「赤い風船」「白い馬」 (アルベール・ラモリス監督、高知県立美術館ホール ☆☆☆)

本作の監督アルベール・ラモリスは、1950年代から60年代にかけて活躍した映像作家。映画史の中でもそのスタンスは独特で、映画監督と言うより映像詩人と呼ぶのがふさわしい。特に、風船や気球など空を飛ぶものへの憧れが強く、「赤い風船」や「素晴らしい風船旅行」、主人公が天使のように空に舞い上がる「フィフィ大空をゆく」などの作品を残している。(宮崎駿監督が、「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」を作っているようなものか。)

「赤い風船」は30分の短篇ながら、主人公の少年と、まるで意志を持っているかのように彼に随伴する風船との交流が情感を持って描かれ、一篇の映像詩になっている。ラモリス監督は、自分の得意とする“空に浮くもの”を使い、勝手知ったるパリの街を背景に、自分の映画に全面的に協力してくれる息子や娘に出演してもらって、いかにも楽しそうに映画史に残る名作を作り上げてた。「赤い風船」の主人公の少年は、彼の息子パスカル・ラモリスであり、赤い風船が心を寄せる青い風船を持った少女は彼の娘サビーヌ・ラモリスである。彼の家族は芸術一家だったのだろう、子供たちが父親の映画のために嬉々として撮影に協力しているのが伝わって来る。

映画の冒頭、学校へ向かう少年は、街角で何かを見つけ、近くの街灯に登り始める。この時はまだ、少年が何をしようとしているのかわからない。カメラが少年の移動とともに3mはありそうな街灯を上に移動していくと、アームに何かの紐がひっかかっている。少年は紐を手に取ると慎重に街灯を下り、地上に降り立つと紐の先の大きな赤い風船がフレーム・インする。この間、カメラはカットを割らず、長いシーンをワン・カットで撮っている。何度もリハーサルを繰り返したのだろうが、6歳の子どもにはちょっと危険とも思われるシーンを、少年は手足を駆使して楽々と演じていた。少年と風船の最初の出会いは、このように描かれていた。

両作品は、炎暑の夏に見るのにふさわしい絵本のように清々しい作品だったが、映画は美しく楽しいだけでは終わらない。「赤い風船」ではいじめっ子たちに風船が割られる別離の悲しみ、「白い馬」では牧童たちに追われた少年と馬が、まるで道行きのようにどんどん海へ入ってしまう切ない幕切れが描かれる。赤い風船が割られた後、街中から次々と集まって来た色とりどりの風船が少年を空へ連れて行ってしまうように、あるいは少年が馬と共に沖合にどんどん消えていくように、聖性を持った者はこの地上では生きていけないと言っているかのようでもある。そして、悲しみが置かれることで、ラモリス世界の抒情性がさらに深くなっている。

ちなみに、今回のラモリス作品の4Kリマスター化のための監修を行ったのはパスカル・ラモリスである。父アルベールは、撮影中のヘリコプター事故によって残念ながら48歳で亡くなっているが、パスカルは父親の映画会社の経営を引き継いで、父の作品の精緻な修復に尽力している。

「おかえり、ブルゴーニュヘ」(セドリック・クラピシュ監督、美術館ホール ☆☆☆)

クラピシュ監督とスタッフは、この映画を撮るにあたり、1年かけて毎週ブルゴーニュの風景を代表するような2本の木を撮影したと言う。静止写真1枚と1分間の動画を撮り続け、最終的に葡萄畑の真ん中に立つ木の52組の写真と動画が残された。その貴重な映像は、映画の冒頭で映し出される葡萄畑の美しい四季の風景に生かされている。(ネットで紹介もされているこの本編のプロローグを見たとき、旧作ではあるけれどこの映画の上映を決めたと言っていい。)CGで何でも出来てしまう時代だが、クラピッシュ監督は、時間をかけて本物のブルゴーニュの風景をとらえる。映像に何を込められるかという、リアリティに拘る人だからだ。それによって、葡萄畑の空気感や土の匂いまで伝わってきそうだ。

家族映画は様々あるけれど、色々厄介なことはあっても家族はいいものだ、人は人と性別や人種を超えて理解し合える、そんなことを言ってくれる人(監督)が少なくなった。人の争い、憎しみや裏切り、激しい闘いを描くほうが刺激的で面白く、お金になるからだ。そんな現代の風潮に抗うように、クラピッシュ監督は、登場人物の迷いや悩みに我が事のように寄り添い、親子や兄弟であるがゆえの喜怒哀楽、人種や性別を越えた交流や恋愛の素晴らしさを描く。それも、ご都合主義的にではなく、見る者を納得させるリアリティのフィルターを通し、ユーモアや遊びを交えた極めて人間的なやり方で。彼の映画の中では、人間の愚かさも、無邪気さも、遠慮のない会話も、性的な奔放さも愛されている。映画の中に厄介な人、ずるい人が登場することがあっても、厳しく罰せられるようなことはない。最終的には人間の善意を信じている監督なのだ。(日本映画なら山田洋次、作家なら重松清と言ったところか。)また、登場人物の心情は、心の動きに沿うようにゆったりと語られる。今は、飽きられることを恐れるように、せっかちでスピード感のある映画が多いが、彼の作品のもうひとつの特長は、性急ではないことかもしれない。心情や状況の移り変わりが丹念に語られるので、観客は映画に置いていかれることがない。

そして、「ダンサー・イン・パリ」を撮り美やアートを愛する監督らしく、父親が幼いジャンを寝かしつける過去の子ども部屋と、大人になったジャンがブルゴーニュを訪れた別居中の息子を寝かしつける現在の部屋が、ワンシーンの中でシンメトリーのように描かれる。ジャンも、当時の父親の気持ちが分かるようになったことが映像で示される。クラピシュは卓抜な映像詩人でもあるのだ。

映画の中でワイン造りの工程を丹念に描いているので、天候や人手の有無、資金繰りに左右されるその難しさを知る。それだけに、葡萄の収穫が終わった後のパーティ・シーンには、フランスの“ワイン祭り”を彷彿とさせるような開放感が溢れていた。

「ゴールデンスランバー」(中村義洋監督、DVD ☆☆☆)

原作は、日本でもし首相の暗殺が実行されたら?ケネディ暗殺のオズワルドのように犯人に仕立て上げられた男はどうなる?と言う思考実験のような物語。原作のちゃらんぽらんさに僕は付いていけなかったが、映画の方はキャスティングの妙と職人・中村監督の手堅い演出ですこぶる面白い。

お人好しで陰謀に翻弄される主人公・青柳に堺雅人、大学時代の友人たちに吉岡秀隆と劇団ひとり、青柳の元恋人で今は結婚して子供もいる春子に竹内結子。敵役として、警察庁警備局の指揮官・佐々木一太郎に香川照之、その部下のすぐにショットガンをぶっ放す危ない刑事に永島敏行。逃げ回る青柳を助ける宅配業の先輩に渋川清彦、偶然のノリで青柳を助ける連続殺人犯“キルオ”に濱田岳、学生時代のアルバイト先の花火工房の社長にベンガル、青柳に地下の水道管が逃走経路になることを教えるヤクザな男に柄本明、頑固に息子の無実を信じマスコミに食ってかかる父親に伊東四朗など、配役も適所適材でなかなか豪華なのだ。

俳優を見ているだけでもなかなか楽しい映画なのだが、何と言っても訳のわからない苦境に立たされてアタフタしながらも何とか乗り超えようと奮闘する堺雅人のシリアス演技によって、原作にはなかった緊張感が生まれている。行き当たりばったりの物語に、一本筋が通ったと言っていい。

タイトルの「ゴールデンスランバー」はビートルズの楽曲だが、“黄金の眠り”といった意味があるらしい。映画では、青柳たち食文化研究会の仲間たちがファミレスやファストフード店に集まってくっちゃべっている姿が何度も回想されることで、失われた青春の日々への哀惜の念が心に沁みてくる。ゴールデンスランバーとは、青柳たちにとって大学時代のかけがえのないモラトリアム期のことなのだ。

青柳はなんとか逃げ延びるが、整形で顔を変えて生きなければならないというその後の人生が哀れでもあるし、最後まで組織的陰謀であったろう首相暗殺事件の真相は明らかにされないというモヤモヤも残る。

映画は2010年の作品。その後、日本で本当に首相暗殺事件が起こるとは、原作者も考えもしなかったろう。本作では2020年に亡くなっている竹内結子のチャーミングな姿を見ることも出来る。

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