著者:無記名

 正体不明の不審者でしか無い私が、好きな事を好きなときに好きなように書いていきます。暇で暇で仕方ない時にだけご覧ください。そうでもしないと貴重な時間をむだにしてしまいますよ。

 名前はありません。すみませんごめんなさい許してください。

 小説を書く時に、物の名称を調べる事がよくある。
 たとえば、和菓子に付いてくる、あの平べったく先が尖った和菓子を食べる道具。あれは『黒文字(くろもじ)』というのだそうだ。でも、黒文字と表現しなくても『菓子楊枝』や『お菓子に使う楊枝』でも良いのだが、それでも黒文字と表現するとなんとなく上品に見える、気がする。

 さて、そんな事もあり、つい最近も検索する事があった。
 手の部位の名称で、手の平の親指の付け根の膨らんだ部分、を調べようとした。それで『手 部位 名称』という検索を行おうとした。
 しかし、そこで私は止める。その理由は、検索候補にあった。
 最近の検索エンジンでは、同じ単語を検索した他の人が、併せて検索した単語が出てくる。その検索候補にこんな候補があった。
『手 部位 名称 チョップ』 …………チョップ?
 思わず笑ってしまった。いや、笑い事ではないのかもしれない。チョップ攻撃を受けた人が日本国内に少なくとも一人は居るかもしれないからだ。
 でもまあ、実際は私のように文章表現で必要になったのかもしれない。確かに、ただ『右手でチョップした』と書くよりも『右手の掌外沿で殴打する』と表現する方が、痛そうではあるし強そうでもある。しかし、掌外沿をショウガイエンとすんなり読める人が世の中にはどれだけ居るだろう。ここはちょっとコミカルに表現するなら『右手を振りかぶり、勢い良くチョップをお見舞いした』で、緊迫感を出すなら『素早く右手の手刀を繰り出した』と私なら書くかもしれない。
 専門用語や正式名称も良し悪しではある。専門用語や正式名称は知的に見えはするかもしれないが、乱用するのは難解な文になってしまうものだ。

 いつの間にか話題が逸れてしまったが、『手 部位 名称 チョップ』を検索した人が、検索して得た知識を平和的に使った事を願いたい。

 ふとした瞬間に「普通ってなんだろう」と思い立った。

 普通という言葉は、漠然としている。そしてとても曖昧。
 例えば、コーヒーをブラックでしか飲まない人が居たとする。その人にとって、コーヒーをブラックで飲む事は『普通』である。 そしてコーヒーをブラックで飲む人が圧倒的に多い社会では、その人は『普通』であり『一般的』であると言われるのだろう。でも、その人以外が、コーヒーにミルクや砂糖を入れて飲む人ばかりの社会だったら。その人はいきなり『異常』や『奇抜』になる。
 普通という言葉は、強固な盾になり、残忍な剣にもなる。
 人という生き物は「普通じゃない」そう言われると傷付くものだ。『普通』という前提は、周囲との一体感を増して自分が大きな社会の一部。野生動物で言う群れの一部だという実感を与えてくれる。しかし、その『普通』が無くなると、 サバンナのど真ん中にたった一匹で放り出された草食動物のような不安感が襲う。
 そして最も怖いのは「お前は普通じゃない」「普通の事も出来ないのか」「普通、考えれば分かるだろう」そんなやり方で『普通』を振りかざして他人を攻撃出来てしまうことだ。
 社会で『普通』 である事が安心感をもたらしてくれると同時に、社会で『普通じゃない』事は孤独感や疎外感を際立たせる。そして、それを他人に対して意図的にやってしまう人も居るのだ。

 私はいわゆる『普通じゃない』 と他人から評されるような人間だ。だから、幼い頃から『普通』とは無縁の生活を送っている。でも、その『普通』は、何処かの誰か達が寄り集まって、私意を集めて摺り合わせて、そして作り上げた『普通』だ。私にとってそれは『普通じゃない』むしろ私にとっては、『普通じゃない』私が『普通』なのだ。

 世の中、社会は理不尽なもので、普通は変わる。
 少し前だったら普通だった事が、時期を過ぎれば変わっている、遅れている、異常となってしまい、更には接する人それぞれで普通は違う。
 刺身にわさびを付ける人付けない人。連絡手段がメールの人、電話の人、LINEの人。車を運転できる人出来ない人。する事しない事、出来る事出来ない事、色んな事がその人達にとってはそれぞれ普通でなのだ。そう考えると、普通という言葉は難しいと思えてくる。

 でも、難しいながらも分かる事がある。
 それは、『普通という言葉だけでは、人の全ては言い表せない』という事である。そして願わくは、普通を残忍な剣として扱う人が一人でも減ってくれれば良いと思う。

「笑顔ない」とコンビニ店員に重傷負わせた疑い 男逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160104-00000035-asahi-soci

 こんな記事を最近見付けました。これを見た時の私の感想は「ついに事件にまでなる人が出てきたか」という感じてした。

 昔から「お客様は神様だ」なんて言葉をよく聞きます。確かに商売をしている方々からすれば、自社の製品を買ってくれるお客様は、それこそ神様でしょう。ですがこの言葉、最近は『客自身』が使っているように思えてなりません。

「お客様は神様だから、暴言吐いても許される」
「お客様は神様だから、無茶苦茶な注文をしても許される」
「お客様は神様だから、店員はお客様である自分に絶対従わなければならない」

 そんな事を思っているような人が多く見られます。そして、そのような人は、あくまで私だけの認識ですが、大人の、それも中年以上の男性に多いような気がします。

 正直、そういう方々には何を言っても無駄なのです。酷く怒っている方に落ち着くように声を掛けても、火に油を注ぐだけにしかなりません。
 それは分かってはいるのですが、やっぱり悲しいものです。

 私にとっては『お客様は神様』というよりも『店員さんは神様』です。
 私が買い物をする時、店員さんがややこしそうなレジを操作してくれないと、私は会計が出来ません。それは仕事なのだからやって当然。という意見の方も居るでしょう。でも、私は「お会計をしてくれてありがとう」と思うのです。まあ、私がおかしいのかもしれませんが……。

 私達の生活の裏には、沢山の人の苦労があります。

 土木作業員の方が暑い夏寒い冬に頑張ってくれているから、私達の生活を支えるライフラインはいつも円滑に動いています。
 夜中に大きなトラックを運転して物を運んでくれる運送業の方が居るから、地方では手に入らない物も注文すれば手に入れられます。

 他にも、色んな方々が見えない所で頑張って、私達の生活が支えられています。だからもっと人は感謝をするべきだし、逆に感謝をされるべきだと思います。

「いつもありがとう」「いつもご苦労様」こんな言葉を言われて嫌な気持ちになる人が居るでしょうか? 私は居ないと思います。そしてそういう言葉は、言っている自分自身の心も温かくしてくれます。

 多分、他人に対して感謝の気持ちが少しでも持てれば、今回のような寂しい事件は無くなると思います。
 それにまず感謝の気持ちが持てれば、その後には嫌な感情も浮かばないから、自分の気分も明るいままです。

 いつか、そんな世界になったらいいな。

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