福島第1原子力発電所の事故によって放射性物質がどのように広がったかに関する研究はいくつか行なわれていますが、ここではそのうち、2011年11月15日に新聞やテレビなどで報道された件について、簡単に紹介します。これは、アメリカ合衆国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載が決まりオンライン公開された次の論文です。

  • Teppei J. Yasunari, Andreas Stohl, Ryugo S. Hayano, John F. Burkhart, Sabine Eckhardt, and Tetsuzo Yasunari, 2011: Cesium-137 deposition and contamination of Japanese soils due to the Fukushima nuclear accident. Proceedings of the National Academy of Science of the USA (PNAS), in press. doi: 10.1073/pnas.1112058108 [要旨]


上に「要旨」としたリンクの先に要旨があり、論文本文のPDFファイルや補足資料(PDFと動画)にリンクされています。この雑誌の論文は原則として有料ですが、この論文は「オープンアクセス」つまりだれでも無料でPDFをダウンロードすることができます(著者の所属機関が料金を払ってくれたそうです)。

日本語では、次の解説文書が名古屋大学のウェブサイトに置かれています。「福島原発から放出されたセシウム137の日本全国への沈着量及び土壌中濃度の見積もり -- 沈着は広範囲で、特に地形効果により沈着量は場所により大きく異なることが判明」[日本語PDFファイル]

筆頭著者の安成哲平(T.J. Yasunari)さんは、日本で博士号をとったあと、アメリカ合衆国で、Universities Space Research Association (USRA, 大学宇宙研究連合)の客員研究員という立場で働いています。その本業では、大気汚染によるblack carbon (すす)をはじめとするエーロゾルが雪氷に与える影響を研究しておられます。

原子力事故のすぐあと、安成哲平さんは、福島からの放射性物質輸送のシミュレーションを試み、放射線の観測値を集めて全体像をつかもうとしていた物理学者(素粒子実験)の早野龍五さんに情報を提供したそうです。(わたしは7月14日の日本学術会議公開シンポジウム「シミュレーション・予測と情報公開に求められること−これまで・今・これから−」[会合プログラムPDF]での早野さんの講演で聞きました。) しかしその計算には不確かな仮定が多いので結果を一般公開するのは不適当だと判断されました。ていねいに計算をしなおして科学的知見として使える結果を示すことにしました。

論文になった研究では、ノルウェーの大気研究所(NILU)で開発された大気中の物質輸送の数値モデル「FLEXPART」を使っています。そのモデルの作成者たちも共著者に加わっています。風などの気象情報は、ヨーロッパ中期天気予報センター(ECMWF)が数値天気予報モデルに観測データを取りこんで作った格子点データを使っており、時間間隔は3時間、空間間隔は日本付近で約20kmです。FLEXPARTによるシミュレーション自体は、放射性物質の放出量は一定値を仮定して行なっています。そして計算結果の地上へのセシウム137の沈着量を、文部科学省がまとめた「定時降下物」という観測値データとつきあわせて、現実の毎日の沈着量を推定しました。解析期間は3月20日から4月19日までです。事故から3月19日までについては「定時降下物」のデータがないため計算できていません。土壌中の濃度は、沈着量と換算係数53 kg/m2から求めています。換算係数の値は過去に観測されたサンプルのデータに基づくものです。

この計算は、日本全体の汚染状況を大まかに把握するためのもので、期間が3月20日以後であるという制約があるほか、空間的にあまり細かい特徴は表現されていないと見るべきです。気象データの空間格子間隔が20kmで、実際に表現できている空間スケールはその数倍(たとえば4倍として80km)以上と見るべきでしょう。また沈着の多くが湿性沈着つまり雨や雪などに混ざる形で起きていると想定され、その分布は観測値に基づく降水量と似ていることが示されていますが、この似ているというのも数十km以上の空間スケールで、それより細かいスケールの分布は対応していないと思います。また沈着量から土壌中の濃度へ一定の係数値で換算していますが、現実には土壌の種類などによる違いもあるでしょう。

安成哲三(T. Yasunari)さんは哲平さんのお父さんですが、哲平さんの計算結果が出たあとで、気象学的観点からの評価が必要だということで研究に加わったと聞きました。

著者たちは、この論文が出たのを機会に、もっとていねいな調査が行なわれることを希望しています。とくに土壌のサンプリング調査を全部の都道府県で行なってほしいと言っています。

なお、この論文と同時に同じ雑誌に福島原子力事故からの放射性物質に関する論文がもう一つ出ています。筑波大学のKinoshitaさんほかによるもので、ガンマ線計測に基づく関東・東北の分布です。

文献

  • Norikazu Kinoshita, Keisuke Sueki, Kimikazu Sasa, Jun-ichi Kitagawa, Satoshi Ikarashi, Tomohiro Nishimura, Ying-Shee Wong, Yukihiko Satou, Koji Handa, Tsutomu Takahashi, Masanori Sato, and Takeyasu Yamagata, 2011: Assessment of individual radionuclide distributions from the Fukushima nuclear accident covering central-east Japan. PNAS, in press. doi: 10.1073/pnas.1111724108 [要旨]