2005年09月

2005年09月30日

読書とネバーランド

前々回上京した時、(いつも夜の10時45分、駅に着き家に帰るのだが、)疲れて次の行動が出来ないでいた。朝起きてからずっと時間に追われっぱなしで、身体が空くと何かしなくてはいけないような強迫観念が身に付いてしまっているのに、どうにも身体が動かない。・・・ちょっと横になろう、でも貧乏性で、その間にも何かしなくてはと思い、リラクゼーションもしておかなくっちゃと云うことで、ビデオ映画を観た。

二度同じビデオを借りた。前はパソコンをやりながら横目で見ていて、よく判らないながらも感じるものがあったから、じっくりもう一度観たかったのだ。ジョニーデップの「ネバーランド」。

ピーターパンが出来た頃のお話し。すっごく良かった。なんだか久々と云えるぐらい、心のどこかで待っていたようなしっとりとした情感の映画。お薦めです。皆さんも是非見て下さい。泣けてくるのは判っていたはずなのに、ティッシュペーパーを用意してなくて、慌ててコポンタのオシッコシートを何度もハンカチ代わりにした。(使用前のだよ!でも涙をよく吸い取って意外とヒット)

人生半ばをすぎ、ある程度の年になれば日常にも慣れきって、物事にもそんなには動じなくなる。だからこそ、泣きたいときには泣き、怒りたいときには自信を持って怒るのもありみたいな、そういう意味では喜怒哀楽を素直に感ずるままに生きてもいい時期になったのだと思うのだけど、なんか違うなーって。

なんか一本筋が無くなった。TVのワイドショウよろしく、ただただ感心したり、憤慨したり・・・感情のウェーブ丸出し。世の中の流れに沿って、同じ時間だけが自分にも過ぎて行き、物事を深く考えるとか、抽象的、精神的な物思いに耽ると云うことが最近無い。私はよく軌道修正という言葉を使うけど、常に原点に戻れる精神状態でなければ、方向性を見失う。だから、なんか不安になる。

そんなときには読書に限る。活字と自分だけという空間を作って、活字との間に空想する力を養い自分を取り戻す。本来、何を目的として生きていたいのか、どんな自分でありたいのか、薄れていたものを見つけだし、身体に筋金を入れる。

私は、大して本も読んではいなくて平均的だと思います。文学少女と云うほどでもない。当たり前の読書歴。

小学三年の時に風邪をひいて休んでいたら、亡父がベッドに三冊の本を持ってきた。「シャーロックホームズ」と「ホ−ムズ名探偵」それと、6僂發△襪茲Δ癖厚い「今昔物語」というのが最初に読んだもの。

中学の時には、ご多聞に漏れず、ヘルマンヘッセに夢中になって、隣の机の二宮さんに「デミアン」と呼ばれていた。その二宮さんは「赤毛のアン」がマニア的に好きで、ギルバートに夢中。誘われて読んだけど、特に好きではない。それからSFにはまり、あとはいつしか「アンネの日記」から深みにはまって、ユダヤ人大虐殺の本を読みあさった。来る日も来る日もゲシュタポとかゲットー、ヒットラーという言葉に埋もれて、今では見るのも嫌だ。「シンドラーのリスト」とかは内容も知らないのに絶対観たくない映画のひとつ。

ロシア文学の「アンナカレーニナ」「戦争と平和」「静かなるドン」そして大大大好きだったのが、ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟。サルトルやボーボワール、カフカの「変身」とかカミユの「異邦人」なども常識程度に読んだ。(けど全部忘れた)「ライ麦畑でつかまえて」などのサリンジャーが大好きで、太宰治、三島由紀夫、の大ファン。でも、ちょっと変わったとこでは、亡父が読みなさいと渡してくれた「半七捕物帖」。岡本綺堂という人の昔のままの本だったから、完全には判らないのだけど、とにかく目立った技もないのにとても時代っぽくて、怖い感じがしてこれも叉夢中になって、亡父の書斎にしょっ中転がって読んでいた記憶がある。

気が付けば、私はあまりフィクションの現代小説には興味がなくなっていて、推理小説でも色々なのは読んだけど、ノンフィクションっぽい、松本清張の「小説、帝銀殺人事件」とか「2,26事件」、或いはキムヨンヒの「大韓航空機爆破」の手記だとか、宗教を脱退した人達の本だとか、そんなものしか心に響くものがなくなっていた。かじってかじって、あらゆる宗教の本には興味がある。人に語るほどの知識はない。

そんなことを言いながら、横溝正史の怪奇ロマン推理小説は41冊も読んだよ。もう止まらなかった。結果言えることは、全部がごちゃごちゃになってしまい、殆どの記憶が無くて、怨念、因縁、血縁、超美形の女性、謎解き、金田一耕助のとぼけた不潔な感じが一色たんで、全体、大きな1冊のストーリーみたいな覚えしかなくなった。

あとは・・・じゃーーーん!!そうです、云わずと知れた時代小説じゃぁ!大体の日本史に添ってを読んでから、それぞれの興味のある部分の難しい本に入っていく。「古事記」「日本書紀」「飛鳥時代」「平家物語」「吾妻鏡」「法然」「親鸞」「日蓮」「足利尊氏」「戦国時代」のそれぞれ、それと天皇のお話。

なぜか全然興味がないのが、幕末とかの坂本龍馬とか、新撰組。忠臣蔵もそうだけど、好きじゃないのに、嫌と云うほど映像では見た。

私は一度何かに興味を持つと、例えば、シェークスピアだったりすると、(これも随分、はまった)その関係は出来る限り、問いつめ追いかける。日本人の演ずる舞台は無論のこと、ロイヤルシェークスピアが来日すれば「真夏の夜の夢」の観劇。本から始まり、バレエや映画も観て、あらゆる角度から、知り尽くしたい。本で読んだものを歌舞伎などで見直して、役者が好きになると、その人の作品は全てみると云った具合。そうして色々練りだして、オリジナルなことを考える。

今はその全部を出来なくなったけど、何の未練もない。無い物ねだりの感覚はあまりない。逆戻りも嫌だ、もう一度若くなりたいとか、昔に戻りたいとかは全く思わない。散々飛行機に乗ったのに、もう一生涯、海外にも行きたくない。どんどん先へ進むわ・た・し。(?)

話が逸れだしたけど、何を云いたいのかというと、ウッヒッヒッヒヒ(←出た!)私の聖書と云える本、山岡荘八の「徳川家康」を叉、読もうと思ってるのだよ。どうだ!参ったかぁ!ーー(意味不明)

どうも、最近見失いがちな筋金を新たに一本。身体にグサーッと突き刺そうと思っています。全26巻みな読むつもりはない。大好きな6巻から始まって、あとはところどころ。とにかく私の生き様にはあれこれ参考にもなるし、役に立つ。

それで、凛々しかった自分(?)を思い起こして、これからの池ワンの未来に向かって励むのじゃーー!要するにちょっとたるんでると云うことかも知れない。やっと涼しくなったのだからボヤボヤはしてられない。

皆さんも是非、本を読んで下さい。そして、読書歴を教えてね!!

今日は、昨日に続き渋谷の事務所の千秋ちゃんがこちらへ来てくれて、色々お手伝いをしてくれました。新しい写真も撮ったので、そろそろHPトップの写真更新です。もうすぐ消えちゃうから今のうちに可愛い子ちゃん達を叉見ておいて下さい。

皆さんからは宅急便も届いてワン共々堪能していますし、北九州のことも忘れていないし、新しいボランティアさん達に住所をお教えすることも延び延びにはなっていますが、必ずお返事します。もう少し時間を下さい。特に支援して下さっている方々には、出来ればそちらから、もう一度、「届きましたかー?」と云う様なメールを頂けると有り難いのですが。

一度のメールチェックが例えば20通あったとしたら、そのうちの17通ぐらいが迷惑メールです。着信拒否をしても次々と新しいアドレスで入ってくる。削除にも一苦労。皆さんの件名に内容が記してあれば探しやすいのですが。なかなかお返事が出来ないこと、申し訳なく思っています。でも、感謝の気持ちは一杯です。

それでは、今からワンの世話に出ます。冬が待ち遠しい・・・、凍えるほどの厳しさだけど、若い頃とは違って、今は冬が好きです。

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Ikewan









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2005年09月29日

仮眠が睡眠?

今、東京から帰ってきました。疲れすぎです。電車が7分遅れ、最終の乗り換えに間に合わず、皆で抗議をしたところ、JRが代行タクシーを出すと云うことで、それはそれで又、時間がかかった上に到着した駅から歩くことになり(剛ちゃんは、もう迎えには来れない))ドッと疲労感、1週間、日記を書けなかった言い訳をしようとしても、目の前の出来事をこなすだけで精一杯。

ポンタと小太郎以降、新たに成犬2匹を引き取ったのですが、そう簡単にはいきません。ハウスの準備をすれば、その分、単純に世話の時間が延長し、休憩が短くなり、サイクルが狂ってきます。休日がないので、軌道修正は普段の日にしなければ元には戻りません。なのに、通常の労働は相変わらずはるちゃんを入れれば3人だけ。無理に決まってる。

私はいつからか、主人が休憩している間に用事をして、(と云うことは朝から休みなし!)ここのところ、夕方ワンの世話の再開が始まったあとに仮眠をするようになってしまいました。それが何故か、9時頃寝て11時半頃起きる、2時間半の仮眠の筈が睡眠に代わり、その後起きてワンの世話を始め、夜明けに車中で仮眠。・・・ですから、日記を書くという時間が見出せない。眠くて眠くて朦朧としていました。

深刻なこともあれば嬉しいこともある。お伝えしたいことが沢山ありますが、黙っていれば溜まりすぎて、僅かな文中、焦点をどこに充てればよいのか何も書けない。とにかくこんなご報告、ちょっと疲れているので、叉明日。

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chupiwanwan at 00:38|Permalink

2005年09月22日

勝手な解釈。

主人と私は、知らず知らずのうちにワンちゃんに対して、独特な考え方を持つようになりました。長い間、見て、感じ取っただけの科学的根拠も何もない判断・・・と云うよりは思い込み。

年少の小太郎と年長のポンタが我が池ワン家に来たときから、すぐには言葉に出さなかったけれど、お互い心のどこかで、ノラのケンの魂がまだ生まれて間もない小太郎に乗り移ってきたのだと確信していた。

「ケンはもう死んでるね、だって、小太郎が来たもん」「うん、そうだよ」。だから、今までは触ることも叶わなかったケンを想い、小太郎をギュッと抱きしめ耳元で囁く・・・、「ケン!やっと抱っこが出来るねぇ」。

ケンはきっとどこかで誰かに殺された。判らないのにそう思えてならない。でももう、その事はいい。

ケンの魂が天空を彷徨っていたときに、遠い街の見知らぬ家の玄関に置き去りにされた仔犬を見たのだ。「ようし!あの子にしようっと」、ケンの脳裏にはきっと池ワンのことしかないから、すぐさまぴゅっと仔犬の身体に乗り移った。

・・・だからこそ、そこの家の人達は自然と池ワンに導かれたのだ。ケンと私達が果たせなかった夢として、今度は仔犬になれば沢山ふれあうことが出来る。形を変えて初めて甘えることが出来る。私達もそれに気付くことをケンは知っているのだ。

いつまでも忘れるもんか!ケンはれっきとした池ワン家族の一員だ、その存在は大きかった。大大大好きだったケン。

私は、何度も不思議な体験をした。
以前、不慮の事故で加奈というワンを亡くした。悲しくて寂しくて、悔やみながら毎日が過ぎ、丁度四十九日になった日、剛ちゃんが二匹のわんを連れてチャリンコ散歩をしているときに、ぐいぐい引っ張られていつもと違う道へ行った。田んぼの先の川に着いて、なんと土手の所で草むらと見分けの付かないような小さな小さな、まだ目も開かないワンを一匹見付けた。あと数分遅かったら、きっと日射病で手遅れになっていたと思うほど太陽が照りつけている日だった。もし、人間だけだったら、こんな途方もなく広い大地で目に止まることなど不可能だったに違いない。

預かった私はすぐに手当をして哺乳瓶でミルクを与え、寝かせてから、もう一度、その子がいた川へひとりで向かってみた。その先には小高い山があり、私は生まれて初めて不思議な虹を見た。

それは山の手前に、綺麗なおたいこ橋のように色もくっきりと半円、根本と云うのか、両端が地面に食い込み、僅か直径200メートルもない、行けば下をくぐれるような目の前の小さな虹だった。空にではなくて山より低く全体が目の前にある。あたりには誰もいない。その時私は自然に加奈のことが目に浮かび、強く確信した。

加奈が天国に昇るのだ。それを私に見せている。「お母さん、私の代わりに赤ちゃんをおいていくよ、遺りの命はその子にあげたの、加奈も一緒に見ているから、きっと大事にしてね、」そう云っているようだった。私も声にして応えた。「加奈ちゃん、虹のこと判ったよ、今までどうも有り難う。きっと大事にするから、これからも見ていてね。」その子は美加と名付けました。

ヒカルが亡くなったあとも、不思議な鳥を見た。真夜中の2時頃、車のライトの前、しかも道路の中央に身じろぎもしないで、見たこともないような鳥が仁王立ちになってこちらをじっと見つめている。剛ちゃんが思わずブレーキをかけ急停止した。それでも動かない。

怪我をしているのかと思って、私が車から降りた。・・・とその時、正面を向いていたので、大きさも判らなかったけど、ゆっくりと翼を広げて舞い上がった。・・・前を横切ったあとを目で追ったら、なんとその後ろ姿は、鷲のように大きくて、ゆったり羽ばたきながらあっという間に姿を消した。未だに見たこともない、何の鳥かも判らない。

剛ちゃんと言い合った。「きっと、ヒカルがお別れを言いに来たんだね。」

涼君を保護したときのこととか、まだまだあるが、前触れ無く肌で感じる、そう思えるのだから疑うことはしない。

そして、いつも思うこと。
ワンの不思議さ加減。どう考えても池ワンちゃん達は何もかもがお見通し、だから自分達の食い扶持は自分達で賄っているような気がしてならない。この意味分かるでしょ?

6年前のこと、多くのわんを抱え、引っ越し先が見つからず困っていたのに、まるで降って湧いたように、こんな環境も良く理想的で広い土地が見つかった。経緯を思い起こすと奇跡としか考えられない。だからわん達がお父さんお母さんに苦労はかけても心配はさせないよう、自分達でなんとかしたよ!と言っているような気がする。

今だって、池ワンちゃん達を守ってくれる人たちがいる。HPではお澄ましして写真を撮り、一生懸命可愛くして、訪れる人達にはちゃんとご挨拶をして、気に入ってもらえるように振る舞う子供達。可愛くて、けなげで、今まではうんと可哀想だったから、その分、皆が協力して助けてくれる。・・・ねっ?どう考えたって、自分達で働きかけて賄っているんだ。わんは不思議な力を持っている。

不思議パワーの不思議ワールド。生きている間にそんなことを味わえて、池ワンワールドが出来つつある。ひと足先に旅立った子達も、皆生まれ変わったり色々で、・・・充分、勝手な解釈、納得のいく満足感で一杯です。

P.S  
昨日、今日とメールのお返事が出来ませんでした。ごめんなさい。新しい方達HPを見て下さってありがとう。住所は明日メールしますね。昨日、新人犬が来ました。そのお話は叉今度。それと、ボラちゃん達から「小次郎は元気?」とか「コポンタはどうしてますか」と可愛い勘違い。何故か私達も、コポンタと呼んでます。じゃ、叉!

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Ikewan


chupiwanwan at 03:02|Permalink

2005年09月19日

えらいことになった!

昨夜は、日記を書いてから、午前3時半までワンの世話や後片づけにかかってしまった。剛ちゃんが、ヒナグループを部屋に入れようと、最後の散歩をしていた。散歩と云っても放して勝手にさせて、即集合。・・・剛ちゃんが、「ピュウ、ぷっちんーー!」と小声で呼んでいる。いっこうに去る気配がない。そのうち、軽トラックが走り出し、ヤレヤレと思ったら、戻ってきた。

二人がいない!!!ぷっちんと、ピュウが外に出ていったらしくて、戻らない。もしかしたら雑草が伸びきっているので、リードが絡まったのかも・・・。

二手に分かれ、私は池ワン広場をつぶさに探した。真っ暗で、胸まである草の根をかき分けライトを照らすのだけど、広すぎて容易ではない。剛ちゃんも帰ってきたけど、見つからなかったらしい。

それからというもの、二人で、軽トラでそこら中を探し回った。段々焦りも増し、このままではどうなる、見つからなければどうなるのだろう。・・・ぷっちんとピュウが迷子になり、「戻ってこないね、仕方ないね」と云う段階の話ではない。そんなことあり得ないし、今、見つかるまで探さなければ外なんて滅多に行く子達じゃないので、状況は最悪になるばかり。

田んぼや畑、真夜中にありったけの大声で叫びまくった。ピュウは大人しいのでともかくも、ぷっちんが反応するはずだ。だけど、広大な田畑は静まりかえっている。

空が白々明けてきた。お向かいの山にも登った。今夏は忙しくて滅多に登れなかったのに、丁度、ボランティアさんがお弁当を作ってきてくれたので、皆で頑張ってワンの世話を済ませ、久々に剛ちゃんも行くことが出来、楽しいひとときを過ごしたばかり。まさか同じ山に、こんな悲惨な思いで戻ってくるとは・・・。

国道、50号、あぜ道、もうこれ以上探せないと云うとこまで探し回った。絶望感が湧いてきても、二人の口からは諦めようと云う言葉は出ない。夜が明けてなんと6時半。一睡もしていない。前日もハードだった。それなのに、休む間もなく再び朝の散歩の時間がやってきた。今日だって延々17時間ワンの世話、途中の休憩だってずっと先だ。どうにかして剛ちゃんだけでも寝かせなくちゃ。

私は絶対に東京へ行かなくてはならない。しかも、事務の千秋ちゃんは夕方5時で上がる。明日から1週間有休に入る。・・・万事窮す。

7時前、私一人でワンの世話を始める為に、車を降りることにした。すでに予定の電車には乗れないけど、見つからなければ東京へは行けない。

一体どうなるのだろう・・・。もう主人と私は疲れ切ったのもあるけど、何を話したらよいのか判らず無言。

池ワンに辿り着く中学校を通り過ぎ、あぜ道に差し掛かったとき、ふっと横を見たら!!!!!!!!!!!!、向こうからドロドロになったぷっちんとピュウがヨロヨロ走ってきた。

あーーいたぁ〜〜いたよ!その姿を見て、涙が浮かび、怒る気もしない。「よく帰ったね、よく帰ったね。」二人は私達を見上げて、すまなそうに尻尾を振っている。きっとどこかに引っかかるかして、動けなかったのかも。「それにしても二人よく一緒にいたね。お利口さんだね。お母さん達、うんと心配したよ」ぷっちんとピュウは私達の顔色を伺いながら、慣れた仕草で車に飛び乗った。私はぐったり涙が止まらない。

あぁぁあああぁぁ、電車を三台見送った。1時間に1本だ。今からお風呂に入って、12時22分の電車に乗り込む。着くのは午後の3時。大変だ、えらいことになった。

こうしちゃあいられないんだよ!・・・アセッッアセッッ!
こんな時間に日記を書くのも珍しいよね、焦ったって電車は滅多に来ない。じゃあね。とにかく良かったーー。

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Ikewan







chupiwanwan at 11:31|Permalink

丸山さん。

丸山さんって、誰?って、今頃になって逆質問したくなります。単純間違いで、北九州の方は丸山さんではなくて金子さんでした。済みません。どこをどう勘違いしたのか、先方に電話もしたし物資も送っているのに、日記を書いているときだけ、丸山さんになってしまいました。

翌日、気が付いたのですが、「丸山さんはいかがですか」とか「丸山さんの住所を教えて下さい!」とかのメールを頂いて、とにかく恐縮しながらも早く訂正しなくてはと思いつつ、今になってしまいました。でも、皆さんが真剣に「丸山さん!」と云うのを読んで、なんか可笑しかった、ごめんなさい。他、色々なご報告をします。

今も時間が無くて、これからワンの所へ行くのでかなり焦っています。仕事が溜まっちゃって手に付かない。時々、押し寄せる問題をこなせずアップアップの状態が巡ってきます。ほんとになんでもあと一歩足りない。人手が欲しい。時間が欲しい。頭がもう二つほど欲しいです。

近所のおばあ犬のまるちゃんは、峠を越すことが出来、まだ少し不安定ですが、立ち上がれるまでに戻りました。家に帰りましたが、毎日様子を見に行ってます。まるのお父さんとも話してますからご安心を・・。

ここで考えたことは、今回まるの介護にあたって、色々なもの・・・、栄養ドリンク、サプリ、流動食(スパシチュウ等)、翔ちゃんのために送っていただいたものがとっても役に立ち、感謝すると共に、いつでもこうであったらなーと切実な気持ちを抱きました。

この活動を初めてからと云うもの、萬年予算が足りなくて、いざという時に手元に何もないことが多い。赤ん坊犬を保護すれば、慌てて哺乳瓶を買いに行ったり、新しい子が来れば、間に合わせのハウスを作ったり・・・。いつも追われるように対処していました。とにかく、終わり無き戦いに自己負担では賄えるわけがない。

でも今回は、まるの症状に合わせて、手の届くところに色々なものがあった。皆さんのお陰です。そしてそれが理想でもあります。皆で力を合わせて進んでいく。そんなことが夢です。

ボランティアと云う言葉に苦手な人が多くいるのもよく判っています。「好きでやっているのだから、自分達で賄うのは当然で、寄付を募るのはおかしい、」だとか、「弱音を吐くな」とか、「お金もないのに犬を救うなんて言語道断」とか、あらゆる反論で事の事態よりも人を攻撃する場合が多いけど、私はもうそんなことはどうでもよくなっています。

インターネットをやらない時分は、家財道具を売ってまで、わん達の経費に費やしていましたが、売って売って売りつくした時につくづく思ったのです。こんな悪循環、いつまでやっていてもきりがないし自虐的な自己満足に過ぎなくて、あたりを見渡せばちっとも捨て犬が減る訳じゃない、と云うことに気が付いた。(いつも書いていることですが)

同じ考えを持っている人達に声をかけ、皆の力でやっていけば、理想に近づくことも夢ではない。ボランティアにご理解頂けない人達には、ただひたすらやり抜く姿を見せるしかない。

「出来る人が出来ることをする」。以前、宇宙開発やIT革命よりももっと他にすることがあるでしょうと日記に書きましたが、だからと云って、ホリエモン達が捨て犬を集めなくてもいいし、宇宙開発を中断した方がいいと云っているわけではありません。巷にノラがいたからと云って、即、殺すという手段で始末をするようなアンバランスな世の中がヘンだと言っているのです。

人が転んだら手を差し出すように、目の前に起きたことはごく当たり前に皆で協力し合えば、もっと平和になるような気がします。

ご報告です。翔ちゃんは、ガンも進んではいるのですが、なんと、流動食ではなくて、術後、私が作っていたような手料理やちょっとした固形のものを食べています。食べられるようになったんです!ですから、ほんとにほんとにお陰様で、美味しいものが味わえることもまだ続いています。

チビの小太郎が翔ちゃんにじゃれると、鬱陶しいこともあって、よく「ウーーーッ」って唸っていますが、お構いなしに翔ちゃんの股の間をくぐったりする小太郎に観念して仕方なく尻尾を振ったりしている様子がとても可笑しいです。翔ちゃんが立っている両足の間から、お腹の下にもぐるんです。・・・可愛い!

北九州のお二方のことは、今夜は時間がないので、叉次回に書きますね。実は明日、仕事の為に臨時上京です。祭日返上で事務の千秋ちゃんが出てくれるので、一緒にやり残している仕事の整理をします。かなり焦っています。

ノラのケンは戻ってきません。胸が痛むので、これ以上は書けませんが、やはりもう、この世にはいないものと思っています。

捕まえることが出来なくて放し飼いのような状態ではありましたけど、小さな村のような所で、のほほんと習慣付いた暮らしをして、事故を起こすわけでもなく、本人も私達も、そして誰よりも池ワン達がとても楽しくしていました。・・・もし、犬狩りで殺されたのだとしたらあまりにむごいと思います。だけど、「帰ってくる」と云う期待を持つ方が辛いし、非現実的なので、そうは思いたくありません。

大型犬のメイちゃん(HPトップの真ん中、一番下の写真)が養女になること!、決まりそうです。とてもお優しい家族の一員になれそう・・・。しかも都会の真ん中。大丈夫かなぁ〜〜、でも興味津々。心配しなくても幸せになれる!と云う感じでした。

最年長の「ぽん太」もすっかり慣れて、自分のお散歩の順番が来ると吠えて催促します。痩せていたのですが、身体もがっしり安定してきました。毎朝、小太郎と一緒にお散歩するのですが、順調に大きくなってる小太郎は、帰りに他のお兄、お姉ちゃん達の所へ勝手に遊びに廻るようになりました。

これからの1週間、新しい子2匹を迎えます。どんな子達だろう。・・・叉々、池ワンの楽しさを早く教えたい!!とにかく頑張らなくっちゃ。

ボラちゃん達が続々お手伝いや見学に来てくれています。助かっています。今日も昨日もその前も、やっぱり池ワンを見た人達は、わん達が可愛くて、表情が豊かで楽しそうだと口々に言ってくれます。私は忙しくて池ワン以外のワンちゃん達を見るヒマがないので、皆同じじゃないのかなーって首をかしげ半信半疑なのですが、毎度、それがなにより嬉しいこと・・・。

夢は繰り返し思わなければ叶わない、らしい。繰り返し祈っていれば叶う、らしい。・・・早く、皆が集まれて、お手伝いしてもらって、お喋りして、休める施設を造りたいな〜〜。

毎日忙しすぎて、てんてこ舞い(こんな言葉知ってる?)なのに、よせばいいのにレンタルビデオで米国TVドラマ「24」シーズン犬鮗擇蠅討てしまった。じっくり見ている時間はないので、何かしながら横目で見ているのですが、気付くと座り込んで画面から40センチ。ハラハラドキドキ、・・・これ以上、心配の種はいらない筈なのにドラマでも焦ってる。

それじゃあ叉ね!
そうそう!注文したフードが沢山届いたよ。おやつもどっさり。ボラちゃん達も送ってくれたり、届けてもらっている。北九州に送るつもり。叉、協力してね。その説明は明後日あたりにね。

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Ikewan



chupiwanwan at 01:26|Permalink

2005年09月15日

近所のおばあ犬、まるちゃん。

が、死にかけています。ずっと、そばについているのですが、おうちの方達は留守でまるひとり。今は落ち着いていますが、放っておけない状態です。

昨日から2日間、まるちゃんの世話を頼まれたので、夕方、もう暗くなってから行ったら(ご主人がお昼過ぎまでいたので)、まるが待っていたかのようにハウスからヨロつきながらも飛び出して、そのままバタンと倒れ痙攣し始めました。昨夜は慌てましたが、まるは15才、発作も度々になり、ここのところ気になっていたのでいよいよかも・・・と云うものを感じました。

縁側に座って、じっと抱きかかえていたのですが、ダンゴムシのように丸まって震えています。いつもは痙攣したらのけぞり呼吸困難になるのに、今回はちがう。チャリンコで行ったけど、どうにかしてうちに連れて帰らなければと携帯で連絡を取り、はるちゃんに来てもらいました。

まるは、すごく臆病で環境の変化をとても嫌がります。寒い冬、お正月だけでも家の中に入れようと思って、ご主人がお布団とか用意するのですが、部屋の片隅でブルブル震えが止まらないらしく、毎年断念するらしい。

2年ほど前から、家主のお二人とも仕事の内容が変わり、家を空けることが多くなったから、その度に仲良しの私達が世話をしていました。台風などの日は心配なので、まるを池ワンに連れて来て、安全な車の中に入れることも数回あったけど、あまりに怯えて気の毒なぐらいでした。でも、まるには理解できなくとも一人きりにさせておくなんて出来ませんから。

昨夜は様子が違いました。抱っこすら嫌がるまるが、しがみついて顔をうずめています。・・・何と云うか、私は口では言い表せないのですが、その時々に感じるものに合わせて判断します。うちにいるまるの抵抗しない姿が自然と目に浮かんだので、迷わず翔ちゃんとももと、小太郎の待っている部屋へ連れて来ました。案の定、まるは震えるどころか、安心した模様。

もう、それからのことは、淡々とは語れません。
身体が安定しないから、ずっと抱くか支えるかしていたら、ボロッと2,3匹ダニが身体から落ちてきました。あらっと思ってまるの身体をさすりながら、何気なく毛並みを見たら、次々にダニを発見。・・・私にしてみれば、そんな驚くほどのことでもないので、ご主人が薬を付けたと言っていた時のことを思い出していました。

遠慮しなくても、まるの分ぐらいのフロントライン(ノミ、ダニ除け)はあるのに、ホームセンターで買ってきたと言うので、・・・そうではなくて、市販のは効かないものが多いから、動物病院で買わなければダメだということ。でも、忙しくて、買いには行けないだろうから、そういうことは私達に任せた方が、効かないものを買うほど勿体ないものはない、と云うことを伝えたかったのだなんて思い出したりしていた。

どう書けば臨場感があるのか、結果から云うとダニはまるの身体中、多分1000匹単位。1万匹はいないだろうけど、無数のダニがまるの耳の中まで占領していた。ゲッとなって、手で取れるだけ取ったらあっという間に2時間が経ち、真夜中にやっとフロントラインを付けた。

問題はそれからだった。ワンの世話をしながらなので、寝床を作ったり、半徹夜状態になってしまった。翌朝の今日、まるはだいぶ落ち着いて、身体は斜めになってはいるもののじっとしていれば死の淵からは脱したように見える。涼しくて、私達が頻繁に様子を見られる場所に移動しようと抱きかかえたら、・・・まるの毛先から、吹きこぼれるようなダニの大群が浮かび上がっている。

フロントラインが効いていよいよ身から剥がれて来たのだった。生きているのも死んでいるのもいる。全身から血を吸われ・・・。まさか、こんなにいるとは思いもよらなかった。昨夜だいぶ取り、あとは見落とした部分のが少々だと思いこんでいた。

こんな経験も初めてではないので、必至ではあったし時間もかかったけど、一般の人よりは慣れている。ノラ化したワンは保護したときからフィラリアにかかっている子が大変で、ノミやダニなどは当たり前だから。草むらに人目を避けて、うずくまるのだから、ダニがつかないわけがない。仔犬だって赤ちゃん犬だって容赦はない。

昨夜は無理だったけど、今日になり病院へ連れて行こうと思い、やっぱりやめた。だいたいのことは想像できる。15才という高齢からは大した治療は望めない、身体もグラグラしているので、荒療治も出来ないし。それよりなにより、そばについて居るのが得策に思えた。

今もまるは私の横にいる。食欲が全くないので、ワン用の栄養ドリンクを飲ませ・・・、まるはかなり落ち着いている。

私はね、自分でこんなこと云うのもなんですが、留守を預かっている時にこうなって良かったと思っている。やはり、一般の方では対処方法が判らないと思う。手をこまねいているうちに死んでしまったか、或いは、気が付かないうちにハウスで亡くなっていたと思う。病院へ行けば一人ぽっちで入院、或いは帰されれば同じ事。ダニが直接の原因とは思われないけど、貧血は進みかなりの不快であったに違いない。

いつか、こんな日がやってくることはずっと覚悟していた。良かったーー!!お留守番が多い外飼いのまるには、どうにかして家の温もりを感じてもらいたかったから。

それにしても不思議なぐらい、安堵した顔をしている。きっと、自分に危機が迫っていたことを感じ取っているのだと思う。・・・今も、顔を撫でたよ。ちょっと前に顎をつきだして、気持ちよさそうにしている。一緒にいる翔ちゃんは意外と大人しい。

まるで、沢山可愛がってもらいなよ!・・・と言っているような。小太郎も神妙に三つ指ついて、時々顔を舐めたりしながらまるを見ている。こんな仲間がいることも、一人っ子だったまるに味わってもらいたい。

それにしても、予定外のスケジュールで、またもや、宅急便物資援助のお礼や、メールのお返事が全然出来ない。しかも、明日は仕事で上京だ。・・・ごめんね、ゴメンね。御免なさい。でも、まるはあす、最愛のお父さんが帰ってくるから心配ないよ。きっと、そのあとは叉引き取ると思うけど。

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Ikewan



chupiwanwan at 01:29|Permalink

2005年09月11日

泣けてくるお話し。

真奈美さんが、にゃんこを保護しました。これからの生涯の面倒を見る決心をしました。・・・私はあまり根拠のない気休めの言葉は好きではなくて、親類の叔母などが「やす子ちゃんはきっと良いことがある。これだけ懸命にしているのだから、絶対いいことあるよ」とよく言ってくれますが、実際は全然信じていません。(ゴメンね)

だけど、今回に限って、私は同じ言葉を真奈美さんには言いたいです。ほんとに真奈美さんは偉い。感心するし、とても優しい人なんだと再認識します。そのにゃんこは事故に遭い、下半身不随。通りかかって保護したばかりなんです。


4日前、真奈美さんから深夜電話があった。相談とのこと。猫を保護したらしい。車で通り際に目に入った猫がどうも気になって引き返したら怪我をしているらしくじっとして動かない。近づいても逃げる様子もないけど、往来の激しいところなので抱き上げたら、下半身が麻痺している。跳ねられたらしい。

病院へ連れて行く車の中では血だらけで、もしかしたら安楽死させるしかないような状態だった。行きつけの病院では、「生き延びることは出来ても、もう一生涯下半身麻痺で、下の世話をしながらでなくては生きていけない」とのこと。毎回お腹を押して、排便させるらしい。まだ、あどけなさが残る子供猫・・・。一生は長い。

それでなくとも真奈美さんは超過密スケジュール、ダンススクールを経営し、年間いくつもの競技にも参加、と云うことはなかなか休みもとれない。疲労が溜まっていて、いつも励まし合っている。しかも主婦業と両立して、家には大きなワンと他にも2匹、(皆、捨て犬)あと、にゃんこが1匹いる。一昨年は最愛のモモちゃんを亡くして、もう、これ以上は絶対精神的負担にもなって不可能、飼ってあげることは出来ない。下の世話を怠りなくやることは無理。無理であれば不自由なにゃんこが可哀想。

私としても、真奈美さんが飼えないことは分かり切っているし、お勧めできない。同じく、うちの状況も真奈美さんは手に取るように知っており、いつも私達の健康状態を心配し、半泣きで「何かもっと良いことないかしらねー」と嘆いてくれているので、池ワンで引き取ってくれないかなどとはとてもじゃないけど言い出せないだろう。まして、猫となると池ワンにとっても悩みの種になる。

「困ったねー」考えても考えても、良い案は浮かばない。どんな団体さんにだって、下半身不随の子を押し付けるわけにはいかない。皆、ギリギリのところでやっている人しか知らないから。

私はもどかしかった。助けることを拒むことは殆どしないし、したくない。それが主人と私のポリシーだ。なのに、全く自信もなければ無理だと判る。どうすればいいのだろう。その子は背骨が折れているらしくて重体です。

真奈美さんが言った。知ってる病院で、ボランティアの人達の出入りがかなりある所があるのだけれど、そこの玄関前にケージに入れてお金を添えて、置いてこようか。もしかしたら、大事に飼ってくれるかも知れない。究極、そういうことしか思いつかない。

本当にそれが一番の方法のように見えた。でも、一歩間違えれば、私達が悪意で人に押し付けようとしていることになるし、万が一、見つかったりしたら言い訳は通用しない。・・・結論のでないまま、電話を切った。私はまだまだワンの世話があるので、ずっと起きていたからそのことが気になり憂鬱になった。

翌朝、なかなか連絡が付かず、お昼になってしまった。真奈美さんとは、ボクちゃんとチェリママ以来、4年のお付き合いだけど、お互いまったく別世界なのに、とても理解し合って仲がいい。滅多にお喋りする時間はないけど、たまに長話をする。ちっとも変わらず、感心するほども優しさを持っている。

以下に真奈美さんからのメールを張り付けます。
ニャンニャン
『今日お医者さんに電話して容体聞いたのね レントゲン撮ったら 背骨の上の部分が 折れてるどころか 砕けてたって!肛門と傷口にうじがわいて るし、でも神経が麻痺してるから痛みはないらしいけど そうなってから時間がかなりたってるって!上半身は動けて頭もしっかりしてて国道で下半身動けないまま さぞ恐かったろうね しばらく入院して元気になったらひきとります! 食欲はあって性格もいい子だって!こうなると私も主人も来るのが楽しみです!いっぱい、いっぱい 可愛がって すごく幸せな猫ちゃんにしてあげようと二人ではりきってます! そのうち一緒に出勤もするよ!こんな気持ちになれたのも 荒川沖の院長先生のおかげです!ではまたねー!』

電話で、引き取る決心をしたことを聞きました。病院の先生の所にも1匹ずつ下半身麻痺のニャンとワンがいて見せていただいたそうです。とても表情がおだやかで、笑顔。身体の不自由な子は動けなくても満足感があれば幸せになれると云う先生のお話しを聞き、叉、先生が助けてくれるといってくれた。

私は泣けてきた・・・。もう心配することは何もない。一番の幸せの道が見つかった。何よりも最上の幸せを味わえるだろう。真奈美さんの家族になったのだ。・・・暗闇の国道にうずくまって、逃げたくても突然のように動けない。何が起きたのかも判らないままの恐怖。ちいさな動物はそんなとき何を思っていたのだろう。

翔ちゃんが二夜連続で、寝る前に私に寄り添ってくる。いつもは足元で寝ているのに何故か並んで、くっついて寝ている。・・・そろそろお別れが近づいているのだろうか。泣きながら身体をさする・・・。

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Ikewan






chupiwanwan at 01:29|Permalink

2005年09月06日

待機

着替えが全然無い、もう洗濯が間に合わない。今、夜の10時半ですが、これからの台風に備えて待機しています。主人とはるちゃんが先発隊。私は夜中の12時頃から外に出る予定なので、その間に急いで少量だけ洗って、コインランドリーへ乾かしに行きました。Tシャツは沢山あるのですが、下に履くもの(短パン、ズボン類)が足りない。雨具は全滅。もう今朝ので全部使い切りました。

夜半から大雨が襲って来るというのに着る物がない。・・・と云うといかにもちょっとしかないように思われるかも知れませんが、着替えはかなりの量あります。とにかく雨ばかりで、間に合わない。もう今夜は覚悟をして、着の身着のままやるしかない。だけど、問題はそれどころじゃありません。台風直撃、北九州の長松さんへ心配で連絡をしたら、わん達が雨ざらしになっていると言う。

あーーー、胸が引き裂かれそうに辛い。私達だったら、誰よりも力になってあげられるのに遠すぎて駆けつけることも出来ない。長松さんは35匹のわん達を抱え、朝から休みなく動き回り働いているのに、手の施しようもなく、手伝ってくれる人は一人もいない。そんなこと考えられないよ。

長松さんとは毎日のように電話で話をしています。実はとっくにフードも足りなくて、先日、ほんのちょっとだけ送金しました。来週、池ワンで少しまとめて格安フードを購入できそうなので、それまで何とか持ちこたえるようにと話したばかり。

だけど、ほんとはもっと問題がある。

数日前、とある人からメールが入り、初めての方でしたが、やはり同じ北九州で、老夫妻がワンを25匹抱えて困窮しているという。むろんお年寄りなので、(ご主人が76才)インターネットもやらず、年金だけでかなり大変そうです。ボランティアさんが助けているらしいのですが、限界。その叉知り合いの方がネットで池ワンを見付け助けを求めてきました。

丁度うちもフードが足りない時期で、日記に書いたばかり。でもなんとかしなくっちゃ。・・・ご本人と話しもしました。貧しいんですと仰ってました。でも、ありがとう!わん達を助けてくれて。

私は私は・・・・、私たちの理想とは、自分達にもっと力を付け、第一目標として、日本全国でわんを抱え困っている人たちを救うこと。なんです。捨て犬を保護して里親探しをするのは当然のことながら、必ずどこかで助けを必要としている人達がいる。心中は察するよりも、自分達のことを思えば分かり切っていること。

それなのに、いつまで経っても何の力もない。情けなくて悔しくて歯痒い。自分って、こんなにも無力だったのかとがっかりしています。もっと、前途明るい何かの才能があったんじゃなかったのか。そんな思い込みが、この年になって恥ずかしいほど心に突き刺さります。

とにかく、ボランティアさんが送って下さったものの中からお二人にお断りして、50垓瓩送った。時間もなく、梱包も出来ないし、フード不足だから一度にではなくて徐々に送るからと返事した。とても喜んではもらえたけど、どれぐらいの速度で無くなっていくのかはよく判っているので、・・・叉ここで、自分の微力にがっかり。

自分が自由に飛廻れたら、一目見に行きたい。この道12年。色々なやり方の団体さんもいらっしゃいますが、うちのようにドタバタで、現場処理、廃材を集め、時と共に駆け回って間に合わせ、実戦で多くのワンを抱え、常なる困窮状態には誰にも負けない?自慢できるほどだ。だから、誰よりも一目見れば判る。何を必要としているのかが。

愚痴を云っても仕方がない、出来ることを出来る限りやろう。今週から来週にかけて、良い事あるといいなぁ〜〜。来週、何事もなくフードがどっさり入って、皆にも送れて、季候も良くなり、・・・とにかく一息つきたい。

・・・でもね油断は出来ない。毎日何が起きるか判らないから。今年も夢見ていたことは何も進んでいない。もう、9月だよ。涼しくなればなったで、気持ちがたそがれてくるかも。もっと、力があったらなー。

それでは、大雨に向かって突撃です。こんなことは慣れているから全然大丈夫です。それに台風直撃ではないし。

長松さん、丸山さん頑張れー!! いつかきっともっと助けられるようになるからねー!

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Ikewan








chupiwanwan at 22:54|Permalink

2005年09月05日

昨日の続き

高校生のボラちゃんから、一昨日の日記をもっと具体的にと云うメールを頂きました。有り難うございます。創価学会のボランティアさんから、とても貴重なメールを頂きました。感謝です、有り難うございます。

ともすると、「平和」とは犠牲の上に成り立っているもの、と書きました。・・・先週の木曜にも上京しました。渋谷のスクランブル交差点を歩いていて、「もし、ここにみすぼらしいワンちゃんがトボトボ歩いていたらどうだろう」と何気なく考えました。それは、あり得ない光景のように思えます。想像できない。だから、都会の人達はごく自然に悪びれる必要もなく、捨て犬のことが頭に浮かばない人は多い、考えたこともない。・・・かつての私がそうでした。

人が住みやすい街、或いは脅かされない暮らし、を実現するには多くの物を排除しなくてはなりません。犯罪の大抵は人間のすることですから、なかなか防ぐことは出来ません。毎日のように殺人が行われていても策がない。でも、動物が人間に飛びかかって怪我を負わせたり、汚らしい姿を現して、人間の目障りにならないようにするには、案外簡単です。

今の社会では、捕まえて殺す。しかも1匹や2匹のたまの出来事ではない。毎日、年間数十万頭に達するまでに日本各地で、殺している。昔から今も何千万頭か、殺し続けている。・・・これが行政、政府、国のやり方、正当な決まりなんです。犬や猫を守ろうとすることを全面に出している政治家は一人もいません。

犬(猫)を次々に殺して、平穏を保つ。それがひとつの(日本の政治家達が造り上げている)平和です。大抵の人間がそれに反論をしない。つまり賛成という意味です。ひとつの例として、それが何かを犠牲にして成り立っている平和です。例えをあげればきりがないほどあって、今や、平々凡々で何の犠牲もなく、穏やかな日常と云うのを見付ける方が困難になっています。クーラーを付けることもゴミを捨てることも、人間が生きて行くには人間のためにはならないと云う循環で、多くのものを犠牲にしている。

子供の頃から勉強をし、礼儀を学び、躾をされる。それらを生かすのは社会に出てから、大人になってから・・・、の筈が大人になれば、全く矛盾した世界に馴染まなければならない。学んだことは役に立たない。勝つためには人の悪口を言い、失敗した人、負けた人のプライバシーを曝して、あざ笑う。

細やかな生活の中にはそんな危機迫ることは無いのかも知れないが、大きく目を上げれば、国を挙げて、正当な理由で人殺しという戦争をしているのを見ると、大なり小なり、この世にはまったく真理というものは評価されない。

平穏な生活を営むために、どうしても迷い犬を殺さなくてはならないのか。不祥事で生ませてしまった仔犬達を全員殺さなくては、その家庭が脅かされるのか、人生に於いて、僅かな時間さえ、邪魔な犬のために時間をさく、・・・里親を探したりすることは、うざいのか。国が認めているから罪ではないのか。

それが残念で残念で仕方がない。もっと、他に方法はないのか。

あるに決まっているでしょう。もう少し真剣に考える。もう一歩深く考える。もうひとひねり考えること出来るでしょう。人類には自慢の頭があるのだから。何だって可能に出来る頭脳があるのに、たまには人間の利益にならないことに使っても良いのではないでしょうか。

と云うのは皮肉です。人間は自分で望んで生まれてきたのではない。それなのに、無限大に成長できる頭脳を持ち合わせて生まれてくる。そこをよく考えると、もしかしたらその頭脳というのは、自分のためだけに与えられたものでは無いのではないかと云うことに思い当たる。なにか使命を受けて、生を与えられたのではないか。そう思った方のが納得がいく。

欲しいものを手に入れ、居心地の良い生活。勝ち組負け組。自分の満足感だけ。人類の進歩のみ。・・・いつの間にか、いっつも勝ち負け、悪口、いじめ、弱肉強食の世界になってしまった。いつの間にかと云うより、最初から人類にはそういう残酷なものを持ち合わせているのかも知れない。

果たしてそうなのか。自分だけの頭脳なのか。・・・私は違うと思う、人間だけに与えられた、理性、自由意志、良心、言語、と云うものは、何かを救うため、自分以外の何か、人類以外の何かを救うためではないのか。犬や猫に限らず、「救う」などと、おこがましい言い方ではなくて、地球を穏やかにする役目があるのではないのだろうか。

宇宙開発やIT革命、・・・立派なことを考える力があるのに、どうして目を向けようとしないのか。先に進む前に
もっと目の前のこと、大地を見てくれと言いたい。

犬猫のことなんかどうでも良いと思いながら、神様だ真実だと云っている人達、勝手に決めるな。ほんとに神が言ったのか、人間の幸福だけを追求せよ。人類のみの幸福を永遠にと・・・、言うわけないじゃないか。・・と云いたい。

もう少し、考えて欲しい。もう一歩深く考える力、それが理解力です。・・・でも、池ワン愛好者には判ってもらえて、反論する人は必ず、言葉の矛盾点をつこうとして平行線。・・・だから、未来の大人達、今の子供達に託したい。多くのものを受け入れて、順応性に富み、正しい判断を下せるよう。そして何より、君たちの地球を大事にして、次の世代に繋げて頂戴。

今の大人達は、失敗だ。正しいことを考えている人たちは大勢いるのに声も通らない。戦争、核実験、テロ、地球温暖化、巷の犯罪。もう収拾がつかない。虚勢の平和を維持したい人達は何もしようとしない。

私は自分が全て正しいなんて、更々思ってもいません。「出来る人が出来ることをやる。」そう云う言葉だって、可哀想なわん達を保護するようになったあとに感じ始めたこと。世界には助けを求めている人達や事柄が多すぎて、何をすればよいのか判らない。

そんな中で、私達に出来ることをやっているだけです。懺悔でもあります。自分のためでもあります。では、何故、毎日大変だ大変だと愚痴を云うのかというと、不遇なワンを救うとひとたび誓うことは、机上の空論ではなくて、事件は会議室で起きているのではなくて、現場で、実戦で、働くことは当然の付きもの。理想だけでは何も出来ない。自分の生活を守っていればわん達は助けられないと云うこと。でも、それがとっても大変なことだったと云うことは、やり始めて初めて判ったこと。

仔犬を拾い上げる場面の自分の姿、だけではなくて、犬は毎日休みなくウンチもオシッコもすれば云うことも聞かない。自由の権利もある。

根を上げたくない、諦めたくない。限界だと云って、私達が止めてしまえば、これからも現れるであろう、道に彷徨うわん達はどうなるのだろう。お母さんが恋しく、お腹を空かして、どうしたら幸せになれるのかを知らない者達は何のために生まれてきたのだろうと、いたたまれない気持ちになる。

だけど、現実にはとても無理だ。自分達だけではこの社会に立ち向かって思いを遂げることが出来ないと痛切に感じました。今はもう間に合わない。今、犬を粗末にし、捨てるのが平気な大人に言って聞かせることは出来ない。手遅れだ。

これからの子供達になら理解してもらえるかも知れない。人類以外のものに手を差し伸べて。自分だけの幸せばかりを考えないで、皆の平和は自分の幸福に繋がると判ってもらえる可能性がある。それには、理解力を養って。人が何をいわんとしているのか、相手の気持ちになって考えれば譲歩も出来るし、できあえる。そうすれば一緒になって、平和の協力が出来る。人を批判する前に、協力してあげて。

宗教も必要だ、特に日本人は宗教の教えに接するべきだと思う。でも、そこで正しい判断力が必要となる。だから、勉強をしてください。凝り固まらないで、自在に動く頭をつくって。。

もっとよく考えれば必ず、何も傷つけずに乗り越える方法があるはず。よく考えて、勇気を出して実行して。考えだけじゃなくて働きかけることを惜しまないで。人に押し付けないで自分で行動して。人の痛みの分かる頭を養え。そして、間違ったことはきちっと言える人間になって。

いつか、必ず、私達が死んでからも、この地球に真の平和がやってくることを願ってやみません。・・・そして、わんニャンちゃん達をよろしくね。そして考えは違っても、皆と仲良くなってね、仲良くなる方法を考えて。

私はまだ、いつかの臆病犬を返せという問題に巻き込まれています。多くの大人が理不尽なことを云う。絶対、自分の思い通りにしないと気が済まないようです。人間の戦いであって、そこには、そのワンちゃんの幸せはありません。

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Ikewan






chupiwanwan at 23:34|Permalink

2005年09月04日

人類の子供達

最近、もえちゃんというお子ちゃまとメールのやり取りをしています。楽しいです。どちらが近寄っているのかは謎ですがレベルが一緒というか、気が合います。日記の感想とかクイズを出してくれたり、あーーーーとか、うーーーーーとか、イェーイやら、学校の事や夏休みのスケジュール、色々伝えてくれるので、面白いです。

私が子供達に望むこと。それは「理解力を養うこと」・・・それだけです。

よく、社会に出たら、難しい数学なんか必要ないのじゃないかと言いますが、それは違うと思います。何の勉強にせよ、全ては頭脳を働かす訓練。世の中の難問にぶつかったとき、或いはもっとも難しい「平和」を保っていく為の技を養う脳を作るには、考え込むことがとても重要だと思います。世の中には考えて考えて、必至に悩まなければ答えが出ないという問題に直面する事も多々あります。

「平和」にしたって、よくよく考えてみなければ、必ずや何かを犠牲にした上に成り立っている場合が多いからです。

足し算引き算だけでは、物事を深く考えられるわけがない。因数分解や幾何学、科学、叉、記憶力を養う勉強はすればする程良いと思う。そして、理解力を養ってください。話している相手が何を言っているのか、何をいわんとしているのかを判ろうとするのは結構難しいことです。そしてそれが、一番重要なことのように思うからです。

自分はとても小さな存在で、他には無数に違った考え方があり、見たことのない世界が広がっています。見たことがなくても知らないことでも、一度は素直に受け入れて、正しい想像力に伴って、自分の頭で昇華して、最後には自分の考えをきちっと持つ、そして自信を持って、主張できる。そういうことは案外難しいのです。

食事の席で宗教のことは言うなと云うのは、当然の掟です。言い争いになることは必至。無難に過ごすには話題にしてはならないことなのです。だけど、それは何故でしょう。何故なのか、もうそろそろ考えなくてはいけない時期なのではないでしょうか。世界中の戦争でもっとも多くの原因は、宗教に携わっている人達だとも云えます。自分には関わりないとは云えません。この日本にいるから部外者でいられる。でも、心の奥底では同じなのではないでしょうか。

日常で、些細なことから、いつでも戦闘態勢にあるのではないでしょうか。

とっても残念なことは、正しくありたい、美しくありたい、愛を信じたい、きっとそう思っている人達ばかりなのに、「真実はひとつ」と云うことを絶対に譲らない。自分達だけが正しい道を歩んでいると思いこんでいることです。

だけど、私は困ってしまいます。池ワンのボランティアさん達の中には、キリスト教、創価学会、立正校正会、エホバの証人、真光教、真如苑?、色々な宗教に携わっている方がいらして、皆さんとても良い人ばかりです。仮にどれかひとつを選べと云われたら、どうすればよいのでしょうか。或いは、皆が集まって、ワンちゃんを通して楽しく過ごしても、どこか心の奥底では、全く違うことを思い合っている。そうなのですか?

何かの問題にぶつかるという、人にとって真剣な状況になればなるほど、意見が割れてくる。

だけど、私が思うには、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、中近東、・・・皆、あまりにも違った環境に生まれ、育っているのですから、人生に於いて、出会うものがまったく違っていてもそれは当然で、その中で崇めるもの、大事に思うものが一緒でなくとも構わないのではないでしょうか。

けれど、その中には「尊重」というものがない限り、理解し合うこともありません。だけどその「尊重」と云う気持ちを抱くにも相当の勉強が必要です。理性を養うには学校の勉強に限らず、理解する力がないと成り立ちません。

相手が何故、その様なことを云うのかその人の背景をきちっと判ることが出来れば、考えが一緒でなくとも、比較に走ることもない。差別するのではなくて、区別すればよい。

・・・かくいう私も、あまり勉強をした方ではないので、多くの疑問にぶつかります。仏様のご神体、模倣して作った仏像を守るために徹夜をして交代で、そばにいる。その為に家族全員で、飼っているワンちゃんを3日間も放ったらかしにして、それは当然のことだと言う。お寺への出入りに家の前を何度も通るのに、ワンに食事も与えず、水が無くても見ようともしないで、無論散歩もしないで繋いでおく。

本当だろうか。ほんとに仏陀が、自分の像を守るためには飼い犬を粗末にするのは当然の善だと思っているのか。・・・どうしても信じられない。それは、勝手にどこかで、解釈が違ってきてるんじゃないのだろうか。

キリストの聖書は信じるけど、像は崇めない。像を崇めるのは真の宗教ではない。んーーーーーーーー。キリスト自身はそんなことどうでも良いと思っていたような気がする。そんな細かな決め事よりももっと、大事なことを伝えたかったのではないだろうか。「汝の敵を愛せよ」、そんな事が出来る人はキリスト教信者の中に一体どれほどいるのだろうか。この人類に一体、もう、と云うより、ずっと昔から、そんなこと出来る人、殆どいないのではないだろうか。

私の通っていた学校はカソリックでしたが、とても穏やかで、何も押し付けず、自分が選んで受験して入った学院なので、当然宗教の勉強は致しますが、だからと云って、凝り固まるような差別的な教えは何もありませんでした。

「愛とは報いを期待することなく奉仕すること」「愛とは神である」と念仏のように唱え、祈りました。(カソリックで念仏という言い方もヘンですが)私はその事を、出来る出来ないと云うことは別にして、心に染み入ってはいます。大好きな言葉です。誇りに思っています。

だけど、仏陀という人もこよなく大好きです。同じ位です。・・・でも、本当にいたのだろうか。人間の願望の現れなのではないだろうか。誰か見た人がいるのか、教典も果たして、本人が納得しているのだろうか。人づてに伝わっていくうちに変化してしまったのでは無かろうか。もしかしたら、そんなに多くのことは語っていないのではないだろうか。廻りの賢い人が造り上げたのではないだろうか。

見たことがないので、どうしても信じられない。でも、とっても尊重します。アダムとイヴ、伊弉諾尊と伊弉冉尊。どちらも真実なのではないでしょうか。或いは両方とも嘘なのではないでしょうか。西洋と東洋があるのは事実で、何かを信じることも良いのではないでしょうか。信じなくとも良いのではないでしょうか。

太陽が神だというのも、なんとなく受け入れられる。でも、こんなこというのも何ですが、私の神様は地球です。それが、私の人生の答えです。私としては、そう思うことで全ての謎が解けるのです。

人類は宇宙人。人間以外のもの全ては地球の産物、宝物、大事な大事な地球の子供達、・・・その中に人類は入っていないのです。残念ながら。

だけど、これからの未来。人類の子供達が正しく生きてくれるのなら、地球と一体となり、全ての動物も幸せになり、それは地球が一番喜ぶこと。だと思います。地球が喜べば人類にも平和がやってくる。

こう言うと叉、「それは違います!!」って怒る人がいる。そういうより「私はこう思います」と云えばよいのだと思う。ひとつの考え方として、皆に言って、一緒に考える。答えが違ってもそれで良い。でも、真実はひとつというのだけはやめて!。だって、真実はひとつだから。でも、それは誰も知らないことだから、これだ!って決めちゃいけないんだ。人類の中で真実を知っている人は皆無だと思う。それで良いのだと思う。

だって私が思うには、地球は元々天国だったのだと思います。人間がどこかで死んで、あの世、つまりここに来たのです。(これもひとつの考え方。)でも、誰か地獄に行く人がここへ来てしまって、いつの間にか一緒になって繁殖して、今や地獄の方が色濃くなってしまいました。このままでは望みがありません。毎日人が殺され、それをやっているのも人。地球を汚しているのも人だけ(私も人!)

・・・最近の巷での選挙演説では、人の悪口ばかりを言う。「小泉さんを嫌いな人は手を挙げてー!」「はーい!今手を挙げた人には拍手してくださーい」って、田中真紀子という人が言っていた。

何とひどいことだろう。仮に小学校で、子供達が同じ事をやっていたらどうするのだろう。大人がそう云うことはしてはいけないことと教えるのではなかったのか。子供の頃に教わった躾とは大人になれば無視をして良いのか、子供達に何と言い訳するのだろう。この国を代表して行政を預かろうとする人間達、人をあげつらってばかり。・・・情けない。

今、横で小太郎が遊び疲れて寝ています。こんなに可愛くて、なんの罪もないのにね。・・・平和にしようよ。・・・子供達、しっかり自分の頭で考えて、頼んだよ!!(結局、無責任かなー)

Yasuko(←クリックすれば、メールが送れます)

Ikewan












chupiwanwan at 00:09|Permalink

2005年09月01日

たっ君とチビ。

この前、近所の「たっ君」が自転車でやって来た。池ワンの周囲は二方が車道で、あとの二方は畑を挟んで遠巻きに小さな道があり、見通しがよい。私は常にアンテナを張り、道行く車や人をチェックしながらわんの世話をする。不審人物や池ワンに不満を持つ人がいないか、ワンの声がどの辺まで届くのか毎日空気を読む。池ワンを守るためには四六時中、あたりを気にすることを怠らない。

いつものたっ君は遠くで手を振るだけなのに、目で追っていたらこちらに近づいて来る。報告に来たのだった。「・・・チビが死んだ」。小学三年生のたっ君の目がみるみる赤くなっていった。

チビというわんは四年前、日頃通らない道を行ったときに偶然見付けた。家の庭先に繋がれていてガリガリ、よく見ると足首が鶏のように禿げてただれていた。表情は眉間に皺が寄り、哀願するような不安顔で暗い。私が一番、胸の痛くなるわんの表情だ。足場が萬年泥のようにぬかるみ、粗末な犬小屋も歪んで埋もれ、チビは短く繋がれてドロに足をつかる以外の選択がない。

見てはいけないものを見てしまったような嫌な気がした。それから数日は前を通るようにして観察し、そっと薬を飲ませた。漂う空気から判断して、私はあることを決心した。よう・・・し!家主に断り無くやっちゃおうっと。断ったら断られる?

それから、剛ちゃんに頼んで、パレット(分厚い板を組み合わせ、高さ10僉大きさ半畳ぐらいの箱形簀の子、かなり重い)を二枚運んでもらい足場にして、その上にベニアを打ち付け、ハウスを固定した。こうすることによってデッキになり、足が濡れなくなる。2畳分位ぐるりとフェンスを巡らし、雨にあたらないよう全体を波板の屋根で覆った。・・・・くぁんぺき(完璧)!!

2,3日かかったのだが、人の家に入り込んでいるのに不思議と家人は何も言わなかった。何か文句を言ってきたら、山のように返す言葉を用意していたのだが、無言でハウスを作る私から発する何かが威圧的だったのか、何だかは判らないけどとにかく完成した。それから毎日、チビの散歩が始まった。薬入りのフードも美味しそうな缶詰めに入れて池ワンからの持参だ。

毎日ガツガツ食べて、私を見ると尻尾を振るようになってきた。やがて、チビの足に毛が生えてきて、ようやく治ってきたそんなある日、あれっ?っと思ったことがある。チビの屋根が直してある。本格的に少し傾斜させ、水が溜まらないようになっていた。家人がやったのだ。私の思いが通じたようで、・・・なんだか嬉しかった。

私が行くと廻りをチョロチョロするようになった当時幼稚園生のたっ君こと拓也ちゃんと話すようになった。本人とわんの名前を聞き、一緒に散歩した。「ワンちゃんは家族なんだから、たっ君の妹なんだから大事にしてね。」いつもそういい聞かせた。・・・いつの頃からか、これからは家人のおばあちゃんとたっ君が散歩をするから大丈夫と言われたので任せることにして、それから今日まで、4年の月日が経った。

夏休みは、たっ君が一人でチビの散歩をする。見付けてもらいたそうに池ワンから見える道に散歩に来る。私は見落とさないよう、いつも遠くから「おーーい!たっくーん、今日も頑張ってるねー!いい子だねー!チビは元気ぃーー!?」と、両手を大きく振って大声で挨拶する。たっ君もチビを指さし、大きく頭を上下に振りそれに応える・・・・。

そのチビが死んだ。私は原因とかを深く考えないようにして、納得するようにした。

・・・たっ君に言いました。「チビは楽しい思いをいっぱいして幸せだったよね?」「うん」「おうちの人達に見守られながら死ぬことがワンちゃんにとっての一番の幸せだよね。毎日が楽しくても、もし、家の人が全部死んじゃってチビだけ残されたらどうするの?」・・・たっ君はいちいち頷きながら、涙を流していました。チビのこと忘れないようにしようね!!良かったね。「うん!?」その、最後の「良かったね、」は暗黙の了解。あの日からチビに犬権が生まれ、大事にされるようになったという無言の了解だ。

チビの顔を思い浮かべると、無性に涙が出るが、あの無表情な頃から比べたらこの4年間はもっと楽しいものになったに違いない。登校、下校時にチャリンコ散歩ですれ違うと必ず「チビは元気?」と聞くのが習わしだった。そのたっ君もしっかりとした顔つきになり大きくなった。

ノラのケンを探しに出たら、叉、友達といるたっ君と出会ったので、私と別方向を探しに行ってと頼んだ。二人は素直に探しに行ってくれて、1時間ほどで戻ってきた。「いなかったよ」。

近所には仲良しの子供達がかなりいる。年長がすでに高校生。よく、ランドセルを背負ったまま池ワンにわん達をさわりに来た。私と話したことのある子は皆、ワンちゃん好きで理解がある。

私は、子供達に託し、地道に望む。「犬を捨てる」という感覚がなくなるように・・・。そして、たっ君、チビを大事にしてくれてどうも有り難う。

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Ikewan








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