2014年05月

2014年05月30日

〇カンタベリー大主教が16日に教皇と会見

 ローマ訪問の最後に。人身取引問題を協議する、とランベス宮殿(大主教公邸)が発表した。(CJC)


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◎教皇がスリランカとフィリピン訪問へ

CJC140530=CN0527=#156◎教皇がスリランカとフィリピン訪問へ

 【CJC=東京】教皇フランシスコが「アジア訪問予定が二つある。一つは韓国で、もう一つは1月に2日間、スリランカとフィリピンの津波被災地域を訪問する」と聖地訪問の帰途5月26日、機中記者会見で語った。
 この2月、コロンボのマルコム・ランジス枢機卿がスリランカ訪問を招請した。教皇はバチカン(ローマ教皇庁)を訪問したスリランカ巡礼団に招請歓迎の意向を示していた。
 教皇は8月、韓国大田教区が主催する第6回アジア青年の日に合わせて韓国を訪問することが決まっている。□


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〇中央アフリカの教会襲撃11人死亡

 首都バンギで5月28日、イスラム教徒の武装集団が教会を襲撃、銃を乱射し、手投げ弾を投げ込んで、少なくとも11人を殺害した。(CJC)


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◎米国の著名な黒人女性作家マヤ・アンジェロウ死去

CJC140530=0528=#155◎米国の著名な黒人女性作家マヤ・アンジェロウ死去

 【CJC=東京】米国の代表的黒人女性作家で詩人のマヤ・アンジェロウが5月28日、ノースカロライナ州ウィンストンサレムの自宅で死去した。86歳。
 1928年4月ミズーリ州セントルイス生まれ。米国を代表する黒人女性作家の1人。子ども時代にレイプされた経験や1930〜40年代に直面した人種差別を描いた自伝「歌え、翔べない鳥たちよ」(1969年)は米国文学の名著とされている。
 キリスト者としての祖母の影響で、宗教への関心は強かったが、さまざまな遍歴の後、キリスト教信仰を公言するまでになったものの、特定の教派に属すことはなかった。公民権運動に関わり、故マーティン・ルーサー・キング牧師やマルコムXと親交があった。1993年のビル・クリントン大統領の就任式では詩を朗読した。□


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〇イスラエル・パレスチナ両首脳の祈りは8日

 バチカン広報事務所が5月29日発表。(CJC)

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2014年05月28日

◎イエスはヘブライ語話したか

CJC140528=R0527=#154◎イエスはヘブライ語話したか

 【CJC=東京】ロイター通信によると、教皇フランシスコが5月26日、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とエルサレムで会談した際、イエス・キリストが約2000年前に話していた言語について、首相の説に教皇が異論を挟む場面があった。
 ネタニヤフ首相は、「キリストはこの地で、ヘブライ語を話していた」と述べ、ユダヤ教とキリスト教には強い関連があると指摘したが、教皇はキリストが話していたのは、ヘブライ語に近い「アラム語」だと異なる説を主張。これに対して首相は「アラム語を話していたが、ヘブライ語も知っていた」と補足した。
 ロイター通信は、イスラエルの言語学者ギラード・ザッカーマン氏が、「キリストはアラム語を母国語としていた」としながらも、「ヘブライ語で書かれた当時の宗教文書が現存していることから、ヘブライ語も分かっていたはずだ」と説明したと報じている。□


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◎教皇、聖地巡礼終えてバチカンへ

CJC140528=VR0526=#153◎教皇、聖地巡礼終えてバチカンへ

 【CJC=東京】バチカン放送(日本語電子版)によると、3日間にわたる聖地巡礼の最終日の5月26日、教皇は早朝、岩のドームを訪問、次いでイスラム最高評議会の建物内で、イスラム教関係者と会見した。
 教皇は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教において尊敬の対象とされるアブラハムがこの地で生き、旅したことを想起、神の呼びかけに常に従順であったアブラハムのように、神が計画される未来に向かって常にわたしたち自身を開いていかなければならないと述べた。
 そして、「兄弟姉妹として互いに尊敬し、愛し合い、神の名において誰も暴力を行なうことがないように、平和と正義のために共に働きましょう」とイスラム教関係者に呼びかけられた
 教皇は、続いて、ヘロデ大王時代のエルサレム神殿の遺構、「西の壁」とも呼ばれる『嘆きの壁』に移動した。教皇は自らの手で「主の祈り」をスペイン語で書いた紙を手にしていたが、沈黙の祈りに続いて、この主の祈りを唱え、伝統に従って、祈りを記した紙を壁の隙間に差し込んだ。
 この訪問には、教皇の大司教時代からの友人、ブエノスアイレスのユダヤ教指導者とアルゼンチンの諸宗教対話研究所の事務局長を務めるイスラム教指導者の2人が付き添っていた。
 教皇は、大統領官邸にシモン・ペレス大統領を表敬訪問。大統領との個人会談に続き、庭園で平和を象徴するオリーブの植樹を行なった。
 この後、官邸で、大統領と教皇の公式の挨拶交換が行われた。この中で教皇は、「エルサレムが真に自由の都市であるように」と述べ、全人類の遺産であるそのアイデンティティー、神聖さ、宗教と文化の普遍的価値が輝き渡ることを希望。巡礼者や住民が自由に聖なる場所を訪れ、宗教行事に参加できることを要望した。
 そして、平和はすべての人の自由と尊厳を尊重することから生まれると教皇は述べ、平和の追求と尊重ある共存を妨げるすべてのもの、暴力やテロリズム、民族・宗教上の差別と断固として排除しなければならないと強調された。
 教皇はベニヤミン・ネタニヤフ首相とも会見、ホロコースト記念館『ヤドバシェム』を訪問された。ペレス大統領、ネタニヤフ首相、エルサレムの主席ラビも参列。強制収容所で餓死したルーマニアの若いユダヤ人女性の手紙の朗読に教皇はじっと聞き入った。ホロコーストの生存者6人と会見した教皇は、一人ひとりの手を取り、言葉を交わされた。この中にはカトリックの家族の中で成長したポーランド人男性もいた。
 教皇は、「最後の晩餐の高間」で現地の司教らとミサを行い、3日間にわたる聖地訪問を終えた教皇は、現地時間の夜8時過ぎ、テルアビブ空港を発ち、バチカンに戻った。
 教皇は一夜明けた27日午前、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ教会を訪問、聖母画「サルス・ポプリ・ロマーニ」の祭壇に花を捧げ、聖地巡礼の無事終了を感謝し、祈りを捧げた。□


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◎教皇がエルサレムでコスタンティノポリス総主教と会見

CJC140528=VR0526=#152◎教皇がエルサレムでコスタンティノポリス総主教と会見

 【CJC=東京】聖地巡礼中の教皇フランシスコは5月25日午後、テルアビブ経由でエルサレムに入った。
 教皇はテルアビブ空港でシモン・ペレス大統領、ベンヤミン・ネタニヤフ首相らに迎えられ、歓迎式に臨んだ後、エルサレムに移動、バチカン大使館でコスタンティノポリスのエキュメニカル総主教バルトロメオス1世と約30分会見した。
 バチカン放送(日本語電子版)によると、教皇の今回の聖地訪問は、1964年に行われた教皇パウロ6世の聖地におけるアテナゴラス・コスタンティノポリス総主教との歴史的会見から50周年を記念することが主な目的。
 両者は会談後、ローマ司教とコスタンティノポリス総主教の深い兄弟的きずなを確認し、教会の一致に向けた歩みを続ける上で、神学的対話や共通した神の愛の証しなどにおける協力を記した共同声明に署名した。
 続いて、聖墳墓教会で教皇フランシスコとバルトロメオス1世参列のもと、カトリック教会と正教会によるエキュメニカルな祈りの集いを行った。□


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2014年05月26日

◎改革目指す教皇フランシスコの下で初の破門

CJC140526=0522=#151◎改革目指す教皇フランシスコの下で初の破門

 【CJC=東京】オーストリア・カトリック教会インスブルック教区のマルタ・ハイツァー氏(67)が5月22日、夫と共に教会から破門された。
 ハイツァー夫妻は、教会の刷新を訴えてきた同教区の信徒グループ『わたしたちは教会』のリーダー。
 夫妻は、自宅で司祭不在の下でミサを行った。それが、「模擬ミサ」を禁止した教会法に違反する、として自動的に破門されたもの。
 ハイツァー代表は「私たち夫婦は未成年者への性的虐待をした聖職者と同じように扱われた」と反発している。
 インスブルック教区のマンフレッド・シュワイア司教は、「自動破門」の責任は夫妻にある、と述べている。
 破門された聖職者、信者は今後、サクラメントとしての聖体を受けられず、教会による婚姻、埋葬なども認められない。□


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◎教皇、アッバス大統領とペレス大統領を招請

CJC140526=VR0525=#150◎教皇、アッバス大統領とペレス大統領を招請

 【CJC=東京】教皇フランシスコは5月25日、最初の訪問先ヨルダンを後にし、キリスト生誕の地とされるヨルダン川西岸のパレスチナのベツレヘムに到着、大統領官邸での歓迎式後、教皇はマフムード・アッバース大統領と会談。続いて、パレスチナ政府要人らと会見した。
 パレスチナの要人らへの挨拶で、教皇は「平和の君」イエスの生まれた地、ベツレヘムへの訪問を神に感謝された。
 バチカン放送(日本語電子版)によると、教皇は永続する中東の紛争が人々にもたらした癒しがたい傷、治安問題、否定された権利、隔離や住民の流出などの悲劇に言及、「今こそ、皆が寛大さと、善に貢献するための創造性、平和への勇気を持つ時」と述べた教皇は、二つの国家が国際的に承認された境界のもとに存在し、平和と安全を享受する権利が認められるようにと語った。
 「二つの国家」との教皇発言は、パレスチナを「国家」と明言し、その上で、2国家共存による和平を目指し、双方の指導者が「勇気」を示すよう求めたもの。
 教皇は、ミサ会場の降誕教会前広場へと向かう途中、ベツレヘムとイスラエルを隔てる分離壁の前で車を降り、「パレスチナ解放」「アパルトヘイト(人種隔離)壁」とスプレーで落書きされた壁に手をついてしばらく祈った。その終わりに教皇は壁に額をつけた。分離壁は、イスラエルが「テロ防止」を理由にベツレヘムとエルサレムを隔離する形で建設したもの。視察は当初の訪問予定にはなかった。
 教皇は降誕教会前広場での野外ミサの後で、「マフムード・アッバース議長とシモン・ペレス大統領が共に平和を祈る場所としてバチカンの自宅を提供する」と提案した。予期しない提案に広場を埋めたパレスチナ人キリスト者や巡礼は歓声を上げた。さらに両者がすぐに応諾の意向を示したことも、教皇の提案が、世界から歓迎されるものであることを示している。
 教皇の今回の聖地訪問は「巡礼」であって、政治とは一線を画すと見られていただけに驚きをもって受け止められてもいる。
 ただペレス大統領はノーベル平和賞受賞者であるが、1923年生まれの高齢でもあり、現在は儀礼的存在に留まっている。両者がバチカンで共に平和を祈るにしても、それが中東和平に直結するものとはならないと見られる。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権からもコメントはない。□


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