中国MBA(長江商学院MBA2010)留学ブログ

アジアで最も成功した企業家として知られている李嘉誠氏が創立者である長江商学院のMBA留学ブログです。 北京での1年間の奮闘生活を綴っています。

2011年11月

第20回 中国人クラスメイトインタビュー Julia

第20回 長江商学院MBAコース Julia(女性) 31歳

二児の母親がMBA後、起業を決意!超タフな中国人女性の代表格




プロフィール:
1980年生まれ、北京市東城区生まれ。両親はともに大学の教授。中学時代はシンクロナイズドスイミングに没頭し、国内2位の実績。高校時代は転校後の新しい学校になじめずほぼドロップアウト状態に。大学はデザインを専攻し、マーケティング、広告ビジネスに高い関心を示す。大学卒業後は、香港系、シンガポール系企業でマーケティング職に従事。長江商学院MBA終了後は、起業を決意。二児の母親。


中学時代にシンクロナイズドスイミングで国内2位の実績。高校時代はやんちゃに過ごす。

Q.子供の頃、両親はどんな人だった?
A.両親ともに大学の教授(父親は数学、母親は社会学)で、私の幼少期に両親は私を連れて、博士号を取得するためにパリへ行った。両親はあまりに勉強に忙しかったので、半年後私を北京に帰国させ、その後は祖父母が私を世話してくれた。父親は8年、母親は5年パリで過ごしたので、伝統的な中国の両親とは違って、おおらかで、寛容的だ。私はこれまでも自分の判断で学校やキャリアを決めてきたし、親に相談するといつも適切なアドバイスをくれた。とても自由な家庭環境だった。

Q.学生時代はどんな生活だった?
A.小学校から中学校にかけて6年間、シンクロナイズドスイミングに熱中した。毎日3時間以上の練習を続け、中国国内の大会で2位を獲得できた。私は当時から身長が高く、足が長かったので、このスポーツにとても合っていたし、大好きだった。私は何か好きなことを見つけると、とことこやるタイプだ。一転、高校時代はトラブルメーカーだった。その原因は、両親の仕事の都合で転校し、新しい高校に移った時に友達とうまく馴染めず、寂しい思いをすることが多かったからだ。学校では勉強もせず、友達とも遊ばず、学校の外の仲間とよくつるんでいた。バンドをやっている少し悪そうな人たちとよく遊んだし、ケンカしたり、暴れたりして、やんちゃな高校時代を過ごした。今となっては良い思い出だ。音楽や芸術が好きだったので、大学は北京工商大学に入学し、マーケティングと広告ビジネスを専攻した。特に広告のクリエイティブサイドに熱中し、デザインの基礎から学び、実際の広告デザインまで幅広くデザインを学んだ。さらに、アメリカの大学院でデザインをもっと学びたかったので、大学院に入学するための英語のテスト(TOEFLやGRE)を猛烈に勉強し、数校からオファーをもらった。しかしながら、不運なことに、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起き、大学院への入学許可はあったものの、アメリカビザが下りず、米国留学は断念せざるを得なくなった。本当に残念だった。その後はずっと広告会社でインターンをして大学時代を過ごした。


香港系とシンガポール系企業でマーケティング職に従事。MBA卒業後は起業に挑戦!

Q.これまでのキャリアは?
A.大学卒業後は、香港にある世界一のゴルフ場運営会社でマーケティング職に就いた。香港は英語と広東語が公用語で、純粋な北京人の私からすると生活しづらく、寂しく感じることが多かった。そのため、1年半でこの会社を辞め、北京にあるシンガポール政府系のKepplelandに転職した。この会社は不動産業、オイル業、建築業の3つを経営し、私はマーケティング全般を担当した。このシンガポール会社は、シニアメンバーはすべてシンガポール人で、ミドルメンバーやジュニアスタッフは中国人を採用していた。シンガポール人は中国語は理解できるが、あまり話そうとせず、仕事はいつも英語でやっていた。私は4年半、Kepplelandで働いた後、二人目の子供ができたので退職し、MBAを通して少し休みつつ、経営を勉強することに決めた。MBAに入学まではGMAT試験の準備をしたり、私の夫の会社を手伝っていた。私の夫はフランスで10年間ワインビジネスを手掛けていて、私の叔父が中国で経営していたワインの会社を夫が引き継ぎ、今は彼が社長として経営している。従業員は約260名で、中国国内で6つの支社を持つ規模にまで成長している。

Q.卒業後の進路は?
A.自分で新しい会社を立ち上げることに決めた。ユニークなアクセサリーやグッズをネットで売るビジネスだ。中国人は価値観が多様化してきており、高級品やブランド品だけに目が向いていたのが、ユニークなもの、自分だけのオリジナルなものを求める傾向になってきている。これまでのデザインやマーケティングの経験を活かし、優れたアーティストを発見し、彼ら彼女らの商品を中国国内でネットを通して販売していきたい。アメリカに同じようなビジネスモデルが既にあり、それを参考にしている。日本にも優れたユニークなアーティストがたくさんいるので、ぜひ見つけたら私に紹介してほしい。

第19回 中国人クラスメイトインタビュー Flora

第19回 長江商学院MBAコース Flora(女性) 30歳
父親は医者。恵まれた家庭でも人一倍の努力家!




プロフィール:
1981年生まれ、山東省威海出身。6歳年下の弟がおり、現在軍隊へ入隊中。父親は医者、母親は中学校の数学の先生。中学校から大学まで陸上部に入部し、中学時代は100メートル、1500メートルで学校でナンバーワンを獲得。高校時代は勉強漬けで、大学は北京交通大学工学部へ進学。大学卒業後は、華為(ファーウエイ)技術、チャイナ・ユニコムでネットワークやITソリューションのマーケティングを手掛ける。マネジメント、ファイナンス面を強化すべく長江商学院MBAに入学。卒業後はベンチャーキャピタル業界へ。大学時代に初の彼氏ができ、彼と近々結婚の予定。


医者と教師の両親の影響でしつけが厳しい幼少期。中学以降は、文武両道を貫く

Q.子供の頃、両親はどんな人だった?
A.父親は医者で、大学卒業後30年以上医者を続けている。母親は中学校で数学の先生をしていた。両親ともにしつけや教育には厳しく、帰宅時間やテレビを見る時間はいつも制限されていたし、本をたくさん読むように薦められた。自然と読書が趣味になった。一方、これまで学校の選択やキャリアの選択は自分の判断で、親はいつも応援してくれた。

Q.学生時代はどんな生活だった?
A.中学時代はもちろんよく勉強したが、陸上部に入り、短距離、中距離両方の選手として頑張った。おかげで、100メートル走、1500メートル走の2種目で校内1位をとった。一転、高校時代は地獄のような勉強生活。毎日毎日勉強漬けで、ちょっと退屈だった。高校は地元の普通科でそれほどレベルは高くなく、常にトップ3以内の成績。高校でも陸上を続け、心身ともに鍛えた。私は理系で、数学、物理、化学が好きだったので、大学は北京交通大学の工学部電気工学科に入学した。大学時代は、3分の1は勉強に、3分の1は陸上に、3分の1は恋愛に使ったかなぁ。大学2年生の時に初めて1つ年上の彼氏ができ、それからは楽しい大学時代に変わった。彼とは今もつき合っており、近々結婚する予定。私の人生で最初で最後の彼だ。大学卒業後は北京理工大学大学院に入学し、オートメーションを専門とした。オートメーションは学部時の電気工学と同じ専門だ。


IT・通信分野の一流中国企業で着実に経験を積む。卒業後はVCなど小さな企業で自分の力をフルに活かしたい

Q.これまでのキャリアは?
A.大学院卒業後は華為(ファーウエイ)技術に入社、エンジニアではなく、マーケティング職に近い製品のプレセールスを担当した。私の工学の専門性から製品技術を理解しつつ各市場に投入する戦略を構築し、それを実行する部隊だ。ファーウエイで2年2か月勤務後、チャイナ・ユニコムに転職し、ネットワーク機器のマーケティングやソリューションビジネスを担当した。顧客は欧米の大手企業が多く、例えば、イーベイ、アウディ、アンハイザー・ブッシュ・インベブなどだ。AT&Tやブリティッシュ・テレコムなど欧米の通信メーカーと組み、部下を8名率い、国内外の大手企業にネットワークやITソリューションを提供していた。チャイナ・ユニコムに3年8か月勤務したが、自分に足りないマネジメントやファイナンスの知識を得るためにMBAに入学することに決めた。

Q.なぜ長江商学院MBAを選んだの?
A.長江は中国では有名で、1年MBA、60人という少人数なところが良かった。清華や北京大のカルチャーは私には合わないし、2年のMBAは長いと感じた。

Q.卒業後の進路は?
A.これまでは大企業で勤めてきたので、次は小さな会社で自分でビジネスをリードしていきたいと考えている。現在あるVC(ベンチャーキャピタル)でインターンしており、VCはこれまでの仕事経験と長江のMBAの知識が活かせる場としてはとても良いと思う。5年以内にはバイスプレジデントレベルまでは昇進したい。
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