2008年11月13日

春色恋歌 -A Song of Wheel-:girl's side:3



いつだって思い出せる、自転車のチェーンの軋む音。交わした言葉だって同じ。一時も、忘れたことなんてない。


そう、あれは………………




「……っはぁ……はぁ……」
「ほらほら頑張れー。もうちょっと、あと少しー」
「…………っはぁっ! ……あー……疲れたー……」
「ったく、男のコがだらしないなぁ。陸上部なんだから、このくらいの坂で音をあげてちゃぁ駄目でしょーが」
「……うっさいな、そう言うんなら少しは痩せろって」
「んなっ!? ひ、人が気にしてることをーっ!」
「はは。ま、悔しかったら痩せてみるんだなー」
「言ったな!? ちくしょー、今に見てろよぉ!」
「期待しないで待ってるよ」
「……っくそ! ホントに、ホントに見てろよ馬鹿ぁっ!」
「……あ、そだ。お前、俺の代わりに自転車漕いだら少しは痩せるんじゃないか?」
「それはあんたが楽したいだけでしょーがーっ!」
「ははは」






……夢を見ていた。懐かしい夢。いつかの朝の、いつもの風景。それを思うと、涙が出た。頬を伝って流れるそれは枕を濡らし、黒い染みを広げていく。

こんなにも喪失感を得て目覚めたのは、人生初めてかもしれない。渇いた笑みを貼付けながら自嘲する。幸せな人生過ごして来たんだな、あたしは。こんな悲しさも知らないで。

と、その時、窓の外から微かに物音が聞こえた。身体を起こし、カーテンを開ける。朝の日差しは差し込まない。目に入るのは藍色の空。深く、遠く、何処までも広がっている。

「よっ」

視線を下ろすとそこにはやはり、悪戯っぽい笑顔を浮かべた彼が居た。時刻は4時30分。学校に行くにはまだ早い。けれどあたしは頷いて、カーテンを閉めずに階下へと向かった。着替えを済ませて、彼の元へと行くために。


さあ。


あたしと彼との、最後の朝だ――――――――――
















春色恋歌 -A Song of Wheel-:girl's side:

"Sing for Song,Not Chain me."










「お待たせ」
「ん」

身支度を調え、両親を起こさないように静かに扉を開けて、家の前にいた彼に挨拶をする。いつものように短い挨拶。いつもと同じ自転車に、いつもと違う大きな荷物。足元に置かれた白いボストンバッグは、一昨日購入されたものだ。あたしも一緒に付き合った、最初で最後のお買い物で買ったもの。他にも色々買ったっけか。服だとか、アクセサリだとか、ケーキだとか、水着だとか。夏にはまだ程遠いけど、最後に見せておきたかったから。あたしの水着姿。きっともう見せることは無い、あたしの艶姿。見せられた本人はひどく恥ずかしがっていたけど、良い思い出にはなっただろう。何せ滅多には見られない乙女の柔肌を曝してやったのだ。しかもタダで。感動にむせび泣いても良いくらいだったのに、恥ずかしがって目も合わせようとしやがらなかった。……まぁ、無理矢理こっち向かせたんだけども。その時の様子を思い浮かべ、思わず口の端が歪んでしまう。

「何にやにやしてんだよ」
「べっつにー」
「何なんだよホントに……ったく。ほら、そんな所に突っ立ってないで早く行くぞ」
「はーい」

言葉に従って、自転車に跨がる。握ったハンドルは少しだけ温かい。彼の温もりが残っているのだ。掌に滲むように広がる温度を愛おしみ、呆然と突っ立ったままの彼を見た。悪戯っぽく笑う。

「さ、どーぞ」
「……何やってるんだよ、お前」
「ほら、そんな所に突っ立ってないで早く行くぞー」
「いやだから」
「……送るよ。最後だからさ。あたしに、送らせて。良いでしょ?」
「…………分かったよ」

自転車に二人分の体重がかかる。車体が軋み、僅かながらにタイヤが沈んだ。彼があたしの腰に手を回したことを確認して、大地を蹴る。そしてペダルに足を載せて勢いよく漕ぎ出した。

未だ夜が明けぬ春の朝、薄暗い未明の道。二人を乗せた自転車はゆっくりと走っていく。錆び付いた車輪を、歌わせながら。

風を切って走る自転車。そのペダルは重い。思いっ切り力を込めてようやく前に進む程度で、力を抜いた瞬間にふらついて倒れそうになる。その度に何とか支え直して、駅までの道を進んでいく。軋むチェーンの音しか存在しない、静かな町。行き交う人の姿は無く、その静けさはまるで、世界に取り残された気分にさえさせた。

「……なんか、世界中に二人だけみたいだね」
「だったら良かったんだけどな」

やがて差し掛かる、長くて、傾斜のキツい坂道。気合いを入れ直して、挑む。

「だいじょぶか?」
「っ、だいじょぶだっ、ての!」

錆び付いた車輪の自転車が、ここぞとばかりに蛇行する。そのスピードは遅い。まるで歩くような早さで、けれども確実に坂道を登っていった。

「おお、凄い凄い。ほら、あとちょっと、もう少しだ。頑張れ」
「……っはぁ、っさいっ! っての」

後ろから聞こえる楽しそうな声。人が大変な思いをしてるってのに、こいつは。そうは思うのだけれど、息が切れてしまって強く言い返せないでいた。代わりに思い切りペダルを漕ぐ足に力を入れ、やがて坂道を登り切る。





「あ――――――」

そして、言葉を失った。



朝焼けだ。地平から僅かに顔を出した太陽が、空を、町を、自転車を、あたし達を……眩いばかりの色に染め上げている。

坂の向こう、隠れていた景色。迎えてくれた朝日が、余りにも綺麗すぎて……

「はは。綺麗だな、全く」

後ろから、声。きっと彼が笑ったのだろう。けれどそれを確かめることは出来ない。……確かめるために振り返れば、見られてしまうから。一番見せたくない表情を……あたしの泣き顔を。

滲む景色に見惚れて、暫くそこに立ち尽くす。背中には彼の温もり。それだけで、この時間がずっと続けば良いと思うには、十分だった。けれど。


世界はいつだって残酷で。時間だって止まってはくれない。此処でこうしている間にも時計の針は進んでいって、やがては時間が来てしまう。迎えたくない、その時が。


彼と別れる、その時が。

「……『15年逃げ切ればいいんだろ? 楽勝じゃねえか』」
「なにそれ」
「ん。なんとなく思い出したんだよ。昔見たドラマに、こういう台詞有ったなって」
「ひっどい台詞」
「確かに」

そういって、彼はまた笑った。あたしも釣られて笑う。涙は、流したままで。それでも笑った。

涙でぐしゃぐしゃになった顔でお別れなんて、嫌過ぎるから。別れるなら、笑って別れたいから。涙が止まってから、あたしはまた自転車を漕ぎ出した。





「……ねぇ、この自転車、どうするの?」
「そうだなぁ、棄てるのも勿体ないし……。あ、そうだ。お前、引き取ってくれないか?」
「やだよ。こんなオンボロ」
「ひっでーなぁ。コイツのお陰で、俺達は出会えたってのに」
「そだっけ?」
「そうだよ」

そうして駅に着いて、あたしたちは自転車を降りた。鍵も掛けずに放置して、構内に入る。彼が乗るのは始発、それに朝早い時間だ。駅の中には誰も居ない。並ぶものの無い券売機で二人で切符を買う。彼は一番高い切符。あたしは一番安い切符。彼が買った切符で行く町を、あたしはよく知らない。話でしか聞いたことがないから分からないけど、随分と寒そうな地域だった。あたしが買ったのは、単なる入場券。これで行ける場所なんて、どこにも無い。すぐ使う筈のそれを大事にポケットにしまい、あたしたちは、改札に向かった。

「――――あ」

先に改札を抜けようとした彼が足を止める。見れば、鞄が引っ掛かっていた。間抜けな奴、と笑おうとして、出来なかった。

彼があたしを見るのが分かる。けれどあたしはもう、何も言えない。彼と目を合わせることすら出来ず、ただ、頑なに引っ掛かる鞄の紐を外すことしか出来なかった。

閑散として静かなホームに、ベルがけたたましく鳴り響いた。滑り込んで来た電車のドアが開く。決してあたしには踏み込めない場所、彼だけの扉。何万歩よりも距離のある一歩を、その場所へと踏み出して彼は言う。

「……約束だ。必ず、いつの日かまた会おう」

応えられず俯いたまま、それでもあたしは手を振った。



ドアが、閉まる。






訪れた、別れの時間。これでサヨナラなのだと思うと、胸に穴が開いたかのような錯覚を覚えた。。


ああ、あたしは――――――


居ても立ってもいられなくなって、あたしは振り返って駆け出した。改札を抜け、鍵も掛けずに置いてあった自転車に飛び乗る。


――間違いじゃない。あの時、彼は…………


踏み込む足は、最初から全力。でもまだ足りない
追いつけない。こんな速さじゃ……。諦めかけたその時、急に自転車が速度を上げた。下り道。来る時にあれだけ苦労した坂道だ。制御を離れて加速する自転車に、けれどあたしはブレーキを踏まない。速く、もっと速く。彼に追い付かなければ。

…………別れさえ告げないまま離れ離れになるのも、絶対に御免だから……!

「……っあ、ああ、ああああ、わあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! ぅああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁっ!」

勢いよく回転する車輪が、高らかに歌い上げる。私が抱く寂寥を、孤独を、愛しさを、全て一緒くたにして。
それはまるで泣き声にも似て、それはまるで願いにも似た絶叫、慟哭。喉から迸しるものと混ざり合って、一つになる。

「あああああああああああぁぁぁぁぁああぁああぁあっ!」

零れる涙は留まることを知らず、次から次へと溢れてくる。その度に風に弾かれて宙に舞い、朝日を受けて輝いた。

行け。行け。流れる涙を置き去りにしてでも。彼の元へと、あたしを運べ。

結局は見えなかった顔。でも分かる。声が、震えてたから、彼が泣いていたことくらいは分かっている。
だから届けなければならない。あたしは、この気持ちを、約束を。彼の元へと、絶対に――――!

近付く。追い付く。並走する。ドアの向こうに、彼の姿が、目に入る!

「……っ! 約束、だから! 絶対だから! 絶対、絶対――――!!」

届け、届け、届けぇっ!

「いつの日か、また、会おう――――――――――!!!」


ばきん、と音がして、自転車のチェーンが千切れ飛んだ。自転車が失速する。叫び、それでも足りないとばかりに、離れていく彼の姿に見えるようにと大きく手を振って――――――――





あたしは彼と、





さよならをした。










きぃ、きぃ、と錆び付いた車輪が軋む。重さの分だけ沈んだタイヤは来る時よりも浮いていた。慣性で進み続ける自転車の上、賑わい出した町並みの中であたしは、世界に一人だけみたいだなぁ、と、呟いた。




背中に残された微かな温もりを抱いて、錆びた車輪はきぃ、と泣いた。





clearvoice1989 at 02:09│Comments(0)TrackBack(0)小説 

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