◇降旗康男監督

◆高倉健、倍賞千恵子、いしだあゆみ、烏丸せつこ、古手川祐子、田中邦衛、大滝秀治、小林稔侍、竜雷太、宇崎竜童、平田昭彦、佐藤慶、北林谷栄、寺田農、池辺良

 

 降旗康男は1957年に東大文学部を卒業し、東映に入社した。63年に監督として独立して以来、東映が正面に押し出していた任侠路線に従って暗黒街もの、ヤクザもの、任侠シリーズなどの作品を撮り続けた。

やはり東大を54年に出て松竹に入社し、61年に監督として独立した山田洋次とはほぼ同世代と言ってよく、会社の打ち出す路線に忠実な映画監督だったことでは共通している。

やや違うのは、山田洋次が終始一貫企業内監督として身を処しているのに対し、降旗康男は1978年、ざっと20年間勤めた東映を退社、フリーになったことである。その理由は判らないけれども、任侠路線に従いながらも実はそれには飽き足らなかったのかも知れない。

「駅STATION」2『駅STASION(1981)はフリーになって3年目、5作目の作品である。東映専属時代の作品は観た記憶がない──それと知らずに観ている可能性はある──が、『駅STASION』には適度の抒情性があり、手堅く肌理の細かい作風のように感じた。任侠・ヤクザ映画とは正反対の凶悪犯を取り締まる刑事ものの映画である。

1967年1月、北海道警察本部捜査一課の巡査部長三上英次(高倉健)はメキシコ・オリンピック射撃競技の代表選手候補として刑事の仕事と両立で多忙な日々を送る中で、4歳の子もある仲の妻と離婚した。妻のたった一度の過ちを許せなかったのだ。

その頃、先輩の刑事が手配中の警察官連続射殺犯に射殺されたが、三上はオリンピック優先を理由にその犯人を追うチームから外された。

1976年夏、三上はオリンピック出場経験者として次代の射撃選手を育てる強化コーチを兼ねながら、通り魔を追う捜査チームの中にいた。彼は射撃の腕を見込まれて狙撃班員に選ばれた。通り魔は三上らの長い張込みの末、逮捕されたが、一方で三上は射撃コーチを解任された。

1979年末、三上は故郷の雄冬へ帰郷する途中、連絡船が出る増毛駅に降りたが、シケで船が出ず数日間の足止めをくらった。三上は駅前の小さな飲み屋に入り、一人で店を切り盛りしている桐子という女性(倍賞千恵子)と馴染んでしまった。里帰りを果たして札幌へ戻る三上を桐子が駅へ見送りに来た。折しも12年前に三上の上司を射殺した指名犯について警察へタレこみがあり、三上は途中から増毛駅へ引き返した。タレこみの主は桐子であり、犯人は桐子の昔の“オトコ”だった。犯人は桐子のアパートへ踏み込んだ三上に射殺された。

「駅STATION」1札幌へ戻る前に三上は桐子を店へ訪ねたが、桐子は彼に背を向け、八代亜紀の「舟唄」に聴き入りながら涙を流した。三上は仕事に意欲を失っていったん書いた辞表を破って駅のストーブの中へ放り込んだ。

北海道の白一色の冬景色がある種の心象風景を象徴しているように思われる。三上が里帰りする前に雪で足止めをくらい、大みそかに夜、桐子の店のただ一人の客として夜を過ごしながら、ラジオかテレビから流れる多分「紅白歌合戦」の「舟歌」に聴き入るシーン(写真=左上)はたまらないほど情感が豊かで、この場面があるために名作の域に入っているとも言える。個人的には、これが高倉健の出演作の最高傑作だと思う。

                               ☆☆☆