マイケル・トービス (Michael Tobis)さんの個人blog Only In It For The Gold から、2008年12月14日(日) 午後3時16分の投稿lnflectionをわたしが日本語に訳したものです。わたし自身がなんとなく考えていたのに近いことをもっと明確に表現されていたので紹介したくなりました。
著者もわたしも気候研究者ですが、この内容は気候の科学に関する専門的議論ではなく、社会に関するコメントです。
しかし、数理モデルを作ったり使ったりしている科学者のうちには賛同する人が多いのではないか、とも思います。
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変曲点 (Inflection)
持続可能でないものごとは結局は止まる。われわれの生活様式全体が持続不可能であるとすれば、次の問いは「いつ」止まるかだ。この惑星に対する人間のインパクトの指数関数型成長は結局は終わるだろう。そして曲線は何か他の形をとるだろう。成長曲線はいつこわれるだろうか?
【[数学指向の人たちのためのささやかな説明]
指数関数型のものが成長するのをやめるとき、曲線がどんな形をとることになるか、われわれは知らない。しかしそれはとにかく指数関数型成長以外の形をとるはずだ。変曲点を過ぎると、地球に対する人間のインパクトの長期平均値は、必ず安定化するかあるいは低下しければならない。ただしそれに重なってさまざまなゆらぎや振動がありうる。成長が継続すると、ある時点で、人間のインパクトが長期持続可能な平均値に達するか、あるいはそれを越える。そこで必ず、継続した成長以外の何かが起きる。われわれはそのとき何が起こるのかを判断しなければならない。もしかするとすでにその時点に達しているのかもしれない。実はわたしはそう思っている。】
さて、いつなのか? もっと具体的に言うと、それは今なのか?
今起きている経済の事件はすでにじゅうぶん大きいので、次の世代の歴史家の目にいちじるしいできごととして現われる可能性が高いとわたしは思う。それは、人間のインパクトの曲線に重なった単なる大きな乱れというよりも、その曲線に生じた最初の主要な中断のように見えるだろう。もしそうならば、もし重大な変曲点が今であるならば、この変曲点を不景気と混同することは深刻なまちがいだ。不景気ならば、われわれはたぶん過去にしていたことをしつづければよい。それでなんとかそれから抜け出すことができるだろう。けれどももしこれが変曲点ならば、将来何が起きるかは、われわれがそれをどれだけよく認識して行動するかによって変わる。温室効果気体によるものだけでなく全体としての人間のインパクトが、すでにピークに達したか、あるいはまもなく達する、という事実を受け入れることが必要だ。
じゅうぶん巧妙な計略を使えば、「お金」を「インパクト」から切り離すことは不可能ではない。わたしが言いたいことは、持続可能性を高める人々に利益があり、それをそこねている人たちがお金を払うように、われわれの社会の動機づけシステムを変えるということだ。
確かに、その方向に向かう身ぶりは見られる。しかし世の中のシステム全体としては、動機づけはほとんどみな持続可能性にさからっている。逆向きの動機づけには歴史的理由がたっぷりある。それをひっくりかえすことは、非常にややこしい問題だ。
持続可能性がむくわれるようにすることが、われわれの社会の混乱を最小にする道だ。人はたやすく変わらない。そして時間は短い。もし急ぐのでなかったら、まず、文化を、お金関係の動機づけによって駆動されることが少ないものに変えるという考えがよさそうだ。しかし時間の制約がきびしい条件のもとではその考えはうまく働かないだろう。最も有望な抜け道は、動機づけに細工して、人々がよりよい行動をとれば報酬を与えられ、さもなければ罰せられるようにすることだと、わたしは思う。
これはたやすいことではない。しかしわたしが見る限り、ほかの選択肢はもっときびしい。
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(紹介・訳) masudako
著者もわたしも気候研究者ですが、この内容は気候の科学に関する専門的議論ではなく、社会に関するコメントです。
しかし、数理モデルを作ったり使ったりしている科学者のうちには賛同する人が多いのではないか、とも思います。
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変曲点 (Inflection)
持続可能でないものごとは結局は止まる。われわれの生活様式全体が持続不可能であるとすれば、次の問いは「いつ」止まるかだ。この惑星に対する人間のインパクトの指数関数型成長は結局は終わるだろう。そして曲線は何か他の形をとるだろう。成長曲線はいつこわれるだろうか?
【[数学指向の人たちのためのささやかな説明]
指数関数型のものが成長するのをやめるとき、曲線がどんな形をとることになるか、われわれは知らない。しかしそれはとにかく指数関数型成長以外の形をとるはずだ。変曲点を過ぎると、地球に対する人間のインパクトの長期平均値は、必ず安定化するかあるいは低下しければならない。ただしそれに重なってさまざまなゆらぎや振動がありうる。成長が継続すると、ある時点で、人間のインパクトが長期持続可能な平均値に達するか、あるいはそれを越える。そこで必ず、継続した成長以外の何かが起きる。われわれはそのとき何が起こるのかを判断しなければならない。もしかするとすでにその時点に達しているのかもしれない。実はわたしはそう思っている。】
さて、いつなのか? もっと具体的に言うと、それは今なのか?
今起きている経済の事件はすでにじゅうぶん大きいので、次の世代の歴史家の目にいちじるしいできごととして現われる可能性が高いとわたしは思う。それは、人間のインパクトの曲線に重なった単なる大きな乱れというよりも、その曲線に生じた最初の主要な中断のように見えるだろう。もしそうならば、もし重大な変曲点が今であるならば、この変曲点を不景気と混同することは深刻なまちがいだ。不景気ならば、われわれはたぶん過去にしていたことをしつづければよい。それでなんとかそれから抜け出すことができるだろう。けれどももしこれが変曲点ならば、将来何が起きるかは、われわれがそれをどれだけよく認識して行動するかによって変わる。温室効果気体によるものだけでなく全体としての人間のインパクトが、すでにピークに達したか、あるいはまもなく達する、という事実を受け入れることが必要だ。
じゅうぶん巧妙な計略を使えば、「お金」を「インパクト」から切り離すことは不可能ではない。わたしが言いたいことは、持続可能性を高める人々に利益があり、それをそこねている人たちがお金を払うように、われわれの社会の動機づけシステムを変えるということだ。
確かに、その方向に向かう身ぶりは見られる。しかし世の中のシステム全体としては、動機づけはほとんどみな持続可能性にさからっている。逆向きの動機づけには歴史的理由がたっぷりある。それをひっくりかえすことは、非常にややこしい問題だ。
持続可能性がむくわれるようにすることが、われわれの社会の混乱を最小にする道だ。人はたやすく変わらない。そして時間は短い。もし急ぐのでなかったら、まず、文化を、お金関係の動機づけによって駆動されることが少ないものに変えるという考えがよさそうだ。しかし時間の制約がきびしい条件のもとではその考えはうまく働かないだろう。最も有望な抜け道は、動機づけに細工して、人々がよりよい行動をとれば報酬を与えられ、さもなければ罰せられるようにすることだと、わたしは思う。
これはたやすいことではない。しかしわたしが見る限り、ほかの選択肢はもっときびしい。
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(紹介・訳) masudako