで起こっていたことが、世間を震撼させました。

 

学生運動が、ここまで過激に、極端にならなければ、社会はいまよりも、もう少しましだったのではないかと、思わないでもないです。

 

すっかり過去の事件の感がありますが、著者の同級生は、無期懲役で、いまも刑務所にいます。

坂口弘には死刑判決が下り、いまも拘置所暮らしです。坂東國男は、日本赤軍の要求に屈し、判決が出る前に釈放されました。生死も所在も不明らしいです。

180219葬祭ホールからの連絡メモ。施主名や通夜、葬儀の時間が書き込んであります。

吉田さんの「吉」の字。「士」の部分の下を長くと、指定してあります。「士」ではなく「土」だというわけです。そういうこだわりがあるのでしょう。戸籍がそうなっているのかもしれない。

戸籍係だって間違いはあります。むしろ多いくらい。

前にも同じ話がありました。「うちの「𠮷」は下が長いんです」。

この家は、字の成り立ちを説明したら、ひどく驚いていました。

今度の家はどうでしょうか。

 

文字は、形にも意味があります。

「吉」という文字は、「士が口にすることはすべて善良」という意味の文字です。「土」では意味が変わってしまう。

「𠮷」という文字は、あくまで「吉」の俗字です。

 

むろん俗字を使ってはいけないというわけではありません。俗字の苗字はいくらでもあります。

ただ、「𠮷」は、名前には使えません。「𠮷」という字が好きだから、「𠮷雄」にしようというのは無理です。

「𠮷」は人名用漢字にはありませんから。

むろん、戸籍係に「吉」と「𠮷」の違いが認識できればの話です。

180217最近は、布施の包みに何の文字も書かれていないことが少なくないですね。

寺だって、小さいながらも法人ですから、出納はきっちり記録します。名前は必要。たまにどの家のものか分からないことがあって、困ります。

もちろん、寺の記録のために書くのではありません。世間の決まり事です。

そういう指導を、最近は親戚もしなくなったのでしょう。そもそも親戚が参列する法事も少なくなりました。

 

きちんと「布施」という言葉と、名前は書きましょうね。

そう言ったら、「書くものなんですか?」と訊かれてしまった。

こういう封筒は、デザインがしてあったりしますから、表書きは不要と思うのかもしれない。

切手を貼らない封筒には、表書きなどしない人も多いのかもしれない。

まあ、彼女(彼?)に直接渡す手紙には、きっと表書きなんかしないからね。

切手を貼って出す便りさえ書いたことがない人だって、いそうな気がする。

180216鳴門での暮らしでは、路線バスに乗ることなどめったにありません。この四半世紀で数えるほどです。けっこう走っているのですが、停留所が遠い。

都会は路線バスが発達していますから、今回の帰省ではよく利用しました。

西鉄バスです。

 

私鉄がプロ野球の球団を持っている時代がありました。

阪神、阪急、近鉄、南海、そして西鉄。西鉄以外はすべて関西というのは、どんな歴史的背景があるのだろう。そういえば、国鉄もチームを持っていた。いまのスワローズです。

いまは阪神だけになってしまった。

西鉄は、太平洋クラブ、クラウンライターと次々とオーナーが替わり、いまや西武。それも、埼玉のチーム。九州の人間は、西武になってもしばらく「ニシタケ・ライオンズ」と呼んでいました。

 

ところで、ワンマンバスという言葉がありました。運転手がわがままというわけではありません。乗務員は運転手ひとりだけ。

それまでは、必ず車掌がいて、社内で切符を売りました。

車掌が消え、乗務員はドライバーひとりになり、代わりに扉がふたつになりました。乗車口と降車口。

 

世の中は、ずっと昔から、人が要らない社会に向かっていたわけです。

子どもが減るのは当然のことかもしれない。

 

写真は高速バス。だから扉はひとつだけです。

180216涅槃会です。うちの涅槃会から、もう1年が経ってしまった。きのうのことだったのに。

今年の寺は、本堂で、ギターのコンサートをしました。

外で詠歌が流れ、本堂内ではギターが響き、ときどき入り混じりました。なかなかアナーキーで魅力的な世界です。

熱意さえあれば、こういうイベントができます。

 

徳島では名のあるミュージシャン(操る楽器は、ギターに限らない)で、うちの大法会にも来てくれたことがあります。当時ぼくは、まだ40代でした。

 

ヨーロッパの映画音楽を中心に、懐かしい曲を披露しました。

学生時代に、下宿の部屋で、練習していた曲ばかりです。

とうとうものにならなかった「アルハンブラの思い出」のトレモロも、見事でした。

ちなみにぼくは、九州から、ギターを抱えて、京都入りしました。

180214ただ、製鉄所が世界遺産にならなくても、ぼくが知らないうちに、八幡はすでに観光地になっていました。

製鉄所の跡地がテーマパークになりました。・・「観光」ではありませんね。

遊園地のお土産なら、いくらでもあったのでしょう。

 

しかしその遊園地も、30年足らずの歴史を残し、去年いっぱいで幕を閉じました。

遊具はいまもそのままの姿で残り、「スペースワールド」という駅もそのままです。「・・跡地前」では悲しすぎるものね。

まさかバブル期の遺跡として残すわけでもないでしょう。

 

もっとも、この遊園地ができたのは、ぼくが郷里を離れてからです。だから、これっぽっちも愛着はありません。工場は遊園地になり、職工さんたちの社宅があった場所には、大学ができました。

この時代、大学も、そう長くは続かないでしょうね。

これから、さらにどんな街に変身するのだろう。

たださびれていくだけ、という可能性も、もちろんあります。

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