シネマニア日記

無類の映画好きが独自の観点でレビューするシネマニアの日記

無類の映画好きが独自の観点でレビューするシネマニアの日記

◇黒澤明監督

◆三船敏郎、仲代達矢、山田五十鈴、司葉子、東野榮治郎、加藤大介、山茶花究、河津清三郎、藤原釜足、志村喬、渡辺篤、土屋嘉男、藤田進、羅生門綱五郎 

 

黒澤明は海外の映像作家たちに多大な影響を与えたが、それが典型的かつ象徴的に表面化したのが黒澤作品が国情の違う海外で幾通りにもリメイクされているという事実である。映画ファンなら誰でも知っている『七人の侍』と『用心棒』の二作のリメイクのことである。

「用心棒」1『七人の侍』は正規の手続きで『荒野の七人』に生まれ変わったが、『用心棒』は無断でマカロニ・ウェスタンの『荒野の用心棒』となり、後で訴訟沙汰になって製作サイドが著作権使用料に相当する賠償金を支払うことで決着した。セルジオ・レオーネ監督が黒澤作品をよほど気にいってリメイクを急いだと考えざるを得ない。

オリジナルの『用心棒』は、そのタイトル同様、内容も実にシンプルである。

どことも知れない宿場町で二つの組織が賭場の権益をめぐって激しい勢力争いを繰り広げ、住民たちが迷惑しているのを知った放浪の浪人者(三船敏郎)が知恵を絞って両勢力を相討ちで壊滅させて飄然と去って行くという話なのである。

その浪人は名前を訊かれると、遠くに桑畑があるのを見て「そうだな、桑畑三十郎だ。もう四十郎に近いがな」と適当に答える。

演じる三船敏郎の男らしい風貌のおかげで三十郎は強そうに見えるし、映像の中でも実際に強いところを見せるが、実は名無しのヒーローであり、縦横無尽の大活躍を見せるわけでもない。悪者同士を戦わせて自分は高見の見物を決め込むのである。

そういう特異なキャラクターの造形がこの作品の魅力でもあり、海外の映像作家を魅了することにもなったのだろう。黒澤明は「ぼくは長い間、心底面白い映画を作ろうと思っていたが、『用心棒』はそれを具体化したものです」と語っている(ドナルド・リチー「黒澤明の映画」キネマ旬報社刊)。

黒澤明の企図は見事に果たされている。それはリアリズムの手法によってではない。黒澤明は図式的・象徴的な手法に拠っている。

「用心棒」2冒頭いきなり登場した三十郎は、人間の片手を咥えた野良犬を目撃する。それはこの宿場町の惨憺たる現状を象徴している。一方の悪勢力の事実上のリーダーらしい卯之助(仲代達矢)は時代劇にもかかわらず現代風のマフラーを首にかけ、懐からピストルをちらつかせている。これは、この男が異風のアンチ・ヒーローであることを象徴しているといった具合である。

単純明快なストーリーだから観客も感情移入しやすい。が、悲しいかな、映画は時代の申し子であり、娯楽作品は時代の経過と供に鮮度が落ちていくのは避けられない。初公開時から何度も観ているうちに次第に感銘の度合いが薄れていくのを覚えるので、そう考えざるを得ない。

☆☆☆

◇アンリ・コルピ監督

◆アリダ・ヴァリ、ジョルジュ・ウィルソン、ジャックアルダン、ディアナ・レプブリエ、カトリーヌ・フォントネー、シャルル・ブラヴェット

 


「かくも長き不在」01ヒトラーとナチス・ドイツが第二次世界大戦前から大戦中にかけてヨーロッパ各地で実行した残虐行為は、ユダヤ人に対してのみならず、侵攻した各国の国民へも広く及んだらしい。その詳細は一般人には知り難いが、ヒトラーの自殺とナチス・ドイツの降伏から70年が過ぎた今なお、ヒトラーかナチス・ドイツによる蛮行に関する映画が各国でほとんど途切れ目なしにと言ってもいいくらい頻繁に製作・公開されている状況からも推察はできる。

『かくも長き不在』(1960年、フランス製作)のオリジナル・フィルムがデジタル化されたうえで修復され、初めてDVDとしてリリースされたのを観て、改めてそう思った。この映画はゲシュタボの拷問で頭部を傷つけられたため記憶喪失症となったフランス人男性が主人公で、この主人公をめぐって“記憶の不確実性”という問題が提起されている。それは観客の側にも問われる問題である。

パリ北西郊外の町ピュトーで近隣住民の憩いの場であるカフェを経営しているテレーズ(アリダ・ヴァリ)は或る日、店の前をオペラ「セヴィリャの理髪師」のアリアをハミングしながら通り過ぎる中年の浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)を見かけてハッとした。16年前の戦時中に故郷の町でゲシュタボに拉致されたまま行方不明になった夫アルベールに似ていたからだ「かくも長き不在」2

後をつけたテレーズは男がセーヌ川の川岸のボロ小屋に住んでいることを突き止め、少し会話をしてみて、彼が記憶喪失症で過去のことを全然思い出せないことを知った。彼は別の名前の身分証明書を所持していたが、テレーズはアルベールに間違いないという確信を深める。ここから、故郷からアルベールの叔母や甥を呼び寄せて男を間近に見せたり、男を食事に招いたりして確証を得ようとするテレーズの必死の努力が続くが、確証は得られない。

この映画は200812月と2009年3月に別々の映画館で二度立て続けに観て感動したので、大抵の場合忘れっぽいのに珍しくストーリーを細部まで記憶しているつもりだったが、今回、初めて観るように意外な結末に驚いた。

記憶の中では、浮浪者を食事に招いて食後にダンスまでしたテレーズが、急にそわそわと店を出ていく男の後ろ姿に向かって「アルベール・ラングロワ」と大声で呼びかけると、男はいったん降伏のしるしに両手を挙げた後、急に逃げ出して走ってくるトラックの真正面へ走り込んでいき、テレーズが失神して倒れるところで終わっていたと思い込んでいた。

ところが今回DVDで見直すと、数日後にテレーズがなじみの客から「男は生きていて、町を去った」と教えられるところで終わっていた。

記憶とはなんとも頼りないものだと痛感した。男は本当にアルベール・ラングロワだったのか? テレーズの記憶に間違いはなかったのだろうか?

蛇足めくが、1930年代にフランス映画界が黄金期を迎えた時期に、『望郷』、『舞踏会の手帳』、『巴里祭』、『大いなる幻影』、『にんじん』、『自由を我らに』、『外人部隊』、『女だけの都』、『ミモザ館』など文学的香気の高い作品が続々と製作・公開され、日本でも当時の文学青年の映画ファンを熱中させ、戦後も名画座などで繰り返しリバイバル上映の機会があって戦後派文学青年を喜ばせたが、『かくも長き不在』は30年近い年月を飛び越えて黄金期のフランス映画を想起させるような文学的香気を放っているように感じた。

☆☆☆★

◇アク・ロウヒミエス.監督

◆サムリ・ヴァウラモ、ビヒラ・ヴィータラ、エーロ・アホ、エーメリ・ロウヒミエス、ミーナ・マーソラ、リーナ・メイドレ、スレヴィ・ベルトラ

 

1917年に帝政ロシアで革命が起きると、ロシアの支配下にあったフィンランド議会は好機とばかりに同年12月6日、独立を宣言した。誕生したばかりのソヴィエト政府は民族自決の原則を尊重してこれを認めた。

しかし、当時のフィンランドは食糧不足による飢饉、不況、高い失業率などの問題を抱えて政情不安定だった。小作農民や労働者たちは社会主義国家の樹立を目指して赤衛軍を組織し、これに対して自営農家や資産家などの階級は自らの財産を守るために白衛軍を組織した。

「4月の涙」1内戦は1918年1月に始まり、当初は赤衛軍が優勢だったが、将校は能力不足、兵士は武器を持たされた民間人に過ぎず、規律が乱れ士気も低かった。これに対し白衛軍はドイツ帝国やスウェーデン義勇軍の支援を受け、後半盛り返して同年5月に赤衛軍を壊滅させた。

『4月の涙』(2009年、フィンランド・ドイツ・ギリシャ合作)は、以上のような歴史事実を背景にした映画であり、その知識がなければ理解できないというわけではないが、予備知識なしで観ると内容の暗さ、陰湿さにひたすら辟易するばかりだ。

内戦末期の1918年4月、白衛軍は赤衛軍の残党である女性兵士グループを追い詰めていた。ミーナ・マリーン(ビヒラ・ヴィータラ)をリーダーとする女性兵士グループは捕虜となり、白衛軍兵士たちに凌辱されたうえ逃亡兵として裁判抜きで処刑されたが、ミーナは銃弾が逸れて無傷で倒れているところを白衛軍の准士官アーロ・ハルユラ(サムリ・ヴァウラモ)に捕えられた。

「4月の涙」2インテリのアーロはミーナを公平な裁判にかけるため単身ミーナを連れて遠くの裁判所まで連行しようとする。主義に殉じるミーナは問われても名前を黙秘し、頑なな態度を守る。

途中、二人の乗った小舟が転覆して無人島で一夜を明かした際に二人の間にほのかな感情が生まれたが、アーロは潔癖を守った。

裁判所に着いてアーロはミーナを公平だと評判の高い判事エーミル(エーロ・アホ)に引き渡したが、作家でありながら白衛軍に入ったエーミルは意外な裏の顔を持った男だった。ミーナが死んだ女性兵士から頼まれていた遺児の世話をアーロが代わって引き受け孤児院へ送り届けるエピソードが挟まれるが、後半は、妻がありながら男色家で複雑に屈折した性格を持つエーミルを中心に、頑強に抵抗するミーナ、彼女を何とか助けようと心を砕くアーロの3人の心理的葛藤劇となる。

暗く沈んだ色調の映像は美しいとも言えるが、内容の暗さを象徴しているようでもある。説明的なシーンは殆どなく、台詞も極めて少なく、娯楽的要素は皆無と言ってよい。

☆☆☆

◇モハメド・アルダラジー監督

◆ヤッセル・タリーブ、シャーザード・フセイン、バシール・アルマジド

 

 1986年から89年にかけてイラクのサダム・フセイン大統領が実施したアンファル作戦で、イラク北部に住むクルド人が18万人以上殺害され、数千の村が消滅したとされる。これをジェノサイド(大量虐殺)と断じた報道もある。

また、1990年8月にイラク軍がクウェートへ侵攻したことにより、翌91年1月にアメリカ軍を主体とする多国籍軍がイラク攻撃を開始した湾岸戦争でも多くのクルド人兵士が死んだ。

『バビロンの陽光』sub1ユニセフの統計では、湾岸戦争以来のイラクでの死者は100万人にのぼるそうだ。近年、約300か所の集団墓地が発見され、多くの兵士の遺骨が発掘されたが、殆どが身元不明だという。

『バビロンの陽光』(2010年、イラク・イギリス・フランス・オランダ・パレスチナ・エジプト・UAE合作)は、そうした現実を背景に、肉親探しの旅に出たクルド人の祖母と孫の苦難の旅を描いた映画である。2003年、サダム・フセイン政権が崩壊して3週間後に12歳のクルド人少年アーメッド(ヤッセル・タリーブ)は祖母(シャーザード・フセイン)に連れられて南方への旅に出た。

祖母にとっては12年前に兵士として連れ去られたまま行方不明となった息子イブラヒムを探す旅であり、アーメッドにとっては顔も知らない父親を探す旅だった。

二人は茫漠として視界を遮るものもない砂漠を最初は徒歩で、時には通りかかるトラックに、時にはオンボロの乗合バスに乗り継ぎながらイブラヒムが収容されていると思われる刑務所がある900km先のナシリアを目指す。

途中、フセイン政権の命令でクルド人殺戮に加担して心に傷を負ったイラク人の元兵士の男と道連れになる。祖母は怒って男を追い払おうとするが、男は二人を守るため傍を離れない。

「バビロンの陽光」23人が行き着いた刑務所では、しかし、「イブラヒムという名の人間はここにはいない。集団墓地が見つかったそうだから、そこへ行ってみるがいい」と言われる。訪ねた共同墓地でもイブラヒムと思われる遺骨は見つからなかった。アーメッドと祖母は元兵士と別れ、なおもイブラヒム探しの旅を続ける。

バグダッド出身のモハメド・アルダラジー監督は、アーメッドと祖母の旅を通じて祖国の戦禍とその犠牲者の実態を普遍的な歴史的事実として描こうとしたようである。

取材の過程で出会った全く素人のヤッセル・タリーブ少年とシャーザード・フセインを孫と祖母の役に起用したこと、祖母には名前さえ与えられていないことがその傍証となろう。

一応はドラマの形式を取りつつもドラマとしての興趣は甚だ乏しい内容ではあるけれども、それが逆にドキュメンタリー映画のような訴求力を生み出している。いまだに宗派間闘争やテロによる惨禍が続くこの国ならではの現実感がある。

                               ☆☆☆

◇ノーマン・ジュイソン監督

◆シェール、ニコラス・ケイジ、オリンピア・デュカキス、ヴィンセント・ガーディニア、ジュリー・ボヴァッソ、ジョン・マホーニー、ダニー・アイエロ

 

 『月の輝く夜に』(1987)は、ニューヨークに暮らすイタリア系アメリカ人の曲折に富んだ恋愛模様を面白く描いている。喜劇的要素はそれほど多くはないにしてもロマンチック・コメディと呼ぶべき映画である。

確かに、輝く月がストーリーのキーワードになっているが、原題の“MOONSTRUCK”は「何かに心を奪われて気が変になった」という意味である。では、誰が何に心を奪われて気が変になったのか──。

「月の輝く夜に」137歳のロレッタ(シェール)は亡夫の友人だった42歳のジョニー(ダニー・アイエロ)からレストランで求婚され、他の客たちが注視する中でジョニーに跪かせてプロポーズをやり直させたうえで承諾した。しかし、父親のコズモは祝福せず、「結婚式の費用は出さない」と宣言した。

ロレッタは7年前に夫を事故で亡くしたのだが、その最初の結婚式にもコズモは費用を出さず、祝福もしなかった。

ジョニーはシチリア島のパレルモにいる母親が危篤だという知らせでパレルモに帰ることになり、一か月後と決めた結婚式の準備をロレッタに一任するとともに、5年前から義絶している弟ロニー(ニコラス・ケイジ)を結婚式に招待するよう依頼した。

ロレッタが教えられた住所にロニーを訪ねると、そこはパン屋の店で、地下のパン焼き工房でパンを焼いていたロニーは、5年前に自分の婚約者をジョニーに横取りされ、そのいざこざの最中の不注意で裁断機に左手首を切り落とされた事情を語り、「婚約者と片手を奪った兄貴を許せるか」と怒り狂う。

しかし、ロレッタとロニーは本能的に惹かれ合うものを感じ、月の輝く夜に憑かれたようにベッドを共にした。

「月の輝く夜に」2こういう恋模様の間に、ロレッタの父コズモの浮気、若い女性を追いかけてはレストランで相手の女性を怒らせて水をかけられるのがオチのニューヨーク大学教授の失意、コズモの妻ローズのその教授との偶発的な夜のデート、ロニーに誘われてメトロポリタン劇場へオペラ「ラ・ボエーム」を観に行ったロレッタと浮気相手を連れて劇場に来ていたコズモの鉢合わせ、ローズの兄夫婦とコズモ一家との絆などのエピソードが挿入される。

結局、パレルモの母親が奇跡的に恢復したので戻って来たジョニーがロレッタに「結婚すれば母が死ぬからやめる」と迷信深いことを言い出し、ロレッタはロニーとの結婚を宣言してハッピーエンドになる。

深い感銘を受けるような内容ではないが、冒頭から死別だの呪いだの事故による不具だのと不吉な話題や設定が続くのに、それらが一気に幸運に変わってしまうという人生の摩訶不思議さを謳い上げたハッピーな映画である。

☆☆☆

↑このページのトップヘ