2009年01月06日

クロエ -Crowsed Box-


――――明確なビジョンも終着点も往く宛てもなく夜を彷徨するのは愚か者と俺だけでいい。そもそもこの旅の道連れなんか最初から何もなかったはずだろう?――いや、「何もない」があるとどこかの偉い人が言っていた気もするが。生憎ながら、この場合の「何もない」は本当に単なる無だ。無そのものだ。切り裂いたはずの風も、慄いたはずの宿敵も、きっと。あるように見える全てのものは、創造ではなく想像に過ぎない。……まかり間違えば偶像かもしれないな。崇めるべき神はいつだって俺の外に位置している。箱の中にはいったい何が入っていたのだろう、今や、その断片すら拾い上げる事も叶わない。青だったのかもしれないし、赤だったのかもしれない。寧ろ、はじめから箱など無かったのかもしれない。何れにせよ、今の俺に知る由などない。
 なあ、俺。満足しているのか――それとも、後悔しているのか。
 掴めそうで届かなかった空に、もう一度挑むのか。
 それとも、地べたを這いずり回って、明日死ぬとも知れぬ道を選ぶのか。
 この翼が模造品じゃないのなら、何故全力を尽くs

「うるさい黙れ」

 夕陽の差し込む廃墟の街で、いつまでも続きそうな彼の繰り言は、鋭い声で制された。高く、幼さすら感じさせる声だ。それは何処か弱々しくさえある。普段の彼なら、声に従う道理など無い。けれど彼は、不服であるかのように短く鳴いて、語るのを止めた。そして緩慢な動作で首を巡らせ先程の声の主を見る。

 少女だ。十代前半ほどの、年端も行かぬ少女。着ている服は全体的に黒ずんで、髪にも僅か、脂が浮いている。恐らくは何日も風呂に入っていないのだろう。近寄れば僅かに鼻につく異臭。それが何よりの証拠となる。尤も彼にとって、そんなことはどうでも良かったのだが。ドブや生ゴミの臭いは寧ろ身近で馴染み深く、だから、それは少女を拒む理由にはならない。
 薄汚い路地の薄汚い地面に腰を下ろし、背後の薄汚い壁に背中を預けている薄汚い少女の表情には隠し切れない疲労と憔悴が浮かんでいて、けれど、彼を捉える眼光だけは酷く、鋭い。射抜くような視線に一ツ、肩を竦めるように翼を掲げると、彼は二、三歩地面を蹴って少女の元に歩み寄る。その際足元にある違和感は黙殺した。考えてもロクな事にならない。ただ憂鬱になるだけだ。そう判断しての事。けれども少女は彼の事など構わずに、違和感の元を鼻先に突き付けるのだ。

「……おまえはあたしが拾ったんだ。おまえの怪我も、あたしが治した。だから」

 彼は少女が、彼と出会ってから一歩も動いていない事を知っている。それどころか、何も口にしてはいないことも。この数日間、否、数週間か。彼女が摂取したものといえばそう、この場所の淀んだ空気と、降り注ぐ雨粒だけ。それだけだ。それだけで吹きさらしのこの場所に雨の日も風の日も、ただ、空を眺めているだけ。恐らくは、彼と出会う前もそうだったのだろう。その顔面に落ちてきたのが彼だった。近くの町で人間に石を投げられ、運悪くそれが翼に当たり怪我をして、折悪く町で大規模な害鳥狩りを始めると聞いて、急いで逃げて来て力尽きた、一羽の烏。
 始め、少女は彼を食べようとしたのだ。煮もせず焼きもせず、生で、彼をその手で縊り殺して。慌てて逃げようにも翼に力は入れられず、走って逃げようとした頃には、もう少女は彼を捕まえていた。暴れ狂う彼の首に手が掛けられ……けれど、その手が首を折ることはなかった。躊躇ったわけでも、諦めたわけでも無い。ただ、少女のか細く、衰弱した腕では、それが叶わなかっただけのこと。それでも首を絞められれば呼吸は出来ない。薄れ行く意識の中、彼は藁にも縋る思いで助けてと呟き――――そして。

そして、ふっ、と、少女の腕に篭る力が抜けた。怪訝に思った彼が荒い息を吐きながら少女の顔を見上げると、そこには目を丸くした少女の顔が、「え」と小さく呟いて、

「……今、助けてって、言った?」

 それから。それからだ。彼が少女と共に過ごすようになったのは。さすがに言葉の通じる相手を食べるのは気が引けたのかそれとも他の理由があるのか、少女は彼を傷付けるようなことはしなかったが、けれど彼は、少女から逃げることを諦めなかった。傷ついた翼を何度も何度もはためかせ、空へと逃げようとしたのだ。けれど、怪我の癒えていない羽では空など飛べるはずもなく、結局は、業を煮やした少女に繋がれてしまった。彼の足首と少女の手をつなぐ、糸。彼の手当てをした時と同じ、少女が自らの服を切り裂いて作った襤褸切れで作られた、長い糸だ。

「さむい」
『ざまぁないな』
「おまえのせいだ」

 こんなやり取りがあったのも、少し前のこと。今はもう、少女にそんな体力は無くなってしまっている。話したとしても二言三言、文章ではなく単語の纏まりとして話す程度だ。衰弱しているのは分かっている。けれど彼女はその場から動かない。違う。動けないのだ。少女の両足は、膝から下が無かったのだから。生まれた時から、ではない。明らかに人為的な手段で、それは切り取られていた。鋸か何かで切り取った、ぎざぎざした断面を彼は一度だけ覗いたことがある。ひどい有様だった。ロクに殺菌も消毒もされていなかったせいなのか、傷口は化膿して異臭を放っている。止血は行っているのか、腿のあたりに巻きつけられた布は見えたが、それだけだ。すぐにでも病院に行かなければならないような傷なのに、医者にかかった痕跡はない。人の体の仕組みに疎い彼でも、その状態がどれだけ拙いものなのかは理解できた。
 けれど少女は動けない。這って行こうにも、腕の力だけでは到底進むことなど出来はしないし、その所為で傷口を擦ってしまえば、状態が悪化するかもしれない。食料も無く、ただ死を待つだけの状況。けれど少女は諦めず、だから、動けない自分の代わりに、翼を治した彼を使って助けを呼ぼうとしたのだ。

「だから、あんたはあたしを助けるんだ」

 それが今、この時だった。

 彼の、翼を振る動作に淀みは無い。どうやら凄ぶる快調のようだ。かつてあった怪我の痕跡など感じられぬ程に力強く広げられ、朝日を照り返す烏羽玉の翼は、頼もしささえ感じさせる。
 飛べる、と彼は思った。今なら、挑むことの出来ないでいた蒼穹に、その翼を突き立てる事が出来る。振り仰ぐ空は快晴。東の空から注ぐ光が、浮かぶ雲の陰影を濃く映し出している。

――旅立つ天気には、調度良いじゃないか。

 心中は曇天もかくやという程に、一片も光は差さないのだから、せめて目に見える天気くらいは良くなければ。

 足は、まだ、繋がったままで。彼の空に自由など、最早有りはしないのだから。せめて飛ぶ空くらいは、澄んでいる事を望むのだ。
 そして彼の足と繋がった糸の先、足の無い少女は、か細い糸を握り締め、繋がりをそこに確かめるようにして、こう言うのだ。

「いいか、よくきけ」

 まるで自分に言い聞かせるように強く、

「あたしはいつもあんたのそばにいる。いつでもあんたを見張ってる。だから、にげようなんて考えるな。かならずここに帰ってこい」
『……イエス、マスター。我があるじ』

――もしも、彼が人ならば。それは、どれほどの嘲りであっただろう。
 けれど彼は人ではなく、故にただ一ツ鳴き声だけを漏らすのみ。

 阿呆、と、ただ一ツ。まるで自分を嘲るように。

 それから彼は翼を大きく羽ばたかせると、羽根を散らして飛び去った。








 青い空に、黒が混ざる。



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大分遅れましたがクロエ一羽目、取り敢えずアップです。海さんのブログにのっていた「シュレディンガーの鴉」が原作。とはいえ、八割オリジナルなんでイメージ通りのものに仕上がっているか不安です。

そして相変わらず名前がない罠。まぁ、良いか。めんどいし。

意外に長くなってしまいました。2、3000で軽く纏めるつもりが、折り返し地点で既に3000。むぅ。誰か僕に短く簡潔に纏める才能をくれ。つか、文才をくれ。マジで。

あとタイトルの誤字は故意だから! crowとcloseかけてるだけだから!

取り敢えずクロエは前後編でぱぱっと纏めるつもりなので、付き合っていただけたなら幸いです。では。夢見月でした。



clearvoice1989 at 12:08│Comments(0)TrackBack(0)小説 

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