◇デヴィッド・リーン監督

◆オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティ、ジェラルディン・チャップリン、ロッド・スタイガー、アレック・ギネス、トム・コートネイ、ラルフ・リチャードソン

 

 革命は個人の運命を大きく変える──積極的に参加した者の運命も、ただ単に巻き添えになっただけの者の運命も。運命という大時代な言葉は適当でないとすれば、「人生」と言い換えてもよい。

「ドクトル・ジバゴ」2『ドクトル・ジバゴ』(1965)は、パステルナークの同名長編小説を基に、ロシア革命に翻弄される人たちの人生の変転を雄大なスケールで描いた映画である。主人公ユーリ・ジバゴ(オマー・シャリフ)は両親を早く喪ったが、革命思想にも染まらず、中立的な生き方をして養家の娘トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)と幸せな結婚をし、一児を儲けてモスクワで医師として詩人として平穏な人生を歩みかけていたのに、ロシア革命の勃発によって詩人としては反革命的という烙印を押され、医師としては赤衛軍に徴用されたりパルチザンに拉致されたりして苦難の道を歩まざるを得なくなる。

一方、モスクワ時代にユーリの養家の近所に住んでいたラーラ(ジュリー・クリスティ)は帝政打倒の革命運動に奔走する学生パーシャ(トム・コートネイ)と愛し合い、結婚して長女を生んだ。パーシャは赤衛軍の兵士となって従軍し、消息不明となった。

ラーラは従軍看護婦となって戦場でユーリと再会、二人は愛し合うようになる。こういう経緯を経てユーリ一家がウラル地方の田舎へ疎開したとき、近くの村へ来ていたラーラと巡り会ったユーリが不倫の道へ迷い込んだのも当然の成り行きだった。

パーシャは生き延びて赤衛軍のリーダーとなったが、狂信的な共産主義思想の徒となって党から粛清された。夫の不倫を知ったトーニャは子供を連れてパリへ亡命し、軍に追われて別れ別れになったユーリとラーラも数奇な運命をたどった。革命は彼らに平凡で幸せな人生を送ることを許さなかった。

「ドクトル・ジバゴ」1イギリスの劇作家ノエル・カワードの戯曲やチャールズ・ディケンズの小説の映画化を手掛けていたデヴィッド・リーン監督は初めての海外(イタリア)ロケで『旅情』(1955)を撮ったときに、彼自身の中で何かがはじけたのか、次の『戦場にかける橋』(1957年)以降、まるで人が変わったように戦争や革命など激動の世界に生きる人物を描いたスケール雄大な長編映画を多く手掛けるようになった。しかも、それらの人物像を思想的にも政治的にも偏らない視点で描いているところが立派だ。

『ドクトル・ジバゴ』ではロシア革命が可能な限り中立的に描かれていて、その是非善悪については批判がましい目を向けてはいない。映画全体を支配しているのは、社会というものがいったんうねりを始めると、個人の力では止めようがないという世界観のように思われる。それは諦観でもなく運命決定論でもないだろう。歴史の中で人間がいかに小さな存在に過ぎないかを立証するために、デヴィッド・リーンは巨額の費用をかけて長大で豪華雄大な映像世界を構築して見せたのではなかろうか。

☆☆☆★