気候変動・千夜一話

地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者たちの日記です。

2010年02月

読売新聞社説「地球温暖化 不信を広げる研究者の姿勢」について

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読売新聞の2月25日朝刊に「地球温暖化 不信を広げる研究者の姿勢」という社説が出ました。

最後の文
>地球規模の気候変動を正確に把握し予測することは、もともと容易でない。研究者には、冷静な議論が求められる。
は、もっともです。

この研究者として大賛成の結論をもつ文章に対して、研究者として認めがたい表題をつけられてしまいました。新聞の報道記事を書く人と見出しをつける人はふつう別だと聞いていますが、社説の場合もそうなのでしょうか。

研究者としては、不信を減らすために、釈明しなければならないと思います。とりあえず、とても気になるところについて、個人として発言します。

まず、クライメートゲート(Climategate)というあだ名がついてしまった、イギリスのイーストアングリア大学の事件です。
>ことの発端は「ウォーターゲート」事件になぞらえた「クライメート(気候)ゲート」事件だ。
どう「なぞらえた」のでしょう? (これは単なる疑問、わたしがなぞらえるとこうなるのですが。)

>昨年11月、この研究者が在籍する大学から大量の電子メールなどが漏洩(ろうえい)し、データをごまかす相談個所が見つかった。温暖化を裏付けるのに都合の悪いデータを隠蔽(いんぺい)したと疑わせる文言もあった。
「...と疑わせる文言もあった」は、実際疑った人がいたわけですから、事実とされてもよいと思いますが、前の文も同様に「データをごまかす相談と疑わせる箇所」というべきです。

>英議会もデータ隠蔽などの調査に乗り出した。
これもデータ隠蔽などの疑いの調査です。(「情報公開法違反の疑い」という表現のほうがよかったと思いますが。)

つぎにIPCCの件になりますが、
>その騒ぎの最中、地球温暖化対策の基礎となるこの報告書に、科学的根拠の怪しい記述や間違いが指摘された。「ヒマラヤの氷河は2035年までに解けてなくなる可能性が非常に高い」との記述はその例で、根拠がなかった。
>IPCCも公式に誤りを認めている。
この件はわたしは別のブログの記事(1)(2)に書きましたので、そちらをごらんください。

>日本人研究者も関与した記述とされるが、詳しい経緯は明らかにされていない。
確かに、問題のIPCC第4次報告書の第2部会のアジアの章の編著者や執筆者には日本人研究者が含まれています。おそらく追って事情の説明はなさると思います。どうか、回答要求を急ぎすぎないように、また責任追及はお手やわらかにお願いします。IPCCの仕事はいわゆる手弁当なのです。それぞれの所属機関が職員のIPCCへの貢献を公用と認めることが多いですが、個人としても本来の業務に加えてIPCCの業務を引き受けています。まちがいを減らすのに重要なのは、まず、忙しい人をますます忙しくしないことだと思います。

>さらに、IPCC幹部が、温暖化対策で利益を得る企業から多額の資金提供を受けていた疑惑も報じられている。
詳しいことはわかりませんが、パチャウリ議長のことだとすれば、彼はインドのTERI (エネルギー・資源研究所)という非政府・非営利の研究機関から給料をもらい、TERIの仕事とIPCCの仕事を兼任しています。(IPCCからは給料をもらっていないそうです。議長職もボランティアなのです。) 問題になっているのは、議長個人ではなくてTERIへの欧米(日本もあるかもしれません)の企業からの資金提供です。

(なお、TERIは昔は「タタエネルギー研究所」でしたが、今はタタ財閥とは関係ないそうです。略称TERIは変えていませんが、今の名前のTは英語の定冠詞Theです。)

(きょうの記事はすべてわたし個人の見解ですが、とくにここから先は不確かです。今後考えが変わるかもしれません。) 議長およびTERIの倫理観からは、非営利の研究組織が使うのだからやましいところはないようです。他方、欧米の倫理観からすると、国連のIPCCが「公」であるのに対してTERIは「私」であって、TERIがIPCC議長の役得を得るのは許せないのでしょう。このあたりの判断は文化圏によって違う可能性があります。日本人としては、欧米の判断をうのみにするのではなく、事情をよく知ったうえで、日本人の立場から世界を見すえた倫理観を持って、判断をくだしていくべきだと思います。

>国内でも、CO2による温暖化説を疑問視する研究者が、東京大学の刊行物で自説を誹謗(ひぼう)中傷されたとして、東大を東京地裁に訴える事態が生じている。
ここで確かなのは、原告が誹謗中傷だと言っている、ということです。(誹謗中傷の対象は「説」ではなくて人だと思いますが。) 判決は出ていませんし、読売新聞が誹謗中傷を事実と認定しているわけではないと思います。

[2010-02-27 補足: 昨日は署名を忘れましたが、これは climate_writers のひとりである masudako の個人的見解です。]

masudako

いわゆるClimategate事件、渡辺(2010)への反論(3)

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==「情報の秘匿・破棄」==
ジョーンズたちが情報公開法に基づく開示請求に応じるのをしぶっていたことは事実と言ってよさそうです。これについては、情報公開法関係の役所が、違反はあったが時効なので訴追しないと判断したという報道がありました。[2010-02-26補足: ただし大学がまとめた文書によれば、役所は違反と断定してはいないそうです。] 大学が依頼した評価委員会の報告がこれからなので、詳しい議論はそれを待ちたいと思います。

ただし、マッキンタイアたちの情報公開請求があまりにしつこく、それにいちいち応じていたのでは研究の時間がなくなる、という判断も、もっともだったと思われます。

CRUは、NCDCのようなデータセンターではなく、その材料としたデータについては、利用者に提供することも、長期にわたって保存することも、義務ではありません。したがってその業務を担当する人員・予算もついていないのです。「NCDCにあるものはNCDCからもらってほしい」という回答は正当だったはずです。

また、NCDCにはないものの多くは、提供元から再配布不可の条件がついています。気候データは公共財であることが望ましいとわたしは思いますが、現実にはすべてがそうではないのです。

== 「懐疑派の排除工作」==
わたしは原則として暴露されたメールは見ないようにしていますが、マンの2003年3月11日のメールは見ました。「編集長フォン・シュトルヒを排除すべし」とは言っていません。("without von Storch on their side" という語句はあるのですが、その意味は「もしフォン・シュトルヒが懐疑派ではないとすれば」だと思います。) ただし、ほかの科学者がそういう発言をしたメールはあったらしいです。だから、人名・日付のとりちがえにすぎないのかもしれません。しかし渡辺さんは、あとのIPCCに関する話題の中で「1か所でも傷のある本や文書は全体が疑われる」と、とてもきびしいことを言っています。そして渡辺(2010)の文書に傷が発見されました。

フォン・シュトルヒは実際に7月28日に辞任し、8月5日はその情報が広まった日のようです。マンたちの圧力に屈したのではありません。フォン・シュトルヒが自分のウェブサイトに置いた文書によれば、辞任の理由は、編集長就任にあたって雑誌上で「その雑誌の過去の査読が不充分でのせるべき質に達していない論文をのせてしまった」と述べようとしたが、雑誌の経営者に反対されたことでした。ここで「質が低い」と言ったのは「論文の材料と方法から結論が導かれない」ことだそうです。論文の結論に反対だから掲載に反対したわけではない、ということは明確に述べています。

ジョーンズたちを非難する人々は問題を「懐疑派」と、いわば「温暖化派」(温暖化してほしいと思っているわけではないのでへんな表現ですが)との二極対立としてとらえ、メールをそう解釈する傾向があるようです。確かに、マン、ジョーンズなどのなかまうちの発言の中には、「懐疑派」と目される人々のグループを敵視していると思われる部分もあります。

しかし、彼らの言っていることの本筋は、なかまうちで「だれだれの論文は質が低い」あるいは「これこれの雑誌は質が低い」という評価を共有しようとしていることなのだと思います。科学者の個人や小集団がそういう品定めをすることは当然の社会現象です。

ジョーンズたちが「懐疑派」の論文を学術雑誌から排除しようとしたりIPCC報告書の参考文献から排除しようとしたりしたと言われる件も、彼らの主観としては、論文の結論が自分の学説と違うから、あるいは自分の政治的目標にとって都合が悪いからではなくて、論文の質が低いと判断したからなのだろうと思います。学術雑誌も、IPCC報告書も、紙面は無限ではありません。(紙を使わないオンライン雑誌でも編集事務が扱える量は限りがあります。) 世の中にある文献数が多ければ、査読者や、編集委員や、IPCC報告書の著者は取捨選択しなければならないのです。

個々の担当者が不当な取捨選択をしてしまうことは、望ましくないことですが、ときどき起きるのが当然のことです。社会的しくみをくふうすることによって、科学が不当な評価に支配されないようにするのです。

学術雑誌は多数あり、評価する人が違うので、不当な評価の影響はある程度緩和されます。IPCCの場合は、各章の編集を複数の編著者で担当し、また査読コメントにはなんらかの応答(不採用という応答を含みますが)をしなければいけないとしています。それでも不充分ではないかという批判はあるでしょう。みんなを満足させることは不可能です。ともかく、ジョーンズたちがのせるべきでないと言った論文のいくつかは、結果としてはIPCCの2007年の報告書の文献リストに含まれました。

==
東大IR3Sによる「地球温暖化懐疑論批判」という出版物の話題は、別の機会にします。

==「プロの困惑」==
トレンバース(Trenberth)のメールの内容は、わたしの本業に関連するので、機会があれば詳しく論じます。

簡単に言うと、地球が温暖化していることは地球の気候システムの持つエネルギーがふえていることでもあるはずなのですが、どの部分でどれだけふえているかを知ろうとしても、残念ながら充分精度のよい観測が継続されていない、ということを嘆いているのです。

(トレンバースはこの件を、やや専門的な論文として Current Opinion in Environmental Sustainabilityという新しい雑誌 (Elsevier社、http://www.sciencedirect.com/science/journal/18773435 からアクセス可能) に出しました。[2010-02-26訂正しました。下の[注]も参照。])

これは確かに温暖化に関する科学の現状の弱点ではあります。しかし、これがわからないからといって、その(1)で述べた温暖化の理論的基礎が揺らぐわけではないのです。そのことはトレンバース自身いろいろな機会に述べています。

[[注](2010-02-26): このブログ記事を最初に書いたとき、新しい雑誌どうしでまちがえて、いわば商売がたきの、Wiley Interdisciplinary Reviews: Climate Changeという雑誌(http://www3.interscience.wiley.com からアクセス可能)の名前を書いてしまいました。すみません。ただし、こちらの雑誌は、編集長がメール暴露の被害者のひとり(ただし今はCRU所属ではない)のヒューム(Hulme)[2010-03-02 読みかたを訂正]ですし、ここで紹介したい話題がいろいろあります。]

== 「おわりに」 ==
IPCC報告書の執筆から利害関係者をはずすべきだというのは筋はもっともですが、その分野の論文の著者や研究費の受領者を除いて適任者が残るかという疑問があります。総合報告執筆に特化した人を養成してフルタイムで雇うという方向が考えられなくはないと思いますが、予算も必要だし、その人の将来のキャリアの心配もあります。

IPCCの査読者になるのは、ある程度の専門業績のある人ならば簡単です。いわゆる温暖化懐疑論者に対して、なぜもっと積極的に査読に参加してコメントしなかったのか、と批判する人もいます。

==
カナダの気候研究者ウィーバー(Weaver)が、IPCCのパチャウリ議長は辞任すべきだと言ったと、Terence Corcoran記者が1月27日のNational Postに、またRichard Foot記者が1月26日にCanWest通信社が配信してカナダの多くの地方新聞に出た記事に書いています。しかし、ウィーバー自身が、たとえばTimes Colonistの1月29日の記事で、「議長の辞任を求めてはいない、これまでの議長の発言に不適切なところがあったと言ったのだ」と言っています。IPCCの組織も根本的にダメだと言っているわけではなくて、部会間の意思疎通がもっと必要だという意見です。

新聞や雑誌の記者による人の話の紹介は、残念ながら、正確でないことがあります[注2参照]。 新聞の場合は発行までに本人が確認するひまがないという問題もあります。また事後の修正もあまりよく行なわれないことが多いです。ウィーバーはたくさんの新聞に自分の言い分をのせてもらうのに苦労したようです。本人の執筆でない新聞記事をもとにだれだれはどう言ったと紹介するのは、よほど慎重にする必要があると思います。

[注2] IPCC第4次第2部会のヒマラヤの氷河に関するまちがいの件でも、雑誌が不正確な内容を報道したことが問題の一つでした。詳しく調べていないので、雑誌記者の伝えかたが悪かったのか、情報源の科学者の言いかたが悪かったのかわかりませんが、発行前に情報源の人にもう少しよく確認をとるべきだっただろうと思います。[20日の投稿時に本文中に書いた文を注に移し、補足・修正しました。2010-02-27]

==
まとめはありません。別記事として補足を書くかもしれません。

masudako

いわゆるClimategate事件、渡辺(2010)への反論(2)

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==「温暖化説に合わせて気温データを改竄?」==
さて、メールの文章を勝手に解釈をして科学者が悪いことをしていると非難している1件め、ジョーンズ(Jones)の1999年のメールの "Mike's trick ... to hide the decline" です。

Mikeはマイケル・マン(Michael Mann)です。マンが論文で、年輪などから推定された気温と、温度計で観測された気温の時系列をつないで示したので、ジョーンズもそのまねをしました。その際に、1960年以後の年輪からの復元推定は省略しました。渡辺さんも紹介しているように、CRUのブリッファ (Briffa)が年輪から推定した気温は、1960年以後、温度計観測よりもだいぶ低い値になっているそうです。ジョーンズが図で見せたかったのは研究方法ではなくて地球の気温の変化ですから、温度計によるよい観測値がある時期に、それを間接的な年輪による推定値よりも優先させて表示するのは当然のことです。

問題があるとすれば、1960年以後にうまくいかないような方法ではそれ以前の年輪による気温復元推定もあやしいのではないか、ということです。これは専門的問題で、科学者の間でも判断が分かれると思います。気候科学者ではあるがこの問題を専門としていないわたしの考えとしては、20世紀後半には、気温のほかにも植物の成長に関係しそうな環境要因の変化がいろいろあるので(まず大気中の二酸化炭素濃度がありますね!)、他の期間にあてはまる関係がこの期間だけ崩れてもふしぎはないと思います。しかし、今の時代にもあてはまる関係による方法に比べて、復元推定方法としての信頼度がやや弱いことはいなめないと思います。

==
さて渡辺さんは「図2」として1990年のIPCC第1次報告書のグラフを持ってきました。第1部会報告書の図7.1(c)ですが、これは模式的に書いたもので、気温の数値もはいっていませんし、データの出典となる文献なども示されていません。まだ頼りになる全球あるいは半球規模の気温復元推定の研究成果はなかったのです。そして、本文で、中世温暖期は全地球規模ではなかったかもしれないと述べています。(ウィキペディアの記事 IPCC報告書における中世温暖期と小氷期の記述 を参照ください。わたしはこの記事の編集に多少かかわりましたが、それはおもに参考文献を明示したことです。この記事の「1990年報告書」の節の図の赤線が渡辺さんの図2と同じ情報です。ただし作図者の推測で温度の目盛りの数値を入れています。)

IPCC第3次報告書(第1部会の図2.20、2.21)に使われたマンたちの1998年と1999年の論文の北半球平均気温の図は、不確かさの幅を伴った形で示されたのですが、中央の推定値だけ見れば、産業革命前の変化が小さいように見えました。

それ以後の全球あるいは北半球平均気温の復元推定はIPCC第4次報告書の第1部会の図6.10にまとめられています。小氷期の気温は今の図2と同様に低いとしているものもあります(図2には数値がはいっていないのでとても大まかな比較しかできませんが)。しかし、中世の12-13世紀の気温が図2のように20世紀よりも高かったという結果は得られていません。

マッキンタイア(McIntyre)とマッキトリック(McKitrick)の2003年の論文(MM2003)では、15世紀の気温が高いという結果が得られていて、渡辺さんの2005年の「これからの環境論」という本ではとても重視されていました。この論文の評価はさておき、今回の図2 (つまりIPCC 1990の図)では、15世紀の気温は高くありません。MM2003の結果はこの図となんとなく似ていますが、年代目盛りをよく見れば対応していないのです。

おそらく多くの人が、なんとなく図2のようなグラフに見覚えがあるのですが、それは、まだデータが乏しかったころに模式的にかかれたものか、全球・半球ではなく特定の地域(たぶんヨーロッパ)の復元推定だと思います。根拠はあやふやながら見慣れた図を思いださせることによって、見慣れない研究結果を疑わせるのは、宣伝戦術としてはうまいと思います。たぶん北アメリカ製の地球温暖化懐疑論宣伝マニュアルの要点のひとつになっているのだと思います。しかし教育者にはまねしていただきたくないことです。

==
作図プログラムの「きわめて人為的な補正」は、論文として対外的に出た図には使われていない機能で、共同研究者の間で検討するためにためしに入れた機能だそうです。

データ解析の過程では最終的な研究成果としては使えない試行錯誤がたくさんあります。明らかに違うデータで置きかえてみたり、現実に効いているはずの効果をわざと除いてみたり、残差をむりやりどこかに押しつけてみたりすることもあります。それに関する共同研究者間の説明は、なかまうちにだけわかる表現をしていることが多く、部外者による勝手な推測とはちがうことが多いでしょう。

今後はそういう試行錯誤にもいつ他人に見られてもかまわないような説明をつけなさいという科学者倫理規範はありえます。一般市民として気候変動研究者はそういう規範を守ってほしいと思うこともありますが、研究者としてわたしはそれを守って働けるかどうか自信がないので、今後の職業選択について悩みます。渡辺さん自身は守っているのでしょうか、あるいは人工光合成研究は気候変動研究と違って政治的価値がないから気楽なのでしょうか?

さらに続きます。

masudako

いわゆるClimategate事件、渡辺(2010)への反論(1)

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ごぶさたしてしまいました。masudako です。

2009年11月、気候変動(注:ここでは「変動」と「変化」の区別を省略して「変動」で代表させます)にかかわる科学者にとって、おそろしいことが起きました。イギリスのイーストアングリア大学のCRU (Climatic Research Unit、日本の大学ならば「気候研究施設」というような名前になると思います)の科学者が過去13年間にやりとりした電子メールが暴露されてしまったのです。そのうえに、おおぜいの人がそのメールの内容をたねにしてメールを書いた科学者たちの行動を非難しています。メール暴露は犯罪のはずですが、科学者を非難する人々は正義は自分の側にあると思っているようです。確かに私用でなく公費をもらってしている仕事上のメールではありますが、決まった相手にだけ読まれると思って書いているので、他人が読んだら誤解するにちがいないものはいくらでもあります。勝手な解釈に基づいて非難されてはたまりません。

この事件をクライメートゲート(Climategate)と呼ぶ人があちこちにいます。メールをむりやり読むことは盗聴に似ていますから、ウォーターゲート事件との類推はもっともですが、そうすると、今回起きたことは、たとえてみれば、「ウォーターゲートビルディングにあったアメリカ民主党事務所で盗聴された音声がアマチュア無線に流れた。各地の共和党活動家がそれをたねにして民主党活動家の個人攻撃をした。」というようなものでしょう。民主党活動家の立場に立てば、ふんだりけったり(理屈を言えば「踏まれたり蹴られたり」)ではないですか。

この事件を材料にした科学者への非難は、おもに英語圏(イギリス、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリアなど)のウェブ(ブログや一部の新聞雑誌のサイトなど)では、事件直後から見られました。検索をかけるととてもたくさんありますが、どうやら同じ文章のコピーが出回っているようで、独立なものは驚くほどの数ではないようです。そしてとうとう日本語圏にも同類が出現しました。

渡辺 正, 2010: Climategate事件 -- 地球温暖化説の捏造疑惑。『化学』, Vol. 65, No. 3 (2010年3月号), 34 - 39.

著者は東大の先生ですか。さすが蕃書調所の末裔。(これは、もと東大助手であるうえに今は著作よりも訳書で知られているわたし自身にもあてはまる悪口です。)

副題で「地球温暖化説の捏造疑惑」と書いています。この見出しだけ見て、この記事は「地球温暖化に関する科学はすべてでっちあげだ」という主張を裏づけるものだという人が出てきそうですね。見出しの表現はこわいです。本文を読めば、温暖化に関する研究者が結果を捏造していた疑いがかけられている個別事例の話はあり、そんなことがあると地球温暖化の議論全体があやしいという主張もありますが、全体が捏造だとは言っていません。

本文を追って、論点ごとにコメントします。(しかしいくつかの論点は省略します。)

== CRUという組織 ==
CRUのおそらく最も重要な仕事は、産業革命以来の世界の気温の観測データを整理して実際に気温がどう変化してきたかを述べることです。しかし、それをやっているのはCRUとNASA GISSだけではありません。渡辺さんの文にはデータを集める機関として出てくるアメリカのNOAA NCDCも、日本の気象庁も、独立にやっています。(イギリス気象庁の研究所であるハドレーセンターはCRUと役割分担して共同のデータセットを作っています。) どの機関の解析も、材料とする観測値はほぼ同じものなのですが、観測所の移転やローカルな環境変化の影響をどのように補正するか、不均一に分布する地点データから空間平均をどう求めるかなどを、それぞれにくふうしてやっています。

地球温暖化に関する議論のうちで、「20世紀に気温が実際にどれだけ上がっているか、そのうちどれだけが人為起源の温室効果強化で説明できるか」という問いは確かに重要な位置をしめていて、「温暖化の検出と原因特定」と呼ばれています。もし仮にCRUだけでなくGISSやNCDCや気象庁の解析結果もあやしいとなると、この議論の前半があやしくなるので、後半の研究結果もそのままでは意味がなくなるかもしれません。

しかし、渡辺さんより若いわたしが年寄りじみたことを言ってすみませんが、検出と原因特定の議論は1988年ごろ始まったもので地球温暖化の議論のうちでは新入りなのです。

地球温暖化の基本となる議論は、二酸化炭素などの分子の振動が起きたり止まったりすることに伴って赤外線の波長帯の光子が吸収されたり放出されたりするという量子化学の理論と実験事実に基づく、大気物理の理論的研究の成果なのです。大気中の二酸化炭素濃度から全球平均地上気温への因果関係については、鉛直1次元の比較的単純な構造で理論的議論がしやすいモデルの結果と3次元の複雑な構造で観測との対比がしやすいモデルの結果が基本的に一致したので、科学者のうちでも理論気象学者の多くは1970年代末にはすでに自信をもっていたのです。

もし仮に、CRUその他の仕事の基礎があやふやだということになって「検出と原因特定」を初めからやりなおさなければならなくなったとしても、理論的枠組みのほうはそう簡単にはくずれません。

話は続きますが、このあたりで記事を分割します。

masudako
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