【書き下ろし】

先日、ブロゴスでアゴラのこのような記事が紹介されていた。

あまりにもひどい東電バッシング - 高宮 滋

今回の原発事故の原因が千年に一度の大津波であることを考えるとなぜこれほどまでに東京電力が一方的に攻撃されなければならないのか理解に苦しむ。

そ もそも原発の建設にあたっては電力会社は国に対して設置許可,工事認可,官庁立会検査などによって重要な設計諸元を提出し,国の認可を受けて建設,運転し ているのである。従って,それらの審査に合格している以上,その審査で合格の判定がなされた条件に関して,その条件を超える異常事態が出現したことによる 事故に対しては,原則として免責とされるのが筋だと思う。

東電擁護側のよくある理屈である。経団連会長も同じような理屈を振り回している。もちろん、上記の理屈がすべて不当だとは思わない。今回、「異常に巨大な天災」だから免責事項が適用されるかどうかというのは法律家の間でも意見が分かれているように思われる。(そもそもそのような免責事項の存在に問題があると僕は考えているが・・・)

いずれにしても、もし日本がこのような理屈がまかり通る国になっているとしたらおそらく日本の将来は暗いものになると言える。

なぜなら、上記の理屈にはビジネスマンや技術者としての気概がこれっぽっちも感じられないからである。そして市場とは何かを理解していないように思えるからである。

あえてたとえるなら、
「政府の基準のもとに住宅ローンへの貸し出しは適切に行っていた。各種規制に違反もしていなかった。しかし、100年に一度の金融危機が起こったので政府からの救済が必要となった。これはやむをえないことである。金融機関への過剰なバッシングは間違えている。」とリーマンショックのときに米系の投資銀行の幹部が説明したらどう思うだろうか?

もしくは、ちょっと無理のあるたとえかもしれないが・・・
「政府の法律の基準の下に飲食店を開業しその基準に従って営業してきた。しかし、今回大量の食中毒が起こってしまった。当店は政府の基準のもとに営業を行っていたのであり、損害賠償は一定を越えた部分はすべて政府が行うべきである。」と飲食店のオーナーが説明したらどうだろうか?

政府の基準に従っていればそれでいい。それで問題が起こった場合にはこれは仕方ないのだ。その場合は一定の基準以上はすべて政府が責任を取って当然である。という説明は全うな競争のある社会に生きているビジネスマンからすればどう考えてもおかしいのである。

全うな競争下におかれている企業はすべて政府の規制や基準などにかかわらずよりよく・より安全・安心なサービスを提供しようと努力している。そうしなければ、競争に負けてしまうからである。そして、もし自社の製品が問題を起こせば場合によっては今まで気付き上げてきたブランドイメージをすべて失い倒産してしまうことも多々ある。その覚悟を持って我々ビジネスマンは日々仕事をしているのである。それは技術者のみなさんも同じだろう。

それが世の中の常識であり、自由主義経済の当然の原則である。

それなのに、なんとなくそんな常識を離れた理屈を持ち出してしまうのは東電が地域独占企業だからだろうか?

もちろん、極端にヒステリックな批判・誹謗中傷・感情論には僕も意味がないと考える。また、原子力発電事業が国家主導であった点に関しては同情の余地もあるだろう。社長や会長は、たまたま自分の在任中にこのような自己が起こってしまったという意味においては不幸である。

あらゆる投資・事業などにおいてリスクをゼロにすることは無理である。だから、どこまでリスクを消すかは事業者の判断にゆだねられる。リスクをより残せばより高いリターンが得られる。ただし、リスクが顕在化する可能性も高まる。よりリスクを消そうとすればよりコストがかかりリターンは得られない。このベスト・バランスを見つけるのことが大切である。それだけの話である。

しかしもし、想定外(もちろん、想定外の定義は人それぞれだろう)の事態が起こったならば、その責任は事業者が負わなければいけないのは自由主義経済においては当然のことである。電力会社だから許されるという理屈は本来我々の社会のあり方からは道義面からも経済面からもまったく当てはまらないはずだ。

もし、想定外の事態だからと賠償を許されるのであれば、事業者のよりリスクを消そうというインセンティブは大幅に減少するだろう。余分なコストはかけないほうが儲かるし、問題が発生すれば国が肩代わりしてくれるのだから。

そして、安易な国家による賠償の肩代わりは引き続き電力会社には政府による暗黙の保証がついているとの認識の下に金融市場における彼らの資金調達コストをあるべき姿よりも安価なもののにし、過剰な投資を招く可能性は高いだろう。(参考記事→東京電力は免責される?

要は、国の基準がどうであれ、どんな天災が起ころうとも、自分の失敗のケツは自分でふくというのは当たり前の市場の論理である。また、その事業者に投資していた人々に責任が求められるのも当然である。

「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」というジャイアンの名言(?)がある。これを東電風に言うならば、「俺の儲けはおれのもの、オレの損失は国民が補償しろよ」とでもなるのだろうか。

そんな理屈が通用する国はまともな自由主義経済の国ではない。まともな「自己責任の原則」を持つ国ではない。まともな文明を持つ国とは言えず、なんでも国任せという国である。

日本人は強い「自己責任の意識」を持ち、だからこそ自由主義経済の下に発展してきた。今それが忘れ去られようとしているような気がしてならない。

もし、日本がそんな国に成り下がったならば日本の将来は間違いなく暗いものになるだろう。そうならないためにも、東電バッシングは行き過ぎているように見えるかもしれないが、当然であると僕は思っている。

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