気候変動・千夜一話

地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者たちの日記です。

2010年11月

質問箱

この記事のコメント欄で、質問や情報提供を受けつけます。このブログの主題に関連するが、すでに投稿された記事への直接のコメントではないものを想定しております。

ただし、ご質問に必ず答えるという約束はできませんのでどうかご了解ください。また、答えないとしても、その理由は

  • だれにも答えられない問題である

  • 世の中に答えられる人はいるが、少人数のclimate_writersの能力がおよばない

  • 答える能力があるが時間がとれない


などいろいろありえますので、どれかに決めつけないようお願いします。

また、このブログにふさわしくないと判断したコメントは消すことがあります。ご不満のこともあると思いますが、その判断は管理人(climate_writers)におまかせくださいますようお願いします。

***

「このブログの執筆者について」の記事のコメント欄での sf777 さんの質問の話題は、ここに移動して続けたいと思います。

masudako (climate_writersのひとり)

つじつまが大切です

地球温暖化に対する懐疑論を述べる人のうちには、持論がしっかりしていてそれと矛盾することは言わない人もいます。そういう種類の人が独立にたてた主張どうしは、両立しないことがよくあります。このような主張を論評する場合は、温暖化懐疑論としてくくらないで、A氏の主張、B氏の主張それぞれについて(同じ人でも見解が変わった場合はその前後も区別して)考えたほうがよいでしょう。

ところが、そのようなA氏、B氏の両方の主張を受け売りして広める人もいます。(それは現役の科学者ではなく、ジャーナリストや評論家、あるいは現役を離れた元科学者であることが多いですが。)

(「A氏の言うこともB氏の言うこともそれぞれ正しいかもしれない」という主張ならば、矛盾は生じません。ここでわたしが批評している対象は、ときにはA氏の言うこと、ときにはB氏の言うことが正しいことを確信しているかのように話す人のことです。その矛盾に気づいていない場合と、矛盾を承知で詭弁を述べている場合の両方を含みます。)

英語圏にSkepticalScience (http://www.skepticalscience.com )という、温暖化懐疑論に対する批判が最近とても活発にされているウェブサイトがあります。オーストラリアのJohn Cook(クック)さんが中心となっています。書いている人は専門家ではないことが多く科学的内容がすべて正しいとは限りませんが、明らかなまちがいはわりあい早く訂正されるのがふつうです。

そこのブログに10月6日、Stephan Lewandowsky (レワンドウスキーと読むのか?)さんによるThe value of coherence in scienceという記事が出ました。科学の議論ではつじつまが合っていることが大切だ、ということです。

  • 「『リンゴなんていうものはないよ』と言ったかと思えば『リンゴは天然に木の上に実ってるよ』と言うヤツが信頼できると思う?」

  • 「『羊の値段は全然わからないよ』と言ったかと思えば『いま羊が安いから買うよ』と言うヤツが信頼できると思う?」

と言ったたとえ話をしています。

温暖化懐疑論者の全部ではないのですが、温暖化懐疑論を受け売りして広める人のうちには、
  • 『地球温暖化などというものはない』と言ったかと思えば『温暖化は自然変動だ』と言う人や、

  • 『温度の観測値は全然あてにならない』と言ったかと思えば『温度が上昇していないことは確かだ』と言う人

もいます。話術がうまいと、一見もっともなことを言っているように聞こえますが、議論のつじつまが合っていないのです。

つじつまが合っていても、正しいとは限りません。しかし、つじつまの合わない議論は、正しいかどうかの判断さえできないので、科学的な検討の材料にさえなりません。政策決定の根拠にもならないはずです。

ものごとの科学的説明はわかりやすくできるとは限りません。科学的議論を追いかける際には、わかりやすさよりも、つじつまが合っているかに重点を置いて、信頼できそうな情報源を選んでいただきたいと思います。

masudako

ふろおけモデル -- たまりと流れのあるシステムの準定常状態

9月25日の「炭素循環の中での人為起源二酸化炭素(1) たまりと流れ」の記事を書いたときにふれようと思ったが長くなるので省略したのですが、「CO2がふえても温室効果は強まらないという議論(飽和論)への反論」の記事へのおおくぼさんのコメント(18番)に答えようとして必要を感じたので、書いてみることにします。

ほかの分野にもあると思いますが、地球環境科学では、質量やエネルギーの「流れ」と「たまり」のあるシステムを考えることが多いです。そして、そのシステムが「準定常状態にある」、つまり、「流れによってものは入れかわるが、それぞれの部分の流量はほぼ一定であり、たまっている量もほぼ一定である」と考えることが多いです。システムにとっての外部条件がゆっくり変わると、システムの準定常状態は、ずれていきます。

そのようなシステムの簡単な例として、ふろおけ(洗濯おけでも流し台でもかまいませんが)にたまった水を考えることができます。この例は、1972年に出た『成長の限界』という本に示されたシミュレーションをしたドネラ・メドウズ(Donella Meadows)さんの遺著『Thinking in Systems』[読書ノート]の第1章に詳しく説明されていますが、ほかにもいろいろな人が使っていると思います。

【[2016-03-25訂正] メドウズさんの本(日本語版『世界はシステムで動く』も出ました)を読みかえしてみたら、ふろおけは出てくるし、ここで述べるのと同じ数理的構造の話もあるのですが、残念ながら、ふろおけはその構造の例にはなっていませんでした。】

おけの断面の形はなんでもかまいませんが、高さによらず同じ形だとします。そうするとたまっている水の量は水位に比例します。上にたとえば水道の蛇口があって、ある流量(単位時間あたりの質量)で水が供給され続けるとします。おけの底には小さな穴があいていて水が抜けていくとします。出て行く流量は、水位と一定の関数関係にあり、水位が高いほど多いとします(たとえば単純に水位に比例するとすることもできます)。

まず流入量が一定だとします。水位から決まる流出量がこれより小さければ水位は上がり流出量がふえます。大きければ水位は下がり流出量が減ります。結局、水位は、流出量が流入量と等しくなるようなところに落ち着き、定常状態となるでしょう。

もし流入量がゆっくりと増加したとすれば、水位は、それぞれの流入量に対応した準定常状態を保ちながら上がっていくでしょう。

さて、水の出口の穴が少し詰まったとします。水位から流出量を決める関数の形は変わらないが比例係数の数値が小さくなったとしましょう。流入量が変わらなければ、水位が上がり、前よりも高いところで落ち着くはずです。

【[2016-03-25補足] ここで述べた理屈を、大学の授業の教材として用意した別ページ「ふろおけモデル」に、もう少し詳しく書きました。】

温室効果の強化
大気中で温室効果物質がふえることは、地球の大気・水圏をエネルギーの流れとたまりのあるシステムととらえたとき、ふろおけの出口の穴が詰まりぎみになることにたとえることができます。太陽からのエネルギー流入量は基本的に変わりません(地球による吸収率が変わる可能性はありますが)。しかし地球放射(赤外線)によってエネルギーが流出する効率がにぶるので、準定常状態がたまっているエネルギーが多いほうにずれるのです。

もっとも、なぜ温室効果物質がふえるとエネルギーの流出の効率が下がるのかの説明は簡単ではありません。

実際、成層圏の上部に注目すれば、温室効果物質がふえることは、その高さの空気からの地球放射によってエネルギーを宇宙空間に流出させる効率を高めるように働き、したがって準定常状態でのその高さの空気のもつエネルギーのたまりを減らし、その高さの気温を下げるように働きます。

大気中の二酸化炭素量
今度は、炭素の質量のたまりと流れを考えてみます。

人間活動がなくても、植物の光合成とそれでできた有機物の分解などにより、大気と陸・海の間には炭素のやりとりがありますが、これは(季節変化と年々変動をならして集計すると)ほぼつりあっていて、大気中の二酸化炭素の形での炭素の質量のたまりは準定常状態にあったと考えられています。

これは概念としてはふろおけにたとえることができます。ただし、ふろおけの場合は、流入量は水位と無関係で、流出量は水位と決定的に結びついています。炭素のやりとりの場合は、大気にとっての流入量のうちに、大気中の二酸化炭素濃度に依存して変化する部分と、それと無関係で外的条件と考えられる部分が含まれる、という違いがあります。それにしても、「大気中の二酸化炭素がふえると、大気にとっての正味の炭素流出量がふえる(流出量がふえるか流入量が減る)」という因果関係があり、これが負のフィードバックとなって状態を準定常に近づけていると考えられます。

実は9月25日の記事を書いた直前に、スティーヴン・シュナイダー(Stephen Schneider)さんが7月に亡くなる前にオーストラリアで録画されたテレビ番組で地球温暖化に懐疑的な市民の疑問に答えていたのを知りました。http://news.sbs.com.au/insight/episode/index/id/302#transcript に記録があります。この中で「人間活動由来の炭素排出は、自然の海・陸から大気への炭素の流れの3%程度にすぎないのに、重要なのか」という疑問に対して、シュナイダーさんは、ふろおけのたとえを使って答えていました。

masudako
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