April 01, 1990
壱瀬あつし プロフィール
サラリーマンながら、演奏活動(ソロリサイタル/アンサンブル/
吹奏楽編曲)・個人レッスン・吹奏楽指揮指導
もこなす、自称「サラリーマン演奏家」
ハルモニア吹奏楽団 音楽監督
公益社団法人 日本吹奏楽指導者協会正会員
妻あり子無しの松戸市民です。
ハルモニア吹奏楽団ホームページ↓
http://harmonia.fc2-rentalserver.com/
(所有楽器)
ヘルベルト・ヴーリッツァー【ドイツ製】
A管(No.188) B♭管(No.188)
ビュッフェ・クランポン【フランス製】
A管(R-13) B♭管(RC) Es管(E-11)
ヤマハフルート・・・他
大阪府堺市生まれ、上野芝で育つ。
3歳で埼玉県所沢市へ転居
ベビーブームの世代、お受験の走りであった
武蔵野音楽大学付属第三幼稚園に入・卒園
その頃からピアノや音楽教育を受け始める。
所沢市立西富小学校入学、特撮モノが大好きで
ウルトラセブンを尊敬していた。
小1年生の夏に宮崎県宮崎市へ転居
宮崎市立檍小学校に転入、校内放送で流れた
モーツァルトやシューベルト、ベートーベン、
チャイコフスキーのメロディに心を奪われる。
校庭でドッヂボールをする事が多かった、大好きな
女の子に当てた男子に闘志を燃やし、その子の耳に
ボールを当てて病院送りにしてしまった事も。
小4年生の夏に新潟県新潟市へ転居
新潟市立鏡淵小学校に転入・卒業
他の子より身体の成長が早かった為、
暫くは、かけっこでは無敵の強さを誇った。
(他の子の成長が追いつくとともに勝てなくなる)
映画・ドラマ音楽や歌謡曲等、大衆音楽にハマる。
漫画家水島新司の母校:白新中学校に入学
中1年生の夏に長崎県長崎市へ転居
長崎市立戸町中学校に転入・卒業
この頃、テクノポップスや洋楽ロックに目覚める。
幼稚園頃から続けていたピアノレッスンも、
この辺りから伸び悩む・・・
長崎県立長崎南高等学校へ入学
吹奏楽部でクラリネットを担当する。
音楽への深い関心から音楽を志す事を決める。
高1の夏に家族は(浜松市へ)転居となったが、
長崎に単身残り下宿生活に入る。
作曲や編曲を独学で学ぶようになり、
下宿では毎晩むさぼるように管弦楽曲を聴く・・・
ストラヴィンスキーやラヴェルを好んで聴いた。
間もなくクラリネットの恩師:大橋幸夫氏と出会い、
遠距離でのレッスン生活が始まる。
高校卒業すると同時に家族も、埼玉県浦和市
への転居となり、家族と再度同居する。
恩師(大橋幸夫)の勧めで音楽学科
クラリネット専攻で、尚美学園短期大学へ入学。
前衛作曲家:大村哲弥氏の理論に感銘を受け、
楽曲分析アナリーゼにも興味を持つようになり、
ヒンデミットやバルトーク、プロコフィエフ、
ガーシュイン、コープランド、バーンスタイン
ショスタコその他、近現代の作曲家を好む。
かたやオーケストラや吹奏楽、アンサンブルの
演奏活動で、多忙な日々を過ごす。
短大卒業後は、併設の東京コンセルヴァトワール
尚美:音楽研究科クラリネット専攻に進学、
アレンジャー真島俊夫氏に出会い、吹奏楽編曲の
世界に魅了される。サマーセミナー等で彼の師事を
仰ぎ、アンサンブル・吹奏楽の編曲活動を開始する。
真島氏の影響で、マイルス・デイビス、マイケル・
ブレッカー、ビルエバンス、クラウス・オガーマン等の
ジャズの響きの世界にも興味を持つ。
この頃(コンセル在学中)から関東一円のスクールバンド
の指導に出向くようになる。
また、父が千葉県市原市に一戸建てを購入し転居。
コンセル卒業後は、東京都弘済会派遣職員として
東京文化会館のホール・楽屋・リハーサル棟の
管理職員となる。(毎日のように訪れる世界の超
一流な音楽家の舞台に触れる事の出来る、この職場
での経験が、後の音楽活動に多大な影響を与えた)
来日する世界の一流メジャーオケの演奏は勿論の事、
吹奏楽界で演奏される「バレエ音楽」の多くを
ダンサーの舞う舞台付きで聴ける貴重な経験を得る。
また、演奏活動や編曲作業においての、専門的な
知識習得の必要性を感じ、この頃から、
作曲家:稲森訓敏氏の和声法・作曲技法・演奏法
アナリーゼのレッスンを、約7年間仰ぐ。
コンセル卒業後2年ほど経ってから、実家より独立。
東京都北区(尾久駅前)の賃貸マンションで念願の
独り暮らしを始める。吹奏楽編曲やクラリネットの
演奏活動(オケ・室内楽)また、学校吹奏楽の
トレーナー・下振りも、地の利を生かして増える。
その20年の経験と、尚美時代から学んだ「指揮法」
「吹奏楽指導法」から派生した理念により、自身の
バンド指導の基本的なコンセプトが確立する。
独立から5年程経過した頃に、
ヤマハ特約店に正社員として入社。
入社間もなく埼玉県吉川市に転居。
その頃から、演奏活動のオファーが増え
鈴木良昭氏・白川毅夫氏の師事を仰ぐようになる。
アンサンブル・オーケストラ・ソロ・吹奏楽指導・
個人レッスン・編曲活動と活動の場は拡大し、
2000年過ぎからは定例のジョイントリサイタルを、
更に2008年には、初のソロリサイタルを開催する。
同年、個人指導する愛弟子がJr管打楽器コンクール
:クラリネット部門全国大会に進出する。
同弟子は、その後音高に進学し、2010年の
第20回日本クラシック音楽コンクールの
全国大会にも出場する快挙を成し遂げる。
吉川市から松戸市に転居したのとほぼ同時に、自身の
コンセプトを主とした社会人吹奏楽団設立のために、
13年間勤務したヤマハを退職。
2010年5月より新楽団「ハルモニア吹奏楽団」
http://harmonia.fc2-rentalserver.com/
を旗揚げする。紆余曲折を経て、2016年6月までに
10回の定期演奏会を終了。現在に至る。
吹奏楽編曲)・個人レッスン・吹奏楽指揮指導
もこなす、自称「サラリーマン演奏家」
ハルモニア吹奏楽団 音楽監督
公益社団法人 日本吹奏楽指導者協会正会員
妻あり子無しの松戸市民です。
ハルモニア吹奏楽団ホームページ↓
http://harmonia.fc2-rentalserver.com/
(所有楽器)
ヘルベルト・ヴーリッツァー【ドイツ製】
A管(No.188) B♭管(No.188)
ビュッフェ・クランポン【フランス製】
A管(R-13) B♭管(RC) Es管(E-11)
ヤマハフルート・・・他
大阪府堺市生まれ、上野芝で育つ。
3歳で埼玉県所沢市へ転居
ベビーブームの世代、お受験の走りであった
武蔵野音楽大学付属第三幼稚園に入・卒園
その頃からピアノや音楽教育を受け始める。
所沢市立西富小学校入学、特撮モノが大好きで
ウルトラセブンを尊敬していた。
小1年生の夏に宮崎県宮崎市へ転居
宮崎市立檍小学校に転入、校内放送で流れた
モーツァルトやシューベルト、ベートーベン、
チャイコフスキーのメロディに心を奪われる。
校庭でドッヂボールをする事が多かった、大好きな
女の子に当てた男子に闘志を燃やし、その子の耳に
ボールを当てて病院送りにしてしまった事も。
小4年生の夏に新潟県新潟市へ転居
新潟市立鏡淵小学校に転入・卒業
他の子より身体の成長が早かった為、
暫くは、かけっこでは無敵の強さを誇った。
(他の子の成長が追いつくとともに勝てなくなる)
映画・ドラマ音楽や歌謡曲等、大衆音楽にハマる。
漫画家水島新司の母校:白新中学校に入学
中1年生の夏に長崎県長崎市へ転居
長崎市立戸町中学校に転入・卒業
この頃、テクノポップスや洋楽ロックに目覚める。
幼稚園頃から続けていたピアノレッスンも、
この辺りから伸び悩む・・・
長崎県立長崎南高等学校へ入学
吹奏楽部でクラリネットを担当する。
音楽への深い関心から音楽を志す事を決める。
高1の夏に家族は(浜松市へ)転居となったが、
長崎に単身残り下宿生活に入る。
作曲や編曲を独学で学ぶようになり、
下宿では毎晩むさぼるように管弦楽曲を聴く・・・
ストラヴィンスキーやラヴェルを好んで聴いた。
間もなくクラリネットの恩師:大橋幸夫氏と出会い、
遠距離でのレッスン生活が始まる。
高校卒業すると同時に家族も、埼玉県浦和市
への転居となり、家族と再度同居する。
恩師(大橋幸夫)の勧めで音楽学科
クラリネット専攻で、尚美学園短期大学へ入学。
前衛作曲家:大村哲弥氏の理論に感銘を受け、
楽曲分析アナリーゼにも興味を持つようになり、
ヒンデミットやバルトーク、プロコフィエフ、
ガーシュイン、コープランド、バーンスタイン
ショスタコその他、近現代の作曲家を好む。
かたやオーケストラや吹奏楽、アンサンブルの
演奏活動で、多忙な日々を過ごす。
短大卒業後は、併設の東京コンセルヴァトワール
尚美:音楽研究科クラリネット専攻に進学、
アレンジャー真島俊夫氏に出会い、吹奏楽編曲の
世界に魅了される。サマーセミナー等で彼の師事を
仰ぎ、アンサンブル・吹奏楽の編曲活動を開始する。
真島氏の影響で、マイルス・デイビス、マイケル・
ブレッカー、ビルエバンス、クラウス・オガーマン等の
ジャズの響きの世界にも興味を持つ。
この頃(コンセル在学中)から関東一円のスクールバンド
の指導に出向くようになる。
また、父が千葉県市原市に一戸建てを購入し転居。
コンセル卒業後は、東京都弘済会派遣職員として
東京文化会館のホール・楽屋・リハーサル棟の
管理職員となる。(毎日のように訪れる世界の超
一流な音楽家の舞台に触れる事の出来る、この職場
での経験が、後の音楽活動に多大な影響を与えた)
来日する世界の一流メジャーオケの演奏は勿論の事、
吹奏楽界で演奏される「バレエ音楽」の多くを
ダンサーの舞う舞台付きで聴ける貴重な経験を得る。
また、演奏活動や編曲作業においての、専門的な
知識習得の必要性を感じ、この頃から、
作曲家:稲森訓敏氏の和声法・作曲技法・演奏法
アナリーゼのレッスンを、約7年間仰ぐ。
コンセル卒業後2年ほど経ってから、実家より独立。
東京都北区(尾久駅前)の賃貸マンションで念願の
独り暮らしを始める。吹奏楽編曲やクラリネットの
演奏活動(オケ・室内楽)また、学校吹奏楽の
トレーナー・下振りも、地の利を生かして増える。
その20年の経験と、尚美時代から学んだ「指揮法」
「吹奏楽指導法」から派生した理念により、自身の
バンド指導の基本的なコンセプトが確立する。
独立から5年程経過した頃に、
ヤマハ特約店に正社員として入社。
入社間もなく埼玉県吉川市に転居。
その頃から、演奏活動のオファーが増え
鈴木良昭氏・白川毅夫氏の師事を仰ぐようになる。
アンサンブル・オーケストラ・ソロ・吹奏楽指導・
個人レッスン・編曲活動と活動の場は拡大し、
2000年過ぎからは定例のジョイントリサイタルを、
更に2008年には、初のソロリサイタルを開催する。
同年、個人指導する愛弟子がJr管打楽器コンクール
:クラリネット部門全国大会に進出する。
同弟子は、その後音高に進学し、2010年の
第20回日本クラシック音楽コンクールの
全国大会にも出場する快挙を成し遂げる。
吉川市から松戸市に転居したのとほぼ同時に、自身の
コンセプトを主とした社会人吹奏楽団設立のために、
13年間勤務したヤマハを退職。
2010年5月より新楽団「ハルモニア吹奏楽団」
http://harmonia.fc2-rentalserver.com/
を旗揚げする。紆余曲折を経て、2016年6月までに
10回の定期演奏会を終了。現在に至る。
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