2019年11月

2019年11月26日

◎教皇、日本訪問終え、羽田発ローマへ

CJC19321=#191126◎教皇、日本訪問終え、羽田発ローマへ

 日本を訪れている教皇フランシスコは、最終日の11月26日早朝、バチカン(ローマ教皇庁)へ向けて帰国する直前、東京都千代田区の上智大学の四谷キャンパスを訪問した。

 上智大学は、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが創設した修道会『イエズス会』が設立母体。同会出身の教皇は、まず構内のクルトゥルハイム礼拝堂で、会員たちと私的にミサを行った。

 続いてイエズス会のSJハウスで会員と朝食を共にし、病気や高齢の司祭を見舞った。

 大学では、集まった700人余りの学生たちに向けて演説、「どんなに複雑な状況であっても自分たちの行動が公正かつ人間的であり、正直で責任を持つことを心がけ弱者を擁護するような人になってほしい。ことばと行動が偽りや欺まんであることが少なくない今の時代において特に必要とされる誠実な人になってほしい」と諭し、「訪問中の温かい歓迎に感謝する。これからも祈りの中で皆さんのことを思い出す」と感謝の言葉を述べた。。

 教皇は講話を終えると、みずからステージを降りて学生たちに歩み寄り、握手したり声をかけたりした。

 教皇は、帰国の途につく前、自身のツイッターを更新、この中で「私の訪問に際し、真心を込めてあたたかくお迎えくれたことに対し、日本のすべての皆さんに深く感謝する。これからも皆さんの幸せを祈る」と感謝の気持ちを書き込んだ。

 教皇は4日間の日本訪問を終え、午前11時半過ぎ、羽田空港で日本カトリック教会の司教たちに見送られ、ANA特別機で出発した。ローマには、現地時間26日午後5時過ぎに到着の予定。(CJC)□


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◎教皇、被爆地への訪問に強い意欲を示した訪日

CJC19320=#1125◎教皇、被爆地への訪問に強い意欲を示した訪日

 11月23日夕、タイ航空特別機で東京羽田空港に到着した教皇フランシスコを迎え歓迎式が行われた。その後、東京都千代田区のローマ教皇庁大使館で教皇と日本の司教との集いが行われた。教皇は「人類史に残るあの悲劇の傷に今なお苦しんでいる人々に会いたいと思う」と話し、被爆地への訪問に強い意欲を示した。

 日本訪問2日目、教皇は全日空特別機で長崎に向かい、午前9時半ごろ、長崎空港に到着した。長崎市や教会関係者らの出迎えをうけたあと、警察の車両に先導されて市内の爆心地公園に向かった。

 雨が降りしきる中、沿道では、教皇を乗せた車が通ると、地元の人たちが傘をさしながら日本やバチカン、それに教皇の出身地であるアルゼンチンの国旗を振って歓迎した。

 被爆者から渡された白い花輪を原子爆弾落下中心地碑に捧げた教皇は、降りしきる雨の中、沈黙のうちに祈り続けた。

 続いて教皇は、核兵器のない世界の実現のために、無関心を捨て、「真の平和の道具」となるよう、すべての人に呼び掛ける、平和のメッセージを述べた。

 恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に、平和と安全を築こうとする今日の世界の矛盾を教皇は指摘しつつ、こうした解決策は人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻む、と述べた。

 核兵器から解放された平和な世界は、あらゆる場所の、数え切れないほどの人の熱望であり、この理想を実現するには、個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国と非保有国など、すべての人の参加が必要と話した。

 教皇は、核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信のもと、核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、と心に刻むよう、世界の政治指導者らに訴えた。

 この集いの後、教皇は、長崎・西坂公園で、日本二十六聖人殉教者の記念碑を前に祈られた。

 聖パウロ三木と同志殉教者26人は、1597年2月5日、西坂の丘で磔刑に処せられ、キリストにおける信仰のために処刑された日本で最初の殉教者となった。

 雨風が吹く西坂の丘を訪れた教皇は、記念碑に献花され、沈黙の祈りを捧げられた。そして、殉教者の聖遺物に献香された。

 集った人々への挨拶で、教皇は、この瞬間を待ちわび、一巡礼者として祈り、自らのあかしと献身で道を示すこの兄弟たちの信仰に強められるために来た、と述べた。

 また、教皇は、この地は復活を告げる場所、と述べ、それはあらゆる試練においても、最後は死ではなく、いのちに至ると宣言しているからである、と語った。

 今日の教会が、十字架上から放たれた聖パウロ三木のメッセージに耳を傾け、福音の喜びと美を、すべての人と分かち合うよう招かれていることを感じるように、と願われた。

また、教皇は、この場所から、世界のさまざまな場所で、信仰ゆえに今日も苦しみ、殉教の苦しみを味わうキリスト者とも心を合わせよう、と呼びかけられた。

 午後、長崎市の長崎県営野球場「ビッグNスタジアム」で行なわれた教皇ミサには、およそ3万人が参加した。

 教皇の到着と共に参加者から歓声が沸き上がった。教皇は、特別車「パパモービル」で会場を一巡、子どもたちをはじめ、会場の人々に笑顔で祝福を与えた。

 舞台上の祭壇の隣には、被爆マリア像が置かれた。

 教皇は、このミサを、式文をラテン語で、説教をスペイン語でとり行われた。

 説教で教皇は、この国は、人間が手にしうる壊滅的な力を経験した数少ない国の一つと述べ、それゆえに、わたしたちは、悔い改めた盗人と同じように、苦しむ罪なきかた、主イエスを弁護し仕えるために、声を上げ、信仰を表明したいと話した。

「キリストは生きておられ、わたしたちの間で働かれ、わたしたち皆をいのちの完成へと導いておられる。キリストは生きておられ、わたしたちに生きる者であってほしいと願っておられる。このかたはわたしたちの希望です」と教皇は説いた。

教皇は、宣教する弟子の使命は、家庭、職場、社会、置かれたすべての場所でパン種となること、と話した。

 そして、病気や障がいのある人、高齢者や見捨てられた人たち、難民や外国からの労働者、彼らを取り囲む無関心の脇で、今日それを生きるようにと、招いた。

 ミサ中の共同祈願は、スペイン語、韓国語、タガログ語、日本語、ベトナム語で行われ、様々な出身の信者たちが集う今日の日本のカトリック共同体の姿を象徴するものとなった。

 ミサの終わりに、長崎大司教区の高見三明大司教が、教皇に挨拶を述べた。

 長崎訪問を終えた教皇は、次の目的地、広島に空路向かい、平和記念公園で平和のための集いを行った。会場には、被爆者らや、諸宗教代表者らをはじめ、およそ2千人が集った。

 教皇は、原爆死没者慰霊碑の前に献花し、祈りを捧げられた。次いで、ろうそくに火を灯した教皇は、闇に鐘の音が響く中、会場の参加者らとともに黙祷を捧げられた。

 被爆者の証言と代読に続き、教皇は平和メッセージを述べた。

 この中で教皇は、「死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所」、「大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残った」この場所のすべての犠牲者を記憶にとどめたいと述べた。

そして、教皇は「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出し、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、静かに祈るため」に、「平和の巡礼者」としてこの場所を訪れなければならないと感じていた、と話された。

 「へりくだり、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたい」と述べた教皇は、その声とは「現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声」であると語った。

「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもない」と述べた教皇は、それは人類とその尊厳だけでなく、わたしたちの「共通の家」の未来の可能性にも反する、と教皇は指摘した。

 真の平和とは、非武装の平和以外にありえない、わたしたちは歴史から学ぶべき、と教皇は述べた。

 「思い出し、ともに歩み、守ること」の三つを、平和となる真の道を切り開く力を持つ「倫理的命令」として胸に刻むよう教皇は勧めた。

 そして、教皇は、神とすべての人に向かい、原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、「戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない!」と声を合わせて叫ぼうと訴えた。 

 教皇は、同日夜、空路で東京へ戻った。

 教皇は、日本訪問3日目の25日、最初に千代田区内のイベントホール、ベルサール半蔵門で、東日本大震災の被災者らとの集いに出席した。

 この集いには2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波、そしてその影響で起きた福島第一原子力発電所事故による被害者らが参加した。

 教皇は、被災者の代表ら一人ひとりの手を取り、耳を傾け、励ました。

 集いでは、3人の被災者が、それぞれの体験を通して、災害がもたらしたもの、自分や家族や共同体に与えた影響、困難の中を歩みながら得た思い、未来を見つめる視点を語った。

 教皇は講話の初めに、地震、津波、原発事故によって言い表せない辛い思いを体験した、すべての人を代表し、大勢の人が被った悲しみと痛み、よりよい未来に広がる希望を伝えてくれた被災者代表の方々に感謝を述べられた。

そして、教皇は1万8千人に上る犠牲者、そして遺族、行方不明者のために、参加者と共に沈黙の祈りを捧げた。

 教皇は、災害地域の復興に取り組み、現在も仮設住宅に避難し自宅に帰ることができない多くの人々の境遇改善に努める、地方自治体や諸団体、人々の尽力に感謝し、災害直後に迅速に動き、被災者を支えてくれた、日本や世界中の多くの人に感謝された。そして、この集いが、被災者の方々が引き続き多くの必要な助けを得るための、心あるすべての人に訴える呼びかけとなるよう、願った。

教皇は、一人で「復興」できる人はどこにもいない、だれも一人では再出発できない、と述べ、町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる人々との出会いが不可欠、と話された。

 教皇は、わたしたちはこの地球の一部、環境の一部である、と話し、天然資源の使用、特に将来のエネルギー源に関して、勇気ある決断をすること、無関心と闘う力のある文化を作るため、働き、歩むことを、最初の一歩とするよう勧められた。

 福島第一原子力発電所の事故とその余波を思い起こされた教皇は、科学的・医学的な懸念はもとより、社会構造の回復という大きな課題を指摘。地域社会で社会のつながりが再び築かれ、人々がまた安全で安定した生活ができるようにならなければ、福島の事故は完全には解決されない、と述べた。

 教皇は、三大災害後の復興と再建の継続には、多くの手と多くの心を、一致させなければならない、と話した。

 午前11時、教皇は皇居に天皇陛下を訪問した。宮殿の南車寄せに到着した教皇は、出迎えられた天皇と笑顔で握手を交わした。約20分、宮殿・竹の間で、天皇と教皇の会見が行われた。

 同日午後、教皇は、東京カテドラル聖マリア大聖堂で、青年たちと会見した。

 3人の代表が、今日の日本社会で青年はどう神と出会い生きて行くべきか、若者たちが自分のよさに気付くようどう寄り添うべきか、また外国籍を持って生活することの喜びや苦しみ、いじめや差別の問題などをテーマに話し、今日の日本の青年たちが抱える現実と思いに光を当てながら、教皇に助言を求めた。

 今日の日本に生きる若者における文化的・宗教的な多様性を見て教皇は、それこそが、この世代が未来に手渡せる美しさであると述べた。

 そして、人類家族に必要なのは、皆の同一化ではなく、共存を学ぶこと、友情をはぐくみ、他者の不安に関心を寄せ、異なる経験や見方を尊重すること、と話した。

 いじめと差別に苦しんだ一人の若者の経験に、教皇は、いじめの被害者が自分は弱い、価値がないと自身を責めることも珍しくないが、実はいじめる側こそ、本当は弱虫であり、他者を傷つけることで、自分のアイデンティティを肯定できると考えている、と指摘、「いじめ」の文化に対して力を合わせ、はっきりという必要があると述べ、この疫病に対する最良の薬は、皆さん自身であり、友人や仲間どうしで、「絶対だめ」「それは間違っている」といわなければならない、と励ました。

 教皇は、もっていないすべてのことに目を留めるより、自分が与え、差し出すことのできるいのちを見いだすことが重要とされ、他者のために時間を割き、耳を傾け、共感することで初めて、自分のこれまでの人生と傷から、自身を新たにし、周囲の世界を変えることができる愛に向かって進み出せる、と述べた。

 教皇は、霊的な貧困との闘いは、わたしたち皆の挑戦であると述べ、もっとも重要なことは、何を手にしたか、手にできるかではなく、それをだれと共有するのかであると教皇は話し、物も大切だが、人間は欠けてはならない存在、と話した。

 教皇は、社会において友情が可能であることのあかし人となるよう、攻撃や軽蔑ではなく、他者のもつ豊かさを評価することを学ぶよう、若者たちを励ました。

 日本は若者を必要とし、世界もまた、自覚ある、寛大で明るく情熱的な、すべての人のための家を建てる力をもった若者を必要としている、と話した教皇は、若者たちが霊的な知恵をはぐくみ、人生において、本当の幸せへの道を見つけることができるようにと祈った。

 教皇は、25日午後、東京ドームでミサを捧げた。ミサには、日本全国からおよそ5万人が参加した。

 教皇は、特別車パパモービルの上から、子どもたちをはじめ、参加者らに祝福を与えつつ、会場を一周した。

 ミサの説教で、教皇は、「マルコによる福音書」の、イエスの「山上の説教」中の「神と富とに仕えることはできない」「思い悩むな」の箇所を取り上げ、わたしたちが歩むよう招かれた道の美しさを説くもの、と述べ、聖書によれば、山は、神がご自身を明かし知らしめる場所であり、その山頂には、分かれ道で師なるかたに、注意深く忍耐をもって聞くことによってのみ到達できる、と話した。

そしてキリスト者の共同体は、すべてのいのち、すなわち目の前にあるいのちを守り、抱擁し、受け入れる態度を、あかしするよう招かれている、と教皇は話した。

 いのちの福音を告げるよう、わたしたちは求められ、駆り立てられている、と述べた教皇は、それは、共同体として、傷ついた人をいやし、和解とゆるしの道をつねに示す、野戦病院となること、と説いた。

 説教に続く共同祈願では、長崎でのミサと同様、各国語(英語、ベトナム語、日本語、韓国語、タガログ語、スペイン語)で祈りが唱えられた。

 ミサの終わりに菊地功・東京大司教が教皇に感謝の挨拶を述べた。(CJC)□


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◎教皇、タイ訪問終え日本へ

CJC19319=#1123◎教皇、タイ訪問終え日本へ

 【CJC】教皇フランシスコは11月20日からのタイ訪問で、人々の「寛容と調和」の価値観をたたえ、同国との「友好の絆を強めたい」との願いを果たし、23日午前9時過ぎ、バンコクのドンムアン空港軍事ターミナルからタイ航空特別機で、次の訪問国日本に向け出発した。□


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2019年11月21日

◎教皇、民族間の調和と宗教間対話の重要性を強調

CJC19318=VN1121◎教皇、民族間の調和と宗教間対話の重要性を強調

 【CJC】公営バチカン・ニュース(日本語版)によると、教皇フランシスコは、11月21日午前、バンコク市内の首相府を訪問、プラユット・チャンオチャ首相と共に、前庭で催された歓迎式典に臨んだ。続いて、ホールでタイの各界代表および同国駐在外交団と会見した。

 多文化と多様性の国として、タイは数ある民族間の調和と平和的共存の大切さを認識し、異なる文化や宗教、思想への尊重を表してきた、と教皇は述べた。

 タイは「自由」を意味する国、と教皇は述べながら、自由は人々が互いに責任を共有し、あらゆる形の不平等を克服できる時にこそ可能になる、と話した。

 教皇は、今日の世界の特徴の一つである移民現象に言及。タイが近隣国の難民を受け入れてきたことに触れつつ、国際社会がこの問題に責任と先見性をもって対応し、人々の悲劇的な国外脱出をもたらす原因を解決し、安全で秩序ある移民制度を促進できるよう、今一度アピールした。

 その後、教皇は、バンコクのワット・ラーチャボピット寺で仏教の最高指導者らと会見した。

 教皇は、タイの仏教指導者らへの挨拶で、タイにおいて仏教が人々に与えている精神価値、命やお年寄りの尊重、観想的で執着から離れた簡素な生活、また特に人々の微笑などに言及した。

 タイ仏教界とカトリック教会との相互理解と尊重の歩みの歴史として、教皇は50年前の第17代大僧正のバチカン訪問や、1984年のヨハネ・パウロ2世のこの寺院への訪問などを思い起こした。

 教皇は、こうした歩みの積み重ねが、両宗教界だけでなく、分裂や疎外の広がる今日の世界に、出会いの文化は可能であることを証ししてくれる、と話した。

 互いの違いを認め合い、評価し合う機会に、わたしたちは世界に希望の言葉を与えることができると述べた教皇は、宗教が兄弟愛を保証する希望の灯台となることを願われた。

 その後、教皇は、バンコク市内のセントルイス病院で医療関係者や患者らとの出会いを持たれた。

 1898年、当時のシャムにおける代牧、ルイス・ヴェイ大司教によって創立された同病院は、昨年創立120年を迎えた。

 教皇は挨拶で、「愛のあるところに、神はおられる」という同病院の精神に触れつつ、関係者らは単なる医療上の仕事を超えて、偉大ないつくしみの業を行っている、と話した。

 患者一人ひとりを見つめ、その名前を呼ぶ時、皆さんはキリストの弟子であり、宣教者であることを忘れないよう、教皇は願った。

 この後、教皇は病院のホールで患者や障害者らと交流され、励ましの言葉や祝福を与えた。□



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◎ローマ「法王」の呼称「教皇」に、政府が来日に合わせ変更

CJC19317=#1120◎ローマ「法王」の呼称「教皇」に、政府が来日に合わせ変更


 政府は11月20日、教皇フランシスコの来日に合わせて、今後は呼称を「教皇」に変更すると発表した。外務省は、カトリックの関係者をはじめ一般的に教皇を用いる例が多いことと、法王が国家元首を務めるバチカン側に、教皇という表現の使用について問題がないことが確認できたためと説明した。ただ「『法王』を使用しても間違いではない」としている。(CJC)◻︎



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2019年11月20日

◎教皇、タイに到着、空港で歓迎式

CJC19316=#1120◎教皇、タイに到着、空港で歓迎式

 【CJC】タイと日本へのアジア2カ国訪問に出発した教皇フランシスコを乗せた特別機は、11月20日12時02分(日本時間14時02分)、バンコクのドンムアン空港軍事ターミナルに到着した。

 バチカン・ニュース(日本語版)などによると、空港で教皇は、出迎えの枢密院の代表から、バチカン国旗の黄色と白の2色で作られた花飾りを贈られた。そして、タイ政府要人、同国司教団、多民族国家を表すように様々な民族衣装を身に着けた11人の子どもたちに挨拶をおくられた。

 歓迎式に参加した一団の中には、教皇の又従妹で、タイでの長い宣教経験を持つ、『サレジアン・シスターズ』(扶助者聖母会)のアナ・ローサ・シヴォリ修道女の姿も見られた。シスター・アナ・ローサは、このたびの教皇のタイ訪問中のいくつかの行事で通訳を務める。

 空港での歓迎式の後、教皇はバンコク市内のローマ教皇庁大使館に向かった。

 教皇は、訪問開始に先立ちビデオメッセージを出し、多様な民族が住むタイの人々の「寛容と調和」の価値観をたたえ、同国との「友好の絆を強めたい」と強調、「異なる宗教との対話は分断を乗り越える助けとなる」と述べた。□



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◎米ジョージア州16歳生徒、黒人教会の襲撃図った容疑で逮捕

CJC19315=CN1120◎米ジョージア州16歳生徒、黒人教会の襲撃図った容疑で逮捕

 【CJC】米ジョージア州ゲインズビルの警察は11月19日、16歳の白人の女子生徒が黒人の通う教会の襲撃を計画していたとして、殺人未遂容疑で逮捕したと発表した。『CNN』(日本語版)が報じた。

 警察によると、拘束されたのはゲインズビル・ハイスクールに通う生徒で、数週間前から『ベテル・アフリカン・メソジスト監督教会』を刃物で襲撃する計画を立てていたという。

 生徒はインターネットで黒人教会について調べるなど、かなり周到な準備をしていたといい、今月に入って一度、教会を訪れていた。その時、生徒は刃物を所持していたと思われるが、教会には誰もいなかった。

 この生徒が襲撃の計画について話しているのを別の生徒が15日に聞きつけて学校に知らせ、学校から警察に通報した。

 教会は、警察からの連絡を受けて20日の聖書勉強会を中止した。日曜の礼拝は行う予定だが、警備の強化を検討しているという。□


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2019年11月18日

◎教皇の来訪控え、タイの歓迎準備進む

CJC19313=AF1118◎教皇の来訪控え、タイの歓迎準備進む

 【CJC】タイでは、教皇フランシスコの11月20〜23日の訪問を前に、歓迎の準備が進んでいる。

 首都バンコクのプラハルタイ修道院では、10人あまりの修道女や裁縫師らが2カ月にわたり、教皇や同行する聖職者らのために、最高級の絹布を用いて200着を超える祭服を仕立てた。完成した最も重要な教皇のための2着の祭服は、横に並べて誇らしげに飾られている。AFP通信が報じた。

 プラハルタイ修道院は、絹が有名な同国で、何世代にもわたりオーダーメードの祭服を仕立ててきた。

 教皇はタイ訪問に際し、国王ラーマ10世やプラユット・チャンオチャ首相と面会し、二つのミサを司式する。その後、日本へ向かい、東京、長崎、広島を訪れ、26日に日本を離れる予定。□



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2019年11月17日

◎教皇と「焼き場に立つ少年」は誰? 場所は? 続く調査

CJC19312=NaS1116◎教皇と「焼き場に立つ少年」は誰? 場所は? 続く調査

 教皇フランシスコが11月24日、長崎市を訪れる。核兵器廃絶を訴える教皇が強い関心を寄せているのが、原爆投下後の長崎で撮影されたといわれる「焼き場に立つ少年」だ。戦争の悲惨さを強く訴え掛ける傑作として知られるが、被写体や撮影場所は特定されていない。教皇来崎で写真が注目を浴びる中、謎を解明しようとする動きが続いている。地元紙『長崎新聞』が16日報じた。

 「焼き場に立つ少年」は1945年9月に佐世保に上陸した米軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が撮影した。死んだ幼子を背負い火葬場に現れた少年の姿をとらえている。

 教皇は2013年の就任以来、一貫して核兵器廃絶に積極的な姿勢を見せている。17年末ごろ、「焼き場に立つ少年」をカードに印刷し、「戦争がもたらすもの」との言葉を付けて広めるように指示した。

 教皇は24日、爆心地公園(長崎市松山町)で核兵器廃絶に向けたメッセージを発信する。教皇の傍らには「焼き場に立つ少年」のパネルが掲示される予定。

 美術研究者の故吉岡栄二郎氏は「焼き場に立つ少年」の調査を続け、成果をまとめた「『焼き場に立つ少年』は何処へ」(長崎新聞社)を13年に出版。撮影地は「爆心地から少なくとも3キロ以上離れた光景」と推定した。被写体の少年について、爆心地から10・5キロ離れた長崎市東部の戸石村(当時)に住んでいた「上戸明宏」という人物ではないか、という住民の証言も紹介した。

 長崎市の元小学校長、村岡正則さん(85)は、当時通っていた銭座国民学校で顔見知りだった児童が被写体の少年ではないかと考えている。

 1945年8月9日。村岡さんは爆心地から約1・6キロの銭座町2丁目で被爆した。両足と左腕にやけどを負い、現在の長崎市浜平付近にあった砲台跡に避難した。そこに少年も逃げてきていた。

 昨年1月、少年が特定されていないと知り、記憶をたどりながら調べ始めた。爆心地付近をはじめ、長崎市東部や諫早市にも範囲を広げて卒業名簿を調べたり、聞き取りをしたりしているが、有力な手掛かりは見つかっていない。

 長崎県保険医協会の本田孝也会長(63)も今年6月から写真について調査を開始。当時、戸石国民学校に通っていた住民に写真を見せると、複数の人が「見覚えがある」と答えた。卒業名簿や学年名簿に「上戸明宏」の名前はなかったが、彼の兄弟とみられる人物の名前は載っていた。

 長崎原爆資料館が所蔵する森医院(長崎市中里町)や中村医院(諫早市)の当時のカルテや死亡診断書も調査。原爆投下の翌日以降、爆心地付近から多くの人が逃げてきていて、1日50人以上の患者を診療し、被爆が原因で死亡した患者も多かったことが判明した。

 8月と10月には、長崎市の矢上地区にあったとされる赤痢など伝染病患者を収容した病院の跡地や、遺体の焼き場跡も現地調査した。長崎新聞によると、本田会長は「写真に写っている標柱など場所を特定できる有力な手掛かりを調べ、当時を知る人たちへの聞き取りも地道に進めたい」と語っている。(CJC)□


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◎教皇は核廃絶に強いメッセージ、と時事通信に前田枢機卿

CJC19311=JN1105◎教皇は核廃絶に強いメッセージ、と時事通信に前田枢機卿

 教皇フランシスコが11月23〜26日の日程で来日し、被爆地などを訪問する。38年ぶりとなるローマ教皇来日に尽力した前田万葉枢機卿(70)=大阪大司教=は15日、「教皇は核兵器の使用だけでなく、保有・製造も『駄目だ』と言及するだろう」と語り、核兵器廃絶に向けた力強いメッセージが発信されることに期待感を示した。大阪市中央区で時事通信のインタビューに応じた。(CJC)□

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