★In This House★

カクシンハンのハムレットが先になりましたが、
観たのはこちらが先です。
これもまた、素晴らしく、
私の「そう!こういうミュージカルが観たかった!」にささりました。
「さくらまつ」で貴重なアドバイスをくださった板垣さんの演出。
観に来てくださって、うれしい感想をくださった
conSeptの宋さんのプロデュース。
勉強になりそう、素敵になりそう、康平くん出るし・・・と、
2回、チケットを確保。
2回で正解、でも本当は、もっと何回も観たかった。

まずこの作品を
見つけてきたプロデューサーの宋さんすばらし。
ネットサーフィンしてて・・・っておっしゃってたけれど、
どんなサーフィンしてたんでしょう(笑)。
字幕やカルチケの採用もまた、すてきだと思いました。 

全体的には、とても詩的で演劇的に濃密で、
まるで、一冊の本を読んだような印象すらありました。
Before AfterやLast 5 Years をはじめ、
小さな空間で上演される演劇性の高いミュージカル作品は増え続けています。
でもこれはさらに、文学的な匂いの色濃いものでした。
決して難解ということはなく、美しく、すっと心に染みて来ます。
ただ、その中に、シンボライズ、メタファー、伏線などが仕込まれていて、
観れば観るほど、読み解いたり、探したりする
ちょっと知的な楽しみもまた見つかるのです。
たぶん原語で読むともっともっと見つかります。

歌や音楽の立ち位置も、いわゆる「ミュージカル」という
ジャンルから想像されるものとは違います。
日常の中で、気持ちが高まって
ふと歌が口をついてでる、そんな風にして歌いだされ、
とても自然にセリフの中に組み込まれていました。
音楽は繊細に景色や光や風をイメージさせます。
また、歌ですべてを語ってしまうわけでもありません。
もともと伝統的な西洋演劇には「独白は本音」というお約束がありますが
その独白の部分を、ミュージカルでは歌が担って、
なんでもわかりやすく伝えてしまうことが多いのですね。
中には「運命に負けずにがんばろう」「友情は素晴らしい」と
感じ取ってほしい結論までベタに言ってしまうものもあって
私は「これじゃなきゃだめなのかなあ」とずっと疑問なんですけど(^_^;)。
でもこの作品では、歌にもたくさんの含みがありました。
演出や翻訳、演技の質感によるところも大きいかもしれません。

まず印象的だったのは、冒頭。
夫婦の登場の演出が、心にくいのです。
どきっとするほど美しく、
でも事情を知ってからもう一度見ると、
あ、そういうことなんだ・・・と。
最初は、夫婦がどこかへ行っていて、久しぶりに
いまは空き家になっているなつかしの我が家に
戻ってきてみた、という設定なのかな?と思いました。
まあそうなんだけれど(笑)。
その後も、いろいろ、ちょいちょい不思議なんですね。
 壁ってなんだろう? 私が大事なところ聞き損なっちゃったのかな。
 寒がり方がみんな違う? でも必ず意味があるはず。
 最初のナレーションが「ヘンリーは」って三人称ではじめるのに
 いつから「僕は」の一人称になったの? 
 あれ、ここで暮らすんじゃないんだ。
そして最後に
 え、もしかして、そういうこと?やっぱり?
 待って待って、最初から観たい。
ってなる。
私は、いくつかのPVは拝見しましたが、あえて予習ゼロで観たので、
この衝撃は新鮮でした。でもここがまたいいところなんですが、
ジャーン!って感じでは種明かしされないんですよ、ジャーン!とは。

「ネクスト・トゥ・ノーマル」や「楽屋」(ぜんぜん違うけど笑)でも
用いられているアイデアなので(ほぼネタバレですね笑)
それ自体はかならずしも斬新ではないですが、
でもなぜこの設定でなければならなかったんだろう、
というところが、あからさまではない分、また考えさせられるのです。
で、わかって観ると、あらためて泣けたり、違うところが不思議になったりする。

大晦日、そして新年。
これはただの1年の境目じゃないはず・・・。
しかも気づかないうちに、その線をこしてしまうという。
それからたとえばアニーが「掘りおこす」仕事をしている、というのも象徴的。
だって彼女の登場からいろんなものが掘り返されるわけですものね。
そんな風に、あれは、これは、ってまだまだ
見つけてないものがあるはずなんです。

それにしても、
人は、なぜ愛している相手に、大事なことを伝えられないのでしょう。
聞きたいことをしかるべきときに、たずねられないのでしょう。
または言葉どおりに受け取ればいいときに、さまざまな憶測をめぐらし
察しなければならないときに、言葉そのままとったりして
傷ついたりしてしまうのでしょう。
男と女の間には、どうしてこんな溝がいつもできてしまうのでしょう。
死と向き合うまで。いや、向き合ってもなお。

そして愛する身近な人を失うということは、
あらゆるものの色を変えてしまうことでもあります。
時の流れも、止めてしまう。
あるいは突然洪水のように流し去ってしまう。

でもそこから見えてくるものがある。
そこからしか見えてこないものがある・・・のですね。
知らない人に話すことで、
開いていく心の扉があるのだと思いました。  

冒頭と並んで印象的だったのは、幕切れ。
最後から2つ目の音でした。
ピン、と高い音でなるピアノ。
私はこの瞬間に、アニーが息をひきとったんじゃないかと思いました。
そういう音に、私には聞こえました。
そして、ボンって落ちついて終わるの。泣きました。
でもこれが、また次の時間へのはじまりなのです、たぶん。
まさに、最後の夜。最初の朝。

そして、今の自分と重ねて観てもいました。

家、というもの。
「ここには家にあるべき大切なものがある」
でしたか、ちょっと正確に覚えていませんが、
物語と離れて、単独で心に残ったセリフです。
両親を見送ってから数年、ずっと感じているのです。
家にさまざまな精霊のようなものが息づいていること。
あるいは普段いなくても、何かのときに
呼び寄せられているような。
先祖? 両親? 生まれることのなかった2人の兄たち?
若者たちのざわめきを吸い込んだ何か?
私は別に霊感が強いわけでも、迷信深いわけでもありませんが、
たしかに感じますし、わが家に来た感受性の強い人は、必ず
あたりをみわたして「なんだろう、ここ、なんか感じる」
と言って、「帰りたくない」とか言ったりします。
音楽が流れた後は、なんとなく家自体がご機嫌な
雰囲気に満ちているのですよ(笑)。

そんな私の家は、今年、45年の月日を経て、ついに姿を消します。
そんなタイミングでこの芝居を観たので、
私は帰宅してから、バカみたいに
家のあらゆるものにむかってしゃべりました。
引っ越すという計画が次第に現実的になってきましたが、
思い出の中で、重荷になるような何かは、
ここで感謝とともにお別れをして、
私や私の仲間たちを応援してくれる精霊たちは、
壁から出てもらって、次の家へひきつれて行こうと思います。
そんな話も、「見えない彼ら」にきちんとしました(笑)。
だれかが、引っ越したと知らずに我が家の跡地に戻って来ちゃって、
「すっかりかわったわねぇ」って泣かないように。


もとへ。
役者さんたちはたいへんだったと思います。
歌の雰囲気に依存することなく、
ストレートプレイとして成立するレベルの演技を
要求されたのであろうことが、手にとるようにわかりました。
でも板垣さんは、引き出したり育てたりするの
とってもうまいのです。ちょっと体感ずみ(笑)。
ご本人にも伝えていませんが、「花咲か板さん」って
私の中ではニックネームがついております(^_^;)
さくらまつだったからー。

岸さんと入絵さん、何十年と背負って来たもの、
築いて来た関係を、存在で感じさせるところが
さすがでした。そしてあの声・・・(涙)
そのなかで、綿引さんと康平くんが、
のびやかに成長していくのが
2回観ただけでもわかりました。
4人とも、歌と気持ちを同化させるのがほんとにうまくて、
それもあって、歌が飛び出しているような感じが
しなかったのかもしれません。

康平くんの成長、うれしかったです。
ずいぶん笑わせてももらいました。
私は、残念そして申し訳ないことに、「さくらまつ」で会うまで
彼の舞台を観たことがありませんでした。
なのでそこからしか語れませんが、
わからないことがあると子どものように率直に疑問をぶつけてきて、
でも「こういう意味だよ」と説明すると
もうそこから歌い方がガラっと変わるのです。
さらに当日、お客さまが入ってライトを浴びた瞬間、
また数段飛びで階段を上がりました。リハと別人。
すごい感受性と適性の持ち主だなと思いました。
今のかわいい、かっこいい、も存分に大事にしてほしい。
でも一方で、この魅力と才能が、これからもいい刺激を受けて花開いて
30、40になっても活躍できる役者さんになっていきますように。
でもそこへの足がかりができた、In This Houseだったんじゃないかな。

人のことばっかり書いてないで(笑)、
すてきな仲間たちに置いていかれないように、
私も早く住環境を落ち着けて、がんばろうと思います。


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★カクシンハン「ハムレット」★

カクシンハンさんの「ハムレット」を観てきました。
 
思いがけず、素晴らしい「ハムレット」でした!
申し訳ないことに池袋の駅構内で迷子になりかけ
ちょびっと遅刻して幕開きを見損なってしまったのですが、
あっというまにひきこまれ、
あっというまの3時間でした。

思いがけず、なんて失礼なことを書いてしまってすみません。
わけがあります。 
私は初演は拝見しておらず、
「じゃじゃ馬ならし」「マクベス」「真夏の夜の夢」
を観た限りなのですが、そこで体験した
カクシンハンさんの破壊力は、正直私には
暴力的に感じられて受け入れがたいところもあり。
が、その中に、ある種のキラッとしたクオリティや、
どうも憎みきれなくて「かわいいな」と思わせる愛嬌や、
口に合わないもうかんべんと思うのに気になってしまう、
リコリッシュみたいな中毒性が潜んでいるのが不思議でした。
演劇界には、熱量の高い芝居があふれています。
リアルな叫びがほとばしる、今に生きる新しいものを作ろう、
っていう思いがギュッと詰まった・・・。
でも残念ながら部活の延長の域を出られてないものも多いのです。
それらとカクシンハンの違いは、なんなのだろうと。

そしてその正体を、今度こそたしかめてやるぞー、
みたいな気持ちで来たのです。
が、今回は、そこじゃなかったーーー!
いや、ある意味、その答えでもあったのかな。
やろうと思えば、これができるのだよ!
というのが答えなのかもしれません。

私が辛かった理由のひとつが、セリフをガナりすぎてること
だったのですが、そのストレスが今回はなく、
・・・どころか、河内さんにいたっては、そのセリフこそがよかった。
繊細なアプローチ、そしてすべてが彼の言葉になって伝わってきました。
難しいセリフを聴いてる感がまったくなく
テレビドラマの距離感というか、さっき会った人の距離感というか
あ、それはスケールが小さいとか軽い芝居だとか
シェイクスピアの良さが失われたとか言っているのではなく、
その自然さ、伝達率という意味において、という意味です。

そこから見えてくる人間像も、
陰りのあるメランコリックで優柔不断なマザコン青年ではなく
自然体で、でも、王子としての品格をそなえた
さわやかで、かわいげのある好青年、に私には見えました。
オフィーリアに対してとてもとても優しいんだろうなと思いました。
葛藤は感じても、うじうじした迷いはない感じでした。
世が世なら、人気のあるいいリーダーになっただろうなと思いました。
マクベスで見た河内さん、まったく違う人になってました。
思ってたより若くてかわいいのですねぇ。(ごめんなさいっ^^;)

あらゆる分野で成功する人は、既存のニーズに応えるのではなく
ユーザー自身も意識してない潜在的なニーズを引き出すものですが
私にとって、河内さんのハムレットは、それでした。
「こういうハムレットに会いたかったんだ」と思ったのでした。

時代もかわったのだと思います。
今の若者たちは概して、威圧感のある、横柄なものに対して、
激しく抵抗します・・・いつの世も若者ってそうだと思いますけれど、
いまは特にそれが強いように思います。
そして丁寧さ、繊細さ、等身大を求めます。
広告も、「どうだすごんだぞ」の時代ではもうありません。
どちらかといえば「いっしょに・・・しよう」の時代です。
震災の影響もあって、家族を大事にするようになり、
男性たちもそれを表に出すことを恥ずかしがらなくなりました。 
料理をし、花を買います。 
そんな彼らを「軟弱」と評する上の世代の人たちも多いですけれど。
この時代に見るハムレットは、そんなに特別ではないのかもしれません。
飲みにいって楽しくハメをはずすこともあれば、
好きな人とつきあっていたら結婚まで何もしないとかは、ないですよね。
でもかわいがってくれた母親が、父をなくして2ヶ月もしないうちに
おじさんとできてしまったら、普通にすごく嫌でしょう。
もちろんどの世代にもいろいろな人がいると思うので、
ひとくくりにして語ってはいけないと思いますが、
私には、ハムレットやオフィーリアと、
クローディアスやポローニアスとの関係が
いまどきの青年と、団塊〜バブル世代にときどき見かける
ちょっとふんぞりかえりがちな人たちとの関係のようにも
感じられました。

私ね、新劇の匂いが色濃く残るシェイクスピアも、
嫌いじゃないのです。
予定調和にならずちゃんと気持ちが詰まったものであれば。
簡単には海外に行けなかった、youtubeもなかった時代の
人たちの芝居は、豊かなイメージに満ちています。
古臭いかもしれないけれど、物語の世界にいざなってもらえます。
今でも忘れられないのは、演劇集団円による
安西徹雄先生演出の「リア王」。
仲谷昇さんのリア王と橋爪さんの道化でした。
でもあれはもう観られない。それなら、
いっそ新しいの観たい、って思ってる。

一方で、新しい演出はいっぱいあります。
臭みはない。でも、今度は、物語の世界に飛べないものも多い。
ユ●クロの稽古着がすけて見える役者さんも多いです。
イマドキ日本の、節約してコンビニでおにぎり買って
稽古前に、しゃべりながらストレッチしてる若者の姿しかうかばなくて
それは素じゃん?みたいな。セリフもふくめて。
私の求めてるリアリティは、それじゃない。

今回のは、そのどっちでもない、
強烈に生で、すごく今で、でも、飛べる。
そんな素敵なハムレットでした。

このハムレットに理不尽な態度をとられたら、
オフィーリアは発狂するでしょう。
まいみオフィーリアもとてもチャーミングでした。
さっきもちょっと触れましたが、えげつない論点ながら、
発狂の要因とかかわりがあったりして考えざるをえない
ハムレットとの関係も、クラブで赤を着ていたことで、
なんとなくごく普通に、一線は超えてるでしょって。
そして、そう、尼寺へ行けっていわれて、
呆然としてよよよと泣き崩れるだけの
受け身なオフィーリアではありませんでした。
でもああなるよね、ひっぱたくよね。
なんでなんで?ってなるよね。
そんな、ちゃんと意志のあるオフィーリアに、
私は好感と共感を持ちました。

ガートルードの野口さんも。
母であり、女であり、もろさとエロティシズムが内在していて
死んでしまうところでは独特の哀れさが伝わってきました。

これは贅沢を承知ですが、
その他のメインキャストの方達が全員
河内さんレベルに近いところまで上がって来てくれると、
またもっといいものになったんじゃないかなとは・・・
まだ自分の言葉として消化しきれてない感じだったり、
芝居がかりすぎていたりして、正直、
「難しいセリフをがんばって言っています」
感から抜け出せてない方も何人か・・・。
もっともハムレットは
「演じることを封印されている」わけで、このギャップも
意図的だったのかもしれないとも思いましたが
それでもやはり、もう少し。
もしかして翻訳の時点で選択される言葉の種類が
ハムレットだけ違うとかあったのかな?
あらためて脚本を読んでみたいと思いました。

演出も、ぶっこわし度においては、
今まで私が見た数作よりは抑制がきいていたように見えましたけど
内面的なエネルギー量はそのままだったし、
ちゃんと斬新で、エッジは立ってて、私には好きなバランスでした。
奇抜ならなんでもいいんかい!?
みたいな印象も今回はなかったな・・・。
一見奇抜なものの中にも
何らかのメッセージが感じられました。
わかんない、私自身も、感覚的にたくましくなって、
クラブシーンや上半身裸にチュチュごときでは
もう驚かなくなっているからかもしれないですけど(笑)。
介護トンネルから出たばかりのときからすると、
いろいろ見てきたものが、加圧トレーニング的な刺激になって
新しい感性の血管ができてきた、そんな気もするのです。

白黒の横断歩道みたいな床。
to be とnot to beを象徴しているように見えました。
そのほかにも、善悪、大人と若者、さまざまな対比に思えました。
それが今と過去をつなぐ横断歩道のようでもあり。
(あれあると、ばみりもしやすいかな、なんて
 出方目線でもちょっと思っちゃったりしたけど(笑))

日米北朝鮮、風刺がいい塩梅。
あれも、なんかこう、ふわっと辛辣すぎになる手前で
ふみとどまった(ように私には見えた)ところがいいな。
関係ないようでいて、あそこで、あのあと演じられるものと
自分たちとの距離が決まるんですよね。
少なくとも私は、あれを見た距離感で残りを見ることになりました。

私が好きだったのは、芝居を見せる時、
クローディアスの表情をビデオでとってたところ。
SNSで拡散もできるんですよ、と暗につきつけている
感じもして、ざわざわしました。 

パイプ椅子の美しさにも感動しました。
マクベスのときには、おもしろいけどうるさいなって(笑)
でも今回は、「なにこれすごい!」
あの積み上げた景色は壮観。どうやって考えたのか知りたい。
整然とした美・・・がくずれたときの混沌、
冷たいほどの冷静な存在・・・が崩壊したときの騒音、
そのギャップがうまく使われていて、
ああ、こんなに可能性があるんだなって。パイプ椅子。

決闘の武器にもなってましたが、
なんかこういう競技ありそうで(笑)。
 
ハムレットの死ぬ場面も、ユニークでした。
死んでも存在する。to be  でも not to beでもある。
そんな感じの。

もちろん、私としては、
友達だしね、魅力と可能性のいっぱいある役者さんだしね、
岩崎MARK雄大くんのハムレット、
いつか観たい、とても観たい。
あと、ガートルードとクローディアスを。
それからね、墓掘り。
でも今回彼がやってた役を、新人くんがやるのと
彼がやるのとではまったく違うと思いました。
脇から舞台をしっかりしめる箍(たが)のような見守り感でした。
ぜんぜん関係ないけど、重心移動がきれいだな。
たぶん舞台にいるひとりひとりが、そういう、
「いざなえる体かどうか」
みたいなちょっとしたところもあると思うのですよ、
舞台のクオリティを支えたり、劇団の底力を垣間見せるものって。

カクシンハンさんには、守りに入らず冒険し続け、
またうんざりさせていただきたい気もしますけど(笑)
でも、このバランスで、また何か観たいなあ。
 スケジュールの都合で1度しか見られないのが残念です。

ばらばら&ざっくり&長すぎ。
しかもプログラム読んでいないので、
トンチンカンだったらほんとごめんなさいと思いながら、
以上、率直な感想でした。
 
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★平昌オリンピック フィギュアスケート女子 雑感★

平昌オリンピックのフィギュアスケートが終わりましたね。

ダンスもペアも、もちろん男子も!!
感想と感動と感じたことはたくさんありますが
なんとなく女子については思ったこと書いてみたくなりました。
採点の細かいところや秘話の取材はできていないので
ひとりの観戦者のつぶやきにすぎないですけれども。

順位には私は納得でした。
心情的には、
知子ちゃんにもメダルあげたかったけれど・・・。
素晴らしかった。その姿勢に、努力に尊敬するばかり。
磨いて磨いて磨いて滲み出てくるあの繊細な輝きに
キューンとします。

ずーーっとずーーーーっと前、
介護で忙しくなる前のほんの短期間でしたが
濱田コーチの生徒さんたちに表現力や感受性を豊かにするための
ワークショップしに京都まで出かけていたことがあって
ちっちゃな知子ちゃんもその中にいました。
2年生くらいだったのかな。
表情はひかえめなんだけれども、何も感じてないそれではなく
心の中でいろんなものが動いているのがわかりました。
多くは語らず、目で聞く、というか、大きな目から
いろんなものを吸い込んでいくような女の子でした。
物語をつくってみたり、
曲のメロディの下に流れているリズムを見つけだしてみたり、
みんな目がすぐ死んじゃうから、
みんなにちいさな太陽をつくってもらって、
音楽と言葉でリードしながら
その小さな太陽が大きくなってのぼって沈むまでを
具体的にイメージしてもらったりしたのですが、
そんなときの知子ちゃんの目は、ほんとに生き生きしていて
感受性の豊かな女の子だなって思いました。
小さい子のグループの中には木原まりこちゃんもいました。
私がしたのなんて、ちょこっと背中をつつくくらいのもので
うまくできたのかもわからないし、短期間だったし
みんなもう私のことなんか記憶にないと思うけど・・・
そっとずっと応援していました。

アリーナ・ザギトワ、すごい選手。キラっキラ。
長くなりますが、できるだけ正確にいうと、
「現時点でのルールの中で高得点を稼ぎ出せる作戦を体現でき、
 フィギュアスケートにおいては評価されるレベルの表現力との
 両立ができた」
のだなと思います。

正直言うと、現時点では、
私の好みとは少し違うかなー。
現時点では、です。まだ15歳ですものね。
 
まず、ここは年齢を重ねても、
もう変わらないところかもしれないけど・・・
私はランディングの時膝が深めに曲がって、
すーっとそのまま後ろに流れる選手が好きなので・・・。
変な言い方ですが、前モモで耐える感じではなくて
お尻の裏側から足の後ろ側にかけての強さを感じるタイプです。
また私はスケーティングも、足の裏が吸い付いたまま、
膝をみゅーん、みゅーんとなめらかに伸び縮みさせながら
滑る選手が好きなので、
そういう意味でもちょっと硬さを感じるかな・・・。

ここはまだ年齢を考えると、今のレベルでも驚きだし、
きっと年月と場数を重ねて進化するところだと思いますが、
きれいな体操みたい、といったら体操の人に失礼かな。
たとえば腕や足はしかるべきポジションにきれいに入っているし
上半身も連動しているのだけど、気持ちはもうそこにいない
っていう感じが、私にはあまり素敵に思えなかったのです。
また、ポーズのひとつひとつが、
短かすぎておざなりに見えるところもそこここに。
もしかすると、競技だからで、
エキシビションではそうじゃないかもしれないけれど・・・

俳優やダンサーの方ならわかると思いますが、
「そこにいて」
「なんとなくやらないで」は
本当に大事なことです。
こういう部分は、ジャッジやコーチや
観客の目も肥えないと進化してはいかないかなと思います。
(取材・報道する人たちもです)
フィギュアスケートにおける表現力の基準って、
たしかに私も甘くなるなと思う。
あまりにもほかにたいへんなことがあるから、
そしてみんな若いから、
低いラインで許してしまいたくなるんです。
でも、そこはしっかりと「真の意味での一流をめざして」
がないと
進化していかない・・・。
そのためには真の表現とは何かをもっと探求する
必要があるし、さらにそのためにも
いい俳優やいいダンサーたちが学んでいることを
もっとしっかり知る必要があると思います。 
(顔をつくれるのが、いい演技ではありませんっ)
どのくらい「そこにいます」か?なんて
点数化できない部分ですが
採点対象になろうがなるまいが、
フィギュアスケートが魅力的なものであるために
少なくとも、選手と観客の中では
大切にされるものであってほしいと
私は思います。

ただ、話を戻すと順位は妥当だったと思います。
たとえ、ルールが改正され、
後半に盛り込むジャンプの回数が制限されたとしても
(そうなりそうですね)
現時点のルールの中では、あの構成はOKだったわけで。
偏りがあることで作品としてのバランスが崩れたとしても、
ポーズのひとつひとつが短すぎておざなりに見えても、
あんなにタノにする必然性が芸術的にはなかったとしても、
少しは演技構成点に影響したとしても、
実際フリーの演技構成点だけ見れば、4位でしたか
技術点の積み重ねで勝てる、そういうルールですから。

ますます難しくなるのかも。
「スポーツとしてよりエキサティティングに」
と「作品として魅力的である」を両立し、
かつ「わかりやすい」ルールづくり・・・。

才能と魅力にあふれていて
これからが楽しみな選手であることはたしかです。 
オクサナ・バイウル、タラ・リピンスキー、サラ・ヒューズ・・・
オリンピックの女子フィギュアでは、なぜか
勢いよく噴き出した新芽のような存在が、
鮮やかに金メダルをさらっていくことが多いけれど、
新芽から生まれた早咲きの花には、それなりの苦しみも
やってくることは、
彼女たちのその後が物語っています。
私には、
彼女たちの気持ちははかりしれないし、
その苦しみも尊いし、氷上で戦い続けることばかりが
人生の正解ではないと思うから、彼女たちがアマチュア競技から
すぐに退いた選択もちゃんと尊重したいとは思います。
でも 
観客としてわがままを言わせていただけるなら、
やはり記憶に刻まれるのは、彗星のように現れて
金メダルをとって
あっというまに消えてしまう選手ではなく
浮き沈みを経験したその果てにメダルをとった
選手だったりします。アリーナには、もし辛い気持ちがきても、
そこからもうひとまわり大きく強く艶やかな花を、
競技の場で咲かせてほしいというのが正直な願い。

負けたけれど、美しかったメドべージェワ選手。
表現力というひと言にまとめられがちですが、具体的にすると
彼女の場合は「感情の表出と伝達」が際立っていると思います。
金メダルあげたかったな、とちょっと思いますが、
より若い選手の台頭を受け止めなければならない
という立場を経験したことは、きっとこれからの演技に
深みを与えてもいくと思います。
キリッとたくましく、気持ちいい高さと飛距離のある
ジャンプで魅せてくれたオズモンド選手。
そしてカロリーナ!ずっと見ていたかった。
ソツコワ選手のフリー、演技はシンプルでしたが
だからこそ見とれるゆとりがありました。
私が古い人間なんでしょうか。
ミライちゃんにも拍手を送りたいです。

坂本花織選手にはうれしい驚きを感じました。
雰囲気が一練習、一練習、一戦、一戦、
洗練されていくのが見えました。
あの元気でハツラツとしたものがそのまま磨かれて行く。
吸収力のいいスポンジみたい。次がとても楽しみ。

もっと書きたいけど、延々長くなるので。
アルベールビルのみどりさんとか長野のミシェルとか、
ソチの真央さんとか、自身も優れた表現者でありながら
するどい着眼点とあたたかいハートと的確な言葉で
選手たちのことを伝えている大輔さんのこととかまで
書きたくなって、そうなると
きっともう
収拾つかなくなりそうですから(笑)。 

最後になりますが、
取材・解説のみなさまも本当にお疲れ様でした。
早朝から深夜までリンクにいて、
目が乱反射でやられてシバシバしてたりするかも。
選手に寄り添えばいいのか。
心を鬼にしても取材するべきことは何か。
そんなことも問われます。
たえず気をはりつめてアンテナをたてて、

一度に取材するべき対象がリンクのあっちとこっちで
かけずりまわって疲労困憊することもしょっちゅうです。 
今は活躍の場も広がったと思うので、
交通費滞在費も自分持ちで、
原稿料はとても安くていつも赤字、という状況は
私が書いていたころとまた変わったかもしれないと思いますが、
その分、違う意味でたいへんな時代にもなってきたと思います。
何を伝えるべきかを考えるのはたやすいことではないと思う
こうして、ブログに言いたいことを、文字制限もなく、
裏もとらず好きなように書くのは楽なことです! 
いい加減な記事や報道には心底悲しくなりますが
いい記事に関しては、心からのリスペクトを持って
読みたいと思っています!


春の足音。
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★海を見ながら★

暮れなずむ海を見ながらものを書くという
夢のようなひとときを実現してきた。
そしてまるで2人の対照的な恋人の間で
揺れるみたいに、ふたつの選択肢の間で揺れている。

浜辺を歩いていて泣きそうになった。
悲しくもないのに。
心のまんなかをきゅっと小さな手でつかまれるような気がして。
その小さな手の持ち主はいったい誰だろう。

アサヒのトップドライのブーツは浜辺でも優秀。
長いの買おうかな。
エレガントに見える、実はジャージ感覚のファルダも。
とはいえ、ここに何をしにくるのか、
明確な目的を持って集まった人たちの中では
確実に私は浮いていて、
ビニールシート、もってくればよかった。

浜辺では満月に出会えず、駅に行く途中、橋をわたったところで
とつぜん、ぱーーーんと目の前に登場した。
ファンファーレがなったくらいのびっくり感だった。
今年一番のスーパームーン。ロマンティックというより
卵せんべいか、歌舞伎の書き割りかと思った。

そういえば、今日は高麗屋三代の初日。
私はあさってまいりまする。
染五郎さんを幸四郎さんって、
違和感なく言えるように脳内アップデートしなきゃ。

★SWING、ガルロチ、新国立、オーチャード、S.ポルーニン★

いろいろ一気に・・・

★お誘いいただき寺井尚子さんのライブ@銀座SWING。
風のようなバイオリンの音色が、体の中を吹き抜けました。
ブレリアのようなスカボロフェアが素晴らしく色っぽくて、
想像モード満開で、蜂の目線で草原を飛んだりもしました。

★ガルロチでフラメンコな夜。
アデラのソレアは火のように熱く、
チョロのサパテアードに胃の底をくすぐられ、
歌うヘススも奏でるダヴィもかっこよかったけど
私の心を何より射抜いたのは、ロンドロのカンテ。
脳幹にじわっと届いてしみるような。

★初演を観られなかった
「かがみのかなたはたなかのなかに」@新国立劇場。
なんでしょうこの妙な面白さは。
不思議なお菓子を食べた感じですが、好きな味でした。
とくにシュールで、こわいところが最高です。
けいこが壊れてしまうシーン、耳と心にはりつきます。
茂木プロデューサーから「たぶんわきちゃん大好物」って
言われて買わされた(笑)プログラムに載っていた台本が
ほんとに大好物でした(^^)。
長塚圭史さんすごいです。

★村井邦彦さん作曲活動50周年記念コンサート。
思いがけず17時半に渋谷で仕事から解放されたので
来てみたのですが、思いがけない意味を持つ
夜となりました。
舞台に、そして音楽に、ふわっと漂う、
スマートで、上質で、さらっとしているけれど、
さりげない温もりのある紳士感、
そんな古き良き時代の慶応の匂い。
子供のころからよく知ってる匂いでした。
元気だったころの父と来たかった。
・・・と思った瞬間、涙が出ました。
ひどい話ですが、見送った日からはじめて、
父に心底会いたいと思いました。そして
「うちにはパパがいない、先生しかいない!」
と言い放った遠いあの日からの長い反抗期が
私の中で終わったのを知ったのです。

そんな1部のあと2部は急に「今」。
創作意欲が刺激されたのか
心がわさわさしゃべっていました。

tekkanさんのブログ拝見しなかったら来なかったかもしれません。
教え子さんたちと歌えるの嬉しいっていうひと言に
ちょっとほだされちゃって、行ってみよっかなって思ったのです。
感謝。なんかすごい人に歌っていただいたのだな
えらいこっちゃって実感しましたけれど、
またがんばろうと思いました。

★海辺の町でセルゲイ・ポルーニン
逗子の休日。空は晴れ渡り、海はとても穏やか。
ヨーロッパの村にあるような、素朴な小さな映画館で
大好きな人生の先輩と「セルゲイ・ポルーニン」を
ようやく見ました。
もう、どんな言葉も追いつかない。
Take Me To Church、振り付けも素晴らしくて
大画面で何度でも観たいと思いました。
にしても・・・「ヒゲのおじさん」・・・(笑)

終わった後、海の夕日が美しくて。
いい作品を観た後の景色って大事だなー。

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★京都紀行2 おいしいもの編 & GEAR !★

上七軒の萬春さんはなくなってしまったけれど、
そこで知り合った、私と京都を
今もつないでくれる大切な友人たち。
西陣織の織師さん、小澤さん。
行政書士の、真理ちゃん。
一緒にさくらまつに会いに行った後、
2人がつれていってくれたのは、出町柳のフレンチ、
エピスさん。おしゃれな店内、
目にも舌にも美味しいお料理を楽しみました。

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まりちゃんからのお土産。
ふふふ。おいしゅおす。
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こんなところも行きました。
お漬物屋さん、西利さんのカフェ。
アフタヌーンティーなんですけれど、お漬物を上手に使った
サンドイッチや、ミニパスタ、とっても美味しかったです。

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これは前もって言っておかないと買えない
菱屋さんの「うすばね」というおせんべい。
この食感は、ちょっとスペシャル。
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いとしの、マリベル〜。
自由が丘にあったのに、なくなってしまい・・・
ついつい大人買い。
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よーじやカフェ。
ブラック派もしくはカフェモカ派の私、
あまりカプチーノ飲まないんですけど
これはたのむでしょう(笑)。
おしぼりがかわいくて。
非売品でしたがお土産にしたかったなー。
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そして・・・そのよーじやカフェから近い劇場で
上演中の「GEAR」。
京都で話題のロングラン作品、当日券で行ってみました。
これすごい!
100キャパの小さな小屋でくりひろげられる、ロボロイドたちの
マイム、ブレイクダンス、マジック、ジャグリング。
そこに現れるかわいいドールもふくめて
出演者たちのクオリティの高さとキャラの魅力。
物語の枠組みは、ひとりひとりの芸を見せるため・・・
ではあるのですが、ちゃんと心にきゅんとくる構成に
なっています。
たぶんものすごい準備と練習量だと思います。キャストはもちろん
装置、音響、照明、プロジェクションマッピングも。

印象的だったのは、客層のバランスの良さ!
性別、年齢、国籍、職業、雰囲気。
東京のちいさなスペースで演劇を観ると、
たいてい一番少ない仕事帰りの若いサラリーマンもいました。
しかも彼女につれられて、とかではなく、1人とか
先輩後輩?みたいな組み合わせできていて。
この演目の魅力か、京都という土地柄なのか・・・。
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というわけで、今回は、
「和」や「歴史」にとらわれない
(正しく言えば、それらを内在させた)
京都を楽しんできましたー。

★京都紀行1 さくらまつ編★

10案件が同時に動くという怒涛の数週間を終え、京都へ!
関西方面にちいさな取材の仕事があったこともありますが
一番したかったことは、桜松への、感謝と報告。

上七軒の萬春さんで多くの思い出を共有した、
2人の友人がつきあってくれました。

変わりやすいお天気でしたが
御所に行くころにはあたたかく、おだやかな午後に。

久々の再会でした。
会うたびに姿が変わっています。
あらためて桜松の根元をみると、バリンと割れた樹皮の一部が、
根にかぶさっている土の小山から突き出ていて痛々しいですが、
落ち葉を枕にしている松の幹にはいまや苔がはえ、
さまざまな生物たちの命のよりどころになって
なんだか悟りをひらいているようにも感じられました。

そうそう、今さらすぎる情報ですみません。
松の歌の中で、
「本当の自信/自分、本当の絆
 あるものじゃない、きずく/きづくもの」
という歌詞が出てきます。
音にすると同じなのですが、実は、前半、風と歌う
「本当の自信、本当の絆」は「築くもの」
後半、桜の回想で出てくる
「本当の自分、本当の絆」は「気づくもの」
です。一応ね、一応・・・。
どちらにとっていただいても良いなと思って、
差し替えずに歌っていただきました。 
そして、これもtekkanさんが歌の力でしっかり伝えてくださいましたが
「あるものじゃない」は、もちろん「ない」という意味ではなく
「最初から」「安易に」「目に見える形では」・・・。

ここに横たわっている松も、
ほんとにそんなこと言いそうでした。

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桜は天に向かって伸びた枝が、幹のように太くなってきています。
松に抱かれた姿のまま、思いがけない形で大きくなっていました。

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私、プログラムに桜のタネが落ちたときに100年みたいな
書き方をしてしまったのですが、
立て札によれば、松は倒れたときに推定樹齢100年、
桜が40年だったそうですから、
桜のタネが落ちた時、松の樹齢は60年ということになります。
学習院跡という場所ですが、もし会いに行かれる方いらしたら、
砂利道なので、歩きやすい靴をおすすめします。

関係ないですが、御所で出会った、とても美しかった木。
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もう1か所。叡電に乗り鞍馬寺に行って来ました。
私の大好きな場所です。
パワースポットと呼ばれる場所は、京都にはたくさんありますが、
「相性」があるような気がしています。そして私にとって
この鞍馬寺は、とても相性の良さを感じる場所なのです。

そしてそこへ行く、叡電も大好きな電車。
出町柳駅から一番前に乗り、景色を観たいほかの方に
少しお気遣いいただきつつ(笑)、子供のように
前の景色を見ながら・・・をおすすめします。
最初はしばらく町中ですし、出町柳からは30分ほどかかりますが
山が近づくにしたがって、電車が木立をわけいるように進むので
これだけで四季折々の自然がつかのまですが楽しめます。
鞍馬寺はその終点からのぼっていきます。
ケーブルもありますが、足でのぼったほうが到達感があります。

少し、風族のお話をしましょう。
「竜が起こす春疾風」という歌詞を書きましたが、
(「竜」は、常用漢字外に指定されている「龍」の省略形ですね)
これは、竹取物語の中に、竜が疾風をおこす場面が
出てくることによります。竜が自分を殺そうとした
人々の船を翻弄するんですね。

「さくらまつ」に出てくる風は、
「高くそびえ立つきれいな山」で生まれ
子どものころ、竜と春疾風ごっこをしたりして育ちました。
ひとりぼっちだったので、同じように孤独な竜だけが
遊び相手だったのです。
地球の裏側まであっというまに行ける速さも、
この遊びで培われたものです。
おそらく嵐は、そのようすもずっとながめて、
風の資質を見ていたのでしょう。

鞍馬寺の本殿まで上がっていくと、
比叡山とともに三重県の竜ヶ岳が見えます。
ものすごく高いというわけではありませんが、
名前といいロケーションといい、あのあたりかな、と
想像をかきたてられる山でした。
三重県、竜、といえば、二ツ池かもしれないけれど・・・ 

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鞍馬から貴船に抜ける道は現在台風の影響で閉鎖中。
ずーっと前、「京都 能と花の旅」という本を書くために、
ここを抜けたことがありましたが、天狗と修行をしたという
牛若丸時代の義経にゆかりのあるところが
たくさんあって楽しかったです。

嵐が好んだ場所があるとしたら、こんな感じの山かもしれません。
もっと節操のない嵐たちの所業に胸をえぐられながら、
すべてを呑み込んで生き抜く強さを培ったような気がします。
一方、やはり「きれいごと」だけじゃない自然も目の当たりにし、
都度、弱みを見せずに自分の中で解決してきた松と、
そういう意味で、長く生きて戦って来たもの同士にしか
わからない何かを共有してたんだろうと思います。

って、実は風族の話から後は、私の設定じゃないんですよ(笑)・・・
お稽古を見ながらなんとなく浮かんで来た
後付けストーリーが、京都の大好きな場所の景色と
ひとつになったのです。
最終的に、俳優さんたちの心や頭の中で
どういうイメージがふくらんでいたのかは、
私も知る由がありません。
今回はあまりあれこれ細かく説明せずに、
大事なことだけお伝えして、
板垣さんと小百合さんとキャストのみなさんの手に
委ねましたので・・・
舞台とは、作者のほうが、より広がりのある物語を
いただくこともあるのですね。

なので別に、スイスのアルプスでも良いのです。
みなさんにそれぞれの中で
想像の翼を広げていただけたら。

そして、まだお時間あるわという方は、
このひとつ前の記事へどうぞ。
トークコーナーで、それぞれを植物にたとえたら
というお題が出たことがありました。
実は・・・私にもちょっとしたイメージがありました。
でもなんとなく出しそびれていたものです(笑)。
あまり後にひきずっても、と思いましたので、
同時公開で。

そして京都紀行は、後半へと続きます。
それはこの後の記事をごらんください。

Profile

ciao_waki

★INFORMATION★
★連載はじまります

「パセオ」
2018年4月号より
「和己も歩けば
〜フラメンコの森で」


★終了しました★

2017年10月20日〜22日
朗読音楽劇「さくらまつ」
(原作・脚本・作詞)



2017年6月2日(金)
♪白石和己ソロライブ
 with川島茂トリオ♪

20:00スタート
白石和己(vo)
川島 茂(pf)
越野振人(ba)
宇山満隆(dr)

赤坂Tonalite(トナリテ)
http://www.akasakatonalite.com/

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