気候変動・千夜一話

地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者たちの日記です。

2011年04月

SPEEDIの計算結果(図)公開

国の文部科学省の事業として原子力安全技術センターが担当してきたSPEEDIという数値モデルによる、福島第1原子力発電所からの放射性物質のローカルな(数十kmスケールの)広がりのシミュレーション計算結果の図が、内閣府の原子力安全委員会事務局のウェブサイトの中の次のところhttp://www.nsc.go.jp/mext_speedi/から公開されました。

わたしは4月26日の読売新聞朝刊(東京14版2面)で知ったのですが、見出しが「拡散予測『今頃ナンセンス』専門家が批判 / 事故直後の避難に使うはずが」となっていました。事故直後に役にたたなかったことは確かに残念なことですが、読売のデスクには、政府が情報を出さなくても、出しても、政府を非難する見出しをつけたいかたがおられるようですね。読売のウェブサイトには4月26日夜現在http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110425-OYT1T00953.htm のページに記事があり、その見出しは「今になって公表した放射性物質の飛散予測」となっています。ただし検索した際の記事一覧で表示されるタイトルは「放射性物質の飛散予測、毎日正午に公開へ」でした。

「レスポンス」というウェブサイトの「過去の放射性物質の飛散予測 SPEEDIアーカイブで公表」という記事http://response.jp/article/2011/04/26/155503.html のほうが(下に述べるような疑問もありますが)有効な報道になっていると思います。(このウェブサイトのほかの記事は自動車の話題が主で、わたしの関心に合うものはあまりないのですが。 )

「レスポンス」の記事によれば、発表が遅れた理由の第1は、放射性物質の排出量の情報が得られなかったことです。そのため、SPEEDIシステムが設計されたとき想定されたとおりの予測計算はできなかったのです。(SPEEDIの設計で想定していたのは、原子力発電所の事故といっても、発電所の近くの放射線計測装置は動いている場合だったのです。)

今回発表された図は、いずれも数量の空間分布を地図上に示したものですが、意味がだいぶ違う、2種類のものがあります。内閣府のサイトの説明を読んでわたしは次のように理解しました。

(1)福島第1原子力発電所事故以来毎日毎時の計算結果の図(PDFファイル)が、http://www.nsc.go.jp/mext_speedi/past.htmlからリンクされています。計算結果として示された数値は、「放射性希ガスによる地上でのガンマ線量率(空気吸収線量率)」と、「大気中の放射性ヨウ素の濃度」とされていますが、いずれも、現実的な数値ではなく、単位量(1時間あたり1ベクレル)の放射性希ガスまたはヨウ素の放出を仮定して計算したものです。この結果に放出量の見積もりをかけ算して得られる量が現実的意味をもつわけです。PDFファイルには、風の分布(気象庁の日本域数値予報モデルによる格子データと観測値とをもとにSPEEDIで計算されたもの)を示す図も含まれています。

(2)環境中の放射性物質濃度の測定(ダストサンプリング)結果とSPEEDIによるシミュレーションを組み合わせることによって、放出量をなんとか逆推定し、それを入力としてSPEEDIによる計算をして空間線量が試算されました。この結果は、複数日の期間の積算線量の図として3枚が公表されています。その1つは、3月12日午前6時から4月24日0時までの成人の外部被ばくによる実効線量です。読売の記事に引用されていた図はこれでした。

(2)の図を見ると、分布は海側には同心円に近い広がりかたをしていますが、陸への広がりかたは大きな方向の偏りがあり、北西方向と、海岸沿いの南方向とで値が大きくなっています。北西側のいくつかの町村で距離の割に影響が大きかったことは確かなようです。ただし同じ町村内でも一様に影響が大きいわけではありません。なお、この結果の大まかな特徴は、この地域の地形を知っている人ならばある程度は予想できたと思います。しかし定量的に試算してみる価値はあるでしょう。

ところが(1)の図をためしにいくつか見てみると、そのときによって、濃度の濃いところが向かう向きはまちまちなのですね。北西、南だけでなく、ほかの方向に向かうこともあります。まだ風の分布と照らし合わせて検討していませんが、風向によっているのだと思います。(3月23日に報道されたのは1例だけでしたから、その図を見てどの場所があぶないと判断するのは、やはり、あまり適切ではなかったのです。)

[2011-04-30訂正] 3月23日に報道されたのは、今回の(2)に含まれるうちの最初のもの、3月12日午前6時から3月24日0時までの一歳児の甲状腺内部被ばく等価線量だったようです。

20km圏内で立ち入り制限をし日時を指定して一時帰宅を認めることになりましたが、onkimoさんが4月7日の記事http://d.hatena.ne.jp/onkimo/20110407/1302178667/で述べておられるように、一時帰宅の際は、このような予測計算を安全策の参考にするべきでしょう。

ところで、「レスポンス」の記事には、発表が遅れた第2の理由も書かれています。
[細野首相補佐官は]さらに、SPEEDIの運用を、内閣府原子力委員会か文部科学省が担当するのか「調整に戸惑ったこと」も、公表を遅らせる要因になったことを明かした。


この報道には疑問もあります。原子力委員会と原子力安全委員会との区別は明確にしてほしかったと思いますし(もしかすると実際に原子力委員会に担当させるべきだという論もあったのかもしれませんが)、「戸惑った」ではなく「手間取った」と言ったのではないかとわたしは思います。

しかしいずれにせよ、こういう理由には役所(的なもの)で働いた人以外のみなさんはあきれるでしょう。しかし、役所は他の省(内閣府も横並び)の権限に含まれる仕事に手を出してはいけないのです。(もし役所の現場の裁量を自由に認めると、税金の使いかたに対して国民の代表である国会のチェックがきかなくなるでしょう。) 社会的期待のある任務を認識したらすぐ担当の省を割り当てることこそ、「政治主導」の出番です。その認識が遅れたのは残念ですが、ともかく今になって役所の対応は前進しました。

[注(2011-04-27): 26日夜に書いた文章には書きまちがいや説明不足があったので、27日午前に推敲しました。]

masudako

シミュレーションで何ができるか、何ができないか

3月11日[地震前です]の記事に、4月15日にyota さんからのコメントがありました。主要と思われる部分を引用します。

気象学者は、何十年も先の「温暖化」はシミュレーションで解明できるのに、たかだか2〜3日先の放射性物質の拡散シミュレーションはできないのでしょうか?


これへの答えは、気象学者の間でも一致しないかもしれません。

わたしは、いわゆる温暖化シミュレーションには主力ではないもののメンバーとしてかかわってきました(今月、現場を離れましたが)。他方、いわゆる拡散シミュレーションについての直接の経験はありません。そういう立場から考えていることを述べてみます。

質問に対する直接のわたしの答えは次のようなものです。拡散シミュレーション自体はできるのです。(ここでわたしは、SPEEDIと同様に、100kmくらいの空間スケールの内側を格子間隔1km程度で表現したシミュレーションを想定しています。) しかし、残念ながら、それは、その結果をそのまま公開して社会の期待にこたえられる性質のものではないのです。(ただし、公開しても意味がないかむしろ有害だというのはリアルタイムの予測として公開する場合に限った議論です。たくさんのシミュレーション結果をまとめ、他のグループの専門家との討論も経て、知識を整理すれば、社会の役にたてることはあると思います。)

気象や気候のシミュレーションは、自然界で起こっている因果関係を計算機上のプログラムの形で表現した「数値モデル」というものを使い、そこに原因に関する情報を与えることによって、結果に関する情報を得ることです。

自然界で起こる因果関係のうちで、モデルで表現できるのは、現在の科学が法則あるいは有力な仮説として認識できているものに限られます。科学全体としては認識できていても、モデルを作る担当になった科学者(のチーム)が気づかないことや理解できないことは、モデルに取りこむことができません。(科学的知識は、個人の主観に依存しないものをめざして構築されていますが、構築する作業は個々の科学労働者の働きに依存するのです。) また、認識はできていても、計算機の能力の限界や因果関係をプログラムの形に表現する技術の限界のために、簡略化した表現しかできないこともあります。

原子力発電所の事故によって放出された放射性物質のゆくえに関する科学者への社会の期待は、おもに、地上に生きる人や農作物を含む生物がどれだけの放射線を受けるのか、またどれだけの放射性物質を体内にとりこむのか、ということだと思います。

この問いにかかわる因果関係のプロセスのうちに、放射性核種の崩壊(これはよくわかった物理プロセスで、もし原因の情報が正確ならば正確に予測できる)とならんで、大気の流れによる汚染物質の輸送があることは確かです。しかし、汚染物質が雨(や雪)に取りこまれて大気から取り除かれるプロセスも重要です。そして、地上に落ちた汚染物質が土壌や植物・動物の体の表面に付着したままなのかあるいはどのように内部にしみこんでいくかも重要です。

このうち地上に落ちた放射性物質がその後どのようにふるまうかの因果関係は、気象学者がモデルを組み立てる際に考えることにはふつう含まれていません。何年も前から放射能に関する安全問題を意識して専門分科にまたがったモデル構築が行なわれていればよかったのでしょうが、だれもそこまでは計画しなかったようです。

雨に関する因果関係は気象学者の専門内です。空間スケール百キロメートル、時間スケール1日くらいをひとまとめにして、その領域でふる雨の平均値について、1日あたり1 mmなのか10 mmなのか100 mmなのかという量の桁(マグニチュード)で答えるという課題ならば、気象庁の通常の観測網で予測を始める時点の水蒸気量・気温・風などの情報が得られることを前提として、答えられるでしょう。しかし、百キロメートルの内側のどこに多くの雨が降るかとなると、地形(さらに季節、1日のうちの時間帯)に伴ってどこに多くなりがちであるという傾向性はあるものの、偶然としか言いようがない不確かさが大きいです。流体と固体の違いはあるものの、雨は、地震と似た破壊現象で、破壊の可能性が高い緊張状態ができていることは認識できても、いつどこで緊張がとけるかは予測困難なのです。雨と放射性物質を含む気象シミュレーションをすれば、モデルの世界で雨の降ったところで地上に落ちる放射性物質の量が多いという分布図ができますが、それは現実の世界でその場所にそれだけの量が落ちると読むべきではありません。雨の再現性のよいモデルによる結果ならば「地上に落ちる物質量にはその程度の空間的不均一ができるだろう」という意味では有用な情報だと思います。

次に、大気中の輸送です。それは、拡散ということばを大ざっぱな意味で使い、物質が広がっていくがその濃度は発生源から遠くほど低くなることをさすのならば、拡散現象ではあります。しかし、物理用語としての拡散は、分子レベルでものが混ざって濃度が均一に近づくことを言います。大気中でも、1センチメートルくらいの空間スケールでは、確かにこの分子拡散がききます。しかし空間スケールが大きくなるとともに分子拡散の役割は小さくなり、空気の各部分がその組成をたもったまま流れていくという移流プロセスが主役になります。ところで、気象のシミュレーションモデルはふつう空間を格子に区切って構成します。格子間隔よりも大きい空間スケールの移流は、すなおに移流として表現します。しかし、格子間隔よりも細かい空間スケールの移流は拡散の形で近似するのがふつうで、これを渦拡散と言います。現実はともかくシミュレーションの世界では、ほとんど同じ初期状態から時間とともにものごとがどう動くかの例を多数考えることができます。多数例の平均の濃度のふるまいに関しては、渦拡散は細かいスケールの移流の効果のよい近似になり、結果の濃度の空間分布はなめらかなものになります。しかし、個別の例についてシミュレーションで表現しきれないところを理屈で考えると、格子間隔より小さくても分子拡散よりも大きなスケールで起こっていることは実際は移流なので、濃度の濃いところ・薄いところの大きなむらが生じているはずです。その濃い部分がいつどこに達するかは、理論的には必然かもしれませんが無限に詳しい情報をもたない人間にとっては偶然というしかありません。(拡散とみなすのは空間的に平均した値を代表値とすることになるので危険の小さいほうに偏った予測になりますが、細かいスケールのむらのうちでとくに濃いところを代表値にするのは、逆に危険の大きい側に偏った予測になり、実用的ではないでしょう。)

さらに重要なのは、原因としてモデルに与える放射性物質の放出量がよくわかっていないことです。この状況でできるのは、原因を仮想的に与えたシミュレーションです。これは現実の濃度の予測ではない、ということは明確に伝える必要があります。そのうえで、その意味を正確に理解できる人には有用です。もし放射性物質とともに放出された熱と、放射性物質とともに放出された物質が太陽光吸収や赤外線射出を通じて大気のエネルギー収支に与える影響とがいずれも小さいならば、大気の流れのシミュレーションを変更する必要はなく、原因として与えた放射性物質量をX倍すれば、結果として得られる濃度もX倍になると考えてよいでしょう。たとえば気象庁がIAEAのためにしている全球スケールのシミュレーション(100 kmスケールの平均値だけを扱うものです)では1ベクレルという放出量を与えています。これは明らかに現実の放出量あるいはその代表値ではなく、別に放出量を見積もってかけざんして解釈することを想定しているにちがいありません。

このように、気象学者は、社会の期待に答える放射能(放射線およびそれを出す物質)のリアルタイム予測情報を提供できません。そのうちには、原理的にむずかしい要因と、今回は準備ができていなかったがこれから努力すれば克服できそうな問題点が混在しています。

***
輸送シミュレーション関係者に限らない気象学者としての社会に対する最大の役割は、観測データを示すこと、それを誤解のないように説明することだと思います。気象庁は業務として気象観測を続けています。震災以後は、気象庁ホームページ福島地方気象台ホームページに、被災地に役立つ形で情報を提供しようとするくふうがあります。

ただし気象庁は放射線の観測を業務としていません。放射線の観測は多数の機関によって行なわれており、比較的よくまとまっているのは文部科学省によるものだと思います。

気象と放射線の観測値の両方をわかりやすくまとめて提供する機関がないのは残念なことですが、今回の災害に応じた有志の努力の中からよいものが選ばれて発展していくことを期待したいです。政府の複数の省の管轄下の情報をまとめて公開する権限がどの省にもないという障壁があるので、その機関を決めて権限を与える立法措置をするように(緊急事態がおさまってからになると思いますが)国会にも要請したいと思います。

***
さて、地球温暖化のシミュレーションのうちにも「温暖化予測」と呼ばれるものがあります。これも厳密には予測ではなく、気候の数値モデルに、原因として人間活動によるCO2排出量などのシナリオを仮想的に与えて行なった計算です。

気候モデルも、大気や海洋の中の物質の輸送(移流・拡散)のプロセスや、雨・雪の降水プロセスを含んでおり、それに伴う不確かさが大きいものです。しかし、空間スケールでは全地球規模、時間スケールでは数十年以上で起こること、たとえば全球平均地上気温の百年間の変化傾向に注目すると、それはおもに地球全体のエネルギー収支で決まっているので、不確かさの幅は代表値の2倍・2分の1くらいにおさまるだろうと思われるのです。

また、原因となるCO2排出量に関して、人間社会については基本的因果関係もよくわからないので予測困難ですが、化石燃料を使う習慣がそう簡単には変わらないとすれば、これも2倍・2分の1くらいの幅で見積もれると思われます。気候モデルの不確かさとかけざんすると、4倍・4分の1くらいの幅をもつことになりますが、それでも、何もわからないよりもはるかに、社会の期待にこたえていると思います。

ただし、これを「予測」とみなす際には省略されている仮定があります。非常に大きな火山噴火(1815年のTambora級のものが複数続いて起こるもの以上)と非常に大きな太陽活動の変化(Maunder極小期の再来以上)は起こらないという仮定です。そのような事態は非常事態として別に考えるしかありません。(少なくとも、そんなことが起こることをあてにして政策を考えるわけにはいきません。)

masudako
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