気候変動・千夜一話

地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者たちの日記です。

2010年10月

水蒸気の変化傾向 -- 再解析データによれば....

2008年11月2日の記事「水蒸気の変化傾向」の続きの話題です。残念ながらその話題全体の展望ではなく、ある部分の理解が少し進んだという話です。

地球温暖化に対する懐疑論のうちに、「ここ数十年の観測データによれば気温は上がっているのに対流圏上部の水蒸気量が減っている、したがって水蒸気によるフィードバックは負であり、温暖化は抑制される」という議論があるそうです。(これは温室効果の存在を否定する議論とは両立しないことにご注意ください。)

水蒸気量が減っているという話は、Paltridge (ポールトリッジ)さんというオーストラリアの気象学者による2009年に出版された論文にあります。Paltridgeさんは。大気の放射伝達について本を書いたり、気候システムに非平衡熱力学のエントロピー生成最大仮説を適用した理論的研究をした実績のある学者ですが、2009年には温暖化懐疑論の主張を書いた本を出しています([読書ノート])。その本に、水蒸気が減っているという論文を投稿したが不採用になったという話があります。その後、別の雑誌に論文を投稿しなおしたものが出版されています。

Paltridgeほかの論文の材料は、「NCEP/NCAR再解析」というデータで、対象期間は1973年から2007年まででした。再解析とは何かを説明すると長くなってしまいますが、簡単に述べると、長期間の気象観測報告を一定の数値天気予報モデルに取りこんで、観測値とも物理法則ともつじつまのあったデータセットを作成することです。(もう少しだけ詳しくは、教材用ページ「気象の数値予報でのモデルの使われかた」[2011-03-31リンク先変更]をごらんください。) 世界でいくつかの20年以上にわたる再解析が行なわれていますが、そのうち最初に実現されたのは、アメリカの気象庁に相当するNOAAのNCEPと大学共同研究所であるNCARとの共同事業によるものでした。この再解析の結果のデータセットに従えば、確かに1973年以来の対流圏上部の水蒸気の変化傾向は減少です。

しかし2010年になって、アメリカのテキサスA&M大学の気象学者Dessler (デスラー)さんの論文が出ました(受理8月、出版10月)。NCEP/NCARを含む5つの再解析データセットについて水蒸気量の変化傾向を見ています。このうちには日本の気象庁と電力中央研究所によるJRA25 (http://jra.kishou.go.jp 参照)も含まれています。再解析データがそろっている必要から対象期間が1979年以後となっていますが、NCEP/NCARデータではPaltridgeほかの結果と同様な対流圏上部の水蒸気の減少が見られるのに対して、他の再解析では増加または変化が小さいです。再解析どうしの違いがかなりあるので、まだ現実の変化傾向に定量的にせまるのはむずかしいですが、対流圏上部の水蒸気の減少傾向はどの再解析でも見られる特徴ではなくNCEP/NCAR特有のものであることがわかったわけです。

違いが生じた原因は次のように推測されています。水蒸気の情報源となる観測データとして、NCEP/NCAR再解析が使ったのは、各国気象庁が定期的に行なっているラジオゾンデ観測でした。これは気球に温度計・湿度計・気圧計と電波発信器をつけて上昇させながら観測するものです。そののちの再解析は、人工衛星センサーで得られた電磁波(赤外線やマイクロ波)の情報をもあわせて使うようになりました。

ラジオゾンデ観測は気候変化に関する貴重な情報源です。とくに衛星観測が始まる前の対流圏の情報はほかにありません。しかし、変化傾向を論じるときにはデータの質の変化に注意が必要です。対流圏のうちでも下のほうに比べて上のほうでは大気中の水蒸気の混合比は桁違いに小さいです。湿度センサーがまわりの湿度の違いに応答するのは時間がかかり、水蒸気の多いところを通過したあとで少ない水蒸気量を精度よく観測するのはむずかしいです。機種が変更されるときには、応答時間の長いものから短いものに変わることが多いです。すると対流圏上部の湿度が見かけ上低いほうにずれることになりがちです。

実はNCEP/NCAR再解析で対流圏上部の水蒸気の減少が見られることにはNCEPの人たちも気づいていて、Yang (ヤン)さんによって2003年に学会発表されて予稿が今もオンラインに置かれています。これは学術論文にはなっていませんでしたが、Paltridgeさんの論文について最初に投稿された学術雑誌の編集者が「これは周知の事実であり掲載価値がない」と判断したとしてもふしぎはないと思います。

なお衛星のほうも、センサーの世代交代があります。違った設計のセンサーの場合は水蒸気の情報を取り出す方法を作りなおさなければなりませんし、同じ設計のセンサーどうしでも個体差があって、データの質をそろえるのはなかなかむずかしいのです。衛星データを取り入れた再解析どうしのくいちがいのおもな理由はこのあたりにあると思います。

masudako

文献
  • A.E. DESSLER & S.M. DAVIS, 2010: Trends in tropospheric humidity from reanalysis systems. Journal of Geophysical Research, 115, D19127, doi:10.1029/2010JD014192. [要旨は無料、本文は有料] [PDF (著者サイト)] [2011-09-26訂正: 発行年をわたしが2001と書きまちがえていましたが、正しくは2010です。]

  • Garth PALTRIDGE, Albert ARKING & Michael POOK, 2009: Trends in middle- and upper-level tropospheric humidity from NCEP reanalysis data. Theoretical and Applied Climatology, 98, 351 - 359. doi:10.1007/s00704-009-0117-x [要旨は無料、本文は有料]

  • S.-K. YANG, M. KANAMITSU, W. EBISUZAKI, A.J. MILLER & G. POTTER, 2003: The tropospheric humidity trends of NCEP/NCAR Reanalysis before satellite era. Symposium on Observing and Understanding the Variability of Water in Weather and Climate, American Meteorological Society. [PDF (学会サイト)]

地球大気の温室効果に対する水蒸気と二酸化炭素の役割 -- 水蒸気だけだったら

8月28日の記事「地球大気の温室効果に対する水蒸気と二酸化炭素の役割」の前半の話題の続きです。

地球大気の温室効果に対する水蒸気と二酸化炭素その他の役割に関する、NASA GISSのチームによる数値実験の論文がもうひとつ出ました。筆頭著者はAndrew Lacis (アンドリュー・レイシス)さんです。論文はScienceという雑誌に出たもので、このページに要旨があり、購読者は本文に進むこともできます。GISSからの紹介文はここにありますこのサイトにもう少し詳しい紹介がありました

GISSの気候モデルを使った数値実験です。(ただし、海洋については、循環の詳しい計算は省略して、熱輸送を経験的に入れた方法によっています。) 二酸化炭素その他の凝結しない温室効果気体(熱赤外線を吸収・射出する分子)の量を仮想的にゼロにしてしまい、温室効果をもつ物質は水蒸気だけとしました。現在の気候に近い初期状態からシミュレーションを始めたのですが、25年ほどで、全球平均地上気温が -21℃ くらいに落ち着きました。海洋の約半分の面積が海氷に覆われた状態です。寒い気候になった理由は、今の気候よりも太陽光の反射がやや大きいこともありますが、温度が低いと大気が含みうる水蒸気が少ないため温室効果が大きくなれないことが重要です。

今の状態での温室効果の主役は確かに水蒸気ですが、それだけの水蒸気を含む大気が成り立つのに、二酸化炭素をはじめとする凝結しない温室効果気体の存在が必要なのです。

masudako

温室効果は熱力学に反しません。下向き赤外放射は存在します。

温室効果は熱力学に反しません。
「地球大気の温室効果は熱力学の第2法則に反する。熱力学第2法則が成り立っていることは確実なので、温室効果は存在しない。」という議論を聞くことがあります。ここでいう温室効果は、「大気中の成分が、地表面や大気自体が出す電磁波(赤外線)を吸収したり射出したりする結果、それがなかった場合に比べて地表面温度あるいは地上気温が高くなる」という効果をさします。ガラスの温室の働きをさしてはいません。(ガラスの温室についてはわたしは詳しくありませんが、別記事へのコメント1の前半で質問がありましたので、わたしの知る限りのことはコメント2,3で答えました。)

温室効果が熱力学に反するという議論の源はひとつではないようですが、最近よく話題になるのは、ドイツのGerlichとTscheuschnerという2人の物理学者による論文です。これは2009年に物理の学術雑誌に論文として出版されました。
  • Gerhard Gerlich and Ralf D. Tscheuschner, 2009: Falsification of the atmospheric CO2 greenhouse effects within the frame of physics. International Journal of Modern Physics, B, Vol 23, 275-364, doi:10.1142/S021797920904984X.

題名のfalsificationは「偽造」ではなくて「反証」です。この雑誌には電子版もありますが有料なので、多くの人が見ているのは出版前の原稿のようです。arXivというサイトにarXiv:0707.1161v4 として登録されています。わたしもダウンロードはしたのですが、印刷論文よりは字の大きい投稿原稿の形であるものの115ページもあり、読む時間がとれずにいます。それで、この論文を積極的に論じることはしないできたのですが、別記事へのコメント1の後半に、あおぞらさんからの質問がありましたので、わかる範囲でお答えすることにします。

同じ雑誌に反論の論文が出ています。
  • Joshua B. Halpern, Christopher M. Colose, Chris Ho-Stuart, Joel D. Shore, Arthur P. Smith And J���rg Zimmermann, 2010: Comment on "Falsification of the atmospheric CO2 greenhouse effects within the frame of physics", International Journal of Modern Physics B, Vol 24, 1309-1332, doi:10.1142/S021797921005555X.

http://groups.google.com/group/rabett-run-labs/files/にあるG&T2.11.pdfが完成に近い原稿です。また http://climatephysicsforums.com/topic/3292392/1/に著者のひとりChris Ho-Stuartさんによる紹介があります。

同じ雑誌にはGerlich and Tscheuschnerによる論文もまた出ていますが、ざっと見たところではここで紹介した論点には関係ありません。

Halpernさんたちによる反論を読んでわたしが理解した限りでは、Gerlichさんたちは、温度の低い大気から温度の高い地表面に向かう下向きの赤外放射の存在は熱力学第2法則に反すると言ったようです。しかし、現実には同時に地表面から上向きの赤外放射もありその多くの部分が大気に吸収されます。合わせて考えれば熱力学第2法則と矛盾はしません。

(下向き放射だけを取り出した議論は、冷蔵庫について、電気エネルギーが空気の内部エネルギーに変わるところでエントロピーがふえていることを無視して、低温の庫内から高温の庫外に熱が流れるのは熱力学第2法則に反していると言うのに似ていると思います。)

下向き赤外放射は存在します。
また、下向き赤外放射によるエネルギーの流れは観測可能な量です。赤外線を感じるセンサーを空に向けてみるだけでわかります。(ただし、昼間は太陽からくる放射もあるので、大気からの放射があることを自信をもって言えるのは夜に限られるかもしれません。)

ただし、定量的に正確な観測をするのはなかなかたいへんで、継続された観測は少数の地点にしかないので、地球全体の総量は推計でしか示せません。

たとえば次の文献の図12に、1970年代当時得られた推計値が示されています。
  • 槌田 敦, 1978: 資源物理学の試み III 生存の理論。科学, Vol. 48, 303 - 310 (1978年5月号)。

「片山:日本気象協会報告書(1975)に加筆作成」とあります。「片山」は当時気象庁気象研究所の片山昭さんにちがいなく、大気の放射過程を含むエネルギー収支の世界レベルの専門家でした。残念ながらわたしはこの報告書を同定できておらず、片山さんが数値を出した詳しい根拠も槌田さんによる加筆点も確認できていませんが、エネルギーの流れの数値と矢印は当時の物理気候学専門家によるものにちがいないです。この「入力」の「地表」のところに向かう2つの矢印のうち96が大気からの赤外放射です。(説明として「温室効果」と書いてあるのはこの項が温室効果をもたらすのだという議論のためだと思います。この図の文脈でこの矢印に名前をつけるとすれば「大気からの熱放射」でしょう。) なお、この図のエネルギーの流れの数値は、地球に届く太陽放射のエネルギー(反射されるぶんを含む)を100とした相対値です。

最近の知見でも大筋は変わりませんが、具体的な数値の例はひとまずわたしが大学の授業用に用意したページの図をごらんください。(大村纂[あつむ]さんによる英語の文献の図のことばを日本語に訳し、Trenberthほか(2009)の文献による数値を赤で追加したものです)。図の右側に、大気から地表に向かう下向き赤外放射があり、大村ほかの数値が345、Trenberthほかの数値が333となっています。[この部分、わたしは2010-10-17の投稿時に恥ずかしいとりちがえをしてしまいました。2010-10-18に修正しました。]こちらの単位はW/m2です。地球に届く太陽放射のエネルギーは、図の上に示された342または341 W/m2です(地表面の単位面積あたりなので、いわゆる太陽定数の4分の1になります)。

masudako
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