気候変動・千夜一話

地球温暖化の研究に真面目に取り組む科学者たちの日記です。

原子力事故

原子力防災と気象学会・気象学者のかかわり

日本気象学会(ウェブサイトはhttp://www.metsoc.or.jp)が、2011年3月の原子力事故の際にとった態度、とくに3月18日づけ(ウェブサイトに置かれたのは21日)の理事長から会員向けに出されたメッセージが、情報の流通をさまたげるものであり、住民の安全に役立つ情報を提供するという公共的役割からも、科学研究の自由という面からも、まずかった、という批判が多くあります。近ごろ、わたしは他の専門の科学者から聞きました。また、「雲の王」という小説を出された川端裕人さんが、集英社のウェブサイトのこの本の紹介ページの対談の中で「失望した」「日本の科学史に残る汚点」と論じておられます。

会員であるわたしから見ると、このメッセージは強制力のあるものとは感じられず(学会理事長には学会業務以外の強制権限はありませんので)、注意喚起としては妥当だと思いました。このような態度しかとれなかったのは残念ではありますが、当時の学会の力量ではそれしかなかったかと思います。しかし、今後に向けてはよりよい態度をとりたいと思います。

理事長メッセージには2011年4月12日に補足が出されました。その後、気象学会は「原子力関連施設の事故に伴う放射性物質拡散に関する作業部会」をつくり、2012年3月5日に提言をまとめました。文書ファイルへのリンクは次のとおりです。(なお、このブログの過去の記事にあるリンクは気象学会ウェブサイトの移転のため無効になっていることがあります。)

  • 東北地方太平洋沖地震に関して日本気象学会理事長から会員へのメッセージ(2011年03月21日) [PDF]

  • 日本気象学会会員各位:3月18日付けの理事長メッセージについて (2011年04月12日) [PDF]

  • 原子力関連施設の事故発生時の放射性物質拡散への対策に関する提言 (2012年3月5日)[PDF]

  • 理事長メッセージ:「原子力関連施設の事故発生時の放射性物質拡散への対策に関する提言」を行うに当たって (2012年3月5日) [PDF]



2012年3月の提言には次のような項目を含んでいます。

  • 事実の公表

  • モニタリング体制の整備

  • 数値モデルを用いた予測の活用

  • 専門機関の役割

  • 情報公開と啓発



また、この提言を出す際の理事長メッセージで、日本気象学会として反省すべき点として次のことをあげています。(表現はわたしが少し変えたところがあります。正確には原文をごらんください。)

  1. 研究の自由の制限と受け取られかねないメッセージを出したのは失敗だった。

  2. 「SPEEDIのデータを一刻も早く公表すべきだ」と提言するべきだった。

  3. 気象学会として放射性物質の移流・拡散の防災の整備にほとんど貢献してこなかった。

  4. 会員全員に情報を伝えるメーリングリストを整備していなかった。



ここからわたしの考えです。

2011年3月の理事長メッセージの背景には第1に、いわば「災害情報一元化」という思想がありました。メッセージでは「防災対策の基本は、信頼できる単一の情報を提供し、その情報に基づいて行動することです。」と述べています。防災情報のうちでもとくに警報などは、複数の機関から違うものが出されると社会が混乱するので、担当機関が決められています。大雨などの気象災害と、地震・津波については、気象庁です。気象学会の理事長そのほかおもだった人はこの体制をよく知っているので、警報は警報担当機関が責任をもって出してくれると想定し、他の人は警報とまぎらわしいものを出すべきでないと考えたのでした。

もちろん、警報担当機関が実際その機能を持っていなければこれではだめです。しかし、東日本大震災の際も、気象庁の気象・地震・津波に関する警報業務はほぼ正常に働いていました。津波警報を当初高さ6メートルと出してしまったという問題はありました。また、被災地の自治体の側の情報を受け取る体制が崩れていたところもありました。しかし少なくともマスメディアとインターネットを経由して情報は伝わりました。震災後の気象情報については、気象庁本庁と福島地方気象台それぞれのウェブサイトで、強化した発信をしていました。

ところが、原子力防災の情報発信のしくみはずっと弱いものしかありませんでした。役所間の役割分担が明確でなかったこと、実際に起こったよりもだいぶ小規模な事故が想定されていたことも問題でした。それで、結果として、的確な原子力防災情報の発信がなされなかったのでした。あとからこの状況を考えると、正式な警報とは別に、むしろ気象学会員を含む科学者の有志が予測情報を積極的に発信したほうがよかったのかもしれません。

本来は原子力についても正式な警報のしくみがあるべきです。しかし、たとえ2011年3月に起こった規模の事故が想定内だったとしても、確率の低い現象にちがいないので、そのために気象庁のものに負けない警報体制を発電所などの原子力施設から何十kmもの範囲を対象としていつも待機させておくことは現実的でないと思います。原子力専用の防災体制は施設の近くについて手厚く整備し、ある程度以上遠いところは気象庁の警報システムを利用するのが現実的ではないでしょうか。ただし、気象庁の業務がなしくずしにふえる案では実現に向かいませんので、 内閣レベルで国土交通省が分担する業務として決定して必要な予算を分配すべきだと思います。

第2に、理事長メッセージで「防災対策に関する情報等を混乱させることになりかねない」と言っているところ、これだけではわかりにくいのですが、2011年3月18日ごろわたしがインターネット上(検索で見つかるブログなど)の情報を見て実際このままではまずいと思った状況がありました。当時、事故を起こした原子力発電所からの放射性物質の放出量はよくわかっていませんでした。外国のいくつかの機関による移流拡散シミュレーションの結果の図がネット上で流れていましたが、わかった限りでいずれも単位量の放出を仮定したシミュレーションでした。しかし、その結果の数値を実際に人が受ける放射線量だとした解釈し、それは危険な量であるという説明がついた形で伝わっていることがよくあったと思います。(記録をとらなかったので「思います」としか言えないのですが)。 「それは単位量放出の計算であり、その数値を見て危険かどうか判断するのは不適切だ」というメッセージを出す人もいたのですが、画像と危険を訴えることばを含んだメッセージに比べてずっと伝わりにくいのです。そこで、わたしも、理事長メッセージを見る前に、シミュレーション結果の発信は、それが何を仮定してどのように計算されたものかの説明を確実にいっしょに届けるのでないかぎり、あぶないと思ったのでした。とりわけ震災直後の被災地では通信回線の能力が落ちていましたから、その多くを充分現実的でないシミュレーション結果でふさいでしまうのは悪いことだろうとも思いました(4月には通信がだいぶ回復したのでこの点は気にしなくてよいと思いました)。

さて、(「雲の王」はフィクションですが川端さんはノンフィクションも書くかたなので、ふとこの一対のキーワードに思いあたったのですが)、シミュレーションは、きびしく言えばすべてフィクションなのです。しかし、できる限り現実的なモデルに、できる限り現実的な初期値を与えて行なった予測計算は、ノンフィクションとみなすこともできるでしょう。ところが、現実的なモデルに、勝手な初期値を与えてシミュレーションすることもできます。これはまことしやかなフィクションで、説明が不足していれば受け取り手はノンフィクションとまちがえる可能性が常にあります。単位量放出はこのようなまことしやかなフィクションで、それがどのような意味で現実と似ていてどのような意味で違うのかを理解してもらうのは手間がかかります。災害時のみんな余裕のないときにそれは不可能だと考えてSPEEDIの単位量放出の結果を公開しなかった(そしてその意味を理解できるアメリカ軍にだけ見せた)という政府の判断になったのかもしれません。そこで気象学会員有志が「自分たちが被災地に説明に行くから、政府は情報を出せ」と言えばよかったのかもしれません。

緊急時でない今ならば単位量放出をじっくり説明することはできます。ふだんから単位量放出を見慣れていれば、緊急時にも「単位量放出です」と言って出すことができるのです。大飯の発電所の稼動を始めるにあたって、毎日「きょう大飯から単位量放出があったらどう広がるだろうか」というシミュレーションをして結果を公開することは、福島の教訓の応用として当然行なわれるべきだとわたしは思います。まだ行なわれていないことにあきれております。

シミュレーション結果を見るにはもうひとつ注意が必要です。地上でくらす人が長期にわたって受ける放射線は、おもに地表に落ちた放射性物質によります。このうち雨や雪に混じって落ちるぶんが多く、降水は空間的に不均一に起こる現象なので、放射性物質の空間分布も不均一になります。気象シミュレーションでも、降水過程を現実的に表現していれば、その不均一の度合いは現実的に表現できるかもしれません。しかし、空間スケール1kmでどこに雨が多くどこに少ないかまで現実と一致はしないでしょう。空間スケール50kmの特徴についてノンフィクションとみなせるシミュレーションでも、空間スケール1kmに注目するとまことしやかなフィクションになってしまうのです。地上の人の安全確保や除染のためには、シミュレーションでなく実際に雨・雪がどこに降ったかの情報をもつことが重要です。

放出量が的確に見積もられていない場合、単位量放出シミュレーションは可能ではありますが、それで得られる情報は、通常の気象シミュレーションによって得られる風などの気象場の情報につけ加わるものが少ないかもしれません。もしそうだとすると、そのような状況では、SPEEDIのような原子力防災専用システムではなく、通常の天気予報に原子力防災の機能をつけ加えたほうが有用かもしれません。複数の省庁にまたがりますが、混成チームなり省庁間業務委託なりによって実務的一体運営が行なわれるべきだと思います。予報の中枢で、気象場の情報と、排出源に関する得られる限りの情報、放射性物質の輸送と沈着に関する知見をもとに、予報文を組み立てる専門家に働いてもらうことと、現場の予報士に、放射能関係の用語の意味を正しく理解して予報文を説明できるように研修をしてもらうことが必要になるでしょう。

masudako

SPEEDIについてこのごろ思うこと

2012年6月11日のNHKニュースで「SPEEDIで実測も非公表」という報道がありました。


2011年3月15日に、文部科学省が、福島第1原子力発電所の北西のほうに人を出して放射線量を観測したところ、発電所北西約20kmの浪江町内の地点で330マイクロシーベルト毎時の線量を観測したのですが、この調査に行くという判断にはSPEEDIの結果を参考にしていたにもかかわらずそのことを発表せず、そのSPEEDIの計算結果を発表することも4月25日までしなかった、という話です。

この記事をめぐってはtwitter上で議論がありました。わたしは追いかけていませんでしたが、「政府は情報を隠した。けしからん。」という論調のものが多かったと思います。しかし、違った論調もありました。たとえば「Togetter」の「ニュース『SPEEDIで実測も非公表』はちょっとおかしい」 というJokeJokerMさんがまとめた記事があります。

まず、現地で観測した線量について、「現地の対策本部には報告せず、自治体にも伝わらなかった」というのは確かにまずかったことですが、NHKの見出しの「実測も非公表」はへんだ、という点ではJokeJokerMさんの発言がもっともだと思います。実測された放射線量の数値は「報道機関に資料を配付し、インターネットで公開した」うちに含まれたのでした。

次にSPEEDIの計算値は、文部科学省が線量を観測する人を出すという意思決定に充分参考になったのならば、住民が避難するという意思決定にも提供するべきではなかったか、という問題があります。これはむずかしいところですが、当時、放射性物質放出量がわかっておらず、できるのは単位量放出(あるいは勝手に考えたシナリオによる放出)を仮定した計算であり、それを観測された線量と突き合わせることもまだできていなかったことを考えると、まず現地観測することだけを決定したのはもっともだと思います。ただし、現地で概算の観測値が得られた段階で、計算値の分布と組み合わせた情報を現地の自治体などに提供したほうがよかったとは思います。役所が現地に送った人に与えた権限が小さすぎたのかもしれません。

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ところで今(2012年6月17日)、福井県の大飯(おおい)原子力発電所の再稼働について、すでにいくつかの意思決定がされ、少しだけが残っています。

ここまで来ているならば、当然、(陸上の放射性物質移動まで組みこんだSPEEDIで人が受ける線量までシミュレートするか、気象だけのモデルで大気中の輸送だけシミュレートするかどちらかはわかりませんが)、大飯からの単位量放出で放射性物質がどのように広がるかのシミュレーションを日常的に(たとえば毎日毎時)やって結果を公開するぐらいのことはすでにやっているのだと思っていました。 2011年3月にSPEEDIが役にたたないと判断されたのは、住民や自治体に単位量放出シミュレーションの意味をわかってもらうのがたいへんだからなのです。事故などがないうちから単位量放出シミュレーションを見慣れていれば、いざというときに誤解を招かずに意味を伝えることができます。しかし、まだだれもやっていないようですね。

原子力規制庁あるいは規制委員会に関する法律が成立せず、暫定的に経済産業省に残っている原子力安全保安院や文部科学省に残っている原子力安全課にはぎりぎりの予算しかついていないので新しい仕事を始めることができないのかもしれません。暫定ばかりでも困りますが、もし新体制ができなくても発電所を稼動させる可能性を認めるのならば、新体制ができなくてもシミュレーションを開始せよという決定をしてほしいと思います。シミュレーションさえすれば発電所を稼動させてよいという条件になってしまうのもまずいですが。

masudako

福島原子力事故による放射性物質の広がりかたに関する情報源

福島第1原子力発電所の事故で放出された放射性物質については、さまざまな情報がありますが、わたしには追いかけきれておりません。

ただし、情報源へのリンクをまとめたものを知りましたので、簡単に紹介いたします。

大気による放射性物質の輸送のシミュレーションの報告については、TwitterのID「knj961」の匿名のかたが、ご自分がTwitterで紹介したものをまとめて、次のようなページを作っておられます。ページの後半には、観測された放射線量の情報へのリンクもあります。
『福島第一原発事故による放射性物質の大気拡散』参考資料まとめ
http://togetter.com/li/273754


土壌・農作物への影響については、農業環境技術研究所の次のページに、資料へのリンクがあります。
原子力発電所事故等による土壌・農作物の放射能汚染に関する情報ポータル
http://www.niaes.affrc.go.jp/techdoc/radio_portal.html


masudako

ヨウ素131の大気による輸送のシミュレーション

2012年3月11日夜10時から、NHK教育テレビの「ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(5) 埋もれた初期被ばくを追え」を、たまたま見ました。

ここで問題になっているのは、福島第1原子力発電所の事故で出た放射性物質のうち、ヨウ素131でした。この核種は半減期約8日で崩壊するので、もはやこの事故による新たな危険はないと言えますが、すでに被ばくしてしまったと思われる人はいます。核種別の放射線量の地理的分布を見ると、福島第1の北西側ではおもに放射性セシウムが多いのですが、南側ではヨウ素の割合が大きくなっています。したがって南側に住んでいた人たちがどれだけの被ばくをしたかが心配ですが、詳しいことがわかっていません。

海洋研究開発機構横浜研究所の滝川雅之さんと東京大学大気海洋研究所の鶴田治雄さんが、このヨウ素131の大気による輸送のシミュレーションをしていることが、番組の中で紹介されていました。ふだんは光化学スモッグなどの大気汚染を研究しているかたがたです。

そのシミュレーション結果を、放射線被ばくの健康影響の専門家が見て、住民に対する助言の材料にすることになります。

もちろん、シミュレーションの入力として、発生量を推定しなければなりません。環境放射線の観測機器のうち、いくつかは地震・津波あるいは停電で止まりました。機器は動いていたものの事故のあと避難区域となったためにデータが取り出せなかったところもありました。そのうち、福島県原子力センターにある大野モニタリングポスト (同センターによる地図参照、ただしこの地図の数値は最近のある時刻の線量)のデータがまず使えるようになりました。時系列でみると、2011年3月12日から放射性ヨウ素が届いており、15日の午前にとくに大きな値を示していました。

さらに福島第1の南1.5kmの夫沢モニタリングポストのデータも使えるようになった、という話もありました。福島県の人が機器から取り出したデータを、放射線計測の専門家の岡野眞治博士が解析して使えるようにした、ということでした。どんな解析が必要だったのかは聞きもらしました。番組の中で紹介されたシミュレーションに対しては、入力ではなく結果の比較対象として使われていたようです。

masudako

気象学会の原子力事故対策に関する提言

日本気象学会が、2012年3月5日、「原子力関連施設の事故発生時の放射性物質拡散への対策に関する提言」を発表しました。ひとまず所在情報をお知らせします。

【[2012-07-13補足] 2012年4月から日本気象学会のウェブサイトが移動しました。
(国立情報学研究所の学会ウェブサイトホストサービスが廃止されたためです。)
この記事のリンク先は移動後のURLに書きかえます。
なお、2012年3月5日現在の気象学会ウェブサイトURLは、http://wwwsoc.nii.ac.jp/msj/ でした。】

学会ウェブサイト http://www.metsoc.or.jp/ にあります。

提言文書(PDF)は http://www.metsoc.or.jp/others/News/proposal_120305.pdf

新野(にいの)理事長による説明(PDF)は http://www.metsoc.or.jp/others/News/message_120305.pdfです。

masudako

原子力事故による放射性物質の大気中輸送のシミュレーション

福島第1原子力発電所の事故によって放射性物質がどのように広がったかに関する研究について、11月17日の記事ではひとつの研究例を紹介しましたが、もちろん研究例はそれだけではありません。わたしはこの問題を追いかけておりませんので、あまり詳しく説明することができず、また重要なものを見落としているおそれもありますが、ともかく気がついたものを簡単にご紹介します。

== WSPEEDI ==
日本原子力研究所(現在は日本原子力研究開発機構)では、原子力安全技術センターで運用されているSPEEDI [文部科学省の「環境防災Nネット」の中のSPEEDI紹介ウェブサイト]に続いて、WSPEEDI (世界版SPEEDI)というシステムが開発されました。[上記サイト中のWSPEEDIのページ]

6月15日(18日改訂)に原子力機構から報道発表「東京電力福島第一原子力発電所事故発生後2ヶ月間の日本全国の被ばく線量を暫定的に試算」がありました。これは、WSPEEDIによるシミュレーションの結果で、日本原子力学会英文論文誌に出た次の論文に関するものです。

  • M. Chino, H. Nakayama, H. Nagai, H. Terada, G. Katata and H. Yamazawa, 2011: Preliminary estimation of release amounts of 131I and 137Cs accidentally discharged from the Fukushima Daiichi nuclear power plant into the atmosphere. Journal of Nuclear Science and Technology 48(7), 1129-1134. [要旨および本文PDF(無料)へのリンク]


また、WSPEEDIの改訂版WSPEEDI-IIについての解説が日本評論社から出ている雑誌「数学セミナー」に出ました。

  • 永井 晴康, 2011: 放射性物質の大気拡散シミュレーションについて。 数学セミナー, 50(12), 41 - 45.



== 国立環境研究所 ==
8月25日に、国立環境研究所からの記者発表東京電力福島第一原子力発電所から放出された放射性物質の大気中での挙動に関するシミュレーションの結果についてがありました。関連の情報は[環境研の東日本大震災対応のページの中]にもあります。これは、アメリカ地球物理学連合(AGU)の雑誌に出た次の論文に関するものです。

  • Y. Morino, T. Ohara & M. Nishizawa, 2011: Atmospheric behavior, deposition, and budget of radioactive materials from the Fukushima Daiichi nuclear power plant in March 2011. Geophysical Research Letters, 38, L00G11. doi:10.1029/2011GL048689 . [要旨、購読者は本文にもアクセス可能]


また、岩波書店から出ている雑誌「科学」に次の解説が出ました。

  • 大原 利眞, 森野 悠, 西澤 匡人(まさと), 2011: 福島原発から大気中に放出された放射性物質はどこに、どのように落ちたか? 科学, 81(12), 1254-1258.



== SPRINTARS ==
SPRINTARSは九州大学の竹村俊彦さんが中心となって作られた全球大気中の放射[放射能のことではなく、可視光や赤外線の伝達]に関与するエーロゾルの輸送のモデルです。{SPRINTARSのホームページ][竹村さんの研究紹介のページ]に解説があります。

6月23日に、東京大学で記者発表があり、その説明資料「福島第1原子力発電所から出された物質のグローバルな輸送をもたらした低気圧とジェット気流」は [PDFファイル]で九州大学のサイトに置かれています。これは、日本気象学会の短報論文誌(オンラインだけで紙版はない)「SOLA」に出た次の論文に関するものです。

  • Toshihiko Takemura, Hisashi Nakamura, Masayuki Takigawa, Hiroaki Kondo, Takehiko Satomura, Takafumi Miyasaka and Teruyuki Nakajima, 2011: A numerical simulation of global transport of atmospheric particles emitted from the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant. SOLA, 7, 101-104, doi:10.2151/sola.2011-026. [要旨および本文PDF(無料)へのリンク]


また、AGUのニュースレター「Eos」に次の解説が出ました。

これは全球モデルですから、日本国内の分布を論じるのには空間分解能があらすぎます。他方、太平洋を横断する輸送などを論じることができます。

masudako

福島原子力事故によるセシウム137の日本全国の土壌への沈着の見積もり

福島第1原子力発電所の事故によって放射性物質がどのように広がったかに関する研究はいくつか行なわれていますが、ここではそのうち、2011年11月15日に新聞やテレビなどで報道された件について、簡単に紹介します。これは、アメリカ合衆国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載が決まりオンライン公開された次の論文です。

  • Teppei J. Yasunari, Andreas Stohl, Ryugo S. Hayano, John F. Burkhart, Sabine Eckhardt, and Tetsuzo Yasunari, 2011: Cesium-137 deposition and contamination of Japanese soils due to the Fukushima nuclear accident. Proceedings of the National Academy of Science of the USA (PNAS), in press. doi: 10.1073/pnas.1112058108 [要旨]


上に「要旨」としたリンクの先に要旨があり、論文本文のPDFファイルや補足資料(PDFと動画)にリンクされています。この雑誌の論文は原則として有料ですが、この論文は「オープンアクセス」つまりだれでも無料でPDFをダウンロードすることができます(著者の所属機関が料金を払ってくれたそうです)。

日本語では、次の解説文書が名古屋大学のウェブサイトに置かれています。「福島原発から放出されたセシウム137の日本全国への沈着量及び土壌中濃度の見積もり -- 沈着は広範囲で、特に地形効果により沈着量は場所により大きく異なることが判明」[日本語PDFファイル]

筆頭著者の安成哲平(T.J. Yasunari)さんは、日本で博士号をとったあと、アメリカ合衆国で、Universities Space Research Association (USRA, 大学宇宙研究連合)の客員研究員という立場で働いています。その本業では、大気汚染によるblack carbon (すす)をはじめとするエーロゾルが雪氷に与える影響を研究しておられます。

原子力事故のすぐあと、安成哲平さんは、福島からの放射性物質輸送のシミュレーションを試み、放射線の観測値を集めて全体像をつかもうとしていた物理学者(素粒子実験)の早野龍五さんに情報を提供したそうです。(わたしは7月14日の日本学術会議公開シンポジウム「シミュレーション・予測と情報公開に求められること−これまで・今・これから−」[会合プログラムPDF]での早野さんの講演で聞きました。) しかしその計算には不確かな仮定が多いので結果を一般公開するのは不適当だと判断されました。ていねいに計算をしなおして科学的知見として使える結果を示すことにしました。

論文になった研究では、ノルウェーの大気研究所(NILU)で開発された大気中の物質輸送の数値モデル「FLEXPART」を使っています。そのモデルの作成者たちも共著者に加わっています。風などの気象情報は、ヨーロッパ中期天気予報センター(ECMWF)が数値天気予報モデルに観測データを取りこんで作った格子点データを使っており、時間間隔は3時間、空間間隔は日本付近で約20kmです。FLEXPARTによるシミュレーション自体は、放射性物質の放出量は一定値を仮定して行なっています。そして計算結果の地上へのセシウム137の沈着量を、文部科学省がまとめた「定時降下物」という観測値データとつきあわせて、現実の毎日の沈着量を推定しました。解析期間は3月20日から4月19日までです。事故から3月19日までについては「定時降下物」のデータがないため計算できていません。土壌中の濃度は、沈着量と換算係数53 kg/m2から求めています。換算係数の値は過去に観測されたサンプルのデータに基づくものです。

この計算は、日本全体の汚染状況を大まかに把握するためのもので、期間が3月20日以後であるという制約があるほか、空間的にあまり細かい特徴は表現されていないと見るべきです。気象データの空間格子間隔が20kmで、実際に表現できている空間スケールはその数倍(たとえば4倍として80km)以上と見るべきでしょう。また沈着の多くが湿性沈着つまり雨や雪などに混ざる形で起きていると想定され、その分布は観測値に基づく降水量と似ていることが示されていますが、この似ているというのも数十km以上の空間スケールで、それより細かいスケールの分布は対応していないと思います。また沈着量から土壌中の濃度へ一定の係数値で換算していますが、現実には土壌の種類などによる違いもあるでしょう。

安成哲三(T. Yasunari)さんは哲平さんのお父さんですが、哲平さんの計算結果が出たあとで、気象学的観点からの評価が必要だということで研究に加わったと聞きました。

著者たちは、この論文が出たのを機会に、もっとていねいな調査が行なわれることを希望しています。とくに土壌のサンプリング調査を全部の都道府県で行なってほしいと言っています。

なお、この論文と同時に同じ雑誌に福島原子力事故からの放射性物質に関する論文がもう一つ出ています。筑波大学のKinoshitaさんほかによるもので、ガンマ線計測に基づく関東・東北の分布です。

文献

  • Norikazu Kinoshita, Keisuke Sueki, Kimikazu Sasa, Jun-ichi Kitagawa, Satoshi Ikarashi, Tomohiro Nishimura, Ying-Shee Wong, Yukihiko Satou, Koji Handa, Tsutomu Takahashi, Masanori Sato, and Takeyasu Yamagata, 2011: Assessment of individual radionuclide distributions from the Fukushima nuclear accident covering central-east Japan. PNAS, in press. doi: 10.1073/pnas.1111724108 [要旨]

原子力事故を受けて、気象学者は何をしたらよいか(個人的考え)

(個人的考えですので、個人ブログに書くべきかとも考えましたが、すでにここに書いたこととも関係するのでここに出します。)

地震に伴って起きた原子力発電所の事故を受けて、気象学を専門とする者として何をするべきか考えました。

申しわけないとも思いますが、わたし自身は、この事故に直接詳しくかかわるつもりはありません。この事故をきっかけとして地球温暖化問題を含む世界の資源・環境問題の緊急性がましたと思うので、自分の精力はそちらに振り向けたいのです。

CO2排出を抑制する手段として原子力に期待できる度合いが下がりましたから、温暖化を軽減することがむずかしくなりました。まず、避けられない温暖化への適応策を急がなければなりません。また、温暖化軽減とエネルギー安全保障の両目的のために、エネルギー資源の最終需要を減らすこと、エネルギー利用効率を上げること、エネルギーの源をいわゆる自然エネルギー(更新可能エネルギー)に切りかえることを並行して進めなければなりません。気候への適応の目標を知るためにも、自然エネルギーの供給量を時空間的分布を含めて知るためにも、エネルギー需要の無視できない割合を占める冷暖房需要の量をつかむためにも、気象学者だけではやりつくせない仕事があります。気象学者の役割はむしろ、気象を専門としない多くの人との間で、こういった目的に役にたつ気象の知識や情報を共有できるようにすることだと思います。

もちろん、事故そのものに関連した気象学者の仕事もあります。自分でかかわるつもりがないのに発言することにためらいはありますが、わたしなりに何が大事かをあげておきたいと思います。

放射性物質による人への害を最小限にくいとめるためには、発電所から放出された放射性物質がどこにどれだけ広がったかをつかむ必要があります。もしこれから放出された場合にどう広がるかの予測という課題もありますが、その準備という意味も含めて、これまでに実際にどれだけ広がったかを知ることが必要です。そのために、放射線量の計測値も重要です。(その多くは文部科学省の「東日本大震災関連情報」のページにまとめられていますが、そこに含まれない情報もあるでしょう。たとえば福島大学放射線計測チームによる調査もあります。) しかしその調査地点の密度にも限りがありますし、放射性物質がどのように広がったかを考えるためにも、この地域で風がどのように吹いたか、雨がどのように降ったかを詳しく調べるべきです。その基本は、気象庁が行なっている定常観測です。気象庁は、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)関連ポータルサイトから情報を出しています。その福島地方気象台のホームページも被災地に重点を置いたものになっています。しかし、気象庁の観測網は日本全国を見渡す目的にはじゅうぶんなのですが、県内を市町村スケールで見るにはあらいものです。気象庁以外にも気象観測をしているところはあります。地方自治体(消防関係、大気環境関係)や河川・港・道路・鉄道などの管理者はそれぞれ定常観測をしているでしょう。教育・研究機関でも観測をしているところがあるでしょう。(たとえば、福島大学では、昨年気象レーダーを設置し、業務でなく教育研究用であり、地形エコーなども除かれていないことに注意が必要ですが、このウェブページで画像を公開しています。また、上記放射線計測チームのページのリンク先には、放射線計測を追加したラジオゾンデによる上空の気象観測を4月15日から行なっているとあります。)

このように多様な気象と放射線の観測値を散逸しないうちに集めていっしょに検討できるようにするという課題があります。これはどの単独の機関の手にも負えないことだと思います。データの整理に時間をさく意欲のあるかたはおられると思います。あと必要なことは、政府が、省を越えた内閣のレベルで、どこにデータを集めるかを決め、その組織(仮にデータセンターとします)で能力と意欲のある人を雇える予算をつけ、各官庁やその傘下の機関にデータをデータセンターに提出するように指示することだと思います。(データセンターを構成するには、情報基盤の提供者と、その上に置かれる知識の提供者とが、別々の機関から参加する必要があるかもしれません。)

ここまで、意識的に観測データに限って述べました。シミュレーション結果もいっしょに使えたほうがよいのですが、シミュレーションのモデルを評価するためにも観測データが必要なので、観測データのほうが優先順位が高いという考えによります。

気象学会理事長が気象学会ウェブサイトに3月21日(PDF)4月12日(PDF)に出した会員向けメッセージが、「情報を隠せ」という意味だと受け取られたことは残念なことです。これは、「ゴミ情報を出すな」という意味だととってほしいと思います。(ただし、この「ゴミ情報」は廃棄物に関する情報という意味ではなく価値の低い情報という意味です。) 放射性物質の大気による輸送のシミュレーションは、全球規模では気象庁が、福島付近のローカル規模ではSPEEDIチーム(原子力安全技術センター)が行なっており、研究者が急にがんばってもそれを越える質のものは出せそうもないのでした。(もしずっと高い質のシミュレーションができるのならば出すべきだったと思います。)

今からふりかえって残念なのは、気象庁とSPEEDIのデータがもっと早く公開されるように、気象学者が積極的役割を果たせなかったことです。SPEEDIについては前の記事で紹介したように、内閣府と文部科学省のどちらが担当するかなかなか決まらなかったようです。内容の見当がついている気象学者が率先して「どちらでもよいから早く決めてほしい」と、おそらく内閣官房レベルに要請するべきだったのでしょう。あるいは、もし能力があれば、「一般の人々への発信は自分たちで引き受けるから、なまデータを提供してほしい」と言うこともできたと思います(実際それだけの能力のある気象学者がいたかどうかは疑問ですが)。気象庁についても同様だと思います。気象庁には、能力のうえでは気象学者と言える人がおおぜいいますが、気象研究所を除いて行政機関であり、あらかじめ決められたように観測・予報をするのが本業です。ただしその業務の技術を向上させることも任務となっています。日本の気象庁はいったん業務としたことは律儀に続けることで世界的定評があると言ってよいと思います。南極のいわゆるオゾンホールの発見への貢献も、エルニーニョ現象のシグナルが西太平洋にもあることの発見への貢献も、質のよい観測が継続されたからできたのです。したがって、気象庁が業務が追加されることに臆病になるのは当然なのです。今の担当者がボランティア的な気持ちで引き受けてしまい、それが業務とみなされたら、後任者は勤務時間で処理しきれない業務をかかえてしまうおそれがあります。言いかたが乱暴ですみませんが、気象庁に当然の災害対応に加えて超過負担をしてもらいたかったら外圧をかけるしかありません。やはり内閣のレベルで、国土交通大臣を動かす必要があったと思います。

これからでも必要だと思うのは、気象庁やSPEEDIの計算結果の意味を、一般の人々に正確に知ってもらうことです。残念ながら、役所の発表は説明がじゅうぶんではなく、マスメディアの報道は省略が多いです。科学者を中心とする有志で、解説を整備するとよいのではないかと思います。申しわけありませんが、わたしはその活動に主体としてかかわる元気がありません。ただし、言い出したからには、主体となるかたが現われるまでの議論の場を用意したいと思います。このブログ「気候変動・千夜一話」はコメント欄の字数制限がきびしいので、準備中であった別のブログ「気候の門」に、放射能移流拡散モデルを理解するためにという短い記事を置きました。関心のあるかたはその記事にコメントをつけてくださいますようお願いします。(コメントは管理者の承認が必要なように設定されていることがありますので、すぐ公開されなくても1日程度お待ちください。もしかするとわたしが操作を誤ってコメントを消してしまうこともありうるので、1日以上現われなかったらまたコメントするか「紹介」ページに書いた管理者アドレスにお問い合わせください。)

[2014-05-04 追記] この記事を書いた際に用意した別ブログ「気候の門」は、結局あまり使われないままになっていましたので、2014年4月下旬に、廃止しました。

masudako

SPEEDIの計算結果(図)公開

国の文部科学省の事業として原子力安全技術センターが担当してきたSPEEDIという数値モデルによる、福島第1原子力発電所からの放射性物質のローカルな(数十kmスケールの)広がりのシミュレーション計算結果の図が、内閣府の原子力安全委員会事務局のウェブサイトの中の次のところhttp://www.nsc.go.jp/mext_speedi/から公開されました。

わたしは4月26日の読売新聞朝刊(東京14版2面)で知ったのですが、見出しが「拡散予測『今頃ナンセンス』専門家が批判 / 事故直後の避難に使うはずが」となっていました。事故直後に役にたたなかったことは確かに残念なことですが、読売のデスクには、政府が情報を出さなくても、出しても、政府を非難する見出しをつけたいかたがおられるようですね。読売のウェブサイトには4月26日夜現在http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110425-OYT1T00953.htm のページに記事があり、その見出しは「今になって公表した放射性物質の飛散予測」となっています。ただし検索した際の記事一覧で表示されるタイトルは「放射性物質の飛散予測、毎日正午に公開へ」でした。

「レスポンス」というウェブサイトの「過去の放射性物質の飛散予測 SPEEDIアーカイブで公表」という記事http://response.jp/article/2011/04/26/155503.html のほうが(下に述べるような疑問もありますが)有効な報道になっていると思います。(このウェブサイトのほかの記事は自動車の話題が主で、わたしの関心に合うものはあまりないのですが。 )

「レスポンス」の記事によれば、発表が遅れた理由の第1は、放射性物質の排出量の情報が得られなかったことです。そのため、SPEEDIシステムが設計されたとき想定されたとおりの予測計算はできなかったのです。(SPEEDIの設計で想定していたのは、原子力発電所の事故といっても、発電所の近くの放射線計測装置は動いている場合だったのです。)

今回発表された図は、いずれも数量の空間分布を地図上に示したものですが、意味がだいぶ違う、2種類のものがあります。内閣府のサイトの説明を読んでわたしは次のように理解しました。

(1)福島第1原子力発電所事故以来毎日毎時の計算結果の図(PDFファイル)が、http://www.nsc.go.jp/mext_speedi/past.htmlからリンクされています。計算結果として示された数値は、「放射性希ガスによる地上でのガンマ線量率(空気吸収線量率)」と、「大気中の放射性ヨウ素の濃度」とされていますが、いずれも、現実的な数値ではなく、単位量(1時間あたり1ベクレル)の放射性希ガスまたはヨウ素の放出を仮定して計算したものです。この結果に放出量の見積もりをかけ算して得られる量が現実的意味をもつわけです。PDFファイルには、風の分布(気象庁の日本域数値予報モデルによる格子データと観測値とをもとにSPEEDIで計算されたもの)を示す図も含まれています。

(2)環境中の放射性物質濃度の測定(ダストサンプリング)結果とSPEEDIによるシミュレーションを組み合わせることによって、放出量をなんとか逆推定し、それを入力としてSPEEDIによる計算をして空間線量が試算されました。この結果は、複数日の期間の積算線量の図として3枚が公表されています。その1つは、3月12日午前6時から4月24日0時までの成人の外部被ばくによる実効線量です。読売の記事に引用されていた図はこれでした。

(2)の図を見ると、分布は海側には同心円に近い広がりかたをしていますが、陸への広がりかたは大きな方向の偏りがあり、北西方向と、海岸沿いの南方向とで値が大きくなっています。北西側のいくつかの町村で距離の割に影響が大きかったことは確かなようです。ただし同じ町村内でも一様に影響が大きいわけではありません。なお、この結果の大まかな特徴は、この地域の地形を知っている人ならばある程度は予想できたと思います。しかし定量的に試算してみる価値はあるでしょう。

ところが(1)の図をためしにいくつか見てみると、そのときによって、濃度の濃いところが向かう向きはまちまちなのですね。北西、南だけでなく、ほかの方向に向かうこともあります。まだ風の分布と照らし合わせて検討していませんが、風向によっているのだと思います。(3月23日に報道されたのは1例だけでしたから、その図を見てどの場所があぶないと判断するのは、やはり、あまり適切ではなかったのです。)

[2011-04-30訂正] 3月23日に報道されたのは、今回の(2)に含まれるうちの最初のもの、3月12日午前6時から3月24日0時までの一歳児の甲状腺内部被ばく等価線量だったようです。

20km圏内で立ち入り制限をし日時を指定して一時帰宅を認めることになりましたが、onkimoさんが4月7日の記事http://d.hatena.ne.jp/onkimo/20110407/1302178667/で述べておられるように、一時帰宅の際は、このような予測計算を安全策の参考にするべきでしょう。

ところで、「レスポンス」の記事には、発表が遅れた第2の理由も書かれています。
[細野首相補佐官は]さらに、SPEEDIの運用を、内閣府原子力委員会か文部科学省が担当するのか「調整に戸惑ったこと」も、公表を遅らせる要因になったことを明かした。


この報道には疑問もあります。原子力委員会と原子力安全委員会との区別は明確にしてほしかったと思いますし(もしかすると実際に原子力委員会に担当させるべきだという論もあったのかもしれませんが)、「戸惑った」ではなく「手間取った」と言ったのではないかとわたしは思います。

しかしいずれにせよ、こういう理由には役所(的なもの)で働いた人以外のみなさんはあきれるでしょう。しかし、役所は他の省(内閣府も横並び)の権限に含まれる仕事に手を出してはいけないのです。(もし役所の現場の裁量を自由に認めると、税金の使いかたに対して国民の代表である国会のチェックがきかなくなるでしょう。) 社会的期待のある任務を認識したらすぐ担当の省を割り当てることこそ、「政治主導」の出番です。その認識が遅れたのは残念ですが、ともかく今になって役所の対応は前進しました。

[注(2011-04-27): 26日夜に書いた文章には書きまちがいや説明不足があったので、27日午前に推敲しました。]

masudako

シミュレーションで何ができるか、何ができないか

3月11日[地震前です]の記事に、4月15日にyota さんからのコメントがありました。主要と思われる部分を引用します。

気象学者は、何十年も先の「温暖化」はシミュレーションで解明できるのに、たかだか2〜3日先の放射性物質の拡散シミュレーションはできないのでしょうか?


これへの答えは、気象学者の間でも一致しないかもしれません。

わたしは、いわゆる温暖化シミュレーションには主力ではないもののメンバーとしてかかわってきました(今月、現場を離れましたが)。他方、いわゆる拡散シミュレーションについての直接の経験はありません。そういう立場から考えていることを述べてみます。

質問に対する直接のわたしの答えは次のようなものです。拡散シミュレーション自体はできるのです。(ここでわたしは、SPEEDIと同様に、100kmくらいの空間スケールの内側を格子間隔1km程度で表現したシミュレーションを想定しています。) しかし、残念ながら、それは、その結果をそのまま公開して社会の期待にこたえられる性質のものではないのです。(ただし、公開しても意味がないかむしろ有害だというのはリアルタイムの予測として公開する場合に限った議論です。たくさんのシミュレーション結果をまとめ、他のグループの専門家との討論も経て、知識を整理すれば、社会の役にたてることはあると思います。)

気象や気候のシミュレーションは、自然界で起こっている因果関係を計算機上のプログラムの形で表現した「数値モデル」というものを使い、そこに原因に関する情報を与えることによって、結果に関する情報を得ることです。

自然界で起こる因果関係のうちで、モデルで表現できるのは、現在の科学が法則あるいは有力な仮説として認識できているものに限られます。科学全体としては認識できていても、モデルを作る担当になった科学者(のチーム)が気づかないことや理解できないことは、モデルに取りこむことができません。(科学的知識は、個人の主観に依存しないものをめざして構築されていますが、構築する作業は個々の科学労働者の働きに依存するのです。) また、認識はできていても、計算機の能力の限界や因果関係をプログラムの形に表現する技術の限界のために、簡略化した表現しかできないこともあります。

原子力発電所の事故によって放出された放射性物質のゆくえに関する科学者への社会の期待は、おもに、地上に生きる人や農作物を含む生物がどれだけの放射線を受けるのか、またどれだけの放射性物質を体内にとりこむのか、ということだと思います。

この問いにかかわる因果関係のプロセスのうちに、放射性核種の崩壊(これはよくわかった物理プロセスで、もし原因の情報が正確ならば正確に予測できる)とならんで、大気の流れによる汚染物質の輸送があることは確かです。しかし、汚染物質が雨(や雪)に取りこまれて大気から取り除かれるプロセスも重要です。そして、地上に落ちた汚染物質が土壌や植物・動物の体の表面に付着したままなのかあるいはどのように内部にしみこんでいくかも重要です。

このうち地上に落ちた放射性物質がその後どのようにふるまうかの因果関係は、気象学者がモデルを組み立てる際に考えることにはふつう含まれていません。何年も前から放射能に関する安全問題を意識して専門分科にまたがったモデル構築が行なわれていればよかったのでしょうが、だれもそこまでは計画しなかったようです。

雨に関する因果関係は気象学者の専門内です。空間スケール百キロメートル、時間スケール1日くらいをひとまとめにして、その領域でふる雨の平均値について、1日あたり1 mmなのか10 mmなのか100 mmなのかという量の桁(マグニチュード)で答えるという課題ならば、気象庁の通常の観測網で予測を始める時点の水蒸気量・気温・風などの情報が得られることを前提として、答えられるでしょう。しかし、百キロメートルの内側のどこに多くの雨が降るかとなると、地形(さらに季節、1日のうちの時間帯)に伴ってどこに多くなりがちであるという傾向性はあるものの、偶然としか言いようがない不確かさが大きいです。流体と固体の違いはあるものの、雨は、地震と似た破壊現象で、破壊の可能性が高い緊張状態ができていることは認識できても、いつどこで緊張がとけるかは予測困難なのです。雨と放射性物質を含む気象シミュレーションをすれば、モデルの世界で雨の降ったところで地上に落ちる放射性物質の量が多いという分布図ができますが、それは現実の世界でその場所にそれだけの量が落ちると読むべきではありません。雨の再現性のよいモデルによる結果ならば「地上に落ちる物質量にはその程度の空間的不均一ができるだろう」という意味では有用な情報だと思います。

次に、大気中の輸送です。それは、拡散ということばを大ざっぱな意味で使い、物質が広がっていくがその濃度は発生源から遠くほど低くなることをさすのならば、拡散現象ではあります。しかし、物理用語としての拡散は、分子レベルでものが混ざって濃度が均一に近づくことを言います。大気中でも、1センチメートルくらいの空間スケールでは、確かにこの分子拡散がききます。しかし空間スケールが大きくなるとともに分子拡散の役割は小さくなり、空気の各部分がその組成をたもったまま流れていくという移流プロセスが主役になります。ところで、気象のシミュレーションモデルはふつう空間を格子に区切って構成します。格子間隔よりも大きい空間スケールの移流は、すなおに移流として表現します。しかし、格子間隔よりも細かい空間スケールの移流は拡散の形で近似するのがふつうで、これを渦拡散と言います。現実はともかくシミュレーションの世界では、ほとんど同じ初期状態から時間とともにものごとがどう動くかの例を多数考えることができます。多数例の平均の濃度のふるまいに関しては、渦拡散は細かいスケールの移流の効果のよい近似になり、結果の濃度の空間分布はなめらかなものになります。しかし、個別の例についてシミュレーションで表現しきれないところを理屈で考えると、格子間隔より小さくても分子拡散よりも大きなスケールで起こっていることは実際は移流なので、濃度の濃いところ・薄いところの大きなむらが生じているはずです。その濃い部分がいつどこに達するかは、理論的には必然かもしれませんが無限に詳しい情報をもたない人間にとっては偶然というしかありません。(拡散とみなすのは空間的に平均した値を代表値とすることになるので危険の小さいほうに偏った予測になりますが、細かいスケールのむらのうちでとくに濃いところを代表値にするのは、逆に危険の大きい側に偏った予測になり、実用的ではないでしょう。)

さらに重要なのは、原因としてモデルに与える放射性物質の放出量がよくわかっていないことです。この状況でできるのは、原因を仮想的に与えたシミュレーションです。これは現実の濃度の予測ではない、ということは明確に伝える必要があります。そのうえで、その意味を正確に理解できる人には有用です。もし放射性物質とともに放出された熱と、放射性物質とともに放出された物質が太陽光吸収や赤外線射出を通じて大気のエネルギー収支に与える影響とがいずれも小さいならば、大気の流れのシミュレーションを変更する必要はなく、原因として与えた放射性物質量をX倍すれば、結果として得られる濃度もX倍になると考えてよいでしょう。たとえば気象庁がIAEAのためにしている全球スケールのシミュレーション(100 kmスケールの平均値だけを扱うものです)では1ベクレルという放出量を与えています。これは明らかに現実の放出量あるいはその代表値ではなく、別に放出量を見積もってかけざんして解釈することを想定しているにちがいありません。

このように、気象学者は、社会の期待に答える放射能(放射線およびそれを出す物質)のリアルタイム予測情報を提供できません。そのうちには、原理的にむずかしい要因と、今回は準備ができていなかったがこれから努力すれば克服できそうな問題点が混在しています。

***
輸送シミュレーション関係者に限らない気象学者としての社会に対する最大の役割は、観測データを示すこと、それを誤解のないように説明することだと思います。気象庁は業務として気象観測を続けています。震災以後は、気象庁ホームページ福島地方気象台ホームページに、被災地に役立つ形で情報を提供しようとするくふうがあります。

ただし気象庁は放射線の観測を業務としていません。放射線の観測は多数の機関によって行なわれており、比較的よくまとまっているのは文部科学省によるものだと思います。

気象と放射線の観測値の両方をわかりやすくまとめて提供する機関がないのは残念なことですが、今回の災害に応じた有志の努力の中からよいものが選ばれて発展していくことを期待したいです。政府の複数の省の管轄下の情報をまとめて公開する権限がどの省にもないという障壁があるので、その機関を決めて権限を与える立法措置をするように(緊急事態がおさまってからになると思いますが)国会にも要請したいと思います。

***
さて、地球温暖化のシミュレーションのうちにも「温暖化予測」と呼ばれるものがあります。これも厳密には予測ではなく、気候の数値モデルに、原因として人間活動によるCO2排出量などのシナリオを仮想的に与えて行なった計算です。

気候モデルも、大気や海洋の中の物質の輸送(移流・拡散)のプロセスや、雨・雪の降水プロセスを含んでおり、それに伴う不確かさが大きいものです。しかし、空間スケールでは全地球規模、時間スケールでは数十年以上で起こること、たとえば全球平均地上気温の百年間の変化傾向に注目すると、それはおもに地球全体のエネルギー収支で決まっているので、不確かさの幅は代表値の2倍・2分の1くらいにおさまるだろうと思われるのです。

また、原因となるCO2排出量に関して、人間社会については基本的因果関係もよくわからないので予測困難ですが、化石燃料を使う習慣がそう簡単には変わらないとすれば、これも2倍・2分の1くらいの幅で見積もれると思われます。気候モデルの不確かさとかけざんすると、4倍・4分の1くらいの幅をもつことになりますが、それでも、何もわからないよりもはるかに、社会の期待にこたえていると思います。

ただし、これを「予測」とみなす際には省略されている仮定があります。非常に大きな火山噴火(1815年のTambora級のものが複数続いて起こるもの以上)と非常に大きな太陽活動の変化(Maunder極小期の再来以上)は起こらないという仮定です。そのような事態は非常事態として別に考えるしかありません。(少なくとも、そんなことが起こることをあてにして政策を考えるわけにはいきません。)

masudako
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