2005年08月24日

時間が無くてもなるべく、日記は毎日書きたい。何故って、喜怒哀楽、日々色々なことがありすぎて、返って何も書けなくなるからです。楽しいことがあった翌日には、不愉快きわまりないことが起きたりして楽しかったことも過ぎ去ってしまう・・・。捨て犬を保護してから12年。不思議なほど考え方は初心と変わらないけど、但し、それは思いもよらないことに遭遇して、そう簡単に理屈だけでわんのことは(一概に)言えないなと肝に銘じ、再確認し、新たに一回転して同じ考えに辿り着く。

一方的になるから、私はあまり、憤りを感じることは書かないようにしている。実は昨夜も日記を書いて、途中でやめた。こういう活動をしていると、考えの相違とかに遭遇して、残念なことも多々あります。では何故、もっと声を大にして、思っていることを唱えないのかというと、過去の自分を振り返れば、ボランティアには無関係だった時期の方がよっぽど長い。今更、何かに目覚めたからと云って、(自分の考えを聞いて欲しくても)決して正論だと決めつけて、押し付けるのはイヤだ。

だけど、今日はあえてお伝えしたい。どれだけ怒りを感じたのかを・・・。

名前は伏せますが、池ワンには数匹の臆病犬がいます。その中の1匹を唐突に、元の飼い主が返して欲しいと人を介して言ってきました。私はその経緯をあまり知りませんでしたが、目前の状況だけを判断して、うちで面倒を見るのが最善と思い引き取ったので、最初はあまり深くは考えませんでした。

長い時間をかけて、やっと池ワンの中だけでは楽しそうに飛び跳ね、駆け回り、他の子達ともそれはそれは仲良く暮らせるまでになりました。でも、その子は里親探しは誰が見ても無理と判るぐらい臆病で、相変わらず見知らぬ人には震えも止まらない、遠くまで逃げてしまう。・・・果たして、元に戻せるのかどうか。

私と仲を介した人達は善意でもっとも良い形となればよいと思い、先方の家がその子にふさわしいものかどうか、忙しい中、時間を作り出向いて行きました。

詳細は省きますが、結果、呆れて目眩がしそうなぐらいひどいことになったのです。元の飼い主だと主張するその家にはすでに7匹のわん達がいて、その中の1匹と一緒にフェンスにいれるというのです。最初は笑顔で話を聞いていたのですが、臆病犬なのにどうやって散歩や世話をするつもりかと質問したら、なんと、そのフェンス(6畳ぐらいの広さの中に大きめのハウスがある)の中にいれたら、一生出すつもりが無いと平然と答えるのです。

「えっ!?」私があまりに意外そうに聞き返したので、先方は少し慌てて、慣れたらたまには外に放しますと言い方を変えた。でも、そんなことは不可能なことで、放したら最後二度と戻ってこないかも知れない、よっぽど慣れてなければ捕まえることだって出来ない。まして、よく聞けば、仔犬の時にちょっといただけで、殆ど馴染みがない。さらにその家は塀が無く、目の前は車道だ。通りの向かいは大駐車場があり、車の出入りも激しい。さらにさらに、その子の兄妹犬がいて、やはり臆病犬だという。だから、繋ぎっぱなしで、一度も散歩をしたことが無いという。「えっ!?」

それからというものは、地獄絵図のような事態が勃発した。私は、とんでもないという気持ちになって、丁重にお断りした。第一、その人が飼い主と主張するにはあまりに無責任な経過もあった。私はあくまで、ワンちゃんが幸せになれることが前提で様子を見に来たのに、何の理由があって、今までのびのびと池ワンを駆け回っている子を一生涯、フェンスに閉じこめなくてはならないのか。意味不明だ。

同行した人たちの方が事情に詳しかったので、やはり断る方向で、話がまとまった。

それからがすごいことになった。事情のよく判っていない獣医先生に告げ口をして巻き込み、ヒステリックになって、もし返してくれないのなら、池ワンを警察に訴え、保健所に訴え、裁判所に訴え、池ワンにいる犬達全員を抹殺すると云うのである。その人は70才ぐらいの女性。もう、何を言っても聞かない。おまけに訳の分かっていない人間が数人からみ、余計な口出しを始めた。「元の飼い主に戻すのが常識だ」云々。

何を根拠に「飼い主」を主張するのかと尋ねると、河で拾ったから自分の犬だと答える。「でも、臆病犬で手に負えないからと、だれか飼ってくれる人がいればもらってくれ」と手放したのに、道理が合わない、と言っても「自分の犬だから返せ、散歩に行こうが行くまいが、あんたにゃ関係ない、逆らえばひどい目に遭わせてやる」と怒鳴る。私も怒鳴り返し、大喧嘩となった。

もう、これ以上は書いても仕方ないのですが、・・・そんなことがありました。私は、極端ですが、人類は本当に滅びた方がいいんじゃないかと切実に思いました。

警察も保健所も裁判所も、今の私には怖いものなんてありませんが、人は何のために生きているのだろう・・・そんな疑問で一杯になった。

実は、私達のまわりは案外平和なのです。近所の警察官は、池ワンを過去5年間(越してきてから)ただの一度も苦情がないと感心してくださいます。何かあったらいつでも相談に来なさいとも言ってくれました。池ワンの子が畑を荒らしていると通報があったと、保健所の人が来たこともありますが、うちの子ではないことが判り、敷地のフェンスをもう少し高くするよう指導して帰りました。

傲慢な人ほど、何かに気付かず、人間がこの世でもっとも崇高な者のように高飛車に当然であるかのように犬や猫をさげすみます。私からみると、とても恥ずかしくて、どうか神様が見ていなければいいなーと心より願います。

翔ちゃんが生き続けているのを見ていると、翔ちゃんは私達の心に何かを芽生えさせようとして、そんな役目を担って存在しているような気がします。人の心に必ずある、純粋なものを引き出してくれる、皆が無心になって、優しく、助けようと表現してくれる。一緒にいるだけで、顔を見ているだけで、多くのことを学ばさせてくれます。皆の心がひとつになる。人間はそういうことだけで良いのになって思います。

Yasuko(←クリックすれば、メールが送れます)

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