窓から外を何気に見渡すと、上空を浮遊する雲は風に溶け、秋の陽射しは暖かいのか冷たいのか判らない。だが眺めて時間を送るだけなら優しい。

庭の木々は紅葉に備え色をつけようとしている。

 
少し涙腺が緩んだ。滅び去る時代と、過ぎ去る季節の儚さに感傷的になってはまた鬱病を再発させてしまう予感がする。

研ぎ澄まされた感覚は平凡を嫌悪している。もう二度と鉄格子で閉鎖された病室で一時間たりとも過ごしたくはない。

闘病生活に自分の心身が崩れていく恐ろしさは例えば津波で日常を奪われた被災者の心境に近いものがあるような気がする。それまで築かれていた幸せな生活が、何の前触れもなく一瞬で消えてしまう。残されたものは何一つ無く、ただ現状を受け入れるしかない残酷さ。

もう御免だ。

過去は華々しく脚色して、未来にスポットライトを当てよう。

真実は直感に眠っている。 

なんて馬鹿々々しいタイトルなんだろう。

人は幸せになるために生きているというのに。今でも世界のどこかで飢餓に苦しみ死んでいく人、自殺していく人、そんな人のことを想うと、自分が生きていられる幸福は、死者によって与えられているような気がする。

食うか食われるか。いったい誰が言ったのかは憶えていないけど、確かに過去に知り合いが言った。

国境なき医師団を後援して数年になる。

定期的に送られてくる活動報告を読み、自分は幸福なことに気付く。

戦々恐々とした環境にいる人の頭にあるのは「死」ではないだろうか。

事実、東北の地震・津波で、被災した人たちは「死」に直面した。

打ち勝つことのできない自然の驚異は桁外れに恐ろしい。

介護や福祉もまた、人を救援する職務だ。そこに使命感があるのかは別にして。人の命を目の前に、人は成長を余儀なくされる。

華々しい職業とは呼べないかもしれない。でも、往々にして命を扱う現場は医療をはじめ、時として切迫した空気に包まれる。それは介護や福祉も同じではないだろうか。

あえて不幸を買い、相手を幸福にさせる。

人間の原点が現場には漂っている。

 

さほど恋愛経験のない自分が恋愛をした。

大事にしたい。成就させたいと思うあまり、踏み止まったまま時間だけが流れた。

交わした会話は趣味や特技といったごく平凡なもの。

いったい自分は本当にこの人を好きなんだろうかと、疑問に思えてきた。

けど好きなんだ。

もうオワリだけど。

きっとあのとき、あなたが笑顔を見せてくれていたときに声かけをしていれば、きっと結末は変わっていた、のかもしれない。 

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