2009年02月07日

クロエ -Crowsed Box- 終


 痛む翼をはためかせ、遠く広がる空を飛ぶ。流れ行く景色、眼下には何も無い。当たり前だ、彼は今、自身が滞在した街から遠く離れた空をヒトリで飛んでいるのだから。かつていた共に行くような仲間も、彼の主人たる少女も、彼女を救う術も無い……たった独りで、だ。

 求めたのは、自由な空。最初からそれだけだった。故に、これは当然の帰結。疑念を挟む余地など無い。足に纏わり付く感触は既に無く、それが余計に彼の心を波立たせた。
 鼓動が早い。ともすれば内側から弾けてしまいそうな程。逸る気持ちを原動力に羽ばたく翼は力強く、透明な空気を裂いて飛ぶ。行く末はそう、彼にしか分からない。



 そして彼は想起する。


 彼が今ここに居る、その全ての理由を。











「我々がヒトに自分の意思を伝えるなど、不可能に等しいのだよ。単純な意思表示ではないのなら尚更だ。それをきみは、本当に出来ると思っていたのかね?」

 問いに、彼は答える事は出来ない。しかし、答えは既に知っていた。否、だ。それは、以前から気付いていながら目を背けて続けて来た事実――無力。自分が、少女のために何も出来ないなどと認めたく無かったのだ。

――なら何故、俺は頑なに、約束を守ろうとするのだろう。

 本来なら彼にその義理を通す理由は無い。義理や人情などとは縁遠い生活を送っていた彼だ、今更律義に応えてやる必要は無い筈。いや、始めから約束を守るつもりなど有りはしないのではなかったか。何故ならあれは、約束などでは、無かったのだから。そう、今も耳に残るのは、


 “かならず”


「きみは」梟が言う。
「きみは馬鹿だね。愛おしく有る程」


 “かならずここに”


――初めてその言葉を聞いた時、俺は何を浮かべたのだったか。何を無茶なことを、と呆れただろうか。俺を信じるなどと馬鹿な事を、と嘲っただろうか。違う。それもあっただろうが、違うのだ。そう、浮かべたのは今と同じ。

 “帰って”

――――空しさを。形容し難いほどの空虚を、俺は感じた。だってそうだろう、その言葉には……

 “帰ってこい”

 既に自分の命を捨ててしまったかのような、諦念があったのだから。

 “かならずここに、帰ってこい”

――イエス、マスター。我があるじ。それがアンタの望みなら。

 もしも彼が人ならば、それは、どれほどの苦笑であっただろう。
 けれど彼は人ではなく、故にただ一ツ鳴き声だけを漏らすのみ。

 阿呆、と、ただ一ツ。まるで自分を嘲るように。

 彼は本当は理解していたのだ。少女が、何一つ信じてはいなかったことを。自分が助かる事も、彼が人を連れて帰ってくる事も、全て諦めて送り出した彼女の真意を、彼は知らない。しかし彼は思うのだ。ふざけるな、と。最初から全て諦めているなら、何故、彼を空へと放ったか。何故、自分の身体の一部を分け与えてまで彼を助けたか。彼には理解出来ない。出来るはずも無い。少女は、何も言わなかったのだから。
……そう、隔絶された(ココロ)の中は、余人の預かり知る所ではないのだ。
 故に彼は心に決めた。少女の期待を裏切ろう、と。何も希望を持たないのなら自分自身が希望に成り代わる。例えそれを少女が知ることは無いのだとしても、だ。

――それが、せめてもの報いなのだから。空に焦がれ地べたで朽ち果てるを良しとしなかった、それでも及ばず力尽きようとした俺を……再び空へと還した少女への恩返し。何、自由になるのはそれからでも遅くはない。これは、些細な寄り道だ。そういう風に考えればいい。

「……筐中の猫の逸話を知っているかい?」

 今まさに飛び立とうとしている彼の背中に、梟は問い掛ける。返事は無い。にも拘わらず、梟は構わずに言葉を続ける。

「世界は完全なる混沌になく、例え箱を開けなかったとしても筐中の猫は猫以外に有り得ない。猫が自身を猫で有ると認識する限り、観測者が猫を猫とする限り、猫は猫で有り続ける」

 翼を広げる。黒々とした羽根が宙を舞う。ふわり、空を惜しむように浮かび、彼の力強い羽ばたきに飛ばされた。仰ぎ見るは空――――彼が何よりも焦がれ求めたもの。

「きみは最初に気付いておくべきだったんだ。きみが手にする箱の中には……希望など、有りはしなかったことを。悲劇は変わり得ぬために悲劇なのだと」

 愚かしいね。そう漏らす梟の声に侮蔑の色は無い。有るのは悲哀だ。雑多な感情がないまぜになった、哀しみの色。
 何を悲しむ事がある、と彼は言う。悲しむべきは自分であってお前では無い、と。返答は無い。ただ、羽ばたき、中空へと飛び去っていく彼を見上げるだけだった。
 だから、呟きはもう聞こえない。聞こえないのだ。
 青空に黒が見えなくなってから呟かれた言葉は、決して、彼に届くことはない。




――――明確なビジョンも終着点も往く宛てもなく夜を彷徨するのは愚か者と俺だけでいい。そもそもこの旅の道連れなんか最初から何もなかったはずだろう?――いや、「何もない」があるとどこかの偉い人が言っていた気もするが。生憎ながら、この場合の「何もない」は本当に単なる無だ。無そのものだ。切り裂いたはずの風も、慄いたはずの宿敵も、きっと。あるように見える全てのものは、創造ではなく想像に過ぎない。……まかり間違えば偶像かもしれないな。崇めるべき神はいつだって俺の外に位置している。箱の中にはいったい何が入っていたのだろう、今や、その断片すら拾い上げる事も叶わない。青だったのかもしれないし、赤だったのかもしれない。寧ろ、はじめから箱など無かったのかもしれない。何れにせよ、今の俺に知る由などない。
 なあ、俺。満足しているのか――それとも、後悔しているのか。
 掴めそうで届かなかった空に、もう一度挑むのか。
 それとも、地べたを這いずり回って、明日死ぬとも知れぬ道を選ぶのか。
 この翼が模造品じゃないのなら、何故全力を尽くさないのか。
……結果の出ないことが、そんなにも恐ろしいのか。

 彼は自問に是と返す。確かに彼は恐れていた。空を飛べぬことも、少女の力になれぬことも。最初から結果など見えていたというのに、だ。彼は翼を持つが故に空を飛べ、彼が人ならぬ故に少女の力になれはしない。それは当然の理屈、そして当然の帰結。彼は何も成してはいない、成せはしない。ただ願った通りに空に在る。彼の、そして彼女の願った通りに、だ。

――あたしは、そらをとべない。

 もしも少女が鳥ならば、彼女は空を飛べただろうか。その仮定に意味は無い。彼女は人でしかなく、故に大地に這いつくばり、明日死ぬとも知れぬ道を進むだけ。
 歩むことすらままならず、ただただ命を終えるだけ。

――目にうつるのは、そら。とどくことのない、青。それだけで、けれど、それだけあればじゅうぶんで。そこをあいつがとんでいるとするなら、それは、身にあまるこうふく。

 果てぬ、空への憧憬は、託した彼によって果たされた。故に、少女は全てを諦めた。(ココロ)に秘めた希望の一片すら、残さず空に放ったのだから。それは当然の理屈、そして当然の帰結。
……そう、崩れ去ったこの町は、少女にとっての箱庭。膝下から絶えず感じる苦痛すら、もはや彼女を苦しめない。希望を放逐したモノに待つのは絶望、或いは空虚。少女とて例に漏れることは、無かった。

 ただ、涙を一筋、頬に這わせて……諦めた。命すら、全て。





 つまるところ、その時既に、少女は、命を終えていたのだろう。








 崩れ去った町が有った。足を失った少女がいた。空を跳べない烏が居た。空は澄み切って青く、いくばくか浮かぶ白い雲はゆっくりと東に向かって流れて行く。上天に照る太陽が降らす暖かな陽光以外に何もないこの町は、無音。鳥の囀りも虫の声もなく、人の息遣いの音もない。完全なる静謐と穏やかな空気に包まれて、地の上に横たわる。

――もしも、彼が人ならば。それは、どれほどの微笑であっただろう。
 けれど彼は人ではなく、しかし確かに微笑んで――――







 もう、翼は空に届かない。筐中の烏は、ただ、少女の胸中で。





 眠る。






※※※※※※※※※※※※



予定より時間かかった&予定と違う展開になった……! 携帯から長文打つもんじゃないな……!

最後は強制軟着陸した感じに……あう、力不足が滲み出てるな……。

えー、と。原作者の海さんには多大なるご迷惑をば……。ごめんなさい。

……次は、車輪かな……。R+はまだ仕上がりそうにないし……。


では、また今度。


clearvoice1989 at 13:09│Comments(0)TrackBack(0)小説 

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