◇ルキノ・ヴィスコンティ監督

◆アラン・ドロン、レナート・サルヴァトーリ、アニー・ジラルド、カティナ・パクシノウ、ロジェ・アナン、パオロ・ストッパ、クラウディナ・カルディナーレ

 

「若者のすべて」2イタリア映画界のネオ・レアリスモと呼ばれる潮流がいつごろまで続いたのか正確なことは知らないが、1960年ごろにはほぼ終焉期を迎えていたのではないかと思う。自国のイメージ・ダウンを恐れたイタリア政府の圧力で急速に衰えたということだからである。

しかし、1960年に公開された『若者のすべて』は、まぎれもなくネオ・レアリスモの手法で作られた映画と言うべきだろう。ルキノ・ヴィスコンティはまずネオ・レアリスモの映像作家としてスタートし、この頃はまだ彼の活動期前半だった。

『若者のすべて』という邦題は内容に即していない。恰も青春映画のような印象を与えるからだ。原題は“ROCCO E I SUOI FRATELLI(ロッコとその兄弟たち)であり、なによりもまずバロンディ家の三男であるロッコ(アラン・ドロン)の悲劇を描いた作品なのである。

バロンディ家はイタリア南部の貧しいルカニア地方に住んでいたが、長男ヴィンチェンツォがミラノへ出てきて働き始め、父親が死ぬと未亡人は次男シモーネ(レナート・サルヴァトーリ)以下、ロッコ、四男チーロ、まだ少年の五男ルーカを引き連れ、ヴィンチェンツォを頼ってミラノへ出てくる。

ヴィンチェンツォの住居に落ち着くつもりだったが、ヴィンチェンツオは恋人と婚約したものの自分の生活で手いっぱいで、結局母親とシモーネら4人の兄弟は安アパートを借りて自力で仕事探しをしなければならなかった。ここには長男が一家の面倒をみるものという田舎者の母親の考え方と都会の生活スタイルとの齟齬がはっきり表れている。

同じアパートに住んでいた娼婦と知り合って彼女との情痴に溺れたばっかりに、踏み出したばかりのボクサーへの道を踏み外し、落ちるところまで落ちていくシモーネの人生も悲劇的だが、シモーネに自らの進もうとする道を阻まれながら、なおこの兄を愛し、あまりに寛容で優しいためにシモーネの背負うべき重荷(巨額の借金など)を代わって引き受けざるを得なかったロッコの自己犠牲的な運命はもっと悲劇的である。

「若者のすべて」1勉強家でアルファ・ロメオの技術者として勤める生真面目なチーノがシモーネの犯罪(娼婦の刺殺)を警察に通報し、ロッコの悲劇を照射する役目を果たすが、そのことは兄弟の、そして家族の絆が崩壊に瀕することにもなった。

貧しい田舎の生活から抜け出そうとして都会へ出てきた素朴な家族の生活を狂わせ、個人を毒する大都会の魔力をルキノ・ヴィスコンティは描こうとしたように思われる。自然主義文学作品を思わせるような題材を、ヴィスコンティは極めて冷徹に写実的に描き出しているのである。

大貴族の末裔(直接の先祖は、中世のミラノ大公国を支配したヴィスコンティ家)であるにもかかわらず、ルキノ・ヴィスコンティは若いころ共産主義者だったので、こういう労働者階層に視線を向けた映画を撮っていたとも考えられる。

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