◇小栗康平監督

◆田村高広、藤田弓子、加賀まりこ、朝原靖貴、桜井実、柴田真生子、初音礼子、芦屋雁之助、西山嘉孝、蟹江敬三、殿山泰司、八木昌子

 

昭和31年夏の大阪・安治川河口一帯。経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言し、世間には“太陽族”なるものが出現し始めていた頃の話である。映画『泥の河』(1981)は、そういう時代背景に大きな意味がある。

朝鮮戦争の特需ブームで日本は高度経済成長の足掛かりを築いたが、しかしながら庶民の暮らしはまだまだ貧しく乏しく、戦争の傷痕を背負った人たちが日々生き延びることに精いっぱいだったことが物語の根幹になっているからだ。

「泥の河」1安治川河口付近という舞台設定も重要だ。この付近は大阪市内でも最も場末らしい場末だからである。その川べりでバラック建ての安食堂を営む板倉晋平(田村高広)は戦地満州からシベリア抑留を経て復員し、不倫で結ばれた若い妻貞子(藤田弓子)との間に9歳の一人息子信雄がいる。

信雄はある日、対岸に舫った宿船(水上生活のための舟)の子供である喜一と口を利き、友達になった。同じ歳だったことも親近感を生んだ理由だった。が、喜一は小学校にも通っていなかった。喜一には少し年上の姉銀子がいる。やがて食堂の客の噂話から、銀子と喜一の母親(加賀まりこ)が腕利きの船頭だった夫に死別してから宿船で客を取る娼婦になったことが判る。

晋平は信雄に宿船へ遊びに行かない方がいいとは言ったが、信雄が銀子と喜一を家へ連れて来ることには少しも反対しなかった。それどころか妻貞子と共に姉弟に親切を尽した。

「泥の河」2晋平は子供たちに天神祭に連れて行ってやると固く約束しながら、前夜から家を出て帰宅しなかった。急に故郷舞鶴の海を見たいと思ってこっそり出かけたのだ。天神祭の夜、二人だけで福島天神まで出かけた信雄と喜一は、貞子から貰った小遣い銭を落としてしまい、落胆した信雄を慰めようと喜一は宿船に信雄を誘い、川に沈めてあったカニの巣を見せる。喜一はカニにランプの油をかけてマッチで火をつけるという残酷な遊びをしてみせるが、カニを助けようとして船縁へ這い出した信雄は喜一の母親が裸で男と寝ているところを窓越しに見てしまった。翌日、喜一たちの宿船は曳舟に曳かれて去って行った。信雄はどこまでも追い駆けて行くが……。

『泥の河』は少年少女の短い交遊と別れを描きながら、戦後の一時代の庶民生活を極めてリアリスティックに活写している。しかし、リアリズムの手法による社会派ドラマというよりは、そこはかとない抒情性を湛えた映像詩のような趣が強い。子供が主役だからという理由だけではなく、場末は場末なりに、貧しい庶民の暮らしは暮らしなりに、季節の詩情をまだ持ちこたえていた時代だったからのように思われる。

☆☆☆★