4月8日の吉村さんの「自然現象としての温暖化と寒冷化」の記事にコメントしようか迷っているうちに日数がたってしまったので、別の記事の形にします。
吉村さんの記事の中で、近未来気候変化予測が話題になっています。この場合の予測というのは、単にCO2やエーロゾルなどの強制作用のシナリオを与えるだけではなくて、気候(とくに海洋)の状態の初期条件も現実的なものを与えて予測計算しようというものです。ただし、年々変動の位相(どの年に太平洋のどの部分が高温になるかなど)は合わないことが予想されますので、予測のおもな対象は、十年スケールで集計した平均的な変化に加えて変動の頻度分布のようなものになるだろうと思います。
これに対して、純粋学問的意義はともかく、社会の意思決定のためにそのような予測に人の時間や計算機資源を投入するだけの価値があるだろうか、という疑問をもつ人もいるようです。わたしが気づいたきっかけは、やはり雑誌Nature関係のブログの記事Are better predictions needed for adaptation?でしたが、そこで話題になっていたのはアメリカ地球物理学連合(AGU)という学会での議論Predictions and Climate Changeでした。
そこに議論のたねとしてあげられた意見文のひとつDessaiほか「Do we need beter predictions to adapt to a changing climate?」はAGUの機関紙「EOS」90巻13号111-112ページ(2009年3月31日)の記事でここにPDFファイルがありますが会員番号をチェックするようになっています。著者には、イギリスのEast Anglia大学のHulme教授(長期の降水量のデータ解析で知られた気候学者で、気候の影響の研究センターをひきいてきた)が含まれています。ひとまず、要旨にあたる最初の段落を仮に日本語に訳したものを次につけます。
気候変化に適応するにはもっとよい予測が必要か?
多くの科学者が、気候予測の正確さ・精度・信頼性をますために、気候モデリングに対してのまとまった新しい投資を要求している。このような投資を正当化する理屈として、予測を改善することに失敗すれば社会が気候変化にうまく適応できないだろう、と断言されることがよくある。この討論では、そのような主張に疑問をはさむ。そして、予測可能性に限界があることを示唆し、社会は正確で精密な気候予測がなくても適応に関する有効な意思決定ができる(実際そうしなくてはならない)と論じる。
いま約束することはむずかしいですが、できればこの議論をもう少し詳しく紹介したうえで、わたしの意見を述べたいと思います。
masudako
吉村さんの記事の中で、近未来気候変化予測が話題になっています。この場合の予測というのは、単にCO2やエーロゾルなどの強制作用のシナリオを与えるだけではなくて、気候(とくに海洋)の状態の初期条件も現実的なものを与えて予測計算しようというものです。ただし、年々変動の位相(どの年に太平洋のどの部分が高温になるかなど)は合わないことが予想されますので、予測のおもな対象は、十年スケールで集計した平均的な変化に加えて変動の頻度分布のようなものになるだろうと思います。
これに対して、純粋学問的意義はともかく、社会の意思決定のためにそのような予測に人の時間や計算機資源を投入するだけの価値があるだろうか、という疑問をもつ人もいるようです。わたしが気づいたきっかけは、やはり雑誌Nature関係のブログの記事Are better predictions needed for adaptation?でしたが、そこで話題になっていたのはアメリカ地球物理学連合(AGU)という学会での議論Predictions and Climate Changeでした。
そこに議論のたねとしてあげられた意見文のひとつDessaiほか「Do we need beter predictions to adapt to a changing climate?」はAGUの機関紙「EOS」90巻13号111-112ページ(2009年3月31日)の記事でここにPDFファイルがありますが会員番号をチェックするようになっています。著者には、イギリスのEast Anglia大学のHulme教授(長期の降水量のデータ解析で知られた気候学者で、気候の影響の研究センターをひきいてきた)が含まれています。ひとまず、要旨にあたる最初の段落を仮に日本語に訳したものを次につけます。
気候変化に適応するにはもっとよい予測が必要か?
多くの科学者が、気候予測の正確さ・精度・信頼性をますために、気候モデリングに対してのまとまった新しい投資を要求している。このような投資を正当化する理屈として、予測を改善することに失敗すれば社会が気候変化にうまく適応できないだろう、と断言されることがよくある。この討論では、そのような主張に疑問をはさむ。そして、予測可能性に限界があることを示唆し、社会は正確で精密な気候予測がなくても適応に関する有効な意思決定ができる(実際そうしなくてはならない)と論じる。
いま約束することはむずかしいですが、できればこの議論をもう少し詳しく紹介したうえで、わたしの意見を述べたいと思います。
masudako