気候変動・千夜一話

地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者たちの日記です。

2008年09月

コメントありがとう

これまでにコメントを書いてくださったみなさま、どうもありがとうございます。コメントやトラックバックには個別の返答を書かないことを原則にしているのですが、まだブログを始めて日が浅いもので、コメントをもらうとうれしくて、ついつい返事を書いてしまうことがあります。
今回は、いただいた質問のいくつかにお答えすることにします。

まず、kawaさんからのご質問について。

「化石燃料の燃焼に際しては、二酸化炭素と一緒に相応の熱量が排出されます。当然、この熱が燃焼の大きな目的であるわけですが、地球の生態系が何億年もかけて、太陽光エネルギーを浴びて大気中の二酸化炭素を吸収し、有機炭素として固定したものを、人類が再び二酸化炭素と熱にして一気に解放しつつあると言えるのではないでしょうか。果たしてこの熱は温暖化には寄与していないのでしょうか。その影響は太陽熱や地熱に比して無視しうる程小さいのでしょうか。」

浅井冨雄先生の著書(p.53)に数値が載っていましたので、ご紹介しておきます。年あたりエネルギー供給量で、古い数字なのですが、太陽放射と人工廃熱のエネルギー量は桁が違う(4つも)ことを確認するためには十分ですね。現在では、1970年当時と比べて化石燃料の消費量は倍増に近い(?)と思いますし、化石燃料以外に人工的な核分裂(おもに原子力発電)の熱も加わっていますが、それでも地熱より小さい程度でしょう。もちろん、都市のヒートアイランド問題を軽減するためには人工廃熱を減らすことも重要なことの一つです。
 地球の表面で吸収される日射  90,000,000
 地熱(地殻からの伝導分)     32,000
 化石燃料の燃焼(1970年)    8,000
 化石燃料の燃焼(1910年)    1,000
            (単位:10億ワット)
◇引用元: 浅井冨雄 著「気候変動 −異常気象・長期変動の謎を探る−」(「気象学のプロムナード」シリーズ 第2期9)、東京堂出版、1988年、ISBN 4-490-20138-9


nanaさんからの2点のご質問について。

1)「温暖化における二酸化炭素の寄与について、人為と自然を区分し、それを定量的に教えてください。二酸化炭素を減らしましょう、というには、自然がどのぐらい影響を与えていて、人間が何パーセントぐらい影響を与えている、という「割合」がわからないと、より効果的な具体策は考えにくいですから。」

産業革命前は 280 ppm 程度で変化の小さかった大気中の二酸化炭素濃度は、その後は上昇をつづけ、380 ppm を超えてしまいましたが、このような長期的変化はほとんど人為的なものだと考えられます。
地球温暖化懐疑論者(否定論者)の槌田敦さんなどが強調されているように、年毎の短期的な変化に着目するならエルニーニョや火山噴火の影響といった自然要因も重要です。しかし、そのような要因で長期的な濃度上昇を説明することはできません。海洋や陸上生態系は、正味では人為起源の二酸化炭素を吸収・貯蔵しているはずですので、むしろ人為的な長期の影響の一部を打ち消しているというのが正しい認識です。メタン、一酸化二窒素、ハロカーボン類(いわゆる「フロン」を含みます)など寿命の長い温室効果ガスの濃度上昇も、おもに人為的要因によるものと考えられます。

IPCC_SPM_Fig02.jpg
地球の気候システムを加熱したり冷却したりする要因を放射強制力と呼び、単位面積(m2)あたりの加熱率として表します。産業革命以降、地球に放射強制力をもたらした要素としては、二酸化炭素を含む各種の長寿命温室効果ガスのほか、成層圏・対流圏のオゾン、エーロゾル(大気中の微粒子)など多数ありますが、それらをひとまとめに示したのがこちらの図です(気象庁のIPCC日本語訳より)。この図は、1750-2005年の期間を対象に評価したものです。負の放射強制力(地球を冷やす効果)を持つ要素は正の放射強制力と打ち消しあっているはずなので、「何パーセントが人為的要因」と言うのは難しいです(算数の問題として…)が、人為起源と考えられる要素を正も負もぜんぶ合わせるなら +1.6 W/m2 になります。自然起源の要因が太陽放射の変動による +0.12 W/m2 だけだったと仮定するなら、人為起源の影響は約9割という計算になります。ただし、図中に示されているように不確実性の幅(推定幅)が大きいので、この9割という数字は参考程度とお考えください。また、この図には含まれていない自然起源の要素としては、数年程度の時間スケールでは重要となる大規模火山噴火の影響や、まだ定量的な見積もりが困難な銀河宇宙線が雲に及ぼす影響なども考えられるでしょう。

対流圏の水蒸気は重要な温室効果ガスですが、海面からの蒸発、雲からの降水といった自然のサイクルによって濃度が激しく変動するので、放射強制力にはカウントせず、気候システムに内在するフィードバック過程として取り扱われています。

2)「別エントリで「水蒸気をきちんとモデルに取り込んでいる」と書かれていますが、気象庁に勤める知人は「水蒸気はうまく取り込めていない」といっています。吉村さんの言われる「きちんと」とはどの程度を意味しているのか、お教え頂ければ幸いです。」

むむむ・・・、どのような趣旨で「うまく取り込めていない」とおっしゃったのでしょうね?
推測するなら、「大気モデル内部で表現される水蒸気量は、温度や気圧などの物理量に比べて精度が低い」「天気予報用のモデルに入力する水蒸気(湿度)の観測データは精度が低い」といったことでしょうか。

私が以前のコメント欄で、水蒸気や二酸化炭素の放射特性が「十分な精度で」考慮されていると書いたのは、水蒸気量やその他の温室効果ガス濃度が正しい場合には放射による加熱や冷却がかなり正確に表現できる、という意味です。なので、水蒸気量が正しいかどうかということの方が問題になりますが、地球温暖化のフィードバック過程として考えるならば、気温上昇にともなう飽和水蒸気量の増大については良く理解されていますし、気候モデル間の差異も小さいので、「だいたい正しいはずだ」と答えることはできるでしょう。少なくとも、フィードバック過程としての不確実性が大きいという意味では、雲の変化の方がずっと重要だと考えられています。

まったく蛇足ですが、一般論としては、気象庁職員は正直な人が多いと思います(^_^;)
では、また。

吉村じゅん

「社説はつまらない」→「社説はおもしろい」

新聞には社説というものが載っていますが、私は長い間、「社説はつまらない」と思っていました。これといった新情報が盛り込まれるわけではありませんし、社としての意見という重い位置づけのものなので、あまり突飛な見解を書くわけにもいかないのでしょうし、社説担当者(論説委員?)が何人かで話し合った末に内容が決まるわけですから「船頭多くしてなんとやら」みたいな感じでいまいちすっきりしない主張になることもあるのでしょう。この程度の内容なら、社説なんて思い切って廃止してしまえばいいのに、とも感じていました。

しかし、今年になって私の認識が変わりました。1月に開設された、
「あらたにす」
を読むようになったからです。日経・朝日・読売の3紙が協力して運営しているニュースサイトで、位置づけとしてはたんに新聞の販促ということなのでしょうが(毎日や産経にはちょっと気の毒な...)、おもしろいのは3紙の一面記事や社説が容易に比較できるようになっていることです。とくに社説については、例えば同じテーマなのに朝日と読売が正反対の主張を書いたりしますので、それぞれがどのような根拠を持ち出しているのか比較してみると興味深いです。ある紙が取り上げたテーマを、翌日には別の紙が追いかけるように取り上げたりもしますので、やっぱりお互いライバル意識が強いんだろうなと想像しながら読むのも楽しいです。3紙が同時に同じテーマについて書いているときは、たとえ各紙のスタンスが違ったとしても、それが重要な論点であるという認識は共通なんだということがわかります。最近のネット上では、「マスゴミ」といったちょっと下品な言葉でマスコミ批判がおこなわれることが多いですし、それが内容的には的を射ていることも多いとは思いますが、それでも新聞というメディアはまだ捨てたものではないな、とも感じます。

最近の3紙の社説でとくに印象的だったのは、米国とインドの原子力協力協定に対する是非が「原子力供給国グループ(NSG)」で議論されたことについてです。載せたタイミングは違いましたが、NSGが結論を出す前に、3紙が揃って両国の原子力協力に批判的な意見を打ち出しました。

2008年8月24日(日)
朝日新聞 社説「米印核協力 ― 日本はノーと言うべきだ」

2008年8月26日(火)
読売新聞 社説「米印原子力協定 核拡散防止に役立つのか」

2008年9月1日(月)
日経新聞 社説「問題多いインドへの原子力協力」

しかしNSG臨時総会は、9月6日、核不拡散条約(NPT)に未加盟のインドを例外扱いし、原子力協力を認めることを承認したそうです。この決定に対し、3紙は揃って、より強い批判の声を上げました。

2008年9月8日(月)
朝日新聞 社説「インド核協力 ― 歴史に残る誤りだ」
日経新聞 社説「理解に苦しむ対印原子力協力の解禁」

2008年9月10日(水)
読売新聞 社説「インド核協力 NPTを揺るがす『例外扱い』」

NSGの決定はNPT体制に大きなひびを入れるもので、北朝鮮、イラン、イスラエル、パキスタンなどの行為を正当化する根拠を与えてしまうものだと思います。核不拡散どころか究極の核廃絶を目指しているはずの日本政府は、もちろんNSGのメンバーなのですが、この核協力の解禁にあまり抵抗もせず(報道によるとオーストラリアなどは慎重派として頑張ったようです)、広島・長崎の市長から抗議を受けても外務省は「気候変動面で利点がある」と言い訳しました(朝日新聞 asahi.com 9月16日付の記事より)。インドで原発を作れば二酸化炭素排出量が減らせると言いたいらしいのですが、地球環境問題を理由に、人類にとってもっと深刻な問題である核拡散を見逃してしまうとは、いったいどういうことなのでしょう。普段はスタンスの異なる3紙の意見が一致しているのに、それとは逆の決定をした背景にはどのような圧力があったのでしょうか。この問題は官僚に任せる問題ではなく、政治家レベルで責任をもって取り組むべきことだと思いますが、国会議員の皆さんは総選挙のことで頭がいっぱいでそれどころではなかったのでしょうか。

気候変動問題に取り組む者の一人として、このような決定の理由付けに利用されてしまったことは、とても悲しいです。

吉村じゅん

簡単な問いには簡単な答えがあるか? そうとは限らない。

わたしがここに最初に書こうと思ったのとほぼ同じことを、科学史家で「温暖化の発見とは何か」の原著者のスペンサー・ワートさんが、RealClimateというブログに (そのメンバーではないのですが、ゲストとして) 書いていましたので、その日本語訳を作って、RealClimate本家に置いてもらいました。
このリンクからごらんください。

masudako

このブログの執筆者について (2)

執筆者の自己紹介です。

masudako

吉村さんとは別の研究所に勤めています。今の専門は全地球規模および東南アジアの水循環(降水、蒸発、河川流出)です。昔は氷期など数十万年規模の気候変化に興味をもっていました(このごろあまり知識を更新していませんが)。インターネット上では研究所のサイトに少し書いているほかに、非常勤先の大学のサイトで教材などを書きためてきましたが、個人サイトをもつべきか迷っているところです。当面、気候変化に関する科学の話題については、このブログに参加する形で発言していきたいと思います。

宝島社の新刊本(2)

丸山茂徳先生の宝島新書をようやく最後まで読み終えましたので、ひきつづき、少しコメントしておきます。アンケートについては前回書いたので、それ以外のいくつかの論点について。

なお、宝島新書の3カ月前に講談社から発行された丸山先生の本にも、気候変動の原因については同じような主張が書かれています。この講談社の本に対しては、既に、増田耕一さんが専門家としての視点で読書ノート[2011-03-31リンク先変更(masudako)]を書かれています。

地球温暖化問題懐疑論へのコメント Ver 2.4」[2011-03-31リンク先変更(masudako)]の 18〜21ページでも、講談社本の主要な論点に対する反論が述べられています。丸山先生は、屋久杉の年輪から得られた安定炭素同位体比(δ13C)が全球平均気温の指標であるという独自の解釈をしておられますが、元データについて調べた結果、この解釈は完全な誤りであることが判明しています(興味ある方は 20〜21ページをお読みください)。講談社本などで展開されている、過去の地球の気候が太陽活動や宇宙線照射量に連動しているという主張や、過去100年程度の地球温暖化の傾向が「異常」ではないという主張においては、安定炭素同位体のデータが欠かせないものでしたが、その根拠が失われていることになります。

地球寒冷化対策??

丸山先生は、今後の地球が2035年頃まで急激に寒冷化するという説を唱えています。私はこの主張にはまったく賛成できません。しかし、本当に急激な寒冷化が起こったとすると、確かに食料生産は世界的に打撃を受けることになるのでしょう。そこで、もし本気で寒冷化を心配するというのであれば、対策としては、何らかの強力な温室効果ガス(例えば HFCs とか?)を大量に備蓄しておくだけで十分だと思います。寒冷化の兆しが見えたタイミングで一気に放出すれば、その後の寒冷化を抑制することができるでしょう。丸山先生も温室効果の存在自体はきちんと認めておられますので、この対策の有効性は理解してもらえると思います。問題は、このような対策の準備にコストをかけるほどの価値があるかどうかということですが・・・。

自己矛盾??

宝島新書には、論旨が一貫していないような印象を受ける部分がありました。とくに、わずか3カ月前に出されたばかりの講談社本との食い違いとおぼしき記述には首をかしげざるを得ません。

例えば、「『温暖化=二酸化炭素犯人説』はまったくの誤りだと断言しますが・・・」(講談社本 p.186)と威勢が良かったはずなのに、「(21世紀の気候について)温暖化するか、寒冷化するかはわからないが・・・」(宝島新書 p.86)と弱気な記述に変わっています。もし二酸化炭素以外の要因で温暖化するということであれば、論理矛盾とは言えませんけど。いずれにせよ、「今後5〜10年で2つの学説の決着はつくでしょう」(講談社本、p.82)とのことなので、われわれ現役世代が目の黒いうちに、寒冷化説と温暖化説のどちらかが否定されるようです。

講談社本では、槌田敦氏らの主張を紹介する形で、「つまり、二酸化炭素の増加とは温暖化の結果であって、原因ではないのです。この観測データがそれを明らかにしています。」(講談社本 p.60)と断じ、この記述はわざわざ講談社本の表紙カバー裏にも印字されていました。宝島新書では、チャールズ・キーリングらによる二酸化炭素濃度観測の研究成果を紹介する中で、「18世紀から19世紀にかけてイギリスで産業革命が興って以降、石油、石炭、天然ガスといった化石燃料を燃やした結果、大気中に二酸化炭素を放出し、その濃度を高めていったことがわかるだろう。」(宝島新書 p.18)という至極まっとうな記述に変化しました。申し訳程度に「海洋から放出された二酸化炭素も幾分あるはずで・・・」(宝島新書 p.19)という槌田説(?)を控えめに紹介する記述も残ってはいます。

科学者たる者、自分の主張の誤りや不適切さに気づいた場合は、堂々とそれを認めればいいのだ、ということは私も全面的に同意します。ただ、主張を変化させる場合は、その理由を(場合によっては経緯も)きっちり分かりやすく説明してもらわないと、講演の聴衆や論文の読者を無用に混乱させてしまうことになります。

低炭素社会と世界政府実現に向けて突き進め(?)

宝島新書の第2章以降は、地球温暖化の科学とは直接には関係しない話が主なので、このブログでは詳しく論評しなくても良いと思います。ただ、納得できかねる多くの主張の間には、私が同意できる部分もありましたので、すこし触れておきます。

とても重要なこととして、低炭素社会に向け、石油消費を急速に減らしていく必要性は、丸山先生も全面的に認めています。多くの温暖化懐疑論者と異なる点なので特記しておきます。(ちなみに、横浜国大の伊藤公紀先生も、CO2排出は減らしたほうが良いと認めています。)

宝島新書の97ページ以降では、世界を統一する「超政府」を成立させる必要性を説いています。現実離れしたアイデアのように見えますが、EUの世界版と考えるなら、まったく不可能とまでは言えません。私の個人的な考えでもありますが、究極の「不戦社会」を実現するためには、時間がかかったとしてもあきらめずに「世界政府」のような強力な仕組みを慎重に築いていく必要があるはずです。とはいえ、「超政府」成立に向けて世界を引っ張るリーダーとしての役割を米国に期待するという丸山先生の主張には無理があると思いますが。

その他の論点について

宝島新書では、データやグラフの出典の一部はきちんと示されていません。まさか、的確に反論されることを回避するために意図的に出典を隠したわけではないと思いますが、一般向けの本とはいえ、研究者の書く文章として不適切でしょう。

氷期・間氷期サイクルを説明する地球の軌道要素の変化は「ミランコビッチサイクル」と呼ばれていますが、丸山先生は、ミランコビッチサイクルの影響として、「いつ寒冷化が始まってもおかしくない」(宝島新書 p.64)と主張しています。しかし、ミランコビッチサイクルの影響については、IPCC (2007) AR4 WG1 第6章で詳しく検討済みで、
「今後数100年間の世界的な気温が、自然の軌道要素に起因する寒冷化の顕著な影響を受けることはない」ということが「ほぼ確実 (virtually certain)」で、
「今後3万年以内に地球が次の氷期に移行する可能性」についても「非常に低い (very unlikely)」と結論づけられています。
丸山先生は、これらの検討結果については考慮に入れていないようです。
IPCC第6章概要等についての日本語訳をごらんになりたい方は、気象庁のこちらのページから、第1作業部会報告書「概要及びよくある質問と回答」の「第6章 古気候」をお読みください。


簡単にコメントするだけのつもりだったのに、ついつい長くなってしまいました。
では、また。

吉村じゅん

宝島社の新刊本

科学者の9割は『地球温暖化』CO2犯人説はウソだと知っている」(丸山茂徳 著、宝島社新書、2008年8月発行)という奇妙なタイトルの本を買いました(以下「宝島新書」と略記)。著者の丸山茂徳先生は、今後の地球は2035年頃まで急激に寒冷化するという説を唱えている地質学者です。この本のタイトルは、安井至先生がぼろくそに指摘されているように(http://www.yasuienv.net/MaruyamaCO2.htm)、本の売り上げを伸ばすことだけを目的に出版社がつけたものだろうと思います。そんな本に金を出すのは世の中のためにならないとは思いつつも、さっそく購入してしまったのには理由があります。それは、このタイトルの由来となったアンケートの現場に私もいたので、ちょっとは検証する責任があるかも、と考えたからです。

今年5月末に幕張メッセで開かれた、日本地球惑星科学連合(JPGU) の大会で開かれたセッションの一つに、「21世紀は温暖化なのか、寒冷化なのか?(地球温暖化問題の真相)」という不思議なテーマがつけられていました。セッション日程は3日間に分かれていましたが、その各日の冒頭で、件のアンケートが出席者の挙手によりおこなわれました。私は1日目(5/25)と2日目(5/28)、アンケートにも参加しました(もちろん「最近の温暖化傾向は人為起源」とかいう選択肢に手を挙げました)が、最終日(5/29)は欠席でした。設問の詳細までは記憶していないのですが、2項目ほどの同じ設問が毎日繰り返されたと思います。参加者間の「世論」の推移を見たいという趣旨だったらしいです。

このセッションのコンビーナとして主催者的な立場だったのが丸山先生でした。主催者側としては、地球温暖化の議論を支えるIPCC的な立場の人と、それに対して懐疑的な見解を持っている人(「寒冷化論者」を含む)が対等にじっくり議論することを目指していたようなのですが、残念ながらIPCCに近い立場の人はあまり集まらず(なので私は完全なマイノリティ)、温暖化懐疑論者やそれに近い人たちが集合してしまったという感じでした。気候学の専門家は、書店に並んでいる「懐疑本」の多くがあまりに低品質の議論に終始していることにうんざりしているはずなので、丸山先生が主催する妙なテーマのセッションに参加する気になれなかったのも仕方ないことだと思います。そもそも、気象学者の多くはその前週に横浜で開かれた日本気象学会春季大会の方に行っているので、JPGU大会に参加する人はかなり少数です。

というような事情なので、セッション参加者(数えてませんが、200人ほど??)のほとんどが気象や気候は専門外という方々だったようです。そんな場所で、地球温暖化の科学についてのつっこんだアンケートをとろうとしても、真面目な科学者であれば「わからない」と答える人が多かったのは当然のことでしょう(宝島新書5ページの記述によると、10人中7人とのこと)。また、「21世紀は寒冷化の時代」と答えた人が10人中2人(宝島新書5ページより)いたというのも、会場に懐疑論者が多かったことや、セッションを主導していた丸山先生に影響された人もいたであろうことを考慮すれば、不思議な数字とは言えないでしょう。残る選択肢である「21世紀は一方的温暖化」を選んだ人は10人中1人だけだったということです。別の設問で「最近の温暖化傾向は人為起源」であるかどうかを問うアンケートもなされたはずですが、こちらの結果は宝島新書には載っていないようです。

ここまで読まれた方は、このアンケート結果が、科学者コミュニティの「世論調査」として信用できるような数字でないことはご理解いただけると思います。そもそも宝島新書にはアンケートの設問や実施方法についての説明がきちんと書かれていないので、それだけで、まともな世論調査かどうかを疑われたとしてもしかたないでしょう。

しかし、このアンケートにはもっと重大な、別の問題があります。

挙手アンケートをおこなおうとしたときに、アンケート結果がどのように利用されるのかを問題視するような質問が会場から出されました。客観的な世論調査とは言えないはずなのに、まるでJPGU関連の科学者全体を代表するような数字として公表されたりしたら良くない、という趣旨だと私は理解しました(丸山先生の理解は違うようですが)。この質問に答える際に、丸山先生が「結果は公表しない」と断言されたことを私は記憶しています。でも、実際には、このアンケート結果とおぼしき数字が宝島新書には載っています。これはいったいどういうことなのでしょうか? ご自身の言葉に反してまでも公表することを正当化できるような理由が何かあるのか、とても疑問です。ましてやこの数字(「寒冷化」「わからない」を合わせた9割)が出版社の商業主義にむりやり利用されてしまっているわけですので・・・。

この本の、アンケート以外の内容にもコメントしたいことがありますが、それはまた後日ということで。

吉村じゅん


【追記 2008年9月2日18時】
アンケートが、セッション各日の「冒頭」でおこなわれたと書きましたが、セッション終了時点でも同じアンケートが繰り返されたかもしれません(このへん記憶はちょっとあやふや)。ところで、丸山先生が書かれたアンケート結果というのは、いつの時点のものなのでしょう?

上記の文章を書いた後で、宝島新書の終章184ページに下のような記述があることに気がつきました。
「そこで地球惑星連合大会でも同様のアンケートを試みたのだが、その時にアンケートに反対した参加者がいた。このエピソードは冒頭に述べたが、私はアンケートを公表しないと約束した。しかし、徐々に科学者共同体の存立基盤の意味を理解するようになり、怒りがこみ上げてきた。私はアンケートの結果を公表しないどころか、本のタイトルにした。個人的な信用を捨てた。一番悪いのは科学者なのだ。」

丸山先生が、どうして気候科学者が真面目に地球温暖化の問題に取り組んでいることをきちんと評価してくださらないのか、どうしてこれほどお怒りになっているのか、理解できないのですが、とにかく、個人としての信用を犠牲にしてでもアンケート結果を公表する必要があるという考えのようです。

念のために補足しますが、私は丸山先生が素晴らしい研究実績をお持ちであることは知っていますし、科学者としての能力や誠実さに疑問を持っているわけでもありません。JPGU大会で議論した際には、人間的にもとても魅力ある方だと感じました。ただ、あまり吟味したり検証したりしないで物事を強く主張されているように見受けられるので、上のような指摘をしておく必要があると考えているだけです。
(吉村じゅん)

【訂正 2008年9月19日19時】
日本気象学会の開催地名を間違えていました。本文修正済み。(吉村じゅん)

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