小説

2020年05月20日

(ネタバレ注意!)早瀬耕「12月の辞書」を無粋を承知でメモを取りつつ読んでみた。

(以下、ネタバレありなので、かまわない方だけ進んでください。)

















早瀬耕「12月の辞書」(SFマガジン 2018年6月号)

・南雲薫:高校時代の恋人リセからの頼まれごと。リセに遺言で残された家から、リセの父がのこしたという絵を探す。
・佐伯衣理奈:母方の叔母の夫の父が寺島清次郎。幼少期によく遊んでもらい、寺島の別宅を自由に使っていいと言われていた。
・リセ(由仁):寺島清次郎の妾腹の子。高校時代からすでに父のことは切り捨てていた。本名は推測。「プラネタリウムの外側」(p242)で、佐伯が、よしひと、と読み違えていたので、おそらく、由仁町のことかと。それが、”12月の辞書”で南雲が高校時代に札幌から40kmかけて自転車で行って、JRの駅の入場券を、リセにわたしていた記述から。リセの本名が由仁だったことは、意味を持っているのだろうか。別の機会に語られているのだろうか。
・寺島清次郎:遺言でリセに家を遺す。また、佐伯衣理奈の幼少期に家にまねき、好きにつかっていいといっていた。南雲の高校時代に、リセにリクエストして、南雲と会っている。フィルムカメラでリセを撮って、ネガをくれないか、と依頼するために。
・寺島清次郎の残した家で、ばったり会う、南雲と佐伯。南雲はリセからの依頼で絵を探しに。佐伯は自由に使っていいと言われていた家ですごしに。
・南雲は結局は、絵をみつけ…。それは、どうやったら人の手でできるのかと思われるような仕掛け。それが、「12月の辞書」というタイトルの理由だった、と。おおよそ、小僧、わしの娘を愛しているというのなら、これくらいのことはやってのけてくれよな、という父の声だったのかもしれない、と。
・リセと佐伯の電話での会話は、明かされず。佐伯の「たぶんそうです」は、リセからの、あなたは南雲の恋人なのか?あるいは南雲のことを男性として好きなのか?という問いへの答えだったのか。佐伯の「ええ、約束します」は、「プラネタリウムの外側」p292の、南雲が心を開くまで話し相手になってほしい、なのかな、と推測。



編集部からの注記だと、「プラネタリウムの外側」のスピンオフで、「プラネタリウムの外側」内の”プラネタリウムの外側”と”忘却のワクチン”の間に、時系列的に位置するとのこと。なぜ、”12月の辞書”がスピンオフなのか、「プラネタリウムの外側」(書籍)の中に入れられなかったのかは、語られず。これ、内容的に、スピンオフと言うより、がっちりと「プラネタリウムの外側」(書籍)に組み込んでおいてほしいと思える内容なのですが。


また、つれづれに、今思うと、
「グリフォンズ・ガーデン」の、フーコーの振子の前の恋人たちというイメージ、
「プラネタリウムの外側」で示された、科学技術の戦争利用への忌避感は、
最新作の「彼女の知らない空」へも引き継がれているなあ、と気づく。


推測は、あってるかどうかはわからないけど、そういう風にもとれるという解釈と思っていただければ。


また、新作が出るごとに、旧作を読んだ人が楽しめるような仕掛けがほどこされていくのかなあ、と思いつつ。

chokusuna0210 at 17:40|PermalinkComments(0)clip!

2020年05月18日

(ネタバレ注意!)無粋は承知で、メモを取りながら、早瀬耕「グリフォンズ・ガーデン」と「プラネタリウムの外側」を再読してみた。

思い立って、無粋は承知で、メモを取りつつ取りつつ、
早瀬耕作「グリフォンズ・ガーデン」「プラネタリウムの外側」を再読。



(ネタバレありなので、かまわない方のみ先にお進みください)



















【グリフォンズガーデン】

僕。由美子。ドビュッシー前奏曲集。未来と、すでにされたは、アリストテレスの無矛盾律に反する。上司は、主任研究員藤野奈緒。六つの沼と六つの建物。僕は飛行機で佳奈に博物館を案内される夢を見る。有機素子コンピュータIDA-10を使用。(p178)鍋島由美子とデート...振り返ると佳奈になっていた...それは夢。最後に佳奈と由美子が入れ替わる…いや、あるいは僕がdwsに吸い込まれたのか。

佳奈は僕の22の誕生日に手紙をくれたガールフレンド。僕の妹理絵となかよし(理絵は今は仙台の大学に)。靉嘔のシルクスクリーンobject green。僕は経営学専攻。佳奈は言語学専攻。中高同級の長澤優子に頼まれて僕は感覚遮断の被験者に。DWSの僕は経営学部学部生から認知科学の院生へ。

「グリフォンズ・ガーデン」の佳奈と由美子は、最後に入れ替わったのだろうか。
佳奈がリアルへ、由美子が夢の中へと。
あるいは、”ぼく”が違う世界線にふっとばされたのだろうか。


【プラネタリウムの外側】
”有機素子のブレードの中”
(物語の内側?)
・(p39)長沢優子著「プラネタリウムの外側」が登場
・北上渉は、生卵を水に浮かべられる教授を覚えていた(PだったかDだったか)
・北上渉は、心理学専攻(認知科学も含むか?)私大講師34歳
・尾内佳奈の執筆中のタイトルも「プラネタリウムの外側」だった
(物語の外側?)
・僕
・南雲薫
・尾内佳奈:初対面で左手の薬指小指に包帯。物語の内側の設定が外側に侵食? 博士論文「アルフレッド・アドラー心理学を応用した希死念慮者における対策の研究」

”月の合わせ鏡”
・ぼく:通信工学を専攻
・彼女:尾内佳奈(同じ研究室の事務)
・南雲助教…(同じ研究室の助教)あやしげな副業している
・”有機素子のブレードの中”のぼくは、「そこは設定していない」と言った直後に、くも膜下出血で三ヶ月前に死んだ、と示唆される
・南雲は、死んだ友人のかわりに「ナチュラル」という話相手をプログラム内に設定
・ぼく:「月の合わせ鏡」が現代芸術コンクールで受賞。
・ナチュラルは、過去と現在は併存しないからやめとけ、と
・ぼくは、合わせ鏡のプログラムを、0で除算するものに変えたら、”死んだ友人”に過去に引きずり込まれ、抜け殻となる

”プラネタリウムの外側”
・佐伯衣里奈:工学部2年。独自の会話プログラムを作りたい。川原圭の「死」の直前をシミュレーションするために。自分が彼を救えたのではないかという思いを捨てきれずに。
・藤野奈緒教授(グリフォンズ・ガーデンの藤野主任研究員):南雲とは13年のつきあい。南雲が学生のときは39歳の若さで教授。いまは50代。つまり、グリフォンズ・ガーデンから21年以上はたっている
・南雲助教
・IDA-11
・前の話から6ヶ月が経過
・川原圭:佐伯とかつて恋人関係だったが、自分が同性愛者と気づいてしまう。同性の同級生Aに告白するも振られ、噂を広められ、転落した人を助けようとして線路に飛び込み死亡(自死だとは誰も思わず、佐伯をのぞいては)
・尾内佳奈は、工学部の現代芸術コンクールに入賞した学生とつきあっていたことをすっぽり忘れている。そういう世界線へ紛れ込んだのか。
・ナチュラル「俺達が作ったシステムにおいて、会話プログラムはフレームの外に出ることはできない。その逆は?」→プログラム以外は、フレームに入れない
・自分の能力が軍事技術に転用されると知りながら、大学に残るよりも民間企業を選んだポスドクの何人かを思い出す(p168)
・ナチュラルは、南雲が同じ地平にいないことに気付いているみたいなのに、それを気にしていない

”忘却のワクチン”
・ぼく:高橋香織と高校のころ付き合っていた
・高橋香織:リベンジポルノの被害に苦しむ
・南雲薫
・佐伯衣里奈:リベンジポルノを消し去りたいと経済学部の学生の依頼を受ける。南雲の助力を得て、セキュリティソフトを勘違いさせることで対応する仕組みを作動させる。発想の転換。
・ナチュラル「完全に忘れてしまうと記憶より記録のほうが正しいと勘違いしちゃうんだよ」

”夢で会う人々の領分”
・南雲薫:春からの助教授のポストを約束され、副業の出会い系はたたむことに。
・佐伯衣里奈:南雲、尾内との3人での釧路から下関までの寝台列車三泊四日の卒業旅行を計画。その列車は北上渉がマシン上でシミュレーションするために作った設定と同じ。
・尾内佳奈:春からの藤女子大の講師就任が決定。
・藤野教授:たまたまを装い、南雲に忠告するために、寝台列車に同乗。南雲のサービスをもう四年も有料会員として使っていることを告白。「コンピュータが自ら報酬を考え出して、人間を相手に遊び始めた結果も考えなさい」「潜在さえしていなかった希死念慮を、ユーザーに植え付けてしまう可能性があるということ」「ひと組のカップルのために、南雲君は、他人の心だけでなく、記憶を操作する方法までIDA-XIに学習させたのよ」
・ナチュラル:(佐伯衣里奈に)「ぼくの話し相手になってくれないかな?」
・わたしも南雲さんも(たぶん、ナチュラルも)、簡単に「できない」と決めつけない
・藤野の旦那さん:グリフォンズ・ガーデンの”ぼく”なのだろうか。「IDA-11の基本アーキテクチャ構築のプロジェクト・リーダー」という現職からしても。藤野が藤野のままなのは、職場での旧姓使用か、”ぼく”の婿入りか。「希死念慮者への対応は優れている」
・南雲の初恋の相手:(佐伯に)「南雲くんは寂しがり屋のくせに、人に頼ることを知らない。高校のころから、わたしと喧嘩するとパソコンのプログラミングに逃げ込んでいた。でも、そんなのって、何も解決しないでしょ。だから、南雲君が心を開くまで、彼の話し相手になってあげてほしい」
・イリーナは、チェーホフの戯曲「三人姉妹」の末っ子
・高校のころのガールフレンドの名は、おそらく、由仁、あるいはユニか。
・佐伯:「だって、誰かと夢で会うころって、その人が「不在」になってからだもん。わたしもときどき、以前の恋人と夢で会っています」



「プラネタリウムの外側」の最終話(「夢で会う人々の領分」)と最終話のその前(「忘却のワクチン」)のあいだに、何かあったよね? 
佐伯衣里奈、いつ函館に家を買ったの?
佐伯の思い出がいっぱい詰まっていて、南雲にとって大切な絵が飾られた家を、南雲の初恋の相手から2年前に買った(「夢で会う人々の領分」)というがどこにもその話はなかった。
いつ、南雲の初恋の相手の話が出てきて、どのようにして佐伯衣里奈と南雲の初恋の相手は出会ったの?

メモを取っていた範囲では見当たりませんでした。
SFマガジン2018年6月号にその辺が掲載されているという情報を入手し、注文。
今月中に届くのが楽しみです。

初読時は見逃してたのか。「グリフォンズ・ガーデン」のDWSみたく、設定が変わったのかなあ。あるいはラストの南雲のセリフから、"プラネタリウムの外側"と思っていた場所も、どこか別のところから見たプラネタリウムの内側で、外側、内側、外側、内側、外側、内側…みたいな無限の合わせ鏡なのかなあ、てことで無理やり納得したのかもしれない、むむむ (2020.5.18 19:20記)













chokusuna0210 at 19:21|PermalinkComments(0)clip!

2016年02月25日

オスカー・ワイルド - 「犯罪者」にして芸術家 (中公新書)

高校の英語の夏休みの宿題で、「ドリアン・グレイの肖像」が指定され、なんだろこれ面白くない、と思ったものを、大人になってから読み返して引き込まれ、「ウィンダミア卿夫人の扇」でさらに魅了された記憶がある。今考えると、高校生にドリアン・グレイって、刺激強すぎやしないかと思うけれども。

「私は人生にこそ精魂をつぎ込んだが、作品には才能しか注がなかった」と嘯いた作家を語るなら、まずはその人生を持って語らしめよ、というのが、著者のスタンス。淡々と事実を積み重ねていき、あえて、評価は下さない、と。しかし、おそらくワイルド自身が築き上げたかったであろうワイルド像は、著者が積み重ねていく資料の前では、崩れ去ることは否めない。

栄光から転落、天国から地獄へ。若い時代から才能を煌めかせて、周囲を魅了し、奇抜なファッションで話題をさらい、ひとたび集まりがあれば、そこで披露されるウィットと警句をちりばめた話術の才は居並ぶものを愉しませずにはいられない。小説から、劇作家としてもあたりにあたり、時代の頂点に立つかのごとくだったが、止めるに止められない、いささか社会への反抗的な気分もあったのだろう、当時は犯罪とされた同性愛が命取りとなり、監獄へと送られる。

そこから出たあとのことは、

------------------------------------
友人から借金をしてまで、囚人たちに金を施す。これがワイルドの慈善の流儀なのである。この話は、自分の宝石や金箔を剥いで困窮する者らに施す幸福な王子を彷彿とさせる。(p.229)

ワイルドがダグラスのことを悪しざまに言いながら、ダグラス本人には愛情のこもった手紙を書いていたことはジッドが証言した。ダグラスも『自伝』中で、釈放されてからのワイルドが自分に対して二枚舌を使っていたと、困惑しつつ書いている。そしてワイルドがそんなことをした理由は、酷薄なダグラスに裏切られたかわいそうな自分を演出して人々の同情をかい、財布の紐をゆるめさせるためだったのだろうと推測する。なぜなら、ダグラスにはやはりロスやハリスのことを、ケチだの送金がなだのと悪口を言っていたからだ。(p.244)

晩年のワイルドが友人たちに寄生しながら、その陰で彼らの悪口を言っては同情を集めていたというのは、残念ながら本当のようだ。(p.245)

多くのワイルド伝の伝えるところは違って、実際にはダグラスとパーシーは、出獄以降、ワイルドに相当な額を援助していた。さらに二〇〇〇ポンドを求めるというのは、強欲のそしりも免れない厚かましさである。(p.268)
------------------------------------

とあるとおり。
人として語るに落ちる感は否めないが、それでもなお、当然のごとく、残された作品の煌めきが消える訳ではない。願わくば、作品よりも魅力的だったという、ワイルドが座談の才を発揮している場面に、居合わせてみたかったものだ、と思った。


chokusuna0210 at 20:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年06月13日

垣根涼介 迷子の王様 俺たちに明日はない5




今回の面接は、百貨店の美容部員、テレビのエンジニア、そして書店員。
これまでの巻と変わらず、通奏低音として流れているのは、人が何と言おうとこんな人生があっていい、仕事は結局は本人の気持ち次第、ということ。
言葉にしてみるとありきたりに思えても、それを説得力を持って差し出してくれるストーリーに。
最終章は、まさかの社長による、われわれの会社は社会的な役割を終えたのでは、という提示。
そのように幕引きを図れる会社がどれだけあるだろうか。
そしてその後の真介のとった行動は...。
決定の兆しは見せつつも、決まった形では提示せず。変化の激しいこの時代、ある程度まで悩んで、パッと行動に移して、後の事はまたその時点で考える、というのを体現するかのように。


「でも、そうでない人生だって、あっていいのではありませんか」(p.55)(真介)

「最終的には誰がその生き方の良し悪しや好き嫌いを決めているかっていったら、やっぱりおれしかいないんだよね。だって、おれの人生なんだから」(p.61)(ヒデ坊)

あたしの人生、まずはあたしが認めてやらないと。世間的に正しいとか、そういう外面の価値ではなく、軽く包み込むように、認めてやらないと。(p.63)(まりえ)

「本来は憧れから始まるはずの研究が、同じ方向性、同じ延長線上の、単なる優位性、技術競争のための研究になっている」(p.107)
「食うためだけに仕事をする人間は、いつの時代だって結局その仕事からは、永久に報われることはない」(p.108)(時夫の父)

「自分への折り合い、ということですかね。今の時点で判断できないことは、また状況が変われば、その時に判断すればいい。そういう曖昧な自分を許しておく。というか、その時が来たら嫌でも判断せざるを得ない。そういう意味で、未来は常に不確定です。そしてその分だけ、気楽です。つまりぼくたちの今は、死ぬまでずっと連続した、一つの通過点でしかない」(p.204)(三浦)

「あの人はどうしているだろう、ってたまに想像できる気持ちを、仮に会わなくても持ち続けていられる人間だけがー逆説的だけどー実際に会ったときに、その相手に納得できる何かを与えることが出来る。」(p.220)(プロデューサー)


chokusuna0210 at 22:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年06月10日

船戸与一 猛き箱舟





高野秀行「世にも奇妙なマラソン大会」でとりあげられていたので手にとる。
西サハラを舞台にした冒険小説。
船戸与一作品は、
「砂のクロニクル」「蝦夷地別件」「かくも短き眠り」を読んだ事があるのだけど、
どれも重厚な歴史的背景をからませつつ、畏怖する対象へまっすぐな主人公が、手ひどく裏切られ、やっと手に入れた最愛の人も殺され、冷たい復讐に燃え、その過程で登場人物ほぼ皆殺し、というパターンが踏襲されているように思う。細かい点は多々あれ。それがわかっていても、長大な作品を読ませてしまう筆力が魅力といえば魅力。出て来る人みんな濃い人揃いだし。

書かれたのは1987年。まだソビエト連邦が存在していた世界。
何ものでもない自分の人生にうんざりした若者、香坂正次は、
海外進出日本企業の守護神と称される隠岐浩蔵に雇ってもらおうと策をめぐらす。
功を奏してか、配下に加えられ、西サハラへ向かう一団。
使命は、独立を目指すポリサリオ戦線から、日本の権益がからむ燐鉱山を防衛すること。
その過程で香坂は、何も知らされぬまま囮に使われ、ポリサリオ戦線に捕獲されることに。
脱走し、アルジェに逃れるも、西サハラからも日本からも追っ手がせまり、
最愛の相手を殺され、復讐の鬼と化す.........。

「この戦争は継続することに価値があるんだ。それがマグレブ諸国の安定に繋り、ヨーロッパ諸国を経済不況から救っているんだよ。つまり、この戦争はある意味ではきわめて古典的な構造を持っていると言っていい」(兵藤公明)

「ベルベル族のなかにこういう諺があるんだよ。助勢の剣は第一の禍いを避けし者のためにのみ振るうべし。わかるか?最初の危機はアッラーの与え給うた試練だ。そんなことで死ぬ人間はもともと生命力がない。助けたところですぐに無意味に死んでいく。そういう意味だ。」(シャリフ)

「慕われたり尊敬されたりするのはじぶんひとりじゃないと気が済まない性質なんだ。隠岐浩蔵はそのことをひた隠しにして振舞ってるけど、おれにはわかる」(野呂景夫)

おれは拳ほどの大きさのシャヒーナの心臓を食いはじめた。しゃりしゃりという音がかすかに寝室のなかで響きだした。孤児として育ち、世界から生きることを拒否されたシャヒーナよ、あんたはこのおれの体内で眠るのだ。


chokusuna0210 at 20:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年03月09日

オスカー・ワイルド ウィンダミア卿夫人の扇




他の夫人から、夫に情婦がいて、頻繁に食事し多額の金を渡していると聞き、夫がその女を自邸での宴に招きたいと聞き、憤慨するウィンダミア卿夫人。憤慨困惑する夫人に、自分の方へ来いと誘うダーリントン卿。なぜ夫は招いたのか、やってきたアーリン夫人とは何者だったのか。ウィンダミア卿夫人の扇を自分がねだったことにして窮地を救い、そして自らが何ものか語らず、ウィンダミア卿夫人からの好意を胸に去るアーリン夫人。夫が悔いたように、最初から何ものであったか語るべきだったのだろうか。一度は飛び出したものの、最後はもとに戻ったウィンダミア卿夫人。まったくあの人こそ善人だわ、というラストの皮肉が効いてるのみならず、それぞれの語る言葉に、込められた作者の思想が興味深く。


ウィンダミア卿夫人 当節はみなさん人生というものを投機みたいなものと考えていらっしゃるらしいですけれど。投機ではありませんわ。人生は秘蹟なのです。人生の理想は愛なのです。人生を浄めるものは犠牲なのです。(p.81-82)

ダーリントン卿 善人たちの与える最大の害は、悪というものを途方もなく重要なものにしてしまうということです。人間を善玉と悪玉に分けるなんて、ばかげてますよ。人間はね、魅力あるか退屈か、のどちらかです。(p.82)

ベリック公爵夫人 男って、年をとるばかりで、ちっともよくなりはしない。(p.95)

ウィンダミア卿夫人 あなたから与えられた接吻はみんな、思い出のなかで汚されているのです。(p.101)

ウィンダミア卿 不運というものなら、人間は耐えることができるーそれは外から来るものだし、偶然事なのだからね。ところが、自分自身の過失のために苦しむーああ! そこが人生のつらいところなのだ。(p.102)

ウィンダミア卿 善良な女というのは、なんときびしいのだろう!
ウィンダミア卿夫人 悪い男というのは、なんと弱いのでしょう!(p.105)

グレアム あの女には、なんでも自分のしたいことを人にさせる力があるんだから。どんなふうにしてかは、わからんがね。(p.124)

ダーリントン卿 男と女のあいだには友情というものはありえません。情熱とか、敵意とか、崇拝とか、恋愛なら、ある。しかし、友情など、ありはしない。(p.130)

ダーリントン卿 人間には自分自身の人生を、充実して、全面的に、完全に生きるかーそれとも、社会がその偽善から要求する虚偽の、浅薄な、下劣な存在をだらだらとつづけていくか、そのどちらかを選ばねばならない瞬間があります。(p.131)

ダーリントン卿 一瞬、わたしたちの命は会いーわたしたちの魂は触れました。もう二度とふたたび会ったり触れたりすることはけっしてありません。(pp.133-134)

グレアム そうしてウィンダミアは無分別ほど無邪気に見えるものはないってことを心得とるよ。(p.138)

アーリン夫人 実務にだって絵のような背景が必要ですものね。(p.141)

ダンピー この世の中にはね、ふたつの悲劇があるだけさ。ひとつは、欲するものが得られないこと、もうひとつは、それを得ることだ。後者のほうがはるかに悪いよ、後者こそ真の悲劇だ!(p.169)

ダンピー 経験とは、各人がおのれの過失に与える名前なり。(p.171)

ダンピー 過失なくんば、人生はきわめて退屈なるべし。(p.171)


chokusuna0210 at 21:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年02月23日

武田家滅亡にあたって裏切り、裏切られた男たちを描く ー 伊東 潤 戦国鬼譚 惨

戦国鬼譚 惨 (講談社文庫)
伊東 潤
講談社
2012-10-16


木曾義昌、下条頼安、武田信廉、仁科盛信、穴山信君。武田家滅亡により裏切り、あるいは裏切りにあい、結局は悲惨な末路をたどった者たちを描く、連作短編集。自らが誇りに思い恃むものの瓦解、身を切るような思いでかけがえのないものを断腸の思いで差し出したのに報われず、苦い後味。

木曾義昌。
母と子を武田家に人質にとられ、彼らの命が奪われるぐらいなら、木曾谷が灰になってもかまわない、弟のお前(義豊)がうらやましてくてならなかった、という叫びに、愛する妻子を殺し、その首を義昌に届け、伝手をたどり織田家にかけこみ木曾谷を守ろうとした義豊。武田家滅亡に際しては、木曾谷は戦火にあわず安泰だったが、本能寺の変後、秀吉の治世となり、十年とたたずに、守り抜いたはずの父祖の地から移されることになり、失意で義昌は病死。義昌の子が暗愚で、諌言する義豊を殺害、御家も十年とたたず断絶。あれほどの犠牲を払ったのはなんのためだったのか、と義昌、義豊なら思ったのではないだろうか。

下条頼安。
親友とも刎頸の友と思っていた従兄弟の氏茂が、実は、下条家の城の陥落の片棒をかつぎ、父を、兄を、次々と殺していて、自分を下条の家の当主にしたてたあとも、小笠原家のあいだを取り持ち、最後は小笠原家に毒殺される。その従兄弟が、これで下条領は自分のものと思った瞬間、小笠原家に暗殺される。人を信じれば裏切られる…という言葉を地でいく救いのなさ。

武田信廉。
それが孫六というものよ、と父信虎、兄晴信にまで見透かされていた信廉。兄の死後、兄が国外追放していた父の帰還。父による、兄が取り立てた宿老たちへの罵詈雑言、いわく百姓の子など取り立てて、とか、お前の父は俺が成敗してやったとか、反乱者の親類が、など。野心という毒をまき散らし、それでも奴らは自分についてくる、物わかりのよい好々爺になど誰がつく?とうそぶき、事実そのとおりの血判状がとどき、否応無く武田家をのっとる策謀の渦に巻き込まれるところを、すんでのところで抜け出す。最後は、武名を残すために華々しく戦死することを望んでいたのに、ここで勇戦することが自分をうとんじつづけた勝頼を利するだけだ、と直前に気づき逃亡。最後は信長に斬られた、と。

仁科盛信。
人質に来ていた信長の五男・勝長と愛しあっていた盛信、という設定。武田家滅亡にあたり、お互いに呼応する手はずが、見抜かれ、逆に利用され、あっけなく篭城をやぶられることに。「御屋形様が高天神を見捨てられた時、武田家の瓦解は始まりました。御屋形様はそこから何も学ばず、また高遠を見捨てられた。これでは国衆どころか、重代相恩の直臣までもついてきませぬ」という嘆きの深さ。

穴山信君。
頭の回転も速く、弁舌巧み、決断も早いことを自負し、そのために生き残っていたと思っていたが、そのために身を滅ぼすことになった男。武田家からの離脱は、交易中心政策を容れられず、農業中心の政策がとられたこと、再三の献策にもかかわらず前線の城を捨て置きながら最後の最後で増援しろなど戦略のまずさにあったと、己と信長を納得させようとし、家康を除くために働こうとするも果たせず、信長死後は家康につかえようとするも、影働きの滝川雄利にだまされ、最後は酒井忠次に討たれることに。さげすむように、このような表裏者は好かん、と吐き捨てられ。利に聡いものばかり周囲に集めてしまい、襲われたときに逃げ散られ、最後に自分のために死地に飛び込んでくれたのは隼人佐だけという対比。

ただ、裏切らなければ生き残れなかったのだとしたら、そのような状況に陥れば潔く死ねということなのか。価値観の対立。当時の考え方といえばそうなのかもしれない。今の世からすれば、生きてこそ浮かぶ瀬もあれ、と思わずにはいられないのだが。その点、後世まで表裏者、表裏者、と言われ続けることには一片の違和感を感じざるを得ない。

chokusuna0210 at 09:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年02月14日

岩井三四二 あるじは家康

あるじは家康
岩井 三四二
PHP研究所
2012-07-27



粗忽者:石川数正
勇者:蜂屋半之丞
裏切者:奥平貞昌
有徳者:茶屋四郎次郎
親族者:松平家忠
異国者:三浦按針
忠義者:大久保忠隣

人質時代の竹千代につかえる、石川数正はじめとした家臣団。
執拗ないやがらせをする孕石主水に、ぴしゃりと言い返す竹千代に、のちの大器を見る数正。
徳川家臣団をふたつに割る、一向宗との争いに、家康が自らに従わぬ者をあぶりだし、家中の統制を強めるという意図を汲めず、律儀にすべてを残そうとして、武勇のみ、と見切られる半之丞。

なぜわれらだけが、かような目にあうのか。と思うと切なくなる。山あいの小領主の家に生まれたばかりに、余分な苦しみを味わわされているのではないか。(奥平貞昌) 武田家と通じて磔になった同僚に、明日は我が身、己と紙一重と暗澹とし、長篠の戦いでは、最後まで城を守り抜き、第一の功と賞されるも、素直に喜べず。大勢力の狭間に本貫地があるばかりに、生き残るためには、今日はこちら、明日はあちらとつくことを余儀なくされ、なのに裏切り者とよばれてしまう苦さ。

本能寺の変後の、家康の三河への脱出行を銀をまきつつ助けた茶屋四郎次郎。大名と商人としてではなく、徳川家の者として扱って欲しい、という願いは、片思いに終わったものの、やりとげたあとにはすがすがしさも。

家康の一族として、それほど追い立てられず、ただ功をあげる機会も少なく、のんびりとつとめていた家忠。関東への転封でがらりと環境が変わり、親族衆は高貴だけれどそれほど功をたてさせず、横並びから主従関係へ、より統制を強める方向へと舵を切られたと感じ、最後は捨て石にされたと感じつつ、伏見城の戦いで散る。

英国から日本を目指して航海し、最後は天下人家康に、世界を知り、世界をわたる者として、本気の羨望をいだかせた三浦按針ことウィリアム・アダムズ。

忠義者として半世紀近くつかえてきた家康に裏切られ、おぼえのない謀反人として断罪され、秀忠の世になっても逼塞していた大久保忠隣の、最後のひそやかな復讐。

家康を支え、家康にふりまわされ、家康に仕えた家臣たちの喜びと苦悩とが描かれる。

chokusuna0210 at 18:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年02月13日

岩井三四二 あるじは秀吉

あるじは秀吉
岩井 三四二
PHP研究所
2011-12-02


お伽衆の山名禅高が、徳川二代将軍秀忠に、秀吉時代のことを語って聞かせるという形で描かれる七編。


弥助は藤吉郎に馬を貸した
坪内喜太郎は藤吉郎をはじめての主と仰いだ
加藤虎之助は秀吉に侍奉公の勘どころを見た
堀尾茂助は秀吉に鬼とよばれた
蜂須賀小六は秀吉をどたわけと叱った
神子田半左衛門は秀吉を臆病者とののしった
小西行長は太閤さまの真意をさとった

弥助は秀吉の義兄。百姓としてはそこそこ豊かな暮らしをしていたが、秀吉にまきこまれる形で、侍の世界にまきこまれることになり、日々変わらぬ暮らしに飽いていた中に射した一筋の光かと、これもおもしろきかと感じたところまで描かれる。後日談としては、名族三好の名跡に入り、息子は関白秀次となるが、その失脚とともにすべてを失った、と。

坪内喜太郎は、独立自尊でやってきた川並衆が、信長の勢力の伸長とともに、秀吉の下につくことになり、もういままでのように自由にはできないという予感につつまれる。

若き日の加藤清正は、立てこもり犯と秀吉から、大欲こそが、侍奉公の勘所と知る。

一度、殿軍で勇猛につとめを果たし、鬼の茂助と秀吉にいわれた堀尾茂助は、ふだんは仏の茂助とよばれる。旧に大身となり、やはり仏では人を動かせぬ、と思うが、部下の村木兵部を、あいつにも生かしどころがある、どうにか引き立ててやりたいと思ううちに、仏の茂助とよばれるのもかまわぬ、と思いなおしていく。

蜂須賀小六は、中国大返しに際し、宇喜多家の城にて色っぽい未亡人に心ひかれて、一泊しようとするのを、どたわけが、ここが切所じゃと叱り、翻意させる。

神子田半左衛門は、昔の秀吉との同輩としての関係性から抜け出せず、放言をくりかえすが、最後は、秀吉に斬られる。己の思ったことを言っただけだというが、言ってはいけない時、場合ということを最後までわからずに、いやあえてわかろうとせずに。

小西行長は、散々骨折った文禄・慶長の役が、実は秀吉が象をみたかったから、というしょうもない希望が原因だったとさとり力が抜ける。

秀吉に人生を変えられ、秀吉にふりまわされ、秀吉をにくみ、秀吉をおそれ、秀吉を慕う人々を描いた連作短篇。正直、一題噺みたいな落ちの話しにはそれはないだろう、という項もあったけど。さて、山名禅高は、お伽衆削減を逃れることができたのだろうかどうか。

chokusuna0210 at 19:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年02月12日

桶狭間で義元を討ち取った毛利新助からアフリカからつれてこられた弥介まで。信長の家臣たちー伊東潤 王になろうとした男

王になろうとした男
伊東 潤
文藝春秋
2013-07-29



桶狭間で義元を討ち取った毛利新助。その後ははかばかしい活躍もなく、信長・信忠親子だけが、一武辺としての生き方を理解し、買ってもくれていて、最後は本能寺の変で己は果報者と戦火に殉ずる。

武にはいささか自信がなく、己の才覚だけを恃みに出頭する塙直政。一時は山城、大和、河内にいたるまで行政をまかされ。仏の嘘はは方便、武士の嘘は武略と申します、という明智光秀の言葉を信長から聴かされ、ますます励むが、無理に無理を重ねたあげく、武備がそろわず本願寺との戦いで戦死し、領地経営での非分が露見し、一族もろとも改易される。墓に酒をかけながら、親友の毛利新助が、己の才をあらいざらい使い尽くして悔いはあるまい、というところで物語は終わる。

家臣の中川清秀に謀られ、裏切られ、信長に叛旗を翻したあと、はしごをはずされた形になった荒木村重。居城も所領も妻子一族も失い、己だけ逃げおおせて卑怯者と名を落とした身になり、己の甘さを悔いつつも、茶人として秀吉にかかわり、じっと復讐の機会をうかがう。

信長が誅殺した弟の子として家臣団に加わった津田信澄。丹羽長重、明智光秀をひきこんで、信長を倒そうと目論むも、本能寺の変直後、最後は丹羽に裏切られ、自分こそが理だけですべてを考える小才子であったかと思い知りながら死んでいく。

モザンビークで象牙とりをする勇士だったが、村人とポルトガル人に謀られ、日本まで連れてこられることになった弥介。禽獣のように扱われさげすまれてきたのに、信長だけが、弥介の身体を見て、さわり、美しい、と言った。妻をめあわせてくれた。そして、妻が弥介の死を呪詛したと言って成敗した。本能寺の変で、最後の命を帯びて信忠のもとへ参ずるも、役目を果たせず。最後は、スペイン人の宣教師に瀬戸内海につきおとされ、どこのあてとなく泳ぎ出す。信長の、ゆくゆくはお前をモザンビークの王にしてやろうと思う、という言葉を胸にいだきつつ。

後の世から見れば、一時の僥倖にみまわれたが、己の分を知り、己の分を守り、最大の理解者を得て、納得しながら死んでいった毛利新助が一番の幸せものに見える。けど、それは場を、主人を選べるものではない。塙直政のように己を焦慮につぐ焦慮でせき立て、一時も止まればすべて失うと駆けつづけ、結局すべてを失う様も時宜を得れば登り詰められたのかもしれない。そして全く己の力の及ばないところで地球の裏側までつれてこられた弥介。最後に一筋の希望があるといえばあるのかもしれない。

chokusuna0210 at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年02月11日

岩井三四二 あるじは信長

あるじは信長
岩井 三四二
PHP研究所
2009-11-05



頼うだるお方:佐々成政
午頭天王の借銭:神官・善次郎
桶狭間ふたたび:梁田広正(別喜右近大夫)
右筆の合戦:楠木長諳
天下を寝取る:住阿弥
出世相撲:大唐
たわけに候:猪子兵助
裏切り御免:阿閉貞征

桶狭間で、今川義元の居場所をつきとめ、第一の功とされた梁田広正。
出頭し、九州の名族別喜の姓を与えられ、加賀一国の平定を任されるが、
思うように往かず、思い極まり、形だけ桶狭間の信長を真似てみるも、
ことごとく裏目に出て、命からがら逃げかえり、元の父祖伝来の地に、
家僕数人を抱えるだけの身に逆戻り。
「生きて帰ってこられただけで、お手柄にござりましょう」という家僕の言葉が暖かく染み入る。
何せ、他の競争相手たちは、限界まで己を追い立て、上手く行かねば命まで落としているのだから、と。それは、相撲取りとして目にとまろうとしたのに、越前の柴田勢の前線につけられ、何の活躍もできず、自分は戦に向いてないと思い極め、結果として本能寺の変から逃れるという幸運を得た大唐にしても同じことだったろう。

右筆の合戦は、筆ひとつにて、政権に重きをなす楠木長諳の話し。己につけ届けを渡さぬ武辺者の文書を一向に書かずにいたら、屋敷に乗り込まれ、暴力をふるわれ、筆一つで人の人生をもてあそぶものは思い知れと言い捨てられる。そして浅慮と思っていた息子は、軍学者として身を立てたいと言い出し。滑稽さもありつつ、すっきり割り切れず苦い思いの残る一編。

借金踏み倒すのにも、神罰がくだるぞとおどしてなんとか押し通そうとする善次郎は、信長様は比叡山を焼き討ちにした、というひとことに、あんぐりと、ぐうの音も出なくなる。

その昔、斎藤道三の元にいて、信長はたわけだ、と主に告げた猪子兵助は、後に信長の近習となり、本能寺の変に際しては、信忠と最期をともにすることに。「奉公には覚悟が必要である」と部下にさとされ、最後の最後に、自分の選んだ道が間違っていたと三十年たってようやくさとり、しかしもうやり直しもきかず、人生の終わりがすぐ目の前に来ていた。

信長に仕えた、思うにまかせぬ人々の苦悩を描く連作短篇。もちろん、奉公に覚悟が必要なのは、信長に限らず、と思うが。

chokusuna0210 at 09:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年02月10日

私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない − 梨木香歩 村田エフェンディ滞土録




時は日本の明治時代、トルコはオスマン帝国末期。
エルトゥールル号事件での対応に感謝する一環として、
オスマン政府より招聘された考古学者の村田。
彼がイスタンブールで居を定めたのは、
イギリス人のディクソン夫人が営む下宿。
そこには、ドイツ人オットー、
ギリシア人ディミトリスが同宿し、
トルコ人ムハンマドが働いていて、
拾われてきた鸚鵡もそこにいた。

日本とトルコの民間交流からかけはしになろうとする山田。
荒野のアナトリアを山賊とやりあいながら単騎かけぬけてきた学者の木下。
エジプトを経てイスタンブールへやってきた建築家の清水。
博物館の上役のハムディベー。
その娘で西洋の教育を受けてきて、内に意思を秘めてまっすぐかたりかけてくるシモーヌ。

西洋の合理主義と、それだけでははかれない土着的なものごと。
キリスト教でもイスラムでも一神教の信仰に深く帰依する身と、
神とて人間との関係性の産物で、生まれ進化し変容するもので、共同体の必要に応じ存在し、その社会が滅びれば滅びるとする立場の対話。
異なる文化的背景のもとになされることを、するどく咎めるか、善悪の判断を下さず驚き呆れつつも許容するか。
さまざまな背景を持ちつつ、己が寄って立つところを語る人々。


人の世は成熟し退廃する、それを繰り返してゆく。その度に、何かが生まれ何かが消え去る。繰り返す余地があるから。過ちを繰り返すことで何度も何度も学ばねばならない。繰り返さなくなれば全ての終焉(p.97要約)

唯一絶対の神で、世の中をまとめ上げようと進んできた人間のいる理由が少し分かったでしょう。こんな騒動に毎日巻き込まれていたのでは平安はまず望めません。(ディクソン夫人 p.153)

忘れないでいてくれたまえ(ディミトリウス p.202)

おまえは向こうで最先端の考古学の方法論のようなものを身につけてきたかも知れないが、歴史というのは物に籠る気配や思いの集積なのだよ、結局のところ(綿貫 p.216)

日本に帰国し、日常にまみれていた村田のもとに届いた、ともに暮していた人々の消息。

ギリシア人ながら青年トルコ運動に身を投じて戦死したディミトリウス。どうして…という問いに、彼が以前に発した言葉を思い出す。ローマの劇作家テレンティウスの言葉を引いた彼の。

「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない 。」

そして、鸚鵡を肩にケマル・パシャのガリポリの戦いに身を投じたムハンマド。彼の遺体を発見したのはオットーだった。肩にあの鸚鵡がとまっていたから。鸚鵡の口からでた「It's enough!」は、こんな争いはもうたくさんだ、という意味だろう。遺跡を守るために陸地測量局に志願したオットーも翌日死に。鸚鵡は結局海をわたり、村田のもとへ。

村田がそっと、「ディスケ・ガウデーレ(楽しむことを学べ)」と鸚鵡に語りかけ、鸚鵡が「友よ」と甲高く叫び返すシーンは何度読んでも涙をおさえきれない。

chokusuna0210 at 11:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2014年01月12日

バブルの時代、今や昔 ー 林真理子「アッコちゃんの時代」




森功「平成経済事件の怪物たち」つながり。

最上恒産の会長の愛人をモデルにした小説が林真理子「アッコちゃんの時代」で、という一節を見て手にとる。

当時、地方の高校生だった自分に、実地に感じたことはない「バブルの時代」というものを体感させてくれた一冊。

地上げの帝王の愛人、妻子あるプロデューサーの略奪婚、魔性の女、魔性の女と騒がれ書きたてられたが、こちらからすれば一度も求めていない、向こうからやってきただけ、断らないのが悪いなどという女は執拗に圧倒的な力で求められ続けるということがどういうことか知らないだけ、あれだけの若さと美貌に見合っただけのものを、巨万の富を持つ地上げの帝王は金銭面ではくれなかったし、プロデューサーはぜいたくはさせてくれたけど、家族的な愛情は満たされなかった、というのが主人公の言い分。

立場が違えば、視点も異なるだろう。それだけの武器を持って生まれたことは羨ましいと思うし、思い切った大胆な生き方だなと思った。

「自分の若さと美しさを金に換えない女には、男たちはいくらでも奉仕してくれるということを厚子はよく知っていた。」(p.65)
「自分は選ばれた人間だということに気づいた。誰に選ばれているのかはわからない。ただ自分は、空のタクシーをめがけて走る側の女ではないことは確かだ。」(p.49)
「もうひとつわかったことは、世間というのは、大金持ちの男とつきあう若い女を許さないということだ」(p.115)
自惚れないで、という言葉を発したとたん厚子はやっとわかった。そう、夜遊びや、他の男とのつき合いや、楽しいことをすべて犠牲にするほど、目の前の男を愛してるわけでははない。男からたくさんのものをもらっているわけでもない。男が与えてくれたものは、わずかな宝石と、自分勝手な愛情だけだったではないか。本当に自分は損をしている。何度でも言いたい。私は損をしている。貧乏籤をひいたんだ。(p.145-6)
「決して金ではない」と本人は思っていても、それ以外の何ものでもない事態になっていくところも似ている。(p.313)
「ヒナちゃん、出るもんは出る。もう仕方ないよ。それでさ、ヒナちゃんの人生変わったって、そういうもんだよ。だからって人を恨んでも仕方ない。もうこれが運命だって思うしかないわよね」(p.345)
「私ね、ひな子を見ててつくづく思ったんです。私たち、何も悪いことをしていないって。モテもしないし、勇気もないし、何もない人たちが、私たちを見て何かぐだぐだ言ってもそれはもうほっときなさいって、彼女にも言ったんです」(p.347)

おそらく、作者自身がモデルと思われる作中の女性作家への目も手厳しく、描かれる。そこまでドライに自画像を描けるというのも希有かなと思った。

chokusuna0210 at 01:12|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年12月18日

新田次郎・藤原正彦 孤愁 サウダーデ

孤愁〈サウダーデ〉
新田 次郎
文藝春秋
2012-11-29



日本を愛し、日本の女性を愛し、日本に骨を埋めた明治時代のポルトガル人モラエスを描いた小説。日本に渡ってきたところから、マカオ所属の軍人としての武器売買・情報収集、領事としての外交活動、日本女性およねさんとの結婚、およねさん死後の徳島での隠棲、その死までが描かれる。
今ならいざ知らず、百年も前に、明治時代の日本に、地球の裏側からやってきて、その地の女性と結婚し、死ぬまで住み続けるというのは、どのような心持ちだったのだろうか。


(孤愁を押さえこむために言ったのではない。自分はポルトガルより日本を愛しているのだ。ほんとうに日本で生涯を暮らそうと思っているのだ) (p.221)

「別れた恋人を思うことも、死んだ人のことを思うことも、過去に訪れた景色を思い出すことも、十年前に大儲けをした日のことを懐しく思い出すのもすべてサウダーデです。そうではありませんか」「そのとおりですが少々付け加えるとすれば、過去を思い出すだけではなく、そうすることによって甘く、悲しい、せつない感情に浸りこむことです」(p.243) (モラエスと妙国寺の老人)

「僕の心と身体は今、お金より安らかさと穏やかさを欲しているんだ。栄転や昇進がいらないばかりか、何もかも返上して一切の煩わしさから解放され、一人の人間となって田舎に隠棲したいんだ」モラエスは落ち着いた声でそう言った。この頃、モラエスは「方丈記」を繰り返し読んでは鴨長明の思想に慰藉を見出し、それに心酔していた。(p.559)


おヨネさんとの生活、やりとりは見ていて、お互いに深い愛情がこめられた見ていても気持ちが暖かくなってくるものだった。コハルへの思いは痛ましいというか、コハル側の断りきれない事情とそれを割り切れないコハル自身とがひきさかれていて、見ていてつらかった。亜珍の思いは、前半で、中国の地から一歩も離れたくないと言っていた亜珍が、後半では、どうして日本に一生懸命来たがるようになったのか、よくわからなかった。人の気持ちは変わるもの、で片付けられるものなのか。モラエスと暮らすつもりで、故郷の松江で準備を進めていた、永原デンがその後どうなったのかも気になるところ。

モラエスは、没後、徐々に声名があがり、戦前の一時期、「古き良き時代の日本」を美しく描き賛美した作家として日本で称揚されたこともあったようだ。そういった視点から見ると、「国家の品格」を書いた訳者が、父の遺作を引き継ぐモチベーションは十分にあったのかな、と思う。それはそれとしても、取材ノートにあたる紀行『父の旅 私の旅』にも触れてみたいと思った。

chokusuna0210 at 23:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年10月14日

山崎ナオコーラ 昼田とハッコウ

昼田とハッコウ
山崎 ナオコーラ
講談社
2013-09-26



東京の西の方、幸福寺にあるアロワナ書店と書店員をめぐるお話。

幸福寺...明らかに、吉祥寺をモデルにしていると思うのだけど、
歌人の枡野浩一さんが、西荻窪を花荻窪と言っているようなものかと思いつつ。

話しは、アロワナ書店を経営する田中家に、両親がなくなったために、兄弟同然に育てられた昼田の視点で語られる。おそらく、楽天をモデルにしていると思われるIT企業につとめていたが、双子のように育てられたハッコウを支えて、アロワナ書店をもり立てたい、と店長待遇でやってくる。

個人書店独特のゆるい雰囲気に、最初はとまどい、ただそうとするが、だんだんなじんでいき、アロワナ書店でイベントをした作家に、ほのかに思いをよせるが、ハッコウにかっさらわれ、そして、書店の先行きも決して明るいものではない、と思わせるところで、物語は閉じられる。

「椅子が欲しいと思っていた。オレが座ってもいい椅子を」p.278
脇役に徹する気持ちでいれば、物語から追い出されることはないと思っていたが、もしかすると、自分自身の人生を生きる勇気のない者は、やがて社会から弾き出されるのかもしれない。p.262-263

未来は「ふわっ」と決まればいい。社会を構成する全員の力が、「ふわっ」と働いて、未来の方向が定まっていく。p.394
書店がなくなっていくことは、もう誰にも止められない。スピードを遅らせて時間を作り、その間に「書店員の仕事」をじっくり考える。それしか、できない。p.518

夜沢さんが言うので、オレは笑った。自分のことを知らない店の方が気易く入れる、確かにそうだ。それが、書店だけでなく、個人商店が廃れていく要因だろう。p.527


書店小説、ということで、一も二もなく手にとる。
書店員のお仕事も詳細に語られている。
また、どのようにしてイベントを打ち立てて、盛り上げていくか、といったことも。
書店員でなき身として、書店に関心があるものとしては、興味深いところ。
もう一つの柱は、昼田が自ら語っているように、昼田の居場所探し小説なんだと思う。
近しい者の言葉は容赦がない。傷つきながらも、それでもゆっくりとでも前を向こうとしていく昼田に、最初はうじうじしてて、どうにも、、、と思っていたのに、気がついたら気持ちが沿っていくように感じた。

今月号の「ダ・ヴィンチ」で、アロワナ書店員・朝倉の目から書かれた、後日談のスピンオフ小説が読める。あわせて読みたいところ。ハッコウや夜沢さんの目から書かれたものもあると、うれしいな、と淡い期待を抱いたり。

chokusuna0210 at 19:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年10月06日

大竹昭子 図鑑少年 を再読

図鑑少年
大竹 昭子
小学館
1999-02


14年前に買った本を再読。
ずっと手もとにおいてあったつもりで、
いつの間にか見当たらずだったのだけど。

都市を行き交う人々の、一瞬のすれ違い、綺譚、回想などなど。

「なくしたピアス」だけは、何年かごとに読み直したくなる。
食事の約束の途中でみかけた、駅でウードを弾く美しい女性。
食事のかえりにもみかけたので、声をかけ、一緒に珈琲を飲み、駅で野宿するというから、仕事場に泊まってもらうことに。翌朝、感謝と朝日を見て方角がわかったこと、浴室でピアスをみかけたことが書き置かれていた、といった感じの一編。

「みんな黙って聞くのね。最初は嫌いなのかと思ったけど、そうじゃないんだってわかったわ。顔には出さないけれど、よろこんで聴いているのが伝わってきたから。何て言うか、心の内側で聴いているような感じ。熱狂的なのもいいけど、こういう静かな聴き方も悪くないわね」p.156(「なくしたピアス」)

ほかに、

子供の頃、近所にいた、よく図鑑を見せ合った子、いつしか行き来もなくなった子が、大人になってからの葬式で。図鑑を見せてもらった部屋で、缶いっぱいのちびた鉛筆を手ですくって缶に落とすと、よく乾いた小さな骨を手ですくって落とした時のような音がしたこと。 (「図鑑少年」)。

割れた氷の破片に犬がのってながれてきた回想、その犬の実に静かで穏やかな表情、犯しがたい神聖な雰囲気のこと(「迷い犬」)

精神に異常を来してずっと車中で独り言を言っていると思った男を見ていたら、素面だったと気づいた瞬間、「男に向けられていた意識の流れが、満ち潮のように私にむかって逆流してきた。」(「真昼の乗客」)。

けちでしみったれた男が、マンションの窓から大声で吠えて歌っていたメロディ。ブッカー•リトルのLife's a little blue だ。(「狼男のこと」)。

いきつけのバーでたまたま近くに座った、以前ビジネス誌でインタビューしたことのあるような気がするビシッとした男が、トイレからかえってくるとペディキュアとマニキュアを塗っていて、強い風が店を吹き抜けると、消えていた綺譚。(「赤い爪」)。

「ヒッカカッテルハ、ナニ?」からかんじとった生命力の強さ(「川の流れ」)

ファミレスで見かけたダウン症の少年、次から次へと料理を平らげ、韓国人の青年の宴会を凝視し、財布がないことに気づき、小さい弟が財布持って駆けつけてきたシーン(「おじぎ草」)。

川崎行きのフェリーで、酔漢に「英語が読めんのか?」とすごまれた、英文書類を読んでいたビジネスマンが、相手をじっと、みたあとにやりと笑って「すらすらってわけにはいかないです」といって船内の緊張が一気に解けたシーン(「フェリー」)。

どのシーンも、日常の何気ない一幕だったり、ちょっとかわった印象的なことだったり、さまざまなシーンが切り取られていて、余韻を残してくれる短編集。


chokusuna0210 at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年09月26日

大城立裕 風の御主前 小説・岩崎卓爾伝

風の御主前―小説・岩崎卓爾伝 (1974年)
大城 立裕
日本放送出版協会
1974


三木健「八重山を読む」つながりで。

石垣島の測候所長を、明治末から昭和初期までつとめた岩崎卓爾を主人公とした小説。
気象観測とはいっても、当初は受け容れるもの、反発するもの半々で、予報にもとづいて出航を止めようとしても鼻で笑われ、遭難したあとはお前のせいだとののしられ、天気を自由に操作出来る者と誤解され、雨がふらなければ雨をふらせろと言われ、雨乞いの儀式に参加したことも。しかし、着実に根をおろし、石垣の人々とまじわるうちに受け容れられ、気象のことも啓蒙をつづけ、文学や詩など文化的な面も広げていき、八重山の歌謡や風習、考え方も研究を進めていき、地域になくてはならない人として重きをなしていく。

反面、それは家族からは、教育のために自分以外の妻子を仙台におくったあと、後年、ひとりで石垣で気楽に好きなことをして、と難詰されたり、力量を高く買う同僚からは、力を発揮する場に出てこずに、己の気楽さだけ追い求めている者と映ったりする面もあったことが示されている。

それにしても、当時の石垣は、本州の人からすると、いまよりもさらにさらに僻遠の地に思えていたに違いない。だからこその大変さと、だからこその憧れの強さが、岩崎卓爾を魅了し、この地にとどめたのだろうと思う。


「内地から来ては、きみ、この土地の風土の特異性に興味を持たなければ噓だよ」p.47

自分の科学と啓蒙とを上回る威力で民衆の信念をつくるっているものが存在する、ということを彼は深く考えざるをえなかった。p.63

「お前はまだ学問というものが分かっておらん。学問に理由があるものか」p.86
「科学というものは、信じる者にしか役に立たないのですなあ。未来はどうか知れませんが」p.104
「私は、八重山の人のためにつくしたい。よそ者がそれをなしうるには、八方美人になる必要がある」p.177
「俺はいやしくも八重山の王だ」p.184
「だいたい、光の量が違うのだ。光の量でいえば、八重山の半分以下だろう」p.194
「ぶつかっていくんだ。ぶつかって、詩人になるなら詩人に、作家になるなら作家に、ぶつかっていくんだ」p.263

「私は、男の仕事の誇りというものは、家庭を犠牲にして成り立つものなのだろうかと、つくづく思いました……」p.255

のんきでとは、これまで誰からも言われたことがなかった。子供たちからは自分のやりたいことをやってと言われてきたが、のんきでという批評は、より手きびしいものと思われた。p.278


民謡採集をはじめた喜捨場永ジュン、「おもろ」を研究した伊波普猷、との交流、のちに叙事詩オヤケ・アカハチを著した伊波南哲を詩人となるよう背中を押したことなども語られる。


chokusuna0210 at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年09月21日

伊坂幸太郎 死神の浮力

死神の浮力
伊坂 幸太郎
文藝春秋
2013-07-30


重苦しい。
幼い娘を殺された、作家とその妻。
その証拠を、作家とその妻にしか判らない形で送りつけ、
自らは口をぬぐい、無罪として世にでてきた犯人。
復讐行に同行するかたちとなった、死神・千葉。
心ないメディアからの取材。
ふとしたきっかけが娘を思い出させ、
くりかえしくりかえし感情をゆさぶられるふたり。
犯人が、どんな責め苦をおったとしても、
それは決して癒されるものではないことが明示されていく。
たとえ、結末にいくばくかの痛快さがふくまれていたとしても。

この本を読むと、パスカル「パンセ」と渡辺一夫の評論集が無性によみたくなってくる。


「復讐するは我にあり。知ってますか」「復讐はするな。復讐するのは神に任せておけ、って。『我』っていうのは、神様のことですよ」(p.77)

「寛容は自らを守るために、不寛容に対して、不寛容たるべきではない、と」(p.78)

「もし一週間の生涯なら、ささげるべきであるならば、百年でもささげるべきである」(p.169)

「自分でコントロールできるから」「買い被りすぎなんだ」「自分を、だ」(p.186)

「誰も観ていない時に、誰かがそいつを氷河のふちから突き落とす」(p.410)

「千葉さんは、僕たちのために、面倒くさいことをしてくれた」「それだけで充分です」(p.428)


パンセ〈1〉 (中公クラシックス)
パスカル
中央公論新社
2001-09-10






chokusuna0210 at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年09月20日

山崎将志 社長のテスト

社長のテスト
山崎 将志
日本経済新聞出版社
2012-06-23


ある日、会社にクルマがつっこんで火事になった。
その背景にあったものは...
事後処理に奔走する人々と、会社をねらう一連の動き。
キーパーソンとなった西村だが、最後には…と。
「人生を味わい尽くすブログ」の

こちらこちらを読んだ瞬間に、面白そうと思ってそのままAmazonでポチッと押してしまったが、たしかに納得のおもしろさ、読みやすさ、吸引力。休日の起き抜けに手に取ったらとまらなくて、午前中いっぱいで読み切ってしまった。400頁近いのに一気呵成。

事業を起こす人と、事業をまわす人、という資質の違いには、なるほど、と。
革新を起こせるのは前者だけど、それだけでは継続していったり大きくしていったりはできなくって、後者も大事であること。なかなか焦点あたらないとも思うけれども。

ハッとしてめにとまったり、そうだよね、と思ったところ、再認識したところを、以下に。


頭で理解できることと、納得することの間には、大きな川が流れているようだ。(p.69)

「君が責任者だと言ったな。君は責任者として間違っている。腹落ちしていないなら、社長に提案しろ。それが君の役目だ。上から言われた通りにやってちゃダメだよ」(p.77)

「1週間はベストな期間だ。即答するヤツはバカ、2週間以上時間をかけるヤツは意気地なしだ」(p.92)

「つまり、仕事が上手くいってないと生活が面白くないってこと。毎日の暮らしは超楽しいけど仕事はまったくダメ、なんて状態はありえないでしょ。」(p.103)

「時間や場所にとらわれずに自由に働きたい、会社勤めのわずらわしい人間関係から逃れたい、あるいはたくさんお金を稼ぎたい、という気持ちは理解できる。しかし、そのこととビジネスのベースである”商品”と”顧客”は直接関係がない、と」(p.131)

「俺は”やりたい”は発明の母だと思うけどね。こういうのは能力じゃないよ。何かを”したい”と強く思えば、自然と頭の中のスイッチが次々に切り替わって、それを実現するために動くようになるんだよ」(p.156)

ビジネスが成長しない、できないとわかった時点で、心の底から好きだと思えること以外は続ける意欲が湧いてこないのだ。(p.164)

おしなべて問題というものは他人に話して解決するようなものではない。一人で解決するものだ。自分の頭で考えて納得のいく解決案が出たあとに、ほかの人に動いてもらう必要が生じたら、”相談”という形で”お願い”をするのが正しいやり方だ。(p.185)

「こいつはもっと上に行けるっていう人間にはね、神様が修羅場を与えるって気がするんだ」「そう、天与の修羅場だ」(p.320)

信頼する、とは相手を信頼できるかどうかを試すことではない。信頼すると決めることである。つまり意志の問題である。(p.365)


chokusuna0210 at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年09月11日

太宰治 地図



八重山風土記つながりで。

「地図」は、太宰治の、八重山を題材にとった習作。

琉球の名主・謝源は、ふと石垣島を征服することを思い立つ。
思わず悪戦苦闘したが、なんとか五年かけて征服を果たす。
その戦勝祝いにおとずれたオランダ人が献上した地図に、
なんと、ちいさすぎて石垣島がのっていなかったことから、
オランダ人の首をはね、自暴自棄になっていく。
ついには、石垣島のものに本拠を攻められ、復讐され、行方不明に。

権力者の野心と気まぐれと滑稽さと転落。
それにふりまわされた人々、と言えばそれまでだが。
野暮と思いつつ、ちょっと調べてみたけど、
謝源とは、架空の人物なり、と思え。
石垣島を一名主が征服するとも思いがたく、
琉球政府が徐々に傘下におさめていったのではなかったのか。
人からなんと言われようと、己が精魂を傾け、人生の多くの時間を注ぎ込んだものが、
外から見れば、ちっぽけな取るに足りぬことだった、などということは、
ひとり謝源に限ったことではないだろう。
そこで自棄になるか、受け容れて、さらに次を目指すか、静かに沈潜するかは、
受け取った側の選択になるだろう。
個人的には、亀井茲矩を思い出した。
野心渦巻き海洋に乗り出し、秀吉に琉球守を所望し、琉球征伐を企図し、造船するも果たせずの、亀井茲矩を。





chokusuna0210 at 00:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年08月30日

大城立裕 カクテル・パーティ




表題作のみ読了。
平山鉄太郎『沖縄本礼賛』に触発されて、手に取る。

物語は、まだ日本に返還される前、アメリカ占領下の沖縄。
米軍基地で行われるカクテルパーティに参加する、沖縄人の新聞記者。
日本支配下の中国に暮らしたことのある中国人。
占領統治の支配側にいるアメリカ人。
支配される側にいる沖縄人。
親善という名にくるんで、沖縄文化論などたたかわせていたカクテル・パーティー。
一皮むけば、そこに横たわっていたものは…。
アメリカ人の息子が、一時、行方不明になってみなで探しまわって、かえって連帯感が高まったように感じられた一幕。
日本支配下で、息子が行方不明になり、憲兵に保護されたことを知るまで、探しまわった経験のあった中国人。
そして、パーティから帰ってみると、主人公の沖縄人の新聞記者の高校生の娘が、アメリカ人の男に暴行され、その後男を崖から突き落とした、という事件が起っていた。

アメリカ人、中国人に仲介を頼むも、
かたや手の平をかえしたかのように、
かたや苦い思いがにじみでてくるのを隠しきれずに消極的な強力。
無力感に苛まれ、告訴を一度は取りやめたが、
勝ち目がないことも、
娘が取り返しもつかないほど傷つくことも顧みずに、
告訴に踏み切る主人公。

支配する側、支配される側、
支配したことのある側、支配されたことのある側の、
いくら国は国、人は人、と言っても割り切れるものではない、
苦い感情が浮き彫りに。
親善という言葉では、くるみきれないほどの大きさで。

chokusuna0210 at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年08月22日

山崎ナオコーラ 「『ジューシー』ってなんですか?」




「ここに消えない会話がある」が文庫化にあたって改題されたもの。文庫化を契機に再読。
前回読んだ時の感想はこちら

「ジューシー」ってなんですか、というタイトルを見て、まず真っ先に、沖縄料理の炊き込みご飯であるジューシーを思い出してしまう。それとは無関係な、ジューシーハムサラダサンドイッチのジューシーって?という素朴な疑問が職場であたたかい笑いを呼び起こしたシーンを象徴するタイトル。

新聞のラジオテレビ欄を作って配信する会社で働く人々の会話と内面の声で構成される中編。


「環境から影響を受けたとしても、人生の決定をその影響下で行う必要はない。」p.62

おかしい。感情抜きに理屈で考えてもおかしい。しかし相手も、理屈で考えてこちらの言っていることはおかしい、と考えているのに違いない。理屈というのは、それを立てる側へ付くものなのだ。p.71

疲れた目で見ると、世界が新鮮だ。電車の中では、垂直の線ばかり浮き上がって見える。銀色の手すりや、窓のサッシが妙にクリアに目に迫る。p.102


そして、ラスト近くの、

先に続く仕事や、実りのある恋だけが、人間を成熟へと向かわせるわけではない。ストーリーからこぼれる会話が人生を作るのだ。p.140

という言葉に、
昨日と同じように感じられる終わりなき日常を生きていく上で
そっと背中を押されたように感じる。

chokusuna0210 at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年08月21日

本多孝好 at home

at Home (角川文庫)
本多 孝好
角川書店
2013-06-21


あまり一般的じゃないかもしれない家族の形。

父母三人の子供に全く血のつながりはないけれど、それぞれの事情で家庭をとびだしてきて、窃盗結婚詐欺偽造といったことで生計を立てる家族。
妻の連れ子の弥生さんと敬語で接する主人公と、前の父親とのすれ違い、秘密の日曜日。
形だけの夫婦だったはずなのに、いつしか情がうつった主人公。
妹の連れ子を妹の旦那のところへ送り届けてしまった主人公と、父が出て行った本当の理由を知る話し。

血がつながってなくても、
普通と違った形に見えても、
だからこそ、
家族以上に家族、
と思わせるような連作短編集。

同じようなテーマで、
三浦しをん「まほろ駅前多田便利軒」を思い出した。

chokusuna0210 at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年08月16日

坂木司 ワーキング・ホリデー



和菓子のアン、ホテルジューシー、シンデレラ・ティース、切れない糸、夜の光、先生と僕、に引き続き、七冊目の坂木司。

元ヤンキーで今はホストとして生計を立てているヤマト。
ある日、職場に突然あらわれたのは、自分のことを、お父さん、とよぶ、小学生の進。
客を思うあまりとはいえ、手をあげて泣かせてしまったことをきっかけに、恩人でオーナーのオカマのジャスミンに首を言い渡され、同時に、あらたにできた宅配事業への再就職を勧められる。
夏休み中だけの同居を決めたヤマトと進。しっかりもので倹約家で料理が得意でこまかく、同級生の女の子に「お母さん」とあだ名をつけられる進と、すぐに怒り、手が出て、口は悪いけど、根はやさしいヤマトが、だんだん父と子らしくなっていく様が描かれていて微笑ましい。
夏休みが終わったところで一度物語は閉じられるけど、冬休みを描いた続編(「ウィンター・ホリデー」)があるらしい。手にとるのがたのしみ。最後に、ちらっと登場した進の母・由起子の、ちょっと待って、急には関係を戻せない、時間が必要、という主旨のことばがどう展開されていくのかも気になりつつ。


「よし。じゃあ夏休みの間に俺はお前をクラス一のモテ男にしてやる。それが俺たちの当面の目標だ」p.52(ヤマト)
「あのな、夜遊びは、金に余裕があるときにだけするもんだ。身を削ってまでするもんじゃねえよ」p.65
(ヤマト)
「いい、ヤマト。粗暴さというのは、奥に知性が隠れていてこそ魅力的なのよ。だから今は、読めるだけ本を読みなさい」p.69(ジャスミン)
「あのね、ヤマトは取り返しのつくことに関しては怒らないわよ。ただね、取り返しのつかないことは許せないの」p.176(ジャスミン)
「ねえ。男は引っ込みがつかなくなって自爆するけど、おかまと女は損得を天秤にかけてから撤退を決めるのよ」p.215(ジャスミン)
「優しい思い出は、心を守る武器になるんだから」p.251(ナナ)


chokusuna0210 at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年08月14日

日曜劇場「半沢直樹」の原作 - 池井戸潤「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」





今、大人気の日曜劇場「半沢直樹」の原作。
ぜんぜん興味がなかったのに、先週、録画してあったという第一話〜第四話を見せてもらう機会があって、一気にハマってしまい、原作まで買い込んでしまう。

東京中央銀行大阪西支店、融資課長の半沢直樹。
上司である支店長が全責任を持つとゴリ押した融資が失敗し、五億が焦げ付いたが、なんと半沢ひとりに責任を押しつけ、ほっかむりされる。生き残る道は、5億を回収することだが、調べていくことで判明したのは…。
(「オレたちバブル入行組」)
本店第二営業部次長として栄転した半沢は、120億の損失を出した名門・伊勢島ホテルの再建を押しつけられることとなる。また折悪しく、国税の調査とも重なり、二正面作戦を強いられることになる。双方の調査をしていく過程で暴かれたことは...。そして、半沢に押しつけられた理由とは...。取引先に出向した同期の近藤の、奮闘ぶりとともに描かれる。
(「オレたち花のバブル組」)

読後、やはり、さすがに、ドラマというだけあって、よりドラマチックに仕立てあげたんだな、と思った。主要登場人物でいうと、大和田常務は、原作では花のバブル組のみ登場だけど、ドラマでは、最初から出てきていて、半沢直樹に興味を持ち、また、原作と違い、親の仇役もわりあてられている(第五話より)。また、国税の黒崎統括官も、花のバブル組のみ登場だけど、ドラマでは、最初から敵役として登場し、辣腕をふるい、半沢直樹の最初の獲物をかすめとっていく。妻の花も、原作では、半沢に理解がなく、頭痛の種になっているが、ドラマでは、わからないなりに協力的で、支えようとする姿に描かれている。

おそらくドラマの第五話までが、バブル入行組、それ以降は、花のバブル組を原作としているのだと思う。

一般の会社よりも、減点主義で上下関係が厳しそうな銀行業界で、正論は我にありと、上司に楯突き続けて、果たして生き残り続けられるのか。難しくも思えるが、だからこそ、理不尽や逆境に耐え抜いた半沢が、緻密に調査して、追いつめて、吼えぬいて、「やられたらやり返す、倍返しだ」という時の爽快感が読む者、見る者の溜飲をさげさせ、ひきつけるのかもしれない。並の精神の強さでは乗り切れない。

ただ、一点。オレたちバブル組は、入った時はよかったけど、あとは悪いときばかりで割りにあわないみたいなセリフがあるんだけど、入った時どころか一度でもいい目を見ていないそれより下の世代から言わせると、なに眠いこと言ってんだ、ふざけんな!という気持ちになる。


chokusuna0210 at 00:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年08月12日

吉田修一 さよなら渓谷

さよなら渓谷 (新潮文庫)
吉田 修一
新潮社
2010-11


番宣で、真木よう子が、この本が原作の映画の宣伝をしていて興味を持つ。
映画はまだ見ていないけれど。

批難もできない。礼も言えない。p.217


東京近郊の景勝地の近くにある渓谷の、
なんの変哲も無い集合住宅に住む二人。
隣人が子殺しの容疑で逮捕されたことで、
普通に暮らしていけると思っていた二人の関係に亀裂が走る。
マスコミの記者の調査でわかった、普通の夫婦だと思っていた二人の関係は。。。

かつて罪を犯した者と、そのために人生を損なわれた者、まさに今罪を問われている者。

一度、烙印を押された者が、その後の人生でことごとく、そのことを蒸し返されて、うまくいかないのはまだしも、罪を犯された方が、進学、就職、結婚とそれぞれのステージでことごとく苦しみを味わうのは、理不尽としか言いようが無い。それが自分に突きつけられた時、どうするかということを読む方に迫る勢いで。

結末は、一種の救いなのかもしれないけれど、もし、それが唯一の救いなのだとしたら、傍から見ると、救われない気持ちになる。苦い読後感。


chokusuna0210 at 00:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年08月09日

坂木司 先生と僕

先生と僕先生と僕 [単行本]
著者:坂木 司
出版:双葉社
(2007-12)

和菓子のアン、ホテルジューシー、シンデレラ・ティース、切れない糸、夜の光、に引き続き、六冊目の坂木司。

今回は、大学生になりたての、やさしくて、気弱で、生真面目で押しに弱い、伊藤二葉くん18歳と、彼を家庭教師にスカウトした、「先生」こと、ジャニ〜ズJr.ばりの笑顔を持つ、シニカルな中学生ヒカルくんが主人公。

人の死ぬ話しやこわい話しは大嫌いなのに、押しにまけてミステリ研に入る羽目になり、
公園ではじめてのミステリを必死に読んでたところを、声をかけられ、家庭教師に。
やさしすぎて、あますぎるところが、なんだか物語を弱くしているきらいもあるけれど、
なぜ区営プールに詳細なメモをとる係員がいるのか、
なぜボヤのカラオケボックスからひっそりと消えたひとがいたのか、
なぜ本屋に並べられたギャル雑誌に、おこづかいかせぎしませんかの付箋がはられたのか、
などなど、日常にひそんでいて目をこらさなければわからないような謎を目の前に、
結果がエレガントでないことにがっかりしながら、「先生」が考えをめぐらせ、二葉くんが、助手のように手助けをしていく短編連作集。

ミステリが苦手な二葉くんのために、毎章ごとに、「先生」がオススメするミステリも興味をひかれる。
個人的には、江戸川乱歩「二銭銅貨」「押し絵と旅する男」はかろうじて、読んでいた。「ビブリア古書店」シリーズに触発されて。

最後は、卒論を書くときは、「六の宮の姫君」を読んでおくといいよ、という一言でしめくくられる。




chokusuna0210 at 00:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年08月08日

坂木司 夜の光

夜の光夜の光 [単行本]
著者:坂木 司
出版:新潮社
(2008-10)


和菓子のアン、ホテルジューシー、シンデレラ・ティース、切れない糸、に引き続き、五冊目の坂木司。

今回は、高校が舞台。ジョー、ブッチ、ギイ、ゲージのコードネームを持つ、高校生活を「スパイ」として別の顔を持つことで、やりすごそうとする、天文部にあつまった超個人主義な四人が、それぞれに語るストーリー。
酔っての自分への暴力だったり、女に教育などいらないという無理解だったり、年齢が絶対という価値観だったり。理不尽に呪縛と思われるものから、遠くへ、より自分らしく息ができるところへ行きたい、そのために必要なことを自分の手でつかみ、今は、力をたくわえておく。
そんな考えが一致して、自分たちはスパイだという意識を分け合う四人。

それは、季節外れの蛍の正体をつきとめることであったり、
なぜか文化祭で気に入った財布を売ってもらえなかった理由をつきとめることであったり、
ピザ屋にかわった注文をするお客さんが、注文に込めた手の込んだメッセージだったり。

ゲージの、イタリア男ばりに、語尾に、ハニー、ベイビー、スイートハートとつける語り口と、律儀にそれを否定してから、語りだすジョー、さらに自分流にアレンジして、語尾にラッパーぽく、メーン、と生真面目な顔で付け加えるブッチのやりとりがツボ。

そして、最終章の、後日談、それぞれの理想の地に降り立った四人の、一泊の観測旅行の章が印象に残る。

-------------------------------------------

「ちゃんと買わせて。私はどうやら、あなたの作るものが好きみたいだから」「価値を認めたからこそ、お金を払いたい。払わせて?」(ジョー)p.186

行き場のない夜を共有する我が同胞よ。
願わくば、あなたたちのコーヒーがいつも香り高きものでありますように。(ギイ)p.203


chokusuna0210 at 00:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年08月07日

坂木司 切れない糸

切れない糸 (創元推理文庫)切れない糸 (創元推理文庫) [文庫]
著者:坂木 司
出版:東京創元社
(2009-07-05)

和菓子のアン、ホテルジューシー、シンデレラ・ティースに引き続き、四冊目の坂木司。

死んだ父のあとをついでクリーニング屋になった和也。
近所の喫茶店ロッキーでバイトをしている大学の同級生で、鋭い観察力から、人の相談にのった上で「魔法の一言」を発することができる沢田。

なぜ幼い男の子に、その手袋をクリーニングしないでくれないかと頼まれたのか。
なぜあのお客さんはいつも女物の派手な服ばかりクリーニングに出すのか。
なぜ幼なじみの彼女は社会人になってスカートからパンツルックになったのか。
なぜ腕のいいアイロン職人は父の代に和也の店にやってきて、ずっと居続けてくれるのか。
ちいさな日常の謎とクリーニング、衣服文化の東西比較にまで馳せられる思いを楽しめる。
最初は、小さな界隈とおせっかいがちな人間関係が、息苦しく染まりたくないと思っていた和也が、いろいろなお客さんとふれあって、自分の気持ちをまっすぐにぶつけて、それがかえってきて、そういうのも悪くないと思い始め、徐々に信頼を受け、成長していく様も。

----------------------------------------------------

正義感は長持ちしない。p.49

だからきっと、お前の親父さんは必要以上に愛想良く振る舞ってたんだよp.99(クリーニング屋が手にする個人情報に関連して)

「愛されていたという記憶さえあれば、人は一人になっても生きていける。大切にされた命だとわかっていれば、暗い道で迷うこともない。わかるか?」p.102

軽くて乾いていて、どこまでも自由。それは裏を返せば、孤独な姿なのかもしれない。「じゃあお前も、重くなって地面とつながればいい」p.198

「カズとおやっさんは、相手に根を与えてくれるんだ」p.384

chokusuna0210 at 00:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年08月02日

坂木司 シンデレラ・ティース を再読

シンデレラ・ティース (光文社文庫)シンデレラ・ティース (光文社文庫) [文庫]
著者:坂木 司
出版:光文社
(2009-04-09)

坂木司『ホテルジューシー』を再読すると、姉妹編の『シンデレラ・ティース』も再読したくなる。

前回は、
-------------------------------
『ホテルジューシー』の姉妹編。歯科恐怖症だったのに、母の一案で、歯科の受付として夏休みだけバイトすることになった女子大生サキの物語。患者さんや飛び込みの客の、ちょっと不可解な言動や態度の裏にあるものが、歯科の知識をからめて解き明かされていく、「日常の謎」系ミステリー。『ホテルジューシー』が沖縄のゲストハウスを舞台にして、登場人物の個性的さも極彩色だったけど、こちらは、会社員やOLがお客さん。サキちゃんもおだやかでおっとりとした性格。なんだけど、こっちのほうがゆったりと届いてくる印象。/
---------------------------------

と書いていたが、今回は、

「合わせる努力をしなければ、ぴったり合う入れ歯なんて一生できっこないんだ」
「だって全ての義歯は、オーダーメイドなんだから」

「おとぎ話のヒロインじゃあるまいし、ある日突然自分にぴったりの何かが見つかるまで待とうなんて、どうかと思わないか」

「叶先生はとにかく『今』にこだわってるよ。今、痛くないか。今夜眠れるのか。そこをきちんと汲んでいるから、うちに来るお客さんは安心した顔で帰ることができるんだ」
「僕は『良薬は口に苦し』なんてことわざ、大っ嫌いだからね」

歯科技工士の四谷さんの言葉が、特に目にとまる。

chokusuna0210 at 00:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年07月31日

坂木司 ホテルジューシー を再読

ホテルジューシー (角川文庫)ホテルジューシー (角川文庫) [文庫]
著者:坂木 司
出版:角川書店(角川グループパブリッシング)
(2010-09-25)

坂木司「和菓子のアン」を読んだら、触発されて再び手にとってしまう。
大家族の長女でしっかりもので真っ直ぐな女子大生ヒロミが、
那覇のちいさなホテルでバイトすることで繰り広げられる、
人間模様と日常の謎。

前回の感想は、こちら

旅慣れたOL小野寺さんの
「でも、退屈な日々があってこそ旅は輝くものだし」

帰る時間が近づいたヒロミの
(本当は最初からずっと、かけがえのない時間だったはず)
という心の声

ヤスエさんの、なんでそこまでしてくれるの?に
「お弁当がおいしかったから、かな」と答えたヒロミ。
「ただの自己満足です」と答えるつもりだったのに。

オーナー代理の、
「幸せだよ」「背中を押してもらえるってのはさ」
という言葉。

今回は、そんな言葉たちに目を止めながら再読。
そして、やはり、329頁からの、
オーナーがヒロミに「正義感と自己満足?」と問いかけたことから始まる2頁にわたる痛撃は、再読にあたっても、深く刺さってきた。
半分は、帰りそこねて、言い出しそこねているヒロミへの背中を押す優しさだったのかもしれないけれど。

最後の、

人生はたまに、他人の手でかき混ぜられた方が面白い。

が、ピリリと効いていて。
沖縄風まぜご飯という名のちいさなホテル。
アメリカと日本とそれぞれの文化がいい塩梅にごちゃまぜで
独特の気候と風土により練り上げられ、
それに惹かれてさまざまな人が行き交う那覇で。
ぐるりと混ぜられ一皮剥けたヒロミがそこに立っていて。
読んでいる側にも伝わってくるような一冊。



chokusuna0210 at 20:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年07月16日

坂木司 和菓子のアン

和菓子のアン (光文社文庫)和菓子のアン (光文社文庫) [文庫]
著者:坂木 司
出版:光文社
(2012-10-11)

高校を出てデパ地下の和菓子屋さんでバイトをはじめた杏子。
同僚やお客様たちと和菓子をめぐるちょっとした謎解きにでくわしたり、気がつくと和菓子への愛情が深まっていったり。

下記ネタバレありつつ。







キリッと美しくも中身はおっさんな椿店長。見た目爽やかイケメンで中身は乙女系男子の立花。かわいらしい見た目に元ヤン魂を秘める桜井さんと、個性的な同僚や、ちらりと和菓子にちなんだ謎を垣間見せるお客様たち。役員会議の鍵をにぎっていたり、亡夫との思い出だったり、遠距離恋愛の彼氏からのメッセージだったり。そして、立花の師匠が登場して語る。「おはぎ」「ぼた餅」、つかずに作るから「月知らず」、さらに月が見えない方角で「北窓」、ひいてはいつ着いたかわからないから「夜舟」、さらについてる音がしなくて隣にばれないから「隣知らず」と、おはぎの別名がこんなにあるとは。和菓子に込められた物語の奥深さと、語呂合わせ連想奇想のつながりには大きく興味をそそられる。参考文献にもあたってみたい。そして、街を歩くと和菓子が目につく手にとってみたくなる。また、戦国時代の上杉家の和菓子づくりに取り組む武士を描いた火坂雅志「羊羹合戦」(「桂籠」所収)も読み返したくなった。

解説によると、続編にあたる一編も書かれているらしい。何作か書かれれば続巻も出るのだろうか。愉しみ。

chokusuna0210 at 22:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年06月24日

曾野綾子 太郎物語 大学編

太郎物語 (大学編) (新潮文庫)太郎物語 (大学編) (新潮文庫) [文庫]
著者:曽野 綾子
出版:新潮社
(1987-05)


大学編。おそらく南山大学をもじったんだろうなあ、と思われる、名古屋の北川大学での学園生活が描かれる。もっとも、入るまでの紆余曲折うじうじしたところもちゃんと描かれている。名のある東京の大学に補欠とはいえ受かったのに、それを蹴って、名古屋の聞いたことのない大学にいって人類学だなんて儲かりもしない学問をするなんて、という声。ふだんは見向きもしないのに、人様の支出にだけは口をだしたがる親戚のことなど。そして、40年以上前の名古屋は、サラリーマンだろうとみんな家で鶏の世話しなきゃいけないから、早くかえって、夜がうんとはやくて、倹約家で、、、みたいなところだったのだろうか。いまとなってはうかがい知れない。親戚の梯四郎氏の描写もおもしろい。水割りのビールをちびちびとすする、腹をくくって、見栄っ張りの正反対なところが。そして、加賀藩主の日本庭園の滝音にかける情熱を知り、「本当に、人生とはなんだか見当はつかないが、誰もかも、他人から見れば、下らぬことに情熱をもやして一生を終えるのだ」とひとり思う太郎。同級生の三吉さんに「あなた、それでも人類学?コミュニティに入り切らないで、人類学できる気?私なんか30番までの背番号の選手、皆無理して覚えたのよ」とやりこめられる太郎。そしてまたびしっと投げかけられる太郎の母の言葉「太郎も、老いるのは間もなくだから、時間を惜しみなさい。もっとも、どう生きたって、大した違いはないけれどね」。ひとすじなわではいかない、大学一年生。興味深い出会いもあれば、過去と決別できず、あるいは色あせた思いを抱いたり、友情に篤かったり、まわりにながされない見方で接したり、登校拒否の子をしばらくあずかったり。この小説を読んで、フレイザー「金枝編」を買ってきて、歯が立たなくて、あっという間に挫折したことを思い出す。いまならすこしはおもしろく読めるだろうか。

chokusuna0210 at 23:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年06月16日

曾野綾子 太郎物語 高校編

太郎物語 (高校編) (新潮文庫)太郎物語 (高校編) (新潮文庫) [文庫]
著者:曽野 綾子
出版:新潮社
(1985-01)

中学か高校の頃、家にあったのを読んだのを思い出しつつ、再読。
これ読んで、当時は食べたことのなかったコンビーフって、どんなものなのだろう、と憧れたことを思い出す。今、考えると、憧れるほどのものでもないのだけど、作中の太郎氏がじつにおいしそうにコンビーフから出汁をとって料理しているのに触発されたんだと思う。

時代は昭和40年代。自分が生まれる前の高校生の青春ってこんなかんじだったのだろうか、と夢想する。もっとも書かれていることが一般だったから受け容れられたのか、ちょっととがったところがあったから受けいれられたのかは、今となってはわからない。今読むと、明朗快活ですこしこまっしゃくれたガキンチョと思ってしまう。ただ、言いたいことは腹にためずスパッと言ってしまうところは爽快。

そして、普段は放任しているようで、ビシッと厳しくしめてくれるのが、太郎の母の言葉。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
自分の不安の本質を見極めないで、八つ当たりするのだけはよしなさい。不安なことに真正面からぶつからないのは、卑怯よ。p.212

だって、本当の憎しみを教えてやれる人なんて、人生にそうそういないの。そして愛によって教えられるのが一番いいんだけど、もしそれが不可能だったら、憎しみによっても、同じものを教わるのよ。そこがおもしろいところよ p.239

革命をやろうとする人はね、一人で一生かけて静かにやるべきなのよ。たとえそれがささやかなもので一生やっても何の効果もなくてもいいの p.248
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

引き続き、大学編も読み返したくなる。

chokusuna0210 at 00:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年05月26日

サマセット・モーム 昔も今も now and then

昔も今も (ちくま文庫)昔も今も (ちくま文庫) [単行本]
著者:サマセット・モーム
出版:筑摩書房
(2011-06-10)

イタリア統一の野望に燃えるチェーザレ・ボルジアと、そのもとへフィレンツェの外交官として派遣されたマキアヴェリ。フィレンツェの旗幟を鮮明にすることと実質的な軍事的支援を求めるチェーザレと、できるだけ時間を稼ぎたいという本国の意向を受けたマキアヴェリの丁々発止のやりとり、政治的外交的なかけひき、鞘当ては見もの。途中までは、滞在するイーモラの商人の美貌の奥方へ横恋慕し、ものにしようとこれでもかという精力、なけなしの財力、企みをついやすマキアヴェリ。いささかその部分が長過ぎて、歴史読み物としてはどうなんだろう、と思うところもあったけど、最後の最後であかされる、見透かされて一枚上手の手をいかれた時の意外さと屈辱と。顛末を芝居に仕立て上げることで、復讐になるなんて、とても思えないのだけど。それでも最後は、愛妻マリエッタが一番ともどっていき、負け惜しみでなく、後悔なんかしていないという境地に立つマキアヴェリ。チェーザレ没落の報を聴いて、喜ぶどころか当然の報いだとあざける輩に猛然と反論を加えるマキアヴェリ。ただどうにもならない運命にもてあそばれただけで、その力量、識見は多いに認めるべきであった、と。
マキアヴェリの口を借りた、モームの筆になる、マキアヴェリらしい警句に満ちているところも読みどころ。

「だが、人間の性を理解するには、立派な典拠を知っておくといいんだよ。われわれ凡百の小人も、それで多少の自信がもてるからね」(マキアヴェリ)p.28
「書記官殿、裏切り者には裏切りをもって報いるべきではないかね。国家はキリスト教の美徳をもって治められるものではない。緻密な計算と、大胆さと、決断力と、そして冷酷な意志があってこそ、はじめて治められるものなんだ」(チェーザレ)p.38
「恩義の重荷を背負って生きるのは、これはなかなか辛いもんだ。敵からくわえられた危害なら簡単に許せても、友から与えられた恩義となると、簡単には許せないものなんだ」(マキアヴェリ)p.80
「大きな善がなされんとするときに、小さな悪を恐れて怯むなんて、いかに道をわきまえない愚かなことか」(マキアヴェリ)p.193
「いったいどこの世界に、分別のある恋人がいるというんだ?嵐が猛りくるっているときに、海に静まれというようなもんだ」(マキアヴェリ)p.224
「真実というものは、人間が行使できるもっとも危険な武器だから、その使用には十分に注意しなければならん」(マキアヴェリ)p.321
「人の嘲笑を買うようになったら、お終いである。名誉を毀損されたら、法廷で戦える。中傷誹謗は、軽蔑してやればいい。しかし嘲笑されたら、もう手の打ちようがない」(マキアヴェリ)p.322
「罪を犯さなかったことを後悔するより、罪を犯して悔い改める。こっちのほうがずっといい」(マキアヴェリ)p.348
「自分の側に正義があると思うのはいいが、それを担保する力がなければ、正義なんぞなんにもならん。」(マキアヴェリ)p.361

chokusuna0210 at 21:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年04月23日

村上春樹 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 [単行本]
著者:村上 春樹
出版:文藝春秋
(2013-04-12)


ごく個人的な読後感想。

人生は回収されない伏線に満ちあふれている。
ミステリー小説でもない。
だから、謎がすべて解かれないことは、ある意味リアルさを表現しているともとれる。
前作と同様に。

誰かが離れて行く時、親切に理由を教えてくれるとは限らない。
黙って、すっと離れていったり、離れていくことのみ宣言されたり。
それが自分が親しく大事に思っていた存在から突然突きつけられたら、
普通、痛みは深く大きく尾を引くだろう。

知り合ったひとりの女性のアドバイスで、
十六年の時を経て、
自分を切り捨てた親友たちをめぐる巡礼。

誰かが離れていった時、
生身の自分がしたことではなくても、
強烈な思いが、
夢の中の自分が、
渦のように湧き上がった無意識が作用していたのかもしれない。
思うことが、あるいは無意識が見せたものまで罪だというなら、
そこまでは責任負えないよと思うけど。
何もできなかった、
という無力感の言い換えぐらいにはなるのかもしれない。

起こってしまったことは起こってしまったこと。
「もう、後戻りはできない」
「長い目でみたら、結局同じ道をたどったと思う」
そうかもしれないし、
そう思わなければ、進んでいけないとも言える。

最後は、「ノルウェイの森」のラストを思い出させた。
大事な人を手に入れることができたのだろうか。
希望を持ちつつ本を置く。

chokusuna0210 at 22:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年03月24日

特別展 高橋揆一郎の文学@北海道文学館 を見てきました

会期が今日までだったので、すべりこみで昨日、観覧。
Brown Books Cafeのイベントで、
隣に座った方に熱心にオススメされて興味を持ったのがきっかけで。
札幌住んで長いけど、中島公園内にある北海道文学館に足を運ぶのははじめて。
この時期、地下鉄の出口から文学館までの道のりは雪に埋もれたけもの道で、
なかなか足を運ぶのたいへんだなあ、という印象。

今まで一冊も読んだことなくて、オススメされてから、初めて「観音力疾走」を読んだだけなので、どれだけ楽しめるかわからなかったけど、観終わってみれば、美術展よりも博物館的な展示よりも楽しめた。活字好き向けな展覧会。小説の一部と時代背景の解説、興趣を添える本人の挿絵などを見られたのは、従前の予想以上に楽しめた。今となってはごくごく小規模となったが、一時期は日本の産業の発展に大いに貢献した石炭産業。主に炭坑街の人々を描いたものが、作品の中心となっていたようだ。炭坑夫たちの「友子」と呼ばれる互助組織のことなど知ることができたり。また、イラストレーター時代の風刺画や、炭坑夫たち、炭坑街を描いたものは興味深くみることができた。晩年の神田日勝記念館の館長をつとめた縁でか、神田日勝の未完の馬の絵も展示されていたが、こちらにせまってくるような躍動感が素人目にもすばらしく、一度見入って通り過ぎてからもう一回見入ってしまった。よーくみると、彩色されていない鉛筆での下書きが残っていたところも見て取れました。「教養も、さまざまな処世的な感覚も一切取り払ったら人間はどうなるか、そこを書きたいだけです」「とにかく今日も生きている」という言葉にも感銘を受け。さらに、北の道化師、伸予、北の絃、友子ぐらいは読みたいなと思った。

chokusuna0210 at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2013年02月28日

藤宮史 木版漫画集 黒猫堂書店の一夜

木版漫画集 黒猫堂商店の一夜木版漫画集 黒猫堂商店の一夜 [コミック]
著者:藤宮 史
出版: 青林工藝舎
(2012-10-30)

札幌のカフェ「Brown Books Cafe」で一押しだった一冊。
作品に惚れ込んだ店員さんが、わざわざ、東京の作者のところまで乗り込んで行って、買い付けてきたんだとか。

一コマ一コマ、木版画なんだ、と思うと、手間がかかってるな、と思ってしまう。

原作なしのものは、幻想的な作風のものが多く、余白の美、とりとめない感触、しーんとした佇まいを感じさせてくれる。

芥川龍之介「蜜柑」、葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」など、原作つきの一編は、画面にところせましと活字が詰め込まれー一部はおさまりきれなくて、枠外にはみ出ている箇所もあったけどそれもまた味わいー、それでいて、どちらもごつごつした木版画がふさわしいようなモノトーンの世界。蜜柑がばーっとぶちまかれるところはまばゆい彩色のような錯覚を得た。読み終えて、深く息をついてしまうほどの感慨。

原作もあわせて読むと、また味わいも深まる。

セメント樽の中の手紙 (角川文庫)セメント樽の中の手紙 (角川文庫) [文庫]
著者:葉山 嘉樹
出版: 角川グループパブリッシング
(2008-09-25)
ゴツゴツとした木版画のマンガとこの短編とはよくあう。セメント職人の主人公が、作業中に拾い上げた小箱入りの手紙。あやまってセメントと一緒に砕かれた恋人を持つ女工からのもの。わたしの恋人とともに砕かれたセメントが何に使われたか、教えて欲しい、と。教えたとも教えぬとも言わぬまま閉じられた物語。何もかもぶちこわしたいと酒かっくらって叫ぶ主人公と、そしたら、私と子供たちはどうなる、とたしなめる細君。きっと、また同じ日常が続いていく、と思わせるかのように物語は閉じられ。


chokusuna0210 at 00:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2012年06月23日

垣根涼介 勝ち逃げの女王 君たちに明日はない4

勝ち逃げの女王: 君たちに明日はない4勝ち逃げの女王: 君たちに明日はない4
著者:垣根 涼介
販売元:新潮社
(2012-05-22)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


リストラ面接官真介が主人公のシリーズ四作目。
いつもと勝手の違う面接だったり、面接が一切でてこない間奏曲のような章があったり。
ただ、前作と同じ考えが根底にながれている、という点では一緒。
煎じ詰めれば、何が正しいかなんてない。
誰に何を言われようと、自分の人生、自分で納得して、自分のやり方でいくしかないんだよ、ということを、物語のかたちにくるんで差し出されているような。そんな読後感。

そして、読み終えたらと、きっと、浜田省吾「ミス・ロンリー・ハート」マーヴィン・ゲイ「What's going on」が聴きたくなるはずです。

才能とは?みたいな話しが語られる章は、働くものとしては身につまされるというか。
自分の中の必然がないと、長くは続かない、実力もつかない、まわりにかなわない。
先のために、今のすべてを犠牲にするなんて意味がない。ただ、それは、享楽的に今だけ楽しめということも意味していない。バランスなのか、折り合いなのかは、わからないけれど。

ああ、面白かった、とページを閉じて、明日への活力にしてもいいし、何かひっかかったところがあれば、自分なりにかかえて、活かしていけばいいし。そんなことを思いつつ。


ま、人それぞれ、生き方もそれぞれだ。何が正しくて、何が正しくないということはない。それで人生、意外と回っていく。p.67
「どんな企業に勤めてどんな役職になっているかっていうことより、そこでやっている仕事の、自分にとっての意味のほうが大事なんじゃないかなって」 p.74

「人間、もう必要とされなくなった場所に居てはいけないんだよ。だったら、そんな場所はとっとと捨てて、新たに必要とされる場所を探したほうがいい」p.92
「だいたいさ、結局は何のために仕事をやっているんだっていう自覚がないんだよ。自分と、自分のお客のため以外には、本当には頑張れないんだっていう自覚がさ」p.100
「自分の人生がどう転んでも、言い訳をしない。泣き言を言わない。家族にも。むろん他人にも。たとえ痩せ我慢でも、です。つまりは、『ノー・エクスキューズ』ーー潔さ、ということでしょうか」
「ほぼ十年海外で暮らしてみて、私はこれが、本来日本人が持っている、あるいはかつて多くの日本人が持っていた、もっとも大事な出処進退のモラルではないかと思っています。」p.111

つまるところ、自分にとって本当に大切なことは、他人からは与えられない。自分自身が気づくしかないのだ。p.153
「サッカーも最後には、単なる技術じゃない。結局は、気持ちなんです。次々と見せつけられる実力の差やセンスの壁に、それでも挫けずにその行為をやり続けるに値する、自分の中の必然です。それがあるかどうか。その気持ちだけが、その必然に支えられた情熱こそが、絶え間なく技術を支え、センスを磨き、実力を蓄えてくれる。また、それらの裏付けがあるからこそ、さらに情熱を持って長くやり続けられる。それが、才能なんだって」p.162
テクニックではない。気持ちなのだ。
自分はどうありたいのか。何を表したいのか。何を、どう伝えたいのか。それを真摯に見極め、追求して行く気持ちの強さ。それこそが、才能なのだ。また、その気持ちが強ければ強いほど、培ってきたテクニックも凄みを増す。p.197

「だってさ、おまえはおれじゃないだろ。おれもおまえじゃない。そして人間、正しいから誰かを好きになるなんてことも、これまたない」
「つまり、観念的な正しさなんて、本当に実体がない」
「ただあるのは、こういうのが好き、こういう生き方がしたいっていう、単にそれだけの気持ちだ。気持ちの方向性だ。そしてそれを、現実とどう折り合いをつけていくかていう問題だけだ」p.230
おれたちは、しばしば今を生きずに明日のことばかりを心配している。結果として、今という一瞬一瞬を、台無しにしていることも多い。心底は楽しめていない。p.248


chokusuna0210 at 18:59|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2012年05月27日

宮沢賢治全集 より

宮沢賢治全集 全10巻宮沢賢治全集 全10巻
著者:宮沢賢治
販売元:筑摩書房
(1997-07)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


たまたまぶらりと入ったカフェが、児童書をずらりと取り揃えているところで、思わず、宮沢賢治全集を手に取ってぱらぱらとながめてしまう。短めのだけ何編か。

なめとこ山の熊
よだかの星
オリヴロンと少女
めくらやなぎと虹
オツベルと象
MEMO FLORA ノート

どんな話しだったかな、と思い出し思い出しの、「なめとこ山の熊」。
生活のために熊を撃っていた主人公が、ある日、熊のことばがわかって、月の下、親密に語り合う母熊、子熊を見つけ、心つうじあってるさまに、心うたれ、こちらに気がつくなよ、とそうっとその場から立ちさるシーンがやはり印象に残る。最後は、最期の予感をもって出かけ、お前を殺したいわけではないのだ、宿命なのだ、といういつか自分が投げかけた言葉がそのままかえってきて、終わる。
「よだかの星」「オツベルと象」は教科書にのっていた。誰にも相手にされず、名前を変えろと鷹に迫られ、どこまでも遠くへいきたいと願って、星になってしまったよだか。無邪気な白象を結局はこきつかい弱らせ、最期は象のなかまたちにつぶされてしまったオツベル。
少女もめくらやなぎも、敬意を表し、つれていってくれと頼むが、オリヴロンも虹も、あなたが敬おうとしている良きものはあなたのなかにもあるといい、つれていってはくれず、といった掌編、「オリヴロンと少女」「めくらやなぎと虹」。前者は後者の改作らしいのだけれど、初めて読んだ。
MEMO FLORAは、吉松隆作曲、ピアノ協奏曲「メモ・フローラ」に触発されて読んだもの。なんだろう、作付け配置図のような本当のメモなのだけど。
大人になってからだと、あまりとりとめがないような気がして、なかなか手にとる機会のない童話だけど、たまに読み返してみるのもいいかもしれない。




chokusuna0210 at 11:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2012年04月07日

垣根涼介 張り込み姫: 君たちに明日はない3

張り込み姫: 君たちに明日はない3 (新潮文庫)張り込み姫: 君たちに明日はない3 (新潮文庫)
著者:垣根 涼介
販売元:新潮社
(2012-03-28)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


リストラ請負会社で面接官として働く村上真介が主人公のシリーズ、第三弾。今回は、英会話スクール、大手旅行代理店、車のディーラー、そして、出版社の写真週刊誌部門。英会話スクールでは、対象者の両親の「こんな先の見えない時代だからこそ、自分の思うままにやったほうがいい」という言葉が対象者の背中を押し。有能さの片鱗は垣間見せるものの、自分の食い扶持だけ稼げばいいやと割り切ったように見え、勤務態度も舐めてると思われがちな代理店社員の内に秘めた情熱と泰然さとこだわりに、最後にびっくりなオチがついたり。車にこだわりのある大口の顧客にコストも時間も度外視で丁寧に仕事しがちなメカニックに、本社からの締め付けはきびしくなるばかりだけれど、仕事への愛をかたり、砂を噛むような思いはしたくない、何も感じなくなるぐらいなら残る意味は無いと言い放った彼へ、救いの手が何本も差しのべられるのは、至極当然のようでもあり、予定調和のようでもあり、でも、あたたかい気持ちになったり。そして、リストラ請負人と、写真週刊誌記者という、世の中から嫌われがちな、という点で通ずるところのあるふたりが、面接官と面接対象者という枠をこえて、わかりあいたいと思ったシーン。仕事の意味を問われて、逃げずに、正面から答えた一節が目にとまった。

「こうしなくてはならない、こうあらねばならない……そういった”べき”論は、実は、法律に触れない以上は仕事に限らず、この世には存在しない−−自分です。突き詰めれば、自分がどう感じているかが、すべてなんです」p.368/「日常に連なった事実の中にある、真実。たぶんそれは、石ころのようにさりげなく道端に転がっている。だから気づかない。人から教わっても見聞きしても、結局、一番大事なことは、時間をかけて自分で感じ、発見するしかない。負の側面でも、正の側面でも、そうです。」p.368-9/「たぶん、後悔のない人生なんて、ありません。でも、その時々の信念や気持ちを信じて行動していけば、後悔はあっても、それでも後を振り返ったとき、納得は出来る。……私は、そう思っています。」p.370


そうありたい、と思いつつ、本を置き。

chokusuna0210 at 21:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2012年02月28日

村上龍 心はあなたのもとに

心はあなたのもとに心はあなたのもとに
著者:村上 龍
販売元:文藝春秋
(2011-04-13)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


50代の投資家と30代の風俗嬢が不倫する話。
しかも、冒頭から、彼女が死んでしまったことが語られ、その終着点へ向かって、回想が語られるという形式。「ノルウェイの森」から「セカチュー」まで使い尽くされた様式美。
という風に難じることもできるのだけれど、そこを取っ払って読みすすめてみると、
底に流れる深い愛情を感じ取ることができるし、
合理精神に徹しきれない合理主義者の語る言葉が興味深く感じられたりもする。


二十代で最初の結婚に失敗したとき、離婚がいかに時間と労力をロスするかを思い知って、家族間の信頼の重要性に気づき、信頼を維持するための努力を惜しまないようにした。具体的には、家族との約束は確実に守り、いっしょに過ごすための時間を確保し、家族からの依頼を優先させるというようなことだ。p.10-11/性格がいいというのは、幼少期のトラウマがなく、自己評価がまともで、普通にコミュニケーションができるという意味だ。p.27/わたしたちは病院で、わたしたちの身体が病気になる自由を持っていることを確認する。自由は常に不安を伴っている。危うさを併せ持つ自由だけが、人間の優しさを発生させるのだろう。p.82-83/人生でもっとも大事なことは、殺されないこと、つまり、死なないことで、二番目が楽しむこと、そして三番目に世界を知ることだって、あるとき教わったんだよ。p.111/子犬を撫でながら蝶の羽をむしり取る子どもがいるが、優しさは残酷さと裏表の関係にある。優しさは、他人に親切なことでもソフトに接することでもなくて、他人への関与の度合いに優先順位をつけることだからだ。p.223/でもな、おれは思うんだが、合理的に割り切れる男と女のつき合いなんて、そんなものクソだろう。p.248/どうでもいい人間との関係には、不安も安堵も罪悪感もない。p.262/ただ、他では絶対得られないというか、そんな瞬間があるんだよ。手を伸ばして触れようと思えば触れられるところに、ノースリーブのワンピースから白い腕が伸びていて、触れられるのがいやじゃないってことが伝わってくる、みたいな感じかな。p.349/人生は一人より二人のほうが楽しいって言ったんだよ。p.466/お父さんはあなたに本当に大切なことを教えたのよ。自分の世界は自分で拡げることができるってことを。言葉じゃなくて態度と行動で教えたの。p.526/どんなに大切な人でもずっといっしょにいることはできない。だから日本語の意味は、いつも香奈子がメールの最後に書いてきた言葉になる。「心はあなたのものとに」p.554



chokusuna0210 at 00:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2012年01月30日

池澤夏樹 タマリンドの木

タマリンドの木
著者:池澤 夏樹
販売元:文藝春秋
(1991-09)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


大手メーカーで大型エンジンを扱うセールス・エンジニアの野山隆志。タイ-カンボジア国境の難民キャンプで幼稚園を運営する樫山修子。出会いは、修子が古いエンジンの寄付を求める団体の一員として野山の会社にやってきた時、応対したのが野山だったことから。その後も、寄付記念のパーティーで、形見の時計を持ってきてほしいという口実を作っての会食、そして、警察に保護された修子を引受けにいったことで、決定的にふたりの距離は縮まり…。しかし、東京とタイ。どちらも大事な仕事を抱え、逡巡するが、結局は…といったところ。かかえているものの大きさ、それを擲ってまで突き進めるかどうか、大人の恋愛小説なんだと思う。

冷蔵庫を開けて牛乳を出し、小鍋で沸かす。ティーバッグを一つほうりこみ、バターを一片落としてから砂糖を多めに入れる。煮立ったところでティーバッグを取り出す。大きなマグに注ぐ。「飲みなさい。元気が出るから」(p.50)/

「あのね、『デヴィッド・コッパフィールド』を読んでいたの。ミコーバーさんて大好き」(p.79)

「もしも可能なら、毎週金曜の晩の飛行機でタイに行って、月曜の朝の飛行機で戻りたいとさえ思う。だけど、それでは足りないんだ。一緒に暮らすというのはそういうことではないから」(p.92)

しかし、この先は競争かもしれない。彼らは互いに相手を愛し負かすというゲームをはじめたのかもしれない。(p.100)

「いつも変なところへ来てもらうわね。警察とか病院とか」「そう、愛の救援隊。どんな遠方でも駆けつける」(p.113)

今日の幸福のために明日の自分を人質にとって実のない約束をしてはいけない。それは二人ともにとってよくないことだ。(p.119)

「たぶんね、園の庭にあるあの木よ。タマリンド。タイ語ではマッカムと言うわ。幹がまっすぐ伸びて、ずっと上の方から枝が出ている」(p.148)

自分に対する彼女の気持ち以外に二人を結ぶものはない。そして、人は恋だけで生きることはできない。恋は人と人を引き寄せるが、そうして作られた仲を維持するのは恋ではない。もっと別の、もっとしっかりした根を張るもの、日々の生活によって満たされるもの。もっと永続的な力。(p.163)

「夢中になった相手はいつだって特別に見える」(p.188)

そばにいる。一緒に暮らす。日々の体験を夕食の席で話しあい、お互いの判断を認め合い、苦難を前に二人で困惑し、解決し、生きてゆく。日本の安楽が与えてくれないものをそういう形で獲得する。この二人にしかできないことだから、それをやってみる。そちらの方へ自分は今誘われているのだ。(p.201)

chokusuna0210 at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2012年01月26日

三島有紀子 しあわせのパン ポプラ文庫

しあわせのパン (ポプラ文庫)しあわせのパン (ポプラ文庫)
著者:三島有紀子
販売元:ポプラ社
(2011-12-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


映画を見てから原作を手にとる。

映画ではごく簡単にしか触れられなかった、水縞夫妻が月浦へ来る経緯も詳しく語られていて、そこまで触れてこそ、最後の「見つけた」が活きてくるんじゃないかな、と思った。

読んでみて、映画は原作にほぼ忠実だったんだなと思う。映画は、俯瞰で語られていたけど、原作は、三話それぞれの登場人物と、水縞くんの目線で心情まで掘り下げて語られていて、あわせて読むとより楽しめる作りになっていると感じた。

パンを分け合うこと、大事な誰かと分け合うこと、何も語られなくても信頼しあっていると伝えあえること、そのあたたかさを感じられること、誰かと照らしあえることの、大切さを改めて考えさせてくれるような、読んでて心あたたまるような物語。

chokusuna0210 at 23:17|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!

2011年10月08日

東野圭吾 手紙

手紙 (文春文庫)手紙 (文春文庫)
著者:東野 圭吾
販売元:文藝春秋
(2006-10)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


兄が強盗殺人犯になったことで、まだ高校生だった直貴にその後もふりかかる差別。進学をあきらめ、望む職につけず、音楽への夢も断たれ、最愛の人と別れることを余儀なくされ、近所で噂され、妻子も傷つき。そこで直貴がとった道は…。なくそう、なくなればいい、というだけでは、なくならないもの。平野社長の言葉に頬をひっぱたかれたような思いをしながら、じゃあ、現実にそういう場に立ち会ったらどうする?と問われれば、きっとそうするのだろうと思う。普段考えないように、目を向けないようにしていたとしても。簡単には飲み込めない思い。

以下、本文から。

寺尾「おまえジョン・レノンの『イマジン』を歌っただろ。ちゃんと想像してみろよ。差別や偏見のない世界をさ」。

平野社長「大抵の人間は、犯罪からは遠いところに身を置いておきたいものだ。犯罪者、特に強盗殺人などという凶悪犯罪を犯した人間とは、間接的にせよ関わり合いにはなりたくないものだ。ちょっとした関係から、おかしなことに巻き込まれないともかぎらないからね。犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。」
「人には繋がりがある。愛だったり、友情だったりするわけだ。それを無断で断ち切ることなど誰もしてはならない。だから殺人は絶対にしてはならないのだ。そういう意味では自殺もまた悪なんだ。自殺とは、自分を殺すことなんだ。たとえ自分がそれでいいと思っても、周りの者もそれを望んでいるとはかぎらない。君のお兄さんはいわば自殺をしたようなものだよ。社会的な死を選んだわけだ。しかしそれによって残された君がどんなに苦しむかを考えなかった。衝動的では済まされない。君が今受けている苦難もひっくるめて、君のお兄さんが犯した罪の刑なんだ。」

直貴「正々堂々としていればいいなんてのは間違いだってことにさ。それは自分たちを納得させているだけだ。ほんとうは、もっと苦しい道を選ばなきゃいけなかったんだ」「差別や偏見のない世界。そんなものは想像の産物でしかない。人間というのは、そういうものとも付き合っていかなきゃならない生き物なんだ」

chokusuna0210 at 00:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2011年10月07日

東直己 探偵はバーにいる

探偵はバーにいる (ハヤカワ文庫JA)探偵はバーにいる (ハヤカワ文庫JA)
著者:東 直己
販売元:早川書房
(1995-08)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


ススキノ探偵シリーズ第一作。同棲していた彼女が四日も帰らない、と大学の後輩に泣きつかれて、最初は全く気乗りしなかったのに、次第に深入りしていった「探偵」は…。非常にクールでかっこいい。痩せ我慢は男の美学、といった感じで。しかし、こだわる所にはとことん熱くこだわる。まさにハードボイルド、といったかんじ。ハードボイルド、読みなれてないだけに、深入りしそうな、その入口になりそうな一冊。

以下、本文より。

「でも、あなたのような女性にホワイト・レディを教えるような男に興味がある」「電話のいいところは、親しい友人と、手を振ったり、背を向けたり、歩み去ったり見送ったりせずに別れられる点にある」「…痛い目にあったって、痛いだけだ。体を傷められたとしても、体が傷むだけだ。殺されたとしても、死ぬだけだ。どんな人間も、俺を損なうことはできない」「彼の絵本を作りなさい」「依頼人を保護するのがオレのツトメだ」

chokusuna0210 at 00:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2011年09月01日

山崎ナオコーラ ニキの屈辱

ニキの屈辱ニキの屈辱
著者:山崎 ナオコーラ
販売元:河出書房新社
(2011-08-05)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る



若くして売れっ子だけど人付き合いは大の苦手な写真家ニキ。
ニキのファンで、アシスタントとしてもぐりこんだ写真家志望の加賀美くん。

ビジネスでは精一杯とりつくろって、コミュニケーションをとろうとするけど、プライベートでは愚直そのもののニキ。最初は、高圧一本やりだった加賀美くんへの態度が、プライベートにおいては徐々に変化していったのだけれど…。

細部はだいぶ違うけど、写真家の卵とピアニストの卵のストーリー、原秀則の『部屋においでよ』を少し思い出した。

最後のワンシーン、魔法って解けてしまうと、そこに深い理解があったとお互いわかっても、もう戻らないものだということ、タイミングが大きな部分を占めるのだということが描かれていて。

一番、印象に残ったのは、加賀美くんが、"「オレは、自分は、女性に対して理解がある男だと思うんだよ」「なんで?」「オレはプライドが低い性質で、女の子が上から目線で喋ってきてもなんとも感じない」「それに、男性写真家の手による写真よりも、女性が撮った写真の方が好きだし」加賀美がそう言うと、「へえ」ニキは薄笑いを浮かべた。"といったシーン。冷やりとするような。

てか、自分で言ってちゃダメでしょ、そんなこと、と思いながら。


chokusuna0210 at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2011年07月27日

奥田英朗 ララピポ

ララピポララピポ
著者:奥田 英朗
販売元:幻冬舎
(2005-09)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


a lot of peopleを聞き違えて、ララピポ。たっくさんの人がいるよね、いろんな人がいるよね、と。各ストーリーの登場人物が少しずつ絡み合う連作短編集。みな、何かのコンプレックスをかかえて、目の前の辛い現状からすこしでも目をそらし、受け入れやすくするために、人から見ると取るに足りないことにプライドを持ってしがみついたり、すがるに足りないものにすがってしまったり、あまりに自分を大きく見積もって他人を見下してしまっていたり。あなたにもそういうところ、多かれ少なかれありませんか?と語りかけてられているような苦さも感じつつ、話者を変えつつも、つなぎ合わされるストーリー運びのうまさに舌を巻きつつ。

chokusuna0210 at 00:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2011年07月26日

奥田英朗 マドンナ

マドンナ (講談社文庫)マドンナ (講談社文庫)
著者:奥田 英朗
販売元:講談社
(2005-12-15)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

冒険しない人間は冒険者が憎い。自由を選択しなかった人間は自由が憎い。


『ガール』が30代OLを主人公にした連作短編集なら、
こちらは、社員数何万人の大企業につとめる、40代の課長さんが主人公の連作短編集。
あたらしく配属になった部下にときめいてしまい右往左往したり、
ダンスの道に進みたい息子と、一匹狼の同僚と、やりたいことを封印した自分を引き比べたり、
腰掛の部署でちいさな不正を見逃せず、周囲と衝突したり、
次は自分と思ったポストに外から切れ者の女性上司がやってきて、今までのやり方を否定されたり、
いつもオフィスから見かける、読書する老人が気になったり。

それにしても、いくらか戯画化されてるとしても、こんなにも、仕事のなかに、こどもっぽい好き嫌いの感情が持ち込まれたり、男は働き、女は家を守れ的な時代がかった考え、大家族主義的なさまざまな干渉があるものだろうか・・・多かれ少なかれありますね。会社の規模にもよるのかもしれないけれど。そんな中で、自分の気持ちに正直になったり、封じ込めてやりすごしたり、かっこわるい、保身と笑われようとも、生きのびる事が至上命題の感ありな連作。わからない、わかりたくもないと思っていた相手と、わかりあえる瞬間が垣間見えると、ほっとしたり。


chokusuna0210 at 00:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2011年07月25日

奥田英朗 ガール

ガールガール
著者:奥田 英朗
販売元:講談社
(2006-01-21)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


聖子はなんとなくわかった。この男は、女房とホステスと部下しか女を知らない。そのいずれかには鷹揚に接し、守ってやるという姿勢を見せる。そして聖子や裕子のような、男の庇護を求めない女に対しては、ひたすら敵対心を燃やす。

「女と仕事をするのがいやなら、相撲協会にでも勤めるといいよ。どこへ行っても女はいるからね。女の子じゃない、女がね」

桜井や山田に対する見方が一転した。彼らは生活がかかっている。守るものがたくさんある。そういう中で頭を下げ、上からの無理難題に耐え、生きている。それを保身とからかう自分は、無責任で世間知らずの子供だ。

「そうよ。きっとみんな焦ってるし、人生の半分はブルーだよ。既婚でも、独身でも、子供がいてもいなくても」

「平気ですよ。かつてシンディ・ローパーも歌ったじゃないですか。"ガール・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン"って」
由紀子が笑って言った。本当にそう思ったからだ。女は男の目なんか気にしていない。自分が楽しいからおしゃれをするのだ。若くいたいと思うのだ。


30代OLを主人公にした、連作短編集。

描かれるのは、

女なんかと仕事ができるか!という古い気質の上司、部下、同僚との対立と和解だったり、
独身だったり、既婚だけど子供がいない女性の同僚との、子育てを錦の御旗にしたくない、けど、理解しあいたいという思いだったり、
30代後半でも装いも振舞いもギャルで、仕事はものすごくできる、生涯一ガールな先輩だったり、
ひとまわり下のハンサムな新入社員への押さえ切れない思いだったり、
マンションを買った途端、それまで臆せずなんでも言えたのが、保身、弱腰と笑っていた同僚を笑えなくなっている自分を感じたときだったり。

その思い、逡巡、葛藤、ほぼすべて、すとんと腑に落ちてくるものばかりだった。ユーモアにくるまれて描かれても、自分の働きっぷりをふりかえって、冷やりと重いものを突きつけられたように思うこともあったり。

chokusuna0210 at 00:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!