3月11日(震災前でした)に書いた記事「『パリティ』3月号の温暖化問題の企画と松田卓也さんの評論へのコメント」に続くものです。
3月号で、連載されるように予告された企画「温暖化問題、討論のすすめ」ですが、おそらく編集部の態勢がなかなか整わなかったらしく、次の記事がのったのは11月号からでした。毎号ひとりずつの文章をのせていく方針だそうです。すでに来年7月号までの原稿が集まっているらしいので、それぞれの著者の主張を知ることは価値があると思いますが、雑誌に出た記事を見て言いたいことがあっても、雑誌上で討論する、というふうには、残念ながら進みそうもありません。
これまでにのった記事は次のとおりです。
松田 卓也: 地球温暖化と現代科学の問題点。2011年3月号53-57ページ。
近藤 洋輝: 地球温暖化に関する科学的知見と展望。2011年11月号56-60ページ。.
安井 至: 単純な物理現象が否定される不思議。2011年12月号52-55ページ。
12月号に示された今後の予定(確定ではありません)は次のとおりです。
伊藤 公紀: 地球温暖化論のメンタリティ -- 社会心理学的に見た気候変動問題。2012年1月号
江守 正多: いまさら温暖化論争? 2012年2月号
伊勢 武史: 地球温暖化は事実なのか -- よくある誤解と簡潔な答。2012年3月号
渡邊 正: 「CO2排出削減」という妄想・偽善。2012年4月号
御園生 誠: 地球温暖化のリスクと現実的対策を考える。2012年5月号
桜井 邦朋: 太陽活動の長期変動からみた地球温暖化 -- 過去120年にわたる観測結果。2012年6月号
吉田 英生: エンジニアから見た熱流体力学の数値シミュレーション。2012年7月号
11月号の近藤洋輝(ひろき)さんは、IPCC (とくに第1部会)に、日本政府代表団のメンバーという(報告書の著者とは違った)立場で参加してこられたかたで、「地球温暖化予測の最前線」(2009年、成山堂書店)という著書もあります。11月号の記事もその著書と同様に、IPCCがまとめた報告の要点を、第1部会の部分を中心に紹介したものでした。
12月号の安井至さんは工学者で、工業製品の生産・消費・廃棄にわたるライフサイクル評価などの業績があり、「市民のための環境学ガイド」のウェブサイトがよく知られています。広い見識をお持ちで、わたしとしてもおおいに尊敬しておりますが、専門にこだわらずに多くのことについて発言されているうちには、早がてんもときどき見られます。今回の記事も、意図を推測すればほとんど賛成できるのですが、もう少し落ち着いて書いていただきたかったと思うところがありました。
大槻編集長の出した「温暖化を認める常識派と認めない非常識派」というわく組みに対して、安井さんは、温暖化が人為起源であると考えるかどうかと、常識派か非常識派かとは別の問題だと考えます。そして、非人為起源派の常識派はいないようだ、と言っています。現在いるいわゆる温暖化懐疑論者は非常識だ、というわけです。
この議論は、「非常識」ということばの意味づけしだいでは、もっともだと思います。ただし安井さんは、「非常識派とは、『研究成果や著作を発表するさいに、自らの主張によって世間をいかに驚かすことができるかを最大の目的と考え、それによって、次の研究費なり印税の獲得をめざす』といった動機で行動をしている集団を意味する」と定義しています。確証はないのですが、温暖化懐疑論者のうちにはそういう態度の人もいるかもしれません。(「自らの主張」を本人も信じている場合と、うそを承知で強弁している場合の、どちらもありうるでしょう。) しかし、温暖化懐疑論者がみんなこういう態度だと決めつけるのは無理があります。温暖化抑制策を妨害するという政治的目的で動いている人もいるかもしれません。(温暖化は起こらないと思っている場合と、温暖化は起こるだろうがこれまでの経済活動を続けることのほうが大事だと思っている場合の、どちらもありうるでしょう。)
温暖化懐疑論への批判は、東京大学サステイナビリティ連携機構[12月号注の「気候」は誤植]から公開されている「地球温暖化懐疑論批判」を引用して、それとほぼ同じ議論をされていますので、ここでは詳しく述べないことにします。ひとつ、「気候モデルはすべて温暖化が算出されるようにしつけられている」という議論を追加して「研究者というものをあまりにばかにしている」と反論しています。(これではけんかになるだけなので、なぜあきれたのかの理屈を述べてくださるとよかったと思います。)
問題は、「人為起源派のなかの非常識派」のところです。わたしも、このように分類される人たちがいると思い、「温暖化脅威論者」と表現することがあります。しかし、安井さんが想定する対象はそれと違うようで、「英国において気候ゲート事件を引き起こしたり、過去の地球の気温の推移などに細工をした人々である。ようするに、端的に表現すれば、嘘をついた人々である。」と書かれています。気候研究者のなかに、データをごまかすなどの不正をした人がいないとは言い切れません。しかし、2009年11月に暴露された電子メールが、それを書いた人たちが不正をした証拠でないことは、いくつもの審査委員会で示されています。([別ブログのわたしの2010年7月16日の記事]にまとめました。その後2011年8月には、アメリカの国立科学基金(NSF)の監査役がMannさんに研究上の不正はなかったという報告をしています。) 安井さんも脚注(実際にはページの上側にあるので頭注というべきでしょうか)に「データを捏造したことが確定したわけではない」と書いてはおられますが、捏造があった可能性が高いという推定のもとで文章を書いておられるようです。どうやら、「非人為起源派のなかの非常識派」(の一部の人々)の宣伝がとてもうまくて、安井さんも3月号の松田さんも乗せられてしまったようです。
ただし、安井さんの主張の本筋は、温暖化が起こると言っている科学者の多くは「常識派」であって、その研究成果は(個別のまちがいを含む可能性はあるが)嘘ではないということです。
次に「人為起源派の非常識派の新たな候補者」という議論をしています。これから、気候モデリングで国の予算をもらうのであれば、政策決定のためのリスク評価に役立つ研究でなければならない。理学研究者は科学研究自体を目的として意識することが多いが、それでは非常識になってしまう、ということです。「非常識」ということばがさきほどの「定義」にそって使われているとすると、気候研究者の多くが「世間をいかに驚かすことができるかを最大の目的と考え」るようになるという予想は無理があると思うのですが、もっと常識的に、予算配分の目的をわきまえないのは非常識だというのならば、研究者に向けたもっともな助言だと思います。
masudako
3月号で、連載されるように予告された企画「温暖化問題、討論のすすめ」ですが、おそらく編集部の態勢がなかなか整わなかったらしく、次の記事がのったのは11月号からでした。毎号ひとりずつの文章をのせていく方針だそうです。すでに来年7月号までの原稿が集まっているらしいので、それぞれの著者の主張を知ることは価値があると思いますが、雑誌に出た記事を見て言いたいことがあっても、雑誌上で討論する、というふうには、残念ながら進みそうもありません。
これまでにのった記事は次のとおりです。
松田 卓也: 地球温暖化と現代科学の問題点。2011年3月号53-57ページ。
近藤 洋輝: 地球温暖化に関する科学的知見と展望。2011年11月号56-60ページ。.
安井 至: 単純な物理現象が否定される不思議。2011年12月号52-55ページ。
12月号に示された今後の予定(確定ではありません)は次のとおりです。
伊藤 公紀: 地球温暖化論のメンタリティ -- 社会心理学的に見た気候変動問題。2012年1月号
江守 正多: いまさら温暖化論争? 2012年2月号
伊勢 武史: 地球温暖化は事実なのか -- よくある誤解と簡潔な答。2012年3月号
渡邊 正: 「CO2排出削減」という妄想・偽善。2012年4月号
御園生 誠: 地球温暖化のリスクと現実的対策を考える。2012年5月号
桜井 邦朋: 太陽活動の長期変動からみた地球温暖化 -- 過去120年にわたる観測結果。2012年6月号
吉田 英生: エンジニアから見た熱流体力学の数値シミュレーション。2012年7月号
11月号の近藤洋輝(ひろき)さんは、IPCC (とくに第1部会)に、日本政府代表団のメンバーという(報告書の著者とは違った)立場で参加してこられたかたで、「地球温暖化予測の最前線」(2009年、成山堂書店)という著書もあります。11月号の記事もその著書と同様に、IPCCがまとめた報告の要点を、第1部会の部分を中心に紹介したものでした。
12月号の安井至さんは工学者で、工業製品の生産・消費・廃棄にわたるライフサイクル評価などの業績があり、「市民のための環境学ガイド」のウェブサイトがよく知られています。広い見識をお持ちで、わたしとしてもおおいに尊敬しておりますが、専門にこだわらずに多くのことについて発言されているうちには、早がてんもときどき見られます。今回の記事も、意図を推測すればほとんど賛成できるのですが、もう少し落ち着いて書いていただきたかったと思うところがありました。
大槻編集長の出した「温暖化を認める常識派と認めない非常識派」というわく組みに対して、安井さんは、温暖化が人為起源であると考えるかどうかと、常識派か非常識派かとは別の問題だと考えます。そして、非人為起源派の常識派はいないようだ、と言っています。現在いるいわゆる温暖化懐疑論者は非常識だ、というわけです。
この議論は、「非常識」ということばの意味づけしだいでは、もっともだと思います。ただし安井さんは、「非常識派とは、『研究成果や著作を発表するさいに、自らの主張によって世間をいかに驚かすことができるかを最大の目的と考え、それによって、次の研究費なり印税の獲得をめざす』といった動機で行動をしている集団を意味する」と定義しています。確証はないのですが、温暖化懐疑論者のうちにはそういう態度の人もいるかもしれません。(「自らの主張」を本人も信じている場合と、うそを承知で強弁している場合の、どちらもありうるでしょう。) しかし、温暖化懐疑論者がみんなこういう態度だと決めつけるのは無理があります。温暖化抑制策を妨害するという政治的目的で動いている人もいるかもしれません。(温暖化は起こらないと思っている場合と、温暖化は起こるだろうがこれまでの経済活動を続けることのほうが大事だと思っている場合の、どちらもありうるでしょう。)
温暖化懐疑論への批判は、東京大学サステイナビリティ連携機構[12月号注の「気候」は誤植]から公開されている「地球温暖化懐疑論批判」を引用して、それとほぼ同じ議論をされていますので、ここでは詳しく述べないことにします。ひとつ、「気候モデルはすべて温暖化が算出されるようにしつけられている」という議論を追加して「研究者というものをあまりにばかにしている」と反論しています。(これではけんかになるだけなので、なぜあきれたのかの理屈を述べてくださるとよかったと思います。)
問題は、「人為起源派のなかの非常識派」のところです。わたしも、このように分類される人たちがいると思い、「温暖化脅威論者」と表現することがあります。しかし、安井さんが想定する対象はそれと違うようで、「英国において気候ゲート事件を引き起こしたり、過去の地球の気温の推移などに細工をした人々である。ようするに、端的に表現すれば、嘘をついた人々である。」と書かれています。気候研究者のなかに、データをごまかすなどの不正をした人がいないとは言い切れません。しかし、2009年11月に暴露された電子メールが、それを書いた人たちが不正をした証拠でないことは、いくつもの審査委員会で示されています。([別ブログのわたしの2010年7月16日の記事]にまとめました。その後2011年8月には、アメリカの国立科学基金(NSF)の監査役がMannさんに研究上の不正はなかったという報告をしています。) 安井さんも脚注(実際にはページの上側にあるので頭注というべきでしょうか)に「データを捏造したことが確定したわけではない」と書いてはおられますが、捏造があった可能性が高いという推定のもとで文章を書いておられるようです。どうやら、「非人為起源派のなかの非常識派」(の一部の人々)の宣伝がとてもうまくて、安井さんも3月号の松田さんも乗せられてしまったようです。
ただし、安井さんの主張の本筋は、温暖化が起こると言っている科学者の多くは「常識派」であって、その研究成果は(個別のまちがいを含む可能性はあるが)嘘ではないということです。
次に「人為起源派の非常識派の新たな候補者」という議論をしています。これから、気候モデリングで国の予算をもらうのであれば、政策決定のためのリスク評価に役立つ研究でなければならない。理学研究者は科学研究自体を目的として意識することが多いが、それでは非常識になってしまう、ということです。「非常識」ということばがさきほどの「定義」にそって使われているとすると、気候研究者の多くが「世間をいかに驚かすことができるかを最大の目的と考え」るようになるという予想は無理があると思うのですが、もっと常識的に、予算配分の目的をわきまえないのは非常識だというのならば、研究者に向けたもっともな助言だと思います。
masudako