「官僚支配の打破」、「政治主導」というのが引き続き日本の政治のテーマである。官僚を悪とし政治家を善とする。なるほど。キャッチフレーズとしては非常に受けがいいだろう。
しかし、鳩山・菅と続いた民主党政権は「政治主導」の掛け声のもとに迷走した。いや、迷走中である。
誰だかわからない,責任も取らない内部の実情も知らないと思われる「セカンドオピニオン」に基づいて自分の部下である官僚を怒鳴りつけるのが「政治主導」なのであろうか?
イギリスやドイツでも官僚政治の打破という掛け声はある。メルケル首相が前回選挙時にテレビで「官僚政治の打破」というようなことを叫んでいた映像を見て「どこの国でも同じだなあ」と僕は思ったものである。
一方で、イギリスではニューレーバー時代にはブレア・ブラウンの両首相のもとで、日本で言うところの首相補佐官のような職が増やされ、イギリスの官僚達はないがしろにされた。その結果、官僚のみならず内閣という機構自体が弱体化し、首相が自分のお気に入りのアドバイザー達と密室で談合のような形で政治を行い、意思決定のプロセスが不透明になったという批判が行われていた。
これはまさに今の民主党による「政治主導」によって起こっていることではないだろうか?
このような国益に反する発言を行う人々をアドバイザーにつけるのが政治主導なのか?原発事故に際しても首相は現場の東電の人間や官僚を信用せずに、役に立つかもわからないアドバーザーを自分の出身大学の東工大からたくさん呼んだ。船頭多くして船山に登るという言葉を彼は知らないのだろうか?
そもそも、「政治主導」とはなんなのだろうか?そして、「官僚支配の打破」とはなんなのだろうか?その言葉は非常にあいまいであり、具体的にどういった状況のことをさしているかを明確に説明できる人はほとんどいないだろうし、人によってイメージするところは違うだろう。
多くの人がなんとなく「官僚が日本の政治を支配してゆがめている。」と思っているから「政治主導」といえば、「そのとおりだ!」と思ってしまうようである。たしかに、政治家が唱えた各種の改革の中で官僚によってつぶされたようなものがあるのは我々も各種報道などでよく知っている。
しかし、官僚の抵抗を跳ね返すような巨大な権限を持ち改革を成し遂げた政治家は多い。また、○○族といわれて官僚や同じ政治家に恐れられる政治屋が多いのも我々はよく知っている。
そもそも、政府というのが組織として動く以上は「政治家」がいて「官僚」がいる。これは組織であり、どちらがどちらでというわけにはいかないはずだ。しかも、政治家は基本 的には細かいことを把握する時間も経験の蓄積もない。だから、細かい専門的な知識に関しては官僚に助言を求めたり、実質的に権限を委譲してしまうことも必要なはずだ。社長が1から10まで決裁する会社なんてないわけだし、政治家は閣僚となれば間違いなく官僚の上司である。官僚達は政務官にいたるまで非常に気を遣って対応 している。政治家はそういった意味では優位に立っていることもまた事実。
そしてどの組織でもそうであるように、官僚にも政治家にも悪いやつらや使えないやつらはいる。官僚は自己の組織を肥大化したり、天下り確保のために精を出すこともあるが、同時に政治家も選挙のためにくだらない人気取りの政策を行ったり利権確保に奔走し国家の進むべき道を曲げてしまうこともある。
結局は人次第なのだと僕は思っている。
組織を動かし人を上手く使える人間なのか?それとも言っていることはいいけれども組織を動かすことはできない口だけの人間なのか?という差なのである。だから、官僚も含め人を上手く使いこなせる人間であることが大切で「政治主導」であることが大切なわけでは決してない。
しかし、実際にはそのようなことをやり遂げることができる人間は少ないだろう。今の議員の顔ぶれを見れば我々は容易に想像できる。もちろん、日本以外で国会議員がそんなに素晴らしい人々の集まりかといえば必ずしもそうではないはずだ。
そして、それは所詮政府の限界であるということだろう。だから、なるべく政府の規模を縮小することを我々は考えるべきだと思っている。「政治主導」にすれば、あらゆる物事が解決するなんていうのは妄想にすぎないのだ。
「政治主導」という掛け声が「むなしい」ということにようやく我々は気付かされた。あらためて「政治」とは何なのか、「政府とは何なのか」を考えるときに来ていることは間違いない。

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しかし、鳩山・菅と続いた民主党政権は「政治主導」の掛け声のもとに迷走した。いや、迷走中である。
首相の太陽光パネル表明「聞いてない」と経産相
海江田経済産業相は27日の記者会見で、菅首相が主要8か国(G8)首脳会議(サミット)で表明した太陽光パネルを住宅1000万戸に設置する目標 について、「報道を通じて知った。(首相からは)聞いていない」と述べ、エネルギー政策を担当する経産相へ事前相談がなかったことを明らかにした。海江田経産相は、「総理ですから、自分の思いを発言するのは構わないことだと思う」と説明した。その上で、太陽光パネルの設備費用など、1000万戸設置に必要な財源の確保については「(首相が)日本に帰ってから話をしたい」と述べるにとどめた。(読売新聞より)
思いつきなのか、サプライズを演出しようとしたのか首相はG8でいきなり太陽光パネルを1000万戸に設置すると表明した。経産相も聞いていないという。鳩山氏も含め思いつき発言があまりに多いように思うのは僕だけだろうか?思いつきでしかも国際舞台で発言するのが政治主導ということなのだろうか?
だが複数の政府高官が証言する。「首相が『聞いていない』と激怒した」。首相は海水注入が再臨界を引き起こす可能性があると知人に言われたようで、海水注 入を主張する官僚を怒鳴りつけたという。首相の問題行動は、部下である官僚や政府組織を信用せず、安易に外部に「セカンドオピニオン」を求めることだ。(Sankei Biz)
誰だかわからない,責任も取らない内部の実情も知らないと思われる「セカンドオピニオン」に基づいて自分の部下である官僚を怒鳴りつけるのが「政治主導」なのであろうか?
イギリスやドイツでも官僚政治の打破という掛け声はある。メルケル首相が前回選挙時にテレビで「官僚政治の打破」というようなことを叫んでいた映像を見て「どこの国でも同じだなあ」と僕は思ったものである。
一方で、イギリスではニューレーバー時代にはブレア・ブラウンの両首相のもとで、日本で言うところの首相補佐官のような職が増やされ、イギリスの官僚達はないがしろにされた。その結果、官僚のみならず内閣という機構自体が弱体化し、首相が自分のお気に入りのアドバイザー達と密室で談合のような形で政治を行い、意思決定のプロセスが不透明になったという批判が行われていた。
これはまさに今の民主党による「政治主導」によって起こっていることではないだろうか?
平田オリザ参与、汚染水放出は「米政府の要請」 政府否定
平田氏は講演で「汚染水の処理の問題では通告が遅れ、韓国の方々にも大変な迷惑をかけた。理解いただきたいのは、流された水は非常に低濃度で、量も少ない。米政府からの強い要請で流れた」と発言した。
このような国益に反する発言を行う人々をアドバイザーにつけるのが政治主導なのか?原発事故に際しても首相は現場の東電の人間や官僚を信用せずに、役に立つかもわからないアドバーザーを自分の出身大学の東工大からたくさん呼んだ。船頭多くして船山に登るという言葉を彼は知らないのだろうか?
そもそも、「政治主導」とはなんなのだろうか?そして、「官僚支配の打破」とはなんなのだろうか?その言葉は非常にあいまいであり、具体的にどういった状況のことをさしているかを明確に説明できる人はほとんどいないだろうし、人によってイメージするところは違うだろう。
多くの人がなんとなく「官僚が日本の政治を支配してゆがめている。」と思っているから「政治主導」といえば、「そのとおりだ!」と思ってしまうようである。たしかに、政治家が唱えた各種の改革の中で官僚によってつぶされたようなものがあるのは我々も各種報道などでよく知っている。
しかし、官僚の抵抗を跳ね返すような巨大な権限を持ち改革を成し遂げた政治家は多い。また、○○族といわれて官僚や同じ政治家に恐れられる政治屋が多いのも我々はよく知っている。
そもそも、政府というのが組織として動く以上は「政治家」がいて「官僚」がいる。これは組織であり、どちらがどちらでというわけにはいかないはずだ。しかも、政治家は基本 的には細かいことを把握する時間も経験の蓄積もない。だから、細かい専門的な知識に関しては官僚に助言を求めたり、実質的に権限を委譲してしまうことも必要なはずだ。社長が1から10まで決裁する会社なんてないわけだし、政治家は閣僚となれば間違いなく官僚の上司である。官僚達は政務官にいたるまで非常に気を遣って対応 している。政治家はそういった意味では優位に立っていることもまた事実。
そしてどの組織でもそうであるように、官僚にも政治家にも悪いやつらや使えないやつらはいる。官僚は自己の組織を肥大化したり、天下り確保のために精を出すこともあるが、同時に政治家も選挙のためにくだらない人気取りの政策を行ったり利権確保に奔走し国家の進むべき道を曲げてしまうこともある。
結局は人次第なのだと僕は思っている。
組織を動かし人を上手く使える人間なのか?それとも言っていることはいいけれども組織を動かすことはできない口だけの人間なのか?という差なのである。だから、官僚も含め人を上手く使いこなせる人間であることが大切で「政治主導」であることが大切なわけでは決してない。
しかし、実際にはそのようなことをやり遂げることができる人間は少ないだろう。今の議員の顔ぶれを見れば我々は容易に想像できる。もちろん、日本以外で国会議員がそんなに素晴らしい人々の集まりかといえば必ずしもそうではないはずだ。
そして、それは所詮政府の限界であるということだろう。だから、なるべく政府の規模を縮小することを我々は考えるべきだと思っている。「政治主導」にすれば、あらゆる物事が解決するなんていうのは妄想にすぎないのだ。
「政治主導」という掛け声が「むなしい」ということにようやく我々は気付かされた。あらためて「政治」とは何なのか、「政府とは何なのか」を考えるときに来ていることは間違いない。
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ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ

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実務を知らない役員の思いつきで管理部隊や現場が振り回されたり、しかし管理部隊や現場に任せきりでも硬直的で思い切った施策もできない。結果的に顧客が迷惑している、満足していない、というようなことかと。会社でもよく経験します。
本来的には「政治と官僚が癒着してお互いの利益誘導を黙認していたことに対するアンチテーゼとしての政治主導」であり、当然ながらそれは推進されるべきですが、単なる「勧善懲悪を目的とした政治主導」ならば...私が志高い官僚なら、そんなトップのために働きたいなんて思わないでしょう。こう考えると、現状官僚機構がホイホイ志なく追従している訳ではないので、まだこの国に救いはあるのかもしれません。
現政権は、少なくともここを履き違えているとは思います。ただ、仮に小さい政府にしたとしても、結局この「掌握」ができなければ同じこと。ならばいっそ「無政府状態」が良いのかという極論すら成り立つので、論の最後の持って行き方には不満を覚えます。