「このブログについて」という記事にコメントがありました。このブログを始める前の、2006年2月18日にあった討論会のことが話題になっています。
その討論会に、わたしは講演者ではなく聴衆のひとりとして出席していました。全体討論の時間に、槌田敦さんの講演について、放射対流平衡というのは熱力学的平衡ではない、地球が宇宙空間に出す放射の代表高さは固定されていない、という2つのコメントをしたと記憶しています。しかし、短くそれだけ述べただけでしたので、槌田さんにはその意味をわかっていただけなかったようですし、ほかの聴衆のかたにもわかっていただけなかったのではないかと思います。ここで説明をしなおしてみることにします。
二酸化炭素がふえるとどのくらい気候が温暖化するかという定量的見通しに関して、多くの専門家が認める数値を出したのは、真鍋さんとWetherald (ウェザラルド)さんの1967年の論文(アメリカのNational Science Digital Libraryに説明とPDFファイルがあります)です。これは、鉛直1次元モデルによって、二酸化炭素倍増に対する定常応答(1月20日の記事参照)を計算したものです。
放射対流平衡は熱力学的平衡ではない
この論文の題名にはthermal equilibriumということばが使われており、直訳すれば「熱平衡」となりますので、これだけを見れば、熱力学的平衡状態のことと思うのももっともです。しかし、科学者の用語体系は専門ごとに少しずつ違っています。これがのったのはアメリカ気象学会の雑誌です。気象学、とくにその理論的部分は物理学を基礎としていますのでその用語は物理学者のものと重なりが大きいですが、思わぬところでずれていることがあります。気象学者はふつうthermal equilibriumを熱力学的平衡のことだと思いません。それが何を意味するかは自明ではなく、文脈によります。真鍋さんの論文の文脈では、エネルギーの出入りがつりあっている(出て行くエネルギーの流れとはいってくるエネルギーの流れの量が等しい)ことをさします。基本的物理法則のひとつであるエネルギー保存則(熱力学の第1法則)を前提としていますので、エネルギーの出入りがつりあっているということは、系内のエネルギーが定常状態にあることでもあります。
熱はエネルギー伝達の方法のうちで仕事以外のものです。熱伝達の形は、伝導、対流、放射に分けられます。伝導とは接触した物体どうしの間で分子運動のエネルギーが伝わることです。対流とは(熱伝達の文脈では)物体の移動に伴ってエネルギーが動くことです。放射とは光や赤外線などの電磁波に伴ってエネルギーが動くことです。
大気の温度が決まるしくみを考えるうえでは、大気を鉛直にいくつもの層に分けて考えることが必要でしたが、ひとまず水平の緯度・経度にはよらず一様とみなすことができます。鉛直方向のエネルギー伝達として、まず放射だけを考え、各層それぞれについてエネルギーの出入りがつりあった状態を「放射平衡」と呼びました。しかし大気のうち地表に近い部分(対流圏と呼ばれる)の鉛直温度分布はそれだけではうまく説明できません。そこで対流も考慮し、各層について放射と対流によるエネルギーの出入りの合計がつりあった状態を考えました。これが「放射対流平衡」ですが、熱伝達が(熱力学第1法則の意味で)つりあった状態という意味でthermal equilibriumとも呼んだのです。
熱力学の用語を使えば、この状態は非平衡定常状態の一種です。したがって、わたしはこの状態をさすのに「定常」という用語を使い「平衡」を避けるように心がけています。しかし、これが「平衡」と表現されていても、気象学者が熱力学を誤解しているわけではなく、用語に関する習慣の違いであるとして理解していただきたいと思います。
(なお、「対流」ということばにも意味の広がりの違いがあります。「放射対流平衡」では大気の運動のすべてを含んでいますが、気象学のうちでも別の文脈では、もっと限定された種類の運動をさすことが多いです。)
大気が放射を出す高さは固定されていない
地球のエネルギーの支出は、地球が宇宙空間に赤外線を主とする放射を出すことによります。これには地表面(地面・海面)と大気のいろいろな高さの雲や気体成分とから出るものが混ざっていますが、概算としては、ひとつの温度の黒体放射で近似し、ひとつの代表的な高さから出ると考えることができます。
槌田さんはこの高さが固定されていると考えておられるようです。2006年の時点ではわたしはその考えの筋道を追うことができていなかったのですが、槌田さんが2008年に「at (あっと)」という雑誌の11号65-83ページに出された「温暖化の脅威を語る気象学者のこじつけ論理」という文章の「気温は何によって決まるのか」という部分を見てだいぶわかりました。その中には「5900メートル高度で放熱、その気温は-23℃」と書かれています。
この代表温度は今の知識からすると-18℃というべきですが、1970年代には地球の太陽放射反射率が36%と見積もられていたので、それを前提とするともっともな値です。代表高さのほうもいくらか修正が必要だと思いますが、対流圏中層の高さであることはまちがいありません。この温度と地上気温の関係をつけるのは「断熱圧縮」とされています。これは真鍋・Wetherald (1967)の論文で対流圏の鉛直温度勾配を与えた根拠が基本的に断熱変化であるのと同じです。したがって、気候の変化を考えない限り、槌田さんによる地球の気候の基本の説明は正しいと思います。
しかし、それから槌田さんが大気の成分が変わっても温暖化は起こらないとされる理屈は、この5900メートルという高さが変わらないことを前提としているように思われます。しかしこの高さは、今の気候のもとで平均気温が地球の出す放射の代表温度に一致する高さであるにすぎません。気候が変わってもこの高さが固定される理由はないのです。
大気が赤外線に対して今よりも不透明になれば、地球を赤外線の目で外から見て見えるところは、外から見て近いところ、つまり地表から見て高いところにずれるでしょう。しかし、太陽が出す放射と地球の太陽放射反射率が変わらなければ、エネルギーの出入りがつりあう放射の代表温度は変わりません。代表高さが高いほうにずれて、鉛直温度勾配を決めるしくみが変わらなければ、高さゼロでの気温は高くなることになります。
大気のうち赤外線を吸収・射出する成分の濃度が変わることは、放射を出す代表高さの変化を通じて、気候の温暖化・寒冷化を起こすことができるのです。
masudako
その討論会に、わたしは講演者ではなく聴衆のひとりとして出席していました。全体討論の時間に、槌田敦さんの講演について、放射対流平衡というのは熱力学的平衡ではない、地球が宇宙空間に出す放射の代表高さは固定されていない、という2つのコメントをしたと記憶しています。しかし、短くそれだけ述べただけでしたので、槌田さんにはその意味をわかっていただけなかったようですし、ほかの聴衆のかたにもわかっていただけなかったのではないかと思います。ここで説明をしなおしてみることにします。
二酸化炭素がふえるとどのくらい気候が温暖化するかという定量的見通しに関して、多くの専門家が認める数値を出したのは、真鍋さんとWetherald (ウェザラルド)さんの1967年の論文(アメリカのNational Science Digital Libraryに説明とPDFファイルがあります)です。これは、鉛直1次元モデルによって、二酸化炭素倍増に対する定常応答(1月20日の記事参照)を計算したものです。
放射対流平衡は熱力学的平衡ではない
この論文の題名にはthermal equilibriumということばが使われており、直訳すれば「熱平衡」となりますので、これだけを見れば、熱力学的平衡状態のことと思うのももっともです。しかし、科学者の用語体系は専門ごとに少しずつ違っています。これがのったのはアメリカ気象学会の雑誌です。気象学、とくにその理論的部分は物理学を基礎としていますのでその用語は物理学者のものと重なりが大きいですが、思わぬところでずれていることがあります。気象学者はふつうthermal equilibriumを熱力学的平衡のことだと思いません。それが何を意味するかは自明ではなく、文脈によります。真鍋さんの論文の文脈では、エネルギーの出入りがつりあっている(出て行くエネルギーの流れとはいってくるエネルギーの流れの量が等しい)ことをさします。基本的物理法則のひとつであるエネルギー保存則(熱力学の第1法則)を前提としていますので、エネルギーの出入りがつりあっているということは、系内のエネルギーが定常状態にあることでもあります。
熱はエネルギー伝達の方法のうちで仕事以外のものです。熱伝達の形は、伝導、対流、放射に分けられます。伝導とは接触した物体どうしの間で分子運動のエネルギーが伝わることです。対流とは(熱伝達の文脈では)物体の移動に伴ってエネルギーが動くことです。放射とは光や赤外線などの電磁波に伴ってエネルギーが動くことです。
大気の温度が決まるしくみを考えるうえでは、大気を鉛直にいくつもの層に分けて考えることが必要でしたが、ひとまず水平の緯度・経度にはよらず一様とみなすことができます。鉛直方向のエネルギー伝達として、まず放射だけを考え、各層それぞれについてエネルギーの出入りがつりあった状態を「放射平衡」と呼びました。しかし大気のうち地表に近い部分(対流圏と呼ばれる)の鉛直温度分布はそれだけではうまく説明できません。そこで対流も考慮し、各層について放射と対流によるエネルギーの出入りの合計がつりあった状態を考えました。これが「放射対流平衡」ですが、熱伝達が(熱力学第1法則の意味で)つりあった状態という意味でthermal equilibriumとも呼んだのです。
熱力学の用語を使えば、この状態は非平衡定常状態の一種です。したがって、わたしはこの状態をさすのに「定常」という用語を使い「平衡」を避けるように心がけています。しかし、これが「平衡」と表現されていても、気象学者が熱力学を誤解しているわけではなく、用語に関する習慣の違いであるとして理解していただきたいと思います。
(なお、「対流」ということばにも意味の広がりの違いがあります。「放射対流平衡」では大気の運動のすべてを含んでいますが、気象学のうちでも別の文脈では、もっと限定された種類の運動をさすことが多いです。)
大気が放射を出す高さは固定されていない
地球のエネルギーの支出は、地球が宇宙空間に赤外線を主とする放射を出すことによります。これには地表面(地面・海面)と大気のいろいろな高さの雲や気体成分とから出るものが混ざっていますが、概算としては、ひとつの温度の黒体放射で近似し、ひとつの代表的な高さから出ると考えることができます。
槌田さんはこの高さが固定されていると考えておられるようです。2006年の時点ではわたしはその考えの筋道を追うことができていなかったのですが、槌田さんが2008年に「at (あっと)」という雑誌の11号65-83ページに出された「温暖化の脅威を語る気象学者のこじつけ論理」という文章の「気温は何によって決まるのか」という部分を見てだいぶわかりました。その中には「5900メートル高度で放熱、その気温は-23℃」と書かれています。
この代表温度は今の知識からすると-18℃というべきですが、1970年代には地球の太陽放射反射率が36%と見積もられていたので、それを前提とするともっともな値です。代表高さのほうもいくらか修正が必要だと思いますが、対流圏中層の高さであることはまちがいありません。この温度と地上気温の関係をつけるのは「断熱圧縮」とされています。これは真鍋・Wetherald (1967)の論文で対流圏の鉛直温度勾配を与えた根拠が基本的に断熱変化であるのと同じです。したがって、気候の変化を考えない限り、槌田さんによる地球の気候の基本の説明は正しいと思います。
しかし、それから槌田さんが大気の成分が変わっても温暖化は起こらないとされる理屈は、この5900メートルという高さが変わらないことを前提としているように思われます。しかしこの高さは、今の気候のもとで平均気温が地球の出す放射の代表温度に一致する高さであるにすぎません。気候が変わってもこの高さが固定される理由はないのです。
大気が赤外線に対して今よりも不透明になれば、地球を赤外線の目で外から見て見えるところは、外から見て近いところ、つまり地表から見て高いところにずれるでしょう。しかし、太陽が出す放射と地球の太陽放射反射率が変わらなければ、エネルギーの出入りがつりあう放射の代表温度は変わりません。代表高さが高いほうにずれて、鉛直温度勾配を決めるしくみが変わらなければ、高さゼロでの気温は高くなることになります。
大気のうち赤外線を吸収・射出する成分の濃度が変わることは、放射を出す代表高さの変化を通じて、気候の温暖化・寒冷化を起こすことができるのです。
masudako