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==「情報の秘匿・破棄」==
ジョーンズたちが情報公開法に基づく開示請求に応じるのをしぶっていたことは事実と言ってよさそうです。これについては、情報公開法関係の役所が、違反はあったが時効なので訴追しないと判断したという報道がありました。[2010-02-26補足: ただし大学がまとめた文書によれば、役所は違反と断定してはいないそうです。] 大学が依頼した評価委員会の報告がこれからなので、詳しい議論はそれを待ちたいと思います。

ただし、マッキンタイアたちの情報公開請求があまりにしつこく、それにいちいち応じていたのでは研究の時間がなくなる、という判断も、もっともだったと思われます。

CRUは、NCDCのようなデータセンターではなく、その材料としたデータについては、利用者に提供することも、長期にわたって保存することも、義務ではありません。したがってその業務を担当する人員・予算もついていないのです。「NCDCにあるものはNCDCからもらってほしい」という回答は正当だったはずです。

また、NCDCにはないものの多くは、提供元から再配布不可の条件がついています。気候データは公共財であることが望ましいとわたしは思いますが、現実にはすべてがそうではないのです。

== 「懐疑派の排除工作」==
わたしは原則として暴露されたメールは見ないようにしていますが、マンの2003年3月11日のメールは見ました。「編集長フォン・シュトルヒを排除すべし」とは言っていません。("without von Storch on their side" という語句はあるのですが、その意味は「もしフォン・シュトルヒが懐疑派ではないとすれば」だと思います。) ただし、ほかの科学者がそういう発言をしたメールはあったらしいです。だから、人名・日付のとりちがえにすぎないのかもしれません。しかし渡辺さんは、あとのIPCCに関する話題の中で「1か所でも傷のある本や文書は全体が疑われる」と、とてもきびしいことを言っています。そして渡辺(2010)の文書に傷が発見されました。

フォン・シュトルヒは実際に7月28日に辞任し、8月5日はその情報が広まった日のようです。マンたちの圧力に屈したのではありません。フォン・シュトルヒが自分のウェブサイトに置いた文書によれば、辞任の理由は、編集長就任にあたって雑誌上で「その雑誌の過去の査読が不充分でのせるべき質に達していない論文をのせてしまった」と述べようとしたが、雑誌の経営者に反対されたことでした。ここで「質が低い」と言ったのは「論文の材料と方法から結論が導かれない」ことだそうです。論文の結論に反対だから掲載に反対したわけではない、ということは明確に述べています。

ジョーンズたちを非難する人々は問題を「懐疑派」と、いわば「温暖化派」(温暖化してほしいと思っているわけではないのでへんな表現ですが)との二極対立としてとらえ、メールをそう解釈する傾向があるようです。確かに、マン、ジョーンズなどのなかまうちの発言の中には、「懐疑派」と目される人々のグループを敵視していると思われる部分もあります。

しかし、彼らの言っていることの本筋は、なかまうちで「だれだれの論文は質が低い」あるいは「これこれの雑誌は質が低い」という評価を共有しようとしていることなのだと思います。科学者の個人や小集団がそういう品定めをすることは当然の社会現象です。

ジョーンズたちが「懐疑派」の論文を学術雑誌から排除しようとしたりIPCC報告書の参考文献から排除しようとしたりしたと言われる件も、彼らの主観としては、論文の結論が自分の学説と違うから、あるいは自分の政治的目標にとって都合が悪いからではなくて、論文の質が低いと判断したからなのだろうと思います。学術雑誌も、IPCC報告書も、紙面は無限ではありません。(紙を使わないオンライン雑誌でも編集事務が扱える量は限りがあります。) 世の中にある文献数が多ければ、査読者や、編集委員や、IPCC報告書の著者は取捨選択しなければならないのです。

個々の担当者が不当な取捨選択をしてしまうことは、望ましくないことですが、ときどき起きるのが当然のことです。社会的しくみをくふうすることによって、科学が不当な評価に支配されないようにするのです。

学術雑誌は多数あり、評価する人が違うので、不当な評価の影響はある程度緩和されます。IPCCの場合は、各章の編集を複数の編著者で担当し、また査読コメントにはなんらかの応答(不採用という応答を含みますが)をしなければいけないとしています。それでも不充分ではないかという批判はあるでしょう。みんなを満足させることは不可能です。ともかく、ジョーンズたちがのせるべきでないと言った論文のいくつかは、結果としてはIPCCの2007年の報告書の文献リストに含まれました。

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東大IR3Sによる「地球温暖化懐疑論批判」という出版物の話題は、別の機会にします。

==「プロの困惑」==
トレンバース(Trenberth)のメールの内容は、わたしの本業に関連するので、機会があれば詳しく論じます。

簡単に言うと、地球が温暖化していることは地球の気候システムの持つエネルギーがふえていることでもあるはずなのですが、どの部分でどれだけふえているかを知ろうとしても、残念ながら充分精度のよい観測が継続されていない、ということを嘆いているのです。

(トレンバースはこの件を、やや専門的な論文として Current Opinion in Environmental Sustainabilityという新しい雑誌 (Elsevier社、http://www.sciencedirect.com/science/journal/18773435 からアクセス可能) に出しました。[2010-02-26訂正しました。下の[注]も参照。])

これは確かに温暖化に関する科学の現状の弱点ではあります。しかし、これがわからないからといって、その(1)で述べた温暖化の理論的基礎が揺らぐわけではないのです。そのことはトレンバース自身いろいろな機会に述べています。

[[注](2010-02-26): このブログ記事を最初に書いたとき、新しい雑誌どうしでまちがえて、いわば商売がたきの、Wiley Interdisciplinary Reviews: Climate Changeという雑誌(http://www3.interscience.wiley.com からアクセス可能)の名前を書いてしまいました。すみません。ただし、こちらの雑誌は、編集長がメール暴露の被害者のひとり(ただし今はCRU所属ではない)のヒューム(Hulme)[2010-03-02 読みかたを訂正]ですし、ここで紹介したい話題がいろいろあります。]

== 「おわりに」 ==
IPCC報告書の執筆から利害関係者をはずすべきだというのは筋はもっともですが、その分野の論文の著者や研究費の受領者を除いて適任者が残るかという疑問があります。総合報告執筆に特化した人を養成してフルタイムで雇うという方向が考えられなくはないと思いますが、予算も必要だし、その人の将来のキャリアの心配もあります。

IPCCの査読者になるのは、ある程度の専門業績のある人ならば簡単です。いわゆる温暖化懐疑論者に対して、なぜもっと積極的に査読に参加してコメントしなかったのか、と批判する人もいます。

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カナダの気候研究者ウィーバー(Weaver)が、IPCCのパチャウリ議長は辞任すべきだと言ったと、Terence Corcoran記者が1月27日のNational Postに、またRichard Foot記者が1月26日にCanWest通信社が配信してカナダの多くの地方新聞に出た記事に書いています。しかし、ウィーバー自身が、たとえばTimes Colonistの1月29日の記事で、「議長の辞任を求めてはいない、これまでの議長の発言に不適切なところがあったと言ったのだ」と言っています。IPCCの組織も根本的にダメだと言っているわけではなくて、部会間の意思疎通がもっと必要だという意見です。

新聞や雑誌の記者による人の話の紹介は、残念ながら、正確でないことがあります[注2参照]。 新聞の場合は発行までに本人が確認するひまがないという問題もあります。また事後の修正もあまりよく行なわれないことが多いです。ウィーバーはたくさんの新聞に自分の言い分をのせてもらうのに苦労したようです。本人の執筆でない新聞記事をもとにだれだれはどう言ったと紹介するのは、よほど慎重にする必要があると思います。

[注2] IPCC第4次第2部会のヒマラヤの氷河に関するまちがいの件でも、雑誌が不正確な内容を報道したことが問題の一つでした。詳しく調べていないので、雑誌記者の伝えかたが悪かったのか、情報源の科学者の言いかたが悪かったのかわかりませんが、発行前に情報源の人にもう少しよく確認をとるべきだっただろうと思います。[20日の投稿時に本文中に書いた文を注に移し、補足・修正しました。2010-02-27]

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まとめはありません。別記事として補足を書くかもしれません。

masudako