気候変動・千夜一話

地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者たちの日記です。

その他の話題や感想など

オリンピックを東京で7月・8月に開くことには賛成できません。

(必ずしもclimate_writersの間でも一致するかどうかわからない、わたし個人の意見ですみませんが、やはりここで述べておきたいです。)

東京都知事が代わりましたが、今度の人は前の人よりもさらに強くオリンピックを誘致したがっているようです。

[約1年前の記事]に書きましたので詳しくはくりかえしませんが、7月下旬から8月の東京は、日本に住む多くの人にとって野外活動に適しない気候条件であり、(室内だけでも条件をよくしようとする努力の結果)電力需給がいちばんきびしい季節でもある(2020年までにこの条件が変わるとは考えにくい)ので、この時期の開催には賛成できません。

masudako

オリンピックを東京で8月に開くことには賛成できません

オリンピックを東京で開こうとしている人たちがいることは前から知っていました。2016年の開催については競争に負けて、今は2020年の開催をめざしているのですね[2012-02-25訂正]。大震災からの復興を旗印にして東北か茨城県ならともかく東京で開くことには、わたしは積極的に賛同はしませんが、積極的に反対もしません。

しかし、予定された会期が7月2924日から8月149日と聞いてあきれました。気候学者のひとりとして許せません。(これはわたし個人の意見であり、気候学者を代表するものではありませんが、たぶん多くの気候学者が似た意見をもっていると思います。)

日本のほとんどの地点の地上気温の季節変化にサインカーブをあてはめてみると、その極大は1月1日から数えて220日ごろ、つまり8月7日ごろにあたります。(いずれ東京のデータでも作図したいと思いますが、とりあえずこのページの下のほうの「Nara (奈良)」のグラフをごらんください。) 中国内陸のシーアン(Xi'an, 唐の長安)あたりならば二十四節季の大暑に気温の極大になるのですが、海にかこまれた日本では位相が遅れて立秋ころになるのです。実際の気温はサインカーブどおりではなく毎日の天気にもよります。7月末の関東は、つゆあけがとても遅れた年にはくもりが続くこともありますが、多くの年はすでにつゆがあけているので、夕立はあるかもしれませんが、一日の大部分晴れて暑い日が多くなります。しかし、砂漠の暑さとは違って、湿度は高いです。ということは、からだの熱が蒸発によって奪われにくいので、体内のエネルギー変換が激しいときに体温が上がりすぎないように保つのは楽ではありません。

さらに、東京のような都市では都市気候が加わります。人工熱源や人工的地表面被覆のせいで、自然植生や農地の地域に比べて気温が高くなります。(湿度は低めになるかもしれませんが。) また、(1970年代よりは改善されたとはいえ)大気汚染もあり、夏の晴れた日には光化学スモッグのおそれもあります。

このような気候(の時期)が、スポーツの祭典に向いているとは思えません。少なくとも、野外で行なうスポーツには適さないでしょう。欧米の選手に比べれば日本の選手のほうが有利になるかもしれませんが、熱帯諸国の選手にはかなわないでしょう。熱帯諸国から欧米に移住した選手も多いので、国単位で強いのはやはり欧米かもしれません。

室内の競技場では冷房が欠かせないでしょう。選手と審判員だけを迎えて競技会をするだけならば、必要なエネルギー量はたいしたことはないかもしれません。しかし、オリンピック大会をやりたい人は、おおぜいの観客のいる競技場でやることを想定しているはずです。そこでは、ふだんよりも強力な冷房が必要になります。

そして、その時期は、最近の日本では、冷房需要のために、年でいちばん電力需要が多くなっている季節なのです。2011年にはピーク時の発電能力がふだんの需要量に達しなかったので、みんなが節電をしなければなりませんでした。(研究用の計算機も止められたものが多数あり、シミュレーション型の研究はだいぶとどこおったのです。) 再生可能エネルギーの開発が強力に進められていますが、20162020年までに東京の消費電力の大きな割合をまかなえる見通しはありません。化石燃料を燃やす火力発電をふやすしかありません。人びとが食っていくために必要な発電ならばそれもしかたないと言えるかもしれませんが、もともと需要ピークになる時期にオリンピックができるように発電能力をふやせというのはぜいたくすぎます。

東京でオリンピックを開くならば、少なくとも、いちばん暑い季節をはずすべきです。たとえば1964年のときと同じように10月10日から24日にすることが考えられます。

masudako

地球温暖化問題についての別の見解

「地球温暖化問題についてのセカンドオピニオン」が必要だという議論があります(わたしの9月30日の記事、onkimoさんの11月9日の記事参照)。そこでわたしもがんばって書いてみることにします。ただし、カタカナ外来語が嫌いなので、「別の見解」という表現にしました。

. . .

地球の気候とくに平均気温を決めているのは、太陽からくるエネルギーを地球がどれだけ吸収するかと、地球が宇宙空間に電磁波(おもに赤外線)としてどれだけエネルギーを出すかです。さらに、地球形成の初期には、地球内部から出てくる熱も重要でした。

このエネルギーの出入りを乱す要因がいくつかあります。太陽が出すエネルギーの変動や、もっと遠い銀河からの影響もあったでしょう。地球内部から出てくるエネルギーの変動も、大陸が作られるような大規模な火山活動のときには大きかったでしょう。しかし、地球に海ができて以来、それが完全に蒸発してしまったことも、完全に凍ってしまったこともなかったようです。凍ったほうはあったかもしれないのですが、それでも数百万年程度の期間ですんだようです。地球の気候には、温度が上がりすぎず下がりすぎないように調節するしくみがあるにちがいないのです。

地球の気候にはいくつかの変化しうるものがあります。そのうち、水が(雪を含む)氷になることによって太陽光を吸収する割合が減ることと、水が水蒸気になることによって赤外線吸収・射出を強めることは、いずれも温度の変化を強めるほうに働いてしまいます。気温の調節に役立つのは、気温が上がると気温を下げるほうに働くような因果連鎖を起こしうるものです。そのうちいちばん有力なのが、赤外線を吸収・射出する能力をもつ二酸化炭素なのです。

大気中の二酸化炭素濃度は岩石の風化によって変化します。ただし、炭酸カルシウムを主成分とする石灰岩が風化しても、水にとけたカルシウムイオンが水中の炭酸イオン(もとは大気中の二酸化炭素)と反応して炭酸カルシウムとなって沈殿するのであれば、結局石灰岩が石灰岩にもどるだけで、正味では大気の二酸化炭素の収支に関与しません。ここできいてくるのは、炭酸塩以外の形、具体的にはケイ酸塩の形でカルシウムやマグネシウムを含んでいる岩石の風化です。たとえば玄武岩がそういう岩石です。このようなケイ酸塩の岩石が風化して、カルシウムやマグネシウムがイオンとなって流出し、水中で炭酸イオンと結合し、沈殿して石灰岩やドロマイト(炭酸マグネシウムと炭酸カルシウムからなる岩石)となります。これで正味で大気中の二酸化炭素が減ることになります。

この逆反応は、地殻の深いところ、つまり圧力の高いところで、堆積岩が変成岩に変わるときに起こります。石灰岩やドロマイトは高圧に耐えられないので、カルシウムやマグネシウムはケイ酸塩に取りこまれ、炭素は二酸化炭素の形で抜けます。この二酸化炭素の一部は、火山ガスなどの形で大気中に出てきます。

変成・脱ガスの過程は、地上気温の影響を受けて変化することはなさそうです。(脱ガスの最終段階は地表面に厚い氷があるかどうかの影響を受けるかもしれませんが。) しかし、風化の過程は、気温と水蒸気量や河川流量の影響を大きく受けます。とても大まかには、水蒸気量も河川流量も気温に応じて変化すると考えられるので、気温が高いほど風化が速く進むと考えられます。気温が高いほど二酸化炭素が大気から速く失われるわけです。ふろおけモデル[2010年11月10日の記事]のような考えかたをして、ふろおけの水の量にあたるのが大気中の二酸化炭素量だとし、脱ガスによる供給を仮に一定だと仮定すれば、風化が二酸化炭素量の変化をやわらげるように働くことがわかると思います。

これでめでたしめでたしなのですが、この調節には百万年から千万年の桁の時間がかかるのです。これよりも急な外部要因による変動には乱されるままになってしまいます。

ところが地球上では生物が進化しました。生物は炭酸塩を沈殿させる働きもしていますが、これはさきほど述べた炭素循環を大きく変えるものではありません。しかし生物は光合成で有機物を合成します。その炭素の大部分は分解して大気中の二酸化炭素にもどってしまいますが、少しだけが岩石圏に閉じこめられて炭化水素などの形になっています。この炭化水素こそ、急激な寒冷化に対する地球の備えなのです。

最近3百万年ほど、ヒマラヤをはじめとする多くの地域での造山活動が地球の歴史のうちでも珍しく強まっています。ところが、なぜか、火山からの脱ガスは強まっていません。風化のほうは、陸上に傾斜の大きな山地ができたことによって、気温から想定されるよりもだいぶ強まっています。結果として、大気中の二酸化炭素は減り続けており、それは気候を寒冷化させるように働いています。(なお、二酸化炭素を利用する効率の高い植物が進化したことも、大気中の二酸化炭素レベルを下げるほうに働いています。) ただし、寒冷化は単調には起きていません。1万年から10万年の時間スケールで、北半球に大陸規模の氷床が広がったり消滅したりしています。さらに、(最近1万年ほど見られないもののその前には)千年の時間スケールの激しい変化も起きています。このままいくと、ひとつの可能性は、気候の振動がどんどん激しくなって、生物のそれぞれの種(しゅ)の適応が追いつかなくなり、種の絶滅が進むことです。もうひとつの可能性は、全球凍結に至ることです。

そこで地球は、新しい能力をもった生物を進化させました。その使命は...もうわかりますね。岩石圏中に閉じこめられている炭化水素を二酸化炭素に変えて大気中に放出することです。

ただし、地球による生物進化のデザインはあまり精密なものではありません。どれだけの炭化水素をどれだけの速さで放出すればよいのかは指示されていないのです。使命を負った生物が自分でそれを判断できるようになればそれでよし。もしだめならば、その生物を滅亡させて別の生物に期待することになるのでしょう。

 . . .

これは一種のガイア(gaia)論です。ただし、有名なJames Lovelock (ラヴロック)さんのガイア論はこういう話にはなりません。Lovelockさんは人類はガイアと対立する存在になったと考えているようです。人が化石燃料を燃やしているのもガイアの働きの一部ではないかという考えは、Kenneth Hsü (シュー、許)さんという中国出身のスイスの地質学の先生が引退後に書かれた本で読みました。わたしはドイツ語を読む能力が限られているので、Hsü先生が本気で言ったのか冗談だったのかわからないのですが。

文献

  • Kenneth J. HSÜ, 2000: Klima macht Geschichte --Menschheitsgeschichte als Abbild der Klimaentwicklung [気候が歴史をつくる -- 気候変遷の反映としての人類の歴史]. Zürich: Orell Füssli.

  • 田近 英一, 2009: 地球環境46億年の大変動史。化学同人 (DOJIN選書)。[読書ノート]


masudako

えっ、Y染色体が絶滅する?

明日、1月18日(日)午後9時から放送のNHKスペシャル「女と男 〜最新科学が読み解く性〜」シリーズ最終回は、なんだかすごい内容になりそうです。番組ウェブサイト上の説明によると、ほ乳動物の♂を決定するY染色体が「500万年以内には消滅する確率が高い」とのこと! ほ乳類ホモサピエンスの♂である私にとって、自分の遺伝子の重要な一部分がこの世から消えてしまうという衝撃的な説です!!

近年の日本では、男性よりも女性の方が元気いっぱいという状況が定着してきたように思っていましたが、もっと深遠な染色体レベルでこれほどの男女差があったとは、衝撃を通りこして、感慨深いと表現した方が良いのかもしれません。番組タイトルの「女と男」というのにも、深〜〜い意味が込められていたんですね。

ところで、年末の紅白歌合戦では、数年連続で白組が勝っていて不思議に思っていたのですが、元気な女性ファンが大勢で白組の歌手を応援しているから、という単純至極な理由によるものなんですね、きっと。
ちなみに、私は毎年、紅組を応援しているのですが・・・。

吉村じゅんきち

ご無沙汰してます

しばらく更新をさぼっておりましたが、ブログ訪問者数のカウンターは毎日ちょっとずつ増えているようで、ありがたく思うと同時に、申し訳ない気持ちです。少しは反省して、今後、原則として週1回程度は何か書き込むことにします。とはいえ、持ちネタが豊富にあるわけでもありませんが・・・。

私がブログ更新を怠っている間に、ポーランドのポズナニ(英語風に読むとポズナン)では気候変動枠組み条約の締約国会議 COP14 が始まりました。世界は金融危機に端を発した経済混乱のただなかですし、米国はオバマ政権への移行に向けて準備中という、難しいタイミングではありますが、1年後に設定された「ポスト京都」合意成立の期限に向けて、がんばってほしいです。むしろ経済危機克服の手段として、温暖化防止関連のビジネスを活発化させることに期待する声も強まっているようで、いくつかの新聞で社説としても取り上げられているようです(朝日 11月25日日経 12月2日朝日 12月7日)。

ところで、ブログ再開の記念?に、書き込みに使うペンネームを「吉村じゅん」から「吉村じゅんきち」に変えてみることにします。少し特徴的な名前の方がインターネット検索で引っかかりやすくなるかも、という期待も込めています。気象研究家の根本順吉氏を意識したわけではありません(念のため)。

では、また。

吉村じゅんきち

「オバマ大統領」がいよいよ実現?

米国の大統領選挙、いよいよ投票日になりました。報道によるとバラク・オバマさんの当選が有力視されていますが、どうなるのでしょうか。米国の選挙で候補者が黒人の場合は、事前の支持率調査や事後の出口調査の回答では「ウソ」をつく有権者が多くなるという、「ブラッドリー効果/ワイルダー効果」なるものも取りざたされています。ふりかえれば、2000年の大統領選では、アル・ゴアさんの「当確」を報じたテレビ局もあったわけですし、選挙というものは下駄を履くまで分かりません。遠い他国の出来事とはいえ、絶大な権力を持つ超大国のリーダーが決まるわけですし、何となくはらはらしてしまいます。

ちなみに、私はときどき、米国大統領選関係の情報をgooニュースの特設サイトでチェックしています。とくに、1年以上前から連載されている、「大手町から見る大統領選」と題するコラムがお気に入りです。(東京の)大手町から見る、というタイトルからすると素人的な論評をするコラムという印象ですが、さにあらず。著者の加藤祐子さん(gooニュース編集部)は米国大統領選事情に異様なほど詳しいようで、マニアックな視点とかる〜い筆致でついつい熟読させられてしまいます。長らく、オバマ候補とジョン・マケイン候補の両方に好意的な書き方だったのですが、マケイン氏が副大統領候補にサラ・ペイリン氏を選んでからは、ペイリンさんのあまりの保守強硬派ぶりを前にキレてしまったようで、ぼろくそな書き方に一変したのがとても興味深かったです。(ところで、NHKの天気予報に出ている加藤祐子さんとは同姓同名の別人らしい。)

オバマさんが地滑り的な大勝利を収めるのか、マケインさんが逆転勝利を手にするのか、もうすぐ明らかになります(よほどの僅差になれば長引く可能性もありますが・・・)。もしオバマさんが勝てば、アフリカ系の米国大統領が誕生するというだけで画期的な出来事となりますが、それ以上に大きな、米国(あるいは世界)の歴史的大転換の象徴ということになりそうな気がします。

吉村じゅん

「太陽ウオーズ」

今日(10月6日)の朝日新聞朝刊の一面トップは「太陽ウオーズ」と題した企画記事でした。太陽エネルギー利用をめぐる競争をテーマにした連載の第1回です。広大な月面に広がるSF的な大規模集光施設の想像図みたいなのが大きく載っていますが、これはスペイン南部に実在する10000キロワットの集光型太陽熱発電所の写真だそうです。先日のコメント欄にkawaさんが書かれたご意見を裏付けるかのような企画ですね。

「改めて太陽のエネルギーの強大さを思い知りました。このエネルギーを最大限活用する様々な技術の開発が、人類の将来を決める最も重要な課題のような気がしてきました。」

今朝の朝日新聞を買おうと思ったのは、中に折り込まれた「朝日新聞 GLOBE」で、急速に温暖化する北極海での航路や資源をめぐる沿岸各国のパワーゲームを取り上げた記事がおもしろそうだったからなのですが、社説も地球温暖化と総選挙について論じたものですし、環境関連記事が満載です。

太陽光発電をはじめとする自然エネルギー政策については、ウェブサイト「日経 Ecolomy」で飯田哲也さんが連載されているコラムでの鋭い分析がとても勉強になりますので、リンクを張っておきます。太陽光発電に関しては、日本企業が技術的にも量的にも世界をリードし続けてきたわけですが、国内市場は停滞していますし、これから迎える「太陽光戦国時代」においては苦労することになるのでしょうか?

いずれにしろ、原子力を含む20世紀型のエネルギー源に比べて、自然エネルギーが環境面のみならずコスト面でも有利にたつまで、いまや秒読み態勢になりつつあると言っても過言ではないのでしょう。

吉村じゅん

「社説はつまらない」→「社説はおもしろい」

新聞には社説というものが載っていますが、私は長い間、「社説はつまらない」と思っていました。これといった新情報が盛り込まれるわけではありませんし、社としての意見という重い位置づけのものなので、あまり突飛な見解を書くわけにもいかないのでしょうし、社説担当者(論説委員?)が何人かで話し合った末に内容が決まるわけですから「船頭多くしてなんとやら」みたいな感じでいまいちすっきりしない主張になることもあるのでしょう。この程度の内容なら、社説なんて思い切って廃止してしまえばいいのに、とも感じていました。

しかし、今年になって私の認識が変わりました。1月に開設された、
「あらたにす」
を読むようになったからです。日経・朝日・読売の3紙が協力して運営しているニュースサイトで、位置づけとしてはたんに新聞の販促ということなのでしょうが(毎日や産経にはちょっと気の毒な...)、おもしろいのは3紙の一面記事や社説が容易に比較できるようになっていることです。とくに社説については、例えば同じテーマなのに朝日と読売が正反対の主張を書いたりしますので、それぞれがどのような根拠を持ち出しているのか比較してみると興味深いです。ある紙が取り上げたテーマを、翌日には別の紙が追いかけるように取り上げたりもしますので、やっぱりお互いライバル意識が強いんだろうなと想像しながら読むのも楽しいです。3紙が同時に同じテーマについて書いているときは、たとえ各紙のスタンスが違ったとしても、それが重要な論点であるという認識は共通なんだということがわかります。最近のネット上では、「マスゴミ」といったちょっと下品な言葉でマスコミ批判がおこなわれることが多いですし、それが内容的には的を射ていることも多いとは思いますが、それでも新聞というメディアはまだ捨てたものではないな、とも感じます。

最近の3紙の社説でとくに印象的だったのは、米国とインドの原子力協力協定に対する是非が「原子力供給国グループ(NSG)」で議論されたことについてです。載せたタイミングは違いましたが、NSGが結論を出す前に、3紙が揃って両国の原子力協力に批判的な意見を打ち出しました。

2008年8月24日(日)
朝日新聞 社説「米印核協力 ― 日本はノーと言うべきだ」

2008年8月26日(火)
読売新聞 社説「米印原子力協定 核拡散防止に役立つのか」

2008年9月1日(月)
日経新聞 社説「問題多いインドへの原子力協力」

しかしNSG臨時総会は、9月6日、核不拡散条約(NPT)に未加盟のインドを例外扱いし、原子力協力を認めることを承認したそうです。この決定に対し、3紙は揃って、より強い批判の声を上げました。

2008年9月8日(月)
朝日新聞 社説「インド核協力 ― 歴史に残る誤りだ」
日経新聞 社説「理解に苦しむ対印原子力協力の解禁」

2008年9月10日(水)
読売新聞 社説「インド核協力 NPTを揺るがす『例外扱い』」

NSGの決定はNPT体制に大きなひびを入れるもので、北朝鮮、イラン、イスラエル、パキスタンなどの行為を正当化する根拠を与えてしまうものだと思います。核不拡散どころか究極の核廃絶を目指しているはずの日本政府は、もちろんNSGのメンバーなのですが、この核協力の解禁にあまり抵抗もせず(報道によるとオーストラリアなどは慎重派として頑張ったようです)、広島・長崎の市長から抗議を受けても外務省は「気候変動面で利点がある」と言い訳しました(朝日新聞 asahi.com 9月16日付の記事より)。インドで原発を作れば二酸化炭素排出量が減らせると言いたいらしいのですが、地球環境問題を理由に、人類にとってもっと深刻な問題である核拡散を見逃してしまうとは、いったいどういうことなのでしょう。普段はスタンスの異なる3紙の意見が一致しているのに、それとは逆の決定をした背景にはどのような圧力があったのでしょうか。この問題は官僚に任せる問題ではなく、政治家レベルで責任をもって取り組むべきことだと思いますが、国会議員の皆さんは総選挙のことで頭がいっぱいでそれどころではなかったのでしょうか。

気候変動問題に取り組む者の一人として、このような決定の理由付けに利用されてしまったことは、とても悲しいです。

吉村じゅん

地球温暖化問題は「良性の脅威」である

米本昌平さんの著書「地球環境問題とは何か」(岩波新書、1994年)の46〜48ページに書かれていたことを改めてご紹介します。

それは、「地球環境問題は『良性の脅威』である」という考えです。

米本さんは、かつての米ソ冷戦の状況における核戦争への恐怖を「悪性の脅威」と表現し、それと対比して、地球温暖化に代表されるような環境問題への恐怖を「良性の脅威」と呼びました。核という悪性の脅威の下では、米ソ両国は恐怖感に突き動かされ、「人類史上空前の大規模な科学技術動員」による際限ない軍拡競争を続け、その結果、人類は大量の核兵器を保有するに至りました。冷戦がすっかり過去の歴史になってしまった現代においても、人類は、潜在的な核戦争の脅威のみならず、現実の核拡散の脅威に直面したままです。一方、もし地球温暖化や環境汚染への恐怖が過剰に煽りたてられ、延々とその対策に追い立てられたとしても、後世の人類に残されるのは「省エネルギーや公害防止に対するノウハウとその装置の山である」、というわけです。

この本が出版されてから、もう14年たちましたが、米本さんの分析は色あせるどころか、逆に説得力を増しているように感じられます。例えば、油田の枯渇やピークオイルの問題は1990年代にはあまり深刻には受け止められていなかったと思いますが、今では石油価格が高水準を続けていることとあわせて、重大な問題として広く認識されるようになりました。温暖化防止を目的として各国が必死に脱化石燃料に向けた努力を続けるとすれば、結果として、石油の需給も緩和し、ピークオイルの諸問題も解決に向かうことになるわけです。他にも、温暖化対策として多くの人が自家用車の利用をやめれば、交通事故などの深刻な社会問題を軽減することになりますし、温暖化への適応策にしても食料確保の努力や水害対策は、気候変動の有無に関わらず大きな意義があります。

もちろん、「温暖化対策」の大義名分のもとに、原発建設が強硬に推進されたり、エタノール燃料を生産するために(貴重な食べ物であるはずの)トウモロコシが大量につぎ込まれたりといった現状もありますので、いいことばかりじゃないわけですが・・・。

1988年頃から現在に至るまで、マスメディアでは地球環境問題が繰り返し報じられ、日本の政府でも建前上はその重要性を認めつつも、実際に打ち出される政策は(私個人の印象ですが)なまぬるいものばかりでした。いよいよ大きくなってきた「良性の脅威」を前にして、今後は、社会全体が本格的な脱化石燃料へと突き動かされることを期待します。

米本さんの本の一節(48ページ)を引用しておきます:
「現代社会は、地球環境問題という新しい課題を発見し、これへの対応をやれるだけやってみたらよい。こういう視角から社会も国も企業も個人も揉まれ、もう一段高い質の社会に到達すればよいのである。世界がこの良性の恐怖から当分醒めないことを望むのみである。」

最後の一文は、地球温暖化の科学には不確実性があるため、じつは正しくないかもしれないという可能性を念頭に置いたものですが、この本の出版後は(不確実性はまだ残っているものの)温暖化シミュレーション関連の技術、気候変動の要因推定、気候変動の原因となる各種放射強制力の見積もり、といった分野で大きな進歩がありました。その意味では、この良性の恐怖から醒めてしまう心配はいりません。念のため。

吉村じゅん
記事検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Recent Comments
  • ライブドアブログ