2016年01月19日

【No.3755】「最期のとき」をどう決める 「終末期鎮静」めぐる葛藤

いま、在宅で療養する末期のがん患者に、「終末期鎮静」という新たな医療が静かに広がっている。耐えがたい苦痛を取り除くために鎮静剤で意識を落とし、眠ったまま最期を迎えるというものだ。最新の調査では、在宅で亡くなったがん患者の7人に1人に行われていたことがわかった。自分の意志で、眠ったまま苦しむことなく死を迎える患者。その一方で、遺族の中には、「“終末期鎮静”に同意したことで、患者の人生を終わらせてしまったのではないか」と悩んだり、罪悪感にさいなまれたりする人もいる。自宅で最期を迎えるがん患者が増える中、終末期の医療はどうあるべきか、考える。

NHK「クローズアップ現代」番組HPから転載(↓)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3755.html

私は母を37才の時に、父を39才の時に亡くした。
両親を亡くすには少し早かったが、いずれも終末期、延命治療はしていない。
なぜか。
生前というか、まだ心身が確かな時、本人がそれを望んでいなかったからだ。
「『生きる屍』となって生きているのは、ただ生きているだけ、死んでいないだけ、で仕方がない。『生きる屍』のための延命治療はしないで良い。というか、しないでくれ」。
とりわけ母など、こう明言、厳命していた。
当時、兄と私は母のこの厳命、及び、意思に従ったわけだが、今、兄も私もつゆも後悔していない。
今の自分があるのは他者のお陰にほかならないが、中でも親は格別だ。
親の確かな意思を尊重し、最大限従い、個人の人生を援助するのは、子の当然の務めだ。

番組は、「終末期鎮静」の実施の難しさについて、二件の事例を紹介していたが、とりわけ一件目の、自らそれを望んだ姉への実施を躊躇い、更に死後、以下の旨、最後の最後で決断したことへの罪悪感と後悔に苛まれている妹さんの事例に違和感を覚えた。

姉の死に加担してしまったとか[・・・]どうしても罪悪感とか(ある)。
[中略]
最後まで、たとえ本人が苦しかろうとも、望んだものはなかろうとも、生きるための医療行為をし続けることが、ある種、家族にとっての、姉を諦めないことなんじゃないか(と思ってしまう)。

妹さんもお姉さんも、30代と若かった。
若く、一人息子の居る姉が同じ若い妹に、困苦の極みの中、最終手段の終末期鎮静を懇願したのは、伴侶や両親がもはや居ないか、もしくは、居ても対応できる状況にないから、並びに、妹をそれだけこの世で最も信頼していたから、だろう。
ではなぜ、妹さんは、姉の正に最後の懇願に躊躇したのか。
また、なぜ、最後の最後に従ったことに依然罪悪感を覚え、後悔しているのか。
失礼ながら、終末期鎮静という最終手段の対象、目的が姉ではなく、自分だったのではないか。
妹さんは、本当は姉の人生の幸福を最大化すべく終末期鎮静を決断すべきところ、自分の人生の不幸を、それも困苦に喘ぐ姉を「背負わされている」不幸を最小化したい、その目の前の不幸から兎に角「解放されたい」、ばかりに決断してしまった。
挙句、最愛(かつ唯一の肉親)の姉を失った今、最終手段を決断した矛先、動機の不確かさ、不純さに、罪悪感と後悔の念が絶えない、のではないか。  続きを読む

2015年10月05日

【No.3711】ニッポンの女性は「やせすぎ」!? 「健康で美しい」そのコツは

今、日本人女性の8人に1人は “やせすぎ”ており、その割合は戦後最多を記録。中でも20代女性の平均摂取カロリーは食糧難だった終戦直後を下回る1628kcalで、世界的にも異例の低水準にあることが国の調査で判明した。なぜ飽食の時代に日本女性はやせるのか。やせ女性の全国実態調査に乗り出した民間団体によると、その背景には、生活スタイル変化の中での「長時間労働」や「孤食」があるという。さらに本来は男性市場をターゲットにしたメタボ予防商品が忙しい女性に売り上げを伸ばし、結果的に「やせ」を促進していることなどが見えてきた。女性のやせすぎは低体重児の出産や不妊などの医学的な危険性が指摘されており、将来的には要介護者の増加など社会的コスト増になることが懸念されている。メタボ対策に比較して軽視されてきたやせすぎ対策だが、やせすぎたモデルの起用制限などの動きが世界的に広がりつつある。「やせすぎ大国」日本の現状と、その根本対策に迫る。

NHK「クローズアップ現代」番組HPから転載(↓)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3711.html

なぜ、今のハタチ前後の若い女性は痩せ過ぎているのか。
二度目の成人式をとうに迎えた(笑)妻にこう質問したところ以下回答され、正否はさておき、同性ならではの厳しく、かつ、想定外の視点に感心と成る程感を覚えた。

【1】自分は特にそう思わない。たしかに、今の若い女性は手足が長く、顔が小さいが(笑)。痩せ過ぎている若者は、女性よりむしろ男性だと思う。

【2】若い女性に関して言えば、普通の体格の子が減り、その分太っている子が増えたように思う。今は、痩せている子と太っている子で二極化しているのではないか。
  続きを読む

2015年08月05日

【No.3696】ヒバクシャの声が届かない 被爆70年「語りの現場」で何が

被爆から70年の間、自らの過酷な体験を語ることで、核兵器の愚かさや平和の尊さを伝える大きな役割を果たしてきた広島・長崎の被爆者たち。平均年齢が80歳に迫り、この1年で1万人近い人が亡くなっている。NHKは、全国各地の被爆者1000人を対象にアンケートを実施。見えてきたのは、被爆者が「語り継ぎたいのに語りにくい」状況が生まれているという実態だ。これまで被爆体験を語ってきた人たちの4割が「語る場が減っている」と回答し、その理由として「証言が求められなくなった」と指摘する人が40%に上っている。学校などの教育現場では、教師たちがカリキュラムに追われ、平和を教える経験を失うと同時に、子どもたちに平和を語ることそのものに萎縮してしまっているのだ。そうした中、被爆者が自らの悲惨な体験を伝えるだけでなく、教師たちといっしょに被爆地などをまわり、原爆投下による具体的な被害状況・実態を伝え、平和の尊さをより深く感じてもらおうという取り組みも始まっている。被爆70年のヒロシマから平和を伝える事の意味を考える。

NHK「クローズアップ現代」番組HPから転載(↓)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3696.html

10才まで、私は父方の祖父と暮らした。
祖父の習慣の一つは、出征時の話をすることだった。
格好の聞き手のはずの祖母がスルーなため、同じ出征経験を持つ近所の弟が来ると、家業そっちのけで正に延々としていた。(苦笑)
幼い私は、話の内容は理解できなかったが、「大東亜戦争」という文言が耳に入る度、またジジイの厄介な癖に火が点いたかと辟易したものだ。

後年分かったことだが、祖父のこの習慣に辟易していたのは、7才上の兄も同じだった。
ただ兄は、話の内容を理解した上で、辟易していた。
頭が良く、歴史が好物な兄曰く、祖父の話は「出鱈目」。
私は兄にその理由を具体的に訊いたことはないが、社会人になり、人や組織を管理する仕事に就き、なぜ祖父が実際に出征していながら出鱈目な話を死ぬまで繰り返したのか、見当がつくようになった。

兄に反論する訳ではないが、祖父の出征話は、半分は出鱈目で、半分は本当だったと思う。
勿論、ここでの「半分」に明確な意味や根拠はない。
要するに、祖父の出征話は真否が入り乱れていたのではないか、ということだ。

先ず、なぜ半分は本当なのか。
言うまでもなく、実体験だからだ。
たしかに、人間は実体験の真実、記憶を自分に都合良く変える習性があるが、祖父も全ては変えていなかっただろう。

なぜ半分は出鱈目なのか。
思うに、正しくは「出鱈目」ではなく「誤解」だ。
では、なぜ祖父の話は、実体験なのに誤解なのか。
ひと言で言えば、現場一兵卒の、ミクロ(⇔マクロ)の視点と理解を基盤にしたものだからだ。
断っておくが、これは祖父を馬鹿にしているのではない。
凡そタクシー運転手や営業マンに景気を訊くと「悪いね」とだけ返されるのがオチなように、現場の最前線にどっぷりつかり、体験した真実を、専らミクロの視点で見、個別/個人的(⇔系統/全体的)に理解してしまうと、真実を、更にはその本質を、見誤って、誤解して、しまうものだ。
兄が「出鱈目」と断じたのは、祖父の実体験そのものではなく、その自己理解、解釈が余りに個別的、表層的、個人的、主観的、情緒的で、通説の歴史認識と整合しないことに対してだったのだろう。

「被爆者の『語り』は紛れもない実体験(→真実)、それも代え難く、繰り返してならない悲惨の極致のそれであり、いついかなる時も、後進は心して受容すべし」。
話を本題に戻すと、私は番組の主張をこう理解したが、以上の経験があることを主因に同意しない。

誤解や非難を覚悟して言えば、語り部の被爆者の方々は、自分の「はだしのゲン」を語りたいのだろう。



勿論、その根底には各人様々な思い、動機が在るに違いなく、それらも全く同情しないわけではないし、そもそも内容には先述のように半分「本当」も在り、社会的に有意だ。
しかし、周知の通り、「はだしのゲン」の内容の内、通説の歴史認識と整合していない箇所、端的に言えば、著者の中沢啓治さんが(確信犯かもしれないが)誤解している箇所は少なくない。
然るに、私たちは「はだしのゲン」を、本ブログと同様、あくまで一個人が提供する参考情報として受容、理解する必要があり、被爆者の「語り」も同様だろう。  続きを読む

2015年07月07日

【No.3681】あなたは音楽をどう愛す? 新・配信ビジネスの衝撃

「ひと月に1000円ほどを支払えば、数百万曲の音楽が聴き放題!」。大手レコード会社やIT企業などが始めた音楽の定額配信サービスが、不況が続く業界の起爆剤として注目を集めている。一方、こうしたサービスが先行する海外では、楽曲を提供する有名アーティストの側から、「自らのためではなく、新人やプロデューサーのために」創作活動へは対価がもっと支払われるべきだという主張が相次いでいる。テクノロジーが進化し、音楽を無料で消費する動きが急速に広がる中、「創作の価値」が問われている。世界的に音楽市場が縮小し、日本でも名門スタジオが閉鎖されるなど創作現場の苦境が続く中、独自の道を拓こうとする人気アーティストの模索や、ファンとの結びつきで原点回帰を図る「ワンコインコンサート」などの取り組みから、いまの時代の音楽のありようを考える。

NHK「クローズアップ現代」番組HPから転載(↓)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3681.html

物心がつき始めた小学生時分、不思議に思っていたことの一つは、亡き父が、懐メロ番組、それも12チャンネル(※現:テレビ東京)の懐メロ番組(笑)でしか、音楽を聴かなかったことだ。
当時(1970年台)は歌謡曲が全盛だった。
人気歌手はこぞって三ヶ月毎にシングルレコードを出していた。
テレビ、ラジオもこぞって「ベストテン」系の音楽番組をつくり、それらを流していた。
つまり、当時これだけお金を出しても出さなくても音楽が聴ける状況だったにもかかわらず、父は懐メロ番組でしか自分から音楽を聴かなかったという訳だ。
幼く、また、当時ピアノを習わされていた私には、父のそうする理由が皆目見当がつかなかった。

当時の父と同年代に成った今、思い当たる理由が一つある。
それは、「父は懐メロそのものを聴いていた訳でも、また、そもそも音楽を聴きたかった訳でもなかった」、ということだ。
父の父としての人生はお世辞にも良いものではなく、それは年を重ねる毎に加速していった(ように見える)。
父の人としての「glory days」は専ら成人前だったのだろう。
父は、当時の流行歌を懐メロ番組で聴くことが、良いと思えない人生を続ける稀有な励みだったのだろう。

父の個別事情はさておき、父のように音楽を聴く人、つまり、父のように「音楽の価値を非コア価値で規定、評価する人」は少なくないだろう。
先述のように、私は幼い時分はピアノを、そして、学生時分はギターを弾いていたので、自然と規定、評価する音楽の価値は、主旋律とベースラインのコンビネーション、コード進行、ソロ演奏の妙といったコア価値に専らなってしまうが、非コア価値を否定する気はない。
事実、私はこの歳になっても、麻倉未稀さんの「HERO」を耳にするや否や「スクールウォーズ」が脳内復活し、目頭が熱くなってしまう。(笑)



麻倉未稀 パーフェクト・ベスト
麻倉未稀
キングレコード
2010-07-07




しかし、とはいえ私は、麻倉未稀さんの「HERO」のCDは買わないし、ダウンロードもしない。
これは、終生変わらないだろう。
私は、いかに乗り心地やラゲッジ容量が満足でも、「走る・曲がる・止まる」といった操縦性能が満足できなければそのクルマを決して買わないように、やはり音楽を買うならら、非コア価値ではなくコア価値を買いたい。

音楽が、具体的にはCDが売れなくなってから、久しくなる。
その原因は様々論じられているが、私は、音楽のコア価値を評価できる「耳」をリスナーへ積極的に躾けてこなかった売り手の怠慢が元凶に思えてならない。
原宿や自由が丘の芸能人ショップが悉く頓挫するように、音楽に限らず、お客さまは商品のコア価値と非コア価値を無意識裡に分別理解し、非コア価値を頼りに商品を買うのを嫌悪する。
売り手足る者、お客さまに商品を買っていただきたければ、そのコア価値が評価できるよう、ターゲットを積極的に躾けなければいけない。  続きを読む

2015年07月06日

【No.3680】なでしこ 激闘の舞台裏

サッカーの女子ワールドカップで2大会連続の決勝進出を決めた「なでしこジャパン」。6日、連覇をかけて宿敵・アメリカと戦う。メンバー23人中17人は前回大会と同じだが、初戦で安藤梢選手がけがで離脱を余儀なくされた後、安藤選手のユニフォームを着せた熊のぬいぐるみをベンチにおくなどして、チームはさらに結束し、成長を遂げている。最年少の岩渕真奈選手(22)が、準々決勝、準決勝と途中出場したとたん、ゲームの流れを変え、ニューヒロインとなるなど、新たな戦力が次々と活躍し、準決勝までに7選手がゴールをあげている。前回大会で優勝した日本は、世界を魅了した“パスワーク”が各国に研究されたため、その後、苦戦を強いられるようになっていた。より進化したサッカーを目指して模索を続けてきた4年間の成果が、ふたたびの決勝進出へと結びついたのだ。世界の強豪を相手に、選手たちはどんな思いで戦い、どう進化してきたのか、知られざる舞台裏に迫る。

NHK「クローズアップ現代」番組HPから転載(↓)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3680.html

「なでしこジャパン」が世界ランク上位のアメリカに決勝で敗退したのは、ゲストの丸山桂里奈さんと番組の言うように、選手の環境劣位の帰趨なのだろうか。
なでしこがプロ・アマ混成だったのは未知かつ驚愕だったが、丸山さんのアメリカプロ選手時代の述懐から推量するに、根本的に帰趨するのは劣位な環境そのものではなく、そうした環境しか作り出せない、また、プロ・アマ混成に甘んじざるを得ない、日本女子サッカーのビジネスモデルの脆弱さだろう。
丸山さんはアメリカでは住居と自動車を提供され(大変助かっ)たようだが、それはアメリカ女子サッカーのビジネスモデルが日本より優れているから、もっと露骨に言えば、元締め団体(笑)が「女子サッカー」という商品を売り込むのが日本より上手かつ、そもそも熱心だからだろう。

少し調べてみたところ、アメリカの女子サッカーも過去には頓挫の憂き目に遭っている
「必要は発明の母」の言葉に従い、アメリカの女子サッカーはこの憂き目を活かしているのだろう。
「スポーツなき経済は罪悪であり 経済なきスポーツは寝言である」と、そして、「女子サッカーなき経済は罪悪であり 経済なき女子サッカーは寝言である」と覚醒、達観の末、「第二のマネーボール」との揶揄を厭わず(→却って目標や誇りにして)、その持続的な具現に一路邁進しているのだろう。

この推量が正しければ、アメリカ女子サッカーの元締め団体は大したものだ。
というのも、男子サッカーも在るし、また、そもそもスポーツ、ないし、競技モノは他にも幾らでも在るからだ。
私はなでしこの試合をナマで観戦したことはないが、世界制覇時を頂点に、観客数が漸減していった(→人気が下落していった)のは、目の肥えたサッカーファン、並びに、Jリーグやその他競技、エンタメに富む日本では当然に思う。
実際、私は将棋が好物エンタメなのだが(笑)、女流棋戦は一切観ない。
直接的な理由は、「男子トッププロのタイトル戦を観る(チェックする)ので手一杯で、そこまでリソース(時間&体力)が割けないから」だが、根源的な理由は、「対局の内容(品質)が男子トッププロのそれに比べて見劣りする(→感心感動値が低い)から」だ。

アメリカ女子サッカーの元締め団体は、プレーや試合内容そのものでは、身体的理由から男子プロに見劣りせざるを得ない女子サッカーをどう適切に商品化し、サッカー、ないし、スポーツファンに売り込んでいるのだろうか。
具体は不明だが、そのコンセプト(根本思想)は、今を遡ること凡そ10年前、以下、元なでしこの東明有美さんが大学院生時代に論じたことなのだろう。  続きを読む

2015年07月02日

【No.3679】「元少年A」 手記出版の波紋

神戸市の連続児童殺傷事件の加害者による手記「絶歌」が、先月、発売され、初版の10万部に続いて、さらに5万部が増刷された。被害者の遺族は、出版社に書籍の回収を要請するも、出版社側は、少年犯罪の実態を知らせる意義があると主張している。元少年Aは、「過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の救済であり、たったひとつの『生きる道』でした」と、執筆の理由を記している。出版にあたっては、過去の犯罪を利用して利益を得ていいのかという批判の声が上がっている他、匿名のままノンフィクションを描くことは道義的に許されるのか、生々しい殺人の現場の描写は、同様の事件が繰り返されることにつながらないのかなど、様々な議論を巻き起こしている。元少年Aの手記が社会に投げかけた波紋を追う。

NHK「クローズアップ現代」番組HPから転載(↓)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3679html

「顰蹙は金を出してでも買え」。
これは幻冬舎の創業者の見城徹さんの名言だが、たしかに「顰蹙を買う」のはビジネスの、否、「儲け」の極意だ。
新聞やニュース番組が身近でまず見かけない殺人事件を延々報じたり、女性週刊誌が別世界の芸能人の破局に多く紙面を割くのは、私たち小市民から顰蹙が買えるからだ。
近年「炎上マーケティング」という言葉を目にするが、これは正に顰蹙を金を出して(各種のコストを投じて)買うビジネス、マーケティング手法であり、新しいようで古い。
企業の命題は生き残ることであり、それにはビジネスでしかと儲けることが欠かせない。
というのも、儲けこそが企業の、全利害関係者の、ひいては社会の「パン」と「ガソリン」だからだ。
社会から「パン」と「ガソリン」が枯渇した成れの果ては、今のギリシアだ。
倫理は企業にもビジネスにも重要だが、十分条件ではない。
太田出版が被害者の遺族に事前告知をしなかったこと、また、著者に実名を強いなかったことは、倫理を好都合に解釈した確信犯に違いないが、そうしてまで彼らが「絶歌」を出版したのは、企業として、そして、ビジネスとして合理的だ。

結局、「絶歌」が顰蹙を買うのは、私たち小市民が「人を憎んで罪を憎まず」だからだろう。
そして、村八分者や落伍者を作ること、彼らを身分固定(社会抹殺)化することに寛容な一方、彼らに出し抜かれること、彼らが再チャレンジ、再浮揚することに不寛容だからだろう。
日々公私不満足状態にある私たちからすると、元少年Aが「犯した罪を現金化すること」、「一夜にしてベストセラー作家に成り上がること」は許せることではなく、「遺族の感情に配慮していない!」、「自己満足的、身勝手で、そもそも贖罪、反省が足りないのではないか!」といった建前を振りかざしてでも咎めなければ、浮かばれていない今の自分がいよいよ浮かばれなく感じられるのだろう。
「罪人の日陰者は、一生罪を背負って、日陰で暮らせば良い」。
私たちの内、こう考える人は少なくないだろう。  続きを読む

2015年06月15日

【No.3668】買い物は“おまかせ”スタイルで!? 広がる目利きビジネス

消費者が商品の選択を“プロの目利き”に委ねる新たな消費スタイルが今、人気を博している。月6800円でプロのスタイリストがユーザーに似合う女性服をセレクトするレンタルサービスが始まり3ヶ月で5万人の登録者を集めた。また北海道の書店店主がおススメの本を1万円分選んで顧客に配送する『1万円選書』も400人待ちの状態だ。ショッピングサイトにモノの情報が氾濫するなか、知識や経験を生かした目利きの商品選択が、商品選びに疲れた消費者に驚きや発見を与えているのだ。さらに、地域の産業コーディネーターが中小企業の技術を発掘し新商品を生みだすプラットフォームに注目が集まるなど、目利きの存在は消費の現場に留まらずビジネスの世界に大きな変革をもたらしている。ビッグデータの時代のなか、プロとしての知識や経験をフル活用する目利きが消費とビジネスの現場にもたらす新たなイノベーションを読み解く。

NHK「クローズアップ現代」番組HPから転載(↓)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3668.html

「おまかせ(ビジネス)」の本質、及び、キモは、商品(群/関連情報)の「『目利き』力」ではなく、対象顧客への「『関心』力」だ。
番組は「『目利き』力」であると報じていたが、これは解析が表層的で、誤りと言わざるを得ない。
なぜか。
たしかに、売り手の「目利き」は提案商品の選出に有効だが、それには予め対象の買い手、即ち、「『その』お客さま」の事情、問題、ニーズといった現状を把握する必要があり、ついては何より先ず、「『その』お客さま」の心に強く寄り添うこと、つまり、「『その』お客さま」に強く関心を持つこと、が求められるからだ。

勿論、「『関心』力」と同等に「『信頼』構築力」も大事であり、また、欠かせない。
お客さま足る者、いかに最適な商品を選出、提案されようと、当の売り手が信頼できなければ、その商品の最適性を疑うし、そもそも余程その商品がレア、又は、代替(購入)不能でもなければ、信頼できない売り手から商品を買うことはない。
売り手の「『信頼』構築力」の意義については、同じロレックスでも和光で売られているそれとアメ横で売られているそれとでは、とちらの方が買い易いかを想像してみると分かり易い。(笑)
しかし、あなたが現在いかにして今の彼女(彼)や伴侶を得たか思い出してみると分かるように(笑)、人の信頼は基本的には「後からついてくる」もの、正確に言えば、「『その』人」に強い関心を持ち、かつ、彼女(彼)がハッピーに成る、或いは、助かる(と思しき)行動を具体的に重ね、実績化していく中で自然に培われていくもの、であり、自分が和光の御曹司だとかキムタクでもない限り、それしかない。
名著「東京いい店やれる店」は「(オンナは)3回の会食で落とすべし」を提唱していたが(笑)、たしかに男子足る者、3回もデートして信頼が培われず、「やれ」なければ(笑)、その後の会食、及び、デートは彼女共々時間と金の浪費に違いなく、先ず問われるのはいかに相手に、「『その』人」に、強く関心を持つか、だ。

東京いい店やれる店
ホイチョイプロダクションズ
小学館
1994-08-10


そして、いわた書店の店主(岩田徹さん)の「1万円選書」は「『企画』ビジネス」であり、正確に言えば、「『物語(ストーリーテリング)』ビジネス」だ。
番組は「おまかせ(ビジネス)」と報じていたが、これまた解析が表層的で、やはり誤りと言わざるを得ない。
なぜか。
たしかに、お客さまは総額1万円の本選びを店主に「おまかせ」し、店主は「まかされている」が、お客さまが真に1万円の代金を支払っているのは、一生巡り合わなかったであろう数冊の本とその選び賃ではなく、それらの本と巡り合う必然を説いた岩田店主お手製の物語だからだ。
もし、この必然物語が記された手紙が本に同梱されなければ、このビジネスは図書館の無料の司書サービスでも代替可能に違いない。  続きを読む

Posted by closeupgendai at 07:30Comments(0)TrackBack(0)clip!経済(国内) 

2015年05月12日

【No.3649】私の遺体提供します 増える献体 それぞれの選択

遺体を医学部の解剖実習などのために提供する「献体」。解剖への抵抗感などから少なかった登録希望者がいま増え続けている。背景の一つが、人口減少が進むなかで深刻になっている墓の問題だ。大学の中には、献体した人の遺骨を納める納骨堂を用意しているところもある。このため墓の管理で家族に迷惑をかけたくないという人たちが献体を選ぶケースも出ている。医学への貢献という目的だけでない献体の増加に、関係者のとまどいも広がっている。一方、献体で死後のあり方を決めたことで人生が前向きに変わったという人もいる。献体希望者を追い、日本人の死生観や地域社会、家族意識の変化を見つめる。

NHK「クローズアップ現代」番組HPから転載(↓)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3649.html

献体を希望する人が増加傾向にあるのは未知だったが、我々現代日本人には合理的かつ自然だろう。
自己犠牲無しに他者(ひと)や社会の役に立ち、自らの出生を有意義かつ必然のそれと解釈でき、更に、墓の不安から解放されるのだから、豊かで我儘で孤独で自己肯定感の乏しい我々には、正に願ったり叶ったりだろう。

本件から再認識させられたことが二つある。

一つは、自己肯定感を得るには自己有能感を得るのが有効であり、それには他者に肯定評価されるのが最も有効であり、かつ、欠かせない、ということだ。
医学の発展を主眼に献体を希望する人は、凡そ過去、何らかの事情で他者の評価に背を向けてきたのだろう。
やはり、人は社会的生物であり、生存が安定的な中では、他者に肯定評価されなければ、自己を肯定できないのだろう。  続きを読む

Posted by closeupgendai at 07:30Comments(0)TrackBack(0)clip!医療(国内) | 文化(国内)

2015年04月20日

【No.3643】いのちをめぐる対話 遺族とJR西日本の10年

106人の乗客が亡くなったJR福知山線脱線事故から10年。事故の背景を知りたいと考える数人の遺族とJR西日本の間で、「安全」のあり方をめぐる「対話」が行われていた。「同じテーブルにつき、共に事故原因を考えよう」という遺族のよびかけを、JR西日本も受け入れ、事故を起こした企業と遺族による、かつてない対話が始まった。最初は大きな隔たりがあった両者の意識。しかし、「家族はなぜ死ななければならなかったのか」という遺族の問いは、少しずつJR西日本の意識を変化させていった。双方のインタビューなどをもとに、「異例の対話」がもたらしたものを見つめる。

NHK「クローズアップ現代」番組HPから転載(↓)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3643.html

掛け替えの無い家族を失ったご遺族の無念かつやり場のない思いは推量できるが、この対話は茶番に思えてならない。

たしかに、私自身、過去既に唱えている通り、事故という「ミス」をシステマチック(≒系統的及び仕組み的)に検証、改修するのは、同様のミスの回避を図るためにも重要かつ不可欠だ。
本事故の近因である「運転手のブレーキ操作ミス」は、「運行ダイヤの速達化」と「運転手の技能管理不足」と「運転手の労務管理不足」、並びに、操作ミスをバックアップする「ATS(自動列車停止装置)整備の計画遅延」によって系統的に起こり、そして、根本原因は「個別原因の担当部署間の連携不足」というのは、至極尤もだ。
同様の事故、社会的悲劇を繰り返さないためには、これらを仕組み的に改修する必要があるのは間違いない。
しかし、これらは尤も過ぎて、「私たちは遺族の、ひいては、利用者(顧客)の心情満足を最優先する企業経営をしてますよ」との「広報(PR)活動」に、悪い言い方で言えば「アリバイ作り」に窺え、遺族は結果的に「使われた」印象がある。

これらはなぜ「尤も過ぎる」のか。
「安全というのは99点じゃ駄目だと、100点じゃないと駄目だと、一つでも間違いがあれば駄目だと、遺族に言われて恥ずかしく気づかされた」旨、運転士課長の間光一郎さんが仰っていたのが馬脚だ。

たしかに、加害者のJR西日本がこう言えば、遺族にも、また、顧客であり潜在被害者である利用者、大衆にも、おさまりが良い。
しかし、99点の商品と100点の商品とでは、企業が製販に要するコストが格段に違う。
ビジネスを、それも大衆向けにビジネスをやっている人なら既知かつ痛感しているはずだが、企業が大衆向けに100点の商品を大量かつ持続的に製販するのは非現実的で、間さんの発言は甘言だ。

たとえば、インターネットのネットワークが専用回線のそれに比べ遥かに低コストなのは、専用回線とは異なり100点の接続品質、及び、安全を担保していないからであり(→だから、かつて専用回線オンリーで、競争者が乏しい時代、東京-大阪の電話料金は3分で300円程度した)、安全が100点の商品しか製販できないとなれば、インターネットのネットワーク屋も、他には自動車メーカーなどもこの世に存在できないし、私たちはそれらの商品(のベネフィット)にあやかれない。

JRのビジネスモデル、及び、社会的立ち位置(要請/ニーズ)からすると、電車を99点で走らせることで相応の料金を達成し、大衆に広く利用してもらうのが道理であり、100点で走らせ、非大衆の特定富裕層に狭く利用してもらうのは違う。
違うことをそれらしく言うのは甘言に他ならず、甘言がオチのイベントは茶番と言う他ない。

だが、本当に問題なのは、この茶番が変に「おさまりが良い」ことだ。
この茶番はなぜ「おさまりが良い」のか。
誤解を怖れずに言えば、元凶は、311後とりわけ加速している、私たち大衆の「ゼロリスク願望」だ。  続きを読む

2014年12月10日

【No.3592】広がる「読書ゼロ」 日本人に何が

9月、文化庁が衝撃的な調査結果を発表した。調査した2000人のうちおよそ半数(47.5%)が、「1か月に1冊も本を読まない」と回答したのだ。勉学に勤しんでいるはずの大学生でも、40%が1日の読書時間が“ゼロ”という別の調査結果もある。“読書ゼロ”は何をもたらすのか―。人と情報の関わり方を研究している筑波大学の逸村裕(いつむら・ひろし)教授は、学生の小論文の変化に注目している。近年、ほとんどの学生がインターネットの検索サイトに頼って論文を執筆、情報を羅列するものの、持論を展開するのが苦手になっているという。その一方、検索スピードは格段に向上し、閲覧する情報量は急増。わずか1秒で、表示された情報が有用かどうかの判断を下しているという。元来、働きながらでも本を手放さない二宮金次郎(金治郎)を敬ってきた日本人。本との関わり方はどう変わるのか。最新の研究成果も交え、読み解く。

NHK「クローズアップ現代」番組HPから転載(↓)
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3592.html

国谷裕子キャスター、及び、番組はしきりに、「最近の若者は思考力の低下が著しく、その元凶はスマホ、つまり、インターネットの常用に因る読書習慣の欠如だ」と説いていた(≒世論誘導を試みていた)が、果たして本当にそうだろうか。
ゲストの立花隆さんと同様、私は否定的だ。
人間の不幸の一つは「意思決定が自由にできないこと」だが、その元凶は凡そ「選択肢が限られていること」と「選択肢を理解、判断する情報が限られていること」に在る。
インターネットは、物事、或いは、問題解決の道筋をより正しく理解、判断、意思決定するための、即ち、思考力を向上させるための情報の泉であり、また、格好の収集ツールだ。
インターネットは、思考力の向上の助けにこそなれ、妨げにはならない。

たしかに、インターネットは、読書とは比較にならないくらい、収集できる情報の量が多い。
このため、インターネットで収集した情報は、読解が浅薄かつ表層的になり易く、統合が散漫になり易い。
しかも、昨今は仕事に限らずプライベートでも即戦力と成果主義が刹那的に選好され、その嫌いは加速の一途である。
国谷キャスターや番組ほか、「インターネットが思考力の向上の妨げになっている(→人間の知的劣化を促している)」と説く人たちがこの点を問題視するのは、全くの不合理ではない。
しかし、この手の悲劇の主犯はツールではなく利用者だ、と相場は決まっている。(笑)
たとえば、ホテルの朝食バイキングを常用するデキるビジネスマンが少なくないのは、彼らが「朝食の準備&片付時間の節減(→睡眠&稼働時間の最大化)」、「多様な栄養素の早期&効率摂取」、「有効人脈の拡大」を命題かつ自己責任と心得ているからだが、そんな自律的かつ目的的な彼らは、盛り付けの量と咀嚼の質には当然シビアで、メタボの悲劇など無縁である。

経営コンサルタントとして日々ビジネス、並びに、社会と接してつくづく思うのは、思考力が低下しているのは、最近の若者に限った話ではなく、我々大人にも大いに通じる話だ、ということだ。
そして、その元凶はインターネットの常用でなければ、読書習慣の減少でもなく、例示した「自律的かつ目的的な意思決定の習慣」の欠如、もっと言えば、「唯一無二の人間である自分は、何をどうしてどう生きるべきなのか?」という「根源的な意思決定とその意思」、即ち、「自我」の欠如、に在る、ということだ。
企業理念の進捗確認を怠り、イノベーションの創発を放棄し、ひたすら競合他社の現在成功事例のモノマネ、もとい、ベンチマーク(笑)とコストセーブ(→プライスダウン)に励んでいる企業、及び、その経営者に日々触れる度、私はつくづくこう思う。  続きを読む