粘土板とツマヨウジ

《本のキュレーター勉強会》的生活

『悲しんでいい―大災害とグリーフケア』


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悲しんでいい―大災害とグリーフケア (NHK出版新書 355)

『悲しんでいい―大震災とグリーフケア』

高木 慶子(著)
NHK出版(2011/07/07)

「「ケアをする」というと何か具体的な処置を施すものと思われがちですが、心のケアとは、あれこれ世話を焼くことではありません。必要なのは言葉や行為ではなく、相手の方と時間と空間を共有することです。」

著者の高木さんは、神戸の修道院の修道女さんで、上智大学グリーフケア研究所の代表でもある。ターミナルケア(終末期ケア)・グリーフケア(悲しみのケア)に携わって23年、関わった人は数千人に上り、阪神・淡路大震災、神戸連続児童殺害事件、池田小学校児童殺害事件、明石歩道橋事故の遺族のケアにあたってきた。阪神淡路大震災の時は、神戸の修道院で被災した。JR福知山線の脱線事故の時は、現場が勤務先の大学のすぐ近くだった。グリーフケア研究所がそれをきっかけにして始まった。
「そして今回、やるべきことをやるべきときが来た、といま私は感じています」

大切なものを失ったときの悲しみに、どう向き合えば良いか。隣人の悲しみに、どう寄り添えばいいか。本書では、東日本大震災におけるグリーフケアについて、高木さんの知見が述べられている。

例えば、ご遺族の協力を得て実施した調査の結果、下記の「相手を傷つける7つの態度」は好ましくない。
  1. 忠告やお説教。指示をしたり評価したりするような態度。
  2. 死という現実から目を背けさせるような態度。
  3. 死を因果応報として押しつける態度。
  4. 悲しみを比べること。(自分も○○の時は悲しかった、などと言うこと)
  5. 叱咤激励すること。
  6. 悲しむことは恥であるという考えを述べること。
  7. 「時が癒してくれる」などと楽観視して安易に励ますこと。
思い返せば、人生において上記のいくつかを10回ずつくらいやらかしているような気がする。なかなか難しい。相手を傷つけてしまったのではないかと思うことで、自分が傷ついたりもする。癒やしと許しはセットなんじゃないかと思う。

また、被災者が希望を見出すようになるまでに、下記の時期があると感じているという。
  1. とにかく現状を改善するためにできることをやろうと奔走する時期
  2. その後の大きな悲しみの時期:上記が一段落して、しみじみと喪失を実感して悲しくなる時期
  3. 悲しみを乗り越える時期
阪神淡路大震災でお子さんを亡くされた方を対象に3年6ヶ月後に行われた調査では、いま、何をして欲しいですか?という質問に対して 「一人にしてほしい。何もしてほしくない」 という回答であった。悲しみの時期はとても長いのだ。当然だ。回復に向かっていると感じる、という調査結果が出るのは、4年6ヶ月後である。 今回の震災に関して言えば、悲しみの時期が始まったばかり、まだ始まってもいない、といったところだろうか。


ところで、著者の高木さんには、『高木仙右衛門覚書の研究』というちょっと毛色の違った著書がある。高木仙右衛門さんは高木さんの曾祖父にあたる人で、「浦上四番崩れ」において、6年間にわたる流刑・拷問にも関わらず転ばなかった(転向しなかった)キリスト教者として有名だ。長崎のグラバー園、大河ドラマ「龍馬伝」にも出てきたグラバーさんの家の隣に、大浦天主堂という、現存する日本最古のキリスト教会がある。キリスト教が禁教であった江戸時代、在留フランス人のための教会として建築された。1865年、神父ベルナール・プティジャンは、訪ねてきた住民が、数百年間孤独に信仰を守って来た「隠れキリシタン」であることを知った。仙右衛門さんはその時に教会にいた信徒の一人で、その後、自宅を秘密教会として伝道にあたった。「浦上四番崩れ」とは、1867年の一斉逮捕を言う。4回目の受難という意味だ。

そんな高木仙右衛門さんは、最初の隠れキリシタン「高木権左衛門」さんの子孫と言われている。権左衛門さんはキリシタン大名大村純忠の時代の人で、伴天連追放の際、転向せずに長崎から浦上地区に隠遁した。これが正しければ、著者の高木さんは、ここからの末裔ということになる。
この頃、つまり信長・秀吉の時代のキリスト教信者を描いた本に、『クアトロ・ラガッツィ』がある。若者4名がキリシタン大名から派遣されてローマに赴く「天正少年使節」の話だ。あの時代に、何年もかけて長崎・中国・インド・ポルトガルと航海し、ラテン語を完全にマスター、スペインでフェリペ2世の大歓待を受け、なぜか東方の王としてローマ法王に謁見する。8年後に帰国し、印刷技術を持ち帰った。「そのとき日本人がどれほど世界の人びとと共にあったかということを、彼らの物語は私たちに教えてくれる」。信長や秀吉の人物像についても相当詳しく書かれている。必読だと思う。

さて、時代を明治まで戻して「浦上四番崩れ」の6年後、明治政府による禁教が解けて浦上に帰って来た信者たちは、東洋一の教会を目指し、19年をかけて教会を建てた。爆心地からおよそ500mの場所である。教会完成から31年後の1945年8月9日、原爆は「赦しの秘跡(告解)」の時間中に投下された。訪れていた信徒は全員死亡、教会は完全に破壊された。「浦上五番崩れ」とも言われる。遺構は13年後まで残ったが、その後とり壊され、現在の浦上天主堂が建設された。取り壊されるまでの様子が、写真に収められて出版されている。1981年には、ローマ法王が浦上を訪れた。

こんなことをつらつらと考えていると、高木さんが大震災・原発の災害後の心のケアにあたっているのが運命的な感じがしてくる。だからなんなのかと言われると何もないけれど、なんとなく思うのは、昔も今も、悲しみを共有して乗り越えてきた人達がいるということだ。高木さんは、悲しみの大きさは愛情の大きさだと言う。思いこみがあるものを喪失した時、そこにある幻影が悲しいのだ。悲しみのない人生は愛情がない人生である。とか言うと、ブツクサとネガティブ発言ばかりしてる人(私)を弁護しているみたいだが、きっとそうやって、みんなでちょっとずつマイナスを分け合っているのだ。本書によれば、阪神淡路大震災の時、一番自分を支えてくれたのは家族だったが、震災の体験を一番話したのは、友人や親せきだったという調査結果がある。「悲嘆の感情を受け止める癒し人というのは、家族よりも “心を許せる第三者” のほうがふさわしいということです。」近所が雨でも、世界のどこかは晴れているのだ。気持ちを共有できる友人が近くにいますように。友人の気持ちを共有する気持ちを持てますように。震災と関係ない人にも、できることはある。

『花火のふしぎ』


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花火のふしぎ 花火の玉数は数え方しだい?美しい花火の基準とは? (サイエンス・アイ新書)

『花火のふしぎ 』

冴木 一馬(著)
ソフトバンク クリエイティブ(2011/07/21)


今年も、花火の季節がやって来た。本書は「ハナビスト」こと花火写真家の冴木一馬さんによる花火解説本である。

冴 木さんは、講演会などで必ず「花火は平和の象徴である」と言っているらしい。本書にもその記述がある。2011年現在、国連加盟国は192カ国だが、その なかで花火が開催されているのは約30カ国だ。さらに、個人がお店でおもちゃ花火を買えるのは15カ国くらいしかない。販売時期が限られている国もある。 ということで、おもちゃ花火を自由に買って遊ぶことができるのは日本の特徴で、平和の象徴なのだ。
小学校の頃、夜になると学校のグラウンドでおもちゃ花火をやった。ねずみ花火とか、パラシュートとか、なんか、ブーンって飛ぶやつとか。最後を飾るのはロケット花火だった。懐中電灯のまわりにカナブンが飛んできた。そうか、海外にはあまりないのか。

本 書は "サイエンス・アイ新書" の一冊で、花火の種類や作り方、打ち上げまでのプロセスなどを画像満載でお届けする。例えば、花火の名前について言えば、打ち上げ花火には、「昇小花付 八重芯 引青紅降雪 (のぼりこばなつき やえしん ひきあおべこうせつ)」のような風流な名前(玉名)がついている。上記は「上昇しながら小さな花が咲き、三重の芯があり、 (尾を引く菊型の星花火で) 引きが青から紅色に変化して、最後に真綿のように白くなる花火」という意味だ。日本オリジナルな花火の典型だ。

どのあたりが日本のオリジナルなのかと言うと、まず、同心円状の輪(芯)をもつタイプというのがオリジナルだ。3重の芯を持つ「八重芯」は、「花火の神様」と呼ばれている紅屋青木煙火店創業者の青木儀作さんが開発した。このあたりは、『長野の花火は日本一』も 詳しい。八重芯は、まず小さい玉(芯星)をつくり、その後、マトリョーシカよろしく外側に同心円構造を付け加えていく。この「抜き芯」と呼ばれる技法 は、"雁皮紙" という日本独特の和紙を活用して初めて可能になったらしい。現在では、四重芯・五重芯の花火も作られている。

青木さんは、 この八重芯に加え、掛け星(丸星)という日本独特の星火薬を完成させた。海外の星火薬は型に詰めた火薬をプレスで打ち抜いたものであるが、これでは単色の 星火薬にしかならない。日本の掛け星は、芯となる粒に火薬をまぶしては乾燥させ、1日数ミリ単位で薄皮を成長させていく。この作り方は、餅米を蒸したもの を挽いて粉にした「みじん粉」を糊として使用することで可能となったと言われているが、これによって、飛んでいる最中に色が変化する星火薬が出来た。『日本の花火はなぜ世界一なのか?』によれば、約6.5秒飛びながら燃焼する間に6色変化した星火薬もあり、動体視力で認識できない程の変化だったらしい。究極にチャレンジする花火師魂である。

こ れだけカラフルな日本の花火であるが、それは明治の初めに化学薬品が輸入されるようになってからのもので、それまでは赤橙色の単色の花火(和火)だった。 夏目漱石がイギリス留学前年に詠んだという句に「化学とは 花火を造る術ならん」というものがあるそうだ。花火の進化が社会的にも認知されていたのだろ う。
また、「打ち上げ花火」が出てきたのは江戸の末期で、それまでは竹筒からの「吹き出し花火」だったらしい。つまり、本書85ページにも載っている歌川広重 「名所江戸百景」 の 「両国花火」 に描かれているのは吹き出し花火だ。それにしては、ものすごい高さまで噴き出している。この頃の両国花火は一晩に12発程度。1回ごとに筒を掃除して詰め 替え作業を行うので、45分間隔のイベントだったらしい。間欠泉みたいだ。他の事をしながら、たまに始まる花火を楽しむしかない。夜を通じて行われる風流 な催しだったのだろう。

現在は花火をコンピューター制御で打ち上げることができるようになり、水色やオレンジ色のパステルカラーの花火も登場した。大きさ的には今や4尺玉(40号玉)まで存在する。これは新潟の片貝まつりで打ち上げられ、ギネスブックに登録された。上空800mまで打ち上がり、直径800mの大きさで開発(爆発)する。直径120cm、重さ420kg、打ち上げるために23kgの火薬を使用する。デカい。この片貝まつりと、大玉打上合戦をやっているのは、隣町の長岡まつりである。大曲・土浦と並ぶ、日本三大花火大会だ。

この長岡まつり、もともとは第2次大戦の長岡空襲からの復興を願って行われた "戦災復興祭" が起源である。2005年には、水害・中越大震災・豪雪の自然災害からの復興を願って「フェニックス」を打ち上げた。「フェニックス」は、今年の石巻川開き祭りで も打ち上がる予定だ。震災後早々の4月1日に開催を発表して話題になったが、資金難であった。長岡まつり協議会が支援を申し出た。今年の隅田川花火大会は 時期をずらして開催されるが、その起源は1733年まで遡る。「大川の川開き」として、大飢饉とコレラの死者を弔うため、三ヶ月の間、毎晩花火が打ち上げ られた。「花火の神様」がいた青木煙火店は、終戦直後の昭和20年9月に花火を打ち上げている。花火は災害後の心に訴えるのだろうか。

花火 大会も、花火自体も、思い出として残る 「消え物」 だ。あの時は随分遠くのコンビニまで買い物に行ったなあ、とか、あの時は随分日焼けしたなあ、とか、思い出すことができる。そうやって、毎年、記憶を作っ てきた。今年はどうだろう。未来の自分は、今年の花火をどのように思い出すだろうか。今年も、花火の季節がやって来た。


『百年の孤独を歩く』


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百年の孤独を歩く---ガルシア=マルケスとわたしの四半世紀

『百年の孤独を歩く --- ガルシア=マルケスとわたしの四半世紀 』
田村さと子(著)
河出書房新社(2011/04/09)

さみしい題名だが、ヒロシの新作ではない。孤独じゃないし歩いてもない、伝説の小説の舞台を巡り、コロンビアを疾走するエッセイである。

 『百年の孤独』 は、コロンビアのノーベル賞作家 ガルシア=マルケス の代表作だ。1967年に刊行され、世界のベストセラーとなり、「魔術的リアリズム」と言われ、遠く日本では麦焼酎の名前になった。というか、私にとっては焼酎が先だ。恵比寿のお店で、百年の孤独、お湯割り梅干しでぇーと注文したら、えらい勢いで、いいお酒なので出来ません!と言われた。『百年の孤独』を読んだ今は、確かに、氷が入っていないと風情がないかなあと思う。ロックで飲んだら、黄色い蛾が飛んで来そうだ。

それでもって本書は、その『百年の孤独』をベースにしたコロンビア紀行の本だ。ものすごくテイストが違うけれど、敢えて喩えれば「伊豆の踊り子を歩く」という風だろうか。ガルシア=マルケスにまつわる街を訪れ、架空都市マコンドで起きる出来事の多くが事実に由来している、という事が判明していく。

著者の田村さんは、“ガボ” ことガルシア=マルケスとは25年来の友人だ。最初は、小学校来の友人の中上健次さんに、なんとか会えないかと相談されたのがきっかけらしい。熊野と南米は似たものがあるのだろうか?南方熊楠もサーカス団に混じって南米を旅している。 中上さんから相談が来たのは、田村さんが南米に長かったからだ。アジェンデ政権下のチリにもいた。その後、軍事クーデターが起きた際には、亡命者や人権活動家の活動に加わった。それは、クーデターに反対で、抗議の断筆宣言までしたガルシア=マルケスにとって好印象だった。友人の詩人パブロ・ネルーダはクーデターの際に亡くなっている。『イル・ポスティーノ』に出てくる人だ。 そんなわけで、田村さんは“ガボ” に会って、そして友人になった。それから何十年も経ち、今回、親戚ぐるみのサポートを受けて、遂に、念願のコロンビアを旅する。

旅するが、そこは伊豆ではなくてコロンビアである。屈強な運転手つき、詩人で弁護士の友人は「ここで売られているのは、密輸されたものか盗品だから、コピー商品ではないのよ。だから安心して買って」と言う。そして、「日本人を連れてくるのはもってのほか」と怒られたゲリラ地帯の暗闇を、時速90kmで疾走するのだ。でも、ある日は2人乗りのオートバイタクシーでデコボコ道を8時間移動して、またある日はコンタクトをつけたままカヌーから落ちて、実に楽しそうである。自分もまだまだこれからだという気がしてくる。「サトコは常軌を逸したところがある」と言われた、という記述が若干気にかかる。

コロンビアの文化は実に混沌としている。スペイン・ポルトガルの文化に、ワユー族などの先住民族の文化、バンツー族などの奴隷船で来たアフリカ系の文化、イデオロギー、暴力、セックス、それと熱帯が入り乱れている印象だ。ガルシア=マルケスの表現によれば、「一見、何をやっているかわからない、祭りと破壊と神秘の文化。その<遅れ>こそが私たちの力なのだ」。たしかに、本書を読むと南米の生命力のようなものを感じるし、また、日本の社会や常識がおそろしく狭苦しい気がしてくる。一方で、日本は、なんというかいい国だなあ~とも思う。南米の開放的な生命力を日本に持って来れないものかなあ、とちょっと考えたが、もしかしたら『逝きし世の面影』の江戸のような感じかなと思った。かなり勝手な妄想だ。でも、本書には日本の文化に似た記述もある。アニーメという架空の生き物が畑や草むらにいると信じられているのは妖怪みたいだし、夜に死者と話すストーリーはちょっとだけ能みたいだ。まあ、でも、世界中どこにでもあるような話か。いずれにしても、夏の暑い夜、熱帯を通じて日本に触れてみるのもいいんじゃないかと思ったりします。では、最後はワユー族の挨拶で。よい夢を見ますように…

『パラダイムでたどる科学の歴史』

パラダイムでたどる科学の歴史 (BERET SCIENCE)
『パラダイムでたどる科学の歴史』
中山茂(著)
ベレ出版(2011/06/25)

トマス・クーンの『科学革命の構造』を知っている人は結構多いのではないだろうか。1962年刊行のこの本によって、「パラダイム」という言葉が有名になった。
パラダイムとは、「一定の期間、科学上の問い方と答え方のお手本を与えるような古典的な業績」という意味だ。例えば「天動説」や「ニュートン力学」などが該当する。満月はいつですか?という問いに、天動説に基づいた計算で答えていた時代があったのだ。通常の研究活動はその時のパラダイムをベースに行われるが、ある時、どうしても解けない問題が発生する。そうすると、そのパラダイム自体が再検討され、基盤となる理論が存在しない未知の段階に突入する。この「未知の段階」を乗り越えて新しいパラダイムが出来る過程を「科学革命」と呼び、科学の発展は「科学革命」と「通常科学」の繰り返しによって実現されるとした。

筆者の中山さんは、上記の『科学革命の構造』の日本語版の翻訳者だ。それだけじゃなくて、クーン先生がハーバードの助教授だった時、大学院生だった。科学史専攻のメンバーは先生2名・学生2名だったらしい(とブログに書かれている)。ということで、パラダイム史観を「今や最もよく継承している」筆者による、社会人向けの科学史解説本、というのが本書である。口述筆記でおこしたものを作者が手直しした文章で、非常に読みやすい。にもかかわらず、いざ読んでみると、なるほど!と思うことが多かった。筆者が言う、「時系列の上で考えることによって、何か物事を相対化してみる複眼を養成できる」という科学史の特徴が本書にも出ているのだろう。

たとえば、「17世紀にイエスズ会が中国にやってきてびっくりしたのは、官僚制だった。中国の3大発明というと『紙と火薬と羅針盤』と言われるが、それを超える一番の発明品は官僚制である」というのは、おもしろかった。早くから紙と印刷技術が存在した中国では筆記試験が可能だったし、広すぎて面接試験が不可能だったのだ。一方、紙がなかったヨーロッパでは、いろいろな観点から議論するスキルが発達し、17世紀の科学革命に繋がったという説があるらしい。これもおもしろい。

これ以外にも、欧米で理工系の地位が低かったのに対して、日本は「学生はみんな、明治維新になって食えなくなった士族です。その中でも優秀な連中が新しい職業である理工系に来たので、理工系の地位が高かったのです。いまの日本の技術が良いのは、この時に地位が高かったせいだという人もいますが、それはどうかわかりません。」というのもおもしろかった。ファラデーが本づくり職人だったというのもおもしろいし、鳥が加速度を増すのは「嬉しくなったから」だとする、アリストテレス来の有機体論も、なんだかおもしろい。こういう話をちりばめつつ、それぞれの時代のパラダイムが説明される。

著者は最後に、「科学技術」と「社会」は、どちらも人間がつくって影響し合っているのだから、緊密にして乖離が生じないようにしなければならない、と言う。自然現象を数式で説明する方法だと思うと無機質だけれど、本書を読めば、科学はその時代ごとのチャレンジの連続だったことがよくわかる。数式や記号なしで科学の物語を伝える、本書のような本がもっと増えるといいなあと思う。
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