晴れのち山…時々妄想…

120万円の借金を1年半で返済。
心も体もボロボロだけど晴れたら山に登って、時々妄想する…。

2006年06月

正直者が馬鹿を見る

c9c3d428.jpg今日の帰りに、改札を抜けると、僕のかかとに何かが当たったので振り返ると、眼鏡が床に落ちていた。

僕の後ろの中年のおじさんが落としたようだった。

なぜか自動改札の扉が閉まっていたのでおかしいなと思ったら、おじさんは僕の後ろからすぐに入れば、改札を通れると思ったようで、それで閉まったのだった。

確かにセンサーの構造上、僕の体に密着してさえいれば、切符を買わずに入ることが可能だが、他人にそれをやるのは不可能である。
変質者と間違われ、警察に通報されるのがオチである。

扉が閉まり、急に進めなくなったおじさんの顔から慣性の法則で眼鏡が前方に落ちたのであろう。
そして僕のかかとに当たったのである。

引き返すのかと思いきや、おじさんは強引に扉を押し開け、改札を通ってしまった。
妊婦などがぶつかっても平気なように、日本の自動改札の扉は柔らかくできているのだ。
扉がぶつかって、怪我をされて裁判にでもなったら大変なので、こんな構造になったのだろう。
日本のお国柄が良く出ている。

お隣の韓国の自動改札は、太い鉄パイプを手で押さなければ、入れないのである。
まあ韓国の場合、下をくぐれば簡単に無賃乗車ができるという弱点もあるのだが…。
僕は地下鉄で何人か目撃したことがある。
韓国の自動改札機


おじさんは、眼鏡を拾うと、何食わぬ顔で、京浜東北線のホームへと下って行った。

改札係は見て見ぬふりである。

面倒なトラブルに巻き込まれるのが嫌なのは分かるが、きちんと料金を支払って利用している人たちが「正直者がバカを見る」になっているのではなかろうか。
ことに、定期券を買っている僕などは、バカバカしくも思えてくる。

正直者が馬鹿を見る とは…。
ずる賢い人はうまく立ち回って得をすることが多いのに対して、正直な人は規則や法律などをよく守るためにかえって不自由な目にあったり、損をしたりすることが多い。
世の中には矛盾が多いものだということ。

南浦和と言えば、競馬場があるので有名だ。
ラジオでは毎日のように開催日を知らせている。

つまりこのおじさんは、競馬ですっからかんになってしまい、帰りの電車賃も無くなってしまったのだ。
また、競馬で摩ってしまった人は、とかくイライラしている。
駅員もそれを承知の上で注意をしなかったのだ。
触らぬ神に祟り無しを決め込んだのだ。

しかし、ここで正直者が嘆いても仕方がないのである。
それが日本という国なのだから。

背水の陣

まったく呆れるね。
「ど素人」なんて俗な言葉。
エリートの中のエリートが使う言葉とは思えない。
あなたは小学生以下の言い訳しかできないのですか?
こっちはね。
一個150円とか40円の品物をチマチマ塗りながら、やっとこさ生活費を稼いでいるんだよ。
出所の分からない金を運用して、儲けてるヤツ…。
どういう神経してるんだろ。

そりゃあ自分だって、胸に手を当ててみれば、完全な善人じゃないよ。
だから、腹立たしい感情を抑えなければいけないんだけどね。
明日は我が身だから。
自分だって、いつ出来心で、手を出してしまうか分からない。

「今日は人の上、明日は我が身の上」
意味は…。
人の世は不安定なものだから、他人の災難をよそごととして見過ごさず、用心しなければいけないという戒め。今日は他人のことだと思っていた災難も、明日は自分のことになるかもしれないという意から。

彼の場合災難じゃなくて、身から出た錆かも。

「身から出た錆」
意味は…。
自分自身が犯した行いや過失のために、あとでわざわいを受けて苦しむこと。
刀身から生じた錆が刀身を腐らせてしまう意から。

分かっててやってしまったのだろうか?
やっぱり出来心?
言い訳ばっかりする大人って見苦しいねえ。


僕は罪を犯した訳じゃないけど、明日坊主になるかもしれません。
もし、ジーコジャパンが負けたら、坊主になります。
勝ったら、いつものスポーツ刈りだけど。

ってほとんど変わらないじゃん。

いやいや、坊主にするのはやはり勇気が要りますよ。
街中でもそれなりに目立つし。
この賭けは、勝って欲しいという僕の気持ちの表れ。
背水の陣で臨み、絶対に勝ってほしい!
勝ってもらわなきゃ困る。

「背水の陣」
意味は…。
川・湖・海などを背にして陣を構え、決死の覚悟で戦うこと。
転じて、一歩も引けない絶対絶命の状況で事に当たること。

漢の名称韓信が趙と戦った時、わざと兵を有利な山上の砦から下ろし、川を背にした不利な陣をしいて戦わせた。兵たちは引くに引かれず、死に物狂いで戦い、趙軍を打ち破ったことによる。

まさにこのとおり。
友人に自分の顔写真を送って、意思を伝えました。
もう引くに引けません。
自らを追い込んでしまいました。
明日はどうなるんだ〜?

詭弁を弄する佞奸め!

この前暇だったのが嘘みたいに仕事がきちゃうよ〜。
来週も忙しいぞ!

朝は、体がびしょびしょになるほどの雨だったけど、そんなにひどい降りじゃ無かったね。

時々難しい言葉が閃く…。

「詭弁を弄する佞奸め!」

佞奸:ネイカン、うわべは従順・柔和に見せかけていて、または口先でうまいことを言っていて、心の底は悪いこと。

弄する:ロウスル、もてあそぶ。

詭弁:キベン、道理に合わないいいくるめの議論。
ごまかしの議論。
論理学で相手の思考の混乱や感情につけ入って相手をだます、見掛け上は正しそうな、虚偽の推論。


口だけうまいこと言って、だます人って世の中には多いよね。
振り込め詐欺とか…。

そんな時は「詭弁を弄する佞奸め!」と言ってやればいいんじゃないかな?

「うわべは従順・柔和に見せかけていて、心の底は悪いこと。」
っていうのはオイラのこと?
ドキ〜〜〜〜〜〜〜〜!!Σ( ̄□ ̄;)

っとしましたよ。

でも誰の心にも大なり小なり悪の心があるはず…。
悪の心が無いのは神様くらいなものだよ。

聖人面した、日銀の総裁だって悪いことしてるんだから、人の心なんてうわべだけじゃ分からないってことだよね。

朝顔

ヒルガオ科の一年草。
つる草。
夏の朝、じょうご形の花を開き、昼前にしぼむ。

小一の時、理科の植物観察ってこれだったよなあ。
茶色い小さな種を鉢に埋めて、双葉が出て、本葉が出て…。
だから何?
って感じだったけど。


昭和40年代後半。
僕の家のトイレには?

あったんですよ朝顔が…。



って植物じゃないんです。

男子用小便所の、じょうご形の陶器。
って辞書にもしっかりと書いてあります。

最近はじょうご形って見られなくなったけど、当時は和式便器と朝顔の二つの便器がトイレにありました。
僕が6歳頃だったかな?
洋式便器に変わったのは。
なんだか便器の数が減って寂しかったのを覚えています。

男性諸君!
あれって狙いにくいと思いません?

僕の場合なぜか左へ…。
っとと。
食事中の方はごめんなさい。

何度か床や便器を汚してしまったもんです。

そのうち、我が家では、「男子も座ってやれ」

ということになりまして…。
以来、洋式便器は女子と同じように座ってやることになりました。

そして現在独り暮らしなわけですが、トイレ掃除は自分でやらにゃあならん。
少しでも、掃除の労力が少なくなるように、座ってやっておりやす。

だから立ち小便は、パブリックスペースぐらいなもんなんです。

もちろんダチの家でも…。



座りです。



山で雄大な景色を見ながらの立ち小便は?







(≧∇≦)








カ・イ・カ・ン!





男であることを確認し、男に生まれて良かったなあと思う瞬間であります。


洋式便器で「座り小」をしている、男性はなんと5割だそうですよ。
奥さんにトイレが汚れるからと叱られてシブシブ座っている人がほとんどらしい?
独身のオイラにゃあ、その気持ちがわからんけど…。
きっと父親の威厳なんて無くなってるんだろうなあ。

小はやっぱり立ってやるのが男ってもんでしょう?
男性が女性化する現象の一つの理由がこれでしょうね。

そんなオイラも小さい頃から座りでやってきたから、あんまし男らしく無い…。
西洋化の悪影響がこんなとこにも出てるんだよねえ…。

ってそれはちと大袈裟?


それでも男が、弱くなっているのは確か。
サムライ日本が復活する日は遠いかもしれない。

ドイツに遠征しているジーコジャパンには堂々と立小便をしてもらいたい!
と思うのであります。
それでこそ日本の男じゃ!

内向的虐待

自分の文章がつまらない…。

昨夜は久しぶりに他のサイトへ遊びに行ったのだけど、文章を読んでいると実におもしろくて、時を忘れて楽しんでしまった。
気がついたら日付が変わった午前1時。
他人が、体験したり、思ったことを読むのってなんでおもしろいんだろうね?

自分が知らない他人の一面を知った時、驚くのは僕だけではないはず。

自分の文章を改めて読んで見ると、てんで(テンデ:考えていたことと違って、ひどくおとっているようす。下に打ち消しの語がくる。)おもしろくない。
おもしろくもない文章をツラツラと書き連ねて、ネットで公開してもいいものなのだろうか?

日記を書くのは、毎日の習慣になってしまって、体の一部になっているからやめられないけれど、そもそも僕は文章を書くのが苦手なのだ。
いや、ラブレターなら、すらすらと愛を語ることができる。

しかし、日記というものは、誰に見せるわけでもなく、自分のために書いているのだ。
自分のために労力を使うのは苦手である。
僕はたぶんナルシストじゃないんで、自分の日記を読み返して、「カッコいい」とか「芥川賞もんだよ」などと思うことはほとんど無い。
最近冷めてるよな…俺…。( ´ー`)

「だ、である」体で書いているこの文章もなんとなく気に食わない。
この文末はどこか、上から見下ろしていて、他人をバカにしているような気にもなってきて、非常に申し訳ない気分になってくる。
それに、どこそこのえらい教授でも無いのに、とてつもなく堅苦しい文章のようにも思えてくるのだ。

その点「です、ます」体は、へりくだっていて、やさしい感じがする。
しかし、小学生の作文などは「です、ます」体だったので、後で読み返してもなんとなく自分の文章が幼稚に思えてくる。
だから時々、中間になるように、二つを混ぜて文章を書いたりする。
やっぱりそれは変か…。

日々の日記は、自分の知能レベルの低さを露呈し続けていることになるんじゃないだろうか?
そんな不安が時々頭を過ぎる。


こんなこと考えるのはきっと、内向的虐待の始まりだろうね。
僕は時々、自分をいじめることで、自分の存在を確認する。
6月に入って、ようやくGWのショックから立ち直ったと思ったら、独り言が増えた。
気がついたら、ブツブツ道端で言っているのだ。
犬を散歩中の年配者と目が合い恥ずかしくなってくる。

仕事中も、勘定科目や金額を読み上げながら、キーボードを叩いていたりする。
いかん、いかん…。

周期的に襲ってくる自虐行為の前兆なのかも知れない。
時々、心の中を開放してやらないと、おかしくなってしまうようだ。
家に帰っても、誰もいない部屋はあまりにも寂しすぎる。
寂しさを紛らわすためにゲームをやってしまうのは良く分かってる。
ああ、心のパートナーがほしい…。
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