◇豊田四郎監督

◆森繁久彌、淡島千景、小堀誠、浪花千栄子、司葉子、森川佳子、田村楽太、三好栄子、田中春男、山茶花究、万代峰子、沢村宗之助、上田吉二郎

 

新年(元旦)は今の時代でも気持ちの改まる時である。暮れまで口喧嘩のタネが尽きなかった夫婦でも、少しは「仲良く暮らしていこう」という改まった気持ちになるだろう。そういう意味に於いて元旦の改まった気持ちで織田作之助の小説「夫婦善哉」の話をしたい。原作は岩波文庫で数年前に出たが、今では読もうとする人は少ないかも知れない。しかし、その映画化された映像作品は今観ても面白く、感銘を受ける。

「夫婦善哉」1小説を映像化する場合、仮に原作のストーリーに極めて忠実であったとしても、登場人物を演じるのは生身の俳優だから、映画の内容は俳優の個性に大きく依存し、俳優の描き出すキャラクターで映画自体の評価が決定してしまうこともあるに違いない。『夫婦善哉』は文芸派の巨匠と言われた豊田四郎監督の代表作だが、同時に喜劇俳優・森繁久彌の代表作でもあり、森繁の軽妙な演技あっての映画『夫婦善哉』と言えるかも知れない。つまり、森繁以外の俳優が主人公の柳吉を演じていたら、これほどの印象深い名作になっていたかどうか判らないということである。

柳吉は大きな商家の跡取り息子でありながら、妻が病気で実家に戻って療養しているのを付け目に家業をお留守にして放蕩し、新町の芸者蝶子(淡島千景)と駆け落ちする。お人よしだが無責任で移り気で生活能力もない。父親から勘当されてからは臨時雇いのやとなに身を落とした蝶子に頼りきりで、蝶子のなけなしの貯金をくすねて遊び呆けたりする。人間失格と言ってもいいような情けない男なのだが、どこか憎めないところもあって蝶子は見放すことができない。

こういうダメ男の人物像を森繁久彌は誇張なく写実的に彫琢していて入神の演技と言うほかない。これは森繁が天性の喜劇役者だから可能だったと言えるのではないか。なまじ巧い役者──森繁も実はそうなのだが──が無理に拵えて演じてもこうはいかなかっただろうと思われる。森繁が大阪生まれだったことも大阪人臭を出すうえで大いに役立ったかという気がする。

森繁の自然で絶妙の呼吸に誘われる形で、淡島千景も男に尽くして尽くして尽くし抜く浪花の女性像を見事に描き出した。『夫婦善哉』は豊田四郎、森繁久彌、淡島千景の3人の稀有な出会いによって成った名作と言うべきだろう。

『夫婦善哉』の成功は、しかし、それだけが理由ではない。昭和初期の大阪の風俗と世態人情が実にきめ細かく描かれていることも大きな要因である。評論家佐藤忠男が書いている通り、船場の商家の店と家庭、千日前近辺の路地裏の一文天麩羅屋、蝶子がやとなとして働く店などの雰囲気、そこで生活する人々の口のきき方、息遣いまでが微細に写し取られ、法善寺界隈の雑踏の様子なども見事に再現(あくまでも映画的にだが)されている。

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