新しい地図帳に表現されているグリーンランド氷床の変化が話題になりました。わたしはこの話題をRealClimateブログのGavin Schmidtさんの9月21日の記事Greenland meltdown (の後半)で知りました。(RealClimateの記事の表題はことば遊びをしていることが多く、実質的内容に対応しているとは限りません。ここでは「down」をあまり気にせず「melt」の話題と思ったほうがよさそうです。)

グリーンランドは北極圏にある陸地です。大きさが大陸と島を大きさで区別する境目にあたっているので、その陸地自体は島に分類されて世界でいちばん大きい島と言われていますが、その陸地の大部分を覆う氷は「大陸氷床」に分類されています。

Times Atlas of the World (タイムズ世界地図帳)はイギリスで発行されている有名な地図帳です。今は新聞のTimesと直接関係なく、Harper Collins (ハーパーコリンズ)という出版社が出しています。調査がしっかりしているという評判があり、資料として使われることがよくあります。たとえば日本の『理科年表』(2011年版)の地学の部の地理関係のところを見ると、「世界のおもな島」「...高山」「...河川」などで使われています(「地球上の氷でおおわれた地域」では使われていません)。

このシリーズのTimes Comprehensive Atlas of the World第13版が最近発行されたのですが、それを知らせるHarper Collins社の報道発表(press release)の中に、グリーンランド氷床の広がりが1999年発行の第10版に比べて15%減ったことが、地球温暖化によってこの12年間に実際にそれだけ氷が減ったことを示すかのように述べられていました。雪氷の専門家たちが、それは正しくないので訂正してほしいと言いました。

日本語での報道はまだ少ないですが、AFP BB Newsの9月21日の記事「権威ある地図帳のグリーンランド氷床縮小に専門家が反論」がありました。この短い記事だけ見ると、専門家は「氷床が縮小していない」と言っているように見えます。英語圏にも同様な報道があり、地図帳の話を離れて「専門家がグリーンランド氷床縮小を否定している」と伝える人もいるようです。

実際にはグリーンランドの氷の量は減っています。5月14日の記事で紹介した『環境技術』の特集号に三浦英樹さんによるレビューがあります。上に述べたSchmidtさんのブログ記事の前半で紹介されているTedesco ほか(2011, Environmental Research Letters)の研究[要旨と本文PDFへのリンク]も、衛星による表面状態の観測をもとに各年の質量変化を見積もったものです。氷床の面積も小さくなっているはずですが、それを直接に示す文献がすぐに出てきません。気がついたら追って紹介したいと思います。

ところが、タイムズ地図帳13版では、前の版と比べて、土地が氷に覆われているかどうかの判断基準が大きく違う材料を使っています。したがって氷に覆われた面積を前の版と比べてもあまり意味がないのですが、形式的に比べると、科学者が示している実際の減少よりもずっと急に減ったように見える結果になってしまったわけです。

問題がわかりにくくなった理由は、氷床とその他の氷河の区別だったようです。大陸氷床は氷河の一種です(という用語づかいが適切だと思います)。しかしグリーンランドの陸を覆う氷河の構造を詳しく見ると、大陸氷床とは別の氷河と見たほうがよい部分もあります。どう区別するかの詳しい判断は専門家の間でも必ずしも一致しないと思います。ともかく、ある専門家のグループが自分たちの判断によって大陸氷床だけの分布図を作り、その他の氷河は氷に覆われていない陸地と一見同様に表現したらしいのです。その図をタイムズ地図帳の編集者が利用する際に、「その他の氷河」が省略されていることが理解できなかったようです。(書き手の説明がへただったというべきか、読み手が不注意だったというべきかは、もとの資料にあたっていないわたしには判断できません。) それにしても、前の版と比べて面積で15%も減ることになっていたら、へんだと思って説明を読み返すなり専門家にたずねるなりしそうなものですが、この地図編集者は、温暖化で氷がとけているという定性的知識に合っているので、他の定量的情報をあたらないで、実際に減ったと思ってしまったようです。

イギリスのGuardian (ガーディアン)という新聞がていねいに報道しています。
9月15日 New atlas shows extent of climate change (John Vidal) これはHarper Collins社の報道発表をそのまま伝えたようですが、今見られるのはグリーンランド氷床の件について20日に訂正したものです。
9月19日 Times Atlas is 'wrong on Greenland climate change' (John Vidal) 科学者がまちがいを指摘したという報道です。この時点ではHarper Collins社はまちがいを認めていません。
9月20日 Times Atlas publishers apologise for 'incorrect' Greenland ice statement (Fiona Harvey) Harper Collins社が報道発表が不適切だったとおわびしたそうです。しかし地図を訂正する必要はないとしているようで、科学者たちとのくいちがいは残っています。
9月21日 Times Atlas ice error was a lesson in how scientists should mobilise (Poul Christoffersen) 科学者たちが氷の変化の事実を正確に知ってもらいたくてがんばっていることの紹介です。
9月22日 Times Atlas reviews Greenland map accuracy after climate change row (Press Association) Harper Collins社も問題を認識し、専門家と相談して今後の対応を決めたいと言っているそうです。[この項目9月23日追加]

ちょっとたとえ話をしてみます。
1872年の鉄道開業以来の新橋・横浜間の所要時間の変遷を一覧表にしたものがあるとします。
ところが、開業当時の横浜駅は、今の桜木町駅付近なのです。今の横浜駅までにすると、だいぶ距離が短くなるので、不公平な比較になってしまいます。(新橋のほうも汐留でしたが、この違いはそれほど距離にきかないでしょう。) そこで、前の一覧表作成者は、現代については、横浜での乗りかえを含む新橋・桜木町間の所要時間を示していました。
ところが、その人が一覧表作成をやめてしまったので、別の人が引き継ぐことにしました。しかし所要時間をどう定義するかの約束が引き継がれなかったので、今度の作成者は、単純に新橋・横浜間の所要時間を示してしまいました。結果は「わずかの期間に所要時間は5分も短縮された」ように見えました。

グリーンランド氷床の話はまだ続くと思いますので、何か重要な進展があったら追加して書きます。

[9月23日追加] 「さまようブログ」の mushi さんが「溶かしすぎた」(9月20日)で論じています。

[10月20日追加] 雪氷学者でNPO法人「氷河・雪氷圏環境研究舎」代表の成瀬廉二さんが、そのNPOのサイトの「情報の広場」の[10月6日の記事]で、世界の雪氷学者のメーリングリストで話題になったことの要点を含めて、論じておられます。

masudako