丸善から出ている物理の月刊誌『パリティ』で、3月号から、「温暖化問題、討論のすすめ」という企画を始めるのだそうです。

企画の趣旨はもっともだと思います。『パリティ』の対象である広い意味の物理には地球の物理を含んでおり地球温暖化のしくみもその中に当然含まれる話題ですし、社会の意思決定の中で科学はどういう役割を果たすのかという議論は必要なことだと思います。

ただし、物理の雑誌なのですから、気候のしくみが物理を基礎としてどこまでわかったのかを確認するところから始めてほしいと思います。ちょうど『パリティ』が提携しているアメリカ物理学協会(AIP)のPhysics Today』の2011年1月号にRaymond Pierrehumbert (ピエールハンバート)さんによる解説「Infrared radiation and planetary temperature」(赤外放射と惑星の温度)が出ています(Physics Todayの記事は有料ですが、著者のウェブサイトの著作リストのページも参照)。これは、著者が昨年末に出したばかりの専門教科書 Principles of Planetary Climate [わたしの読書メモ]の要点でもあり、地球に限らず惑星の大気の温度がどう決まるかに関しての、力のはいった解説です。『パリティ』にはぜひこれの日本語訳をのせてほしいと思います。このところPhysics Todayからの翻訳記事は1年くらい遅れてのるようですが、これはなるべく早くしてほしいと思います。急いだために内容が不正確になっても困りますが。

企画の第1回(3月号53-57ページ)は、宇宙物理学者の松田卓也さんによる「地球温暖化と現代科学の問題点」という記事です。松田さんは「ジャパン・スケプティックス」の会長でもあるそうです。この会は「超自然現象を批判的・科学的に究明する会」で、ここでのskepticsは、世の中に広まっている超能力やUFOなどに関する話に対して懐疑的であることをさします。(蛇足ながら、温暖化に対する懐疑を主な主張とする団体ではありません。) また松田さんが神戸大学の教授だったころのウェブページには、「松田卓也が斬る」という疑似科学批判のページがあり、超能力やUFOの話題のほか、「相対論はまちがっている」という主張に対して科学ではなく疑似科学だという判断をくだしています。

今回松田さんはおもに、松田さんの表現によれば「気候ゲート」、つまり2009年11月のイギリスのイーストアングリア大学(UEA)のCRU(気候研究所)の電子メール暴露を話題にしています。暴露事件ではなくて暴露された電子メールに書かれていたことのほうです。(「ゲート」がウォーターゲート事件になぞらえたものだとすると、これは盗聴の標的となった民主党職員の言動をあげつらうことにあたるでしょう。)

暴露されたメールに見られるCRUのJones (ジョーンズ)さんやアメリカのMann (マン)さんの温暖化懐疑論者に対する論評は、松田さんの「こりない紳士たち」という文章の「相対論は間違っているという疑似科学」に対する論評とそっくりです。彼らは一般の人むけの解説を書くけれども、査読済みの論文を出していない、あるいは出していてもその学術雑誌では査読がしっかり行なわれているかどうかあやしい、したがって科学の知見として彼らの言うことは重視しなくてよい、という理屈です。2005年にMcIntyre (マッキンタイア)とMcKitrick (マッキトリック)の論文の一つが地球物理の学術雑誌Geophysical Research Lettersに出たあとは、この論法は形式的には成り立たなくなり、論文の中身に踏みこんだ評価が必要になります。しかしそれ以前のJonesさんたちのMcIntyreさんたちに対する態度に関する限り、松田さんは当然賛同されるだろうとわたしには思えました。

ところが松田さんは逆に、Jonesさんを含む、松田さんの表現によれば「正統派」の気候科学者に、疑似科学の疑いをかけているのです。わたしもその「正統派」の一員とみなされていると思うので、反論しないわけにいきません。

松田さんはJonesさんたちの行動を「現代科学の基本的なモラルを踏みにじっている」と決めつけていますが、その判断材料として、Mosher (モシャー)・Fuller (フラー)の『Climategate』という本 (日本語版が『クライメートゲート事件』として出ているものの英語原本)[わたしの読書ノート]の著者たちの解釈をそのまま事実とみなしているようです。しかし、この著者たちは科学者とコミュニケーションしないまま勝手に解釈しているので、かなりのかんちがいがあります。直接この本に対するものではありませんが、渡辺正さんによる『化学』2010年3月号の評論に対する反論としてわたしがこのブログに書いたもの(1)(2)(3)をごらんください。またこの事件に関しては、日本語訳はまだありませんが、Fred Pearce (ピアス)さんによる『Climate Files』という本[わたしの読書メモ]も出ています。わたしはPearceさんの解釈にもすべて賛成するわけではありませんが、Mosher・Fullerの本に比べればだいぶもっともだと思います。

Jonesさんたちの行動については、イギリス国会の委員会をはじめいくつかの調査がされました。別のブログ記事に一覧にしておきました。基本的に科学者倫理に反するようなことはなかった、という評価になっています。ただし情報公開法によるデータ請求に対して消極的だったことのうち一部は(時効で法的判定がされていませんが)違反であった可能性があります。とは言っても、データ提供元(当のイギリス政府も含む)から公開しない約束でもらっていたデータもあり、公開できるものとできないものをよりわけるのもたいへんだったという事情もありました。また、Pearceさんの本に出てきますが、それ以前の一部の温暖化懐疑論者の科学者に対する非難のうちには明らかに悪意と思われるもの(1996年のFrederick Seitzさん・Fred SingerさんなどによるCRU卒業生のBen Santerさんへのいじめなど)があったので、Jonesさんたちにとっては、しつこく請求してくるMcIntyreさんたちも悪意で業務妨害をしかけているのだろうと想定したくなる不幸な経緯もありました。

次に、仮にJonesさんたちに不正があったとしても、それで気候にかかわる科学全体が大きくゆらぐわけではありません。JonesさんはIPCC第4次報告書のひとつの章の編著者でしたが、報告書全体を取りしきっていたわけではないのです。Mosher・Fullerは「チーム」が不正をしたという強い疑いを含む記述をしていますが、「チーム」はJonesさんやMannさんなどの限られた顔ぶれをさしており、気候にかかわる科学者全体をさしていません。もし「チーム」に重大な不正があるにもかかわらず気候にかかわる科学者たちが全体としてそれを許す態度をとっているとしたら確かにまずいことです。わたしはそうではなかったと思いますが、この事件をきっかけに気候に関する科学全体が疑われる可能性があるとしたら理屈はそのようなものに限られると思います。なお、Mosher・Fullerは、IPCCの言う温暖化の見通しについても、IPCCの記述よりも不確かさが大きいとは言いますが、基本から否定してはいないのです。

ところで、前にも述べましたが、温暖化懐疑論者のうちには、自分の示す材料どうしでつじつまが合わないことさえかまわず、IPCCなどの信頼をそこねることならばなんでもならべたてる人がいます(「なんでも」というのは読む側の印象であり、書く側では何かの基準を持って取捨選択しておられるのかもしれませんが)。「CRUの事件によって、温暖化するという見通しはウソであることがわかった」などという言説はそういう人たちによるものであって、それはMosher・Fullerの解釈を事実と認めたとしても裏づけられるものではありません。(松田さんの主張はそういうとんでもないものではないと思いますが、別の人のとんでもない言説の部品として使われることはありそうなので、注意しておきます。)

[この記事は、まだ、情報の追加や、表現のへたなところの修正など、書きなおしをすると思います。どうか不正な改竄[ざん]だとお考えにならないようにお願いします。]

masudako