本作の監督アルベール・ラモリスは、1950年代から60年代にかけて活躍した映像作家。映画史の中でもそのスタンスは独特で、映画監督と言うより映像詩人と呼ぶのがふさわしい。特に、風船や気球など空を飛ぶものへの憧れが強く、「赤い風船」や「素晴らしい風船旅行」、主人公が天使のように空に舞い上がる「フィフィ大空をゆく」などの作品を残している。(宮崎駿監督が、「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」を作っているようなものか。)
「赤い風船」は30分の短篇ながら、主人公の少年と、まるで意志を持っているかのように彼に随伴する風船との交流が情感を持って描かれ、一篇の映像詩になっている。ラモリス監督は、自分の得意とする“空に浮くもの”を使い、勝手知ったるパリの街を背景に、自分の映画に全面的に協力してくれる息子や娘に出演してもらって、いかにも楽しそうに映画史に残る名作を作り上げてた。「赤い風船」の主人公の少年は、彼の息子パスカル・ラモリスであり、赤い風船が心を寄せる青い風船を持った少女は彼の娘サビーヌ・ラモリスである。彼の家族は芸術一家だったのだろう、子供たちが父親の映画のために嬉々として撮影に協力しているのが伝わって来る。
映画の冒頭、学校へ向かう少年は、街角で何かを見つけ、近くの街灯に登り始める。この時はまだ、少年が何をしようとしているのかわからない。カメラが少年の移動とともに3mはありそうな街灯を上に移動していくと、アームに何かの紐がひっかかっている。少年は紐を手に取ると慎重に街灯を下り、地上に降り立つと紐の先の大きな赤い風船がフレーム・インする。この間、カメラはカットを割らず、長いシーンをワン・カットで撮っている。何度もリハーサルを繰り返したのだろうが、6歳の子どもにはちょっと危険とも思われるシーンを、少年は手足を駆使して楽々と演じていた。少年と風船の最初の出会いは、このように描かれていた。
両作品は、炎暑の夏に見るのにふさわしい絵本のように清々しい作品だったが、映画は美しく楽しいだけでは終わらない。「赤い風船」ではいじめっ子たちに風船が割られる別離の悲しみ、「白い馬」では牧童たちに追われた少年と馬が、まるで道行きのようにどんどん海へ入ってしまう切ない幕切れが描かれる。赤い風船が割られた後、街中から次々と集まって来た色とりどりの風船が少年を空へ連れて行ってしまうように、あるいは少年が馬と共に沖合にどんどん消えていくように、聖性を持った者はこの地上では生きていけないと言っているかのようでもある。そして、悲しみが置かれることで、ラモリス世界の抒情性がさらに深くなっている。
ちなみに、今回のラモリス作品の4Kリマスター化のための監修を行ったのはパスカル・ラモリスである。父アルベールは、撮影中のヘリコプター事故によって残念ながら48歳で亡くなっているが、パスカルは父親の映画会社の経営を引き継いで、父の作品の精緻な修復に尽力している。
