まるろぐ@晴耕雨読

まるちょうがあなたに伝えたいことを密に語るBlogです。
不定期に文章こしらえます♪

最近ずっとナヤンデルタール人だった

長文になっちゃいました。よかったら、お付き合い下さい。
ナヤンデルタール人・・人類史とは関係ないっす。単に10月と11月、まるちょうが悩んでいたということです。何のことで? ☞ 癌恐怖症だったんです。かなりきりきり舞いしました。恥ずかしい思いもしたし。怒りを感じたこともあった。昨年8月に線維肉腫の手術をした僕としては、「再発の恐怖」はどうしても付いてくるものです。今年8月に胸部CTを撮って、いちおうの太鼓判を押されていても、です。とりわけ「原因の分からない痛み」は、厄介です。痛いという身体的苦痛が、論理的思考をゆがめてしまう。いったん焦燥感の導火線に火がつくと、癌恐怖症という泥沼へどんどん引きずり下ろされます。・・抽象論はおいといて、具体的な経過を記しますね。

10月初旬頃から、ジムでトレッドウォーキングするときに、左足の甲が痛くなることがあった。初めは不快感くらいだったけど、次第に「なんかイヤな痛み」となる。ウォーキング後は、しびれが残る。最初は「気のせいかな?」「一過性かな?」で流していました。10月中旬ぐらいから「これは気のせいではない、確かに再現性のある症状だ」との認識になりました。

追い打ちをかけたのは、10月25日(水)の仕事中から、左足甲がじんじん痛くなってきたこと。今おもうと、それはちょうど雨の日で、雨用のごつい靴を履いていたからなんですが・・ そのときの自分としては「痛みの程度が進行している」と感じたんですね。そうなるとまさに「癌恐怖症の奈落」へまっさかさまですわ。その夜に家族にも当たるし、とりあえずどこに相談すべきか、あれこれ焦りました。続きを読む

「energy flow/坂本龍一」を弾いてみた

大変おまたでした。10月中にアップするとか言いながら、なかなか録音ができませんでした。もっと練習したら、もう少し納得のいくように演奏できるかな?と思うのですが・・ やっぱ練習量がどうしてもね。演奏って、体調の良し悪しにもすごく左右されるし。とくに精神的な不調はいかん。

やっぱ、僕の場合はエレピは「やりたくて仕方ない」ものではない、ということかもしれません。というか、適性という面から考えると、エレピは自分には合っていないのかもしれない。それは例えば、ネット将棋にも言える。つまり「即時性を求められる」という意味で、自分には負荷がかかりすぎる様に思う。

言いわけみたいに聞こえるだろうけど、僕は頭の回転の遅い人間です。双極性障害に関連した精神的な不安定さもある。例えば本態性振戦。うまく弾けなくてイライラする ☞ 自分への怒り、情けなさ ☞ 手が震える ☞ 更にうまく弾けない。こうした負のループがあります。今回の録音も、途中でβブロッカーを投入しています。その効果で、最後にふたつだけ、まずまずのテイクが録音できた。続きを読む

冬の避暑地・・「人間交差点」より

久々に漫画でBlog、いってみます。「冬の避暑地」という短編ですが、人間交差点シリーズにおいて、僕にとってはベスト3に入ります。生きることと音楽の深い関係について描かれています。まずはあらすじから。
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冬の山荘での演奏会。白髪の男性(父とします)がチェロ、その娘(紀子)がピアノ、孫(美樹)がバイオリン。聴くのは老夫婦。拍手喝采のうちに終わり、帰路へ。しかし、娘の夫(透)が迎えに来ない。仕方ないので、楽器を携えてホテルへ。そこには酒に酔った透がいた。彼は運転のことも考えず、どんどん杯を空ける。紀子がそれを注意すると「だったら今夜はここで泊まればいいだろう!」とキレる。透は才能豊かなバイオリニストだったが、たった一度のリサイタルで酷評されただけで、ろくにバイオリンを弾かなくなってしまった。
56美樹が使用していたバイオリンは、本来は透のものであった。その一千万円以上するそのバイオリンは、紀子がピアノのアルバイトで夫に買い与えようとしたものだった。しかし父はそれを見るに堪えず、家を売り払って手に入れたのだ。それは娘に対する愛情からだったが、しかし今となってはそれが失敗だったのかもしれない。
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近況・・もしもエレピが弾けたなら

いつの頃からか、電子ピアノ(=エレピ)を週二回、あるいは三回、練習している。時間的には20ー30分。こんなやり方では、いつまでたっても上手くならないと思いつつ・・

僕は5歳ごろから13歳ごろまで、エレピを習っていた。小学一年生のときに、希望を込めて新品のエレピを買い与えられた。当時の僕はその「親の想い」というものに、からきし無頓着だった。要するに、練習嫌いだったのだ。こうした「噛み合わない散財」というのが、僕の人生にはいくつかあるように思う。今更ながら、両親には申し訳ない気持ちです。ま、それは置いといて、まるちょう少年は、本当に練習の嫌いな子どもでした。レッスンは週に一度なんだけど、ほとんど練習せずにレッスンに向かう。先生はしかめっつらで、レッスンのときに練習、という塩梅だった。それでも年一回の発表会は、なんとか帳尻を合わせていた。いわゆる、要領のよい子でした。正直、親の期待になんとか応えようとして、頑張るけど頑張りきれない。そんな感じだったかな。そんなだから、いちばん大事な「音楽をたのしむ」という境地ではなかった。当時の僕にとっては、音楽は単なる「訓練」だったのです。続きを読む

「暴力」という名のパセリを食すことについて

「キッズ・リターン/北野武監督」を観た。私は北野作品をたくさん観ているわけじゃないけど、やっぱり苦手だな。暴力シーンが容赦なくという感じで描かれる。たとえば「カツアゲ」のシーン。私はなに不自由なく育った唐変木な若者だった。争いごとが嫌いだったし、部活でも「練習は好きでも試合は負ける」というタイプだった。なにごとも「話せば分かる」と信じていた。つまり「本当の闇から発生する悪意」というものに対して、経験があまりなかったし、実際にうまくイメージできなかった。

大学生時代に、一度だけカツアゲされたことがある。阪急電車の東向日駅から独りで歩いていると、いきなり白っぽいスーツみたいなのを着た「あんちゃん」に、蹴られた。私は混乱しながら、言われるままに一万円を渡した。あんちゃんは、すっと消えていった。そのときの私の感情は、ひとことでは言い表しにくい。「純粋な負の感情」に生まれて初めて遭遇した、そんな感じ。こんな理屈もへったくれもない邪悪な感情が、世の中には存在するんだ、という驚きだった。続きを読む

近況をふたつ・・後半に下ネタあり

ひとつめ。さる16日は、午前中外来で、午後はなし。帰宅して昼寝から起きると「なんかヘンやな?」ってなった。なんか喉のあたりが違和感というか、不快な感じがするのだ。でも、そのときは「なんとなく」という感じだったので、放っておいた。そのうち治るかな?みたいな。夕食はハンバーグ。なんとなく喉の違和感を感じながらも、「まあいいか」という大雑把な態度でハンバーグを咀嚼し、つぎつぎと嚥下した。まあ、別に普通に美味しかったし。

私という人間は、どこか不感症なところがある。でも身体的に「苦痛」を感じ取って、あとから症状がでるというケースがままある。このときもそうだった。食後、なんとなくのだるさ、眠たさ、意欲低下などを感じて、寝室へ直行ということになった。それから四時間こんこんと寝て、起きたのが午前0時すぎ。翌日が休みだったのでよかった。のどの違和感は続いている。というか、増悪している。それにプラス、前胸部の鈍い痛みがあるような気がする。「おい、これは気のせいじゃないわ」となる。こうした時、私はたいてい瞑想をするのが常である。いつものように癒やし系ジャズを聴きながら、左足を右ももにのっける半蓮華座で瞑想に入った。自分のよく分からない症状に対して「腰を据えた」ということね。続きを読む

妻の誕生日をうっかりして、考えたこと

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8月29日、妻の誕生日でした。私はうっかり忘れてしまった。朝の挨拶でも、行ってきますの玄関先でも。そうして電車の「行ってきますメール」を送信して、はたと気づいた。「あ、きょう彼女の誕生日だった」 すぐに訂正してメール送信するも遅し。彼女は悲しんでいた。私の目の前には、仕事が待っている。電車の中で、できるだけ目の前のことに集中しようと思った。続きを読む

純粋さという「業」について語る

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上の画像は「過去を持つ愛情(人間交差点より)」という短編のいちシーンです。32歳の独身女性で、彼氏もいない。今から20年以上前の作品なので、32歳はいわゆる「オールドミス」という扱いとなる。そこへ世慣れた感じの後輩が、上記のような不躾な言葉をいいます。続きを読む

【速報】線維肉腫フォローアップの結果

まるろぐご覧のみなさまへ。

本日、K医科大学病院で背部線維肉腫の術後フォローアップがありました。
胸部CTを撮りましたが、肺に転移は認めませんでした。
また、背部原発巣も局所再発はなし。

ホッと一息です。

台風とのからみで昨夜は京都市内のホテルで一泊。
一人カラオケなども楽しみました。
ま、それは余談ですが・・

次回は来年1月15日の予定です。また胸部CTを撮ります。
じわりとインターバルが長くなるのが、
ちょっぴり嬉しいです。(約五ヶ月)
でも、これからも気を引き締めて生活したいです。
とりあえず、よかった。
やっぱ、再発の可能性はゼロではないですから。
よかった、よかった。
取り急ぎ、お知らせいたします。

まるちょう拝

あなたは神を信じますか?

アノスイマセ〜ン、アナタハ神ヲシンジマスカ〜?

京都駅近くの路上で、こんな風に外人さんに声をかけられたら、あなたはどうしますか? たぶん、そそくさと走り去るだろうね。路上で立ち話するには重すぎるテーマだし、どうせ新興宗教の紹介とかだろうし。でもちょっと待って。「自分が神を信じているかどうか」というテーマは、一度は突っ込んでおくべき問題だと思うんです。宗教や信仰という根源的なものと、自分という個人の位置関係。

昨年春から今年の春にかけて、苦労して「カラマーゾフの兄弟/ドストエフスキー作」を読了した。この大作は、一回読んだくらいでは、凡人たる私の方を見てくれないだろう。ただひとつ、どうしてもひっかかるので三回読み直した箇所があるのね。「大審問官」という部分で、本作の前半における核となる箇所。カラマーゾフ家の次男イワンが、三男のアリョーシャに聴かせる非常に長い科白。イワンはインテリだが無神論者であり、アリョーシャは純真な修道僧である。つまり立場としては真逆なのです。酒場でイワンがアリョーシャに滔々と話して聴かせる「大審問官」は、ある意味アリョーシャに対する挑戦状だったかもしれない。イワンはそれほど、アリョーシャという弟の存在を認めていた。続きを読む

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