◇山田洋次監督

◆渥美清、いしだあゆみ、十三代目片岡仁左衛門、倍賞千恵子、前田吟、下条正巳、三崎千恵子、柄本明、太宰久雄、吉岡秀隆、杉山とく子、関敬六、笠智衆

 

『男はつらいよ』シリーズ全48作のうち、ジャンルの壁を取り払って日本映画史全体の中で傑作・名作に列せられる作品は、忌憚なく言って一作もないと思うが、シリーズ作品の内に限れば格別に傑出している作品が一つある。それが第29作『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』(1982年8月7日公開)である。他のどの作品とも同じパターンと言うべき喜劇だし、陳腐なステレオタイプのドタバタ騒ぎのシーンも無論あるが、それでも全体としては、しみじみとしたムードのある優秀作だと言える。それには十三代目片岡仁左衛門の出演が大きく寄与していることは否めない。

「寅次郎あじさいの恋」3葵祭の賑わいを目当てに啖呵売に京都へやって来た寅次郎は、稼業を済ませた後、鴨川のほとりで上品な和服の老人が下駄の鼻緒を切らせたのを素早く目にとめ、所持していた手拭いを裂いてすげ替えてやった。

何も知らない寅次郎は「じいさん、じいさん」と心やすく見下したように言うが、この老人は人間国宝で人気も高い陶芸家の加納作次郎(片岡仁左衛門)だった。加納は寅次郎のどこが気に入ったのか、五条坂の自宅兼工房へ連れ帰って酒食でもてなした。

一夜加納家に泊めてもらった寅次郎は女中のかがり(いしだあゆみ)と親しくなった。かがりは丹後の伊根出身で、夫と早く死別し、まだ幼い娘を故郷の母親に預けて加納家へ女中として働きに出てきていたのだ。

かがりは加納の弟子で独立した新進陶芸家の男と結婚の口約束があったが、男の身勝手で失恋し、故郷へ帰ってしまう。かがりの引っ込み思案を歯がゆがっていた加納は、寅次郎に「機会があれば、かがりさんを訪ねてやっておくれ」と頼む。寅次郎は「風の吹くままよ」と言いながらもかがりに惹かれるものがあったのか、結局、伊根へ行った。かがりと再会して話し込んでいるうちに最終の船便に乗り遅れたことから、かがりの実家に一夜泊めてもらい、そこで寅次郎の思いは密度の濃い恋心に変わる。

夜、寅次郎が寝ている部屋へかがりが飲み水を入れた容器を持ってそっと入って来て寅次郎の寝息を窺うシーンは、観客を何が起きるかとドキッとさせるし、まだ寝入っていなかった寅次郎もかがりの気配を察して体を硬直させる。こういうときに思い切った行動ができないのが寅次郎の唯一の弱気なのだ。ここは全編のハイライト・シーンである。

何事もなく柴又へ戻った寅次郎はまたもや恋煩いで寝込み、ここで少し滑稽シーンがある。寅次郎がようやく起き上「寅次郎あじさいの恋」1がれるようになった頃、かがりが芝居見物のための上京という口実で女友だちと「とらや」を訪ねてきた。友達や「とらや」の家族がいる前では何も言えなかったかがりは寅次郎に「鎌倉のあじさい寺(成就院)で日曜日に逢いたい」というメモをそっと手渡して去った。

かがりからの思い切ったアタックに、普段は威勢のいい寅次郎が不思議に応えきれず、小学生の満男をあえて供につれて鎌倉へは行った。寅次郎はかがりの秘めた情熱を受け止めかねてかわし、別れてから帰路の電車で涙を流しながら(満男の証言)、柴又へ帰ってくる。

今回はいつもの単なるバカ男の失恋騒動の喜劇ではなく、控えめに見えながらも内に情熱を秘めたかがりが提示する「大人の女と男の関係」がしっとりとした雰囲気でシリアスに描かれている。

それを側面から盛り上げているのが仁左衛門の風格ある佇まいなのである。半世紀をはるかに超える舞台の芸歴で磨き上げた風姿がそこにあるというだけで、物語の雰囲気ががらりと変わる。役者もここまでくると、存在自体が演技を超えている。

                               ☆☆☆★