2008年03月30日

ブルーマウンテン、ブルース2










貞子少女から解放されてから数分後、俺は予備校の教室で参考書を広げていた。何冊目かもわからない、それでも何度も読み返した一冊。世間一般では基礎的な英語の教本として認識されているそれの内容……単語や英文法を、俺はほぼ完璧に記憶している。――していた、はずだ。それでもどこか焦燥を感じずにはいられないのは受験生特有の病気みたいなものなんだろうか。
そんな不安感からかページを手繰る手は止まることなく、時計の針のようなリズムで刻々と左下の数字を増やしていく。それと同時に募る鬱屈とした思い。他人が感じたらストレスだと断じられるそれを、知識が溜まって行っているんだと欺瞞した、その時、一つの英文に目が吸い寄せられた。


「……」


なんてことは無い、章末に付いている実践問題の一文。別にそこから問題が提示されるでも無い、文脈を整えるためだけの無意味なそれ。



――Do you have any dream?



「……は」


一笑に付し、ページを繰る。繰り返した。今と同じような動作を、この参考書を開く度に。そのページを見る度に。何度も何度も、繰り返している。だからもう、慣れた。



自分に夢が無いという事実に、絶望することに。



我ながら笑える。だからなんだって言うんだ。俺には現実が有る。受験勉強と偏差値に追われる高校三年生に、夢など見ている暇は無い。この時期になると教師すらそう言うようになる――夢を見てもいいが、まずは現実的な目標を掲げろと。具体的にどの大学のどの学部のどの学科に行き、どのような勉強をしてどのような資格を取りどのような職に付くか……その中で夢など持てるはずもないだろう。
なぁ、賢い誰か。教えてくれ。こんな中で現実に食い潰されるしかない夢を、どのように維持していけばいい? 砕かれると分かっている希望を、絶望せずに保つには、どうすれば。……俺には無理だ。愚かな弱者でしかない、この無様な俺には。だからこうやって、夢を持つことを諦めて勉強している。特定の誰かに向けられた訳ではない、夢を持つ人間への憧憬を押し殺したまま。

右手にあった紙の感触が消失する。気がつけば参考書は終端に達していた。これもいつものことで、内容の再確認はすべて終えている。鞄の中にそれをしまい、教師が教室に来るのを待つ。あの扉が開き、教師が入ってくる頃にはもう切り替えが終了している。それが俺だ。失望と絶望すらルーチンワークに過ぎない。思考を放棄して勉学に没頭しなければあっという間に蹴落とされる、受験生。さて、こんな思考ももう終わりだ。視線の先のドアがからりと開き、


「あ、どもっス……」


聞こえた声に、予定通り気持ちを切り替え――られなかった。大人にしてはいやに高い声は俺の間近で聞こえていて、続いて俺の隣からは椅子を引く音が聞こえ、そして。


「先程は御世話に……なってないスね。すんません」


隣には、俺の顔を至近から覗きこむ貞子少女の姿が、あった。






俺は思わず体を仰け反らせ――椅子の鳴る音が響いた教室に、教師が謝りながら数秒遅れて入ってきた。










「えー、それではプリントの方をお配りしますのでね、そちらの方を解いてください」

「だー……」


気の弱い英語教師が、ぼそぼそとした口調でそう言ったあと、プリントが配られ始めた。俺の席は教室中ほどなので届くにはしばらくかかる。ひとまずペンを置き、凝り固まった肩をほぐす。


「解き終わりましたら、私の所までお持ちください。すぐに採点してお返ししますので……その見直しが終わり次第、自由に教室から退出してくださっても構いません。家に帰るなり、まだ授業が有る人は夕食を取るなりしてください」

「うだー……」


しかし、よくあんな喋り方で教室の隅々まで声が通るな……大声を出している訳じゃないし、喋り方だって聞き取りにくい性質のものだ。となると声質、なのだろうか。何にせよ、この人の授業は分かりやすくていい。今日受けてみてそれが身に染みて分かった……とはいえ、一時間もたてば授業内容以外のことなどすっぱり忘れてしまうのだろうが。


「……いくら予備校の授業だとしても、こんな私と同じ空気なんて長々と吸っていたくないでしょう? ええ、ええ、分かっていますとも……」


そんな教師の言い分に、自分でも薄ら笑いが顔に張り付くのが分かる。面白いとかおかしいとか言う反応じゃない、いや可笑しいことには可笑しいのだが……この性格、どうにかならないのか? いや、気が散る訳ではないのだが……ああ、そうだ。寧ろ気が散るのは、


「あはは、あの先生、なかなか面白いっスねー」


隣でこんな事を宣う貞子少女の存在である。一々相手にするのも面倒なので返事も注意もしてはいないが、正直さっきからうだうだうだうだ鬱陶しいことこの上ない。机に突っ伏している所為で広がった髪の毛が俺のところまで侵食してきているのは一種の嫌がらせなんだろうか。いや、嫌がらせに違いない。いい加減注意してやろうかと思った矢先、俺のもとにプリントが届いた。出鼻を挫かれた思い出受取り、一枚だけ引き抜こうとして、気付く。どうやら面倒なことに、このプリントは隣にまで回さなければならないようだ。紙束から必要枚数分だけ取り、後ろへ回す。


「ん」


自分の分を更に抜いて、先程よりも質量の減った紙束を机の上に広がる髪の毛の上に置いた。すると何に反応を示したのか分からないが貞子少女の肩がぴくりと動き、正面を向いていた顔がこちらを向く。


「? なんでそんな変な顔してるんスか」

「……知らん」


強いて言うなら頭の動きが気味悪かっただけだ。擬音で表すならこう、ぐりん、とか言う表現が一番しっくりくるのではないだろうか……ともあれ、首の動きだけで顔を動かすのは止めて欲しい。引き攣り顔を苦労して戻す努力をしつつ、自分のプリントに向かう。


「プリント。取るのめんどいっス。取ってください。ついでに隣まで回して」

「ふざけるな。何故俺がそんな事をしなければならない」

「……回して貰えると嬉しいっス。お礼の用意もあるっス」

「他人の話を聞け」

「もしやってくれたらお礼に全力でドジョウ掬いを披露しつつ――」

「だから他人の話を」

「貴方の唇を奪います。ディープに」

「なんの罰ゲームだそれは!?」


衝動にかられた叫び声が口を衝き、しまった、と思い周りを見渡す。案の定、教室に居た全員が突然大声を出した俺を注視していた。その視線に一瞬怯み、しかし後悔したってもう遅い。一瞬で思考を切り替え、「すみません」と頭を下げる。それに満足したのか興味を失ったのか、俺の方を向いていた視線が戻っていく。やれやれ、と肩を落とした瞬間、いまだこちらを向いている幾つかの視線に気がついた。そちらを順繰りに見遣ると、


「大声は控えて下さい、ね……」


眉尻を下げる教師と、


「耳元で大声を出すのは酷いと思うんスよ。切実に」


机に突っ伏す貞子少女と、


「……すみません、プリント回してもらえます……?」


その隣の眼鏡をかけた女の子が目に入った。その言葉にふと視線を下ろすと、俺がそこに置いて以降誰も触れなかった紙束が当然の如くそこに鎮座ましましていた。それを見て、嘆息。これ以上面倒事を抱えるのは御免だ。俺はさっさとそれを掴み、一枚だけ抜いて彼女に渡してやる。礼を言ってプリントを隣に回す彼女にはそれ以上眼もくれず、俺も自分の分のプリントを片付けようとする――否、した、が。


「こ、これはドジョウ掬い後にディープキス、いやさフレンチキスへのフラグが立ったってことっスか……!? 参ったっスね、まさかホントに要求されるとは思ってもみなかったっス」

「言い直す必要が何処にある……?」


貞子少女の珍妙な言葉に思わず突っ込みを入れ、言ってからしまったと思い直し口を噤んだ。これ異常こんな変な奴に関わってどうする、俺。今意識すべきは目の前の課題だろう。シャーペンを持つ手に力を込め直し、視線を一番上の問題に走らせる。……しかし世の中とは往々にして上手くいくものではなく、俺のこの試みも全て徒労に終わってしまうのだろう。


「や、ツッコミ所そこスか。あはは、中々に面白い人っスね、貴方も」


突っ伏したまま口元だけでからからと笑う(目が笑ってない訳ではない。純粋にそこしか視認できないのだ)貞子少女はやはり予想を裏切らずに、俺に話しかけてくる。だが同じ轍を踏む俺ではない。今度こそと覚悟を決め……徒労だと、分かっているのだが……プリントの上にペンを走らせる。その時だ。よっこいせ、などどいう爺むさい声が聞こえたのは。


「では早速。んー」


悪寒。反射的に左を向くとそこには貞子少女の顔が眼前に、


「……やっぱだるいっス」


無かった。


「ひょっとして、期待しました?」

「無い。する訳が無いだろう」


背筋に奔った戦慄は決して期待とか希望とか興奮の類ではない。断定できる、あれは悪寒だ。そもそもがホラー映画の登場人物、しかもヒロインではなく悪霊役で出てそうな奴に接吻されて喜ぶようなやつが何処に居ると言うのだ。いや、ごくごく少数居るのかもしれないが、俺は御免だ。第一にこうやって席が隣り合う事さえ嫌なのに……。


嘆息。プリントの上を走るペンが止まる。そこは終端。全ての問題を解き終わった俺は、プリントを見直し間違いが無いか確認する。確認終了。大体こんなものだ。絶対に間違っていないと言う確証はないものの、目立った間違い、凡ミスなどは見当たらない。凡そ俺の実力通りの回答だ。それを持って、立ち上がる。見れば、問題を解くのが早い連中が教室のあちこちで立ち上がり始めている。
速度はそれなり、か。まぁ早く仕上げて中身をおろそかにするよりはこのくらいで丁度良いだろう。

机に突っ伏す貞子の座る椅子を足で小突いて椅子を引かせ、そうやって出来た隙間を縫って机と机の間から出た。貞子の隣に居た筈の眼鏡の女生徒は、もう既に教卓の教師の所に居る。早いものだ。俺もそれに倣い、混み合う前に教卓の教師の所まで行きプリントを提出する。すぐ採点して返す、とその言葉通りに、採点はあっという間に終わった。手渡されたそれを席に戻る道すがらに確認する。

まぁ、こんなものだ。俺など。


「どんなもんスか?」


そしてすれ違いざまにさりげない仕草で俺のプリントを覗き見る貞子。馴れ馴れしい奴め……いや、別に隠すようなもんでもないが。そしてプリントの点数を確認した貞子の口が小さく開かれ、うわ、という声が漏れた。


「凄いっスね、それ。97点」

「別に凄くもない。普通だ」


その点数を活かすことなど出来そうにないと言う事も含めれば下だ。立ち止りもせず心中でそう呟く。後ろでは貞子が何かを言ったようだが、気にしてやる必要はない。席に戻り、見直しを終えたプリントをファイルに綴じ、鞄に詰める。代わりに取り出した財布を持って、教室の外へ出た。

暖房の効いている教室とは打って変わって冷えている廊下の空気。それを細く長く吸い込み、吐きだす。やはり教室の中と言う密閉空間はどうにも空気が澱むようで、長く居れば居るほど濁った空気が灰に溜まる気がしてならない。だからこうやって肺の中の空気を入れ替えるのだが……今日の深呼吸は、いつもよりも重かった。それは決して気のせいではなく、あの貞子少女のせいなのだが。


「夕飯、買いに行くか……」


もうアレのことは考えるのも嫌だ。出来るなら早く離れたい。そんな考えから、俺は早足で予備校の階段を駆け下りた。















――――――――――――――――――――――――

溜まったから放出。

一応言っとく。ごめんなさい(ぇ)

あやまりゃあ良いってもんじゃないよってね! ごめんなさい! 僕予備校なんか通ったことな((ry



青山哀歌は100%ファンタジーで構築されています。ご了承ください。

clearvoice1989 at 18:23│Comments(3)TrackBack(0)小説 | 宵闇

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この記事へのコメント

1. Posted by 和紀   2008年03月30日 22:38
自サイトの日記でも書いたが、少しだけ素材を集めてみたのだ。どぎゃんすればよかと?

ちなみに音楽・効果音素材で今書いてる時で7Mくらいの容量ね。サブとか使わないのもあるけどそんくらいー。では。
2. Posted by 夢見月   2008年03月30日 23:41
メールで送るか、あぷろだにアップしてくれれば取りに行きますよ。

……時間のあるときに。
3. Posted by 和紀   2008年03月30日 23:44
ではまとまったら説明(?)メモと一緒に送りますね。けっこう支離滅裂なので期待はせんでくりゃれ。

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