自然エネルギーという言葉は英語には存在しません(少なくとも私の知る限り)。Natural energyと言っても多分通じず、Renewable energyの方が一般的です。Renewable energyの方は日本にも再生可能エネルギーという言葉がありますが、舌を噛みそうになるせいか、自然エネルギーの方が日本では広く使われているそうです。
「自 然」エネルギーというと石油だってウランだって自然から取り出したものだと言う人もいるのですが、「再生可能」なエネルギーというのは物理学の第1法則の エネルギー保存の法則に違反しますし、使ってしまったエネルギーをどこかで回収してまた使おうとすると今度は第2法則のエントロピー増大の法則に違反しま す。
つまり「再生可能」なエネルギーなどこの世の中には存在せず、太陽光や風のように使い減りのまったくしない太陽エネルギーを使えば、いつまでたってもなくならないという意味として使っているわけです。
再生可能、使い減りしないという言葉には、タダ同然、いや文字通りタダのエネルギーという意味合いが込められています。実際、自然エネルギーを使うことで電気はタダでいくらでも作れると思っている人も沢山います。
し かし、自然エネルギーはタダではありませんし、そして多分あんまりエコでもありません。もしそうなら原発の代替エネルギーどころか、とっくの昔にエネル ギーの主役になっていたはずです(確かに化石燃料の大量消費が始まる前は自然エネルギーだけが人類の使えるエネルギーでした)。現実はそうではありませ ん。なぜなのでしょうか。
自然エネルギーは低密度
地熱発電のようなものを除けば、自然エネルギーと呼ばれるものは、太陽光そのものだけでなく、風力、波、バイオ燃料など全て太陽のエネルギーが元になっています。
地球に降り注ぐ太陽のエネルギーは莫大で、全体では人類の消費エネルギーの1万倍にもなります。そのうち太陽光発電に利用可能なものは0.5%以下と言われていますが、それでも人類の必要なエネルギー量の50倍以上に達します。
量的には無尽蔵と言って良い自然エネルギーなのですが、エネルギー密度という点では極めて希薄です。火力や原子力は非常に高い温度を作り出して効率的に電気を取り出しますが、太陽光はそのままでは布団を乾かすことくらいにしか使えません。
自 然エネルギーを利用するために希薄なエネルギーを掻き集めて高密度にする必要があります。自然エネルギーが元手いらずでエネルギーが手に入るはずなのに、 いつまでたっても高コストと言われる最大の理由は、低密度エネルギーを高密度エネルギーに変える手間が大変だからと言えます。
エネルギーを低密度のまま利用できないわけではありません。布団を乾かすのはともかく、植物の光合成のように希薄な太陽エネルギーを効率的に化学エネルギーに変換することができれば、わざわざエネルギーを高密度にする必要はなくなります。
化石燃料は長い時間をかけて植物が光合成で集めたエネルギーを一気に使ってしまう手段です**。 バイオ燃料(と気取らなくても薪ストーブでも)も植物に低密度エネルギー掻き集める作業をさせていますが、太陽光発電や風力発電のように人間が同じ作業をしようとすると、元がタダだからタダとはなかなかいかないのです。
** これには異説があり、石油や天然ガスは生物由来でなく、地質内で生成されたという「石油自然発生説」を唱える科学者もいます。
広大な面積を必要とする
低密度のエネルギーを集めるには、とにかく広い面積が必要となります。原子力は10万平方メートルあれば100万kWの発電所を作ることができますが、その5百分の1の発電量の風力発電のための風車は1基で5万平方メートルを必要とします。
100万kWの発電量を得るためには5百万平方メートルの設置場所はいることになります。しかも風力発電の場合は一定以上の風が年間を通して吹いてくれることが経済性を確保する決定的な条件となります。どこにでも設置して良いわけではありません。
おまけにこれは風力発電の稼働率が100%としての話です。実際には立地条件のかなり良い場所でも20%がやっと。100万kWの電力を得るためには100平方キロ以上、山手線の5割増しくらいの面積が必要になるでしょう。
設置面積が必要なのは太陽光発電も同様です。地図で見るとサハラ砂漠の点のような小さなところに太陽光発電のパネルを敷き詰めれば、ヨーロッパ中に電気をまかなえるという計算もありますが、砂漠でもない平地を大量に利用すればコストは高くなります。
もっとも広い土地が必要と言っても、日本中の原発全てを風力発電で置き換えるのに必要な面積は千葉県に匹敵する5,000平方キロくらい、日本全土の1.5%ほどです。設置が不可能とは必ずしも言えません。
し かし、実際に設置するとなると風の安定性や人家から離れていることなど、条件は厳しくなります。山のすそ野に設置することもありますが、保守を考えれば (稼働部分の多い風車は保守は送電線などと比べずっと頻繁にしなくてはいけません)、あまり人里離れた所にバラバラに設置することは効率的ではありませ ん。
陸がだめなら洋上にと考えても、保守は一層難しくなる上に、海面も漁業権があり、風がよければどこでも勝手に設置できるわけではありません。少なくともそんなに簡単に設置場所を確保はできないということは理解しておくべきです。
安定性が低い
太 陽光はお日様まかせ、風車は風まかせですから年間を通じて安定した電力を作り出すことは困難と言うより不可能です。安定性の低さは送電網に接続する時に問 題となり、電気の品質を重視する日本の電力会社には受け入れにくいものです(自社の発電を優先するための陰謀という見方もありますが、陰謀論の真偽より技 術的問題は否定できないものがあります。
もっとも安定性に関しては全国にくまなく風車を配することで平準化は大分できることにはなります。しかし、平準化ができても電力の生成は需要と無関係に行われるので、風力だけでなく重要との調整能力は他の電源と組み合わせることがどうしても必要になります。
平準化や需給バランスの調整のために電池を使うことは考えられます。しかし、現在の電池はまだコスト的に既存電力と競争するのは相当時間がかかると思われます。
と は言え、電池の進歩は技術により今後大幅なものが期待できます。もしかすると風車を利用した自家発電装置ができるくらいまでにはなるかもしれません。た だ、これは未来の技術に属する話です。現在の技術レベルでは不安定な自然エネルギーを補えるほど効率の高い電池は作ることができません。
案外エコではない
自然エネルギーとエコはほとんど同義語と思っている人は多いでしょう。もしかすると大部分かもしれません。しかし、低密度の自然エネルギーを掻き集めるために、自然に広く干渉することが自然に影響を与えないはずがありません。
風車は住居との距離が数百メート程度では騒音が問題となります。距離がさらに近くなると人間の耳には聞こえない低周波による健康被害が出ることが報告されています。
人間は音の被害ですが、鳥たちにとっては命の問題になります。風車の多数の鳥が死んでいるのは風車が希少な鳥が住む地域に設置された場合はさらに深刻です。
太陽光パネルも家の屋根に取り付けるのであれば関係ありませんが、広大な面積を太陽光パネルで覆ってしまうとその下の生物には致命的な被害を与えます。これはサハラ砂漠のような生物のあまり住んでいないような地域ですら問題となるほどです。
環境への悪影響は地熱発電(こちらは太陽光由来ではありませんが)でもあります。温泉地帯で地熱発電を行うことで硫黄など有害物質が地上に噴出する危険もありますし、日本の場合は地熱発電の好立地は大部分国立公園内ということもあります。
しかも地熱発電は付近の温泉を枯渇させるような深刻な事態も引き起こします。温泉好きの日本人には地熱は電力より温泉として利用するのがいちばんかもしれません。
自然エネルギー源として最大でもあまり語られることのない水力は生態系に与えるダメージは相当なものがあります。しかもダムは年月を経ると次第に埋まっていくという問題があります。「再生可能」エネルギーとは言いずらい状況です。
国による差が大きい
自然エネルギーは広大な面積を必要とし自然条件に大きく左右させられるため、地理的条件が自然エネルギーには大きく関係します。石油が産油国に偏って存在するように、自然エネルギーに富んだ国と富まない国があるのです。
この点日本はあまり自然エネルギーに恵まれているとは言えません。国土が狭く大分部が山間地の日本は太陽光発電にも風力発電にもあまり適していないのです。この点では広大なアメリカや中国のような大国は有利です。
アメリカには砂漠地帯に数千基の風車を並べたようなWindmill farm(風車農場)と呼ばれる風車の大集合地帯は何箇所かあります。住民への騒音被害も心配なく、規模の利益で設置も保守も送電も効率的に行えます。残念ながら日本にはそんな土地はありません。
電気は輸入も輸出もできません(ヨーロッパのような地続きであれば可能ですが)、地理的条件も同じです。自然エネルギー全盛の世界になると日本はかなり苦境になる懸念があります。日本で安く豊富な自然エネルギーが得られなければ、産業が生き残るのは困難です。
未来はどうなる
ホモサピエンスが登場して20万年、農業が始まって1万年になります。文明の歴史は5千年程度に過ぎません。しかし、それでも石油資源の確認埋蔵量は40年分程だとか、石炭でも200年程度ということから比べれば永遠にも等しい長さです。
高速増殖炉ができてもウランが1千年もつかどうかは疑問です。核融合を実現しない限り、天然資源頼りではエジプト王朝に匹敵するような長さで人類文明はつづけることができません。
自 然エネルギーは人類文明を永遠とは言わないまでも、せめて農業の始まりから今までの1万年程度は永らえさせるためには必須の技術と言えます。しかし、多く の困難(その根本は低密度エネルギー濃縮の難しさになりますが)を乗り越えない限り、自然エネルギーで今のレベルの文明を維持することはとても簡単とは言 えません。
将来世界の人口が現在の2倍程度には増加し、その人々がより高い生活水準を求めるようになることを考えると自然エネルギーにあまり大きな期待はできそうにもありません。
私 は少なくとも向こう100年は自然エネルギーが主役になることはないだろうと思っています。原発はもう命脈が尽きているのかもしれません。しかし、新幹線 が止まっても、徒歩で東京から大阪まで行こうと言う人はいないでしょう。自動車?自転車?それとも飛行機?現実は夢見るほどには簡単ではないようです。
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ビジネスのための雑学知ったかぶり
当記事は上記ブログよりの転載です。
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し かし、自然エネルギーはタダではありませんし、そして多分あんまりエコでもありません。もしそうなら原発の代替エネルギーどころか、とっくの昔にエネル ギーの主役になっていたはずです(確かに化石燃料の大量消費が始まる前は自然エネルギーだけが人類の使えるエネルギーでした)。現実はそうではありませ ん。なぜなのでしょうか。
自然エネルギーは低密度
地熱発電のようなものを除けば、自然エネルギーと呼ばれるものは、太陽光そのものだけでなく、風力、波、バイオ燃料など全て太陽のエネルギーが元になっています。
地球に降り注ぐ太陽のエネルギーは莫大で、全体では人類の消費エネルギーの1万倍にもなります。そのうち太陽光発電に利用可能なものは0.5%以下と言われていますが、それでも人類の必要なエネルギー量の50倍以上に達します。
量的には無尽蔵と言って良い自然エネルギーなのですが、エネルギー密度という点では極めて希薄です。火力や原子力は非常に高い温度を作り出して効率的に電気を取り出しますが、太陽光はそのままでは布団を乾かすことくらいにしか使えません。
自 然エネルギーを利用するために希薄なエネルギーを掻き集めて高密度にする必要があります。自然エネルギーが元手いらずでエネルギーが手に入るはずなのに、 いつまでたっても高コストと言われる最大の理由は、低密度エネルギーを高密度エネルギーに変える手間が大変だからと言えます。
エネルギーを低密度のまま利用できないわけではありません。布団を乾かすのはともかく、植物の光合成のように希薄な太陽エネルギーを効率的に化学エネルギーに変換することができれば、わざわざエネルギーを高密度にする必要はなくなります。
化石燃料は長い時間をかけて植物が光合成で集めたエネルギーを一気に使ってしまう手段です**。 バイオ燃料(と気取らなくても薪ストーブでも)も植物に低密度エネルギー掻き集める作業をさせていますが、太陽光発電や風力発電のように人間が同じ作業をしようとすると、元がタダだからタダとはなかなかいかないのです。
** これには異説があり、石油や天然ガスは生物由来でなく、地質内で生成されたという「石油自然発生説」を唱える科学者もいます。
広大な面積を必要とする
低密度のエネルギーを集めるには、とにかく広い面積が必要となります。原子力は10万平方メートルあれば100万kWの発電所を作ることができますが、その5百分の1の発電量の風力発電のための風車は1基で5万平方メートルを必要とします。
100万kWの発電量を得るためには5百万平方メートルの設置場所はいることになります。しかも風力発電の場合は一定以上の風が年間を通して吹いてくれることが経済性を確保する決定的な条件となります。どこにでも設置して良いわけではありません。
おまけにこれは風力発電の稼働率が100%としての話です。実際には立地条件のかなり良い場所でも20%がやっと。100万kWの電力を得るためには100平方キロ以上、山手線の5割増しくらいの面積が必要になるでしょう。
設置面積が必要なのは太陽光発電も同様です。地図で見るとサハラ砂漠の点のような小さなところに太陽光発電のパネルを敷き詰めれば、ヨーロッパ中に電気をまかなえるという計算もありますが、砂漠でもない平地を大量に利用すればコストは高くなります。
もっとも広い土地が必要と言っても、日本中の原発全てを風力発電で置き換えるのに必要な面積は千葉県に匹敵する5,000平方キロくらい、日本全土の1.5%ほどです。設置が不可能とは必ずしも言えません。
し かし、実際に設置するとなると風の安定性や人家から離れていることなど、条件は厳しくなります。山のすそ野に設置することもありますが、保守を考えれば (稼働部分の多い風車は保守は送電線などと比べずっと頻繁にしなくてはいけません)、あまり人里離れた所にバラバラに設置することは効率的ではありませ ん。
陸がだめなら洋上にと考えても、保守は一層難しくなる上に、海面も漁業権があり、風がよければどこでも勝手に設置できるわけではありません。少なくともそんなに簡単に設置場所を確保はできないということは理解しておくべきです。
安定性が低い
太 陽光はお日様まかせ、風車は風まかせですから年間を通じて安定した電力を作り出すことは困難と言うより不可能です。安定性の低さは送電網に接続する時に問 題となり、電気の品質を重視する日本の電力会社には受け入れにくいものです(自社の発電を優先するための陰謀という見方もありますが、陰謀論の真偽より技 術的問題は否定できないものがあります。
もっとも安定性に関しては全国にくまなく風車を配することで平準化は大分できることにはなります。しかし、平準化ができても電力の生成は需要と無関係に行われるので、風力だけでなく重要との調整能力は他の電源と組み合わせることがどうしても必要になります。
平準化や需給バランスの調整のために電池を使うことは考えられます。しかし、現在の電池はまだコスト的に既存電力と競争するのは相当時間がかかると思われます。
と は言え、電池の進歩は技術により今後大幅なものが期待できます。もしかすると風車を利用した自家発電装置ができるくらいまでにはなるかもしれません。た だ、これは未来の技術に属する話です。現在の技術レベルでは不安定な自然エネルギーを補えるほど効率の高い電池は作ることができません。
案外エコではない
自然エネルギーとエコはほとんど同義語と思っている人は多いでしょう。もしかすると大部分かもしれません。しかし、低密度の自然エネルギーを掻き集めるために、自然に広く干渉することが自然に影響を与えないはずがありません。
風車は住居との距離が数百メート程度では騒音が問題となります。距離がさらに近くなると人間の耳には聞こえない低周波による健康被害が出ることが報告されています。
人間は音の被害ですが、鳥たちにとっては命の問題になります。風車の多数の鳥が死んでいるのは風車が希少な鳥が住む地域に設置された場合はさらに深刻です。
太陽光パネルも家の屋根に取り付けるのであれば関係ありませんが、広大な面積を太陽光パネルで覆ってしまうとその下の生物には致命的な被害を与えます。これはサハラ砂漠のような生物のあまり住んでいないような地域ですら問題となるほどです。
環境への悪影響は地熱発電(こちらは太陽光由来ではありませんが)でもあります。温泉地帯で地熱発電を行うことで硫黄など有害物質が地上に噴出する危険もありますし、日本の場合は地熱発電の好立地は大部分国立公園内ということもあります。
しかも地熱発電は付近の温泉を枯渇させるような深刻な事態も引き起こします。温泉好きの日本人には地熱は電力より温泉として利用するのがいちばんかもしれません。
自然エネルギー源として最大でもあまり語られることのない水力は生態系に与えるダメージは相当なものがあります。しかもダムは年月を経ると次第に埋まっていくという問題があります。「再生可能」エネルギーとは言いずらい状況です。
国による差が大きい
自然エネルギーは広大な面積を必要とし自然条件に大きく左右させられるため、地理的条件が自然エネルギーには大きく関係します。石油が産油国に偏って存在するように、自然エネルギーに富んだ国と富まない国があるのです。
この点日本はあまり自然エネルギーに恵まれているとは言えません。国土が狭く大分部が山間地の日本は太陽光発電にも風力発電にもあまり適していないのです。この点では広大なアメリカや中国のような大国は有利です。
アメリカには砂漠地帯に数千基の風車を並べたようなWindmill farm(風車農場)と呼ばれる風車の大集合地帯は何箇所かあります。住民への騒音被害も心配なく、規模の利益で設置も保守も送電も効率的に行えます。残念ながら日本にはそんな土地はありません。
電気は輸入も輸出もできません(ヨーロッパのような地続きであれば可能ですが)、地理的条件も同じです。自然エネルギー全盛の世界になると日本はかなり苦境になる懸念があります。日本で安く豊富な自然エネルギーが得られなければ、産業が生き残るのは困難です。
未来はどうなる
ホモサピエンスが登場して20万年、農業が始まって1万年になります。文明の歴史は5千年程度に過ぎません。しかし、それでも石油資源の確認埋蔵量は40年分程だとか、石炭でも200年程度ということから比べれば永遠にも等しい長さです。
高速増殖炉ができてもウランが1千年もつかどうかは疑問です。核融合を実現しない限り、天然資源頼りではエジプト王朝に匹敵するような長さで人類文明はつづけることができません。
自 然エネルギーは人類文明を永遠とは言わないまでも、せめて農業の始まりから今までの1万年程度は永らえさせるためには必須の技術と言えます。しかし、多く の困難(その根本は低密度エネルギー濃縮の難しさになりますが)を乗り越えない限り、自然エネルギーで今のレベルの文明を維持することはとても簡単とは言 えません。
将来世界の人口が現在の2倍程度には増加し、その人々がより高い生活水準を求めるようになることを考えると自然エネルギーにあまり大きな期待はできそうにもありません。
私 は少なくとも向こう100年は自然エネルギーが主役になることはないだろうと思っています。原発はもう命脈が尽きているのかもしれません。しかし、新幹線 が止まっても、徒歩で東京から大阪まで行こうと言う人はいないでしょう。自動車?自転車?それとも飛行機?現実は夢見るほどには簡単ではないようです。
馬場正博のブログ↓
ビジネスのための雑学知ったかぶり
当記事は上記ブログよりの転載です。
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