気候変動・千夜一話

地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者たちの日記です。

2009年05月

近未来気候変化予測の意義に関する議論

4月8日の吉村さんの「自然現象としての温暖化と寒冷化」の記事にコメントしようか迷っているうちに日数がたってしまったので、別の記事の形にします。

吉村さんの記事の中で、近未来気候変化予測が話題になっています。この場合の予測というのは、単にCO2やエーロゾルなどの強制作用のシナリオを与えるだけではなくて、気候(とくに海洋)の状態の初期条件も現実的なものを与えて予測計算しようというものです。ただし、年々変動の位相(どの年に太平洋のどの部分が高温になるかなど)は合わないことが予想されますので、予測のおもな対象は、十年スケールで集計した平均的な変化に加えて変動の頻度分布のようなものになるだろうと思います。

これに対して、純粋学問的意義はともかく、社会の意思決定のためにそのような予測に人の時間や計算機資源を投入するだけの価値があるだろうか、という疑問をもつ人もいるようです。わたしが気づいたきっかけは、やはり雑誌Nature関係のブログの記事Are better predictions needed for adaptation?でしたが、そこで話題になっていたのはアメリカ地球物理学連合(AGU)という学会での議論Predictions and Climate Changeでした。

そこに議論のたねとしてあげられた意見文のひとつDessaiほか「Do we need beter predictions to adapt to a changing climate?」はAGUの機関紙「EOS」90巻13号111-112ページ(2009年3月31日)の記事でここにPDFファイルがありますが会員番号をチェックするようになっています。著者には、イギリスのEast Anglia大学のHulme教授(長期の降水量のデータ解析で知られた気候学者で、気候の影響の研究センターをひきいてきた)が含まれています。ひとまず、要旨にあたる最初の段落を仮に日本語に訳したものを次につけます。

気候変化に適応するにはもっとよい予測が必要か?

多くの科学者が、気候予測の正確さ・精度・信頼性をますために、気候モデリングに対してのまとまった新しい投資を要求している。このような投資を正当化する理屈として、予測を改善することに失敗すれば社会が気候変化にうまく適応できないだろう、と断言されることがよくある。この討論では、そのような主張に疑問をはさむ。そして、予測可能性に限界があることを示唆し、社会は正確で精密な気候予測がなくても適応に関する有効な意思決定ができる(実際そうしなくてはならない)と論じる。

いま約束することはむずかしいですが、できればこの議論をもう少し詳しく紹介したうえで、わたしの意見を述べたいと思います。

masudako

日本の温暖化対策中期目標へのわたしの意見(masudako)

ブログ「京都議定書の次のステップは何だろう」http://sgw1.exblog.jp/ の togura04 さんのお勧めにしたがい、日本政府の内閣府による温暖化対策の中期目標(中期とは2020年までだそうです)に対するわたしのコメントを送りました。これはわたしの職務上の発言ではなく、国民である個人としてのものです。

=========== ここから ==========
1.中期目標の選択肢について

最低でも1990 年比−25%であり、1990 年比−30%以上とすべき

その理由

人類は、気候問題と同時に、化石燃料をはじめとする地下資源の限界、食料を含む生物生産能力の限界、水資源の限界に対処する必要があります。石油・ガスの埋蔵量と世界の需要増加を考えると、日本の二酸化炭素排出量は、石炭やタールサンドなど固体化石燃料の産出を意図的にふやさない限り、大幅に減らざるをえないと思います。しかし、固体化石燃料もいずれ枯渇するので、政策的投資をそこに向けるのは愚かでしょう。化石燃料の利用を減らすことを必然的条件として受け入れ、そのもとで人々の実感的豊かさを保ちさらに向上させるような政策をとるべきだと思います。持続的に得られる自然エネルギー資源は、化石燃料に比べて、空間的密度を高くすることが困難であり、また時間的に変動が大きいという特徴があるので、これに適応するために技術開発とともに社会の生産・流通・消費のしくみを適正規模分散型に変えていく必要があります。また、これまで政策決定にあたって国民総生産の増加があまりに重視されてきました。今後はむしろ、生産額ではなく生産額あたりの実感的豊かさを増加させることをめざすべきだと思います。(アダム・スミス以後の経済学はジェームズ・ワット以後の経済学ですから、化石燃料がいつでもあることを前提としない世界の経済学は新たに作らなければなりません。)

2.中期目標の実現に向けて、どのような政策を実施すべきか

石油、石炭、天然ガス、ウランを含む地下資源に依存するエネルギー資源の利用について、資源枯渇(将来の人々が利用できなくなること)、鉱山などでの環境変化、消費に伴う大気・水などの汚染、廃物処理と将来にわたる管理または無害化、それに加えて温暖化に伴う社会の損失(比較的確かな部分だけでよい)の社会的費用を、最終的には利用者が負担することを社会的原則にするべきです。また、自動車などの乗り物の利用に関しては、道路の維持管理の費用、交通事故やその対策の費用のうち直接の損害賠償対象になっていないもの(警察による事故防止活動の費用など)も含めるべきでしょう。費用を払う方式として、税がよいか、使用量わくを割り当てて売買する方式がよいかは、目標が定まってからの(社会)技術的問題です。税あるいは使用量わくの初期販売による公共部門の収入は、次に述べるような産業改革政策や技術開発にあてるべきだと思います。なお、収入を持たない人や貧しい人を苦しめないように、生活に必要なエネルギー資源の利用に関しては控除や補助の制度を組みこむ必要があると思います。

天然林、海の魚などの自然生態系の資源や、農地の土壌など人為が加わっているが人がすべてコントロールしているわけではない天然資源の枯渇・劣化についても、利用者が費用を負担するしくみを作っていく必要があると思います。

自然エネルギー資源として、太陽光、風力、水力、バイオマス燃料などがありますが、いずれも、空間的密度を高くすることが困難であり、また、時間的に常に同じだけ得られるものではありません。(大型ダムは生態系への影響や堆砂の問題があり、今後の増設はあまり考えないほうがよいと思います。) したがって、エネルギー資源の供給と需要の場所をお互いに近づけるように産業立地をあらためていくとともに、適正規模(家族規模から村落あるいは町内会程度の規模と思います)のエネルギーをその場で貯留する技術や、エネルギーの供給に合わせて少量ずつものを生産する技術の開発と津津浦浦への普及を政策の重点にしていく必要があると思います。
(気象・水文学者としての手前みそになってしまいますが、自然エネルギーを各地域で有効利用するためには、専門家だけでなく各地域の人々がそれぞれに、太陽光、風、流水などの資源について、とくに自分の地域での空間分布や時間的変動の特徴を含めた知識をもつことが重要になると思います。)

現在のとくに工業生産に関する政策は総生産額の増加をよいとするものであり、またマスメディアの多くが商業広告をおもな収入源としているので全体として消費者により多くの消費をうながすものになっています。今後の産業政策は、総生産額ではなく使用価値をめざすものであるべきです。次々に新しい製品を作って古い製品を陳腐化させるのではなく、また耐用年数の短い製品を作るのでもなく、長期にわたって使い続けることのできる製品を作ることを促進するべきだと思います。また、共有・レンタル・古物売買などによって、多くの人の需要を少ない数の製品でまかなうべきでしょう。産業政策、文化・情報政策の両面のくふうが必要だと思います。

3.その他、2020 年頃に向けた我が国の地球温暖化対策に関する意見

地球温暖化対策は排出量削減だけではありません。理想的な排出量削減ができて[も[提出では抜けていた]]、いくらかの温暖化を含む気候変化は避けられず、それへの適応策も必要です。ただし、気候変化の見通しには不確かさがあり、その幅を考慮して適応策を考える必要があります。そのことは自然の気候変動に対する適応の幅を広げることにもなります。

とくに農業などの第1次産業について、温暖化と自然変動の両方を考慮したうえで、エネルギー資源の投入が少なくてすみ、また外国で日本よりも大きな生産減が起きたときにも食料不足に陥らないですむような、作物やその品種の選択を進めていく必要があると思います。

また自然の動植物の保護に関しても、温暖化の見通しを不確かさを含めて考慮したうえで、その場で保護するのか、移動させるのかをよく考えて実行していく必要があると思います。

(メール提出にあたり、気候ネットワーク様の用意されたフォームを使わせていただきました。ただし、わたしは、気候ネットワークのメンバーではなく、その主張のうち上記「中期目標の選択肢」として「7」を提唱した部分には賛同しておりますが、他の点では独立に考えた意見を申しましたことをおことわりいたします。)
========== ここまで ==========

masudako
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