B級遊民上映作品リスト

シネマ・サンライズとして自主上映を始める前、「B級遊民」の名で、大作や評価の高い秀作でなくても魅力のある映画、心をとらえて離さないシーンやセリフを持つ映画、俳優たちの名演の見られる映画を上映していました。当時、高知映画鑑賞会の運営委員をしていましたので、鑑賞会の巨匠路線や名作路線とは違った観点で、B級映画中心に発掘上映したかったのですが、個人負担では経済的にすぐ苦しくなり、第2回で「恐怖の報酬」、第5回は「地下室のメロディー」というようにすぐにケツを割っています。
 上映会場も、高知市中央公民館(以前は、県民文化ホールにくっついて在った)や自由民権記念館、美術館ホール、ときには映画館を借りてあたご劇場、高知松竹とその時々で迷走しています。1997年の2月から、シネマ・サンライズへと移行しています。


                         B級遊民上映作品リスト

第1回 「真田風雲録」(1987.2.11、加藤泰、中央公民館)
第2回 「恐怖の報酬」(1987.4.26、アンリ・ジョルジュ・クルーゾ、中央公民館)
第3回 「山いぬ」  (1987.6.21、カルロ・リッツァーニ、中央公民館)
第4回 「戒厳令」  (1987.9.13、コスタ・ガブラス、中央公民館)
第5回 「地下室のメロディー」(1988.2.14、アンリ・ベルヌイユ、中央公民館)
第6回 「オキナワの少年」(1988.5.1、新城卓、中央公民館)
第7回 「マーフィの戦い」(1988.7.10、ピーター・イェーツ、中央公民館)
第8回 「希望」     (1988.9.11、ユルマズ・ギュネイ、中央公民館)
第9回 「文なし横丁の人々」(1988.11.13、キャロル・リード、中央公民館)
第10回 「斬る」     (1989.2.5、三隅研次、中央公民館)
特別例会  芝天の歌と中国映画の名作「紅い服の少女」(1989.4.30、陸小雅、中央公民館)
第11回 「ジャズメン」(1989.11.29、カレン・シャフナーザロフ、あたご劇場)
       「話の話」(ユーリ・ノルシュテイン)
第12回 「姿三四郎」 (1990.2.25、黒沢明、県民文化ホール)「風の武士」(加藤泰)
第13回 「光と影のバラード」(1990.4.27、ニキータ・ミハルコフ、あたご劇場
第14回 「狼と豚と人間」(1990.7.7、深作欣二、自由民権記念館)
特別例会 「野良犬」  (1990.9.29、黒沢明、土佐市中央公民館)
第15回 「血槍富士」(1990.11.24、内田吐夢、自由民権記念館)
第16回 「宮本武蔵 般若坂の決闘」(1991.1.13、内田吐夢、中央公民館)
特別例会 「童年往時」(1991.6.25、侯孝賢、あたご劇場)
特別例会 東欧映画特集「天国とバイオリン」「砂の崖」(1991.11.8、土佐市民会館)
第17回 「双旗鎮刀客」(1992.4.18・19、何平、中央公民館)
第1回あたごファンタスティック映画祭
    「フイッシャーキング」(1992.11.27、テリー・ギリアム、あたご劇場)
       「妖婆・死棺の呪い」(コンスタンチン・エルショフ)
       「スノーマン」(ダイアン・ジャクソン)
       「ウルトラQ」
特別例会 「ジャック・ドゥミの少年期」(1993.2.26、アニエス・ヴァルダ、あたご劇場)
第18回 「欲望の翼」(1993.5.25、ウォン・カーウェイ、県民文化ホール)
第3回あたごファンタスティック映画祭   ※第2回は西川氏が開催
    「ザ・プレイヤー」(1993.10.8、ロバート・アルトマン、あたご劇場)
    「蠅の王」(ハリー・フック)
    「スラム砦の伝説」(セルゲイ・パラジャーノフ)
第19回 ジェーン・カンピオン短編集(1994.2.5・6、ジェーン・カンピオン、中央公民館)
特別例会  映画で知る世界の子ども
    「アメリカン・ハート」(1994.5.14、マーティン・ベル、美術館ホール)
    「お引っ越し」(相米慎二)
    「自由はパラダイス」(セルゲイ・ポドロフ)
第20回 「春にして君を想う」
           (1994.7.15、フリドリック・トール・フリドリクソン、あたご劇場)
第4回あたごファンタスティック映画祭~摩訶不思議な隣人たち~
    「スウィーティー」(1994.11.4、ジェーン・カンピオン、あたご劇場)
    「ニア・ダーク 月夜の出来事」(キャスリン・ビグロー)
    「レニングラード・カウボーイズ モーゼに会う」(アキ・カウリスマキ)
ユネスコ・ファミリー映画会
    「夏の庭」(1995.2.11・12、相米慎二、美術館ホール)
    「マチルダ」(デイビッド・エルフィック)
フリッツ・ラングスペシャル
    「M」「ムーンフリート」  
特別企画 「未来は今」(1995.6.26、イーサン・コーエン、高知松竹劇場)
     「大いなる河の流れ」(フレデリック・バック)  ※ムービー・ジャンキーと共催
第5回あたごファンタスティック映画祭~日本映画の逆襲~
     「東京兄妹」(1995.10.27、市川準、あたご劇場)
     「初恋・地獄篇」(羽仁進)
     「暗黒街の顔役」(岡本喜八)
ユネスコ・ファミリー映画会’96  
     「ノース 小さな旅人」(1996.2.12、ロブ・ライナー、美術館ホール) 
     「ホームワーク」(アッバス・キアロスタミ)
第21回   「ひとりで生きる」(1996.5.24、ヴィターリー・カネフスキー、県民文化ホール)
 

 「総特集 いしいひさいち」(河出書房新社 ☆☆☆)

  河出書房新社の出している漫画家いしいひさいちのムック本がずっと前から気になっていた。2012年に出されていたものが好評だったそうで、やっと買うことが出来たのは2016年の増補新版。
  ちょうど大学生になって京都で一人暮らしを始めた頃、いしいさんの4コマ漫画「oh!バイトくん」が好きで、雑誌に掲載されるのを毎回読んでいた。てっきりバイトくんは、当時関西地区のメジャー情報誌だった「プレイガイドジャーナル」(省略されて“プガジャ”と呼ばれていた。)で連載されていたものと記憶していたが、巻末の年譜によると昭和47年から「日刊アルバイトパートタイマー情報」に連載されていたらしい。その雑誌にも憶えがある。いつも書店の店頭のスタンドに置かれているような求人誌だった。記事の一部で情報誌としての役割も果たしている、無料もしくは低価格のものだったと思う。日刊だったのだから、その頃からいしいさんは4コマを毎日描いていたことになる。(巻末の年譜によれば、昭和47年当時いしいさんは関西大学3回生)
  その後、この漫画は昭和49年に同名のタイトルで自費出版されている。その年、僕は大学生になって下宿暮らしを始めているわけで、昭和52年までに3巻まで刊行されたこの自伝的要素の強い4コマ漫画は、僕自身の大学生活・京都生活と完全にかぶっている。バイトくんのアパートの仲間が自称している“東淀川貧民共和国”ほどではないにせよ、4畳の屋根裏部屋に住み(それも京4畳だから狭い!)、金がないときにはパン屋で食パンのヘタを5円で買い、銭湯にも毎日は行かないと言う貧乏暮しをしていた僕にとって、バイトくんの日常は親しいものだった。本書の中で紹介されている4コマを見たり、いしい氏のインタビューを読んだりすると、いつの間にかその当時の昭和の雰囲気に包まれてしまう。
  その後、僕が就職した昭和53年に、いしいひさいちは週刊アクションの増刊号に「がんばれ!!タブチくん!!」を掲載し、本人も“何の冗談か”と驚くような大ブレイクをしてしまう。その後の作品には、評判になったり映画になったものだけでも「となりの山田くん」「忍者無芸帖」「B型平次捕物帖」「ののちゃん」、ちょっと異色な「現代思想の遭難者たち」などという哲学(?)漫画もある。資料によると、昭和58年からスヌーピーのピーナッツブックスをもじったドーナツブックス(ドーナツだから、中は空洞)として「いしいひさいち選集」の刊行が始まっている。そして、平成3年10月から朝日新聞で「となりのやまだ君」(最初のタイトルはコレだった)が始まり、いしい

ひさいちその人の顔は知らなくても(彼自身は極端なマスコミ嫌いで、メディアには一切顔を出さない)、キャラクターは誰もが知っているという大メジャーになってしまう。それから今日まで26年近く、平成9年4月にタイトルが「ののちゃん」(山田君の妹)に変更になってからも20年間連載が続いている。
  しかし、僕にとってのいしいひさいちは、貧乏くさくしょぼくれた、それでいてバカバカしいほどカラッとしている「バイトくん」の印象のままだ。年代によってそれが「がんばれ!!タブチくん!!」であったり、「となりの山田くん」であったりするのだろう。4コマでありながら、それぞれの世代の記憶に残る作品を連発しているいしいひさいちは、前代未聞に凄いと思う。
  また、いしい漫画は絵も面白いけれども言葉遊びの世界でもある。ちなみに、双葉社から刊行されている「バイトくん」⑨巻までのサブタイトルを列挙すると、“大学には入ったけれど”“屋根の上の午睡”“お早ようさん”“わが部屋は一間なりき”“アパートの鍵壊れています”“禁じられたあくび”“バイトくん純情す”“七人の寒がり”“滞納するは我にあり”となっており、相当な映画好きであることがわかる。
  生物多様性という言葉があるけれども、社会的には問題大ありと思われる多様性キャラクターばかりが跋扈しているいしいひさいちの漫画を見ていると、こういう作品が喜ばれ受け入れられるうちは日本もまだ大丈夫(?)という気持ちになってくる。古本屋に「B型平次捕物帖」を探しに行こうかな・・・。


「こころに剣士を」(クラウス・ハロ監督、フィンランド・エストニア・ドイツ ☆☆☆)

  タイトルの「The Fencer」は剣士の意味だろうから、大人や子供、年齢や性別に関係なく、“不屈の意志を持った者はすべて剣士”という意味だろうか。そういう意味では、決勝戦で相手に停止線ぎりぎりまで追いこまれながら、巻き返して打って出ようとするときのマルタの目がまさに剣士の目だった。カメラが防具の奥のあの表情をとらえ得ていたことがこの作品の手柄だろう。
 また、レニングラードにやって来た時、それまで都会を見たことがなかったであろう子供たちが列車の窓に貼りつくようにして街の風景を目にした時の輝くような表情も素晴らしい。希望とは、まさに子供たちのあの表情を指すのかもしれない。
 映画の中で悪役となる校長の存在感が効いている。エンデルを密告した校長は、レニングラードの試合会場の階段で、「今ならまだ逃げ出せる」と言うが、それはエンデルを逃がしたいからそう言うのではなく、人を収容所送りにして破滅させる自分の罪悪感を軽減したいからそう言っているのに過ぎない。校長は、体制に組み込まれて自分を顧みなくなった人間の傲慢さ、冷たさを体現した人物。校長に小間使いのように使われている副校長には、人間的な懊悩がありそうだが、命ぜられるままにこき使われているだけで自分を主張するには至らない。スターリン体制化には、それぞれのタイプの人間がいくらでもいたということだろう。
 フェンシング部が校長によって高圧的に廃部させられようとしたとき、子供たちの意向を汲んだヤーンの祖父が真っ先にそれに反対する。他の親たちもおずおずとそれに賛成したことで、校長は一方的に部を廃部できなくなるが、自分を絶対権力者と思っている彼はいつまでもそれを根に持っていたことだろう。後にヤーンの祖父が突然、秘密警察に拘束されてしまうのは、校長の差し金かもしれない。具体的には語られないが、祖父もまたエンデルと同じように、脛に傷を持つ身だったのかもしれない。
 エンデルが秘密警察に追われる理由に、歴史の理不尽さを感じずにはいられない。エストニアがナチスの占領下にあったとき、エンデルたち若者は突然招集され、戦場で戦わされている。その時の敵はソ連であったかもしれない。ナチスは敗退したが、エストニアはソ連に併合され、その監視下に置かれることで、戦後エンデルたちは言わば戦争犯罪者として追われる身となった。個人の意志ではどうにもならない、国の背負ってきた歴史に翻弄されている。悲運としか言いようがないので、スターリンの死去に伴い2年後に子供たちの元へ帰って来るというエンディングに救われた思いだった。

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