気候変動・千夜一話

地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者たちの日記です。

2008年10月

めざせ! イグ・ノーベル賞

「めざせ イグ・ノーベル賞 傾向と対策」と題した本(久我羅内 著)が発売されたそうです。私はまだ入手していませんが、asahi.comの書評を読みました。本家のノーベル賞では、今年は日本人がまとめて4人(日本国籍は3人)も受賞が決まったということで話題になっていますが、イグ・ノーベル賞の方も日本人が受賞したそうなので、「アベック受賞(笑)」になりますね! どちらも客観的な授与基準があるわけではなく、狙って取れるようなものではないとも言われていますが、一人の日本人として、どちらの受賞もうれしいニュースだと思ったので紹介しておきます。

ちなみに、イグ・ノーベル賞の「認知科学賞」(中垣俊之 北海道大学准教授ら6人)の対象となったのは、単細胞生物である粘菌に迷路の最短ルートを見つける能力があるという驚くべき発見でした。何カ月か前、NHK教育テレビ「サイエンスゼロ」でその映像を見たのですが、にゅるにゅるとした黄色い粘菌が、迷路の入口と出口に置いたエサ(砂糖?)に向かって体を伸ばし、エサ場を見つけたら、エサに関係ない場所から体を縮めはじめるので、結果として「迷路を解いた」ことになるわけです。行き止まりのルートから体を引っ込めるのはまあ当然と思えますが、エサ場を結ぶのに長いルートと短いルートとがある場合にも一定時間後には長い方のルートから撤退を始めるということなので、「なかなかの賢者」と呼んでもおおげさではありませんよね。

では、また。

吉村じゅん

「1970年代には地球が寒冷化するという科学者の意見の一致があった」という伝説

アメリカ気象学会機関誌に次の評論が出ました。

Thomas C. Peterson, William M. Connolley and John Fleck, 2008: The myth of the 1970s global cooling scientific consensus. Bulletin of the American Meteorological Society, 89, 1325-1337.

英語のPDFファイルでこのリンク先から無料公開されています。

これを日本語訳しました。原文の著作権者であるアメリカ気象学会の了解をもらってから一般公開しようと考えています。

要旨の日本語訳は次のとおりです。

1970年代には、「地球がすぐにも氷河期に向かう」という科学者の意見の一致はなかった。当時でさえ、査読を経た文献のうちでは、人間活動由来の温暖化の可能性の指摘のほうが多数をしめていた。

また、内容の主要な部分は、1965年から1979年までに出版された専門的科学文献で、約百年以内の温暖化あるいは寒冷化の見通しを述べたものを数えると、温暖化のほうが多い、ということです。また、一般向けの出版物については、数えたわけではありませんが、寒冷化を警告するようなものもあるにはあったが、むしろ温暖化・寒冷化の両方を同程度に心配するものが多かった、ということを述べています。

masudako

自然エネルギー資源、まず太陽光

化石燃料が有限であることは明らかですが、さらに温暖化が強まるのを防ぎたいという動機もあるので、人間社会が使うエネルギー資源を、使える化石燃料がなくなるのを待たずに、いわゆる自然エネルギー(再生可能エネルギー)に変えていく必要があると思います。

自然エネルギーは、地熱と潮汐を例外として、いずれも、太陽から来て宇宙空間に出ていくエネルギーの流れの利用です。そして、太陽光直接利用、風力、水力(ただし大規模ダムを作らない場合を想定)、バイオマス燃料のいずれをとっても、化石燃料や原子力と比べると低密度で分散したエネルギー資源であり、また、時間的にも(人間が制御できない要因で)変動するという特徴があります。人類は、自然エネルギーの時空間分布をもっとよく知ることが必要です。(太陽光や風の時空間分布を知ることは気象学者の仕事ですから、この発言は気象学者の我田引水とも言えますが、ここでは本気で、職業的気象学者だけでなくもっと多くの人が応用的な気象知識を持ってほしいと思っているのです。)

わたしは資源としての自然エネルギーの評価を(まだ)仕事にしておりませんが、上に述べた自然エネルギーの基本的特徴から大筋で言えることはいくつかあります。

まず、現在のエネルギー資源の使いかたを変えないで、化石燃料の役割を自然エネルギーに肩代わりさせるのは無理だろう、と思います。(そういう議論の例として、オーストラリアのTrainerという人の本を別のところ[2011-03-31リンク先変更]で紹介しました。) したがって、ひとつには(日本のような工業先進国では)エネルギー資源消費の総量を減らす努力が必要です。もうひとつには、化石燃料や原子力と違って設備を大規模にするほど効率がよいということはなく、かといって小規模ほどよいということも必ずしもなく、設備の種類ごとに適正規模があるはずです。第3に、エネルギー資源の需要が生じる時と場所を供給に合わせることができるならばなるべくそうするべきです。第4に、時を供給に合わせられない需要をまかなうために、エネルギーをたくわえる技術をもっと発達させなければなりません。(同時刻に違う場所の需要供給を組み合わせてつりあわせることは、ときには可能かもしれませんが多くの場合むずかしいです。別の機会に議論したいと思います。)

吉村さんが前の記事で論じておられるので、まず太陽光の直接利用について述べます。
これには、大きく分けて
* 太陽電池 ... 光電効果で光を電気に変える
* 太陽熱発電 ... 太陽光で高温を作り、熱機関を動かす
* 電気に変えない太陽熱の利用(温水器、天日乾燥など)
があります。(ほかに光化学反応の利用もあると思いますが。)

Trainerさんの本で気づいたのですが、太陽熱発電では、適切な技術を使うと、昼から夜に高温の熱をたくわえることができ、昼夜にわたる需要にこたえられるという長所があります。ただし季節間で有用なエネルギーをたくわえることはできないでしょう。

他方、太陽電池はふつう単独で使われますが、太陽熱発電の場合と同様に集光して貴重な光電素子の面積を有効に使い、余った熱は発電はむずかしいとしても熱として使うのがよさそうです。これはいろいろな発電について言われている「コジェネレーション」にほかなりませんが、太陽電池についても考えられることは、「東京自由大学」というNPOの講演会で海野和三郎先生(天文学者、もと東京大学教授)のお話を聞いて気づきました。海野先生ご自身のアイディアは[www . easy-db . net/unno/ というサイト (ただし掲示板は荒らされているようなのでそこからのリンク先に行かないようご注意ください。こここからのリンクはとりやめました)]にある英語日本語併記のページにあり、太陽電池で余った熱でさらに熱発電しようということのようです。熱エネルギーの貯蔵についても、水による、ただし溶解物(たとえば塩)で下のほうを重くして対流が起きにくくする、という提案をしています。たぶん世界初の新発明ではないと思いますが、さすが対流の専門家の発想だと思いました。

太陽光利用に関しては、まずどのくらいの規模の設備をつくるのが最適かを考えることが大事だと思います。わたしは一軒家(10m)くらいだと思うのですが、これは直感にすぎません。工学的に検討していただけるとありがたいです。

masudako

「太陽ウオーズ」

今日(10月6日)の朝日新聞朝刊の一面トップは「太陽ウオーズ」と題した企画記事でした。太陽エネルギー利用をめぐる競争をテーマにした連載の第1回です。広大な月面に広がるSF的な大規模集光施設の想像図みたいなのが大きく載っていますが、これはスペイン南部に実在する10000キロワットの集光型太陽熱発電所の写真だそうです。先日のコメント欄にkawaさんが書かれたご意見を裏付けるかのような企画ですね。

「改めて太陽のエネルギーの強大さを思い知りました。このエネルギーを最大限活用する様々な技術の開発が、人類の将来を決める最も重要な課題のような気がしてきました。」

今朝の朝日新聞を買おうと思ったのは、中に折り込まれた「朝日新聞 GLOBE」で、急速に温暖化する北極海での航路や資源をめぐる沿岸各国のパワーゲームを取り上げた記事がおもしろそうだったからなのですが、社説も地球温暖化と総選挙について論じたものですし、環境関連記事が満載です。

太陽光発電をはじめとする自然エネルギー政策については、ウェブサイト「日経 Ecolomy」で飯田哲也さんが連載されているコラムでの鋭い分析がとても勉強になりますので、リンクを張っておきます。太陽光発電に関しては、日本企業が技術的にも量的にも世界をリードし続けてきたわけですが、国内市場は停滞していますし、これから迎える「太陽光戦国時代」においては苦労することになるのでしょうか?

いずれにしろ、原子力を含む20世紀型のエネルギー源に比べて、自然エネルギーが環境面のみならずコスト面でも有利にたつまで、いまや秒読み態勢になりつつあると言っても過言ではないのでしょう。

吉村じゅん

地球温暖化への懐疑論に関する考察

おととし、吉村さんを含むかたがたと、地球温暖化に関するいわゆる懐疑論(温暖化否定論を含む)に関する議論をしていたところ、日本科学者会議という団体から、その発行する「日本の科学者」という雑誌の2006年9月号に執筆を頼まれました。そこに出版された文章とほぼ同じものを[このリンク先] (わたしが非常勤講師をしていた大学のサイト)[2011-03-31リンク先を個人サイトに移動]に置きましたので、関心のあるかたはごらんください。(2006年に書かれたものであることにご注意ください。)

masudako

地球温暖化を過不足なく理解する

去年(2007年)、岩波書店の「世界」という雑誌から依頼を受けて、「地球温暖化を過不足なく理解する」という文章を書きました。「世界」編集部のかたによれば、文章の著作権は著者にあり、雑誌を売りたいので次号が出るまでは遠慮してほしいが、それ以後ならばウェブ上に置いてかまわないということでした。わたしとしては、この内容を雑誌を買ったかた以外にも読んでいただきたいという思いと、できればウェブにはウェブ向きの文章を書きたいという思いの間で迷いがあって、まず英語訳(文法チェックが不じゅうぶんかもしれません)、次に日本語ローマ字版を置いてみたのですが、なかなかウェブ向きの書きなおしができませんので、このたびほぼ原文のままの漢字かなまじりの日本語版も[このリンク先]に置くことにしました。ただしこれは職場のサイトの一部で、たぶん来年4月には職場の改組のために変わると思います。その後の置き場はあらためてお知らせします。[このリンク先]に置いています[2011-03-14改訂]。なお、この文章では、ページ数の制限のため、参考文献をあげませんでした。それはおいおい補足したいと思います。
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