2007年09月10日

とある日の夕暮れ、或いは孤独な詭弁家たちの無声曲(3)


雨が降っている。いつもは賑やかなはずの町に静かに降り注ぐそれは、人に家路を急がせ、雨宿りを促し、屋外に出ることを優しく阻害していた。故に町に人の姿は見えず、広がるばかりの静寂を、ただ雨音だけが唯一として支配する。連続的に降り注ぎ細音を響かせる雨粒を、しかし静寂を打ち破る要因として取れないのは……その音があまりに優しすぎるからだろうか。


停滞した灰色の空気、静謐。それが齎すのは思考への没頭、そして睡眠欲求の喚起。自然、瞼が落ちてくる。欠伸のひとつでも漏らし、ゆっくりと、思考を闇に溶かしていく――



「あ」



ずるっ



がちゃん



――じゅっ




「ぅあっっちィっ!?」




頬杖をついていた姿勢が崩れ、頭が掌から滑り落ち、そしてテーブルに打ち付けられる。障害物――熱いコーヒーの注がれたカップを蹴散らして。当然の如くコーヒーは零れて頭やら腕やらにかかり、その熱さを肌で実感する。と、まぁ、ここまで冷静に観察しといてなんだが――もう、いいよな。俺、十分に頑張ったよな?



「熱熱熱熱ぅあっつ! あつっ! ぐあっっつぅ!!!!」



衝動に任せ、存分に身を反らしのた打ち回る。かといってそれで熱さが和らぐわけでもなく、つまりは無駄骨というか、でもそうせざるを得ないこの心境、きっと皆分かってくれるよね?



「あああああああ」

「危ない――というのは少々、遅かったようだな」



しれっとした顔で自分のコーヒーを啜りつつ、対面に座るそいつは言う。気遣う様子の無い態度に腹を立てかけ……思いとどまる。悪いのはこの状況で睡魔に負けた俺だ。それは分かってる。分かってるが――少しくらい心配してほしいと言うのは俺の我侭なのだろうか。


「我侭だな」

「当然のように心を読むなっ!?」


兎も角、目は覚めた。溜息を吐いて、深々と椅子に沈み込む。ぎしり、と木製のそれが軋んで鳴いた。濡れた制服が気持ち悪い――というか染みになったりしないだろうか、これ。嘆息。加速度的に蓄積する憂鬱が口から溢れ出す。嘆息。


「どうした、溜息ばかり吐いて」

「どーもこーも……憂鬱なんだ、色々と」


何かに反応するように、片眉と視線が跳ね上がる。が、すぐに何事も無かったかのように眉は平坦になり、視線はコーヒーに戻された。俺は殊更に大きく、深く深く息を吸い込んで溜息を吐き、雨霧で霞む窓の外の景色に、眼を移す。






雨。





駅北の商店街の一角。ひっそりと佇む喫茶店で、俺たちは雨宿りをしていた。示し合わせたわけでもないのに、雨の気配を感じた俺は、今まで来た事も無かったこの喫茶店に足を踏み入れていた。雨宿りすること数分、激しくなる一方の雨脚に憂鬱さを感じ始めていた頃に、全身濡れ鼠のこいつがやってきた。偶然とは恐ろしいもので、此処まで来ると誰かの意図が介在しているとしか思えない――そんなことあるはずも無いのに、だ。




まぁそれはいいとして、問題は何故コイツと俺は相席なのかと。恋人さん御用達の対面席に座っているのかと。場所なんてほかにいくらでもあるだろうに――などと、詮無い思考に没頭して気を紛らわす。……無意味に緊張するんだ。理由は訊くな。




止め処なく溢れる無意味な言語の羅列にいい加減辟易してきた俺は、一旦思考を打ち切り、背凭れに背を預けたそのままの姿勢で店内に視線を這わせた。木目調の穏やかなテーブルやカウンターを際立たせるように壁紙の色は白、形成する空気は雨音も手伝ってか時が止まったかのような錯覚すら覚えさせる穏やかさに満ちており、客の姿は俺たち以外には一組しか見受けられない。勿体無い、と思う反面、人が少ないほうがこの空気が壊されないで済むからこれで良いのだと、心の中でひとりごちる。



「どうした?」

「人が居ないって良いなって、なんとなく」

「……病院に行け。警察でも良い」

「……お前は……ッ!!」



憂鬱でない溜息を吐いた所で掛けられた心ない言葉に、溜息の意味は反転。再び憂鬱に叩き落された俺は本日幾度目かも数える気がない溜息を零す。或いは垂れ流す。周囲の空気が全て俺の溜息と入れ替わって皆憂鬱になってしまえば良いさ!!



「鬱陶しい奴だな……一体何をそんなに思いつめているんだ? 私でよかったら相談に乗ってやるから、ほら、言ってみろ」



鬱陶しいと来ましたか。原因の一端を担っておいて、その台詞はないだろうが!! という言葉をぎりぎりの所で飲み込んだ。代わりに意地の悪い笑みを貼り付け、ようとしてその上から深刻そうな表情を上書き、眼は伏せ気味に顔の向きは斜めおおよそ六十五度くらいに調整して視線を彷徨わせるフリ。完璧な偽装工作を施した上で重苦しい雰囲気を演出しつつやたら難儀そうに口を開く。




「実は……」

「嘘吐きめ」

「まだ何も言ってないだろうがッ!」

「悪いが、金なら貸せないぞ」

「そんな話でもない!」

「その件については自首することを勧めるよ……友人として」

「何時から俺は犯罪者になった!!」

「前世」

「俺にどうしろと!?」

「別に何もしなくて良いさ……お前はお前だ」

「適当な言葉で綺麗に纏めようとするな!! 大体だな……げほっ、ごほっ」




怒鳴りすぎて噎せた。エクスクラメーションマークの多用は喉と耳と頭に悪い……おかしいことにさっきから頭痛が止まらないんだ。雨になんか当たっていないから風邪もひいていないはずなのにな……さて、どうしてくれようか。思わず浮いていた腰を椅子に沈め、半ば本気で頭を抱えつつ、天井を仰いだ。溜息を吐く気力すら消え失せた。もうどうにでもなれ、だ。



マスターにコーヒーを追加注文し、ついでに台拭きを貰ってテーブルを拭く。再度運ばれてきた熱いコーヒーに口をつけ、窓の外に視線を移した。









雨。








「……なぁ」

「何だ?」

「……悩みって結局、何だったんだ?」

「……忘れた。それでも強いて言うなら……」



いつも以上にお前の様子が変だと言うこと、とは流石に言えないだろう。かといってさっき言おうとしていたことなんか当の昔に忘れ去られて虚数の海に沈んでいる……なら、適当にでっちあげるか。



「財布の中身が心配なことくらいだな」

「さっき確かに貸さんと言ったはずだが」

「借りたら意味無いしな……マスター」



短く、注文を済ませる。程なくして注文した品がテーブルに置かれ、俺はそれを対面の席へと追いやった。向けられる怪訝な顔を顔の額で受け止めつつ、そ知らぬ顔でコーヒーを啜る。熱い。何が? 視線が? そんな馬鹿な。



「これは……」

「この間の課題の借り、だ。これも何かの機会だから、ついでにと思ってな」

「ああ」


嘆息。それは当然俺のものではなく、前に座る奴の口から。しかし……なんだろう、此処にも違和感が有る。何に対してコイツは、溜息なんかを? 納得した、と言うニュアンスで取るには些か重過ぎた溜息が、俺の思考回路にささやかなバグを残す。そんな俺の様子に構わず、礼をいってケーキをぱくつき始めるその顔を、カップから僅かに持ち上げた瞳で、観察する。



「……」



日に焼けていないのか、肌の色は驚くほど白い。白に映えるような深い黒色の瞳も、眉は無機質な印象を与える直線、小さな口は食物を受け入れる以外に開かず閉じている時は一直線……詰まる所、完全無欠に無表情である・・・・・・・・・・・



違和感を飲み干そうとして、喉を動かす。だが飲み込めたのは熱いコーヒーだけ。喉を焼く熱さをどこか遠くに感じ、遠い熱さは思考を留めてはくれないもので、違和感を訴えた思考の歯車の違和の根源たる歪みバグを何とかして矯正しようと、別の方向から思索の手を進めていく。探る、探る、思考の海。


違和感の正体を表面化させるため、思考が口に言葉を紡がせる考えても埒が明かない、なら、聞いて確かめるまでだ



「ケーキ……美味くないのか?」

「え? あ、ああ……いや、美味しいよ」


反応が、遅かった。その遅延ディレイは何を意味するのか。物思いに耽っていた考え事をしていた思考を無意識に沈めていたぼーっとしていた記憶を回顧していた思い出を噛み締めていた。幾つかの仮説が類似性のあるものを纏め上げながら浮上する。なら何を、何故、思考していた考えていた? 何を、は少なくともケーキの味についてじゃないことだけは確かだろう。



ならどうして何故何故どうして、そんな表情で考え事を? 口に出さずに心の中で呟いてみる。


なぁ、お前、何をそんなに必死に考え込んでいるんだ?











































「? どうした? 鳩が散弾喰らった様な顔をして」

「……なんでもない……いや待て、お前、鳩が散弾喰らったって……それ、死んでるだろ」

「正にそんな顔してたからな。影も形もなくなるくらいに、吹き飛んだような」

「酷い話だ。いろんな意味で」



動物愛護団体に訴えられてしまえ。



「ごちそうさま……雨、止んだな」

「ああ……そうだな」




気がつけば雨音がもう聞こえなくなっていて、雲の切れ間から漏れた陽光が大地を僅かに赤く照らしている。雨が止んでいるうちに急いで帰ろうと言うのか、傘を持たない人が早足で歩いていく姿もちらほらと見える。彼らもまた、赤く、染まっていた。








夕暮れ。






雲に覆われていた時は見えなかった、その存在のことを考えもしなかった夕日が一日の終わりを人々に告げ、自覚させ、今日という一日を強制的に回顧させようとする、風景。胸に去来する数日前の光景。自分の吐いた言葉の、その意味を。
















人は、終わりを目前にしなければその存在を実感できない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・














「帰るか」



その言葉がどちらのものかはっきりしないうちに……はっきりさせる気もないままに、レジへと向かい、マスターに二人分の代金を手渡す。



「あ……やっぱり私は、」

「お前に金を払われたら、借りを返したことにならないだろ」

「しかしそれでも」

「いいから」



その一言で制し主導権を握り、結局俺の全額負担で店を出た。零したコーヒーの分はまけてもらえたが、それでも痛手ということには変わりない。多少軽くなった財布をポケットにしまい、店の外に出た。先に帰れば良いのにわざわざ待っていた馬鹿の頭を見ないように空に視線を逃がしながら、夕暮れの曇り空を、一日の終焉を眺める。夕日が眼に染みて眼球が痛い……気がする。



そしてしばらくお互い無言の間が続く。沈黙に込められた意味を、俺は読み取らない。だから壊す。






「課題の借りは返したぞ」

「……確かに返されたよ」

「不満そうだな」

「そんなことはないさ。ただ……」





雲は晴れ、茜色の夕日が完全に顔を出し世界を明るく照らし出す。ガラスに反射し。水溜りに反射し、俺の瞳に反射する夕日は、どこまでもどこまでも痛かった。












「思い残すことがなくなってしまったなと、それだけが悲しくてな」













一日が終わる。今日という世界が終わる。この日も、夕日が綺麗だった。














―――――――――――――――――――――――ー―――――――――――――――――――――ー






遅くなってすみません、夕暮れ3話です。


当初は3回で終わりだったものを、都合により4回に引き伸ばすことになりました。




どうかもう少しだけ、この不器用な詭弁家たちの物語にお付き合いくださいますよう。よろしくお願いします。


clearvoice1989 at 15:52│Comments(3)TrackBack(0)小説 | 夕暮

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この記事へのコメント

1. Posted by 夢見月   2007年09月13日 15:08
ケータイで見るとルビが酷い……使うの止めようかな……。
2. Posted by マツモト   2007年09月17日 00:39
夢見月さんの作品は、いつものことながら書き出しがいいですね。
ゆっくりと落ちるような、けど跳ねずに地面についてしまう不思議な感覚があります(例えがおかしいのは、私の頭がのーたりんだからです)。
3. Posted by 夢見月   2007年09月20日 11:30
のーたりんという言葉を久々に聞きました。いやもう、何と言うか、僕だってちゃんちゃらおかしいぜ!とか言ったりするんですが親近感。


出だしは……結構、書くとあんな感じになってます。ガッチガチの文章は読んでてキツイから、なんでしょうか。無意識に避けてるのかと。

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