バンドとぼやき

バンドの人が、釣りとかお酒とか音楽とかの話をします。たまにはいいでしょ。

車の信号待ち。海が眼前にあるのってやっぱり気持ちいいな。
130625_くるまから


さて、今日は「それは本当に変わらないのか」という話。スポーツでもやってなきゃ、そこまで気にすることも多くない利き腕だが、こいつがなかなか面白い。この利き腕。色々と解釈があるそうだ。ちょっと調べてみたぞ。

■自然選択説
心臓は左側にあって、右利きの戦士はそれを守るために左手に盾をもって戦う。だから、左利きの戦士はすぐにやられちゃう。右利きの戦士は盾で守れちゃう。だから右利きが生き残ってきた。って話らしいが、心臓はほぼ真ん中にあるのだ。こりゃ嘘っぱちだな。

■突然変異説
染色体異常とかの突然変異によって左利きが生まれちゃう!って説。これ、まるっきり根拠無いんだと。染色体やDNAに、利き腕による差は無いんだって。完璧都市伝説らしいよ。要は嘘だな。

■脳の半球説
脳の左側で制御している「言語」を人間はよく使う。だから、脳の左側が制御する右半身の方が発達する。だから右利きが多いのだ、という説。オウムの90%は利き足が左だというから、ちょっとこの説は信憑性がちょっとある。※詳細は、脳機能局在論を参照するとよく解る・・・と書いてあったが、俺にはちんぷんかんぷんだった。ちなみに、
・右利きの人⇒脳の集中的な特定部位を使う
・左利きの人⇒脳を使っている部位は右利きのような集中傾向ではない
という事実があるんだって。だから、脳卒中の発作に見舞われた時、復活するのは左利きの人の方が早いそうだ。

■矯正説
左利きの人の多くは、結構矯正されてしまうため、統計の数に誤りがあるのではないか、という説。でもこの矯正。すげーストレッサーになるらしくって、無理に矯正させると、吃音になってしまったりするんだと。

■遺伝によるとする説イギリス王室の王族は超左利きが多いそうだ。女王エリザベス2世、チャールズ皇太子、ウィリアム王子も左利き。おおすげー。でも母数が少なすぎて根拠にならないそうだ。逆に左利きに矯正されてたりして。ほかにも胎内で決定している説とかいろいろあるみたいだが、要はよくわからん、という事らしい。

ちなみに俺は基本は右なんだが、
 ・鉛筆⇒右
 ・ナイフとフォーク⇒左
 ・構え⇒左
 ・ボールを蹴る⇒両方
 ・ボールを投げる⇒両方
というどっちが「利き」なんだか良く解らない状態になっている。でもこれは、両方の手でなんでも出来るわけではないので、これは両利きではなく、クロスドミナンスというそうだ。おお。かっちょいい。んで、この利き腕。どのようにして発生するのかはどうやら、大人になってから、のレベルで後発獲得できるものでも無さそうだが、当然、この利き腕は、密接に仕事の効率性に関わってくる。ほとんどのモノは人間工学的に右利きを前提としていて、左利きにとって不利なはず。だから、0コンマ何秒の積み重ねが、かならず非効率になるはずなのだ。だがしかし。我々には「左利きは仕事が遅い」という概念はあるだろうか?少なくとも俺には無い。左利きだからどうだってのは、我々の仕事の質にあまり影響を及ぼさない。ってことは、だ。仮に物理的に少しのビハインドがあったとしても、意識的な問題と「経験」という力によるカバーで、そんな差は払拭されるはずなのだ。良くあるコンサル会社などのフレームに「変えられるもの」「変えられないもの」があるが、自分が思っている「変えられないもの」は本当に変えられないものか?

今一度問いかけてみよう。
毎日起こる何かの中で、我々はおそらく、「変えられない」と思われたものを変えてきたはずだ。

では、また次回。


★☆今日の一曲☆★
「ほんじゃね」BanBanBazar

130611_よこすか

とても尊敬すべき知己が別荘を構えている横須賀に先日行ってきた。戦艦だ。日本が空の時代を追い求めつつも、巨砲大艦主義から脱却できなかったのもわかる気がするくらい、やはり戦艦というものは圧倒的な魅力だ。いやあ、見てみるもんだ。

さて、今日は「抱えて走れ」というお話をしよう。

進化の解釈において、「最良のタイミングで」「環境に対して適切な」「変化」をしたものが繁栄をしてきたという話がある。まさにその通りだと思うが、少しこれについて考察をしたい。

「たまたま変化した固体」のうち、それが「最良のタイミング」であった固体が生き延びてきたことに、疑う余地は無い。ただ、生物学的に、そこに感情の入る余地は無いのだろうが、その変化した固体というものに「過去の負の要素」という十字架を背負った経緯は少なからずあるはずだ。とはいえ、輪廻もしくは生物の進化の過程という概念とは違い、私達は生きたまま常に変革をし続けなければならない。その変革のスピードが顧客からの期待であり、我々が顧客に享受すべき保障だ。ただ、自分がコントロールすることの出来ない遺伝的なものが自分の身に起こる様な「変化」は起こらず、毎日、色んなモノを浴びながら私達は時を過ごしていく。

生物の進化の過程と、自分の生きていく過程とを同じ時間軸で捉えると、確かに進化よりも変化というラベルの方が正しいと思うし、大変解り易い。しかしながら、一年前、五年前、十年前を思い出すと、俺自身は今の自分よりも明確に「ダメなやつ」だった。人によっては、仮に過去輝いていたあの頃より、今が「ダメだ」と思うこともあるだろう。ただ、それは価値観が歪んで「あの頃から俺は変わってしまった」と嘆いているだけであり、それは変わったのでは無く、積みあがった結果、発露される結果だけが変わった様に見えるだけだ。

要は何が言いたいかというと、みんなパフォーマンスが悪いことが続くと言い出し始める、「そろそろ変わらなきゃ」って発言、なんかちょっと違うと思うのだ。そんな信念で「変わることができた」ヤツなんて見たことが無いし、そもそも人間が生きている刹那的な時間軸で、根幹の自分そのものを変化させることなどは出来ない。なので、もっと現実は厳しいわけだ。目を背けてはいけない。ダメなお前もダメな貴女も、それはそれで自分を形成してきた大事な「自分」なのだ。ダメだった頃も、イケてた頃も、それはそれで一生懸命だったはず。ごろごろぐだぐだしてただけであっても、きっとそれはそれで何かにもがいていたはずだ。

そんな自分をも抱えながら、今この瞬間を必死に生きてみよう。「変わろう」なんて思うより、ダメだった自分も一緒に抱えて走るんだ。そうすると、少しずつアウトプットが「変化」する。そうすると、周囲に「変化」が生まれて、自分を取り巻く世界が「変化」する。その時、自分はなぜ昔と違う状態になっているのか。それは、あなたが何かの影響力を発揮したからだ。

貴方のパフォーマンスが「スゴかった」からかもしれない。
はたまた貴方が「素敵」だからこそ周囲が動いたのかもしれない。
誰にでも受け入れられる「ありがたい」貴方だからこそかもしれない。
いつも変わらない言葉を言い続けられる「ブレない」心が誰かを導いたのかもしれない。
自分にすら「厳しい」姿勢が、自ずと価値を生んでいるのかもしれない。

「変化」は結果としての「変化」だ。昔の自分、それは「変えられないもの」だ。だからこそ大切にしなければならない。だって、今現在の貴方は、過去の貴方の選択の結果として形成されてきた、この世に一人しかいない貴方自身なのだから。だから、抱えて走ろう。そして、いつかデキる人間になったみんなは、大抵こういうんだ。

「自分は最初から何も変わっちゃ居ない」って。

笑って過ごせないと、きっと勿体無い。
では、また次回。


★☆今日の一曲☆★
「家族の風景」ハナレグミ

130531_Headline_GATEHOTEL

最近ホテルをおったてた会社と、仕事で会食ってものをしたときに撮ったんだが、これまたすばらしい景色だ。今まで見なかった高さから、見る景色というのは中々に気持ちが良い。そういえば、アサヒビールの例のビルでライブとかも昔やったな。懐かしいなぁ。なんて思いに耽るなんてのもたまにはいいもんだ。ひのきのぼう白藤です。

さて、サッカーを見ていた友人から聞いた話なのだが、どこぞのアナウンサーの発言にこんなのがあったらしい。

前半20分「さぁー、ここからは集中しなければならない時間帯です」
前半45分「さぁー、ここからは集中しなければならない時間帯です」
前半ロスタイム「さぁーここからは集中しなければならない時間帯です」
後半10分「さぁー、ここからは集中しなければならない時間帯です」
後半30分「さぁー、ここからは集中しなければならない時間帯です」
後半ロスタイム「さぁー、ここからは集中しなければならない時間帯です」

ふざけんじゃねえぞ、おまえ。って思った人も多いはずだ。そこで、今回は「時間を大切に」という話。パラドックスって解るだろうか。パラドックス。なんか賢そうで、かっちょいいな。んで、そのパラドックス。正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉だそうな。よくそこで、アキレスと亀と呼ばれるお話なんかが例に出される。

こんな話だ。

あるところに、キンタマン君という足の速くない男がいました。あるところに、ハゲジジイ君という足の速い男がいました。その二人が、バナナを巡って競争をすることになりました。しかしキンタマン君は、ふつうに走っても野獣のスピードを誇るハゲジジイ君には勝てません。なので、ハンデをもらって、50メートル先からスタートしました。さあ、よーいどん。ハゲジジイ君、さすがに速い。キンタマン君も必死に走る。さて、ハゲジジイ君がキンタマン君が最初に居た地点に到達するときには、キンタマン君は、ハゲジジイ君がかけた時間分、進んでいる。さらにハゲジジイ君が、キンタマン君が次に居る地点に到達するときには、キンタマン君は、さらにハゲジジイ君がかけた時間分、進んでいる。この理論は永遠に繰り返すことができる。ということは、理論上は永遠にハゲジジイ君はキンタマン君を追い抜けないじゃないか。ほほぅ。そうなのか・・・でも、なんかヘンだぜ!というのがパラドックス。

他にも卵が先か鶏が先か、という話もパラドックスに近いし、親殺しのパラドックスというものも有名だ。飛んでいる矢の一瞬一瞬を切り出すとその時間は動いていないため、その時間を足しても矢は動いていない、なんていう屁理屈みたいなのもパラドックスの一種だ。

さて、このパラドックス。時間を軸にした論理に終始することが多い。要は世の中「よくわからないこと」とか「なんか説明できないこと」が沢山あるなかで、やはり論理の根幹を成すものとして「時間」という概念はなによりも大切であり、人間の誰しもにとって有限である時間というものに、人間の観念は終始する。だから昔は捻転時計というバンドをやっていた頃、「時計」というラベルにこだわっていたのだ。※ダリの時計の絵のイメージ。わかるかな。



ねじれても時間は正確に、かつ人によって速さは違ったとしてもそれぞれ絶対的に刻まれる。あなたがこれを読んでいる、○年○月○日○時○分○秒は、もう二度とやってこない。

コレをいつまでに。
いつ、コレを。

と約束をする。それは顧客かもしれないし、友達かもしれないし、恋人かもしれないし、家族かもしれないが、その「いつ」は二度とやってこない。時間という概念に対して、人間はコントロールできないが故に真摯で在らざるを得ないはずなのに、それをいい加減に扱い、チャンスはまたやってくると安易に思うことなど、天に唾するような話なのだ。

与えられた時間は長いようで短い。ということで、いつもスタジオ遅刻してゴメン、みんな。

では、また次回。


★☆今日の一曲☆★
「Cruise」Florida Georgia Line

130516_よーぐる

連休中に知己の別荘に。昼から夜まで飲みっぱなし。友人がヘンな酒を持ってきたんだが、これが意外にも美味い。飲むヨーグルトみたいなお酒。いやぁ、飲んだな。

さてさて。唐突だが、俺は、常に同じ道を歩かない。というか正確にいうと、同じ道を歩きたくない。通学路とか決められるが大嫌いだったし、迷子になっても誰にも何も言われたくないから、一人で歩くほうが好きだったりする。いつも顧客のところに行く際には同行者に「いつも行き方が違ってイヤだ!いきなり曲がんないでよ!(怒)」っつって怒られたもんだ。んで、先日、お店の銀座のねーちゃんに、「あなたにはすっげーのが憑いてる」と言われた。どうやら、俺がいつも違う道を歩くのは、「憑いてる」お方のお導きらしい。自然とヤバい方向を避けてるんだそうな。ぜんぜん見えないし、ぜんぜん感じないんだが、そういうこともあるらしい。だが、そんなことより、あらゆるトークに対応してくる銀座のねーちゃんの方がおっかねー、って思ったひのきのぼうの白藤です。

さて、今回は「正義の味方」という話。子供のころ、みんなが憧れたアレだ。この地球の平和を守るんだ!悪党どもをやっつけろ!必殺技だ、どかーーーん。ってアレだ。その正義の味方。ちょっと掘ってみよう。難癖もいいところだが、これも人に聞いた話。少し自分の解釈もあるが、なかなか面白い特徴があるそうだ。


■正義の味方の特徴
・個人としての夢はあまり無い
 ⇒基本防御姿勢。相手の夢を阻止することをむしろ目標としている。なんかネガティブだ。
・基本、具体策に落ちていない
 ⇒目的が漠然としており、かつ抽象度が高すぎるため、各論に弱い。大抵、ブレインになる人材に寄りかかりっぱなしだ。
・受身の姿勢
 ⇒ヤバイことが起こってから対応。未来予測があまりされないため、対症療法となることが多い。
・他責傾向
 ⇒大抵だれかのせい「くっそー○○さえなければ!」とかよく言ってる。まず自分に何ができるか考えたまえ。
・単独もしくは少人数で行動
 ⇒ひとえに採用力が低い。中途や新卒で入ってくる人材はほぼ皆無。必要に迫られた欠員補充、もしくはたまたま見つけたパートナーとの契約がほとんど。
  誰かが怪我なんかしようものなら、大変。
・いつも怒っている
 ⇒「あいつら許せん!」「なぜ、こんなことを!」とかばっかり言っている

■悪玉たちの特徴
・大きな夢と野望を抱いている
 ⇒「世界征服」など、夢がシンプルなラベルでワーディングされている
・夢に向かって、プロセスと具体策を描いている
 ⇒原則、○○によって、世界を○○という手法で征服する、
  という「誰に・何を・いつ・どのように」のフレームで整理されている。
・達成のためには研究開発を怠らない
 ⇒常に新しい武器や怪人を投入。目的のためには投資を惜しまない。  
・失敗してもへこたれない
 ⇒やられてもやられても、必ず改善策を実行し、次に向けて高いモチベーションを維持してくる。
  こんなにも高次元でモチベーションを保つ組織、これこそ真のモチベーションカンパニーだ。
・かならず組織で行動する
 ⇒基本、相当層が厚い。やられても続々と新しい力が現れる。採用や人材開発にも相当力を入れているに違いない。
・よく笑っている
 ⇒必ず笑っている。憤ることもあるが、基本的には「ふっふっふ」「ぐわーっはっはっは」とかよく言っている。
  笑顔が溢れる大変ポジティブですばらしい風土だ。

ここから、悪玉組織は、未来への投資を惜しまない組織風土が見て取れる。理念型の経営が実現しているからこそ、負けても負けても立ち上がれるDNAが浸透しているのだ。開発職もバンバン投資してもらえるので、非常にやりがいがある。新兵器もかなりの風通しの良さで市場に送り出される。各部署との連携もすばらしい。かつての日本海軍陸軍の仲違いなどどこ吹く風だ。少数の隊員から成る組織、そしてその隊長、各本部隊長という管理職、さらにはスペシャリスト雇用枠としての怪人や怪獣、管理系スタッフの層も厚い。専門性が高く、一貫性を持ち、マネジメント層は、職に見合った返報性も優れているのだろう。魅力的かどうかは主観によるものだが、あれだけ多くの人員を抱えて運営しているのだから、それなりに魅力を兼ね備えていることは想像に難くない。間違いなく厳格性も保っている。

これは間違いなくさまざまな雇用形態のバランスの良さと、ミドル マネジメントもしっかり効いている、企業利益創出のかたちだ。みんなが安定的かつ高水準の金銭報酬と意味報酬を約束されているのだろう。それに加えて、正義の味方はとにかく層が薄い。まるで創業期の非営利団体だ。いかにも不安定である。採用に力を入れているようにも、未来に向けた投資が行われているとも思えない。大義は良いが、水滸伝の初期梁山泊の様に倦んでいる。しかし、属人的に強力なヒーローたちにより、なんとか事業を保っているのだ。拡大志向は無いし、悪を殲滅したら解散なので、永続的な活動を目していないのかもしれない。

さあ、考えてみよう。世の中は二律背反であり、表裏一体なのだ。特に東洋における仏教と儒教と道教には西洋思想にみられるような善悪の対立構造がない。「悪」そのものも、実は剽悍さをあらわす言葉であり、源義平やらは強く勇ましいことを評価され「悪源太」と呼ばれ、褒め称えられていた。これは悪であると思っていることも、見方を変えれば、そうではないかもしれない。逆に善だと思っていることも、そうではないかもしれない。ということに他ならない。

得るものと失うものという観点を得るのは本当に大変。俺はいつも無駄に悩むときには、怒られてもバカにされてもいいから、それなりのポジションの方々とお話をさせてもらう。んで「は!?お前なにいってんだ?」とか言われることの代償として、自分を高次元ですり合わせる。最後まで譲れないものがあったとしても、、本当にヤバいところで踏みとどまれるように、判断の質を高める機会は自分で作るのだ。学びの機会や、すり合わせの機会、そして出会いの機会があるかないか。それは自分次第でしかない。

では、また次回。


★☆今日の一曲☆★
「It's Time」imagine dragons

昔「困った様子」を「こまったざます」と読んだやつがいた。そいつに、「おいこら、スネちゃま〜!って言えよ」なんつってすげえイジリ倒した記憶はまるで昨日のようだ。でも、最近はその読み方もわからんでもないなぁ、と少しだけ思えるようになってきており、大人の階段を一歩ずつ登っている気がしてならない、ひのきのぼう白藤です。

さて、今日は「考えることを止めるな」という話。少しだけ昔の話をしよう。俺は、人の単車のケツでからあげ弁当を食うという行為により文化別食事手法の考究を目指し、コール(吹かし)で鉄腕アトムを練習することから伺える様に絶対音感と音楽への深い興味を隠し切れない、そんな知的好奇心に満ち溢れた、輝かしい青春時代を過ごす学生だった。そしてちょっと大きくなり「TPOをわきまえるぜ」という大いなるビジョンを掲げてみたのだが、なぜかやることなすこと裏目裏目。たとえばだが、当時俺は武蔵野線の新座駅という、周囲に何にも無い駅で、"ジャンケン肩パンチ"という、大変ロジカルかつ構造的な概念を必要とする遊びを行っていた。しかし、「おめぇのパンチはこれっぽっちも効かねぇんだ」と言われた為、飽くなき考究をモットーとする俺は、質量保存の法則を実地実験してみようと思いつき、そいつを奈落に叩き落そうとしたのだが、助走をつけ過ぎて自分の骨も折れた挙句、想像以上に大変なことになったりしていた。

そんなある日、「肉は叩くとやわらかくなる」という大変有益な情報を得た俺は、ほかのクラスのちょいと肉感のある奴を引きずり出し、ひたすら叩いて、本当にやわらかくなるのか、実験をしていた。すると、「じ、地元出すぞ、地元〜〜ぶひぶひ」と言われたのだ。※あ、「ぶひぶひ」は今イメージでつけただけなので、ウソだ

しかしはて・・・地元?なぜ地元を誇示しようとするのだ?分解して表現すると、「俺の地元の不良を呼んで、お前と戦わせるぞ」ということなのだろうが、貴様に不良のお友達がいるとも思えん。だが、その前に、何をキーファクターとして、こんな発言をするのだろうか。俺はお前がやわらかくなるかならないか試してるだけなのに。そのときの俺は、「肉を叩く」というプライオリティの方が高く、それ以上考えなかったのだが、今改めて考えてみた。

確かに地元に不良と呼ばれる人材がたまることは多いにある。勉学に勤しむことなく、近隣の関係性を重視しつづけるという選択をした人材は、地元の工務店や小売店などに職を得ることが多い。しかし地元密着型の小規模企業は、その地域になくてはならない一方、その地域から出てつながりを失った瞬間に、仕事を失ってしまう。なるほど、そうか。そういった理由から事実として地元に不良がたまる。「地元=不良」みたいなイメージが定着しているのか。ただ・・・誤解の無い様に言っておくが、みんなが端的に不良なんてラベルをする人達ってめちゃくちゃ温かくて、素敵な人たちも本当にたくさんいるんだぞ。少なくとも俺は沢山助けられたし、「裏切らない」人達に沢山出会った。にこにこしてウソついたり、逃げてしまう人達よりよっぽど人間として成熟していると俺は思っている。

ただ、ということは、地域の学歴別にデータを抽出したら、就業企業規模によって傾斜がかかるはずなのではなかろうか。そうすれば「地元=不良」説に真実味を帯びてくるぞ!じゃあ、統計局のデータからちょっと調べてみようか。
130419_Headline産業別

※政府統計の総合窓口(e−Stat)より加工転載。


建設・運輸・飲食系はやはり中高卒比率の高さが伺える。逆に金融やIT関連はめちゃ低いぞ。おおぅ。なるほど。ここからなんだか宜しくないイメージがあるのではなかろうか。もうちょっと掘っていけば、何かがわかるはずだ!!!!よ〜〜し。このデータじゃなくて、もうちょっと細分化したものを・・・・・・・・っつうか、まてよ。こんなもんを調べてなんになるんだ。また無駄なものに時間を使うところだったぜ。あれ?俺は今「無駄」って思ったな。しかし、無駄ってどういう意味なんだ?本当に無駄なものなんかあるのか?・・・という思考でいろんなものを考えていると、やっぱり世の中は疑問だらけだということがわかる。

無知の知とはよくいったもんだ。
では、また次回。


★☆今日の一曲☆★
「A Thousand Trees」Stereophonics

130405_かに

先日、こんなカニを食った@八丁堀。どちらかというと甲殻類があんまり得意じゃないので、あんまり好き好んでカニは食わないのだが、俺の敬愛するどこぞの社長と一緒に行った店のカニはヤバかった。かにって、うまいんだな〜〜。

そして、実は今まさに毎年恒例大阪行脚中。かれこれ5年ほど、大阪と結構行ったり来たりしているのだが、俺は大阪という街がキライではない。キタはちょっと阪急の方にいけばかつての根城新宿みたいで、地下なんかまさに新宿のサブナードのでっかいバージョンだ。駅前は最近東京駅みたいだし、新地はちっちゃな銀座。ミナミは下町っぽくて、吉原浅草と向島を足した様な感じ。なんともいえないんだが、とても落ち着くのだ。キレてるおっさんとかも東京より何か「解るぜ」って思ってしまう。かと言って住めるかといったら解らないが、とにかくイヤじゃないのだ。

↓↓やっぱ大阪来たら新地。
130405_新地



そんな大阪行脚で、とても手触り感のある仕事をしつつ、最早一週間以上の出張にぐったり。やっぱ温泉はいりてーなー、とか、フツーに眠てぇなー、とおもってしまう。先日もう「おじさんなんだから・・・」と言われたその言葉をまだ心のどこかで受け止め切れていない、ひのきのぼう白藤です。

さて、今日は「意味にたどり着こう」という話。「意味」ということば。当たり前のように使っているが、何故「意」に「味」なのだ。「意」は会意。音+心で「意」になる。心がある音。それが意だ。心のこもらない音に意は無い。そして元来、「味」は、舌の味蕾(みらい)を刺激して生じる感覚、とある。もしくは、上に続く言葉の「性質」をあらわす。
Ex:暖か味とか。外連味とか。

ということは、だ。意味は、心のある音であり、触れて初めて解る感覚、ということではなかろうか。いつも言っているが、「忙しい」は心を亡くすことと一緒。「慌てる」は心が荒くなってしまうことと一緒。でも、忙しかったことの無い奴に忙しいことがどれほどのことかはわからない。それが「意味」だ。

自分が存在する意味はなんだ。それは、考えるべきことでは無い。存在そのものが意味なのだ。人が何かしら手を入れること。それが「偽」という文字の始まり。取り繕うことは「偽」なのだ。「どこに」存在するべきか。そして「何を」なすべきか。そこにきっと意味はある。自分の発した言葉、その音に心はあるか。心に宿る想いは意味になる。

むかーしこんなエピソードを聞いた。とある会社のワンシーンだそうだ。どうやら、名刺獲得キャンペーン(営業会社がよくやるアレだ)をやっているときの一幕。

A君「名刺を獲得することに意味なんかあるんですか!?もうイヤです!」
B先輩「意味なんかねぇんだよ!!!!」

・・・もうお分かりだろうか。最早「意味なんかねぇ」に意味はあるのだ。意味は、絶対に、ある。

では、また次回。


★☆今日の一曲☆★
「Simple Days」BabyFace

130328_さくら
やっぱり日本人はこの時期さくらだ。

「丸くなるな、★になれ。」って某麦ジュース屋さんのコマーシャルなんだが、☆の周りの黒いところは俄然丸いじゃねえかと思ってしまう、ひのきのぼう白藤です。


さて、今日は「諦めるってどういうことだ」という話。実は諦めるって、結構大変な話。「もう無理だ、あきらめよう・・・」
なんて思うことは往々にして良くある話。俺もいろんなことをあきらめてきた気はする。今でも思い出すなあ、諦めた夢の数々を・・・

・父が一代で創り上げた不動産企業を継いで経営者になること。
・料理修行に行ったフランスのニースで、自分の店を出すこと。
・NPO法人を設立し、仲間と共に社会貢献をして、高齢者雇用の促進を図ること。
・世界一周して、恵まれない人たちに愛の手をさしのべること。










・・・ウソだ。

本当に諦めたことでパッと思いつくのは、

ライブで弦が切れたのに時間が無くて張りなおすことを諦めた。
アポ移動中の電車でお腹が痛すぎて時間通りにいくことを諦めた。
スピード違反で白バイに追いかけられ、逃げ切ることを諦めた。
ドラクエでメタルキングを倒すことを諦めた。

くらいだ。やっぱり、こんなもんだ。ただ、「諦める」という言葉。元々は「途中で断念する」「放棄する」などのように悪いことや消極的なことに使われる言葉では無いんだ。本来は、「物の道理をしっかりとらえ、原因、結果を明らかにする」「つまびらかにする」という意味を持っている。もっと言うと、「諦める」のつくりである「帝」の文字。これは3つの紐をくくって纏めている構図を表す象形文字。その「纏められた解釈を言葉として発する」という意味から「諦」という文字は「真理」を表す文字になったといわれている。

ということは・・・だ。物の真理を明らかにして捉えるまでは、「諦める」などと言ってはいけないのだ。諦めるということは、「自分にとって、これはでき得るはずが無い、という真理が明らかになってしまったが故に、その想いを途中で手放さざるを得ない」という、真理を得た者だけが悟れる境地の行為。ハチャメチャな目標を受け入れる必要はもちろん無いが、努力も、考えもせずに「こんなのできない!」と放棄することは、「諦める」のではなく「何もしていない」のと一緒。〜「知らない」じゃなくて「知ろうとしない」んじゃない?〜という投げかけはたまにあるが、全てはそこに通ずるのだ。

なんて思った今日この頃。
では、また次回。

★☆今日の一曲☆★
「Coffee Shop」Red Hot Chili Peppers

銀座のBarで一人酒?下心がなきゃいかないぜ、そんなところ。俺はもっぱら大衆酒場だ。でも、俺は勤勉君だからな。いつでも書籍をインプットしているわけだ。ひとりで呑んでたって常にインプットだ。

↓↓ひとりでだって、居酒屋で呑んじゃうぜ。
130301_Headline_ちょい飲み


貝って美味いなあ。熱燗ってたまんねぇなあ。「燗上がりする酒」って、もう飲んでるだけで幸せだ。ん?呑みながらべんきょうしてもアタマに入るわけがないって?だからなんだってんだ。俺は昔から願書書いただけで超勉強した気になっていた男だ。ちょっと位、やった気になったっていいだろう。・・・ひのきのぼう白藤です。

さて、今日は「誕生日でした」という話。先日、誕生日を迎えた暁に、なんと、メンバーからお祝いをもらったぞ。さすがうちの面々だ。俺が喜ぶものを解っている。

↓↓これが醴泉の蘭奢待だ!
130301_Headline_らんじゃたい


先日幻を自慢しにこられた方にも「いいじゃねえか」と言われる日本酒が欲しいなあと思っていたので、とってもうれしいぞ。ちびちびゆっくりと飲まねば。醴泉は岐阜のお酒。蘭奢待は正倉院の香木の名前なんだそうだが、醴泉でも最高峰のお酒。いやあ、たまんねえな。しかし、こうやって祝ってもらうのってうれしいもんだ。でもなんでうれしいのかな。小さい頃はきっと
 ・欲しいものが手に入る
 ・問答無用でスポットライトにあたるから
とかだったのだと思う。でも、大人になるとそうでもない。それに、一年に一回は誰でも来ることだから、業務効果的な話では無いな。だとすると、祝ってくれる人の想いを感じることができるからか。それはレゾンデートルの意味合いなのかな。「自分はここにいるぞ!」というのを認めてもらったからなのか。ならば、所属の欲求か。年を勝手にとっていくのは最早嬉しくは無いが、いずれにしろ、どんな欲求にしろ、以前誰かが言ってたように、いい年の「積み重ね方」ができることが、一番の自分のレゾンデートルなんだろう。

梅の花も通り過ぎてすっかりサクラが咲いたらしい。
では、また次回。

★☆今日の一曲☆★
「Misery」Soul Asylum

先日、とある企業の俺が結構尊敬している社長が、「『まぼろし』の黒を手に入れたぜ」と自慢してきた。どーしても見せてくれ、とお願いして見せてもらったんだが・・・・

↓↓これだ!
130121_Headline_まぼろし黒2


広島駅でも何故か買えず、アンテナショップにも無く、ちょー飲みてぇとおもっていたあの銘酒を、どうやら広島空港で購入されたらしい。一升瓶だと、安売りで15,000円以上するのだが、こういった「縁」に恵まれるのも、やっぱり人間力か。悔しいので、今年は絶対「おおっ!?」って言われる酒を、逆自慢してやろうと思っているひのきのぼう白藤です。

さて、今日は「信頼と信用ってなんだ」って話。よく言われるが、なかなか切り分けの難しい言葉。しかし、考えてみよう。広辞苑的には
「信頼」⇒信じて頼りにする
「信用」⇒信じて用いる
とかなんとかっぽいことが書いてある。

・・・よくわかんねーよ。

ということで、考えてみた。

信頼関係とは言うが、信用関係とは言わない。信頼は回復していくと言うが、信用は回復するとはあまり言わない。ということは、だ。信頼は「程度問題」であり、積み上がっていったり減っていったりするもの。未来に向けたものなのかな。信用は「する」か「しないか」であること。その瞬間どうするか、という話。って思う。どうあるべきか、どちらが云々という話では無いが、まずは「信用」があり、その信用の中で信頼を積み上げていく。そう、最初はやっぱり「賭けて」もらうのだ。採用もそう。「こいつ、使えるんじゃねぇかな?」という賭けの中で、会社は相当な額を投資する。

そんな「賭け」の繰り返しで、信頼は積み上げられていくのだ。だから、初めて出会った人間を信頼するということは、普通はありえない。そうだとした場合は、ソーンダイク況や、ハロー効果的なものがそこに存在し、グラッドウェル宜しく、印象が経験から瞬間的に導き出されたものにほかならない。

ということは、なんだかんだ言って、対象に向けた純粋さや、想いや、そこから引き出された実際のパフォーマンスが、「信頼」を生むわけだ。信頼関係が事実として絵になると、やっぱり人の想いはそこに宿る。こういったスパイラルアップの絵を作っていける、そんなシゴトで世の中が気持ちよくなればいい。

なんて思った、今日この頃。
では、また次回。

★☆今日の一曲☆★
「Change The World」Baby Face(unplugged)

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