気候変動・千夜一話

地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者たちの日記です。

2010年09月

炭素循環の中での人為起源二酸化炭素(4) 季節変化と年々変動

その1その2その3とつながりがあるので便宜上同じシリーズの題名をつけましたが、今回は人為起源のCO2に直接関する話ではありません。大気中のCO2濃度の季節変化や年々変動(1年よりも長く約10年より短い時間スケールの変動)の特徴を、気候、とくに全球規模の気温・海面水温との関係に注目して見る話です。

大気中のCO2総量の変化のうち季節変化と年々変動の時間スケールの部分を取り出して考える際には、人為起源の排出はあまり重要ではありません。もちろん人為起源の排出自体には季節変化や年々変動があり、それは大気中のCO2総量に影響を及ぼしているはずですが、大気中のCO2総量のこの時間スケールでの変動を説明するのに必須の要素ではない、という意味です。残念ながら、この主張の根拠を今のわたしはうまく述べることができません。ただしこのことを、専門の科学者が全体として根拠をもっていないのだ、と解釈しないでください。たぶん、この問題の専門家が言っていることをわたしがまだ充分理解していないにすぎません。

根拠を述べるためには何をするか、わたしなりに考えてみます。(今後専門家に聞いて修正することになると思います。) 年々変動については、人為起源の排出量の年単位のデータはあるので、それを処理して年々変動成分を取り出し、大気と陸・海の間の交換量の年々変動成分とならべて見ることは可能です(ただし残念ながら今のわたしには手がまわりません)。さらに、人為起源以外の原因を具体的に想定して、交換量のうちその原因による部分の大きさを推定する仕事が必要かもしれません。季節変化については、人為起源の排出量のよいデータがそろっていないので、その変動幅の上限をおさえる方針で解析をする必要があると思います。

同じ量の変化でも、時間スケールによって、重要なプロセスが違うことがあります。人為起源の排出は、大気中のCO2量の季節変化や年々変動にとって重要ではありませんが、このことから、10年より長いスケールの変化傾向についても重要でないということが論理的に導かれるわけではありません。

=====

大気中のCO2濃度はいろいろな地点で観測されており、たとえば日本の気象庁が担当している温室効果ガス世界資料センターに多数の地点の観測値がまとめられています。【[2012-09-12補足] URLが変更されhttp://ds.data.jma.go.jp/gmd/wdcgg/jp/wdcgg_j.htmlとなりました。】

季節変化

CO2濃度の季節変化は地点ごとに違いますが、北半球の地点の多くでは共通の傾向があります。夏の間に減少し、冬の間に増加するというものです。これは、北半球の植物の光合成が活発な時期に炭素が大気から陸に向かい、不活発な時期には陸から大気に向かうということで説明できます。

ところで、太陽からくる放射エネルギーは、夏至(北半球では6月20日ごろ)に最大、冬至に最小になります。そして温帯の気温や海面水温の1年周期変化は基本的にそれに応答したものです。海は夏の間あたたまり冬の間に冷えますので、海面水温や海上気温は、季節変化が太陽放射よりも4分の1年(3か月)程度遅れ、秋に高く春に低くなります。陸上気温の季節変化の太陽放射からの遅れはこれより小さく1か月くらいです。(日本の場合は1か月半くらいですがこの違いは海の影響もあることで説明できます。)

したがって、季節変化の時間スケールで相関を見ると、まずCO2濃度と海面水温との間に負の相関があります。ところが20世紀後半の長期的傾向は、どちらも上昇なので、あえて言えば正の相関があります。同じ変数の組み合わせでも時間スケールによって相関が違うのです。したがってCO2濃度と海面水温の同時相関からそのまま因果関係を想定することは、どちらの向きにしても、無理があると思います。

陸上の気温とCO2濃度の変化(増加を正)との間に負の相関があることが、気温が高いと大気中のCO2が減るという因果関係を示唆すると考えられるかもしれません。同様に、CO2濃度と陸上の気温の変化(上昇を正)との間に正の相関があることから、CO2濃度が高いと気温が上がるという因果関係を示唆すると考えられるかもしれません。

しかし、この時間スケールでは、太陽から各緯度帯にはいってくる放射エネルギーの季節変化という有力な原因の候補があります。これが一方では光合成を通じてCO2濃度に影響を及ぼし、他方では温度に影響を及ぼす、という因果関係を考えるのが妥当でしょう。

年々変動

さて、季節変化と長期の変化傾向の両方を取り除くような統計処理(ディジタルフィルターのうちバンドパスフィルターと呼ばれるものなど)を使って、年々変動に注目してみます。

Keelingほか (1989)の論文では、1958年から1988年までのCO2濃度と全球平均地上気温(GISS編集)についてそのような統計処理をした図(図63)が示されています。これは根本(1994)の本の151ページに紹介されて日本で広く知られました。東京大学IR3S/TIGS叢書として公開された「地球温暖化懐疑論批判」の本では第3章の「議論14」の「証拠1」のところで「図6」として引用しています。

このグラフを見ると、気温の高まりに約1年遅れてCO2濃度の高まりが見られる、という時間差をもった相関関係があります。

ここから、気温が原因でCO2濃度が結果であるような因果関係を想定することは作業仮説としてはもっともです。そうすると、CO2濃度の時間的変化と気温との関係を見たほうがよいかもしれません。わたし自身で数値データを処理することは時間がとれなくてまだできていませんが、これまでに見た文献の図から、1958年以来最近までの観測値について、年々変動の時間スケールをバンドパスフィルターで取り出せば、両者の間の正の同時相関が認められるだろうと推測しています。

しかし、準周期的な変動の残りの部分も含めて考えれば、CO2濃度が原因で気温が結果であるような因果関係を想定し、CO2濃度と気温の時間的変化の関係にも注目するべきでしょう。そうすると、負の相関が見られ、年々変動の時間スケールに関する限りCO2濃度が高いことは気温を下げるように働くという因果関係が示唆されるでしょう。ただし、そのような因果関係を実現する現実のしくみを考えるのがむずかしいです。

次のような考察から、全球平均気温とCO2濃度とを直接関係づけるよりも別の要因を主役に考えるのが合理的です。

Keelingがこのグラフを発表した当初から、このCO2濃度変動は、「エルニーニョ・南方振動(ENSO)」現象と関係があると予想されてきました。エルニーニョ(ENSOの振動の一方の端の状態)のときは熱帯東太平洋の海面水温が高く、全球平均の海面水温と気温も高い傾向があります。Keeling自身の1993年ブループラネット賞受賞記念講演記録の図8は、CO2濃度変化とエルニーニョの年を示したものです。1989年の論文の図22が、これとほぼ同じ情報で、さらにインドのモンスーンの雨の少なかった年も示されています。わたしの不確かな記憶ですが、当時多くの研究者が注目したのは、このエルニーニョとの関係であって、全球平均気温との関係ではなかったと思います。

単純に考えると、CO2の水に対する溶解度が温度が高いほど小さいことから、エルニーニョのときは海面水温が高いのでCO2が大気に出てきやすいのだ、と説明できそうに思われます。しかし、エルニーニョのときは湧昇流が弱い、つまり海面よりも下にある水が表面に出てくるのが遅いという特徴もあります。具体的に見積もってみると、海から大気への炭素の流れがふえるわけではないのです。

むしろ、ENSOに伴う炭素循環の変動に効いているのは陸だと考えられています。エルニーニョのときはインドネシアをはじめとする熱帯西太平洋周辺やアマゾン川流域など、熱帯の多くの陸地で雨がふだんより少ない傾向があります。(南アメリカ西海岸地方では雨が多いですが、その陸上の面積はあまり広くありません。) このため、植物の光合成が不活発になり、大気から陸への炭素の流れが弱まります。また、森林火災が起きやすくなることも、正味の大気から陸への炭素の流れを弱めることに効いているようです。

したがって、この場合も、CO2濃度と全球平均の気温や海面水温との間の見かけの関係は直接的因果関係を示すものではありません。ENSOは、気候システム内で起こる変動と考えられており、熱帯のうちでの東西の不均一を特徴とする現象です。そしてエルニーニョは、CO2濃度には主として西太平洋周辺で降水が少なくなることを通じて影響を及ぼし、全球平均の温度には主として東太平洋の高温が効くのです。

約十年以上の時間スケールでの気温とCO2の相互関係 (予備的考察)

自分で確認していないのですが、年々変動について見られた、CO2濃度がふえるときに気温が高いという相関は、年々変動だけでなく数十年以上の長期変化傾向も含めて、ただし季節変化はなめらかにしてしまって見ても(ディジタルフィルターの用語で言えば「ローパス」です)、あるのかもしれません。

もしそうだとしても、約十年以上の時間スケールについては、20世紀後半以後の時期について得られた相関の定量的関係が過去数百年にわたってもそのまま成り立つとは考えにくいです。

もし成り立つと仮定して、さらに過去数百年の気温が最近の研究で推定されているように変動したとすれば (たとえば、北半球平均気温ですがIPCC第4次第1部会報告書の図6.10を参照すると、推定結果は相互に必ずしも一致しませんが、いわゆる小氷期の内に1961-1990年よりも0.5℃かそれ以上低い時期があったとするものが多いので)、CO2濃度は(1)の記事で紹介した南極の氷のサンプルから得られている知見よりもだいぶ大きく変動したはずです。逆にCO2濃度の変動が南極の氷からわかった程度に小さいとすれば、気温変動は現在多くの研究者が想定しているよりも小さかった(波打ちのないホッケースティック型でなければならない)はずです。

CO2濃度と気温との関係は、20世紀後半以後特有の事情と、それ以前からある条件とをしわけて考える必要がありそうです。

(この記事も前のものと同様、知識を整理することをブログの履歴を明示することよりも重視しますので、改訂箇所を具体的に示さずに改訂することがあります。2010-10-11, 2010-10-14, 2010-10-17 改訂しました。)

文献
  • C.D. Keeling et al., 1989: Aspects of climate variability in the Pacific and the western Americas. Geophysical Monograph (American Geophysical Union), 55, 165 - 236.
  • 根本 順吉, 1994: 超異常気象。中公新書。


masudako

炭素循環の中での人為起源二酸化炭素(3) たまった量が減る時間スケール

その1その2に続く話です。

人間活動によって大気中に追加されたCO2の量が自然の過程で変わっていく時間スケールは、CO2の大気中の平均滞在時間(約3年)ではなく、もっと長いようです。

仮に人間活動起源の排出がなくなったとすると、それ以後、自然の過程によって、大気・陸・海の炭素循環は準定常状態に向かうと思われます。もし生態系の機能が産業革命前と変わっていないとすれば(その保証はありませんが)、産業革命前とほぼ同じ準定常状態に向かうでしょう。

もし準定常状態に向かう作用が現在の状態と準定常状態との差に比例するとすれば、「現在の状態と準定常状態との差」の変遷は、時間 t の指数関数 exp (-t / T)に比例する形に書けるでしょう。ここで T は変化しない量で時間の次元をもつので「時定数」と呼ばれます。初期(t = 0)からTだけ時間がたつと、「現在の状態と準定常状態との差」が「e分の1」になります。ただし、eは約2.7です。初期の2分の1になる時間(半減期)をT1/2とすれば、TはT1/2の約1.44倍です。(時定数と半減期は、区別は必要ですが、似たような値です。)

ところが、大気中のCO2の減りかたは、ひとつの時定数の指数関数ではうまく表現できないようです。IPCC第4次第1部会報告書表2.14では、たとえばメタンについては12年というように「寿命」(ほぼここでいう時定数に対応すると思われる)が与えられている温室効果気体が多いのですが、CO2の濃度は、4つの項の合計で表現されており、うち3つはそれぞれ違った時定数をもつ指数関数で、1つは定数(時定数無限大の指数関数とも言えますが)です。ベルン炭素循環モデルに基づいたとのことです。
  • (0)定数、重み0.217
  • (1)時定数172.9年の指数関数、重み0.259
  • (2)時定数18.51年の指数関数、重み0.338
  • (3)時定数1.186年の指数関数、重み0.186

約2割は1年程度、約3割は20年程度で減衰していきますが、約半分は100年以上残り、そのさらに半分弱(全体の2割)はIPCCが扱う時間の枠組みでは「永遠に」残るというわけです。

この長く残る部分(上のIPCCの例では(0)と(1)の部分にあたる)について、アメリカのシカゴ大学の地球化学者Archer氏の研究(たとえば2005年の論文)があります。ここでは2009年の一般向けの本の図14(110ページ)にあげられた例を紹介します。大気へのCO2排出が短期間だけ大きな値をとりそのあと0になった場合の大気中CO2濃度のシミュレーション結果の例が示されています。結果は3つの指数関数型の減衰の重ね合わせで表現されています。
  • (炭酸水素イオンなど水にとけた形で)海洋にしみこんでいく。時定数3百年、重み約0.7 (重みはグラフから読み取ったもので精密でない。以下同様)。
  • 炭酸カルシウムとの反応 (石灰岩の風化を含む)。時定数5千年、重み約0.2。
  • カルシウム・マグネシウムを含む珪酸塩岩石との反応 (珪酸塩岩石が分解し、カルシウム・マグネシウムは炭酸塩として沈殿する)。時定数4十万年、重み約0.1。

もちろん数値はあまり確かではありませんが、数値の桁はもっともだと思います。

(この記事も前のものと同様、知識を整理することをブログの履歴を明示することよりも重視しますので、とくにことわらずに改訂する可能性があります。)

文献
  • David Archer, 2005: Fate of fossil fuel CO2 in geologic time. Journal of Geophysical Research, 110, paper C09S05.
  • David Archer, 2009: The Long Thaw: How Humans are changing the Next 100,000 Years of Earth's Climate. Princeton University Press. [読書ノート]

masudako

炭素循環の中での人為起源二酸化炭素(2) 質量収支の議論とものを追いかけた議論

前の記事に続く話題です。

わたしも含めて多くの人が、

人間活動によって排出された二酸化炭素の約半分が大気中にとどまっている』...(1)

のようなことを言うことがあります。発言者にとって、その意味は明確です。人間活動によって大気へ出てくる二酸化炭素の質量の流れの数値と、大気中にある二酸化炭素の質量の増加分の数値とを比べて、「後者が前者の約半分である」ということです。質量保存(物質不滅)の法則(前の記事で簡単ながら説明しました)に基づく質量収支の話です。

なお、「約半分」とした数値は、「人間活動による排出」をどう定義するか(前の記事でもふれた土地利用変化の扱いなど)や、対象となる時期をどうとるかによって、たとえば「約60%」となることもありますが、ここではそこまで含めて「約半分」としておきます。

ところが、この(1)の表現のすなおな解釈は、発言者の意図とちがうものになりがちであることがわかりました。そして、その解釈は大気・海・陸の間の炭素循環の事実と違います。したがって、(1)のような発言は避けるべきであることがわかりました。しかし、わずかな違いですが、

人間活動によって排出された二酸化炭素の量の約半分が大気中にとどまっている』...(2)

と述べた場合には、質量収支の議論であることを読み取っていただきたいと思います。このような発言をするたびに質量保存の法則を説明しなければならないとすると、入り口の段階で話が長くなりすぎて大事なことに進めないことがあるのです。

上の(1)の表現を、「人間活動によって排出された二酸化炭素」という「もの(物体、たとえばCO2分子)を追いかけた議論」だと思うのが、すなおな受け取りかたなのかもしれません。

実際には、二酸化炭素には人間活動によって排出されたという印はついていないので、それを追いかけた観測値はありません。ただし、同位体比が違いますので(たとえば放射性の炭素14に注目すると、生きている生物の有機物は最近大気中で窒素14に宇宙線があたって作られた炭素14を含んでいますが、化石燃料の炭素14は事実上崩壊しつくしているので)、確率的な意味で印がついているということはできます。また、風などの観測値あるいは理論的計算値をもとに、大気中に出てきた物体を追いかけた理論的計算をすることもできます。したがって、物体を追いかける発想での炭素循環に関する科学的情報がないわけではありません。

そのうち簡単なものとして「平均滞在時間[注]」という考えかたがあります。 大気中のCO2の場合について言えば、大気全体をひとつの箱と考え、大気にはいってきたCO2の分子が、出て行くまでにどれだけの時間が経過するかを考えます。もちろんその時間はまちまちです。しかし、現在大気中にCO2の形で存在する炭素の質量の総量を、大気にはいっていく(または大気から出て行く、どちらか一方だけの)炭素の流れの量(単位時間あたりの質量)で割って得られた時間が、大気中のCO2の平均滞在時間であると言うことができます。

[注]ここで「平均滞在時間」としたことがらは「平均滞留時間」という表現のほうがふつうに使われていますが、「滞留」は「対流」と聞いて区別がつかないので、わたしはそれを避け、「滞在」でも意味が変わらないと判断してこのような表現を採用しました。

平均滞在時間の概念は準定常状態を前提として考えられたものです。たまっている量が変化しつづける状態では、はいる側と出る側のどちらの流れの量を使うかによって数値が違ってしまいます。しかし、出入りの差が出・入りそれぞれに比べて小さいならば、出・入りのどちらを使っても似た値が得られますので、どちらかを一貫して使えばよいでしょう。なお、平均滞在時間に比べて短い時間スケールでの流れの量の変化をもとに平均滞在時間の変化を論じるのは不適切です。

観測事実を整理したもの(たとえば前の記事で紹介したIPCC第4次第1部会報告書の図7.3)から数値をもらって計算すれば、大気中のCO2の平均滞在時間は約3年であることがわかります。自然の準定常状態と人間活動の影響を受けた現状とでは数値が少し違ってきますが、大まかな近似として約3年であることは変わりません。

このことから、やはり大まかな近似として「ある1年間に大気に出てきたCO2のうち、1年後に大気中に残るのは約3分の2である」と言うことができます。これを認めて、さらに同じことが続くとすれば、2年後, 3年後, ...に残るのは3分の2の2乗, 3乗, ...である9分の4, 27分の8, ...である、という理屈が成り立ちます。3年以上前に出てきたもののうち大気中に残っているぶんは、半分よりだいぶ少ないはずです。槌田(2008)の評論の中の炭素循環の議論は、このように「人間活動起源のCO2というものがどれだけ残っているか」という意味では理解できます。

しかし、温室効果を通じて気候に影響を与えるのは大気中にあるCO2の総量であり、直接人間活動起源のものだけではありません。化石燃料起源の炭素原子が海または陸に行っても、同じ個数の炭素原子が海または陸から出てきたら、気候に影響する大気中のCO2は減りません。気候への影響を考えるうえでまず必要な炭素循環の数値は、質量収支の立場のものなのです。炭素原子を追いかけた議論も、炭素循環を理解するうえで有用ではあるのですが、質量収支に貢献するためには、化石燃料から出てきた原子のほかに、自然の過程で出てきた原子も追いかけて、合計を議論しなければならないのです。

東京大学IR3S/TIGS叢書として出された『地球温暖化懐疑論批判』の第3章の「議論18」の「証拠1」の部分は、人為起源の排出のあるとき大気中CO2濃度はどうなるかに関する槌田(2008)の論点への反論です。Kikulogでの議論で気づいたことであり「批判」の本の原稿を書いた当時は意識していなかったのですが、槌田さんの議論はものを追いかけた議論とみなしたほうがよく理解できるのに、反論ではそれを質量収支の議論とみなしたので、議論がすれちがったと言えるかもしれません。今から思えば、ものを追いかけた議論質量収支の議論の違いを認識したうえで、この文脈では質量収支の議論が必要なことを明示したほうがよかったと思います。

もし人間活動による摂動がなくなれば、大気中のCO2の量は、準定常状態に近づいていくことになりそうです。どのような時間スケールで近づいていくかはひとことでは言えません。(わたしにはあまり詳しい知識はありませんが、次の記事で専門家の検討結果を紹介します。) あえてひとつの時間スケールで代表させればそれが3年よりも長いことは確かです。

(この記事も前のものと同様、知識を整理することをブログの履歴を明示することよりも重視しますので、とくにことわらずに改訂する可能性があります。)

文献
  • 槌田 敦, 2008: 温暖化の脅威を語る気象学者のこじつけ論理。一物理学者からの反論 -- CO2原因説批判。季刊 at (あっと) 11号 (2008年3月, オルター・トレード・ジャパン、発行:太田出版), 65-83.

masudako

炭素循環の中での人為起源二酸化炭素(1) たまりと流れ

「ニセ科学批判」で知られる物理学者の菊池誠さんのブログKikulogで、東京大学IR3S/TIGS叢書として出された「地球温暖化懐疑論批判」の本の話題が、Kikulog 2009年10月28日の記事と続きのKikulog 2010年4月3日の記事にわたって続けられ、たくさんのコメントがついています。わたしは1つめの途中の3月から参加し、おりにふれて気候の科学の説明を試みてきました。Kikulogの議論の参加者は物理や工学の背景知識をもつ人が多いのですが、気象学など気候に関する科学の常識が必ずしも知られていなかったり、用語の意味がずれて理解されていたりすることがあるので、基本に立ちもどって説明する必要がありました。また、参加者のみなさんのご指摘から学ぶことも多くありました。

そのうちから、ここでは、大気中のCO2量の変化のうちで人間活動起源のものがどのような部分をしめているのかの説明を、少し整理しなおして、複数回に分けて述べてみます。

-----

わたしはたびたび「地球温暖化の認識は理論が先行した」と述べていますが、これは「『大気中のCO2濃度がふえれば気温が上がる』という認識は、物理・化学に基づく理論が先にできたのであり、気温が上がったという事実を見てから理由を考えたのではない」という意味です。他方、『人間活動によって大気中のCO2濃度が上昇した』という認識のほうは、理論というよりは観測事実の総合的解釈によっていると言えます。

ただしこの場合も、不完全ながら理論的根拠はあるのです。まず、質量保存(物質不滅)という基本的物理法則です。物質が出入りできる箱についての質量保存は「箱の中の質量の増減(増加が正)は、箱の壁を通る正味の質量の出入り(入りが正)に等しい」と表現できます。地球上で主要元素の質量に注目した場合は核反応で元素が変わることは無視できますので、炭素原子だけに注目してその質量保存を考えることができます。またCO2は大気全体のうちでは微量でありそれが加わっても大気の総質量の変化はわずかなので、大気中のCO2濃度は大気中のCO2の形になっている炭素総質量に比例するとみなせます。

継続観測のある1958年以来、大気中のCO2量は(季節変化をならすと)増加しつづけており、その増加量は化石燃料の燃焼によって大気中に出て行った量の約半分です。大気・海(海水および海洋生物)・陸(植生と土壌)を合わせた仮称「気候システム」の箱の中の炭素の質量は、化石燃料からつけ加わった分だけふえているはずです。(海底堆積物に行くものや、火山からの供給、岩石の風化反応など、固体地球との相互作用もありますが、その動きは遅いので単位時間あたりの流量は小さく、気候システムの炭素の収支勘定にとってはこれを無視する近似でもよさそうです。) それだけで、化石燃料燃焼が大気中CO2濃度の増加の主要な原因だと納得する人も多いでしょう。しかし、次のように考えて、納得しない人もいます。

人間活動がなくても、大気と海・陸との間には炭素のやりとりがあります。陸上の植物が光合成をすれば炭素の下向きの流れがあり、その有機物が分解すれば上向きの流れがあります。人間活動がなかった場合の海・陸を合わせた上向きの流れと下向きの流れの大きさはほぼ同じだったと考えられていますが、これを仮に100とすると、人間活動によって追加された上向きの流れは3にあたります。そして、人間活動の影響を受けた環境での自然の流れの変化が、正味下向きで1.5だけあり、残りの1.5に相当する分が大気中のCO2量の増加となっています。そこで、「人間活動起源のCO2はCO2[の上向きの流れ]全体の3%にすぎないので、大気中のCO2増加の大部分は自然の原因によるのではないか」という疑問が出されました。

ところが、温室効果の強化によって気温などの気候状態に影響を与えるのは、大気中にたまったCO2の量であって、CO2の流れの量ではないのです。人間活動起源の排出の重要性を評価するには、上向きの流れのうちでの割合ではなく、大気中にたまることへの寄与を見るべきです。そして、炭素の上向き・下向きそれぞれの流れの量が大きくても、打ち消しあっていれば、たまっている量の変化にはつながらないのです。

たまりと流れとを関連づけるのは、質量保存の法則です。

理論的根拠の第2は、地球環境の状態を、定常状態にそこからのずれ(摂動)が加わったものとしてとらえる考えかたです。ただし、この考えかたが現実に適切かどうかの判断は現実の証拠をもとにする必要があります。

産業革命前の状況では、大気中のCO2量の変化は小さかった、つまり炭素循環は準定常状態だったと考えられています。「準」と入れたのは、完全な定常状態ではなくゆらぎを含んでいるという意味です。

大気中のCO2濃度の変化が小さかったという事実の裏づけとしては、南極の氷の気泡中のCO2濃度の分析結果があります。最近数百年のうちの変化を見るには、南極大陸のうちでも海岸に近く降雪量の比較的多いところの氷が使われます。たとえばLaw Dome (ロードーム)という場所のサンプルをオーストラリアの研究者が分析した結果がアメリカのCDIAC (Carbon Dioxide Information Analysis Center)のこのページにあります(Graphicsというリンクの先に図があります)。気泡が閉じるのに30年から50年の時間がかかるので、それよりも細かい時間スケールの情報はならされていると見るべきですが、産業革命前の約千年にわたって大気中のCO2濃度は280±10 ppmの範囲だったことがわかります。

大気自体のCO2濃度の分析値のうちにはもっと大きな値を示すものがあり、それを根拠として今のようなCO2濃度の高さは産業革命以後に限られたものではないと主張する人が少数ですがいます。(今月亡くなったそうですがドイツの高校教師だったE.-G. Beckという人が主張していました。) しかし、多くの科学者は、昔の大きな値は工業や都市などの発生源の影響を大きく受けていて大気全体に対する代表性が乏しいと考えています。それは1958年以来の継続観測を始めた C.D. Keeling (キーリング)氏(2005年に亡くなった)がその前の1950年代なかばに明らかにしたことで、その判断をうけて継続観測の場所としてハワイ島や南極が選ばれたのです。(この件はワート『温暖化の<発見>とは何か』(第2章)やその詳しいウェブ版(英語)でも紹介されています。Keelingさん自身の回顧は、たとえばブループラネット賞受賞者の記録のうち1993年のLecture (英語)にあります。)

また、濃度の変化が小さかった(つまり、上向きと下向きの流れが平均としてほぼつりあっていた)原因の候補としては、まず、大気と海の間の交換量が濃度の差に依存していることがあげられます。海水中の濃度が変わらずに大気中の濃度だけがふえれば、下向きの流れがふえ、あるいは上向きの流れが減り、このような流れの変化は大気中の濃度の変化を減衰させる負のフィードバックとして働くのです。 大気と陸の間の交換の一部も、濃度の差に依存して変わると考えられます。

産業革命以来、人間活動起源の排出が上向きの流れに加わりました。それは、これまでの準定常状態を乱すように働く「摂動」(英語ではperturbation)となります。産業革命以後も前に述べた負のフィードバックは働いていますので、摂動が小さい一定値ならば、気候システムの炭素循環は自然の準定常状態から少しずれた準定常状態に落ち着くでしょう。実際には、少なくとも20世紀後半以後は、摂動がかなり大きくしかも増加しつづけているので、負のフィードバックは摂動の一部を打ち消していますが全部打ち消すほど強くはなく、大気中のCO2はたまり続けています。

IPCC第4次第1部会報告書の図7.3[原本HTML版][説明文をわたしが仮に日本語訳したもの]は、炭素の質量収支についての知見をまとめたものです。気象庁の「海洋の炭素循環」のページの図も、数値の単位の桁が変更されていますが、同じ情報です。これは基本的にはわたしが「気候システム」と呼んだところを部分に分けての質量収支ですが、そのシステム外にある「化石燃料」と「(海底の)表層の堆積物」という炭素のたまりの箱もかかれています。

この図では、まず自然の準定常状態の代表値が黒で示され、現状(実際は1990年代の状態ですがこう表現しておきます)が人間活動の影響を受けて自然状態からずれている量が赤で示されています。気象庁の図の説明の「赤は人間活動により大気中へ放出された炭素の循環をあらわしている」という表現は残念ながらまぎらわしいですが、この図は「人間活動によって放出された炭素」というもの(物体)を追いかけたものではありません。(ものを追いかけた議論と量の収支の議論との概念的区別については、追って記事(2)として述べます。) IPCCの原本の図の説明では「人間活動による」または「人為起源の」に相当するanthropogenicということばには引用符がついていて、ここでの独特な意味づけは本文7.3.1.2節で説明されています。化石燃料からの排出以外の赤数字は現状と自然の準定常状態(黒数字)との差をとりだしたものです。現状(1990年代)の実体は黒と赤の合計なのです。現状は流れがつりあっておらず、化石燃料の炭素が減るぶん大気などいくつかの箱の炭素がふえつづけていますが、それが赤だけを見てもわかるようになっています。

なお、人為起源の上向きの炭素の流れのうちに土地利用変化によるもの(1.6ギガトン/年)があげられていますが、これと、自然状態で存在する大気と陸との間の炭素の流れが人間活動の影響を受けて変化すること(図では正味下向きにまとめて2.6ギガトン/年という数値が示されている)とは厳密には区別できず、数値の切り分けはなんらかの約束によることになります。切り分けが変わっても正味の収支は変わらないはずですが、人為起源の流れの量に注目した詳しい議論をする際にはどの文献の約束によるかを明確にしておく必要があるでしょう。

持続可能性が望ましいという価値判断のもとで考えると、流れの量のうちの赤で示された部分が0に近い(ただしたまりの量の赤の部分が0になるとは限らない)自然の準定常状態にもどしていくのが望ましいのだと思います。(人間には地球の炭素循環全体を管理してこれと違った準定常状態を維持する能力はないのです。) 自然の準定常状態にもどしていく手段として人間の意志でできそうなのは、化石燃料消費を減らすことと、土地利用改変による正味の炭素排出を減らすことであり、それは今の経済活動のしかたを大きく変えていくことをせまるのです。(人工的に陸による炭素吸収をふやすことや、海洋の表層から中層・深層への炭素の流れをふやすことは、いわゆるジオエンジニアリング(geoengineering)の課題としては考えられますが、もし実行の提案をするならばその前に、その具体的方法は原理的に可能か、炭素排出を伴わないエネルギー資源が利用できるか、有害な副作用はないかなど、多くの疑問に答えることが必要です。)

(この記事も一つ前のものと同様、知識を整理することをブログの履歴を明示することよりも重視しますので、とくにことわらずに改訂する可能性があります。)

masudako

CO2がふえても温室効果は強まらないという議論(飽和論)への反論

「CO2による吸収は飽和しているからCO2がふえても温暖化しない」という議論(ここでは仮に「飽和論」と呼びます)について、東京大学IR3SからIR3S/TIGS叢書として公開されている「地球温暖化懐疑論批判」では議論27として、東北大学の明日香さんのサイトから公開している「地球温暖化懐疑論へのコメント Ver.3.0」では議論26として、反論しました。

最近、その反論を名指しで反論する記事を見かけました。あるブログの古い記事に対するコメントになっており、そこで議論を続けるのはあまり適当でないと思いましたので、ここに移って論じることにします。

この記事は上記の2つの文書の著者を代表する立場で書いてはおりません。また、この記事は、知識を整理することをブログの履歴を明示することよりも重視し、とくにことわらずに改訂する可能性があることを、あらかじめおことわりします。

飽和論への反論は、大きく分けて次の3点があります。ただし第3点は「地球温暖化懐疑論批判」や「地球温暖化懐疑論へのコメント」では省略しました。

  • 1. 吸収が飽和している波長域についても、吸収物質量が多いほど熱放射が宇宙空間に出て行くまでに吸収・射出をくりかえす回数がふえるので温室効果は強まる。
  • 2. CO2による吸収のある波長域のうちには、水蒸気その他の効果を合わせても飽和していない波長域がある。
  • 3. 地表付近と成層圏とでは圧力の桁が違う。圧力が高いほど、分子間の衝突によるエネルギー交換が起きやすいので、波長の軸の中での吸収線の幅は広くなる。したがって成層圏のCO2による吸収は地表付近の気圧の場合よりも飽和しにくい。


第1点のしくみの大筋を説明します [この部分、助言をいただいて加筆しました。2010-09-16][さらに加筆・改訂しました。2010-10-01]。

まず、放射を吸収する物質は放射を射出する物質でもあり、波長別にみて吸収率と射出率は等しいです。以下、地球放射(地表と大気の両方を含む)の波長域の電磁波を吸収・射出する能力をもつ分子を仮に「吸収体分子」と呼びます。

吸収体分子が吸収した放射のエネルギーは、まず吸収体分子の振動(または回転)のエネルギーになりますが、分子どうしの衝突によって、それを含む空気の内部エネルギー(分子運動のエネルギーの総体)に移っていきます。これが、放射を吸収して気温が上がるということです。あらためて、内部エネルギーの一部が吸収体分子の振動のエネルギーになり、その振動に見合った波長の放射として出て行きます。これが、放射を射出して気温が下がることにあたります。いったん内部エネルギーに変わるので、吸収される放射と射出される放射は同じ波長とは限りません。

放射が通る経路の長さが同じでも、吸収体の濃度が高いと、吸収体分子にぶつかって吸収され、内部エネルギーとなり、あらためて吸収体分子から射出される、ということが起こる回数が多くなります。その結果として、温室効果が強まる、つまり地表面温度と地球の有効放射温度(地球から宇宙に出て行く放射の代表温度)との違いが大きくなるのです。

さて、今回見かけた飽和論を主張しているかたは、CO2による吸収の強い15μm付近の波長域に注目し、観測例の論文(それ自体は飽和論ではない)を参照して「観測値では地表からの上向き放射の地球放射と大気からの下向きの大気放射は同じ値」と述べておられます。この観測事実自体はもっともです。地表に届くこの波長域の下向きの放射は低い(地表に近い)ところから来ているので、そこの気温と地表面温度との違いは少なく、また(この波長域に限った)大気の射出率(同じ温度の黒体放射に対する実際の放射の比率)は1に近いので、上向きと下向きの放射の大きさはあまり違いません。

しかし、温室効果を反映しているのはこの違いではなくて、大気上端から外に出て行く上向き地球放射と、大気から地表面に向かう下向き大気放射とが違うことなのです。同じ大気のうちでも、宇宙空間に出て行く放射を出しているところと、地表面に向かう放射を出しているところの温度は違ってよく、したがってそこから出る大気放射の大きさは違ってよいのです。この違いは、地球放射が吸収・射出をくりかえす回数がふえるほど大きくなります。

第2点に関しては、CO2による吸収は15μm帯ばかりではないことと、15μm帯周辺(とくに短波長側)での水蒸気による吸収は飽和していないことに注意してほしいと思います。ただし、吸収の強さは波長の非常に細かな違いでも大きく違いますので、文献やウェブサイトに図の形で示されたものは、専門家が注意深く作ったものであっても、必ずしも正確な数値を示していません。(すなおに吸収率のグラフを作ると、横軸のわずかな長さのうちに縦軸の値が大きく変化するので、ほとんど真っ黒になる部分もあります。そういう波長域こそ、吸収率が吸収体濃度に敏感なところなのです。) 本気で数値を知りたいのならば専門家向けの数値データ集を見る必要があります。数値自体ではなくその大まかな特徴をよく表わしていると思われる図として、1分子あたりの波長別吸収能力については浅野「大気放射学の基礎」の本の図3.1 (Bohren and Clothiauxの本より)、大気全層の成分別波長別透過率(地球放射の波長域では「1-吸収率」と見てよい)については同じ本の図2.8 (Pettyの本より)などをごらんください。

第3点は、1955年ごろにPlassという人の研究で明らかになったことで、その話はWeart (ワート) 「温暖化の発見とは何か」の第2章に出てきます。地上の気圧のもとで計測された吸収率をそのまま大気に適用すると吸収が過大評価になりがちで、精密な計算には大気放射学の基礎の本で「不均質大気」と呼ばれている扱いが必要になるのです。

文献

  • 浅野 正二, 2010: 大気放射学の基礎。朝倉書店。
  • S.R. Weart (ワート), 2003, 日本語版2005: 温暖化の<発見>とは何か。みすず書房。

masudako
記事検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
  • ライブドアブログ