「ソウル・メイト」(デレク・ツァン監督、あたご劇場 ☆☆☆)

済州島で暮らす二人の少女、ハウンとミソ。ハウンは地元で生まれ、ミソはシングルマザーである母親と共に引っ越して来た転校生。性格は真逆ながら、絵が好きなことで仲良くなった二人はいつも一緒で、学園生活や恋愛を通して急速に親しくなっていく。お互いが影響し合い、ハウンはミソから自分のやりたいことに突き進む自由さを、ミソはハウンから人とつながる暖かさを学ぶ。他の高校に学ぶジヌのことをハウンが好きになり、ミソがふたりの間を取り持つが、自分もジヌのことを好きになりかけていたミソは、絵の勉強を口実に突然ソウルへ行ってしまう。

一転して現代。ミソがコンクールの展示会場を訪れている。ハウンがミソを描いた巨大で細密な鉛筆画を出品し、それが絵画コンクールで大賞を取ったのだが、ハウンと連絡の取れない主催者がモデルとなったミソに連絡してきたもの。しかし、ミソはハウンの住所も連絡先も知らないと言う。そのことを振り出しに、二人にどんな人生の変転があったかが語られる。

後半部分で、ハウンがジヌとの結婚式から、写真一枚を残して逃げ出すとか、成人したミソと同居している子どもが、実はハウンが産んだジヌの子だったとか、ドラマをちょっと盛り過ぎている感がある。結婚式当日に逃げ出さなくても、ちゃんと話をすれば、ハウンの絵描きになりたいという挑戦をジヌは許してくれたのではないかと思うし、ハウンが出産で亡くなっても、祖父母がいるのだからミソが代わりに育てるのはおかしいのでは。ハウンと絶縁している祖父母は孫のことを知らないかもしれないが、知れば自分たちの手で育てたいと思うだろう。その辺のドラマの過剰さが、韓国映画の特質なのかもしれない。

高校生から、27歳になるまでのミソとハウンを演じたキム・ダミ、チョン・ソニの溌溂とした演技が素晴らしい。高校生活の奔放さ、ピュアな恋愛、自由に旅することへの憧れ、働く女性として一人で生きる辛さ・厳しさ、成人としての毅然とした態度など、二人の美しく才能のある女優の青春が作品に焼き付けられている。

「なつかしい芸人たち」(色川武大、新潮文庫 ☆☆☆) 

作者は子供の頃から、学校をサボっては浅草六区の寄席に入り浸っていたと言う。少年時代からの性格から、自分自身を外れ者・異端者として見る傾向が強く、売れっ子になって表街道を躍進していく人よりも、独特の個性を持ちながらどこか正当でない危うさを抱えた、脇役人生の芸人たちへの思い入れが深い。

作者の好みをよく表すものとして、唯一外国人俳優のピーター・ローレがこの本の中で取り上げられている。フリッツ・ラングの「M」で少女連続殺人犯を腺病質に演じたこの俳優に作者は執心し、ブロマイドを家の壁に張っていて家族に気味悪がられたと言う。

日本の芸人としては、金語楼、水の江瀧子、トニー谷、左卜全、有島一郎など、子供の頃テレビで親しんだ芸人たちが多く登場して懐かしいが、エノケンやエンタツ・アチャコとなれば時代が遡るので記録映像で見たことがある程度。アノネのオッサン、小笠原章二郎、杉狂児のような昭和10年代に活躍した芸人たちとなれば???である。顔を見れば、なるほどと思うのかもしれない。戦争で残っている映像が少ないせいかもしれないが、今の時代はyoutubeで芸の一端を知ることができるかもしれない。

どのエッセイも、作者が実際に劇場や映画館に通って見聞きしたことを元に書かれている。〝怪しさ〟は控え目で、自分の好きだった芸人たちへの思慕と哀惜が感じられる、今となっては貴重なエッセイだろう。評伝集として、小林信彦の「日本の喜劇人」くらいの価値はあると思う。

「ジョン・レノン 失われた週末」(イヴ・ブランドスタイン、リチャード・カウフマン、スチュアート・サミュエルズ監督、とさぴくシアター ☆☆☆)

タイトルの〝失われた週末〟というのは、オノ・ヨーコと結婚してニューヨークで暮らしていたジョン・レノンが、ヨーコと別居し、それまで彼らの私設秘書だったうら若い中国系アメリカ人メイ・パンと過ごしていた18ヶ月をさして言う言葉なのだそうだ。しかし、このドキュメンタリーで当事者だったメイ・パンとジョンの息子ジュリアン・レノンの証言、当時のジョンを取り巻いていた状況を見ると、その時期がジョンにとって〝失われた週末〟どころか、最も心安らぐ時期だったのではないかと思える。

何かとスキャンダルの多いジョンにこれ以上浮気をさせないため、ヨーコがジョンにメイ・パンをあてがった格好だが、自分とジョンの関係とかプライドを考えることはあっても、まだ20歳そこそこのメイ・パンの気持ちとか将来を考えないヨーコの態度に、金持ちの不遜さを感じずにはいられない。最終的に、ヨーコがジョンを「いい占い師を紹介する」という口実で策を弄して取り戻すことになったのは、ジョンはすぐにメイに飽きてしまうだろうし、メイにとってはビッグスターとの短い想い出作りと高をくくっていたヨーコが、ふたりが急速に親密になり、むしろ〝二人にとって自分が余計者になっている〟という状況に慌てたからではないだろうか。映画の中で、オノ・ヨーコが作った映像作品が紹介されているが、その中に裸で寝ている女の体のあちこちを蠅が這いまわるのをクローズアップで撮った作品がある。撮影のために、裸で動かない女性が必要だったため、薬でラリッていて動かなくなっている女性を連れてきたのだと言う。芸術表現のためなら何をやってもいいと考えているとしか思えない。結局、オノ・ヨーコにとってメイ・パンは、ジョンにこれ以上スキャンダルを起こさせないための道具だったのではないか。本作を見て、僕の中のオノ・ヨーコのいけ好かない女度が急速に上がってしまった。

ジョン・レノンのようなビッグスターになると、何をやっても有名税のように世間の批判に晒されるわけだが、その後の彼の運命を考えると、心を許せる相手とたとえ僅かであっても蜜月期間(ゴールデンタイム)とも言うべき幸せな時間を過ごせたことを良かったと思う。また、その後メイ・パンが結婚し、二人の子供に恵まれ、子供たちに自分がジョンと過ごした〝イケてる〟期間を自慢していたと言うのを微笑ましく思う。 

ギャラリー
  • 「間諜X27」(ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督、美術館ホール ☆☆☆)
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