日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンは3日、技術委員会の内部に、日本代表チームを客観的にチェックする「A代表分析委員会(仮称)」を新設する考えを明かした。日本代表イビチャ・オシム監督と対等に意見を交わし、一層のチーム強化を図ることが目的。
 賢明なサッカー・ファンは先の日韓戦で、オシムジャパンの深刻な危機を感じ取ったのであろう。
 あの川淵キャプテンも行動を開始したようだ、、この動きがサッカー日本代表の真のレベル・アップに繋がることを切に願います。(・◇・)ゞ
 まあ、でも川淵キャプテンに行動力があることは嬉しいことですね。重ねて期待しております。
 が、くれぐれも、今度、オシムジャパンが前回と同様の「失態」(あえて敗戦とは言いません)をしたら自分は強くオシム監督の辞任を要求致します。( -д-)ノ
 たとえ「デコ」さんが何を言ってもね、(゚∀゚)アヒャヒャ


以下は参考にした記事と★の後に自分の意見です
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川淵キャプテン、オシム監督に物言い
2007年08月04日08時15分ブックマーク トラックバック(3)
 日本サッカー協会の川淵三郎キャプテン(70)は3日、技術委員会の内部に、日本代表チームを客観的にチェックする「A代表分析委員会(仮称)」を新設する考えを明かした。日本代表イビチャ・オシム監督(66)と対等に意見を交わし、一層のチーム強化を図ることが目的。リーダーとして、技術委員会メンバーで日本協会特任理事の元日本代表MF風間八宏氏(45)が最有力候補に挙がっている。
★風間さん??詳しくは知らないのですが、、確かテレビにも出ていたような?


 アジア杯惨敗の結果を受け、川淵キャプテンは、オシム・ジャパンのサポート態勢の見直しを決断した。全世代の代表をサポートする技術委員会の内部に、A代表を専門的、かつ客観的にチェックする「A代表分析委員会(仮称)」の新設案を明かした。
★多少、回りくどい指摘ですが、要はオシム監督の独善的な選手起用の釘を刺したわけですね。


 現在、技術委員会は小野剛技術委員長(44)以下、日本代表の大熊清コーチ(43)、加藤好男GKコーチ(50)ら、オシム監督に極めて近い立場のメンバーが中心。川淵キャプテンは「今は、すべての人間がオシム監督の下に入っている。日本代表チームを客観的に見て、オシム監督と対等に話せる組織、人間が必要だろう」と語った。
★ならば、風間氏だけでは辛いのでは? この際、加茂周 元監督にサポートをお願いしてみたら? あとラモスにも頼んでみると面白いかも、、(つд⊂)ゴシゴシ


 新委員会のリーダー候補として、ともに協会特任理事を務める元日本代表監督の岡田武史氏(50)と風間氏の名を挙げたが、風間氏は、以前から代表チームの分析に強い興味を持っており、リーダーに就任することが濃厚だ。
★え? もう決まっているの? 個人的には岡田監督には人材育成に、つまり日本ユースなどで活躍してもらいたいのですがね、、どうでしょうか?


 機構改革を決断したのは、技術委員会が正常に機能していないからといえる。
★まあ、そうでしょうね。何よりも技術委員会の存在すら小生は知りませんでした。(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?


川淵キャプテンは「例えば、今回のアジア杯では、試合日の間の練習量が非常に多かった。また、オシム監督はPK戦をピッチで見ない。そういうことを客観的な意見として率直に話し合うことは、オシム監督にとってもいいはずだ。そして、最終的に決断するのは、もちろん監督」と話した。
★え? PK戦をピッチで見ないことはオシム監督のポリシーなのですから他人?が意見するのは見当違いでしょう? 
 この場合、新しい組織は試合での交代選手の権限を握るとか、あるいは控えの選手5人を選ぶ権利を有するとか一定の権限を確実に与えなければ機能しないのでは?


 側面からの建設的な意見は代表チームにプラスに働くはず。しかし、新委員会、またはリーダーが指揮官の信頼を得られなければ、マイナスに作用することもある。過去もサポート部門と代表監督の軋轢(あつれき)はあった。監督稼業30年のオシム監督を感心させる意見を提言できるか。「A代表分析委員会」の任務は、重い。
★信頼?
 そんなことよりも結果です。日本のサッカー選手の選手層を考えれば、代表チームが2チームあっても問題ないのでは?
 つまり、あえて、日本代表は、監督も含めて2チームを創り国際大会に可能な限り出て試合に出場することで日本サッカーのレベルを上げる。
 最終的には、その2チームが競って、半年に一度 3試合を行い、どちらが上位チームかを絶えず競い合う、、というのが最善の策では??
 天皇杯なんかを活用すれば、とても良いと思うのですが??さて?


 ◆風間 八宏(かざま・やひろ)1961年10月16日、静岡・清水市(現静岡市)生まれ。45歳。清水市商−筑波大出身。80年、筑波大1年時に日本代表に初選出。84年、ドイツ・ブンデスリーガのレバークーゼンとプロ契約。91年に帰国し、マツダ(現広島)に入団。95年まで広島でプレー。J1通算103試合、6得点。国際Aマッチ通算19試合。04年、S級ライセンスを取得。06年に日本協会特任理事に就任した。
★素晴らしい経歴ですね、期待しております。(・∀・)つ 


スポーツ報知 / 提供元
http://news.livedoor.com/article/detail/3257221/
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